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2015-06-17

年末から、飼い猫が一匹ずつ死んだ。

なにかの毒の入った餌を喰ったか、もしくは殺鼠剤や枯葉剤のかけられた雑草を喰ったか

三ヶ月ごとに一匹死んだ。

二日ほど姿がみえないと思ったら、体中にゴミ枯葉をつけて、口から涎をダラダラ流して戻ってきた。

小屋の中の寝床に寝せておいたが、もう今日死ぬかと思ったあたりになると、力を振り絞って畑の上の茂みの方に這っていって藪の中で隠れるようにして息耐えた。

三匹目の猫は、毛玉取りの雑草を餌を喰ったすぐあとに喰い、せっかく与えた餌をゲーゲー吐く吐き癖がついていたせいか、他の猫よりも数日持ったが逆に言えば苦しみが長引いただけだ。

許せん。

許せない。

怒りに震えて血圧が上がりすぎて気分が悪くなり寝込むことも初めて経験した。

誰だ。

2014-10-25

自動車の運転ほど人間性の透けて見えるものはない

ちょっと家の前の道路で車に乗って60キロ出せと言われたとする。半分寝てても楽勝。終わったら二度寝する

ちょっと家の前の道路自力で走って60キロ出せと言われたとする。一生かかってもムリ。もう確定的にムリ

俺としてはどちらも嘘偽り無い心の底からの返答であり、馬鹿じゃねーのというレベル常識

しかしよく考えてほしい。つまるところ眠い目をこすりながら60キロ出してる時点でもう人類最速ウサイン・ボルトより速いのだ。ボルト車道を走ってたらクラクションを鳴らされまくるのだ

スピードが出しやす場所だと「ありゃどうみても130キロぐらいでてんなー」という車を一般道で見ることすらある

この辺になるとリージュとかボブスレーとかでの最高速度だ。世界トップクラス人間安全配慮された専用のコースを専用の機材を使ってそれでもなお死人が出る。金と時間でだれでも取れる資格しか持ってない一般人が、ちょいとアクセル踏み込むだけでそういう世界に踏み込んでいるのだ

車とソリとでは制動力とか諸々違うのはわかってる。人間対処できる速度の話をしている。過去数百万年に渡って死ぬほどがんばっても時速40キロも出せなかった生き物がハナクソほじりながら150キロ出せることの話をしているのだ

獣道ですらない山中の斜面を駆け下りたことがあるだろうか。俺はある

前を向くと障害物しかない。枯葉に隠れて地形すらわからない。地面に穴が開いているかもしれない。足元の岩が体重を乗せた拍子に崩れ落ちるかもしれない。地面を踏んだ拍子に倒木がが跳ね上がってくるかもしれない。そんな状況にありながら自分の脳ミソはどうやって減速するかという算段で精一杯。それ以上は考えるより先に視界から消える

自分が悶絶も骨折もしなかったのは確認もせずに踏み抜いた枯葉の下の地面が、たいした根拠のない楽観的な予測どおり自分対処できる範囲内の形状だったという理由に過ぎない。30キロも出てなかっただろうに

車でも同じことである

俺が事故で死なないのは俺の運転技術が優れているからではなくて、事故らないようにインフラが整備されているかである

バイクなり原付なり乗ってれば、一度や二度くらい「やべえ今スピード出してたら転んでたわー」と感じる瞬間を経験しているだろう。その原因は全国津々浦々どこにでもある舗装のヒビであったり、濡れた路面だったり、暗くて見えない凹凸であったり。だからなんだよ、というレベルのものに過ぎない

何度でも言うが俺は交通インフラで生かされている。俺の運転技術ではない

しかし街に出るとその有難い交通インフラ様様、速度規制なり信号なり交通標識なりをいとも容易く無視する人間が溢れている

彼らはアクション映画のごとくニトロタクシーで車体に傷ひとつつけずに路地裏のバケツをかっ飛ばせるのだろうか。立体駐車場の屋上からバイク高速道路に飛び乗ってそのままカーチェイスできるのだろうか

神聖なる交通インフラ様を侵し、自分他人の命を危険さらすのと引き換えに何を得ているのか。目覚まし時計に急かされてベッドの中でもぞもぞする数秒以上のものを得ている人間がどれだけいるのか

ほとんどの人間自分よりはるかに大きな質量を、自分に出せる速度よりはるかに速い速度で動かしながら、それが自分の力である錯覚する傲慢さを認識すらしない

人を殺しかねない危険行為を、社会的免罪符さえあればクソみたいな報酬でためらいなくやるクズがこんなにたくさんいるのがほんとに悲しい

2014-07-08

一人暮らしならベランダビオトープをやろう。捗るぞ。

最近一人暮らし人間に高い買い物をさせようとする記事をよくホッテントリに見かけるが、お前ら何もわかっちゃいない。一人暮らし必要なのはドラム洗濯機でもジップロックでもない。それはベランダビオトープだ。

なにも最初から大掛かりな本格的ビオトープをやれというんじゃない。ベランダ発泡スチロールを置いて水をためて浮草を浮かべてメダカを泳がせればそれはもうビオトープだ。春の時期にもなるとメダカの産卵が拝めるし、ひと夏かけて稚魚の成長を見守れる。暑い夏も乗り切る。あまり暑いときは、ビオの半分にすだれとかをかけといてやると優しいな。雪の積もる冬も屋外飼育が可能だ。夜間に水面が凍る程度なら問題ない。秋口に枯れた水草を毛布にして、あやつらは果敢にも越冬するのだ。そして春にもなると、冬の間緩慢な動きだったメダカ達が次第に旺盛に動き始める。枯れた水草から春の新芽が出たときなどは感動すら覚える。

うつ病対策にもなるぞ! 毎朝寝起きにバナナ食って窓を開けて深呼吸してメダカに餌やってる。忙しく動くメダカを見ていると心が洗われるようだ。現実生活がつらくても仕事がうまくいかなくても貯金が少なくても、元気なメダカときれいなビオトープ(ここでいうきれいというのはアートという意味ではない、野性味とか生き生きとしてるとかそんな意味だ)を見ていれば心が落ち着くし、そしてその状況を作り出しているという管理者たる自信に少しだけ心救われる。

日当たりのよいベランダがいいだろう。そこに大き目の発砲スチロールを置く。浮き草はホテイアオイメジャーだな。ビオ内に土を入れて、水草水上栽培するのもいい。土があると水質が安定する。大き目のプランダーに土を入れて発泡スチロールに沈めると管理がラクだ。ウォーターマッシュルームとかかわいいよな。慣れてきたら、ヒメタニシやミナミヌマエビを入れてみよう、捗るぞ!

唯一の欠点としては、これを始めるととかく他人にビオを勧めたくなるという点だ。なんでか知らんが多くの人は魚をそんなにカワイイと思わないのだそうだ。まったく解せない!……なーんてことを口に出すと友達が減るからほどほどに。ん?この記事をブーメランだと言ったか


(追記)

>暑さでメダカちゃん死んだりしないの?

メダカは強い魚なのでかなり暑さに耐えるが、マジレスすると環境次第だ。例えば発泡スチロールでもうっかり色を黒なんか選ぶと当然暑くなりすぎる。水量が少なすぎるのも同様の理由で避けたほうが無難だ。水量が多いと水も汚れにくくなるしね。水草特に浮き草)を勧めたのは暑さ対策という利点もあるからなんだ。夏は水温を下げ、冬は枯葉が天然の毛布になってくれるわけだよ。ただまあ、トラバでも書いたけど、実際に飼育する場合自分の住んでるとこの気候住宅環境を見ながら多少試行錯誤することになると思う。暑さが相当厳しい地方ならやや日陰気味な置き場所にしたほうがいいかもな。ちなみに増田山陰地方海辺在住です。今気付いたけど、うちが日当たりの良いベランダでうまくいってるのは山陰がもともと日照時間が少なめだからってのもあるのかな。


経験からアドバイスだ。ある日カラスがやってきてみんな食われるぞ。気を付けろよ。

こわい


>俺んちベランダ広いから興味ある。 ボウフラは心配だけど。

ボウフラ沸いてもメダカが殲滅してくれるよ。もともと俺は室内アクアリウム水草の余りを屋外で水上栽培しようと思ってビオを始めたんだけど、貯め水状態だからボウフラが沸く。なのでその対策メダカを導入した、という流れなんだ。

2012-05-16

よく餌付いている鯉の群れって、池のほとりに人の影が映るだけで集まってきて、

餌も撒いてないうちから勝手に口をパクパクさせて餌を待ち構えてるよね。

餌を撒こうもんなら死に物狂いの狂喜乱舞のヘブン状態バクバクしまくるし、

最悪、そのへんに落ちてる枯葉を手で擦ってパラパラ落とすだけでも餌と勘違いしてバックンバックン。

 

ちょっと考えたらすぐ「んなアホな話あるかいな」と思えるような粗悪な釣りを全力で楽しんでしまった方々を見て、

あれと似ているなと思いました。

2011-09-20

25mg feat. FUE

(ぼくはきみと空を手にとるように)

偽りのない空を眺めては祈りつづけていた

きっと誰かにこの気持ちを伝えることができるだろうと信じて

そのおもいはいつも夕闇に消されてしま

手探りで何かおもしろいことを探しつづけている

変わったことをしようとひとり黙々と考えたりもする

誰かがぞくぞくすることを与えてくれるなんておもってはいない

自分で探さないかぎり見つからないのが少ない人生のなかで知ったこと

(ぼくは)

きみは何を求めて生きています

きみは誰かのために生まれてきたのです

きみは愛するものを見つけることができましたか

そっと囁きかける言葉は切ない予言

予言 きみに届け)

突然あらわれる現実と突き出される真実

虚言癖のある人

知りたかったこと

知ってしまったこと

教えてくれたこと

教えてくれなかったこと

その真実を知ってしまった

白い椅子と白い壁

トロレビスの神様が見守っている

きみは退屈そうに窓に映る自分の姿を見ていた

垣根のなかに入ってしまったボールをぼくたちは見つけることができなかった

それから何かが変わってしまったような気がする

からだが思うようにうごかないのもすべて

25mg と書かれたこの粒を飲んだら何かが変わるのだろうか

25mg でほんとうに幸せになれるのだろうか

誰かに言わせるとそれは毒薬らしいけど

きみはどこの空に消えてしまうのです

この世界を愛しています

こころの傷口から入った毒はどうやってとりのぞいたらよいのです

消えてなくなるというのはどういう気持ちです

おもう言葉

あらわれては

消えていく

ひどく頭が痛むんだ

ふたつの世界で起きている真実

目のまえに広がるふたつの世界

ふたつの銃弾は

(銃弾は)

ひとつはきみに

ひとつはぼくに)

青い煙がとおり過ぎる

冬に枯葉が散っていくようにぼくらも何かから切り離されるときがくるのだろうか

ときどきおもいだしては消えてゆく

しかったときは終わってしまった

他人のふりをするのは

もうやめよう

これはきみとぼくの内緒にしておこうよ

ぼくの想像する神様は人のかたちをしている

神様って人なの

2009-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20090126134618

「曾祖母の納骨を親に”見せられた”小学校1年生の女の子が”PTSD”になってしまったかも」というエントリー

半数以上の反応が「こんなんでPTSDになるなんて」「親も子供も軟弱」、と否定的で、さらにそれに対して元増田

みんな、お骨を拾って何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したりしながら成長していったのか・・・。

と返している。


どっちも違うなあ、と思った。「ブタがいた教室」に対する是非論と同じ感想


私は今年26だけど田舎の子だったので「死」は身近だった。


物心付く頃には家に犬がいて今実家で飼ってる犬共の親、祖母、曾祖母と3代を見送った。

1匹はフィラリアであっけなく死んだ。残りの2代は老衰だった。

だんだん弱っていく犬を寝ないで看病して最後を見届けた。死んだら庭に埋めた。


だから死んだら硬くなる事も、どんなに弱ってても生きている内はあった「あたたかみ」が

死んだ瞬間にすっと無くなる事も知っている。

ムクロとか、亡骸、という言葉がどういうものかを経験として知っている。

どんなに大事な人でも存在でも、死んでしまう、死んでいなくなる、のだと「知っている」。


犬だけじゃなくて、ペットのハツカネズミが蛇に食われたり、

そのハツカネズミを喰ってハラが膨れた蛇が籠から出られなくなって引っかかったまま縊死したり、

婆ちゃんが晩の鍋にする鶏を〆たりするのを見てきたし、

カマキリとか昆虫枯葉かけて焼いたりもした(いや、超残酷なんですけど子供の頃って結構残酷なことを平気でやらなかった?)。


「いきもの」は「死ぬ」んだと。

それは「分かる」とか「分からない」とかじゃなくて、空気と同じぐらい当然に「そういうもの」だった。


だから幼稚園の時にひい婆ちゃんが死んだ時も、大好きだったから泣いて泣いて泣きまくって

でも「死んだ」事は分かってた。骨を見て墓に収める骨壷に触らせてもらってその無機質さに

「ああ、やっぱり」と受け入れた。


送るというのはそういう事だとわかってた。


でもさー、そういう経験が全くないままにいきなり人骨はつらいだろーよ?

段階を踏んでるからこそ近しい人の死に大泣きしてもすんなり受け入れることが出来るんだぞ。

人生初の「死」がひい婆ちゃんの骨だったらそりゃトラウマにもなるっつーの!


親も「命の大切さ~」とか「何事も経験~」とか頭でっかちに考えて

手順とか段階とかをすっとばしていきなり「ひい婆ちゃんの骨」じゃあ、そりゃ子供がかわいそうだ。


元増田多分そのあたり感じ取って従姪さんのご両親に対して反感を覚えているんじゃないのかな。


で、元増田に対する突っ込み

みんな、お骨を拾って何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したりしながら成長していったのか・・・。

違うね。

場数を踏んでたの。それかご両親が場数を踏んでいてちゃんと子供に伝えてたの、子供の困惑を受け止めてたの。だから「何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したり」なんてしなかったの。。。だと思うよ。


起きてしまった事はしょうがないでしょ。

乗り越えられない事じゃ決してないんだから、いい機会だととらえて両親が子供に真正面から向き合えばいいじゃない。

や、まず最初に両親が「死ぬこと」に対して真摯に向き合う必要はあるけどね。

2008-08-15

藤子・F・不二雄すごいなーと思った

帰省中。家にあった「ドラえもん」をなんとなく読んでたのですが。

大長編ドラえもん8 のび太と竜の騎士』。

のび太たちが,地底世界で生きのびていた恐竜末裔,地底人と会う話。

ロー(地底人の女性)とのび太たちが,地底の湖のほとりで話している。

地底世界には「日光ゴケ」がはえていて昼夜はあるけど,空もないし季節もない。

しずか

 「地上ではもう秋で 赤や黄色の枯葉が風にまってるころだけど。」

ロー

 「木の葉が赤や黄色になるの?」

のび太

 「えっ,地底には紅葉がないの。

  そりゃぜひみせてあげたいな 夕日にそまった紅葉の山の美しさを。」

スネ夫

 「そうそう そこに雨上がりの虹でもかかればもう最高!!」

ロー

 「雨? 虹?」

ジャイアン

 「なんだ雨もしらないの? 雨はね 雲の水滴が……,」

スネ夫

 「だめだよ,まず雲からせつめいしなくちゃ。

  雲ってのはね,地上の青い空にポッカリと……。」

のび太

 「夜になると月がでて,星が空一面にピカピカキラキラ。」

ロー

 「まるで夢の世界みたい…, いってみたいわ。」

(p.121-122)

ああ,ほんとうにそうだ。

思えばなんてメルヘンチックな世界にわれわれは生きているんだろう。

でもこんなこと,それこそ夢にも思ってなかった。

こういうふうにものを見られる人って,そういないよな。

さすが藤子・F・不二雄,というところだろうか。

ちなみにそのあとのスネ夫セリフ

 「いらっしゃい ぼくがガイドしてあげる。

  近くロールスロイスを買う予定だから…。」

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