はてなキーワード: マルクス経済学とは
https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20190104/1546561548
このコメントを書いた論者はなぜこんなにも経済に無知なのに、想像だけでこんなにも自信を持って経済を語れるのだろうか。まったく恐れを知らないとは恐ろしいことだ。
"ここ数年比較的景気が良かったのは,単に好調な世界経済の「おこぼれ」に日本経済も多少は与れたというだけのこと"
本当に飽き飽きとするのだが、外需の変動で国内経済の変動を説明しようとするのはマスコミによく登場する「俗流経済論者」の典型である。
国内経済の総供給よりも総需要が少ないとき、それが過剰在庫や失業という形で表れる。それを「景気が悪い」という。
たとえば外需が増えても、それ以上に内需が減少すれば景気は悪くなる
したがって時の政権が、外需の増加以上に内需を「減らさなかった」のなら、その経済運営は一定評価すべきことである。
たとえば外需が減ればその分内需を増やして「国全体の需給のバランス」をつり合わせるのが「正しい経済運営」である。
この手の論者はおそらく「世界経済は日本経済よりも遥かに大きいから、日本経済は世界経済に従属する」とでも思っているのだろう。
しかし、世界経済の取引のほとんどは日本経済と無関係であるというごく簡単な事実をわかっていない。
世界経済の中で、日本経済に関係あるのは、日本と外国の間の取引だけである。
"そして,世界経済がひとたび傾けば,日本経済は真っ先に奈落の底に突き落とされる運命にある。アジア通貨危機やリーマンショックの時と同じように。"
明確な根拠もなくいきなり日本経済の「運命」が名言されるとは驚くばかり。この経済予言者は自分の知能にずいぶんと自信があるようだ。是非論文を書いてノーベル経済学賞を取ってもらいたいものだ。
どうして経済については空想でものを決めつけることが許されるのだろうか。
"これだけグローバル化が進んだ世界経済に,日本経済もがっちりと組み込まれている以上,日本一国限定の経済政策で出来ることなど高が知れているし,世界経済の荒波に翻弄されるのは仕方のないこと。
今更グローバル化と訣別する訳にもゆくまい。「ソ連は大恐慌の影響を受けずに順調に経済成長した」とはよく言われるが,当時のソ連のような国になりたいと誰が思うだろうか。"
外需はコントロールしにくいが内需は政策的にある程度コントロールできる。
そして、金融政策の変更によって為替レートが変化すれば外需も変化する。
「グローバル化と決別」などと、相手が言ってもいないことを捏造しなければ、自説を正当化できないのか。
金融政策、財政政策を「適正」にして、国内経済の全需要と全供給のバランスを取れと言っているだけの話だ。
経済政策的「無作為」か、「グローバル化と決別」するかというのは「偽の二択」である。猛暑か極寒か選べというのに等しい。騙しのテクニックだ。
だいたいソ連を持ちだして論敵を貶めるのは冷戦時代の赤狩りのやり口ではないか。
"松尾匡など典型的で(マルクス経済学者だから当然だが),主著のタイトルが『不況は人災です!』だもの。"
この論者の無知が端的に表れている。
松尾がマルクス経済学者であるのはその通りだが、リフレ政策がケインズ経済学的政策であることは、経済学をある程度知っている人間であれば常識である。松尾が"不況は人災です"と言いだすのは松尾が"マルクス経済学者だから"などと言いだすのはこの論者が批判相手の主張さえ政策に理解していない証拠だ。 そもそもこの文章全体にケインズ経済学の「ケ」の字も出てこない。総需要管理政策を批判するなら「敵」はケインズ経済学だ。この文章を書いた人間は経済学を知っているのだろうか。だいたいこの論者はマルクス経済学をなんだと考えているのか。マルクス経済学は不況を人災とは言っていない。マルクス経済学では不況は「資本主義の矛盾」によるものであり、資本主義を続けている限り避けられないとされる、その点ではむしろこの論者に近い。上記の「ソ連」といい反共意識でお手軽に論敵を否定しようという安易さが見える。
"現実主義的な「リベラル」なら,『不況は天災,けれども「不況で人が死ぬ」のは人災です!』と唱えるべきだ。"
ろくに問題を学ばないで、ある政策が実行不可能であると決めつけるような知的に不誠実な人間が自称「現実主義的なリベラル」という人間なのだろう。ここだけはこの論者が全く正しいといえるだろう。
"経済無策と嘲笑された民主党政権下でも,金融円滑化法と地道な自殺対策が奏功して,高止まりしていた自殺者数を減少に転じさせた実績がある。
外的制約にがんじがらめで自由が利かない経済政策と違い,社会政策は国内政治の「やる気」次第で充分可能なはずだ。"
社会政策の問題は、経済政策の是非を論じているときに持ち出す話題ではない。
なおこのコメントはひどいものだが、それを理由にリフレが正しいとは言えない。もっと知的にも倫理的にも不誠実なリフレ派は沢山いる。リフレを賛成するにも反対するにも最低限の知識が要るというだけのことである。
◆延近充
◇レーニン『帝国主義論』(大月書店,文庫版):帝国主義段階の資本主義論の古典
◇北原勇『独占資本主義の理論』(有斐閣):独占資本主義段階の理論
◇同上『現代資本主義における所有と決定』(岩波書店):現代における資本家とは?
◇北原・伊藤・山田『現代資本主義をどう視るか』(青木書店):立場の異なる3人のディベート
◇井村喜代子『現代日本経済論』(有斐閣):本文で述べたような戦後日本経済の構造と性格
◇平子友長『社会主義と現代世界』(青木書店):現代社会主義の問題点
◇重田澄男『社会主義システムの挫折』(大月書店):ソ連・東欧の崩壊の意味
◇延近 充『薄氷の帝国 アメリカ― 戦後資本主義世界体制とその危機の構造』(御茶の水書房,2012年):アメリカ主導の戦後資本主義体制の特徴とその変質,世界経済の不安定性との関係
◇延近 充『対テロ戦争の政治経済学』(明石書店,2018年):2001年9.11同時多発テロをきっかけとして始まった対テロ戦争は現在も続いている。この戦争はなぜ終わらないのか?そして日本はどのように対応すべきなのか?国際政治・軍事・経済を総合した政治経済学の視角から分析する。
◆斎藤幸平
◇ポール・メイソン『ポストキャピタリズム―資本主義以後の世界』
◇ナオミ・クライン『これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動』
◇アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『“帝国”―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』
◆佐々木隆治
◇大谷禎之介
◇渋谷正
◆隅田聡一郎
同上『資本主義はどう終わるのか』
1. 紐理論は行き詰まっていたと言えるのか?公理論的場の理論の方が説得力があるということで旗色が悪かったというのは分かったが死に絶えたわけではなく、完全に行き詰まっていたわけでもないからこそ復活の余地があったのではないか?
2. 行き詰まっていて、研究者が絶滅したとしてもそれはそれでいいのではないか?自然現象の解釈に紐理論の方が適しているなら、公理論的場の理論が複雑になることで行き詰まり、紐理論がいずれ「再発見」される。それならそれでいいのではないか。
俺がゴミと呼んだ人文系の学問には例えばマルクス経済学がある。あんなものを学問としては認めてはいけないのは善良な市民なら常識だろう。が、仮に学問として認めたとしても行き詰まっていたのは事実を虚心坦懐に観察すれば明らかであったはずなのに結局ソビエト連邦の崩壊まで、それを学者達は「西側のプロパガンダ」などとし認めようとしなかった。その後も日本共産党などは「ソ連のは『真の』社会主義ではなかった」などと見苦しい言い訳を重ねていた。
マルクス主義は、観念哲学や宗教に対して唯物論哲学を掲げて対抗したように
既存の経済学や歴史学に「観念論的な社会科学」というレッテルをはり、
それに対してマルクス経済学・歴史学のみを「唯物史観」=「真に科学的な社会科学」と位置付けて対抗したんだよ。
唯物史観の特徴は、自然界に物理法則が存在するのと同じく、人間社会の歴史にも法則があると主張することで、
その法則の中心は、人間社会は奴隷制へ、封建制へ、資本主義へと変容して最終的には共産主義へと至る、というもの。
という部分なんかは、まさにこういうマルクス主義の特徴があらわれてるね。
そんなの当たり前じゃん。「何でもこれをやれば解決する」なんてありはしないんだもん。
1-3.プロマネ・プログラミング・金融などの能力を身につけろ
これらは一見正しいように見えます。
しかしながら、これらには重大な嘘が隠されているのです。
これ、
とかそんな風に書き直せば一昔前の全共闘世代が言ってたことと同じだよね。要するに、「ここではないどこか(いつか)」にユートピアがあり、そこに行きつきさえすれば全てが解決するという思想。そんなのが子供のたわごとであることは連合赤軍とかオウムが十分証明してるよね。
問題は、言っている本人がこういう類のアジテーションを半ば本気で信じている節が見受けられるところだけれど、まあそれはいわゆる「進歩的知識人」と同じ精神性ですよ。「愚民共は○○という一番重要なことがわかっておらん、だから問答無用でダメなんだ!」(○○には英語でも金融でもプログラミングでもあるいはマルクス経済学でも好きなものを入れるといい)とか思ってる人はだいたい自分が「愚民」なわけで。大抵の場合その人たちはその肝心な「○○」についても半可通だったりするしね。実際、何であってもその道のことをそれなりにわかっている人なら、それで全てが解決するなんていう思い上がりはとっくに克服してるもんだしね。
まあ、団塊の世代の高校の社会の教師とかに一人か二人はいたパターンですよ。そう思えばもうだいたいどう対処すればいいかはわかるでしょ。敬して遠ざける、これですよ。
搾取とは、一般的に、
階級社会において、生産手段の所有者が生産手段をもたない直接生産者から、その労働の成果を無償で取得すること。資本主義社会では、資本家が労働者から剰余価値を取得する形で表れる。マルクス経済学の基本概念の一つ。
という意味で使われます。ですから、バイト時間の削減は、搾取になりません。求める労働の成果(勤務時間)も、賃金(時給*勤務時間)も削減しているからです。求める労働の成果が変わらず、賃金だけ減少するなら、搾取といえるかもしれません。
あなたが提示している例だと、あなたを含めた社員が自ら進んで搾取されたと考えるのが自然だと思います。賃金がかわらないまま、バイトの方がしていた仕事をしなくてはならないからです。社員に求める労働の成果が増加したのに、賃金が変わらないからです。
だから、「数理経済学だからゲーム理論家じゃない」って思ってるお前が馬鹿ってことでしょ。
あと、無税国家になるって経路かインフレが実現されるかってので、筋書き違うだろ。原文って所詮は啓蒙書だかpolicy paperだかの文章しか読まずに、元々のモデルを見ずに言うなよ。馬鹿が。っつうか、プロの経済学者なんて、たとえばDixit=Stiglitzモデルの展開とかするときに、元のやつなんてゴミクズなセクションもあるから精読なんかしないけど、でも引用するなんてざら。つまり、大事なのはモデルの構造だけで、文献精読なんて、マルクス経済学者みたいなことはしないんだよ。
for-allで「必ず」ってのは入ってるじゃねえか。一意はよけいだけど、まあ背反はしない。(for allならたくさんあって、そのなかの全て、uniqueなら、ひとつしかなくて、そのなかの全て。)てめえこそ、論理構造をもう一回見て来い。全てと必ずが違うって馬鹿なことを言うのなら、もう一回もとの命題を厳密に言い表して来い。リフレ派らしく教科書読みたいんだったら、野矢茂樹『論理学』とか楽しいんだから。