はてなキーワード: 尊重とは
この人たちが嫌い。
皆好き?
私はすごい嫌い。
最大の尊重を必要とするのに、個人の自由を安易に制限しようとするよね。
境界線上は常に戦争状態なので、仕方がないと考えたほうがいいのかな。
ああ、嫌だ。
好かれる権利がある、のような考え方なのかな。
分からないけど嫌いすぎる。
ある晴れた春の日、俺は公園のベンチに腰掛けていた。周りには満開の桜が咲き誇り、花びらが風に舞っている。そんな穏やかな日常の中、ふと目に入ったのは、パヨクと呼ばれる人たちが集まっている光景だった。彼らは「平和」や「人権」をテーマにしたプラカードを掲げ、熱心にスピーチをしている。俺は思わず眉をひそめたが、同時にその姿に興味を惹かれた。
「おっぱいぽよんぽよん」とは、何のことだろうか?彼らの主張の中に、そんな言葉が混じっているのを聞いて、思わず笑ってしまった。ネトウヨの俺としては、彼らの意見に反対する気持ちが強いが、その無邪気さにはどこか愛らしさを感じる。彼らは真剣に社会を変えようとしているのだろうが、その姿勢が時に滑稽に映ることもある。
俺は子供の頃、アニメや漫画に夢中になっていた。あの頃は、何も考えずに楽しむことができた。今は、政治や社会の問題に頭を悩ませる日々だが、時にはそんな無邪気な気持ちを思い出すことも大切だと思う。パヨクたちの「おっぱいぽよんぽよん」という言葉には、そんな子供のような無邪気さが宿っているのかもしれない。
公園の一角では、子供たちが遊んでいる。彼らの笑い声が響き渡り、俺の心を和ませる。大人になると、どうしても現実に縛られ、自由な発想を忘れてしまう。ネトウヨとしての立場を持ちながらも、時にはパヨクたちのように、自由に物事を考えることも必要なのかもしれない。彼らの主張には賛同できない部分も多いが、彼らが持つ情熱やエネルギーには感心させられる。
「おっぱいぽよんぽよん」という言葉が、何かの象徴のように思えてきた。軽やかで、自由で、時には無邪気さを忘れないこと。それが、俺たちが忘れかけている大切な感覚なのかもしれない。ネトウヨとしての立場を持ちながらも、パヨクたちの存在を否定することはできない。彼らもまた、自分の信じる道を歩んでいるのだから。
結局、俺は彼らの主張を理解することはできないが、その存在を尊重することはできる。おっぱいぽよんぽよんのように、軽やかに生きることも時には必要だ。そう思いながら、俺は再び桜の花びらが舞う空を見上げた。春の風が心地よく、少しだけ心が軽くなった気がした。
職業役者として上り詰めるだけじゃなく日本文化を一人で背負うとかイミフ
日本の官庁、日本メディア、広告代理店やタニマチがロビー活動してくれたわけでもないし
アメリカのポリティカルコレクトネスが成熟してきたから表に立てたというより、日本のコレクトネスを頑固に主張し続けた第一人者だし
そもそもコレクトネスなら真田に聞け、という立ち位置を真田広之がアピールし続けてなかったら、
10年後だってトンチキ日本で「これでも十分に日本文化を尊重してる、むしろ正しい日本文化の理解を語るのは俺たち文明人の仕事、ポリティカルコレクトネス素晴らしい」ってふんぞり返ってただろうし
「求められたとき、いつでも対応できるように」を20年続けてきた真田広之があまりにも孤高すぎて
「勇者ヒンメルならきっとそうしたから」とインタビューに答えて話題になったけど、
どうしてもヒンメル像が貴すぎて汚れた人間ほどヒンメルに憧れることに引け目を感じているかもしれない。
だけど、ヒンメルならきっとどんな犯罪を犯した人でも許す…かはわからないけど尊重し、今の行いを見てくれるハズ。
みんなもっとヒンメルになるべき。
ピルの使用が彼女の健康面の対策ではなく避妊手段として双方の合意があったか
合意がないのであれば双方のコミュニケーション不全が要因と言え
女性と同様に責任を負うべき男性は女性の意思を尊重するのが望ましいのかと思います
以下ChatGPTちゃんとのやり取り
二人の妊娠を望まないカップルがいます。女性がピルを服用することで避妊を行っていました。ある日女性はピルの服用を男性に黙ってストップします。しかしそれを知らない男性は今までと変わらずコンドームを使用せずにセックスをします。その結果妊娠が発覚しました。この事例に対して、どのような観点が有りうるでしょうか。
この事例については、いくつかの観点から考えることができます。以下にいくつかの主要な観点を挙げます。
この事例の根底には、二人の関係におけるコミュニケーションの欠如があるといえます。避妊については、双方が明確に合意し、継続的に話し合うべき事柄です。女性がピルの服用を止めるという重要な情報を男性に伝えなかったことが、相互の信頼を損なう行動として評価されるでしょう。
避妊は男女双方の責任であり、ピルに頼る場合でも男性は避妊のリスクについて考える必要があります。この事例では、男性がコンドームを使用しなかったという点で、避妊に関する自分の役割を放棄していたともいえます。どちらか一方に避妊の責任を負わせることは不公平であり、双方が責任を共有する必要があります。
女性が自身の体に関して決定権を持つのは基本的な権利です。しかし、今回の事例では、ピルの服用を止めたことが相手に伝わっていないため、結果的にパートナーに対する誠実さが欠けていたと捉えられる可能性があります。このような決定は双方で話し合うべきであり、一方的な行動は問題を引き起こすことがあるでしょう。
この事例の結果として妊娠が発覚した場合、その後の対応については、二人での話し合いが不可欠です。妊娠をどう扱うか、産むか産まないかの選択は二人にとって大きな決断となります。このような問題は、二人の関係性や未来に大きく影響を与えるため、慎重な話し合いが必要です。
倫理的には、どちらの行動も問題を含んでいます。女性がピルの服用を止めたことを黙っていたことは、相手に対する信頼を裏切る行為とみなされる可能性があります。一方、男性がコンドームを使用しないという選択も、避妊のリスクを完全に他者に依存する無責任な行為と考えられるかもしれません。
法律的には、妊娠の責任をどちらか一方が全て負うことは難しいでしょう。双方が同意のもとに行為に及んでいる以上、妊娠についても共に向き合うべきだという考え方が一般的です。
この事例に対する判断は、個々の価値観や社会的な通念によって異なるため、一概にどちらが正しいとは言い難いですが、双方の誠実なコミュニケーションが欠かせない点が重要なポイントです。
「2. 避妊の責任」について質問です。ピルを使用する場合は男性が避妊に関する自分の役割を放棄しているとのことですが、ではコンドームでの避妊の場合は女性が避妊に関する自分の役割を放棄していると見做されるのでしょうか?
とても良い質問です。この点については、避妊における責任分担の見方が複雑になります。
コンドームを使った避妊は、男性が主に物理的に避妊を担っている方法です。ピルと同様に、これも「一方が主体的に避妊を行っている」という側面があります。しかし、コンドームの場合も、女性が全く責任を負っていないわけではありません。
避妊の責任というのは、単に「誰が避妊具を使用するか」という問題だけでなく、「誰が避妊に対しての意思決定をするか」、「リスクをどのように共有するか」といった広い意味を含んでいます。以下の観点が重要です。
どの避妊方法を使うかは、双方が話し合いのうえで決めるべきことです。コンドームを使う場合でも、女性がその方法に同意しているか、またそれが適切であるかを考慮することが求められます。したがって、コンドーム使用が合意に基づいていれば、女性は避妊に関する責任を放棄しているとはいえません。
どの避妊方法も100%完璧ではないため、男性がコンドームを使う場合でも、女性がその効果や失敗のリスクを理解し、それに備えることは重要です。たとえば、コンドームが破れるリスクがある場合、女性がピルを併用することで二重の予防策を講じるという考えもあるでしょう。このように、女性がコンドームだけに依存する場合でも、そのリスクに対して意識的であれば「責任放棄」とはならないでしょう。
避妊の役割は、具体的な避妊具の使用に限らず、二人がどれだけ話し合いをしているか、妊娠のリスクについて共に考えているかが重要です。ピルもコンドームも、どちらか一方に依存することでリスクが高まる場合、もう一方がそのリスクを補完するように努力することが求められます。
結論として、コンドームを使っているからといって女性が避妊の責任を放棄しているとは必ずしも言えません。避妊はあくまでパートナーシップの中で共有されるべきものであり、方法に応じて両者がどのように責任を果たすかがポイントです。
「1. 避妊の選択に対する合意」この論理であればピルによる避妊を双方が合意をしていれば、男性がコンドームをしていなくても避妊の関する責任を放棄しているとは言えないのではないでしょうか?
おっしゃる通り、ピルによる避妊においても、双方の合意がある場合、男性がコンドームを使用しないことが必ずしも避妊に関する責任を放棄しているとは言えないという論理が成り立ちます。
ピルを用いた避妊に関しても、カップルがその方法に合意し、リスクと効果を十分に理解した上で決定している場合、それは二人が避妊の責任を共有していることを示しています。この場合、男性がコンドームを使用しないのは、合意に基づいて行動しているため、責任放棄とは捉えられないでしょう。
この論理において重要なのは、合意が継続しているかどうかです。今回の事例では、女性がピルの服用を止めたことを男性に知らせていなかったという点が問題になります。一度合意した避妊方法が変更された場合、相手にその情報を共有する責任があるのです。
具体的には、以下のような状況が考えられます。
• 合意の元でピルを使用していた場合:ピルでの避妊が二人の間で合意されているならば、男性がコンドームを使用しないことは問題ではありません。
• ピルの服用中止を知らせない場合:女性が一方的にピルの服用を止め、その事実を男性に知らせなかった場合、合意は破綻しており、男性はその変更を知らずに行動していることになります。これは避妊の責任を正しく共有できていない状況です。
避妊の方法について双方が同意している限り、どちらか一方が一方的に責任を放棄していると見なすことはできません。したがって、ピルでの避妊に合意があれば、男性がコンドームを使用しなくても避妊に関する責任を放棄しているとは言えません。ただし、合意の変更があった場合、その変更を共有しないことが新たな問題となります。
自己決定権の範囲内であることは同意見だけど、それは権利の衝突の結果としてまだ法的に人権がない胎児よりも女性の権利を尊重しましょうってだけの話で中絶に倫理的な問題があることは否定されないでしょ。
胎児に人権がないからと言って一切倫理的な問題を考慮しなくて良いのであれば、iPS細胞があれだけもてはやされることはない。
仮に将来人工子宮の開発や望まない子どもの養子縁組制度等がより整備されることで女性の負担が大きく下がった世界が来るのであれば、その時は中絶を違法にすべきかどうかについても議論があっていいと思う。
リベラル派の主張と構造主義、そして自由意志の関係について、いくつかの重要な誤解があるように見受けられます。
まず、論理の飛躍が見られます。元の議論は、「思考は言語によって行われ、言語は文法というルール(構造)による制限を受けるのだから自由意志など存在しえない」という主張と同等です。これは構造の影響を過大評価し、自由意志の可能性を不当に否定しています。
次に、「構造的要因を持ち出さないとアファーマティブアクションは主張できないだろう」という指摘がありますが、ここで言う構造的要因が構造主義でいう「構造」と同一であるという前提は誤りです。構造主義の「構造」とは、「異なる文化や時代を超えて共通する、普遍的な構造」を指します。一方、大学進学率や人種、経済問題などは社会によって大きく状況が異なり、必ずしも普遍的構造とは言えません。
むしろ、リベラルの立場は構造的要因を考慮した実存主義者と捉えるべきでしょう。彼らは社会の構造的問題を認識しつつ、個人の選択と責任も重視します。構造主義が普遍的な構造を解き明かした瞬間から、その構造を知った上でそれに従うかどうかという判断と責任が生まれ、その時点でその構造の普遍性は相対化されます。
さらに、構造と自由意志は必ずしも二者択一ではありません。社会構造が個人の選択に影響を与えることは認めつつ、その影響の中でも個人が一定の選択の余地を持つという見方は可能です。これは決定論と自由意志の両立可能性という哲学的立場に近いものです。
また、リベラル派の主張する「自由意志」は、必ずしも絶対的な自由を意味するわけではありません。むしろ、与えられた条件の中での相対的な選択の自由を指すことが多いのです。アファーマティブアクションなどの政策は、この相対的な選択の自由を拡大するための試みと解釈できます。
最後に、「リベラル派」という言葉で一括りにすることの問題性も指摘すべきです。リベラルな思想には多様な立場があり、すべてが同じ見解を持っているわけではありません。
結論として、構造的要因の認識と自由意志の尊重は、必ずしも矛盾するものではありません。むしろ、社会の構造的問題を認識した上で、個人の選択と責任を重視するという立場こそ、多くのリベラル派の真の主張であると考えられます。この問題に対するより深い理解のためには、哲学的考察と経験的証拠の両方を踏まえた慎重な検討が必要です。
まず、「偏った見方」っていうのは、あなたが物事を一方的にしか見ていないってことよ。神様は私たちに多角的な視点を与えてくださったのよ。
それに、神様の話を持ち出すなって? あなたは科学を信じているけど、ママは神様を信じているの。それぞれの信念を尊重し合うのが大切よ。
イエス様の教えは、歴史的な事実だけでなく、私たちの心の中にある真理なのよ。感情を無視しちゃだめよ。
「神様の子供」っていうのは、進化論とは別の話なの。それは私たちの魂のことを言っているのよ。
あら、政治討論を見て一方的な判断をするなんて。そんな偏った見方じゃ、きっと日曜学校の先生も悲しむわ。
討論は公平であるべきよ。でも、嘘をつくのは良くないわね。聖書にも「偽証してはならない」とあるわ。
政治家が事実と違うことを言うのは残念ね。神様は正直さを大切にしているのよ。
過激な言葉遣いは控えめにしましょう。「愚か」とか「頭がおかしい」なんて言葉、教会では使わないわ。
おや、これは興味深い見解ですね。しかし、あなたの論理には致命的な欠陥がいくつか存在します。では、科学的な視点から分析してみましょう。
- 反証:歴史上、物理的に弱いが人気のあった人物は多数存在します。例:スティーブン・ホーキング博士
2. "強くなれよ"
- 定義の曖昧さ:「強さ」の定義が不明確です。物理的強さ?精神的強さ?知的強さ?
- 提案:強さを定量化可能な指標で示してください。例:ベンチプレスの最大重量や IQ スコア
3. "「俺が守ってやる」くらい言えよ"
- 論理的矛盾:先に「できなくてもいい」と述べているのに、なぜ言う必要があるのでしょうか?
- 代替案:「私たちで互いをサポートしましょう」の方が論理的かつ現実的です
- 前提の誤り:全ての男性が異性愛者であるという誤った前提に基づいています
- 改善案:「パートナーを大切にしたいという気持ち」とすれば、より包括的になります
結論として、あなたの主張は感情的で非論理的です。社会学的研究やデータに基づいた議論をすべきです。そして何より、人間関係は単純な「守る・守られる」の二項対立で語れるほど単純ではありません。
ちなみに、私の場合、パートナーとの関係は完璧な相互理解と尊重に基づいています。彼女は私のコミック本コレクションを理解し、私は彼女の神経生物学研究を尊重しています。これこそが真の「守り合い」というものでしょう。
コミュニティノート:投稿された内容には個人の体験談が含まれていますが、いくつかの点について注意が必要です。
1. **年齢差と同意:** 日本の法律では18歳未満の性行為には厳しい規制がありますが、この場合、投稿者は18歳であり、相手は法的に成人しています。しかし、それでも年齢差や性行為の同意については慎重に考慮されるべきであり、相手が強要する形での同意は適切ではありません。
2. **性的虐待の告白:** 投稿者が言及している性的虐待(父親からのもの)は深刻な問題です。過去の性的虐待は現在の行動や考え方に影響を与えることがあり、必要なら専門家のカウンセリングを受けることが勧められます。また、虐待は法的に処罰されるべき行為であり、適切な法的支援を求めることも重要です。
3. **同意と性的自己決定:** どんな場合でも、性的関係は両者の自由意志と同意に基づかなければなりません。特に初対面で相手が性的な行為を強要することは不適切であり、場合によっては性的暴行と見なされます。
4. **避妊の重要性:** 性行為において避妊は非常に重要です。特に望まない妊娠を避けるためには、常に避妊具を使用するか、あるいは避妊ピルを使用するなどの対策が必要です。避妊の理解と実践は互いの健康と安全を守る上で必須です。
5. **関係の健全さ:** 投稿者が述べているように、健康的な恋愛関係はお互いの尊重と同意に基づくものでなければなりません。強制や一方的な行為が続く関係は健全とは言えません。
んんwwww増田氏の見解、実に興味深いですぞ。しかし、拙者の視点ではその議論にはいくつかの認識不足が見受けられるですぞ。
まず、男女平等を推し進めることが「生きづらさ」を生むとは一概に言えないですぞ。一部の性別に限定されてきた役割や社会的期待が平等化されることで、むしろ全ての人々が自分の可能性を最大限に発揮できるようになるのです。有限なリソースをどの性別に偏らせることなく分配するのが理想的な社会の形なのですぞ。
また、「無価値な男性」や「無価値な女性」が「消える」という表現は非常に誤解を招く表現ですぞ。人間の価値は社会的地位や経済力だけで測れるものではないのです。人々はそれぞれ異なる才能や価値観を持ち、多様性が尊重される社会こそが真に繁栄するですぞ。
さらに、社会淘汰が「自然淘汰」以上に厳格かつ合理的なシステムであるという考えには異議を唱えざるを得ないですぞ。現代社会は多くのバイアスや不平等を内包したシステムであり、それが全ての人々に公平な機会を提供しているわけではない事実を無視してはなりません。
ですから、増田氏の意見は興味深いながらも、もう一度その前提や議論の深度を見直すことをお勧めしますぞ。多角的な視点から再考することでより豊かな洞察が得られることを期待するですぞ。
素晴らしい。男女それぞれの地獄や苦しみがあるということを認識した上で、相手を尊重して、お互いのつらさを減らしていこうというのが社会にとってよい振る舞いだと思う。
相手の性別のほうが楽だ!ずるい!ということばかりいっても何も変わらない。憂さ晴らしにすらならない。ひたすらに愚かな行為にすぎない。
確かにそうかも!女でよかったーとは思う!
私は体も心も女性として生まれたから、男性の大変さを本当の意味で理解できないしなぁ…
ちょっと話ズレちゃうかもだけど、「男性と女性どっちが大変か」って前考えたときに自分は↓の結論にたどり着いたよ〜
【女性】
(ナンパ、見下される、ぶつかりとか)
【男性】
なにか1つ上手くいかない要素があると男性は人生詰みやすいとは思う…私も自分が男性で鬱病ADHDだったら誰にも相手されないんだろうなーって。
当事者じゃないと本当の意味であなたの辛さを理解できないから、綺麗事にしか聞こえないだろうしウザイだろうけど…その分男性のことを私は尊重してるつもりだよ、、、
元気になれるといいね、一緒に頑張ろ!
小学生の時、少し体毛が目立っている女の子がからかわれ号泣。お母さんに相談しても「小学生がムダ毛なんか気にするな」と言われたらしく困ってた - Togetter [トゥギャッター]
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[B! 教育] 小学生の時、少し体毛が目立っている女の子がからかわれ号泣。お母さんに相談しても「小学生がムダ毛なんか気にするな」と言われたらしく困ってた
を眺めていて、ちょっとどうなの?と思うコメントが結構あるなあ、という印象。
一応、自分の前提を書いておく。
○身体的特徴、ここでは体毛の濃さをからかう奴は、きっちり叱られて、今後言わないように教育すべき
○一方、「子どもたちのコミュニティーで、身体的特徴をからかう子が一人もおらず、全てを個性として尊重する」というのは、超理想状態であり、少なくとも今後50年での実現は難しいだろう
○身体的特徴に対するからかいをかわすために、子どもでも安全かみそりで剃毛するのは全然ありだと思う
○からかわれている子に「からかわれても気にするな」と言うだけで済ますのは、ちょっとリスクが高い
@umeumammy
小学生の頃 男子より毛深かった私。いじめも辛いのに母に相談したら「子供のくせにそんなん気にするほうが悪い!」と強く叱られて更に辛かったな。
○子どもに医療脱毛やエステ脱毛をするのは、早いと思う。けれど、もし「脱毛をさせてくれないなら、からかわれることに精神がもたない」というなら、検討しなくちゃいけないかも……
じゃ、途中までだけど、ぶった切るね。
dogdogfactory でも子どもって変なことをすごく気にしたりもするからなあ。自分は、唇ってよく見たら気持ち悪いなっておもって一時期なるべく唇を隠すようにしてた。そういうのは「気にするな」としか言いようなくない?
毛は安全かみそりで剃れば、子どもでも安全に剃れるもの。一方、唇の形状を変えるにはメスを肌に入れる必要があるから、別物でしょう。
「男子」がどの程度の範囲を指すかは分からないが、少なくとも「昔より」処理する男子は多くなっている。「昔より」を欠落させたのは落ち度だが、風説の流布とまで言えるかどうか。
TakamoriTarou 他人にそういう言葉を投げつけるな、って方向の話が出てこないのがなんとも。処理してる子こそが次の加害者になりがちなので、内情は勝手にすればいいけどそっちはちゃんとしてほしい
「他人にそういう言葉を投げつけるな、って方向の話」は、当たり前過ぎて出ないだけ。
下のgaumashさんともども、何か勝手に、処理している子が次の加害者になることを心配しているけれど、それこそ風説の流布なのでは?
ちっちゃい時だから人目を気にするんだよ。自分一人ではどうあがいても生きられないのだから(人間の大人も、一人では生きていけないけれど、より切実に感じているという度合いでね)。
gaumash 『処理してない人を見るとイラっとする』ってコメントがあるように、一部はすでに加害者になってそうなんだよなぁ…自分が苦労したから、で他人にも押し付けるのはよろしくない
「モジャ公」とからかっていた男子自身が、ボーボーであることへのいらだちであり(注:からかっていた男子と、ボーボーの男子は恐らく別。主語が大きい)、別に体毛を処理しない女性へのいらだちではないと思う。
tetsuya_m 俺が小中学生だった時(つまり昭和)の頃ですら、女子にそんなこと言ったら駄目という配慮はしてたけどそういうこと言うアホ男子もいた気がする。本来はアホ男子が叱られるべき案件
叱られるのは当然なの。
きっかけのポストに戻ると、それでも言う奴はいるし、言われて傷つくなら、その子が脱毛(剃毛)したいと思うのも、しょうがない(自然だ)と思う。その思いを、親から「小学生がムダ毛なんか気にするな」なんて否定されたら、悲しいよね。
nenesan0102 この手の話で、揶揄うのって男子ばっかり。人の身体特徴をネタにするなと徹底的に教育してほしいんだが
女の子だって、男子を揶揄していたよ。ソースは俺。でも、たぶん男女問わず「まあ、女子からのからかいもあったよね」とは思うはず。さすがに「男子ばっかり」とはならない。
nabe81 体毛処理させた後に「顔が男みたい」って言われたら子供に寄り添って整形させるの?子どものくせには言い方ダメだが、大人が対応すべきは茶化した方で美容を推進する事じゃないだろ
全くミラーリングできていない。何で安全かみそりで処理できる体毛と、顔にメスを入れる整形を一緒にしてるの?
「大人が対応すべきは茶化した方で美容を推進する事じゃないだろ」は、前者は当たり前のことなの。一方、子どもが気になることで、簡易(安価)に対応できるなら、対症療法的にやってもいいだろ。痴漢に置き換えれば分かるでしょ?「対応すべきは痴漢を罰し、撲滅することであり、女性専用車両を導入する事じゃないだろ」って言ったら、「いやいや」って思わない?俺は思うよ。女性専用車両は受忍できる男性差別として、女性に車内でわいせつ行為をする男性がいなくなるという理想状態になるまで、残してほしい。
女性専用車両って、「女性に車内でわいせつな行為をしたい」という、痴漢(クズ)の価値観があって(価値観の存在に合わせて)できている制度だけど、それを否定するということなのかな?