はてなキーワード: リスタートとは
https://anond.hatelabo.jp/20140601012957
書き込みから約8年。ぷよぷよ通スコアアタック事件。このミステリアスな事件は今でも思い出すことがあり、不本意ながらワクワクしてしまうのだ。
ぷよぷよのプロゲーマーである、くまちょむ(服部崇)氏の当時(2004年)の的確な分析を紹介しておきたい。MYK氏はもう少しくまちょむ氏の考えに耳を傾けるべきだった。
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今回の騒動は実に不可解な点が多いように見え、MYKさんが動画のERIさんを水無月愛理氏だと疑ってしまうのは当然の流れです。
私は、MYKさんがこの販売動画のある部分を見落としていて、それを考慮に入れていないためにこの問題と正面から向き合えていないのだと言わざるを得ません。
そう言うと、「なんで動画を見ていないのにそんなことが言えるんだ?」と思われてしまいそうですが、怒らずに聞いてください。
・・・と、その前に、皆さんは「ギガウイング2」というシューティングゲームをご存知でしょうか?
このゲームはゲーセン用のAC版と家庭用であるDC版の2つがありまして、私はもう引退してしまいましたが、以前は必死にAC版、DC版の両方でプレイしていたものです。
そこで私は引退記念に、家庭用でプレイを収録した動画を来年1月に販売しようと思い立ちました。
販売時の書き出しは以下の通りです。
ギガウイング2発売4周年記念! 究極のスコア出しをあなたに贈ります!
430627100796944027点
私はかれこれ2001年1月より2004年10月まで途中休止した期間はあったものの、3年近くプレイをしてきました。
特にシングルプレイではなく、ダブルプレイで点数を狙うスコア出しに魅せられ、アーケード版を中心に点数と操作技術の向上に努めて参りました。
現在のアルカディアという雑誌に掲載されるハイスコアを意識していたこともあります。
ゲームセンターでギガウイング2に投じたお金は、3年間で200万円以上になります。まさに命を懸けてきたゲームでした。
今回ご紹介するプレイは、3年間の私の集大成とも言えるべきもので、最も高いスコアのものであり、かつプレイ内容にも自分自身納得できるものであります。
たった1ゲームではありますが、皆様に胸を張ってお見せできる内容であると自負しております。
早いものです。この私のプレイを見て、こんな楽しみ方があるのか、ダブルプレイをやってみよう、そんなふうに思っていただければこれ以上うれしいことはありません。
以上の内容で、2005年1月にネットオークションにて一人の方に販売したのですが、その人からクレームが来たんです。
「この動画は明らかに『リスタート機能』を使ってスコアを出していますね?」
「私はノーコンティニューと書いてあるからズルはしていないと思っていました。」
「スコアラーとしてのプライドが無いんですか?私は失望しました。」
・・・という内容でした。
この『リスタート機能』というのは、進んだステージの最初から何度でもその面の開始時の点数でやり直せるという機能でして、この機能を使ってスコアを出すという行為は、ぷよ通の稼ぎにおける「途中乱入を使ってスコアを出す」のと同じこと。
とはいえ厳密には違うのですが、やっていることは同じです。
この時、購入者はこう思ったはずです。
・・・とまあ、私がギガ2の動画を販売したらこうなってしまうかもしれません。
この物語のように、実際私は家庭用では練習で『リスタート機能』を使っていましたし、【引退記念】として最後に撮った動画も家庭用版のその機能を思いっきり使用しています。
そして私だけではなく、シングルプレイのトップシューターでさえもこのゲームで『リスタート機能』を使用し、大筋はスコアを高めるために練習していると存じています。
ちなみに、私のギガ2日記には最後に撮ったものを「本番」と記してありますが、それは家庭用で最後にプレイするという意味合いであり、やはり本番の本番はゲームセンターでのスコアアタックで、家庭用はやはり練習ということになります。
で、私が何を言いたいのかというと、メガドラ(家庭用)のぷよ通で「途中乱入機能を用いてスコアを出す」という行為はアリだということです。
そして、マージン設定の変更もアリです。さらに、プレイ動画をその事実を記載せずに売っても問題は無い(全くではありませんが)と考えます。
やはり、ゲーセンでやっているわけではないので、どんなプレイスタイルを取ろうがそもそもアルカディア誌は全く関与していません。
そこで、「だったらせめて練習だと記載しておくべきだろ?それを明記せずに販売しているのはどう考えてもそれを意図的に隠して販売したとしか思えないぞ」
と、あなたは思ったはずです。
しかしですよ、私がこのギガ2動画に堂々と「練習」と書いて出品すると思いますか?
しないでしょう。「練習」とも「本番」とも書きませんね。
「私は命を懸けてこのゲームをやりましたー!スコアには相当の自信がありまーす!でも練習でーす!」
それはさすがに
書 け ま せ ん
ですから、動画のERIさんは何ら紛らわしい記述をしたつもりは無いはずで、それについては返信メールにて謝罪しています。
やっぱり、私が動画のERIさんと同じような立場になってしまったら同等に近い答え方をすると思いますね。
自分が命を懸けてきた練習動画に対して「アンタ、最初から練習ということを記載しておいてくれよ。」「人を騙すのもいいかげんにしろ。」と私に言ってくるんですよさっきの購入者さんは(笑)。
私はかなり怒りましたが、冷静になってメールを返信しましたよまったくもう。
「これはこちらの出品の仕方に問題がありました。端的には『最もアーケードに近い』というフレーズと、にもかかわらず『実際にはアーケードからほど遠いスコアの狙い方』という点が、誤解を招いてしまったようです。なので、『今回のプレイは正式スコアには全く匹敵しない』という記載があれば問題ないと考えます。弁解になるかもしれませんが、正式スコアに匹敵することを強調するつもりはなく、ドリームキャスト版であることを全面的に言うことで非公式であるという認識を持ってもらえると想像していました。リスタート機能についてはもちろん認識しています。ドリームキャスト版ではリスタート機能を交えて練習することが多いのです。」
と、メールを送ったのですが、向こうの人はまだガミガミ言ってくるんですよ。
私はどうすればいいんでしょうねえ。
さて皆さん、今回の騒動の中で「マージン設定の変更」のほうへ目が行ってしまっているかもしれませんが、私が注目しているのは
「この動画は途中乱入機能を用いているのではなかろうか?」ということです。
マージン設定を変更しているのは明白なので、正確には途中乱入機能も、ですね。
その場合、29.97fpsの動画を繋ぎ合わせた事実を立証できればこの第2のERIさんは限りなく水無月愛理氏とは別人ということにはなりませんか?
だってそうでしょう。「究極スコア」と記載していてマージン設定を変更し、さらに途中乱入機能を使ったわりにはあまりにもスコアが低すぎ(第2のERIさんごめんなさい)て、これはおかしいと思うはずです。
MYKさんはページの中で「この設定とこの技を使えばこれぐらいはスコアが出るんだよ」と言っていて、条件別でのスコアの高低がある程度予測できています。
しかし、151万点が出されている動画で実際にそうだった場合でのスコア高低判断をMYKさんは怠っているように私は思います。
そしてそのことが、動画のERIさん=水無月愛理氏 だという疑惑を払拭しようニしない要因の1つになっているような気がしてなりません。
ちゃんとやったつもりが1フレームズレてたり、繋ぎ目に音声ノイズが入ったり、とにかく見栄えよくつなぎ合わせるのって結構難しい作業なんです。
それで、苦労の末にようやく究極スコアを出した動画を上手く繋ぎ合わせる事ができたんですよー。嬉しいなあ。
そしたら購入者が「上手く繋げたつもりだったようだが私の目はごまかせんぞこの詐欺師がァ」とか言ってくるんですよ。
一生懸命繋げたんだけどなぁ・・・。私は何か悪い事をしたんだろうか??
・・・と、いった感じです。
MYKさんの事を悪く言っているつもりはありませんよ。
しかし、やはりMYKさんは疑問をお持ちになられた以上、出来るところまでは様々な角度からこの問題を見つめ直し、再検証を試みてみるべきだと思います。
今回起きた出来事は、数々の偶然が重なってしまっていて今のMYKさんに「冷静になれ」というほうが無理な話だということは重々承知しています。
それに、私は「もっとこの話題を肥大させていきたい」と思っていませんし、やはり即急に問題が解決されていく事を望んでいます。
MYKさんが、「どう言われようと俺は黒と言ってしまったようなものだから、今更考えを変えることはできない。」という考えをお持ちであれば、それでもいいと思います。
しかし、「10年間命懸けでプレイしたと書いてあり、名前が一緒で、しかもスコアがスコア、偶然が重なりすぎている、だからやっぱりこれはそうなんだ・・・」という考えを貫き通すのであれば、
その前にもう一度調べられることは調べたほうが良い気がします。
あのページには動画と解説書を隅から隅まで見たというようなことが書かれていますが、動画の繋ぎ目を調査したという記載がないので、私は今現在、MYKさんが少なくともその唯一の証拠品に対して1点以上の確認は怠っていると考えています。
そして私は、そのことがとても気になっていています。
ですが、それを調査して繋ぎ目付近に明らかなフレームズレや雑音等が確認できた場合に「マージン設定も変更していてさらにこんな小細工を・・・ますます許せん。」と、思ったりしてはいけませんね。
だってこの人は悪い事をしているわけではないし、悪気があってやったことでもないはずですから。
それでもし繋ぎ目が不自然で、やっぱり繋げていたという事実が明らかになったとしても、「最初からその事実を記載しておけよ」と言って責めるのはおかしいと言えるでしょう。
それはなぜか? ・・・私が書いた文章の中に答えが書かれています。
今回私は、練習(家庭用)において設定の変更やその他の手段を用いてスコアを出す行為は全く問題ないと主張し、
さらに、それを記さずに動画の販売を行っても問題ない(全くではありませんが)ということを私個人の観点から明らかにしました。
そしてそれは別におかしな考え方ではないということが、私の書いた文を読んでもらえればお分かりいただけるかと思います。
それを否定したら、「途中乱入とマージン設定を使ってスコアを出したらしいが、服部はスコアラーとしてのプライドをお持ちでないのか?家庭用とはいえ、お前は疑われても仕方がないぞ。」
と、私に言っているのと同じことになります。
何度も同じようなことを書きますが、それを言われたら「練習でやってるだけです。」と答え、「どうして記載されていないんですか?怪しいですよ。」と返され、「はあ~??」という流れになってしまいます。
動画のERIさんは運悪くスコアネームの一致などの偶然が重なり、表舞台に現れていないだけでそのようなことを思われている可能性が高いと私は考えます。
そして、やはり動画のERIさんはそういう稼ぎスタイルを自分の中で確立させている人なんだなと私は断定しました。
それはゲームは違えど、「スコアラーでいて、同じようなことをやっている者」同士だからこそ言えることなのかも知れません。
皆さんはどう感じたでしょうか?
長くなってしまいましたが、以上です。
疑問などがあれば次回に答えたいと思っていますし、すでに答える準備ができています。
それではまた~。
言い方はあるんだろうけど、医者が言った言葉「だったら辞めれば?」は実際的確な指摘なのだと思われ
その会社を辞めたら数週間以内に自分がリアルに死ぬ、とかそういうのでもない限り、家庭があろうが他のどんなしがらみがあっても絶対に辞めるべき
辞めざるを得なくなって実際に辞めることになった後、辞めてもどうとでもなることを理解出来る。その時、自分の正常な部分が残っているほどリスタートが容易くなる。てか、病気になるほど苦しい時に支えではなく重荷になる家庭なんて捨ててもいい
少なくとももし自分が、鬱ではないにしろ似たような精神的な病を抱えた昔にタイムワープできるのなら、自分に絶対にそう言い聞かせる
入試は嫌だが就活のために学士はほしいとAO入試で遠方の大学に転がり込んだ。
自堕落な生活で18まで守り抜いた勉強童貞のツケが回ってきた。
まず90分の講義を集中して聞き続けることができない。
寝過ごすことはなくとも、話が右から入っては左から抜けていく。
さらに私は字が異様に汚い。ノートを取っても読み返す気はさらさら起きない。
機能をメモ帳のみに制限したPCを持ち込んだこともあったが、プレーンテキストで構成されたメモは参考書の劣化版としかならなかった。
そして根本的な問題が、勉強の仕方がまるで分からないということだ。
正確には勉強の仕方が分からないという言い訳に逃避し決して勉強を行わない姿勢に問題がある。
何せこの言い訳は人生の半分以上付き合ってきた腐れ縁である。1年と100万円を無駄にしてもなお離れることのできない強固な絆でつながった存在なのだ。
その結果過去問を解ける状態にすら辿り着けない。そりゃそうである。
これを徹底的な先延ばし癖と早期の諦め癖がアシストすることで、課題提出による救済をも無に帰す。
1年の時間と学費生活費100万円という勉強代を払ってもなお、以上の問題の解決には至っていない。
その結果講義終了時の小テストを提出できなくなった。1年次はかろうじてできていたことができなくなってしまった。
私の通う大学では、学生の理解度と出席の確認を兼ねた小テストがほとんどの講義で課される。
授業終了時、その日中、1週間後と提出と期日は様々であるが、難易度は低い。
しかしながら私はこれを出せずに出席日数を確保できず、2年生としてリスタートを切った今も3つ以上の講義で落単が確定している。
諸悪の根源は先述の先延ばし癖と諦め癖である。特に後者の存在が大きい。
分からないなりに課題に向き合いあがくことは時間と手間がかかり心苦しい。だが諦めればその場の苦しみが一瞬で終わる。
何もせず教室を出る、タスク表に書かれた課題を無心で消し去る際のコンマ数秒の開放感こそ私が新たに発見した蜜であった。
こんなんじゃまた留年しちゃうよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ヤダヤダヤダヤダしんどいうぇ~んぴえん
終わりの予感を感じさせる曲が好きだ
その曲が始まった途端、そして聞いている間、それまでの幸福な時間が終わり、ああこの時間も終わってしまうんだという著しい郷愁、切なさと、この時間は二度と帰って来ないんだと感じさせる曲が好きだ。わかってもらえるだろうか?おすすめを教えて欲しい。それをもだえ聴きながら今週末を過ごしたい
例として以下をあげる
Prince / PurpleRain
終わりを感じさせ方としては完璧。特に3分45秒前後の歌が終わった後のギターソロ以降。世紀の名盤が終わってしまうという感じと、演者側がとにかくたたみにかかっている感がたまらない。
Stone Roses / I am the resurrection
これも名盤のラストを飾る曲でPurpleRainに類似。私は復活するという歌詞とも相まって強く終わりを感じさせ素晴らしい。特に3分40秒前後のギターソロから始まる怒涛で至福なセッションタイムがいつまでも終わって欲しくないけど、確実に来る終局を感じさせて、身悶える
ナンバーガール/ OMOIDE IN MY HEAD (サッポロOMOIDE IN MY HEAD 状態)
絶頂期を迎えたバンドの突然の解散、ラストライブのほぼ最後を飾り、歌詞、演奏ともにバンドを象徴する曲。
観客のああ終わってしまうんだという感じと、この時間が最高潮という空気がパッケージされており素晴らしい
初期スタジオ版のスカスカなアレンジから、最後の鈍器と刃物で殴られるような凶暴なアレンジの違いにも成長と歴史を感じさせ郷愁を感じる
フィッシュマンズ/Long Season (98.12.28 男たちの別れ)
これもバンド絶頂期からの終わりを感じさせる曲。上記と違うのは、ただのバンド解散だけでなく、その後の復元できない完全な喪失を知ってしまっている点で、ただただ切なさを感じさせ、たまらない
何たって『あなたのいない世界には、あたしもいない』である。aikoにこんなこと言われるなんて、aikoに情念で呪い殺されているようなものである。最高じゃないですか。地獄の責苦と天国の祝福を同時に味わえるような曲でたまらない。
cocco/焼け野が原
何たって『だから抱いて だから抱いて この体に残るように強い力で』である。ああ、とてもたちが悪い。aikoとどっちがたちが悪いんだろうか。わたしはaikoだと思います。活動停止の前の最後の曲という印象も強い。
補足 下記も終わりを感じさせ素晴らしいが、上記カテゴリに当てはまらない曲
エヴァ最終章と素晴らしいマッチを見せ、終わりを感じさせるが、映画のラストと相まって終わりの先にリスタート/新しい物語を感じさせるので違う
Monty Python / Always Look on the Bright Side of Life
これも映画ライフオブブライアンの最後、白眉となる場面で流れ終わりを感じさせるが、人生讃歌により過ぎていてちょっと違う
Vera Lynn / We will meet again
映画博士の異常な愛情のラストを飾る曲。終わりを感じさせ素晴らしいが、映画での使われかたが、ユーモアにより過ぎているのでちょっと違う
100日後に婚約破棄されるOLを読んでいて、自分が婚約解消したときのことを思い出した。まともに振り返ったことがなかったのだけれど、ちょうど思い出したので、今後また別の人と婚約した際に同じ状況に陥らないように、あの時起きたこと、感じたことや分かったことを文字にしてざっくり書き出した。
婚約時点で既に数年付き合っていて、相手の経済感覚は分かっている気でいた。ただ、冷静に今振り返ると、「恋人だから」と性善説で捉え、目を瞑ってる部分が結構あったなと思う。自分よりもよっぽど給料の良い企業に勤めていて年次も上の人だったし、「結婚のことを考えてる人だからちゃんと貯金しているだろう、大丈夫」と自分で勝手に思い込んでいた。
また、年収や貯金額をストレートに聞くのははしたないし、恋人が聞いていい話題範囲を超えていると自分が(勝手に)思っていて、その考えを婚約後も引きずっていたのもよくなかった。あくまで別会計の存在である恋人ならまだしも、結婚して生活を共にする気がある相手に関しその点に違和感があるなら、厳密に確認するべきだった。
自分自身は、ひとからの頼み事は嫌だと思わずわりとホイホイ引き受けるタイプの人間で、それは恋人に対してもそうだった。でも、一個一個のお願いは自分のリソースを少し割くだけで済むものだとしても、そのまま際限なく引き受け続けると、お願いの要求水準は徐々にエスカレートしていくものだと認識しておくべきだった。引き受ける基準が相対的なものだと、お願いを一つ引き受けるたびに、自分の引き受ける/引き受けないの判断の境界線が少しずつ、それこそアハ体験のように気づかない間に、自分を追い詰める方向に移動してきていて、いつに間にか大きな負担を求められていたりする。際限なくお願いしてくる相手が悪い部分もあるかもしれないが、でもそうやって追い詰められるのは、一個一個のお願いをホイホイ許して受け続け、「自分はここまでしかできない」と事前にハッキリ表明していなかった自分も悪かったと思う。
冷静に立ち止まると、荒い金遣い以外にも、相手には、大事なところでわりと平気で嘘をついたり、自分勝手なところがあった。話し合いでその点を伝えたら、相手は自分が悪かったと認めつつ、「別れようというなら別れるよ、あなたの判断に任せます」と静かに答えた(あっさりそう言った割には、その後実際別れることになったらとても泣かれたし、別れた後もちょくちょく「会いたい」と連絡が来ていたけど。)。
もしその時、「心を入れ替えて、次からはもうしない」「今回は許してほしい」と許しを請う言葉が相手からあれば、たとえ「もうしない」の根拠が薄くても一度は許せたのに。一度振り上げてしまった拳を下ろすためのきっかけがなかったら、下ろすための心の整理は自分の中で完結しなきゃいけなくなる。このまま続けても無理だと頭でわかってても、情もあり心がその判断についていけていなかった時、拳を下すための心の整理を無理矢理自分の中でやってしまって、婚約解消後もゼロからのリスタートとして付き合い続けた期間があった。でも無理矢理した整理にはやっぱり無理があって、結局つらくなり、関係が破綻するのも早かった。
どうしてそんな相手と婚約に至ったのかを考えたが、自分自身、「夫婦」という関係性を過大評価していたのが原因かもしれないと思う。「恋人」は、自分が順調だと思っていても、突然相手から別れを告げられるかもしれない、制度上の根拠もなく移ろいやすい不安定な関係性であると思う一方で、「夫婦」は、制度上、恋人よりかは別れるためのコストが上がってまだ揺らぎづらい関係性である、と自分がどこかで思ってしまっている。こんな考えはおかしいのは分かっているし、初めての恋人に突然別れを告げられた自分の過去のトラウマが尾を引いているだけかもしれないというのも分かっているけど、でも、克服にはまだまだ時間がかかりそう。
一方で、そんなに別れが怖いくせになぜ自分から婚約解消をしたのかというと、経済感覚の不一致もあったが、好きという感情以前に、相手が信頼できない上、自分の心に負担をかけてくる人だと気づいてしまったから。結婚するなら、背中を守りたいと思えると同時に、信頼して自分の背中を預けられる人がいい。そこで後ろから刺されたり見捨てられたりするかもしれないという疑念が晴れない相手だと、きっと今後長い人生を一緒には歩めないと思う。
思った以上に長々と書いてしまった。尻切れだけどとりあえずここでおわり。
アイカツが好きになって8,9年位、初めてが初代のクリスマス回で色々衝撃受けてそれからずっと。
アニメ、DCD、ソシャゲ、ライブ、イベント、グッズ、etc...と100%全てを把握しきってるわけじゃないけどアニメはリアルタイムで可能な限り見たし地方に行ったりしてるときは遅れなりdアニメとかなりで追った、DCDも昔からいい年して何やってんだろってたまに自虐しつつもつい先週もやってた、イベントは金銭的な問題が大きかったので近場をメインに。
今後どうなんだって期待と不安の中で今回のアイカツの新プロジェクトの発表、結論から言うと凄い喜びも怒りもしづらかった、とは言えコンテンツを続ける気でいた事自体は嬉しかったと言った感じ。
実写化がかなり衝撃的だったせいでアニメじゃないのかってキレてる人もいたし、こんな事になるならアイカツ畳んで別の名前で始めろみたいなのも見た。
ゲームに関してもシステムがだいぶ変わったみたいでマイキャラ、これまでのカードの扱いどうなるのかで不安なってる人も見た。
でもアイカツがまだ続くなら嬉しい、自分も不安だけど今すぐ死ぬことは無くなったわけだし、自分の好きな霧矢あおいや一ノ瀬かえでや新条ひなきは当分TVやゲームなどの表に出ることは無くなったと思うけど、コンテンツが完全に畳んでプレバンとかでグッズも全く出なくなるわけでもないのでまだ期待というか追っかけれる事に安心してる。
9年近く追っかけてきた熱意、人生80年でも1割アイカツに寄り添ってたしこの後も恐らく看取るまで寄り添うつもりなので1割どころかかなりの割合がアイカツになるんだろうなって。
ただ何年もただ追っかけてたのはちょっと失敗したなとも思ってる、多分この期間あれば自分の好きなキャラクターを描く練習してれば割といい絵描けたんじゃとか、気持ち悪いけど楽器練習してアレンジとかオリジナルソング作れたんじゃとか所謂創作方向に昇華していればもっと明確に「アイカツで人生変わった!」みたいなことになってたと思う。
すっかり年も取っちゃって熱意はあれど動きは鈍くなっちゃったけど、これからまたアイカツを好きになって行きたいし、次のアイカツプラネットがこれまでと一線を画する、リスタートみたいな感じなら自分ももう一度動きを取り戻したい、んでまた更にアイカツを好きになりたい。
プラネットが始まる来年頭、それまでは準備期間というか、アイカツのこれまでに感謝しつつ次のアイカツを快く迎え入れるようにしたい。