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2024-03-24

車椅子に乗っていた同級生のお母さん

少し前に車椅子女性話題で盛り上がっていたときに思い出した。

小学生時代、ある同級生母親は、彼女の夫が押す車椅子に乗って運動会やら授業参観やらの行事を観に来ていた。周りの保護者より少し若く見える、痩せた、色の白いお母さんだった。


その同級生子供のくせにそこはかとなく辛気臭いオーラを纏っていて、暗くて友達もいないのに一人で何か喋ってニヤニヤしているようなやつだった。当たり前にずっといじめられていた。仮にOとする。


Oは児童養護施設から通ってきているのに、学校行事はいつも両親が揃って参加していた。休日には家族揃ってスーパーで買い物する姿を度々見かけた。

母親病気のこととか何か事情があって家族で暮らせないのだろう、と今ならば想像するに難くないけど、施設育ち=親がいないという認識の当時のわたしたちの目には、別に居を構えながらも仲がよさそうなO一家の姿は異様なものとして映った。

ひどい話だけど、Oだけでなく家族ごと、クラスメイトから、いや学年中から差別されていた。気がする。

例のごとく車椅子グラウンドにやってきて運動会を観覧し、教室に戻って昼食をとる際、土のついたタイヤのまま校舎に乗り込むO夫婦の姿を、わたしたちは冷ややかな目で見た。ちゃん入り口にそれ用のマットが敷いてあって、踏んできているにもかかわらず。


小学校高学年、思春期にさしかかり不安定な心身をもてあまし、わけのわからない苛立ちやさみしさをお互いに悟られまいと取り繕っていた。障害とか施設育ちとかの事情を抱え、差別されながらも健気に生きているO一家の姿はいじらしく、尖った心を持ち寄るわたしたちの格好の的だった。


ある土曜日の午後、市の陸上大会に向けての練習があった。全員参加ではなく有志の集まりだったので、普段教室であまり喋らないタイプの子とも仲良くなれて、楽しい

練習が終わって、わたしたち麦茶を飲みながらずっと喋っていた。日焼けするからと木陰のところに集まって、実はあの子のことが嫌いとか好きとかキャアキャア叫びながら喋った。

ふと話が途切れ、もうそろそろ帰る?という雰囲気になったところで、一人が「そいえばさー」と口を開いた。

「そういえばさ、どうでもいいんだけど、こないだイオン行ったらOがまた家族でいたんだよ。

でねぇ、これマジだよ?…Oのお母さんが、歩いてた」


わたしたちは、爆笑した。ゲラゲラ笑った。全員で涙を流して、息も絶え絶え転げ回って笑った。

おかしかった。いつも白い顔をして、旦那車椅子を押されているお母さん。そんなお母さんが自立して歩いているなんて、突飛で、シュールナンセンスだった。前衛的な発想のようだった。


おかしい以上に、気持ちよかった。言ってはいけない、笑ってはいけないことなのはみんな分かっていた。

広い校庭にわたしたちしかいなくて、おかしことなんて何もないのに馬鹿笑いして、すっごく悪いこと言ってるのに誰にも迷惑をかけていないか咎められなくて、こんなひどいわたしたちを誰か止めてほしいのに、芝生の上に転がったままどこへでも行けそうな、行ってしまいそうな気がして、怖いけど楽しくて、無敵だった。

曇ってるけど日射しは強くて湿った風が吹いていて、みんな同じ日焼け止めの匂いがしていた。ひざの裏側に芝生が刺さってチクチクしたけど、手で払うとさらりと落ちた。気持ちよかった。


家に帰り、キッチンに立つ母にOのお母さん歩いてんだってーと言うと、「Oさんの奥さんは脚が悪いんじゃなくて病気で体力がないか車椅子なんでしょ。何言ってんの」と返ってきた。つとめて不愛想な母の声になんでか安心したのだった。


数年後Oのお母さんは亡くなったと聞いた。

陸上練習ときメンバーは、中学に入って少しヤンキー風味になったけど、成人後に同窓会をしたときにはごく普通かわいいお嬢さんの姿だった。今ではほとんどの子結婚して親になって、忙しく過ごしていることと思う。

Oが大人になった姿はどうしても想像できない。どんな暮らしをしているんだろうか。


校庭でひどいことを言って笑い転げて、誰か止めてほしいと思った。

その後の人生で、ちゃんと止めてもらえたと思う。元々優しい気持ちの子もたくさんいるけど、意地悪だったわたしたちも、失敗して傷ついて、自分のことが嫌になってもそれでも生きていくという選択をしたとき他人に寛容になろうと努めて、その習慣が体に馴染んだと思っている。

何の罪もないO一家に冷たい目線を向けて嘲笑っていたことを思い出すとき、ひどかったなと思う気持ちは本当なのだけど、あの陸上練習後のお喋りの時間には青春フィルターがかかっていて、思い出すとキュンとする。

キュンとしたあと、でもやっぱり酷すぎるよねと心の中でつぶやいて、少し許されたような気持ちで回想を終えている。

2024-03-23

ハンバーグ作った

こね方が悪かったのか、成形が悪かったのか分かんないけど、すっごい肉汁が溢れ出しちゃってもったいないな〜と思いながら食べてた

溢れた肉汁を見た夫がヴーンと唸ったかと思うと、少ししてからオッと嬉しそうな声が聞こえた

キッチンからパン粉を作った時に余ったパンの切れ端を持ってきて、肉汁を浸して食べてた

器が綺麗になって助かった

パンの切れ端のことも見つけてくれてありがとう

2024-03-22

本格的に死にたい

いよいよ人生でやれることなくなった。

死にたい

 

4年前に知り合った彼氏がいる。

当時彼は既婚者であったが、わたしに惚れているのは周りから見ても明らかだった。

飲み会の帰り道で「好きだ」と告白された時、わたしは、「気持ちは嬉しいけど、わたし不倫とかできるタイプではなくて。既婚者の方はごめんなさい」とお断りした。

 

その半年後、彼は離婚して、もう一度告白してきた。

「待たせてごめんなさい。大好きなんです。僕は君と一緒になりたい」

あの時の彼の顔をよく覚えてる。待ってないです、でも、ありがとう努力に免じて、交際関係を受け入れた。

「でも、わたし、君を悪くいうわけじゃないけど、バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくないかもしれない」

大丈夫!君に嫌な思いはさせないし、大事にするし、幸せにする。不安や不満があったら、必ず言ってね。受け止める」

それからは、絵に描いたように幸せ恋人ライフ

彼はわたしお姫様か何かのように大切にしてくれた。

離婚したばかりで今すぐは無理だけど、かならず一緒になろう。世界中が敵になっても、俺は君だけを愛してるから

そう言ってわたしを大切にするピュアな彼に、わたしも次第に夢中になった。

 

彼にプロポーズされウキウキのワクワクでご両親にご挨拶に伺ったら、元嫁に親権を委ねた彼の親から、「新しい嫁がきたら孫に会わせてもらえなくなる」と結婚に反対されたのが2年前。

当時わたし妊娠していた。

彼氏は、「まだ早かったかもしれない。両親の説得にはまだ時間がかかる。でも、いつかかならず一緒になろう。だから赤ちゃんはいまはおろそう。」そう言ってくれたので、わたしはまんまと信じた。

 

彼が前妻と建てた家で同棲し始めたのもその頃。

 

この家に住み始めた頃に、ベッドが処分されていないのを見てイヤな気持ちになった。

当然のようにそこに寝るよう進める彼に、「さすがに、ちょっと」と断ると、彼はあからさまにイラついた。

「お前の家のベッドだって、他の男と寝てきたベッドだろう」

「それはそうだけど、「わたしのベッド」に他の男も寝たことがあるのと、「あなたと前妻のベッド」にわたしが寝るのは、心持ちがちがうじゃない?」

わかってもらえなかった。

でも、イヤという気持ちは汲んでくれて、和室に布団を敷いて、寝ることにした。

 

彼は、最初、「この家に住むのも一時的もので、ゆくゆくは手放すよ」と言っていたのに、「ダイニングテーブルお気に入りから、このまま使わせてほしい。ソファは、買い換えようね」と、心を変えた。

 

彼は、最初、「お箸マグカップ買ってきたよ。2人の食器を増やしていこう」と言っていたのに、近頃は「どんぶり?あるのを使おうよ」「ほしいなら勝手に買っていいよ。でも趣味悪いのはやめてね」と、投げやりになった。

 

毎朝どちらかがあかちゃんにあげていた線香は、いつのまにかわたししかやらなくなった。

「親が来るから、少しの間出ていて」

そう言われることがあった。

ご両親には、この家でわたし暮らしていることを言ってはいないんだなぁ。と思った。

「ご両親の説得は進んでいるの?」

と聞いてみたことがあった。彼はイライラした態度で、「お前が首を突っ込むな」と返した。

そのくせ彼は、「あ、親が来る前にトイレキッチン掃除しておいて。だらしない暮らししてるとおもわれたら、めんどうだからさ」とも言った。

 

付き合った頃、「バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくない」と言ったのは本当のことで、

最初の誓い通り、不安や不満を伝えることが増えてきた。

でも、彼は変わってしまっていた。

「面倒くさいな。お前、少しは黙れよ」

「気に入らないなら出て行けば?」

バツイチ恋人になるんだから、それくらい覚悟しておけよ」

 

同棲から1年経って、彼はどんどん怠慢になった。

わたし誕生日を祝わなくなった。翌々日に、あ、誕生日だったんだね。と言われた。

彼の誕生日の日は、昼間にラインが1通あった。「今夜は外食から、俺の晩飯いらないからね」

わたしは1人でケーキを食べた。

セックスが雑になった。わたし愛撫することは無くなり、奉仕することばかり求めた。やんわり拒むと勝手に口に突っ込まれた。口に出されることが増えた。「抱きたくはないけど射精はしたい」んだって

 

彼は、横柄と傲慢を増していった。

「お前がいなきゃ離婚しなくて済んだ」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前のためにベッドを捨てたりソファを買い替えたりするような価値は、お前にない」

妊娠したのも、お前の策略だろう。お前が勝手に孕って勝手に堕したんだろ。俺は何も悪くないし関係ない」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前との将来なんて俺は考えていないからな。早く出ていけよ」

 

なにがいけなかったんだろうな。

わたしは彼を愛してきたつもりなんだが。

彼はわたしと一緒になりたかったはずなんだが。

お腹のあの子を殺したのは、彼とわたしとあの子未来のためで、必ず未来でもう一度会うつもりだったから、なのだが。

 

わたしは悲しくなって、先月ついつい、彼のご両親にお手紙をお出しした。

あの時、実は妊娠していたことをお伝えした。

エコー写真検査薬を同封した。

わたしと彼は一緒にはなれないから、せめて彼のお家で、供養してやってください。と。

お二人にそれをお願いすることが、殺してしまたこの子に、私がしてやれる最後ことなんです。と。

 

数日後に彼は実家に呼び出しをくらい、夜中に帰宅した時は鬼の形相だった。

「親に余計なことを吹き込んだな。もうお前なんか死んでしまえ」

そう言って彼は、わたしの顔を殴り、突き飛ばし、馬乗りになって首を絞めた。

 

わたし自分の愚かさに辟易した。

 

あー、わたしはこんな乗り換えクズの虚偽のプロポーズを真に受けて、堕胎までして、お腹を傷つけ、胎児を殺した愚か者だったか。と、遠のく意識の中で思った。

かにわたしは、「困難な離婚をしてまでわたしと付き合いたいというくらいだから、相当の本気だろう」と思っていた。全く違う。

こいつは「結婚本質も知らず軽んじているだけのガキ」というだけだった。

やけに離婚がすんなり行ったのも、今思えばおかしかった。このジジイ事故物件だったのだ。前妻は、このDVモラハラからアッサリ逃げられて、ラッキーとでも思っていたかもしれない。

 

わたしは気絶した。

多分だけど、それで流石に慌てた彼が119番だか110番から通報したみたい。気づいたら救急隊に囲まれてた。布団の上で失禁していた。彼は警察に連れて行かれて、わたし病院検査を受け、問題がなかったので、警察と少し話した後、実家に連れて行かれた。

多分。記憶朦朧としてる。今もはっきりしない。

 

彼と出会った4年前、わたしは29歳だった。

最後の恋だと信じて、かけたけど、大外れだったうえに、取り返しがつかない時間若さを失い、傷をお腹と心に残した。

 

こんな男を信じて、夢だった結婚式も、ドレスも、ハネムーンも、注文住宅も、出産も、家族も、なにもかも、叶うことはなくなった。

 

じゅうぶんにがんばった。

できる限りのことはした。

彼に対し、人生で一番尽くしたし愛したし大事にした。

でもダメだった。

もうやれることがない、

 

なんだか、こんなわたしが、この先誰かを愛しても、愛すれば愛するほど、一緒にいられない気がする。

全力で大切にした今の彼にもこんなふうに粗末に扱われる。

私の価値は本当にないのだなと思う。

こんなわたしが、クズの子供を孕んで堕胎したわたしが、

仮にいつか、他の善良な男性と想いを通わすことができたとしても、愛されて良いわけがない。

そのような権利は私にない。

なんか、もう、死んでいいと思ってる。

首絞められて、意識が落ちる時、全然苦しくなかった。むしろ気持ちよかった。だから死ぬのは怖くないんだ。

わたしのかんはあまりあたらないけど、これが最後の恋だというのはすごく当たってる気がするの。

わたし死ぬからだと思う。

2024-03-21

anond:20240320215302

洗い物がラクっていう人達キッチンはある程度の広さが確保されていて煮炊きとカットなど前処理と、洗い物3種類並行してものが置けるスペースがそもそもある恵まれ人達なんだよ・・・

2024-03-20

私たちって結婚するの?」と聞いてから恋人の態度が妙だ。

本当に何でもない日常の一瞬に、ふと聞いてみた。

 

その日、私が馴染みの美容院で「もう何年も同じオーダーしかしてないけど、あなたにすべてお任せするならどんな髪型がいいかな?」という話題美容師さんに持ちかけて、「でも、そこまで変えるなら結婚式写真とか撮った後がいいんじゃないか?」という流れになった。確かに、そういう記念的な写真を撮るなら私も一日でも若い方がいい。そう思ったら、何か「どうせいつか結婚するなら早いほうがいいかも!」となったのだ。

 

あと、以前、芸能人事実婚をしているという報道ふたりで目にしたとき、彼が「オレたちはタイミング見てそのうちちゃん入籍しようね」と言っていたので「そのうちっていつだろう」とその頃から何となく思っていたのもある。

 

私たちはもう、そこそこいい年齢の恋人同士だ。

交際期間は約3年。一緒に暮らし始めて約2年。独身謳歌している人が比較的多いはずの私のコミュニティも、結婚して子どもがいる人がずいぶん増えた。学生時代から親友は二人目の子どもを妊娠中だ。彼女だって、決して結婚が早かったわけじゃない。もう、結婚なんて相手さえいれば当たり前に選べる年齢なのだ

 

ツヤツヤの髪になって帰宅して、遅くなったのでキッチン晩ご飯をチンしながら唐突に「私たちって結婚するの?」聞いたら、彼は非常にプンスカしていた。「オレがずっと聞かれても交わしていたのにそんなにドストレートに聞いてくるなんて!!」「カップル結婚の間に100mぐらい距離があったら、今のセリフで80mぐらい一気に踏み込んできたんだからな!!」めっちゃプンプンするやん。

 

「オレたちはそのうち入籍しようね」というセリフまさかの交わしだとは思わなかったので、私もビックリだ。

なんか、彼の態度から察するに、多分だけどこの人プロポーズとか考えてたっぽい!!!!!「だ、だいなしにしちゃった!?」って聞いたら「そうだね!!!」とプンプンしていた。怒ってたっていうか、動揺しすぎて声が大きかったって感じかな。結婚の話を持ち出して、まさかこんな風になると思っていなかったので彼の前でシクシクと泣いた。

 

しかし、そんな散々な状況だったのに、その日から彼の態度が妙なのだ

 

ものすごく、ハグの数とチューの数が増えた。ニコニコしながら近づいて、「ダイスキ!」という回数も増えた。

普段からハグもチューもダイスキの回数も多い方だと思うけど、満開になった感じ。彼の中にあった「この人オレと結婚するつもりあるのかな?」という疑問が完全に晴れて「この人オレと結婚するつもりなんだ!」に変わったのかもしれない。ニッコニコや。

そこからはちょいちょい「もう、市役所行っちゃう!?」「もう、(私の)実家行っちゃお!?」「名字どっちがいい?そっちにする?どっちでもいいけど?」とか言ってる。完璧にソワソワしている。かわいい。ちょいちょいあまり名字のこだわりなさげな会話はあったけど、本当に名字私のになる選択肢あるんだ。ありがたき。

 

一度も顔を見せずに親族になるのもあれかなと思うので、次の長期休みで私の実家に来てもらうように話を進めている。

私は実家家系の末代なのだけど、ご先祖様に「え、ワンチャン末代じゃないかも」と知れ渡ったら、彼らの魂が本気出して子宝を授けてくれるかもしれないね

 

正直、結婚はしてもしなくてもどっち派だったんだけど、入籍するということが、この人とより長く仲良く過ごせる選択になればいいなあ。

2024-03-19

anond:20240319014855

実際結婚するともっと男女差別を感じるよ

結婚式の式場に行くと、スタッフは俺の方を見ない。

しかし、金の話をする時は俺の方を見る。


家を建てる時もそう。

キッチンの話やクロスの色とか特定の時だけ時だけ妻の方を見る

子供が産まれる前の自治体の講習もそうだった

育児子供ママが大好き!パパにお手伝いしてほしいことは何?…1歳半までは性別関係ないのにな。

ステレオタイプって言われるやつ、だめだな。

2024-03-18

anond:20240318111749

1Kで狭くてキッチンには置けないけど、背後すぐ洗濯機置き場でそこから分水して、洗濯機の上に食洗機おいて便利だよ。キッチンから後ろに振り向いて手の届くところに食洗機があるから便利。

おっさんのこういう独り暮らしでも、ビール飲むグラスがぴかぴかになるから、それだけでも捗る

anond:20240318092932

焼き物食洗機がだめなわけないんだけどな。

製造はいちいち調べたり保証したりするのが面倒だから不可としてるだけだろう。

仮にそうだとしてもいちいち検証するのとか面倒すぎるし、

キッチンスペースを占有しすぎる問題は変わらないんだよな。

anond:20240318004401

カレートマトソースなんかは水に2,3分浸ければ浮いてきて

キッチンペーパーか何かでちょっと拭き取れば

あとは普通に洗って問題ない

まり3ステップ必要なめんどくさい存在じゃん

anond:20240318004110

カレートマトソースなんかは水に2,3分浸ければ浮いてきてキッチンペーパーか何かでちょっと拭き取ればあとは普通に洗って問題ないと思うが。

それで取れないってことは多分使ってるフライパンとか調理器具の方に問題があると思う。

質の低い鍋やフライパンを使うのは本当に人生の損失なので、料理するならある程度いい道具を買うべきだよ。いい道具って言ってもせいぜい2,3万とかで買えるものでテフロンを除けば半永久的に使えるので、生活費としてはめちゃくちゃ安い。

anond:20240317153855

食洗機キッチンのスペースをかなり占有するのがまず厳しい。

あと良さげな焼き物とか結構買うので食洗機対応を気にするのが面倒というのもある。

2024-03-14

anond:20240314171946

調理スペースがあれば自炊楽しい

まな板を置くスペースすらないキッチンに住んでいる単身者にとっては自炊は必ずしも楽しくない。

デブで酒飲みなのに血圧肝臓も悪くない姉と標準なのになんか悪い私

姉が、36才165センチ80キロの酒飲みなんだけど、過去含めて人間ドック視力BMI体脂肪率と腹囲以外全部Aなのが解せない。

なんで肝臓とか血圧とかコレステロールとか悪くないの?おかしくない?しかギリギリの値とかじゃなくて普通にA判定。例えばγ-GTP17血圧は上が110下が70、中性脂肪は110といった具合。

太ってるし酒も飲んでるのに。

33歳160センチで50キロ前後で酒も飲まないのに、血圧コレステロール値が高いんだけど。

家系的に高血圧になりやすいか血圧に関してはしょうがない部分もあると思うけど、どう見ても姉の方がデブなのになんで私はコレステロール引っかかったの?

しかも姉は毎年健康人間ドックの前々日に酒飲みすぎてこたつ寝落ちしたとか言ってる人間なのに。なんで??

思い当たる点があるとすると、姉は肉より魚好きで野菜好きで薄味が好き。そんで、散歩旅行が好き。休みの日に家にいることがあまりない。

なんでそれで太ってんだって話だけど、幼少期からぽっちゃりだったから一回も痩せたことないと思うし、魚や野菜だけ食べてるわけじゃなく肉も好きだし揚げ物も好きだしチーズとかも好き。在宅勤務の仕事通勤しないので平日は三食自炊で好きなもの作って食べてる。

たまに姉の家にお邪魔してご飯食べさせてもらうけど、実際姉の作るもの野菜が多いし美味しい。

母が料理上手で、正直どこのお店に行っても母の手作りの方がうまい。揚げ物も、煮込みみたいなのも、なんでもない野菜炒めも、カレーも、パスタも、全部。実家にいたときいつも姉は、手伝ってと言われなくてもキッチンにいて手伝いをしていたので、母の影響がおそらく大きい。

以前姉に作ってもらったミートボールパスタはどこの店で食べたのより美味しかったし、オムライスに関してはお店も母も超えて姉が作ってくれたホワイトソースかかってるやつが一番美味しかった。

昨日はツナごぼう炊き込みご飯と、具沢山味噌汁と、菜の花しらすペペロンチーノ風の炒め物と、手羽元のさっぱり煮だった。美味しかった。姉はご飯は食べずに菜の花手羽元、豚がない豚汁みたいな具沢山味噌汁の具もアテにして、焼酎炭酸割りをグイグイ飲んでいた。炊き込みご飯は私の持ち帰り用に二つおにぎりにしてくれて、のこりは冷凍していた。


そんな感じで美味しいものばっか食べてガバガバ酒飲んでるから心配、とか思ってたら私の方が不健康で、解せぬという気持ちでいっぱい。

それまで「よしなに」生きてきて言葉潤滑油として使ってこなかった男

5000兆股してしまい、この広い宇宙の端っこで気まずくなってしま

5000兆人に責められ潤滑油フレーズでいなそうとするも、ふと頭に浮かぶことがある

キッチン上の棚を開きながら、初めて言葉を鎖として使う「なぁ俺たち、皆で家族にならないか?」

とてつもない求心力を得た男は5000兆の粒子と衝突しカスケードが発生、宇宙は産まれ直すことになる

2024-03-12

anond:20240312133402

県営住宅とかなら家賃安くてキッチン広い部屋に住めそうだけどね

2024-03-08

オリモノの不思議

こんな話は増田しか書けない。

オリモノは出ないときは全く出ないのに、出るときはドバッと出るのはなんでなんだろう。

この不規則な感じは経血が出るときに似てる。

今もコーヒーを淹れにキッチンに行こうかなと思った瞬間にドバッと来て、すわ不正出血か?と一瞬ビビった。

それくらい経血の出るときと似てる。いや、そっくりだ。

ちなみに性病ではないし膀胱炎でもない。尿漏れでもない。

パンティライナー(おりものシート)は偉大な発明ですよな。

2024-03-07

覚書

2月の半ばにあなたが咳をし始めてから、それとなく「死」の一文字を思い浮かべることが多くなった。

それ以前、あなた散歩を厭うようになったのを感じ始めてから、考えていたことが明確に姿を見せたともいえる。

日に日に食欲が失せていき、妙におなかが膨らんだのを見て、なにとはなく「あぁ」と思った。

2月14日まではたしかに芋を食べていたが、以降はそれも徐々に食べなくなって、それから一週間ほどでほとんどなにも食べなくなっていたと思う。

26日に薬を飲み出してからも、あまり改善したような様子はなく、そればかりかとうとう水も飲まなくなった。

それからというもの、いつものようにそのつもりはなくソファで夜を明かした私が朝方することといえば、あなたの部屋のドアを開けてあなたが出てくるのを確認することになった。

でもしばらくしてあなたは部屋の中だと苦しそうに呼吸するようになったので、私は一度部屋に入ったあなた独断で出すことにした。

そうしたらあなたはいもの場所で伏せて、静かに寝息を立てたので、私は安心してその日はベッドで寝た。

翌朝、部屋にいるはずのあなたが出ていたことを両親が驚いたと言っていたので、昨夜のことを話した。狭い場所がいけないのだろうとみんななんとなく思ったのでしょう。その日からは、夜になってもあなたを部屋に入れなくなった。

しかそのころは夜が妙に眠かったので、私はたいてい日が回るより先に眠っていたと思う。

けれど3月1日から3月2日の夜中、私はたしか3時くらいまで起きてリビングにいた。1時頃にソファタブレットをいじっていたら、こたつの向こうであなたが吐いた音がした。黄色いドロドロした吐しゃ物で、幸い敷いたペットシーツから漏れはいなかった。あなたの足にもかかっていたのでウェットシートで拭いたけれど、だいぶしつこくて5枚は使った。空腹由来の嘔吐だったので、注射器ミルクを飲ませた。ほんの雀の涙程度だっただろうけど。

3月2日から3月3日にかけての夜中、その日はちゃんとベッドで寝ようと思って、夜中の2時に一度布団に入った。けれど、眠気が強くなる前にリビングに降りた。いつも父が明かりを点けたまま寝落ちているので、そうであれば明かりを消さないといけないと思ったし、前日の夜中にそうだったように、あなたがまた吐いていたらいけないと思ったからだ。

そうしてみたら、案の定明かりは点いていたけれど、予想と違って父は起きていて、リビングのドアの近く、あなたがいつもいる場所(それよりは少しドアに近かった)にあなたがいて、突然降りてきた私を見ていましたね。

事情はわからなかったが、あなたを父が構っていて、でも危惧していたことはなかったので、私はあなたの頭を撫でてベッドに戻った。

そうして翌朝の8時ごろに私は目を覚まして、すぐには起き上がれずにいたら、8時24分に一階から大声で母が私を呼んだ。

私はそのとき、至極冷静に「逝っちゃったかな」と思った。そんな気がした。そうだった。20分に逝ったらしかった。すぐに起きていればよかったかとも思ったが、そのおかげで私が記憶している最後あなたは穏やかだった。

あとひとつなにか悔いがあるならば、兄に伝えなかったことだ。母はそう思っていなかったようだけれど、私は正直なところ、死ぬのだろうと思っていた。積極的には思っていなくて、痩せて骨の浮いた背を撫でて「そのうち戻るかな?」と考える頭もあった。けれど、意識的に先のことを考えたときは、やはり死ぬのだろうと考えていたように思う。

命日の約一週間前が私の誕生日だったので、兄は実家を訪れていた。そのころはまだなにかしら食べていたころだったと思うので、ある意味ではまだ元気なころだったと思う。それを良しと捉えるか悪しと捉えるかは人によるだろう。

離れて暮らしていることを思えば、命日の一週間ほど前に会っていたのはよかったといえるのかもしれないが、なんにしても私が決めることではない。ただ、それらを自己決定に委ねるのであれば、一緒に暮らす者の所見としてその可能性を事前に提示すべきだったとも思う。

からきっと、あなたが近く亡くなることを高い可能性として最も想定していたのは、実のところ私だったんじゃないかと思う。あなたが息を止めたとき、私はその場にいてもあなた蘇生しようとはしなかったでしょう。あなたが咳をし始めてから二週間と少し、あなたものを口にしなくなってから一週間弱、それだけ続いた苦しみがようやく終わったんだと安堵した。死んでほしくはなかったが、それ以上に苦しんでほしくなかった。

そう、3月2日の午後に、母があなたに薬を飲ませようとしたときあなたはそれをいつも喉に押し込むようにして与えられていたので、それを嫌がったのか、やや機敏に立ち上がって逃げようとしましたね。でも窓を向いていたの180度回って、ドア側に歩こうとして失敗して、こたつの布団に倒れ込み、再度立ち上がってカーペットを降りて、けれど結局テレビの前で伏せましたね。

それを見て、たしか私は先が短いことの確信を得たんだ。次の日とは思わなかったけれど、日曜の特に用事がない日の朝8時に、母が私を一階から大声で呼んだ、ただそれだけであなたの死を覚る程度には。

犬の寿命だとかを思えば覚悟をするべきだと思って、この数年、特にこの一年間はあなたをすぐに撮るようになっていた。そのおかげで、写真動画は私が2018年あたりから撮ったもので800個以上ある。

ただ、私が一番好きだったのは、あなたがあったかくて、重くて(12kg~13kg程度だった)、大きかったことだ(体長はきっと85cm~95cmほどあった)。けれど不思議なことに、あなた寝床を用意して、そこに入ったあなた身体が敷き詰めた氷のように冷たくなったのを、私は良いことだと思った。亡くなったのは8時20分、兄が来たのは昼ごろ、それから寝床に入るまで、あなたの腹はあたたかかった。あなたが朝まで生きていたことの証明で、あなたがこのままでは傷む一方であることの証左だった。

そのほうがらしいからといって、あなたの舌を少し出しておくことになった。はじめ1時間くらいはいものピンク色だったけれど、それ以降は紫色になった。目は昼ごろになってようやく閉じた。鼻が乾くのは早かった。散歩中、エチケット袋が開かないときによく借りていた鼻だった。

きっとそのうち、こういう些細なことは思い出せなくなる。思い出さなくなる。人間脳みそはそういうふうにできていて、当たり前のことだから、悪いこととは思わない。ただ、残しておきたかったのでそうする。

命日当日中には兄のほかに父方の叔母と祖母が来た。近くに住んでいる近親者が全員来たということだ。叔母は手紙を残してくれた。住所を書いたそうなので、一緒に燃して、あっちで読んだら来てもらうそうだ。

3月4日の19時に火葬することになった。祖母祖父の看病が終わり、さら退職して自由時間を持て余しているようで、参加してくれた(たとえそうでなくともきっとそうしてくれたと思う)。義姉も参加してくれた。叔母は仕事が空けられないので参加できなかったが、予期しておくことなどできないのだから仕方がないという外にない。

車の店でもらったひざ掛けのサイズがちょうどよかったのであなたの冬のブランケットにしていたが、最期までこうも役立つとは思わなかった。あなた身体寝床に入れたり、火葬のための設備に収めたりするときに、担架のように使った。焼かずに残っているが、なにかにリメイクでもしたほうが良いのだろうか。

あなたの骨は思っていたよりも丈夫だった。納骨袋の側面に小さな遺影を入れられるスペースがあって、けれど遺影ではなく、火葬の直前に切り取った遺毛を入れることになった。アクセサリを入れるための小さなジップつきクリアポーチに入れたが、サイズがちょうどよかった。桐の箱などに入れたほうが保管状態としては良いそうだ。検討したほうがいいかもしれない。

火葬した日の夜中に、私は遺骨ペンダントを注文した。驚いたことに翌日には届いたので、あなたのおそらく爪と目の周りの骨を少しもらった。由来のわかる(想定できる)骨のほうがなんとなく良い気がした。目の周りの骨は大きかったので少し砕いた。あなたに私が行く先を見ていてほしかったので、目の周りの骨にした。

これを書いているのは3月7日の夜1時だ。あなたが逝ってもうすぐ4日になる。私は泣くとき、いつも喉になにか手のひら大の球が詰まったように痛くなる。けれど、あなたを惟て泣くときは、喉は痛くならずにただ熱い涙が出る。理由はわからない。悲しいわけではないと思う。どうなんだろう、あなたがいないことを考えるとそうなる。これを悲しいというのかもしれない。

書いているそばから嘘になったかもしれない。今は少し喉が痛い。けれどそれでも息ができないほどではないから、やはりなにか違うらしい。

こたつの中で足先になにか触れると、一瞬あなたかと思う。私はいつも発作的にあなたに飛びついて構い倒す癖があったので、今もふとした瞬間に無意識あなた名前を言いそうになる(すんでで止まる)。私がいつもの椅子に座っていたり、廊下洗面所キッチンでしゃがみこんでタブレットをいじっていたりすると、いつの間にかあなたが足元にいましたね。あれがとっても好きだった。あなたは私によくついてきてくれた。

これからは私があなたを連れまわす。一緒に行けなかった旅先にも連れて行くし、3月いっぱいで契約満了を迎える今の出向先にもひっそり連れていってみよう。遺骨ペンダントは失くしてしまいそうで怖いが、そうなったときあなたがきっとそこを気に入ったということなのでしょう。そもそもあなたは昔から衣服やらカバンやらに毛として引っ付いてきていたので、今さら真新しいことはなにもないのかもしれないけれど。

2024-03-05

anond:20240305124457

自分20代後半女だから参考にはならないかもしれないけれど、少し高めなハンドソープ貰うとテンション上がるから好き。もし匂いが嫌いだったらキッチン用にしちゃうとか、高校生の子どもに使ってもらうとかできるかな?とも思う。

shiroとイソップ以外だと嬉しいかも。shiroは偏見申し訳ないが個人的には大学生感があって、イソップはなんか自分を見てくれていない気がしてしまって。相手がそのブランドが好きとか理由があるのなら良いと思うけど。

個人的ニールヤードハンドソープが好き。いい匂いから。でもランキングとか見ると知らないブランドハンドソープもいい匂いそうで全部欲しくなった!お相手さんのイメージに合わせてブランドを選ぶのも楽しそう!あとデパ地下の魚の西京焼も好き。

2024-03-02

毎週、休みの前日は部屋を片付けることを夢見ている

あそこにずっと出しっぱなしだった脚立を片付けるんだ

あそこに埃が溜まってたか掃除機かけよう

開封amazonダンボール開けないと

使って放置してた外出バッグをクローゼットしまおう

キッチンの拭き掃除もしなくちゃ

捨てようと思って積み重ねたDVDもそろそろちゃんと捨てないと

 

こうして素晴らしく充実した休日を夢見ているのだが、その夢が叶う日はいまのところやってこない

2024-03-01

タニタは型番をどう決めてるのか。キッチンスケールの性能の違い分かりにくすぎ問題

ヤフーLINEプレミアムの3000円クーポンあったから今使ってる10gメモリの計りを卒業してデジタルキッチンスケール買うか~ってタニタ商品中心に検索しても型番が多すぎて各製品の違いが全然頭に入ってこない。

とりあえず三桁数字の頭が計れるkgの上限を表していることは把握したが、下二桁の意味が分からない。

KDやKJやKWのアルファベットのKがキッチンスケールのKで、KWのWはウォーターで防水仕様を表すまでは分かったけど、DやJが分からない。

今回3000円クーポン縛りがあり3000円台の製品を探す中で、どれが一番性能が高いのか全然からず選べなかった。製品ページはできることは載ってるができないことはあまり載っていない。

重さの上限、0.1g単位か、受け皿の取り外し可否、防水・防塵などなど、できることが増えるほど価格が高くなるのが当たり前だが、新製品・旧製品の混在に各ショップ価格競争もあり、わけわからなくなった

anond:20240301102841

俺が増田やってて一番役に立った情報

調理後、フライパントイレットペーパーで拭くと楽に綺麗になる」

実際はキッチンペーパーでやってるけど、暖かいうちに拭き取るとたしかに洗うのが楽になる

5枚ぐらい使うからコスパは悪いかもしれないけど

2024-02-27

anond:20240227175003

文意に沿ったトラバ必要はないが(別にうんち💩とか返して良い)、

単純に文章が読めない子はトラバしないでね

 

赤坂あたりで億(近く)しなかったら逆になんかあるぞ

土地代やで

 ↓

常識的に考えればクソ高い土地代に見合ったそれなりの内装の上物にしてると思うんだよね。 貧相なキッチンとか言ってるヤツの審美眼が無いだけだと思う

 ↓

一口コンロとせっまいシンクやったはず

 ↓

え、ワンルーム赤坂)にでも住んでるの? なら仕方ないと思うけど金持ちアピールしてるくせに貧相だな

 ↓

渋谷にも販売当時は億は確実にしただろう地獄マンションあるよ

内装のグレードは今どきならマンスリーでもそこそこ嫌がられるレベル

当然のように風呂トイレ一体型のユニットバス

から見える景色も終わってて『成功者が手に入れるのがこれかぁ』って思ったもんよ

 

取り壊されたり、フルリノベされてなきゃ、ホテルとして使われてると思う

 

関連増田https://anond.hatelabo.jp/20230627184703#

マンションは、高級物件以外は土地の値段しか入っとらんやで

1億程度じゃ何も高級じゃないじゃん!の感想になると思うで

高級物件だなぁってなる物件賃貸に出した時に100万円くらいになるヤツ

それ以下だと立地の値段だけで内装しょぼかったりクソ狭かったりで、

ぜんぜんレジデンスじゃないぞ

anond:20240227174704

あー2LDKキッチンカス物件かぁ

キッチンがもうちょいマシなら都内で1億くらいの標準的な感じだし

赤坂ならこんなもんなのかなあ。

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