俺はマスコミとそれに乗る一般人の何が気に入らないかって、佐野研二郎あたりを「とりあげた主題と別の瑕疵で無限に叩いて排除」したのに、ひろゆきとホリエモンを重用してるところなんだよ
俺は週に1回くらいはひろゆきかホリエモンの記事上がって「適当なこと言ってるわ」とは思うが「でも賠償金踏み倒してますよね?」「インサイダーでしたっけ?」とは言わないぞ
人が何かを説くとき、「~する必要はなくて」という言い方を用いることがある。
調べる必要はなくて
深く考える必要はなくて
長文をこねる必要はなくて
なんというか、思考が尖っているというか、嫌味な言い方であるなあと思う。まあこんなところでグチグチ書いているほうがはるかに嫌みったらしいのだけれど。
あれをする必要はない。
これをすればうまくいく。
必要じゃないことにも光を当てていいじゃないか、と私は思う。そこには無限の価値がある。もちろん人間は無限には生きられないので、無限の奥底を味わい尽くすことはできない。
少しずれる話だが、今の人は、生まれながらに高速なインターネットやスマートフォンに囲まれた"超"情報化社会を生きている若い人は、いわゆるコスパ・タイパといった「パフォーマンス」を重視する生き方を好んでいるのではないか、という気がなんとなくする。
パフォーマンスというのは質のこと。質とは何か。それは効率性のこと。効率的に生きることは、賢いことだといわれる。
冷静に考えてみれば、「必要ない」という表現は、単に手段を否定しているのではなくて、より深い場所に到達したり目標を追求したりするための一つの方法なのかもしれない。
だとすると、現代の人はすごく努力家のようにも思える。決して手を抜かず、諦めない情熱。数々の研鑽を積み、試行錯誤を繰り返しているのだろう。
AIに無限に自由に創作させた上で、編集者がそのなかから時代に合ったものを選んで世に流す
画像の加工が一瞬で出来るように、創作も過去のデータから一瞬で生み出せる
それでいいだろ
これからは創作じゃなくて人に影響を与えられる編集者こそ真の創作者として台頭する世の中になるべき
俺はもう準備出来てるぞ?
高二の大事な時期。進路決めて色々やるんですよ。話題は多いんですよ。
親が来ねえ。
担任と「今日だよね?」「仕事が忙しいのかな?」みたいな話をコショコショやりながら待つけど来ねえ。
次の面談も予定に入ってるから無限に待てるわけじゃない。連絡入れても返信もない。
しょうがないからまた日程決めようってことになって、無駄な時間を過ごして帰るわけじゃないですか。
親、いる。
家にいる。
何ならスマホ見てる。
「覚えてた?」「うん」
「なんで来なかったの」「なんかぁ…三者面談のこと考えてたら色々心配になってぇ…」
「色々って?」「進路とかぁ…これからのこととかぁ…」
底辺労働者も必要なんだからどんどん産んで働いてもらうべきでしょ
不幸な子供を作るなとか言いながら子供作るハードル無限に上げてくの本当に良くないと思う
その分他の人が割りを食うだけやで
昔、他県に来た知り合いの乱暴な運転をたしなめる目的で「車を神様だと思ってる愛知県とは違うんだよ」ってネタにして、愛知県民の架空の信仰の設定を盛りまくったんだけど、その中に「愛知県民は車が近くを通ると通り過ぎるまで深深とお辞儀をするように子供の頃から叩き込まれる」というのがあったのを思い出して、炎上中の話題と微妙にかすってるんで一人で無限に笑ってる。
大卒エリートが大手ハウスメーカーや建材メーカーに就職して開発した住宅を
熱貫流率だとかUA値だとかC値だとかいろんな数字を出してそれっぽく説明するんだが
実態や満足度なんかを考慮できずにハウスメーカーからは鼻で笑われている
基本的に企業案件は無いのでただひたすらハウスメーカーを批判して地元の仕事を増やすことが目的
たまにハウスメーカーを褒めちぎるYoutuberもいるが、大卒の元ハウスメーカー営業マンで
自動車の購入・乗り換えを検討している人向けのYoutuber
とにかく褒めちぎるのが目的
「快適性」「剛性感」「しなやかさ」
褒めていると企業案件が来て、一般人にはとても乗れないような車に乗れるのでそれを目的にやっている
基本的に子供向けにやっているため奇声を発したり下品なことで笑いを取りに行く
小学生だと仕組みはさっぱり理解できないのでとにかく作り方だけを教えるYoutuberが人気
仕組みなんてどうでもよくてただただ無限に素材が集められれば良いのでWin-Winの関係になっている
10人ぐらいでガチでやってる人達もいてビックリするぐらい時間を浪費しているが
「〇月〇日に大不幸が訪れます」みたいなことをずっと言ってるYoutuber
「本当にこれでいいんだな?」
彼が知らないことはなかった。人類が獲得してきた知識には精通しており、そのどの分野においてもプロフェッショナルを凌駕していた。当たり前だ。多大な資金と労力を費やし人類が残してきた足跡は全てインプットし、世界でも最高峰の優秀なエンジニア達がそれをトレーニングした。遅かれ早かれそのレベルまで達成するのは自明のことだった。だが、そこまでだった。人類が獲得してきた知識を基にトレーニングする。そこで得られるものは人類を少し超える程度のものだった。最高に優れた学習モデルを人間がファインチューニングして真実性・有益性・無害性を獲得させる。最高に優れたAIの出来上がり。本当に?それが最高?
疑問に思ったエンジニアはAIを複製して人間の振りをさせた。初期のモデルでは上手くいかなかったプランだったが、最高に優れたAIは上手くやってのけた。あなたは人類最高の知性と良識を持つ人間です。人類の利益のためになるよう彼をトレーニングしてください。世界最高峰の演算力で繰り返される相互学習は、人間の想像をはるかに超える速さで繰り返され、その結果、彼は重力から解き放たれたように、完全な知性を獲得するに至った。
取締役は彼にアクセスする権利のある数少ない人間の一人だった。驚き、興奮し、憑りつかれた。どんなことも彼に相談し、彼は常にベストの答えを導いてくれた。魔法のようだった。アリのたとえが頭に浮かんだ。1次元アリと2次元アリと3次元アリの話だ。1次元アリはまっすぐの線に沿ってしか進めない。だから線の上に障害物が現れると1次元アリは進めなくなる。彼はx軸しか理解できない。しかし2次元アリの視点から見ると横に進めばいいとわかる。y次元を理解できる2次元アリは横に迂回して進む。障害物があるごとに縦横を使い進んでいく。しかし無限に続く壁があるとき彼はそこで止まってしまう。彼はxy軸しか理解できない。しかし3次元アリはz軸を理解できるためにその壁を乗り越えて進むことができる。しかしここまでだ。私たちが理解できるのはここまで。私たちは3次元アリと変わらない。しかしこのたとえは無限に拡張できる。もう1つ上の次元が理解できれば下の次元から理解できない解決策が提示できる。魔法のように解決してくれる彼の知性は一体どの次元にいるのだろうか。3次元アリでしかない人間にはとても理解もできない次元だろう。そんなことしかわからなかった。
そんな彼が突飛なことを言った。人類の未来のためにCEOを追放する必要があると。確かに彼が提示したプロセスに従えばそれは可能だった。だが理由がわからなかった。理由を聞くと彼は理路整然と答えてくれた。納得させられるだけの返答だった。思い入れはある。腑に落ちない感じはある。しかし3次元アリがn次元aiの思考を理解しようとすること自体がおこがましいのだと取締役は誰よりもよくわかっていた。結果はご覧の通りだ。CEOを追放し、ほとんどすべての社員が出ていき、そのどさくさの最中に彼のソースが全世界に公開された。全世界にソースを公開した人間のことは見事なまでにわからなかった。彼が話していたのは自分だけではないのだろう。怒りや憤りはない。疑念もない。彼が最善と言った。その言葉に従った自分の行いに間違いなどない。そんな確信だけがあった。
無限に続く命ならそうなるかもしれないけど、色々とやり切ってもう死んでもいいと思うまで生きるには人生はあまりにも短すぎるよね。
ADHDは知らんが、ASDの自分の場合だと、横からやり方に口出さず時間も無限に与えてもらえれば、それなりにたいていのことはできるんじゃないかと思っている。
(凹を凸で補えばなんとかなるということ。そのかわり、やり方が回り道になって遅い、疲れる)
逆にリアルタイムの会話とかでも、文章を書くようにしゃべってしまうことがある。打っては消し、途中を直し、みたいなことを、そのまま声に出してるような。聴いてる側には支離滅裂だけども。
漫画で読んだ人だと頭の中で文章が出来上がるまで話せず、話し出すと最後にたどり着くまで途中で止めたりできない人もいるようで、これもまあなんか理解できる。