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はてなキーワード: 地下鉄に乗ってとは

2017-01-28

[]1月28日

○朝食:名前がわからないな、カステラアンコを挟んだお菓子

○昼食:ラーメン餃子ライス

○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁フリーズドライ)、さつまいも、骨つきチキン

調子

はややー。

お仕事休みはややーなので、洗濯掃除! を済ませて、散歩

日の光を浴びるとセロトニンが云々というお医者さんがよく言う奴を、心底信じ切ってるので、セロトニンまれろーって念じながら散歩

が、さすがに、地元暮らし続けて30年近くになるので、徒歩範囲内は歩き飽きた。

なので、電車名古屋まで行って、そこから地下鉄に乗って適当なところでおりて、適当散歩する、という遊びをしてみた。

知らないところを歩くのは楽しくて、ちょっとハマりそうだ、明日はさすがにしんどいけど、来週もう一回やりたい。

あと、ラーメンはその散歩中にみつけた黒Tシャツタオル鉢巻腕組みしてるいかにもなところだったんだけど、

極めてスガキヤに近く、限りなくチャーシューだけは遠い、微妙ラーメンだった。

いや、美味しいんだよ、だってスガキヤの味だからね、美味しいんだけど、700円台のスガキヤはさすがにちょっと……

が、寒いのに歩き回ったせいか、咳が出るな。

うーむ、これで風邪ひいたらバカみたいだから、早く寝ます

DS

世界樹の迷宮

3Fを攻略中。

今日ほとんどプレイできてない、雑魚戦を三回ぐらいしただけ。

3DS

すれちがいMii広場

休日ビッグカメラなどで大量にすれ違ったけど、それでも20人ぐらいなので、言うほど進んで無い。

カートゾンビがそろそろ終わりそう。

バッジとれ〜るセンター

ログボのみ。

ポケとる

ログボのみ。

iPhone

ポケモンコマスター

ログボのみ。

2015-09-15

記憶がつながる

さな子供である自分は、入院している病院から一時帰宅することになった。暗くなった頃に病院を出て両親と歩道を歩く。嬉しくて仕方がない。途中ケーキ屋にも寄る。

街路樹が並ぶ道は、右側に大きな病院、左側はよくわからないけど普通に建物が立っている。少し先には路面電車が走る通りがあり、そこにケーキ屋もある。路面電車には乗らない。ケーキ屋をすぎてさらに少し歩くと地下鉄の駅があるので、そこから地下鉄に乗って家へ帰る。

こんな嘘の記憶が昔からある。実際には入院したことなんてないし、この記憶の中の両親は実際の両親とは違う人だ。たぶん子供の頃、映画ドラマ感情移入し、その中の子供の立場で嘘記憶として頭にこびりついているのだろう。

それでもなぜかこの記憶は大切に思え、2chスレでそういう話の流れになっていたとき、上記のことを大雑把に書き込んだこともあった。(ググってみたけど、どういう言葉で書き込んだかわからず見つけられない)

しかしある日ストリートビューで、これってあの記憶の中の場所じゃないか?というぐらい似ている場所を見つけた。その都市自体は好きで何度も行ったことがあるが、その場所観光客が行くような場所ではなく、もちろん近寄ったことがない。

大きな病院を出て、病院を右に見ながら移動すると、ケーキ屋ではないけどお菓子屋のある角で路面電車と合流する。それを少し過ぎて左に曲がると今度は地下鉄の駅。あの記憶ととても似ていて心がざわつく。

でも同じ地下鉄路線の別の駅のほうがはっきりと病院から近いので、普通お菓子屋に寄るにしても遠いほうの駅までは歩かないだろうなと思う。また、ストリートビューで見るそのお菓子屋は、外観の雰囲気こそ記憶イメージに近いが、ケーキ屋ではないようだ。

それでもなぜか少し泣けた。細かいことはどうでも良く思えた。

そして今日、その街に住んでいる人からたまたまストリートビューで見たお菓子屋の話を聞いた。あちらではそこそこ有名なチェーン店なので、そのチェーン店全体の話であって、該当店舗の話ではない。

そのお菓子屋は今でこそ和菓子中心だが、昔は必ずケーキを大々的に扱っており、そこのケーキが懐かしいという思い出の話だった。

まーだ繋がるのかという感じだ。

馬鹿馬鹿しいかも知れないが、一度そこへ行って歩いてみようかと思ってる。客観的に考えると、嘘記憶の元になった映画ドラマロケ地かも知れないが、そうだったとしても歩いてみる価値はあるだろう。

2015-08-04

まれて初めて働いた

まれて初めて働いた。

いや、正確には働いていないかもしれない。

父親の会社写真トリミングをしただけだ。

割とぼんやりとした時間が長かった。

万が一自分を酷い扱いしたら実質的雇用主の父親に何されるか分からないわけで、周りからめちゃくちゃな扱いを受けるわけではない。給料もしっかり払われる。

でも物凄く疲れた

会社で何をしていたのかほとんど記憶にない。

物凄く疲れた後に、10辛の味がよくわからないチキンカレーを流し込みながらダウナー系の自称高学歴で親が金持ち医者の文を読んだらさら疲れた

そもそも親の課金高学歴かいうなら数千万家庭教師やら塾に投資されて京都ゴミみたいな私大に通う自分は何者なんだよと。

その後、三省堂書店に向かう。

三省堂書店入り口の窓で自分容姿が映ったのだが酷いものだった。

顔と体のバランスが奇妙だ。

顔がとても大きい。そして自分の肌はみんなから羨ましがられないどす黒い色だ。

そして顔からは膿やら肉やら血やらが吹き出ていてドロドロでボコボコだ。

きったない容姿をみて社員はどう思っていたのだろうか。

いい印象は持ってないに違いない。

文庫本コーナをとりあえずうろうろしていたら、以前ここで見た酷い容姿女子高生を思い出した。

謎の親近感で「ひどく不細工だけど頑張って」と身勝手なことを思ったのをつよく覚えている。

コンフォートという喫茶店に突き当たった。

女子高生二人がアイスコーヒーを飲みながら会話している。

あぁ、顔も綺麗だ 制服も綺麗だ 美しい。

あの女子高生に勝てない。ルミネウエストで騒いでいる女子高生には勝てない気持ちと同時に「死ね」と思う。

しかし、三省堂書店コンフォートで会話しているあの女子高生にはただただ勝てないと感じた。

コンフォート女子高生は美しい。

そしてきったない容姿地下鉄に乗って家に帰った。

2015-07-18

中国地下鉄に乗っていたこ

ちゃんと整列乗車してた(ホーム整列乗車プラカード持った人が居たけど)

ケア必要な人にやさしい

ちゃんと降りる人を待ってた

深センでの話

最近東京電車よりよっぽど利用者上品だった。

文明人になろうっていう号令のもと、そういった立ち居振る舞いを洗練しようとする姿勢は見習うべきだと思った。

たぶん昔のオリンピック頃の日本もそうだったはずなんだろうけど

2014-09-10

地下鉄であった不可解なできごと

風邪気味の時に出勤しようと思って地下鉄に乗ったけど、途中の駅でやっぱこりゃ無理だなと思って地下鉄を降りて、逆方向の地下鉄に乗るべく歩いてホームを移動した。

で、移動してみると反対方向の地下鉄がちょうど止まっていたのでこれはタイミングがいいと思い乗ろうとしたら、駅員が私の進路を塞いで「乗っちゃダメですよ」みたいなことを言ってきた。

開いている乗り口には他の客の姿はなく(つまり私が列を割り込んで乗ろうとしたわけではない)、しかもドアを閉めることを知らせるベルはまだ鳴っていない(つまり私が駆け込み乗車をしようとしたわけでもない)のに何言ってんだこいつはと思いつつ、風邪で頭も重かったしさっさと帰りたかったので、一つ隣の乗り口へ移動しそこから普通に地下鉄に乗って帰ってきたわけだが、あの駅員の行動は一体何だったのだろう。

乗客への嫌がらせをするように教育されているんだろうか。

2014-08-19

サラリーマンのグチ

終電近くに友人と二人で地下鉄に乗っていたところ、50代後半(?)くらいのサラリーマン二人が大きな声で話をしていた。

誰それ(職場女性社員っぽい)の格好が仕事にあるまじき格好をしててしかもそこのマネージャーは注意もしないとか、

そこから話は広がりそもそも今のあい自身(おそらく女子社員上司)が身なりに気を使わないとか、

更に話は広がり部長クラスの顔ぶれが役員クラスの顔ぶれが、という感じにヒートアップされていた。

まあ、どんなギョーカイなのかどんな事情はあるのかなんてわからないし、仕事内容によっちゃ身なりに気を使わなきゃいけない場合もあるよねくらいに思って聞いていた(というか声がデカいので嫌でも耳に入ってくる)ところ、

友人がポツリと「あのおっさん出世できなかったんだな。今日みたいな真夏の糞暑い馬鹿正直にスーツネクタイをきちんと着用して何十年も一生懸命頑張ってきたのに」と言ってきたので、

憶測他人事情や心情を断定するのはいかがなものか、とたしなめた。

2013-12-06

無法地帯

地下鉄に乗っている。

平日昼間、人もまばらな電車だ。

椅子の端に座っている私の正面には赤と金髪のグラデーションをしたブスが揺れにも負けずつけまつげを装着中。

電車で化粧をする女は何故揃いも揃ってブスなのだろう。

そんな事を思う私の左には優先席がある。

ベビーカーの女が二人。赤子二人と3歳位の娘が二人。

お菓子を開けてボリボリ。娘たちは車内を走り回り、奇声をあげる。

金切り声だ。

ここはお前らの家じゃねえんだぞ。

クソが。

2013-01-29

溢れんばかりの愛を Girl's side

溢れんばかりの愛を

http://anond.hatelabo.jp/20130128222709

休みにこのエントリを読んで、いつの間にわたしは増田を書いたのだろか、と思った。一人称が違うことに気づき自分と同じように孤独に苛まれる人間がいることを知った。

いつだって、人とうまく関われなかった。人に関わろうとしては、行き違いを生み、人が離れていく。それを繰り返すうちに、人を避けて生きるようになった。人を避けていれば傷つくこともなく、傷つけることもない。最初からそういうものだと諦めてしまえば、独りでだって生きていけるだろう。そんな風に考えていた。

それは間違いだった。人と関わりたいという想いは簡単に諦められるものではなく、結局は孤独をこじらせるだけだった。

孤独は、いつだってそばにあって、予期しない瞬間に降りてくる。そのたびに叫びだしたくなる、走り出したくなる、どこかから飛び降りたくなる。積もり積もった行き場のない寂しさはマグマのように溢れ出して、そのたびに発狂しそうな自分を抑えこむのに必死だ。いや、こんなにも人とうまく関われないのに温もりを求めている時点で、もう発狂しているのかもしれない。寂しくて苦しくて、もう生きる意味なんて見えない。寂しい。寂しい。何度も繰り返す。寂しい。

その昔、高校時代彼氏と呼べる存在がいたことがある。その彼氏には2度浮気され終わった。その後もいくつか片想いはしたけど、どれも実ることはなかった。「どれだけ愛したって、愛される価値なんてない人間なんだ」。愛したって愛されない。愛されないから、正しい愛し方がわからない。

ただ、その最低な元彼との間にも楽しい思い出はあって、たとえば一緒にプラネタリウムを見てこっそりキスをしたり、図書館で隣の机で勉強する合間に付箋紙ラブレターを回したり、裸で同じ毛布にくるまって足と指を絡めながら他愛もない話をしたり、そんな温もりが逆に今のわたしの首を絞めている。

夜中にふと目を覚ましたとき、枕元のタブレットに手を伸ばして「レンタル彼氏」「出張ホスト」などという言葉検索をかけたことが何度かある。メールフォームタップしようとして、でもその指はいだって躊躇って止まるのだ。手取り14万の収入から費用を払うのが惜しいからではない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という疑問が浮かび上がったところで、指はメールフォームではなくブラウザの終了ボタンタップするのだ。とびだせ どうぶつの森きっかけに買った3DSでやるために中古ゲームを漁っていて、DSときめきメモリアル Girl's Sideを衝動買いしたけれど、一度も起動したことはない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という問いかけは、二次元に逃げこむことすら許してはくれない。

恋人がいたって寂しいものは寂しい」「求めてばかりでは何も得られない、与えないと」というアドバイスの類がどうしようもなく正論なのは解っている。だけど、恋人がいれば、自信もなく真っ暗な人生を俯いて歩いているわたしでも、前を向いてどうにか生きていけそうな気がしている。一度諦めてしまったことも、もう一度諦めずに取り組める気がする。人とだってうまく関われる気がする。何だってできる気がする。

与えるなんて正直わかんないよ、だって愛したかった人はいたのに、与えたかったのに、みんな拒絶したじゃん。わたしが愛していたことをいいことに甘えて、好き勝手やりたいことしたじゃん。誰もちゃんと向き合って愛してくれなかったじゃん。愛せるなら愛したいよ、だけど愛し方なんてわかんない。愛され方は、もっとわかんない。それとも、ネットの片隅ですら、愛されたいと嘆くことは許されないのだろうか。

わかんない。わかんないよ。だけど、寂しいよ。愛されたいよ。甘えたいよ。一方的で歪なのはわかってる。それでも、愛されたいよ。膨れ上がった寂しさとねじ曲がった自尊心とで、完全に出口が塞がってしまって見えないんだ。誰か、こんな醜いわたしの寂しさをかき分けて、心と身体に触れてくれないだろうか。

身体だけの温もりじゃない、上辺だけの温もりじゃない。心の通い合った温もりが欲しい。その場限りの温もりじゃ嫌だ。恋人と平凡な日常を共有することで、瞬間瞬間に宿る小さな温もりを丁寧に積み重ねて大きな明かりにして人生を照らし出していくから

これを書いている今も、寂しさで息が止まりそうに苦しい。こんなに寂しさでおかしくなりそうなのに、明日もまた地下鉄に乗って会社に行き、そつなく仕事だけをこなして、「お疲れさま」なんて言われることもなく愚痴ることもなく、おかしくなりそうな自分をどうにか毎日をやり過ごして生きていくんだろう。それが日常だというのなら、この先の人生はとてつもなく冷たく暗いものになるだろう。それが、わたしにはお似合いなのかもしれないけど。

元増田の求める温もりを与えられるかはわからない。ただ、一晩、元増田と語り明かしてみたい。

2012-04-18

むかしの思い出

高校生だったころ、予備校の夏期講習に通っていた。

いつも同じ地下鉄に乗ってたんだけど、

いつも顔をあわせるおじさんがいた。

そのおじさんを意識しはじめたころ、

おじさんは鞄でボクのおしりを白々しくつつくようになり、

それから、手でなでまわし、ふつうに肛門のあたりをぎゅっぎゅっと押してくるようになった。

なんかすごい変な気持ちになったなー。

2011-03-28

今朝中国人と殴り合ったわけだが

今、仕事上海に住んでいる。半年ほどになる。

日本ネット界隈の嫌中国報道は痛ましく思っている。思っていた。

椅子が爆発するだとか、米がプラだとか、ビルが倒壊するだとか、そんなことはどうでもいい。

僕がこの国に住んでみて感じた事はそんなことじゃない。

なぜ、そんぜそことが起こるのか、本質はなんなのか、僕の見た中国

それを書く。


この国は今、まさにバブルだ。

高度経済成長に乗っかって、金が乱れ飛び、バブル時代の象徴のようにデコラティブな超高層ビルが並び、地下鉄縦横無尽に市内を走る。

カルチャーを伴うようなものでもなければ、買えないものなんてほとんどない。

国が先進国の仲間入りを果たさんがために、成長にじゃぶじゃぶ金を使っている。

だが、人は違う。

ネット界隈の言葉を借りれば、民度

これが全く経済の成長に追いついてない。

地下鉄はあっても、地下鉄の乗り方がわかってない。

列に並ぶ、降りる人に道を譲る、前の人を押さない、脚を投げ出さない、弱者に席を譲る

こんなことも、本気でわからない。

音漏れとか電話とか化粧とかそんな次元じゃない。

高層ビルで働くホワイトカラーは、そのエレベーターの開くボタンを後から来る人の為に押しておくことを知らない。

どこの街角にもファミマセブンローソンがあるが、列に並ぶ、たったそれすらもわからない。

「なぜ?私いそいでるのよ?譲ってよ。当然でしょ?」

家の寝室のドアの立て付けが悪いと業者を呼べば、布団や家具カバーをかける事も無くいきなり大理石に電ノコを入れ始める。

終わった後にはうずたかく積もった砂埃の山に頭を抱える。

レストランで注文をする。

料理のあとにサラダを運んでくる。

厨房を除けばコックが蛇口で頭を洗っている。

運んで来ればまだましだ。3回に1回は必ず何か忘れる。

おもしろい話がある。

中国でオーダーしたものが出てこない時、「早くもってこい」といっても出てこない。

「もういらない」と言えばいい。5分で出てくる。


いちいちイライラさせる。

気が短いのは自覚している。けつの穴がちいさいことも。

もっと世界を知れば、そんなこと気にならないのかもしれない。

だが、それが毎日、あたりまえの日常としておこる。

これほど経済が成長した国だ、つい期待してしまう。

清潔(に見える)な新しい地下鉄に並ぶ時、誰が後ろから突き飛ばされることを予想できる?

それが貧民国の路上を土ぼこりをあげて走る機関車ならわかる。

舗装されて交通量の多い交差点をわたる時、誰が信号無視車両を予想できる?

それが中東の荒れ果てた信号もない交差点ならわかる。

誰がドアマンのいるレストランでコックが厨房シャンプーしてると想像できる?

それが人口3,000人くらいの農村ならわかる。

何もかも不釣り合いだ。

分不相応だ。

まだ、早い。おまえらにこの暮らしはまだ早いんだよ。

そう思ってる。

基本的に、他者を思いやる、想像する、ということができない。

そう感じる。


さて、釣りタイトルだが、今朝、例によって地下鉄に乗っていた。

上海の2号線は朝、ひどい混雑だ。乗車率で言えば東京山手線以上、田園都市線以下といったところか。

いつもは上のような理由でイライラするのが嫌で、タクシーで出社している。

自宅から会社まで日本円で250円くらいだから、その方が精神衛生にいい。

だが、今朝は早く目が覚めた。

早起きは3文の得。電車なら50円くらいで出社できる。

背中を押され、体をぶつけられ、眉をしかめながら電車に揺られていたわけだが、そのひどさといったら日本人には絶対理解できないだろう。

他人なんかどうでもいいんだ。自分の乗る場所を確保できればいい。そんな人間の集まりだ。

脚をふもうが、肩が女性のほほを擦ろうが、鞄が誰かの胸を圧迫してようが関係ない。

やっと車内のアナウンスが降車駅を告げた。

こっちの人間は、自分が降りるときは、列車がつく前にドアの前に移動しないと気が済まない。

日本人なら、どんなに混んでいても、並んで降りれば降りられないなんてことは無いと知っているのだけれど、そんなことは皆知らない。

これはマジだぞ?

もう少しも動くスペースがないのに、無理矢理肩をこじ入れてドアの前に行こうとする。

僕はその時目の前に数人の人がいたので、お行儀よく並んでいたのだが、後ろにいた中国人の目にはそれが「降りない」と映ったようだ。

僕を突き飛ばしながら肩をぶつけてきた。

頭にきて、眉をしかめながら振り向いて舌うちをした

すると、そいつ、「やんのかおい」と言わんばかりの顔で睨んできた。

笑える。

キレた。

たまりにたまった半年分の怒りだ。

振り返るや胸ぐら掴んで思いっきり殴ってやった。

嘘だ。そんなにうまくいかない。ただのサラリーマンだ。中学卓球部で高校は美術部だ。

胸ぐらつかんで列車に押しもどしてやったら、後ろからかに後頭部を殴られた。

一瞬、中国人日本人に対して集中攻撃を始めたのかと思ったが違った。

仲間だ。仲間がいた。向こうは2人だった。

後頭部をうしろからガンガン殴ってくる。それ自体は全然痛くない。拳なんかより頭蓋骨の方が固い。

だが眼鏡、おれの眼鏡はどこいった?

知らない、そんなことはどうでもいい、それよりこいつ、この今胸ぐらつかんでるこいつ、こいつは許せん。

そこで殴ろうとしてとうとう止められた。

駅員に。

冗談じゃない。おれはまだ殴ってない。

羽交い締めにされながら「てめーこっちこいこの野郎!」そんなことを喚いていた気がする。

内心ホッとしてたか?そこまでひ弱じゃない。

どんなにボコボコにされてもごめんなさいと言わせてやる電車に乗るマナーを教えてやる!

無理だった。

その後引き離されても挑発してくる。

上等だおい。

ジェットリーよろしく胸をはって薄ら笑いを浮かべて、手のひらを上に向けてクイクイっとしてやる。

こいよ。マジでぶっとばしてやる。


まぁ、そんなこんなで、僕は眼鏡を失った。

「秦八郎」という眼鏡職人の作ったお気に入り眼鏡だった。レンズも含めたら4万円はするだろう。

そのまま列車で運ばれたか、ホームに落ちたか

この国で落とし物が見つかる事は無い。

先ほど吉祥寺眼鏡屋に問い合わせたら秦八郎氏はもうそ眼鏡を作ってはいないそうだ。

無念。惜しい物を無くした

早起きは3文の得?

4万円の損失だ。


これから中国旅行に行ったり、赴任したりする人がもしかしたいるかもしれないので言っておく。

あいつらに他人は見えていない。

中国多いに結構。思う存分やってくれ。おれも嫌いだ。

今まで一生懸命好きになろうとしたがやっぱりダメだった。

飯もうまいと思おうとしたし、うまい飯を探した。あるわけがない。

いい人も沢山いる。ホントに親切だ。

だが、そんな人ですら、「列に並ぶ」ことができない。ドアを支えておくことが出来ない。

これが文化の壁だ。


日本はいい国だ。

最後になったが、地震被災者とその二次被害者に心からお悔やみを申し上げる。

それでも日本はま大丈夫だ。

救援物資を待つ長蛇の列をニュースで見ると、涙がでそうになる。

2009-12-27

ん、がんばった。

http://anond.hatelabo.jp/20091227114740

怖い目にあったね。おつかれ。

電車で目の前に座っていた制服女子高校生が、買ったものを開けて値札を窓ガラスに貼り付けやがったんで、ツカツカツカと寄っていってピリッと剥がしてきたことがある。無茶苦茶頭に来てたので無言で。ぺちゃくちゃしていたおしゃべりを止めたから、たぶん、あいつらビビったんだろう。

地下鉄に乗っているとき、壊れた傘の骨を友達の喉元に突きつけて遊んでいた制服姿の小学生がいたので「そういうの喉に差して死んだ子がいるから止めなさい」と骨を取り上げたことがある。えらく大人しく言うこと聞いたな。回りの乗客たちが「うんうん」って感じでうなづいてくれていたので心強かった。

いろいろ目撃するよね。

2008-12-29

日本人だって同じ人間

ヨーロッパ日本がどう認識されてるかというと、日本すげーとは思われてないですな。ワーカホリックお金持ちで、というのが一般的。それも微妙意味で。日本っていうと、手を合わせておじぎしたりする、いや、それ日本じゃないからって。ネット的には、なにかと日本すげーってなネタが出てきますがね。ま、そんなことはない。

年寄りになると戦争の話をする。こっちも知識がないわけじゃないからお付き合いします。飲みながらね。国によるが、第二時大戦んときは日本はよくやったんだという人もいる。あるいは、地下鉄に乗っていたらいきなり絡み出すジジイもいる。国による。

ネットではアニメマンガという。まあ、たしかにそうです。人気です。若い人には特に。それから北野武映画。そして何よりも今あついのが、風雲たけし城。タケシキタノはサイコーだという。

でもこれは、日本すげーっていうんじゃない。ああ日本人人間だなって共感されている。仕事ばっかりしててお金持ちなだけが日本人じゃなくて、自分たちと同じように感じて、恋愛もして、そしてバカもやって笑ったり。なんだ、おんなじ人間じゃんって。日本のものが若い人たちにうけているって、そういうことだ。

そういうソフトイメージが広まりつつあるっていうのは、すごくいいことだと思う。風雲たけし城ひとつで会話ができて、僕もバカをやりながら、そして友達も作れる。だから、マンガにもアニメにも、そしてビートたけしにも風雲たけし城にも、心から感謝している。本当だよ。

だけど、これって日本すげーって意味じゃない。人間人間だって当たり前のことを言っているに過ぎない。ま、それはそれで凄いことでもあるが、でも勘違いしちゃいけない。日本だって普通の国だし、日本人だって普通人間だ。日本すげーっていうのじゃない。

別方面から。たとえば日露戦争。いまでもトーゴーって叫ぶジジイがいます。あのころイギリス極東日本同盟しただけでも列強は驚いたそうだが、日本ロシアに勝ったというイメージ(その実質はともかくとして)の影響力は当時かなりのものだった。そこから、第一次大戦後のウ゛ェルサイユ会議では、英米仏伊の次が日本だった。明治維新からたかだか50年、よくやったもんだ。そこは、別に卑下してみせることはないと思う。

でもね。日本すげえってのはみっともないんだ。アメリカすげえと露骨にいうアメリカ人は痛い、イギリスすげえと態度で示すイギリス人はおちょくりの対象フランスすげえと頭が高いフランス人は嫌われ。それと同じこと。日本すげえと思うのは個人の自由だが、それでなお普通でいる。過度に卑屈にならず、たかぶらず。この感覚が大事なんじゃないか。

2008-04-29

僕と韓国

はじめて韓国に行って来たんです。

結構嫌韓系のサイトとかも見ていて、あまりいいイメージはないんですが、別に皆がああいうわけではないだろうと思いながらも到着。

早速地下鉄に乗ってホテルに行こうと思ったけど降りる駅の券がいくらかわかんない。

そこで知らない男に日本語で声をかけられた。

日本からのお客様ですか?」

お客様ってなんだ?これってなんか怪しい客引きか?と思いながらも話を聞く。

「○○駅は1200ウォンです」

券売機で新ウォン札が使えないので、彼が駅員に韓国語で説明してくれた。

方向が一緒だったので一緒に地下鉄に乗って話をしてみると、どうやら日本語勉強中らしい。日本には今年の初めの頃に行ったようだ。

「私が日本に行った時に、とても日本人に親切にされました。それで私も日本からのお客様には親切にしようと思ったのです」

これを聞いてとても胸を打たれた。ネットで何と言われてようと、実際どれだけ国としての韓国日本が嫌いでも、やっぱりいい人はいるんだな、と。

そして翌日、バスツアーに出かけた。そして行き先の説明を始める。

「○○城はxxxx年に日本の侵略により破壊されました」

なんかこれは雲行きが怪しい。その後も1分に一回のペースで日本韓国を侵略した、という文章が出て来る。なんか知らない人が聞いたら常に侵略し続けているみたいだ。

どうやら全く同じことを思ったらしいアメリカ人が質問をした。

韓国はずっと日本に侵略されててたの?」

「いえ、中国ロシアにも侵略されてました、あとそれだけでなくアメリカフランスとも戦いました」

その後いかに韓国が各国から侵略されてきたかの説明が続く。

ちなみにバスの中の客が中国人アメリカ人日本人ロシア人で構成されているということを理解している上でこの行動に出たのは全くわけがわからない。

そして元総督府の前を通りかかったところで説明を始めた。

「この建物は立派だから壊さなくてもいいんじゃないか、という話もあったのですが、上空から見た時に建物が『日本』に見えるのです。日本韓国から風水的にエネルギーを奪うためにこんなことをしたのです。これをきっかけに総督府を撤去することになりました」

多分上空から日本と読めるのは本当じゃないかな、と思って調べてみたけど、それらしきソースは見つからなかった(http://hakyonja.blog36.fc2.com/blog-date-20060616.html)。風水云々はとても胡散臭い

「それに加えて日本韓国中に鉄杭を埋めて風水エネルギーを封じようとしたのです!」

ちょっと待て。それは呪いの杭ではない。多分測量用の杭だ(http://blanc-katze815.at.webry.info/200706/article_3.html)。

「これは新聞などには載っていません。ネットで見たんです」

そして僕は日本に帰って来た。少し不快なこともあったけど、親切にされたこともあった。僕も券売機の前で困っている外国人がいたら助けようと心に決めて京急線券売機へと向かった。

駅員さんが券売機の前に待機していて日本語がわからない外国人を手伝ってた。

2008-03-14

北京に行ってきた。

大学4年生になって、いまさらながら初めての海外旅行に行ってきた。

今いろんなことで話題になってる国、中国北京

いや

まじでね

中国

おもろい国でしたよ

すべてが。

北京空港着いて、すぐに思いましたよ。

なんか独特の匂いがする。これが中国なのか、と。

中国語なんてニーハオ、シェーシェーしか知らないし

英語はほぼ通じない。(俺もぜんぜん喋れないけれど。)

ジェスチャーと筆談でなんとか意思の疎通をする。

北京に行く前から一つ決めていたことがあって、

それはあんまり贅沢しないで、地元人間にできるだけ近い水準で旅行を楽しむってことだった。

そんなのただの貧乏旅行じゃんか

それにおまえ現地の水準がどんだけか知ってんのか、かっこつけるなバカ

って言われればそれまでなんだけど、

高いホテルに泊まったり高級なレストラン入ったりして過ごすよりは、少しは現地の人たちの生活文化に触れられるんじゃないかなと思った。

だから、一泊千円もしない宿に泊まったり、安くて小汚い食堂でご飯食べたり、屋台で買い食いしたり、店の商品は可能な限り極限まで値切った。

また、移動でタクシーばっか使うなんてことはしたくなかった。

交通手段はバス地下鉄しか使わなかった。

それが結果的にものすごくいい経験になった。

中国人は、地下鉄内では平気で携帯電話で大声で通話してたり、

平気で匂いのキツイ肉まんみたいなの食べてたり、

カップルがキスしてハグしてたりする。

それに列車に乗るときは並ばないし横入りなんて当然だった。

肩がぶつかってもなにも言われないし、言わない。

終いには物乞いが地下鉄に乗ってきた。

路上では老若男女みんな痰やツバを平気でペッペ、ペッペと吐いてる。

若いお姉ちゃんが歩きながら路上でツバやゲロを吐く姿は本当に衝撃的だった。

半日街を歩けば鼻水は真っ黒になるし、地面なんてものすごく汚い。

ゲロとかゴミとか痰とかツバとか食いカスがいっぱい落ちてる。

うんこも落ちてた。人間のものじゃないかなと思った。だってすごく大きかったから。

一国の首都がこんな感じなんだから、きっと地方はもっとすごいに違いないと思えた。

日本では考えられないことがホントいっぱいあった。

すごい所に来ちゃったな

って思った。

でも2,3日すると痰やツバ吐き、

股の部分が意図的に裂いてあるズボンを履いたちびっ子が路上でオシッコしてたり、

警察パトカーの中で寝てたり飯食ったり電気カミソリでヒゲ剃ってたりする様子が平気になってきた。

なんか大らかというか適当というか野蛮というか、そんななんとも言えない中国の感じがとても刺激的でエキサイティングだったし、好きだった。

日本に帰ってきて思った。

いやあ、日本って本当に清潔でハイテクな国だなぁって

トイレには鍵が付いてるし、紙も流せる。ちゃんと個室には仕切りも付いてるし。

店の商品黄砂やらホコリで汚れてないし、店員もすごく丁寧。

家電なんかも断然性能いいし、安い。

でもね、中国のあの適当で汚い感じもいいなって思えた。

それに、日本には無い変に飾らずリラックスした感じがすごい魅力的だった。

だから日本に帰ってきて、逆に日本が新鮮に見えた気がした。

そんな北京での8日間だった。

2007-11-12

私の見た東京

去年の9月頃に見つけた徳島新聞経済コラムが保存してあったので晒してみる。

私の見た東京

 怖くて公共交通機関を使えない。出張などで東京を訪れるたびにこんな思いを強くする。

 「格差社会」といわれて久しいが、東京に行くと格差を実感せずにはいられない。地下鉄に乗っている人々は、もちろん、負け組であり貧者である。彼らの目はうつろで死んでいるか、ねたみで満ちている。車内の空気は殺気立っており、いつ争いが始まるかわからない。ずっと独り言をつぶやいているサラリーマンがカップルをにらんでいる。

 私の見た東京はこんな感じである。とても、住みたいと思える街ではない。

 こんな東京になってしまったのはなぜか。競争が厳しすぎるのである。私たち人間は(少なくとも私は)そんなに強くない。むしろ弱いといっていいだろう。競争状態に長く居続けるだけで、疲弊するし、無気力になるし、いらいらするのである。そして正直に言えば、そんなに頑張りたくないし、頑張ることもできない。とくに頑張るわけではないが、まじめに働いて普通に生活できる、そんな社会を求めている。

 「再チャレンジ」なんて机上の空論だ。一度でもチャレンジできる人は、放っておいても何度もチャレンジする。一度でも失敗できた人は、勝手に自分で起き上がり、さらに失敗を重ね、そのうち成功するだろう。

 真に目を向けるべきは、一度も失敗したことがなく、チャレンジすることもないが、競争という大きなプレッシャー押しつぶされそうな人々である。彼らのストレスと不満はそろそろ限界である。

 幸いにも徳島にはこのような空気はまだ入り込んでいない。「効率」、「能力」、「成果」、そして「努力」などという都会の論理にだまされてはいけない。都会の競争論理に参加してはいけない。都会の論理で成功できるのは、都会の一部の人だけである。圧倒的多数の都会の庶民と地方は押しつぶされてしまう。地方には地方の論理が必要である。(和)

それにしてもひどい。そういえば再チャレンジがどうこうとかあったなぁ。

2007-07-05

携帯用アプリはてブPod



地下鉄に乗っているときなど、

携帯電波が届かない場所にいるときは

モバイルサイトが見れないのでイライラしてしまう事があります。

そこでちょっと考えてみる。

僕ははてなブックマーク携帯用サイトをチェックする事が多いのですが、



こういうアプリが欲しいのですが、

誰か作ってくれないかなぁ・・・。

2007-07-02

7年好きだった女にフラれた

 久しぶりに告白なんてしたからフラレてしまった。

パソコンに付けてるさ、テレビ会議カメラ壊れちゃったよ」

 にやにやしながら課長が話しかけて来る。お昼過ぎののんびりした時間だ。

「僕のWebカメラ使います?」

「いや大丈夫」

「そうですか」

「キミ使ってないのか」

「恥ずかしがりやですから」

 遠くで課長が笑っている。

 僕は自分のパソコンディスプレイに向かって今日30回目のため息をついた。

 彼女との出会い高校で、2年の時に彼女を知ってからは何となく目の端で追いかけるようになっていた。そして3年のクラス替えで同じクラスになり、席替えを2度して、その2度とも隣同士だった。その時からの付き合いだ。付き合いと言ってもただの友達で、どちらかといえば卒業してからの方が仲良くなった。

 きっかけは、彼女から留学してロングビーチ大磯ではない)に今いるというメールが届いてからだ。それから毎日のように(一時途絶えた時もあったが)メールをするようになった。もうあれから3年が経つ。僕は大学卒業し、社会人となった。メール以外では彼女が帰ってきた時には帰国祝いに飲みにいったり、銀杏BOYZの出るライブに行って騒いだりした。そしてそこで自分の好きな音楽や好きなお笑い芸人や将来の悩みやお互いの家族のことを話した。僕たちはあまり喋る方じゃなかったけれど、ぽつぽつと語り、だいたいのところで嗜好は一致していた。でも今思うと、僕が喋るのが苦手だから、彼女が無理にあまり喋らなかったんじゃないかという気がする。そんなメール帰国メール帰国という関係が続いていた。

で、告白のことを書く。

 2007年7月1日。きのう。彼女から誘われた相変わらずの激しいライブが終わって(彼女はなんでこんなにライブが好きなのか、この点よくわからなかった)のんびりとジュースを飲みながら渋谷NHK近くの花壇に座った。夜の10時くらいだったと思う。そして今日の余韻を味わいつつなんとなく切り出した。

僕は7年の月日を考えながら、ほんとにでもやっとだった。どうしていままで言えなかったのか、それはいままでのこの気持ちいい関係をただ壊したくなくて、そう壊したくなくてそれだけだった。怖かった。でももう僕のこころは色とりどりの風船を部屋にぎゅうぎゅうに詰め込んだみたいになって、どうしようもないところまで来ていた。そして社会人になって、行動に移すことの重要さの学んだから。

 答えはすぐ帰ってきた。いまはごめんって。ちょっと沈黙。僕は出来るだけ丁寧にタバコの火を消して、駅行こっかと最大の笑顔で言って立った。

 歩きながら、あーあふられちゃったなーというとごめんごめんと。謝られてもな。

 さすがに7年もこの瞬間のことを考えているとエラー発生時の処理も考え抜いていた。ついつい人は正常ルートばかり考えてしまうけれど、else文やdefault文といった異常系処理は忘れがちで、プログラムメモリ空間を漂い、システムダウンになりかねない。

結局いつもみたいにくだらない無駄話をしながら、渋谷駅に着いてしまった。井の頭線の改札の近くで握手しながらごめんごめんという彼女にいいよ大丈夫でも俺は好きだなんていいながら、お互いもう会えないのかなって考えてたと思う。

 僕は地下鉄に乗って、窓に映る哀れな自分を見つめながら、iPodからMy Bloody Valentineの曲を失恋ソングに選ぶことにした。



ねえ、もう、会わない方がいいの?

2006-11-22

辛辣

地下鉄に乗っていた。駅に到着、揺れる車内。

「すごいね、下手糞だね、運転手は」

「まだ新人だよ」

辛辣なおばさまたち。

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