はてなキーワード: 高等学校とは
柴岡三千夫は子供に対する教育に大変熱心であり、日本幼少年体育協会、タイケン学園など様々な教育機関を設立している。
特に幼少年向けの体育に力を入れており、幼児体育指導者を育成し幼児体育指導者検定(幼体検)の認定事業を行っている。
これは、6回完結の週1日・短期集中の体操教室です。2歳~の未修園児~年長の子ども対象に行う教室です。
カンガルークラブとは、地域の皆様に体操の楽しさや面白さを感じてもらうことを目的としています。
連日、受付日で定員いっぱいになり、キャンセル待ちになってしまうのですが、例年人気のあるものの1つです。
親御様にも参加してもらいます。といっても協力してもらう形になります。
どうしても、全国とか幼稚園とか保育園対象の大人向けの内容が多いのですが、
子ども対象のスポーツ学校やこのような教室を行うことで、親御様と子どものコミュニケーションをとり、
これを機会に身体を動かしてくれればと思います。
幼児体育指導者とは、幼児期の子どもたちに体育の面白さや素晴らしさ、からだを動かすことの楽しさを伝える指導者です。
ところが、幼稚園や保育園での保育活動において「運動あそび」の指導者となると、専門性に欠けることが多いのが実情です。
子どもたちと直に触れ合い、会話を交わしながらそれぞれの子どもにあった指導プログラムを組み立てるのが幼児体育指導者の役割です。
そして、この教育活動は「日曜日開校」の特色を活かして個別対応を主体とした手厚い指導体制の中、
個々の生徒の資質と能力を十分に高め、現場で強い人材として幼児体育社会に貢献できる事を目標とします。
皆さん幼児・児童にかける体育・スポーツ指導の夢と希望をこの学校へ託してください。
あなたが社会人としてその置かれた地域社会で十分に活動できるよう、私たちは応援します。
◆学校タイケン学園グループ ウェルネス保育園 朝霞市・新座市・志木
全国に多数の専門学校や高等学校がある「学校法人タイケン学園」グループだから、
各校と協力し幼児体育や歯科衛生指導、動物とのふれあいなど様々な体験をとおして、
http://www.taiken.ac.jp/hoiku/index.html
■柴岡三千夫プロフィール
専門は幼児体育指導論。著書に『幼児の心理と水泳指導』(日本文化科学社)、『幼児体育指導教範』(タイケン)など多数がある。
■柴岡三千夫 関連サイト
理事長 柴岡三千夫
http://www.taiken.ac.jp/about.html
■柴岡三千夫 ブログ
http://blog.goo.ne.jp/youtai_2011/
http://d.hatena.ne.jp/youtai_2011/
■著作・監修の書籍について
『幼児体育指導教範』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4924769347.html
『はしってのびてあそぼう』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4924769096.html
『とんでくぐってあそぼう』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4924769088.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4924769029.html
『幼児体育指導教範』
運命の背中 | |
英題 | The Back of Destiny |
監督 | 出山知樹 |
出演者 | 出先拓也 大林舞 伊原武文 竹元恵美子 他 |
美術 | 恩田敏夫 |
音楽 | 新垣隆 |
製作 | 出山ひさ子 |
上映時間 | 40分 |
製作年 | 2009年 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
予告編 | |
ハッシュタグ | #unmeinosenaka #back_of_destiny |
運命の背中 ― The Back of Destiny ― |
snip)「見るに当たって参考文献などあれば」…とご質問いただきましたが、監督としては出来れば頭をまっさらにして見ていただきたいそうです。決して難しい内容ではないので肩の力を抜いてご覧ください。
http://twitter.com/unmeinosenaka/status/69409574981087232 (2011/5/14 23:31)
うんめいのせなか unmeinosenaka the back of destiny 上映会 試写会 映画 出山知樹 NHK アナウンサー でーやん #nhk_deyama
lastupdate20171107203700
個人的には各種外国人学校および私立の高等学校に対する無償化措置もおかしいと思ってるから北朝鮮の学校もいれなくたっていいんじゃね。とも思ってる。
あと洗脳教育って何?http://anond.hatelabo.jp/20101129121756も答えてくれてるけど、日本の学校だと考え方に自由はあるでしょ。
ある程度の考え方(キリスト教とか仏教とか倫理的なもの)は子供の教育効果を増強するためにあってもいいと思うけど、北朝鮮の学校教育って「将軍様が何をやっても偉いんです!」とか、教室には毛沢東よろしく金親子飾ってるっていう感じの稚拙というか強迫的教育課程が義務づけられている様にしか報道されてないし、中にいる人はそれ以外の思想を口に出来るの自由あるの?金日成馬鹿にしたらおこられるんじゃないの?別に仏教系の学校やキリスト教の学校で親鸞やヨハネを馬鹿にしたって怒られないし、ぶっちゃけ仏教徒でもキリスト教徒でなくてもOKだし。まあそれらを象徴するものに落書きしたり破損させたらそれはどこだって怒られるだろうけど。
その上で北朝鮮の連中は21世紀になった今でも「俺等の無差別攻撃正しいんだぜなんてたって被害者軍関係者☆だぜ」 っていうのを言い出すんだぜ。北朝鮮方式の教育を受けて、その中で思想を鍛錬して、ブラッシュアップを重ねて、国の難関をくぐり抜けて政府代表者になった人が全世界に向けてそういう事を言い出しちゃう。「反人間的な対応」をする教育=北朝鮮独自の民族教育だと思われているわけ。日本にある朝鮮学校の皆様は自分の所では民族学校だけど、そういう教育はしてないと立証しない限りアウトじゃね?
韓国学校はそういう変な思想(金日成将軍様万歳!的)教育は無さそうなので、民族教育ならそっちでもいいじゃないかと思う。ダメなの?
日本はこういう所に入ったら転校したりって逃げられるんだよ。
朝鮮学校もやたら金親子万歳的な所と、出来るだけその土地の社会と調和をはかりましょうという所と分かれてて教育方針違うなって思ったら逃げれるの??そんなこと無いんじゃないの?寧ろ興味あるな。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/kekka/k_detail/1296403.htm
高等学校等への進学率 98.0%
専修学校高等課程への進学率 0.2%
就職率 0.4%
0.いくつっていうのは多分中卒就職率だな
たかがコピペ相手にそこまで憤慨している増田が怖すぎる。 思い込みが激しすぎるというか、独善的というか。 リアルでこんな人と関わりあいたくねえええええ. Permalink | トラックバック(0) | 23:34 はてなブックマーク このエントリーのブックマーク ...
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増田俊樹
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"「かたわ少女」Act1V3プレイしました - ミッション! アクション! パッション!"について。
(略)障害者が通う学校なのに「高等学校」です。特別支援学校ではなく。「高等学校」を名乗るからには、高等学校設置基準に基づいて設置され、高等学校学習指導要領に基づいて教育活動が行われなければなりません。
確かに「今現在の」「日本の」学校制度ではそうなんでしょうね。しかしゲーム作成者の国ではどうなんでしょう。私は知りませんが、むこうでもそんなに名称レベルできっちり区別されているんでしょうか。それによっては評価も少し変わるように思います。
無論、設定国の忠実な再現という意味では「今現在の」「日本の」再現も重要なんですが、個人的には障害者が通う「高等学校」が物語の世界にあってもそれはそれでいいような気はします。それは世界設定の問題なので。
また、様々な障害のある子供が同じ学校で生活しているというのも不思議です。それぞれの障害特性に応じて環境づくりをしないと教育効果が上がらないので、特別支援学校は、障害種別ごとに学校が作られています。
特別支援学校でない学校の話で、特別支援学校は…と話をしてもあまり意味はないような気がします。「それぞれの障害特性に応じて環境づくり」が特別支援学校以外の方法では無理だ、というのであれば仕方ないですが、生徒が学べるぶんの環境が何がしかの方法で整えられるのであれば、別にさまざまな障害者が同じ学校で生活してもいいのでは。どうしても分別したいのであれば別ですけど。
ゲームをやっていないので具体的にどう階段を登ったのかはわからないのですが、簡単にできるかどうかは人によったりはしないんでしょうか。障害者もいろいろでしょうし。http://www.youtube.com/watch?v=LJP5xat-XNAなどを見ると、それなりには登りうるようですけれど。
全員の生徒が盲人ならそれでもいいのでしょうね。でも別段必須の設備とも思えません。携帯のメールじゃまずいのでしょうか。特に今回のような複数種の障害者が生活する状況なら、私であればいちいちのディスプレイ設置ではなしにメールを使いますが。
手塚琳がトイレに行かなければならないというシーンでは、介助を主人公に任せるわけに行かないので断り、誰かを探す、ということをしています。特別支援学校ではこのような介助は教員がやります。もし、誰も介助者を見つけられなければ、琳はどうするのでしょうか。
特別支援学校では、教員は障害者に張り付いているんでしょうか。張り付いていないのであれば、「教員を見つけられない場合」はどうするんでしょう。性別さえ問題でないなら生徒が介助可能、という世界で、介助を教員がやるかどうかはあまり重要に思えません。気にするところってそこなんでしょうか。
この作品を作った方は、特別支援教育や障害者についての取材をあまりされなかったようですね。このことのひとつの現れとして、「障害を持つ」という表現があります。作中では「持つ」と書かれています(日本語版)が、障害者は自らの意志で障害を「持っている」わけではないので、「障害がある」という言い方をするのが(特別支援教育の業界では)一般的です。
「一般的」でないとそんなにまずいのでしょうか。意思なき状況に「持つ」を使うのがそんなにまずいのでしょうか。重箱の隅つつきにしか思えません。私は腰が悪いのですが、自分を「腰痛持ち」ということになんらの抵抗もありません。もちろん、腰痛を自らの意思で「持っている」わけではないですけど。気にするところってそこなんでしょうか。
砂糖(※ママ)リリーが校内で白杖を使っていますが、通常、校内の移動で白杖は使いません。どこに何があるか覚えているからです。逆に言うと、視覚障害特別支援学校では、普段物がないところに物を置くというようなことは絶対にしません。
「通常」…。さっきの「一般的」もそうですが、なんだか普通でない状況の存在を認めないような口ぶりだなあ、と思うのは私だけでしょうか。どうなんでしょう?
というか、「普段物がないところに物を置くというようなことは」ありえない、絶対に―というのであれば別ですけど、「もしあったらとても困る」と仮に考えるのであれば白杖を持つしかないのだから、白杖を持つ生徒がいてもいいと思うんですけど。それに全員の生徒が盲人ならいざ知らず、そうでない場合他人に「自分が盲人であること」がわかり易いほうがはるかに便利であるように思います。ではどうするか? 私なら白杖を持つ、のですが。
羽加道静音は手話以外は全く理解できないようですが、実際の聴覚障害者は、ある程度の口話(口の動きを読み取ること)ができます。
これは「普通は」という括弧書きなしの話なんでしょうか。口話は相当に難しいようですし、人によっては事実上できない人もいるように思いますけど。できなかったら「実際の聴覚障害者」ではなくなってしまうのでしょうか。
この作品には、今のところ知的障害者は登場しません。この作品を作るきっかけとなった1枚のイラストに知的障害者が登場しなかったからでしょうが、どうせなら、すべての障害種別を対象にしてほしいところです。
「すべて」を要求する意味がわかりません。それこそが作品のテーマである、とかの場合を別とすれば、ある作品が全パターンを網羅することは必要でも何でもありません。「この作品にはいろいろな国の人間が出てくるのだから、どうせならあらゆる国の人間を出してくれ」といっても仕方ないのと同じです。
エントリ主さまは障害者やその環境についてとてもお詳しいようです。が、「どうせなら、」そのありあまる知識を(今更ではなく)プロジェクトが動き出した2007年、日本で話題になった2008年ごろに作成者側に語ってもらいたかったところです。彼らは閉じた存在ではなかったのですから。
いえ、過去を振り返ってもしょうがない。「どうせなら、」障害者の物語を語ってみてはどうでしょうか。障害者をよく知らない者が語るより、よく知る者が語るほうがずっとよいはずです。どうですか。
党派性に囚われた一例ともいえるかと。
http://otakurevolution.blog17.fc2.com/blog-entry-912.html
http://megalodon.jp/2010-0507-2338-16/society6.2ch.net/test/read.cgi/giin/1273229081/29-33
で、公明党が暗躍しているというので、その根拠らしきものをまとめてみた。
「東京都私立中学高等学校父母の会中央連合会」という団体が、都の青少年健全育成条例案に賛成する趣旨の署名を集めてる。
↓
「東京都私立中学高等学校父母の会中央連合会」と公明都議が「つるんでる」。
根拠)http://www.t-tanimura.net/index.php?u=diary/20080112_2348.htm
↓
政党が有る団体から陳情を受けたり、儀礼的付き合いをしているだけで、その団体とつるんでいることになるんか?
世の中ってのは君にとってはバカなものかもしれないね。
まず、カテゴライズしよう。
中学校(×1)
高等学校(×2)
大学、(×3)
大学院(×4)
このうち、「(お)受験が存在する」ものは、偏差値を基準にして適当に置き換える。
例えば、偏差値50~54程度なら「1点」とかね。
ただし、義務教育課程は中卒が最低ランクなので、それ未満の経歴や出身は考慮しない(たとえば慶應幼稚舎にいたとしてもプラスにはしない)つまり、小学校までは誰でも平等。
で、最終学歴によってその偏差値から置き換えた数値にかけ算して加える。掛ける数は上に書いてある通り
偏差値50の私立中学、私立高を経て、偏差値45~49程度の大卒になった人なら、
1*1+2*1+3*0=2
となる。偏差値49程度は実質の学力は高卒程度あるかどうかも疑わしいので、この数値は妥当である。
大学院の場合、×4だが、日本ではこの年齢はもはや価値がないのでどこにいこうと0点である。
高校からは広く偏差値でモノを測れるため、偏差値を基準に全てを計算する。
また、浪人、留年すると1年ごとに最終的な数値の合計を半分にする。計4年ならもとの1/16になる。中退は年齢のマイナス分のみ考慮する。
まだ粗いが簡単だ。
GPAも含めればより精密性が上がるだろう
非世界史履修者ってなんだ。高等学校世界史未履修者のことかな。
つーかここに挙げられてるのは中3までに習う知識だと思うんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20100221123714の続き。これは一大事です!!
id:tameniikiru(http://k.hatena.ne.jp/tameniikiru/)に続き、id:ucnowが同様のキーワード編集を行っています。両者とも統一協会関係者です。
http://d.hatena.ne.jp/ucnow/ (統一教会記録帳:ロビーの教会ウオッチ)
以下、本部公式サイトの「統一教会が目指すもの」より引用。 ……………………………………………………………………… 統一教会は「神様の真の愛を相続しよう」をテーマに、「ために生きる」 人格の育成と祝福結婚による理想家庭の実現に取り組んでいます。 また、そのような理想家庭を世界中に拡げることを通して、人種・民族・ 文化・国家の壁を超えた人類一家族世界を目指しています。 ………………………………………………………………………
+一般的には「統一教」の名で知られる。 -[[合同結婚式]]及び[[霊感商法]]を行なっていることなどについて「カルト」として社会的批判の的になっており、裁判で敗訴してもいる。 +世界統一運動は、東西冷戦終焉への貢献、対立する宗教・宗派の和解、次世代リーダーの育成、 +開発途上国への支援活動、日韓トンネル・国際ハイウエー構想などで、世界の有識者から +評価を受けている反面、 +[[合同結婚式]]及び[[霊感商法]]を行なっていることなどについて、一部で「カルト」という見方もある。 -「世界基督教統一神霊協会」という正式名は多くの教派に分かれた基督教を一つに統一するという意味がこめられているが、[[モルモン教]]、[[エホバの証人]]と並んで統一教会はバチカンの法王庁によってキリスト教系三大[[異端]]とされている。 +「世界基督教統一神霊協会」という正式名は多くの教派に分かれた基督教を一つに統一するという意味がこめられているが、 +現在は「統一教」を呼称として、キリスト教のみならず、仏教やイスラム教、諸宗教の平和統一を目指している。 - 教義としては、三位一体説・イエスによる救済を否定し、教祖・[[文鮮明]]が再臨の[[キリスト]]([[メシア]])と主張している。また、対外的には旧約・新約聖書を経典としているが、”教理解説書”とされる『原理講論』が実質的には経典のように扱われてきた。2001年からは文鮮明の説教集を集めた『天聖経』が新しい聖書として意義づけられた。 +教義としては、三位一体説・イエスによる救済は一部否定し(イエスは十字架上で殺されるためにこられたのではなく、本来は、神の創造理想である家庭理想と恒久平和を実現するためにこられたと主張)、教祖・[[文鮮明]]がイエスから使命を引き継ぎ、[[キリスト]]([[メシア]])として、家庭理想と恒久平和実現に尽力している、と主張している。また、対外的には旧約・新約聖書を経典としているが、”教理解説書”とされる『原理講論』が実質的には経典のように扱われてきた。原理講論に収録されている、統一原理には「神様が本来願われた理想世界」「なぜ戦争や犯罪、不幸がなくならいのか」「本質的な課題を解決し、平和理想を実現する方法」等が収録されているという。 -多数の関連団体・企業が存在し、霊感商法などに利用されていると指摘されている。
# URL:世界基督教統一神霊協会(統一教会)公式ホームページ http://www.ucjp.org/ # URL:世界基督教統一神霊協会(統一教会)YouTube公式チャンネル http://www.youtube.com/user/UCJAPANch # URL:日本統一教会公式モバイルサイト http://m.ucjp.org/ # URL:統一教会紹介ビデオ 「神様の真の愛を相続しよう」 http://www.youtube.com/watch?v=HfzqfHWuEr4 # URL:統一教会 情報リンク集! http://uc8.info/ # URL:統一教会 最新ニュース情報局! http://d.hatena.ne.jp/tameniikiru/ # URL:統一教会 足立教会 http://www.uc-adachi.com/ # URL:統一教会 杉並教会 http://www.suginami-ch.org/http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149520 時点のURL
-自らを聖書に預言された「再臨のキリスト(メシア)」と主張している。 -全人類の親の立場にあるという意味から「真の父母」と称している。 -朝鮮が日本に併合されていた1920年に、平安北道の定州(現在は北朝鮮領)の閑村に住む農家の次男として生まれる。 -日本に留学し、早稲田高等学校電気学科で学んだ。この頃、朝鮮の日本からの独立を目指す抗日の地下活動を行い、特高警察からもマークされていたという。 -本名は文龍明(ムン・ヨンミョン)だが、20代で宗教活動を初めてから、鮮明と名乗るようになる。(龍は聖書で悪魔のシンボルとされているので、それを嫌ってどちらもキリストのシンボルである魚と羊を含む「鮮」の文字を用いるようになったのではないかと言われる。) + 1920年1月6日(陰暦)、韓半島の平安北道定州郡に文慶裕氏と金慶継夫人の次男として生まれ、熱心なクリスチャンとして育つ。1935年4月17日の朝、イエス・キリストの霊が現れ、神のみ旨を完成しなければならない使命があるという啓示を受ける。 - 今日まで韓国、日本、アメリカにおいて6度投獄された経験を持つ。戦前の韓国で教祖が女性信者と性的な関係をもって罪を清める”血分け”を行う「混淫派」、「霊体交換派」等の影響を受けて、自らも「血分け」を行ってきたという昔からの根強い噂があるが、教団は一切そのような事実はないと全面否定している。 -朝鮮戦争が終わって間もない1954年に「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)を韓国で設立した。 + 1954年5月1日、ソウルに「世界基督教統一神霊協会」を創立。1960年4月11日(陰暦3月16日)には、韓鶴子女史と聖婚式を挙行された。 1968年には世界を共産主義の脅威から守るために「国際勝共連合」を創設。その後も「世界平和教授アカデミー」(73年)、「世界平和宗教連合」(91 年)、「世界平和連合」(91年)、「世界平和家庭連合」(96年)などの国際平和機関を次々に創設し、各分野において世界的な貢献をされる。言論界においても、1978年から毎年「世界言論人会議」を主催されるとともに、米国で「ワシントン・タイムズ」(82年)や韓国で「世界日報」(89年)を発刊。 + 1990年4月にモスクワで開催された「第11回世界言論人会議」では、クレムリンでゴルバチョフ大統領と会談。91年12月6日には電撃的に北朝鮮を訪問され金日成主席と歴史的な会談をした。 -1970年代にはアメリカに進出し、大規模な大会を行ったり、政界を初め各界への浸透を図った。 -1984年には脱税の罪で1年6か月の懲役刑を受けた。 -このことにより、1年以上の懲役あるいは禁固刑を受けた外国人は入国できないとした入国管理法の規定により、日本への入国ができなくなっている。 -1990年代半ばからは長男の元嫁や実の娘により、マスメデイア等で本人や息子の男女関係等のスキャンダルが告発された。 + 92年8月に挙行された「世界文化体育大典」では、国際会議に参加するため世界から集まってきた学者や文化人を前に「メシヤ宣布」を行い、自らが再臨主であることを公に宣言された。 -2006年からは韓国に戻り、信者の献金で建てた王宮に住み、息子たちによる後継者体制を整えつつある。 -2008年、搭乗したヘリコプターの事故で負傷。 + 2009年3月、自叙伝『平和を愛する世界人として』を韓国で刊行し、ベストセラーに。 +日本、アメリカでも翻訳され話題を呼んでいる。
またもν速大勝利、スネークが小沢マンションの中国人女子留学生入れ替わり制を突き止める。朱朱季季
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1263475685/651
651 : 硯(西日本):2010/01/15(金) 05:59:20.52 ID:bUC2ikHi
295:名無しさん:2010/01/11(月) 08:54:02
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%AB
来歴・人物 [編集]
鹿児島県生まれ。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校を経て、1955年鹿児島大学工学部を卒業、がいしメーカーの
松風(しょうふう)工業を経て、1959年、社員8人で京都セラミツク(現・京セラ)を設立し、10年後、株式上場。
ファインセラミックスの技術で世界的な企業に成長させた。1984年には第二電電(DDI、現・KDDI)を設立した。
グループ全体で売上高が1兆2000億円と成長を遂げた。1984年、財団法人稲盛財団を設立し、京都賞を
創設した。また、若手経営者向けの経営塾「盛和塾」を非営利にて主宰し、若手経営者の育成も行っている。
独特な経営管理手法「アメーバ経営」が有名である。1997年には臨済宗妙心寺派円福寺で得度を受けた。
また民主党幹事長小沢一郎と旧知の仲であり、大企業の実業家ながらも熱心な民主党支持者として
知られている。とりわけ京都市を地盤とする前原誠司の有力な後援者である。小沢一郎が2008年9月21日に
民主党代表として再選された際には来賓として挨拶も行っている。 2005年、立命館小学校こども顧
問委員に就任。母校の鹿児島大学に寄附し、稲盛会館を寄贈した他、稲盛アカデミーへの援助を行なうなど、
朝子夫人は、「韓国農業の父」として知られる禹長春の四女である。 実弟の稲盛実氏は、鹿児島県で
永住権者に対する地方参政権の付与に関する議論の参考になればと。
法務省より
http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan50.htmlなど。
永住許可に関するガイドライン
1 法律上の要件
(1)素行が善良であること
法律を遵守し日常生活においても住民として社会的に非難されることのない生活を営んでいること
日常生活において公共の負担にならず,その有する資産又は技能等から見て将来において安定した生活が見込まれること
ア 原則として引き続き10年以上本邦に在留していること。ただし,この期間のうち,就労資格又は居住資格をもって引き続き5年以上在留していることを要する。
イ 罰金刑や懲役刑などを受けていないこと。納税義務等公的義務を履行していること。
ウ 現に有している在留資格について,出入国管理及び難民認定法施行規則別表第2に規定されている最長の在留期間をもって在留していること。
※ ただし,日本人,永住者又は特別永住者の配偶者又は子である場合には,(1)及び(2)に適合することを要しない。また,難民の認定を受けている者の場合には(2)に適合することを要しない。
2 原則10年在留に関する特例
(1)日本人,永住者及び特別永住者の配偶者の場合,実態を伴った婚姻生活が3年以上継続し,かつ,引き続き1年以上本邦に在留していること。その実子等の場合は1年以上本邦に継続して在留していること
(2)「定住者」の在留資格で5年以上継続して本邦に在留していること
(3)難民の認定を受けた者の場合,認定後5年以上継続して本邦に在留していること
(4)外交,社会,経済,文化等の分野において我が国への貢献があると認められる者で,5年以上本邦に在留していること。
「我が国への貢献」に関するガイドライン
次のいずれかに該当し,かつ,5年以上日本において社会生活上問題を生ぜしめることなく滞在してきたこと。
1 各分野に共通
○ 国際機関若しくは外国政府又はこれらに準ずる機関から,国際社会において権威あるものとして評価されている賞を受けた者
例:ノーベル賞,フィールズ賞,プリッカー賞,レジオンドヌール勲章
○ 日本政府から次のような賞を受けた者
国民栄誉賞,勲章,文化勲章又は褒章(紺綬褒章及び遺族追賞を除く,)日本国際賞
○ 日本政府又は地方自治体から委員等として任命,委嘱等されて公共の利益を目的とする活動を概ね3年以上行った者
○ 医療,教育その他の職業活動を通じて,日本社会又は地域社会の維持,発展に多大な貢献のあった者
2 外交分野
○ 外交使節団又は領事機関の構成員として我が国で勤務し,日本とその者の派遣国との友好又は文化交流の増進に功績があった者
○ 日本の加盟する国際機関の事務局長,事務局次長またはこれらと同等以上の役職として勤務した経歴を有する者
○ 日本の上場企業又はこれと同程度の規模を有する日本国内の企業の経営に概ね3年以上従事している者又はかつてこれらの企業の経営に概ね3年以上従事したことがある者で,その間の活動により我が国の経済又は産業の発展に貢献のあった者
○ 日本の上場企業又はこれと同程度の規模を有する日本国内の企業の管理職又はこれに準ずる職務に概ね5年以上従事している者で,その間の活動により我が国の経済又は産業の発展に貢献のあった者
○ 我が国の産業の発展に貢献し,全国規模の選抜の結果として賞を受けた者
例:グッドデザイン賞(財団法人日本産業デザイン振興会主催)の大賞又は特別賞
○ 先端技術者,高度技術者等としての活動により,我が国の農林水産業,工業,商業その他の産業の発展に多大な貢献があった者
○ 文学,美術,映画,音楽,演劇,演芸その他の文化・芸術分野における権威あるものとして一般的評価を受けている賞を受けた者
例:ベネチア・ビエンナーレ金獅子賞,高松宮殿下記念世界文化賞,アカデミー賞各賞,カンヌ映画祭各賞,ベネチア映画祭各賞,ベルリン映画祭各賞
○ 文学,美術,映画,音楽,演劇,演芸その他の文化・芸術分野で指導者又は指導的地位にある者として,概ね3年以上日本で活動し,日本の文化の向上に貢献のあった者
5 教育分野
○ 学校教育法に定める日本の大学又はこれに準ずる機関の常勤又はこれと同等の勤務の実体を有する教授,助教授又は講師として,日本で概ね3年以上教育活動に従事している者又はかつて日本で概ね3年以上これらの職務に従事したことのある者で,日本の高等教育の水準の向上に貢献のあった者
6 研究分野
○ 研究活動により顕著な成果を挙げたと認められる次の者
① 研究活動の成果としての論文等が学術雑誌等に掲載され,その論文が他の研究者の論文等に複数引用されている者
② 公平な審査過程を経て掲載が決定される学術雑誌等へ研究活動の成果としての論文等が複数掲載されたことがある者
③ 権威ある学術雑誌等に研究活動の成果としての論文等が多数掲載されている者
④ 権威あるものとして一般的に評価されている学会において,高い評価を受けて講演等をしたことがある者
7 スポーツの分野
○ オリンピック大会,世界選手権等の世界規模で行われる著名なスポーツ競技会その他の大会の上位入賞者又はその監督,指導者等としてその入賞に多大な貢献があった者で,日本における当該スポーツ等の指導又は振興に係る活動を行っている者
○ 国際的規模で開催されるスポーツ競技会その他の大会の上位入賞者又はその監督,指導者等としてその入賞に多大な貢献があった者で,概ね3年以上日本においてスポーツ等の指導又は振興に係る活動を行っている者
○ 我が国におけるスポーツ等の振興に多大な貢献のあった者
8 その他の分野
○ 社会・福祉分野において,日本社会の発展に貢献し,全国規模の選抜の結果として賞を受けた者
例:ワンモアライフ勤労者ボランティア賞,社会貢献者表彰の各賞
○ 日本における公益的活動を通じて,我が国の社会,福祉に多大な貢献のあった者
我が国への貢献による永住許可・不許可事例(平成18年1月1日現在)
○永住許可事例
(事例1)
科学技術研究者として活動し,科学技術誌に研究論文数十本を発表した実績が我が国の科学技術向上への貢献があったものと認められた(在留歴9年5月)。
(事例2)
我が国のアマチュアスポーツ選手として活躍し,その間にW杯への出場やスポーツ指導者として我が国のスポーツの振興に貢献があったものと認められた(在留歴7年7月)。
(事例3)
音楽分野の大学教授として我が国の高等教育活動に従事し,その間,無償でアマチュア演奏家を指導するなど我が国の教育や文化の振興に貢献があったものと認められた(在留歴5年10月)。
(事例4)
日本文学研究者として勲3等旭日中綬章授賞のほか各賞を受賞し,文学の分野での貢献があったものと認められた(通算在留歴9年,入国後3月)。
(事例5)
長期間にわたり我が国の大学教授として勤務し,高等教育に貢献が認められた(在留歴7年)。
(事例6)
大学助教授として我が国の高等教育活動に従事し,その間,科学技術研究者としての成果も顕著であり,多数の科学技術誌への研究論文の掲載の他,各種学会,研究グループの指導等を行い,我が国の産業,教育等の分野に貢献があると認められた(通算在留歴9年5月,入国後7年11月)。
(事例7)
システム開発等の中心的役割を担う立場として顕著な実績を挙げており,その実績は高く評価されていることから,我が国の情報技術産業に貢献が認められた(通算在留歴10年9月,入国後6年)。
(事例8)
長期間にわたり在日外交官として勤務し,国際関係分野において貢献が認められた(通算在留歴6年3月)。
(事例9)
本邦での研究の結果,多数の学術誌に掲載し,国際会議での招待講演を要請される等,その分野において国際的に認められている他,国内の企業・研究所との共同研究に携わっており,我が国の学術・技術分野に貢献が認められた(在留歴7年9月)。
(事例10)
我が国の大学助手として4年以上勤務しており,高等教育活動に従事しているほか,派遣研究員として第三国で研究活動を行う等,研究面においても一定の評価があることから,我が国の学術分野において貢献が認められた(在留歴7年3月)。
(事例11)
我が国の大学の常勤講師として3年以上勤務しており,我が国の高等教育(外国語)の水準の向上に貢献が認められた(通算在留歴8年1月)。
(事例12)
我が国の大学助教授として5年以上勤務しており,高等教育(外国語)の水準の向上に寄与しているほか,大学入試センター試験等各種教育活動に参画していることなどから,我が国の教育分野において貢献が認められた(在留歴7年2月)。
(事例13)
我が国の大学助教授として3年弱勤務しており,我が国の高等教育(情報技術)の水準の向上に貢献が認められた(通算在留歴17年4月,入国後4年11月)。
(事例14)
我が国の大学の助教授及び教授として5年以上勤務しており,我が国の高等教育(国際法)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴5年6月)。
(事例15)
我が国の大学助手として3年以上勤務し物理学の研究指導等をおこなっているほか,基礎物理学の研究を行いその成果は学術雑誌に多数掲載されている等,我が国の学術分野において貢献が認められた(在留歴11年2月)。
(事例16)
我が国の大学教授として3年以上勤務しており,我が国の高等教育(国際政治学)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴13年7月)。
(事例17)
入国以後,我が国の大学で約9年にわたり勤務し,我が国の高等教育(外国の教育学,外国文化)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴8年11月)。
(事例18)
我が国の大学で教授として通算約22年間勤務し,我が国の高等教育(神経心理学)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴7年6月)。
(事例19)
生物学研究者として活動し,その研究の成果が実用面への利用されていること等,十分な結果を出していることから,我が国の研究分野において貢献が認められた(在留歴10年10月)。
(事例20)
入国以後,我が国の大学で教授として8年以上勤務し,我が国の高等教育(情報技術)の水準の向上に貢献が認められるほか,研究分野では国内外から高く評価されていることから,我が国の教育・研究分野において貢献が認められた(在留歴9年9月)。
(事例21)
医療関係の研究を行っており,関係機関から表彰を受ける等,国内外から高く評価されていることから,我が国の研究分野において貢献が認められた(在留歴9年8月)。
(事例22)
在日外国公館に通算約10年勤務し,その間に我が国と派遣国の国際交流に貢献があったものと認められた(在留歴8年)。
(事例23)
入国以後,我が国で先端技術に係る研究を行い,その成果は国内外の学術雑誌への掲載,学会での発表等しており,我が国の研究分野において貢献が認められた(在留歴8年3月)。
(事例24)
入国以降,一貫して地方における英語教育に従事する一方で,地方の方言で語りながら伝統的楽器を演奏することで伝統文化を内外に宣伝する活動あるいは大学での講義を通じて外国人の視点に立った我が国の地方文化を内外に広める活動を行っており,文化・芸術分野における貢献が認められた。(在留歴7年)
(事例25)
我が国の大学の医学部整形外科学講座で3年以上勤務し,整形外科学に係る学術雑誌において多数の論文が特集で掲載され,著名な専門雑誌にも論文が引用されており,研究分野における貢献が認められた。(在留歴13年4月,就労資格変更後3年)
(事例26)
我が国の大学の農学部助教授として5年以上勤務しており,我が国の高等教育の水準の向上に貢献が認められたほか,国内及び国外の学会においてその研究成果が高く評価され,著名度の高い外国雑誌に掲載されるなど,研究分野においても貢献が認められた。(在留歴5年7月)
(事例27)
入国以来6年間にわたって,独立行政法人に所属しながら我が国の研究所において研究活動に従事しており,専門分野の雑誌に掲載されている論文も多数あり,我が国の研究分野における貢献が認められた。(在留歴6年)
(事例28)
我が国の大学の常勤講師として6年以上勤務しており,独自の語学教授法を開発し,教科書の編纂や講師の教育にも従事し,我が国の教育分野における貢献が認められた。(在留歴6年2月)
(事例29)
本邦内で,日本応用磁気学会,日本セラミックス協会,日本応用物理学会等において学術活動をし,磁性薄膜及び応用分野の学術・技術発展に貢献し,多数の論文と特許出願を行っており,我が国の研究分野への貢献が認められた。(在留歴8年8月)
(事例30)
本邦内の会社員として勤務しながら,電気学会において多数の論文を発表し,学術雑誌等において表彰され,権威ある賞を受賞していることから,研究分野での貢献が認められた。(在留歴10年4月,就労資格変更後4年3月)
(事例31)
本邦内の国立大学工学部の教授として約8年間勤務し,我が国の高等教育の水準の向上に貢献したことが認められた。(在留歴8年3月)
(事例32)
入国以来,本邦内の大学で,専任講師,教授等として,約7年間英語教育に従事し,我が国の高等教育の水準の向上への貢献が認められた。(在留歴6年9月)
(事例33)
本邦内の自動車生産会社に勤務し,粉末冶金関係の論文を多数発表し,日本金属学会誌等に多数掲載されているほか,権威ある協会から表彰されており,産業の発展及び研究分野における貢献が認められた。(在留歴8年6月)
(事例34)
本邦内の大学の経済学部博士課程を修了後,大学の教育職員として採用され,約3年間助教授として講義を担当しているほか,国際的ネットワークを構築するためのプロジェクトのメインコーディネーターを任されるなど教育分野での貢献が認められた。(在留歴7年)
(事例35)
オリンピックに出場した日本人選手のコーチを勤めていたほか,現在も次期オリンピックに出場する見込みのある選手のコーチをしており,その他の活動等を通じて,我が国におけるスポーツ等の振興に多大な貢献のあった者として認められた。(在留歴6年7月)
(事例36)
約20年前から日本国内でスポーツ競技大会に出場し,日本において競技生活を続けている者で,権威ある協会から,日本における同競技の発展に大いに貢献している旨表彰されており,我が国におけるスポーツ等の振興に多大な貢献のあった者として認められた。(在留歴7年6月)
(事例37)
留学生として約14年間在留し,以降大学の専任講師として約4年間,異文化間コミュニケーション等の授業を担当しており,我が国の高等教育の水準の向上に貢献したことが認められた。(在留歴18年1月,就労資格変更後4年8月)
(事例38)
本邦内において,ナノテクノロジー,フルカラー半導体ナノ粒子の合成等に関係する多数の論文を発表しており,日本化学会,高分子学会等において,独自の研究成果を発表していることから,研究の分野への貢献が認められた。(在留歴8年8月,就労資格変更後3年7月)
○ 永住不許可事例
(事例1)
日本産競走馬の生産・育成,輸出,馬産農家経営コンサルタント,講演等を行っているとして申請があったが,入国後1年半と短期であることから不許可となった。
(事例2)
画家として多数の作品を製作・保有し,美術館の建設後に寄贈するとして申請があったが,在留状況が良好とは認められず(不正な在留に関与),不許可となった。
(事例3)
外国人の子弟の教育を行う機関において教師の活動を行っているとして申請があったが,当該活動のみをもって社会的貢献等には当たらないものとして不許可となった。
(事例4)
約1年間,高校で教師をしている他,通訳等のボランティア活動を行っているとして申請があったが,当該活動のみをもって社会的貢献等には当たらないとして不許可となった。
(事例5)
本邦で起業し,当該法人の経営を行っているが,その投資額,利益額等の業績からは顕著なものであるとはいえず,我が国経済又は産業に貢献があるとは認められず,不許可となった。
(事例6)
大学で研究生として研究活動を行っているが,教授等の指導を受けて研究している通常の研究生,学生等の範囲内での研究活動であり,研究分野において貢献があるとまでは認められず,不許可となった。
(事例7)
投資関連企業の課長相当職にある人物であるが,当該勤務のみをもって我が国経済に貢献があるとは認められず,他に貢献に該当する事項もないことから不許可となった。
(事例8)
システム開発関連企業の課長補佐相当職にある人物であるが,当該勤務のみをもって我が国経済に貢献があるとは認められず,他に貢献に該当する事項もないことから不許可となった。
(事例9)
約9年間,本邦に在留し,作曲活動や自作の音楽作品発表会を行い,我が国と本国との音楽分野における交流に努めているとして申請があったが,文化・芸術分野における我が国への貢献とは認められず,不許可となった。
(事例10)
約9年間,本邦に在留し,我が国の芸能人による本国での公演の実現,我が国と本国の企業交流にかかるイベント実現等を理由に申請があったが,我が国への貢献とは認められず,不許可となった。
(事例11)
入国後,3年間は留学生として在留し,その後,我が国の大学の医学部助手として5年間勤務していたが,我が国の高等教育の水準の向上に貢献があったものとは認められず不許可となった。
(事例12)
語学指導助手として入国し,3年間は本邦内の中学校で,それ以降は高等学校において約4年間英語教育に従事していたが,日本の大学又はこれに準ずる機関の常勤又はこれと同等の勤務の実体を有する教授,助教授又は講師としては認められず,高等教育の水準の向上に貢献のあった者とは認められなかった。(在留歴6年11月)
中学生のころから、親や教師、同世代の人間とは、偏差値や単位を媒介とした感情のない利害関係しか結んできませんでした。偏差値を上げ、実力試験や模試などで高順位をたたき出すことによってのみ、親に自分の存在が認められると感じていました。教師や同世代の人間に対しても同様に感じており、高校生になり大学受験を意識してくるようになると、学校に行っても勉強以外のことで話すことはほとんどありませんでした。次第に昼間食堂で彼らと一緒に昼を食べることが鬱陶しくなってきて、その時間は図書館で寝ていました。放課後も急かされるように家に帰り、夜の塾に備えていました。勉強で誰かに頼ったり、お互いに励まし合ったりしたことはありませんでした。
その一方で、他人との争いを前提とし、ライバルを蹴落とすための能力を鍛練するしかない日々に脅えきっていました。一度負けたらもう駄目だというような精神的な圧迫を、絶えず胸に抱いていました。誰にも自分の本音を語ることができず、親や教師などの大人が求めていることをロボットのように忠実に行ってきました。学校に通いひたすら暗記を繰り返し、偏差値を上げていくことを感情を殺しこなしてきました。
やがて医学部に合格しました。将来医師になって人を救いたいという夢があったわけではなく、偏差値が高い大学しか志望することができなかったのが実状でした。親や教師から直接偏差値が高い大学に入るようにと迫られたことはないのですが、当時は彼らが存在するだけで強いプレッシャーになり、東大や京大、国公立医学部しか志望してはいけないと迫られていると感じていました。
受験戦争が終わり大学に入ると、偏差値というこれまで自分の存在を示す唯一の手段が失われてしまいました。大学の授業以外の時間は、特に同世代の人間と遊ぶといったことはなく、塾のチューターや家庭教師のバイトをしたり、運動をすることが好きだったので、ジムに通い筋トレや水泳などをして体を鍛えていました。勉強に対する意欲はなく、単位を取るだけのための底の浅い学習で、試験が終わると頭から抜け落ちて役には立たない代物でした。
この世界のなかで、自分にとってお互いに心情を理解し合えるような人間はおらず、社会に出て苦しいことが起きても、誰にも相談できず、全てたった一人で乗り越えていかなくてはならないという現実に気付き、強い危機感が絶えずおそってくるようになりました。このような自分の状態では、必ずどこかで心が破綻してしまうという確信があり、どうにかして心を開いて接することができる人間と巡り合いたいと切実に求めていましたが、それはかないませんでした。大学も4年生になり後2年で卒業して、医師として非常に責任の重い社会生活をこれからずっとたった1人で送っていかなくてはならないことを考えると、心が沈む一方でした。私は大学を休学しました。
2000年以降、ひきこもりの実態をマスコミを通して知るようになり、自分の主体性のない生き方について改めて見直してみようと考えるようになりました。ひきこもりの実態を知るまでは、自分がどのような状況にいるのか自分自身が良くわかってはいなかったのですが、さまざまな情報に触れるようになり、自分自身の状況を客観的に見ることができるようになりました。やがて、これまでの反省から、今後何を信条として生きていくのかという問題に取り組んでいかなくてはならないと考えるようになってきました。
主体性をもって生きていくためには、これまでの親子関係を根本から改善していかなくてはなりませんでした。思春期以降、親との間に自分の喜怒哀楽入り交じった感情を含んだ遣り取りが全くなく、ただ感情を取り繕い、迎合していただけだったというのが実状で、その実状を自分自身で認めたときには、これまでの人生は何だったのかと愕然としました。
私はもうこれ以上、こういった親との「上辺だけの良い関係」を維持していくことに意義を感じなくなり、親に対して自分の素直な感情をぶつけるようになりました。なかなかものごとが上手く進まない焦燥からくる苛立ちが強いときなどは、私は親を激しく責め、自分の虚勢からくる脅しを、絶えず親に与えていた面もあったのではないかと思います。「上辺だけの良い家族」の演じ合いを避けようとするため、感情剥き出しの「本音」のぶつけ合いだけの関係になってしまっていたというのが事実だと思います。親も私の「本音」に、率直に親自身の「本音」で対応していたと思うのですが、そういった関係からは前向きになれるものは生まれてはきませんでした。
当時は、親子だけで問題の解決に向けて模索することに息詰まっており、局面を打開するため、ある精神科医のもとに相談に行きました。それまでも、何かしなくてはという焦燥感から地元の精神科医に診てもらうことはあったのですが、定期的に診察を受ける度に苛立ち、心の状態は悪くなる一方でした。しかし、その精神科医には好感を持つことができました。
その方は、13年前に不登校やひきこもりで苦しむ青少年たちのための高等学校を私財をなげうって作られた方です。何度か会ってお話しをしていると、自然と目に涙が溜まるようになってきました。これまでの精神科医との遣り取りのなかでこのようなことが起きたことはなく、医師に裸のままの自分の存在を温かく受けていれていただけることに感謝するという心の動きが、まだ自分の中にあったのかと驚きました。先生は、温かく私の言葉を聞いてくださり、先生御自身の体験談も話されました。表現することが難しいのですが、不登校やひきこもり問題に関して具体的な対策を模索してこられた方が発する雰囲気が私を温かく包み、心を解きほぐしていったのではないかと思います。今思い返してみて、正直に言って治療を受けたという実感はありません。自分の感じていることや考えていることを先生に向かってぶつけていき、それに対して先生が黙って肯いている、そんな感じでしょうか。「人間の心は決して理論や理屈だけでは動かない」、この先生の御言葉が私の心に今でも響いています。
何回目かの診察のときに、先生は私の目の前で親を叱りました。私が学校に通っている期間、偏差値に翻弄され私と真正面から向き合わず、私の心が凍りつきロボットのようになっていることに気付かなかったことに対し、「あなたたちはこの子をどういうふうに育ててきたのか・・・深く反省しなさい」と言われたのです。その叱り方は、突き放して終わりというものではなく、温かみがあるものでした。先生の言葉を聞き、肩を落としうなだれ、涙を流している親の姿を見て、私は改めてこの親と一から関係を作り直していきたいという、将来への希望が湧いてきました。これまで社会的に立派な仕事をしてきている親は、こういった形で面と向かって叱られるという行為を受けたことがなかったと思います。親が納得するだけのことをされている先生だからこそ、親は社会的体裁をかなぐり捨てて、反省という態度を子供の前で赤裸々に現したのだと考えています。
改めて親との関係を作り直して行くにはどうしたらいいか考え、親と山陰や北海道などに一緒に温泉旅行をしたり、ひきこもりの会のフリースペースに通ったり、酪農実習(山地酪農)に参加したりしました。今考えてみると、どの経験も自分の成長にとってかけがえのないものであったと理解できるのですが、取り組みを行っていた当時は、長期間続くことがなく、「失敗」したとしか思うことができなかったというのが正直な気持ちです。
こうした「失敗」した活動のなかから、大きな収穫もありました。それは、自分がこれまで経験してこなかったことに対する心の動きであり、それがやがて私自身の価値観の発見につながり、そして自分と親の価値観の相違の気付きに発展していきました。私の家族の場合、親は人口100万人の街に暮らすことを好み、私は人口4000人の田舎に暮らすことを好みます。自然に対する捉え方においては、親はレクリエーションとしての自然を好み、私は朝から夕方までの労働を基調にした自然を好みます。このように親子で大きな価値観の違いがある場合は、お互いにその価値観を尊重していくことは欠かせません。親は子供に自分の価値観を押し付けるべきではなく、子供も自分の価値観に親を無理矢理引っ張り込むべきではないと考えています。
さらに、自分もまた社会の価値観に囚われていることにも気付くようになってきました。周りからいくら「他人を気にせずゆっくりやっていけば良い」などと言われても、自分自身が「人は20代前半で社会に出ていくもの」という一般的な価値観から抜け出すことができず、心は解放されるどころか一層苦しくなっていったのです。
親も先生との出会い以降、急激に変わっていきました。先生の行っているひきこもりの会の運営やチャータースクール開設への模索などの取り組みに対し、積極的に精神的・経済的な支援を行うようになりました。距離的な問題があり、親も私もその現地で会のメンバーと共に活動することはできないのですが、それにも関わらず、親ができうる範囲でメンバーの飲食店経営や、毎週行われているイベント活動を心から支援している姿は、私と先生だけでなく、親も私の抱える問題を共有していることの証となりました。そのうえで、私のありのままの存在を受け入れてくれるようになり、私が次々に挑戦することに対し、時間を割いて行動を共にする、あるいは必要な費用を黙って用意してくれるといった形で協力しながら、温かく見守ってくれるようになってきました。
現在は、「自然(山)のなかでのモノ作り(労働実習を含む)」活動を1年続けています。7年前に山を切り開き、モノ作りにも精通されておられる教職員の方のもとで、実践勉強をしています。
山に入って暮らすようになると、次第に自分でもわかるような変化が起こってきました。朝起きて夕方まで草刈りなど山で働き、夜に陶芸などのモノ作りをするという生活では、自分が行ったことが形としてしっかりと現れます。草刈りをすればその部分が綺麗になり、陶芸をすれば作品ができあがります。山が綺麗になれば心は充実し、陶芸作品が上手くできれば心は沸き立ちます。どれも単純な作業なのですが、単純だからこそ人の心に響くものがあるのではないかと考えています。テレビやパソコンなどの情報機器やエアコンなどの、暮らしを快適にする電化製品がない山の生活のなかで、四季折々の変化に直接肌に触れて自然を体で感じることで、町の生活では感じることができなかった「生きている」という実感を持つようにもなってきました。
私はこの「生きている」という実感を持つようになってから急速に心が解放されてきました。私の場合は、山のなかでのモノ作り活動に、「生きている」という実感を得るためのキーポイントが隠されていました。
私が心のひきこもりから抜け出せなかった理由として忘れることができないのは、自分自身に勇気がなかったということです。どこか心のなかに、「誰かが助けてくれる」といったものや「失敗するのが恐い」などというものがありました。今振り返ってみると、そういった思いが、自分が行動して新しい道を切り開いていくという選択をすることを拒み、ズルズルとひきこもりから抜け出せない期間を延ばしていっていたのではないかと思います。私自身が何もできなくても、親が「ただ生きているだけでよい」と無条件に認めてくれている、そしてそれを心から信じることができる真の親子関係が構築されるとき、もう何も恐れるものはないでしょう。その思いを胸に、これからは自分の考えに従い、活動していこうと思います。
また、今の私には大学に帰り、自分の経験を活かし将来精神科医として働いていきたいという夢があります。お世話になっている精神科医や、山のなかでのモノ作りを教えてくださっている教職員の方の真摯な生き方に触れた経験から、肩書きや高度な知識だけに頼るのではなく、裸の人間として患者に接しながら、深い信頼関係を構築できるような医師になりたいと考えています。そして、それは並大抵の努力ではできないことだとも感じていますが、夢の実現に向けて、日々歩んでいきたいと思っています。
↑は言い過ぎだとしても,最近それに近いことをよく感じる教員2年目。
生徒は果たして実験から,科学的な考察力とか実験器具を身近に感じたりとかしてるんだろうか。単にマジックショーを楽しんでるだけじゃないのか。「ハーイイロガカワリマシタネーキレイデスネー」って感じで。
こちらの準備がかかる割に得るものが少ないような気がしてならない。特に高等学校は。
ただでさえ授業時間数足りないんだから,その分問題演習積ませた方がはるかにいい気がする。
こう言うと一部の方から「高校は大学受験予備校じゃなーい」とか言われそうだけど,問題演習から学べることはとても多い。問題設定の背景とか,作問者が下敷きにしている科学的事実とかそういうこと。
それに問題解決に至る過程こそ,科学的思考力である「何故そうなるのか」を鍛えることができる絶好の機会だと思う。
実験しないと大学行ってから苦労するって聞くけど,生徒全員理系に行く訳じゃないし,実験やりたい奴は放課後の部活動で十分カバーできるでしょ。
何が言いたいのかというと,やった実験の数と生徒の理解度,興味には相関がない。実験やったからっていい授業した訳じゃない。実験授業を免罪符っぽく使うなということ。なんかもう偏りすぎでしょ,実験に。
あとは授業の質を高めると同時に自分の人間的魅力を高めよう。生徒は教科になんて興味をもたない,その教科を教える人に興味をもつのだから。
http://anond.hatelabo.jp/20091023113517
中途の応募で来たまだ20代の若い人。
凄い学歴だった・・・
まじかと調べたら、小学校からちゃんとあるんだね。
で、職歴はなし。フリーター。
別にフリーターだったからって関係なく、やる気さえあれば受入れるんだけど、
この2つは、例え嫌でも親とか学校に無理やり取らされるデフォルトと思ってる
んだけど、最近は違うのか?
創価って幸せになるんじゃなかったのか?と思ったが、どう見ても負け組み。
・・・なんだろう。
一つ頭をよぎったのは、本人は全く宗教とか意識してないけど、親が選んだ学校に
強制された結果だったとしたら、この人は本当に可哀想だ。
(面接では創価について一切触れません、いや、怖くて触れられません。)
こんな創価どっぷりの人、しかもフリーターなんて、まともな人事ならトラブル恐
クックックッ 面白い
うちにもこの前、似たような応募者がいた
桐蔭学園幼稚部
桐蔭学園中等校
どんだけ桐蔭学園に貢献してんだよ
親が決めたレールしか走れない甘ちゃん坊やってな感じ
民主党政策INDEX2009より。
http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/index.html
気になった事項を抜粋。
●内閣
靖国神社はA級戦犯が合祀されていることから、総理や閣僚が公式参拝することには問題があります。何人もがわだかまりなく戦没者を追悼し、非戦・平和を誓うことができるよう、特定の宗教性をもたない新たな国立追悼施設の設置に向けて取り組みを進めます。
・月額2万6000円(年額31万2000円)の「子ども手当」創設
次代の社会を担う子ども一人ひとりの育ちを応援する観点から、所得税の扶養控除や配偶者控除を見直し、子ども手当を創設します。子どもが育つための基礎的な費用(被服費、教育費など)を保障するため、中学校卒業までの子ども一人あたり、月額2万6000円(年額31万2000円)を支給します。
子どもたちを性的虐待や性的搾取から守るため、児童買春・児童ポルノ処罰法を改正します。
児童ポルノの定義の明確化、児童ポルノ取得罪の新設、罰則の全般的引き上げと対象範囲の拡大、被害にあった子どもたちに対する保護規定の見直しやフォローアップ体制確立などを図り、実効性ある内容に充実させることを検討します。
●消費者
自動車や回転ドア、公園遊具など、消費者に危害を及ぼすおそれのある製品・物品等に関する情報について、消費者の立場に立って企業に公開を義務付ける「危険情報公表法」を制定します。これにより、一般消費者には製品等の危険情報が迅速に提供され、被害の発生を防ぐことができます。
●行政改革
・霞が関改革・政と官の抜本的な見直し
与党議員が100人以上、大臣・副大臣・政務官等として政府の中に入り、中央省庁の政策立案・決定を実質的に担うことによって、官僚の独走を防ぎ、政治家が霞が関を主導する体制を確立します。なお、政・官の癒着によって公正であるべき行政が歪められることがないよう、政治家と官僚の接触に関する情報公開など、透明性確保のための制度改善を図ります。また各省設置法のあり方を抜本的に見直し、内閣の意思によって柔軟かつ機動的な省庁再編を可能とするよう改めます。
●政治改革
・政治資金の透明化
政治に対する国民の信頼を回復するため、政治資金の実態をガラス張りにして国民の監視のもとにおきます。
具体的には、(1)政治団体に普通預金等や保有する現金の残高を収支報告書に記載させる(2)政党本部や政治資金団体の収支報告書に対する外部監査を義務付ける(3)インターネットによる収支報告書の公開を総務省等に義務付けるとともに政治団体や総務省等が収支報告書等を保存する期間を延長する(4)政治団体が領収書等を保存する期間を現行の3年から5年に延長する――などを含む、政治資金規正法改正を行い、政治資金の透明化を強く推進します。
・衆議院の定数80削減
政権選択の可能な選挙を実現するため、小選挙区選挙をより重視する観点から、衆議院の比例議席180中、80議席を削減します。
また、1票の較差拡大の原因となっている「基数配分」(小選挙区割りの際にまず47都道府県に1議席ずつ配分する方法)を廃止して、小選挙区すべてを人口比例で振り分けることにより、較差是正を図ります。
政策本位の選挙・カネのかからない選挙の実現、候補者と有権者との対話促進などを目的として、インターネット選挙運動を解禁します。
民主党が2006年の164回通常国会に提出した「インターネット選挙運動解禁法案」を成立させ、政党や候補者に加え、第三者もホームページ・ブログ・メール等インターネットのあらゆる形態を使って選挙運動ができるようにします。インターネット導入に伴って予想される不正行為に対しては、(1)誹謗・中傷を抑制するためにホームページ等を使って選挙運動をする者の氏名・メールアドレスの表示を義務付ける(2)「なりすまし」に対する罰則を設ける――など、きめ細かな対応策を講じます。
民主党は結党時の「基本政策」に「定住外国人の地方参政権などを早期に実現する」と掲げており、この方針は今後とも引き続き維持していきます。
●法務
日本では1984年の国籍法改正により「国籍選択制度」が導入され、外国人との結婚や外国での出生によって外国籍を取得した日本人は一定の時点までに日本国籍と外国籍のいずれかを選択することとなりました。法改正以後出生した者がその選択の時期を迎えており、就労や生活、父母の介護などのために両国間を往来する機会が多い、両親双方の国籍を自らのアイデンティティとして引き継ぎたいなどの事情から、重国籍を容認してほしいとの要望が強く寄せられています。こうした要望を踏まえ、国籍選択制度を見直します。
・人権侵害救済機関の創設
人権侵害を許さずその救済を速やかに実現する機関を創設します。
民主党が2005年の162回通常国会に提出した「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」(人権侵害救済法案)では、内閣府の外局として中央人権委員会、各都道府県に地方人権委員会を設置し、人権侵害に係る当事者への助言・指導などの一般救済手続きと調査・調停・仲裁等の特別救済手続きを行うことができるよう定めています。報道機関による人権侵害については特別救済手続きの対象とはせず自主的救済制度をつくる努力義務を定めています。
人権侵害の救済機会を広げるため、国際機関に対し個人が直接に人権侵害の救済を求める制度(個人通報制度)が適用されるよう、政権獲得後速やかに関係条約の選択議定書の批准等の措置をとります。
個人通報制度を規定する人権条約には、女子差別撤廃条約選択議定書、自由権規約選択議定書、拷問禁止条約22条、人種差別撤廃条約14条があります。
●外務・防衛
東アジアや世界の安定と平和に寄与するために、日韓両国の信頼関係を強化します。
韓国は、6者協議の当事国でもあり、良好な日韓関係の再構築は、北朝鮮による拉致・核・ミサイル問題の解決はもちろん、朝鮮半島の平和と安定のために重要です。東アジアや世界の安定と平和に寄与するため、両国の信頼関係を強化し、さらに日韓中3カ国の強力な信頼・協力関係を構築していきます。日韓FTA締結や竹島問題の解決等に取り組みます。
日本国憲法の理念に基づき、日本および世界の平和を確保するために積極的な役割を果たします。自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論に拘泥せず、専守防衛の原則に基づき、わが国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合に限って、憲法第9条にのっとって行使することとし、それ以外では武力を行使しません。
●農林水産
米、麦、大豆等販売価格が生産費を下回る農産物を対象に農業者戸別所得補償制度を導入します。この制度は、食料自給率目標を前提に策定された「生産数量目標」に即した生産を行った販売農業者(集落営農を含む)に対して、生産に要する費用(全国平均)と販売価格(全国平均)との差額を基本とする交付金を交付するものです。交付金の交付に当たっては、品質、流通(直売所等での販売)・加工(米粉等の形態での販売)への取り組み、経営規模の拡大、生物多様性など環境保全に資する度合い、主食用の米に代わる農産物(米粉用、飼料用等の米を含む)の生産の要素を加味して算定します。これにより、食料の国内生産の確保および農業者の経営安定を図り、食料自給率を向上させ、農業の多面的機能を確保します。
●文部科学
・教育の無償化
高等学校は希望者全入とし、公立高校の授業料は無料化、私立高校などの通学者にも授業料を補助(年12万~24万円程度)します。この内容を具体化した「高校無償化法案」は参議院で可決されましたが、引き続き同法案の成立を目指します。
義務教育就学前の5歳児の就学前教育の無償化を推進し、さらに漸進的に無償化の対象を拡大することによって、保護者の教育費負担の軽減を図ります。
中小企業支援予算の大幅増加を実現します。現在の中小企業対策予算に加えて、最低賃金の引き上げに対応した中小企業支援のための財政上金融上の措置にかかわる予算、中小企業の研究開発力の強化のための予算などの確保に努めます
●厚生
・中国残留邦人支援
老齢年金の満額支給や生活支援給付の実施を定める改正中国残留邦人等自立支援法が、民主党も含めた超党派の働きかけにより2007年成立しました。旧満州(現中国東北部)で終戦を迎え、親と死別・離別した日本人孤児など中国残留邦人に対する支援策を盛り込んでいます。民主党は改正法の実施にあたって、生活支援の収入認定について2世・3世と同居する者が不利にならないこと、残留邦人等が死亡した場合は配偶者も生活支援の対象にすること、医療支援については医療機関の選択を認めること等、きめ細かい運用を図ります。
●労働
雇用失業情勢の悪化に伴い、派遣労働者を含む多くの非正規労働者が職場を追われ、ネットカフェ等で寝泊りしなければならない人が増加しています。この状況を改善するため、「住まいと仕事の確保法」を制定し、住居がなく、安定した就職が難しい若者等に対して、ハローワーク・自治体・企業の連携のもと、カウンセリングや職業紹介、職業訓練、賃貸住宅への入居などを支援します。
自立を希望する若者が安定した職業に就けるよう、(1)「若年者等職業カウンセラー」による職安での就労支援(2)「個別就業支援計画」の作成などによる職業指導(3)民間企業での職業訓練――等を行います。必要に応じて就労支援手当(1日1000円、月3万円相当)を支給します。
教育機関・企業・国・自治体が連携して、職業体験学習や企業見学、インターンシップなどを行い、若い世代の就労意欲の向上を図ります。
・最低賃金の大幅引き上げ
まじめに働いた人が生計を立てられる水準まで最低賃金を着実に引き上げます。2007年に成立した改正最低賃金法には、民主党の修正提案により、「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう」との文言が地域別最低賃金の原則に加わりました。中小零細企業で最低賃金の引き上げが円滑に実施されるよう財政上・金融上の優遇措置を実施します。そのうえで、最低賃金を全国平均1000円まで引き上げることを目指します。
●国土交通
高速道路は、原則として無料とします。これにより、(1)生活コスト・企業活動コストの引き下げ(最大2.5兆円の国民負担の軽減が可能、家計消費増や企業の設備投資・賃金引き上げ等で内需拡大)(2)地域活性化(生活道路、地域道路としての利用、サービスエリア・パーキングエリアの活用を含む観光産業活性化など)(3)温暖化対策(渋滞の解消・緩和、CO2の発生抑制など)(4)ムダづかいの根絶(バイパス建設抑制による財政負担の軽減など)――を図ります。
首都高速・阪神高速など渋滞が想定される路線・区間などについては交通需要管理(TDM)の観点から社会実験(5割引、7割引等)を実施して影響を確認しつつ、無料化を実施します。
実施に当たっては、道路会社の職員の雇用、首都高速・阪神高速の株主たる自治体の理解、競合交通機関への影響及び交通弱者等に対する十分な配慮を講じます。
「交通基本法」を制定し、国民の「移動の権利」を保障し、新時代にふさわしい総合交通体系を確立します。
その内容は、(1)国民の「移動の権利」を明記する(2)国の交通基本計画により総合的な交通インフラを効率的に整備し、重複による公共事業のムダづかいを減らす(3)環境負荷の少ない持続可能な社会を構築する(4)都道府県・市町村が策定する地域交通計画によって地域住民のニーズに合致した次世代型路面電車システム(LRT)やコミュニティバスなどの整備を推進する――等です。
●憲法
「憲法とは公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である」というのが近代立憲主義における憲法の定義です。決して一時の内閣が、その目指すべき社会像や自らの重視する伝統・価値をうたったり、国民に道徳や義務を課したりするための規範ではありません。民主党は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という現行憲法の原理は国民の確信によりしっかりと支えられていると考えており、これらを大切にしながら、真に立憲主義を確立し「憲法は国民とともにある」という観点から、現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めることを国民の皆さんに責任を持って提案していきます。民主党は2005年秋にまとめた「憲法提言」をもとに、今後も国民の皆さんとの自由闊達(かったつ)な憲法論議を行い、国民の多くの皆さんが改正を求め、かつ、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます。
最後の憲法。自民が過半数以上の今なら、国民投票で憲法が改正されることもあるのかな。
てか、財源どうすんだろ。
自称「護憲活動家」の9条教信者がナイフで学生の腹部を刺し逃走 大阪
箕面署によると、男は、箕面市桜ケ丘1丁目、会社役員中井多賀宏(たかひろ)容疑者(36)。現場から約40メートル東の市道交差点で、2人の車が出合い頭に衝突しそうになったことから、中井容疑者が大学生の車を追いかけて口論になり、所持していたナイフで大学生の腹を数カ所刺した疑いが持たれている。中井容疑者の自宅から凶器とみられる折りたたみ式のナイフが見つかったという。
http://www.asahi.com/national/update/0713/OSK200907130147.html
中井 多賀宏(なかい たかひろ、1973年6月17日 - )は、詩人、憲法活動家、ミュージシャン、。大阪府大阪市生まれ、大阪府箕面市出身。関西学院大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院法学研究科中退。
略歴
大阪府立箕面高等学校27期生。大学入学を機に、本格的に詩作を始める。関西学院大学在学時から、主に差別問題を中心に各種人権問題に取り組み、大学院中退後、憲法の価値を広めるべく憲法講師としての活動を始める。2004年に「みのお9条の会」の立ち上げに参加、呼びかけ人となる。2005年に在野の法律家で構成するベーツ憲法研究所を立ち上げる。
伊藤真や香山リカなどが「成功させる会」の呼びかけ人代表となっているドキュメンタリー映画「シリーズ憲法と共に歩む」の賛同呼びかけ人。 日本国憲法の制定にまつわる映画「日本の青空」の制作委員(ベーツ憲法研究所として)。 「共謀罪新設反対国際共同署名」の呼びかけ人。
2007年3月、「箕面市平和のまち条例」請求代表者として箕面市議会にて陳述。
2009年7月13日午後7時5分頃、大阪府箕面市箕面8丁目の路上で口論となった大学生をナイフで刺し現場から逃走、その後自宅で発見され殺人未遂容疑で緊急逮捕される。[1] [2]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%AE%8F
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自称「護憲活動家」の9条教信者がナイフで学生の腹部を刺し逃走 大阪
箕面署によると、男は、箕面市桜ケ丘1丁目、会社役員中井多賀宏(たかひろ)容疑者(36)。現場から約40メートル東の市道交差点で、2人の車が出合い頭に衝突しそうになったことから、中井容疑者が大学生の車を追いかけて口論になり、所持していたナイフで大学生の腹を数カ所刺した疑いが持たれている。中井容疑者の自宅から凶器とみられる折りたたみ式のナイフが見つかったという。
http://www.asahi.com/national/update/0713/OSK200907130147.html
中井 多賀宏(なかい たかひろ、1973年6月17日 - )は、詩人、憲法活動家、ミュージシャン、。大阪府大阪市生まれ、大阪府箕面市出身。関西学院大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院法学研究科中退。
略歴
大阪府立箕面高等学校27期生。大学入学を機に、本格的に詩作を始める。関西学院大学在学時から、主に差別問題を中心に各種人権問題に取り組み、大学院中退後、憲法の価値を広めるべく憲法講師としての活動を始める。2004年に「みのお9条の会」の立ち上げに参加、呼びかけ人となる。2005年に在野の法律家で構成するベーツ憲法研究所を立ち上げる。
伊藤真や香山リカなどが「成功させる会」の呼びかけ人代表となっているドキュメンタリー映画「シリーズ憲法と共に歩む」の賛同呼びかけ人。 日本国憲法の制定にまつわる映画「日本の青空」の制作委員(ベーツ憲法研究所として)。 「共謀罪新設反対国際共同署名」の呼びかけ人。
2007年3月、「箕面市平和のまち条例」請求代表者として箕面市議会にて陳述。
2009年7月13日午後7時5分頃、大阪府箕面市箕面8丁目の路上で口論となった大学生をナイフで刺し現場から逃走、その後自宅で発見され殺人未遂容疑で緊急逮捕される。[1] [2]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%AE%8F
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自称「護憲活動家」の9条教信者がナイフで学生の腹部を刺し逃走 大阪
箕面署によると、男は、箕面市桜ケ丘1丁目、会社役員中井多賀宏(たかひろ)容疑者(36)。現場から約40メートル東の市道交差点で、2人の車が出合い頭に衝突しそうになったことから、中井容疑者が大学生の車を追いかけて口論になり、所持していたナイフで大学生の腹を数カ所刺した疑いが持たれている。中井容疑者の自宅から凶器とみられる折りたたみ式のナイフが見つかったという。
http://www.asahi.com/national/update/0713/OSK200907130147.html
中井 多賀宏(なかい たかひろ、1973年6月17日 - )は、詩人、憲法活動家、ミュージシャン、。大阪府大阪市生まれ、大阪府箕面市出身。関西学院大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院法学研究科中退。
略歴
大阪府立箕面高等学校27期生。大学入学を機に、本格的に詩作を始める。関西学院大学在学時から、主に差別問題を中心に各種人権問題に取り組み、大学院中退後、憲法の価値を広めるべく憲法講師としての活動を始める。2004年に「みのお9条の会」の立ち上げに参加、呼びかけ人となる。2005年に在野の法律家で構成するベーツ憲法研究所を立ち上げる。
伊藤真や香山リカなどが「成功させる会」の呼びかけ人代表となっているドキュメンタリー映画「シリーズ憲法と共に歩む」の賛同呼びかけ人。 日本国憲法の制定にまつわる映画「日本の青空」の制作委員(ベーツ憲法研究所として)。 「共謀罪新設反対国際共同署名」の呼びかけ人。
2007年3月、「箕面市平和のまち条例」請求代表者として箕面市議会にて陳述。
2009年7月13日午後7時5分頃、大阪府箕面市箕面8丁目の路上で口論となった大学生をナイフで刺し現場から逃走、その後自宅で発見され殺人未遂容疑で緊急逮捕される。[1] [2]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%AE%8F
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