はてなキーワード: 高等学校とは
外国語を学習する理由、動機を高める学習法という考え方でまとめてみる
(語学学習サイト個人的リンクメモ / Lists of Language Learning Links)
http://anond.hatelabo.jp/20090516101312
指摘有難う。以後気をつけます。
http://anond.hatelabo.jp/20090516101312
指摘有難う。カナダに行ったときいて私立って思いこんでた
横だけど、博士課程にいる人・いた人って、基本的にマトモな就職活動をしたり、就職活動指導を受けたことがない上に、
個性的な人が多いから、「社会人マナーの基本」がなってない人は多いと思う。
感覚的に。そしてまた、自分自身も地方宮廷DC在籍者で、就職活動指導を受けてるから思うこと。
とか、そういうチェックポイント。
まず小中学校には「退学」や「停学」という制度自体が無い(学校教育法施行規則第26条第3項:義務教育における懲戒退学の禁止、同4項:学齢生徒への停学の禁止)だから何をしても学校は「放り出し」たりしないしできない。
高校における停学は、停学にあたる行為をした、という事実を認識させ、出席できることが当たり前のことでないことを今一度思い起こさせるための「処分」である。二度と復活が無いというものでない以上、学校は生徒を「放り出し」ているわけではないし、むしろ再び抱え込むために指導している。(ちなみに「停学」が「懲戒」として行われることは、まず無い。なぜなら正式の懲戒として停学を行うとそれは生徒の履歴として残さなくてはならないし教育委員会にも報告とかしないといけないので厄介。なので、あくまでも自主的な「謹慎」「出席停止」という形を取るのが普通。)
それから、親には養育『義務』があるけど、学校に課せられる『義務』とは『(望む者に、教育を受けられる)機会を与える義務』であって、自ら拒否する人間に無理矢理機会を与えるというのは基本的にサービス部分に過ぎない。馬を水飲み場に連れて行っても、無理矢理水を飲ませることはできない。学校は工場ではない。右から原料(児童)を入れれば左から製品(卒業生)が出てくるような装置ではないし出す義務が学校にあるわけではない。
さらに、普通に選択される多くの公立学校は教育のセーフティネットではない。小中学校に関しては退学という制度自体が無いから、極論言えば一日も通わなくても教師が出張してきたりして形だけ無理矢理「卒業」させるが、高校に関しては私立という選択肢もあるし中退者向けの私立単位制高校、フリースクールなどもある。大学へ進みたい人向けには、高認(旧大検)がありその予備校がある。現在、多くの場合通信制・定時制の高等学校がその受け皿になっているが、都市部では大抵キャパシティを超えかけているし、そもそも本来それは受け皿のための課程ではない。
個人的には、一度公教育を自ら「放り出し」た人間であっても、望めば再度公教育が受けられるように門戸を広くすべきだと考える(たとえば中学校で不登校になったのに「卒業」させられた生徒が、望めば再度公立中学校に通えるように。)が、許容量や指導上の問題、対応の難しさ(18歳以上が通学する場合喫煙を許可すべきか?、学生を狙った犯罪を企図する大人を排除できるか?、一般の大人に対して『校則』を適用することの問題、など)からほとんど実現していない。
今出先だけど、読んだのは確か
「論争・学力崩壊」「中央公論」編集部・中井浩一編 / 中央公論新社 / 03/03/25
で、その中の寺脇研の発言だったと思う。
それは一貫した彼の主張で、たとえばここなんかでも彼の言葉として引用されているこんな感じの内容だった。
これからの小中学校は今よりゆったりと学習してもらうようになるわけですが、その半面で、高校・大学はとても厳しい場になって行くという認識を持ってもらわなければならない。高校も大学も1時的には中退者が増えるかもしれません。今までのようにはいったら勉強しなくても、お情けで何とか卒業させてやろうという考え方では通らない。
あなたの自己選択によってはいった高等学校なのだから、そこで勉強しないのは自己責任を果たしていないことになる。そういう人には卒業証書を出せないよということです。
こちらの出典は
「21世紀の学校はこうなる」(寺脇研著 新潮OH文庫 2001年)
だとか。
寺脇は在野の学者などではなく一応一時期とはいえ文科省で大臣官房審議官として、この問題に関するスポークスマンの役割をしていたわけなので、彼の論法が「罷り通っていた」というのは一応ソースのあることと言って良いのではないかと思います。
『どんなに頑張っても何が「勘違い」で何が「笑い話」なのかわからない。http://anond.hatelabo.jp/20080713132425 』
へのお返事エントリ。
"manage"は「世話する・上手に扱う」というニュアンスの言葉です。
ですから「牛をmanageする」と言えば、これは牛さんが気持ちよく暮らせるように「上手に世話する」人、という意味になります。「わんぱく坊主をmanageする」と言えば、これは「上手にあしらう」ニュアンスが大きいですね。芸人さんをmanageするとか、野球部の選手をmanageする、というのもこれと同じ。
ですが、組織をmanageする、というと話はまた違ってきます。現場の人間を見るのでなく組織という巨大な獣の世話をするためには、場合によっては小を切り大を生かす非情の決断をせねばならない場合もでてくるわけです。事業をmanageする、というのもそうですし、野球「部」をmanegeする、というのも同じ。もちろん「野球部のmanageをする人」というのは、この場合野球部の『部長(生徒のcaptainではなく顧問教師や、場合によっては監督兼任の場合もある人のことですね)』になるわけですが。あなたが会社でmanagerなのだとしたら、あなたの本当の仕事はこちらなのではありませんか。もちろんその組織managementの一環として「現場の人間が働きやすくする」ことも必要かもしれませんが、それは「それがトータルで組織全体に有益である限りにおいて」という制限つきの話。
(例)たとえば、野球部選手のmanagerであるみなみちゃんは柏木監督(という名の野球部のmanager)に練習環境の改善を申し出ることもあり得るかもしれません。たとえば選手が疲れており今日これ以上の練習を続けることは選手のパフォーマンス的にプラスとは言えない、的な。それに対して柏木監督は、多少パフォーマンスが下がって次の試合に苦戦しても、野球部が勝ち抜いて最終的な勝利を得るためには今のこの練習が必要だと考えて結局鬼のような練習を課すかもしれません。両者(二人の異なるmanager)の立場の違いがもたらす指示結果の違いです。
というわけで、「みなみ」ちゃんの勘違いはいくつか有りますが、まず第一は俗に言う「野球部のマネージャー」が、本当は野球部に所属する選手のmanage役(すなわち選手のお世話人)なのに、「野球部のmanage役(野球部の部長職)」と勘違いしてる所です。もちろん書き手はその差を分かっていて書いてる(つまりそこは笑わせる所である)わけなのですが、両者の名前が同じで時に職分が重なるように見えるところが笑いどころでもあるのでしょう。もっとも、元の書き手も笑い話を通じて「managementとは何か」を真面目に分かりやすく書こうとしている(仮にあのエントリの主人公がとある田舎の野球部の部長先生であれば、ある程度正しいエントリでもあるわけで)わけなので、そのあたり誤解を与える微妙なジョークではあるわけなのですが。
次にもう一つ勘違いがあるのですが、それは彼女が野球部の「顧客」を「高校野球を応援する全国の皆さん」と定義してしまった所ですかね。もし本当に彼女が野球部のmanegementを担当する役職の人間なら、「高等学校の野球部」の顧客が学校の運営者と生徒の保護者であることは自明であり、もっと生々ドロドロとしたmanegement planに足を突っ込まなければいけないこともまた自明なわけだったはずなのです。
(例)実は、学校は予算的に逼迫しておりそろそろ理由をつけて野球部を潰したいと考えている、あるいはmanagerにそう指示しているかもしれません。あるいは保護者の間に「本当は進学に専念して欲しいので『悔いの残らないあたりまで勝って、良い感じで負けてくれたらいいな』的な空気」があるかも。その場合、managerは表面上熱心にmanageしつつも実は野球部が必ずしも勝ってしまわないように、間違っても甲子園に行ったりしないようにたとえば肝心の試合で主力が全力を発揮出来なくなるような練習や選手起用を選択しなくてはならないかもしれません。
まあそうするとあのエントリ自体が醸し出すお花畑的な雰囲気は成立しないし、みなみちゃんが柏木監督のようなどす黒いキャラにならざるを得ません。というわけで、みなみちゃんのその「勘違い」もまた書き手によって仕掛けられた第二のジョークであると考えるのが適切でしょう。
以上、ジョークの解説を横から勝手にやる、なんていう、自分のブログではとてもできそうにないことをやるために増田の場所借りてみました。失礼。
なんか色々同情するな。
SFにハマった季節が来たときはそんな空想本ばっかり読んでいないで現実の本を読めと怒られた。
文学は空想だろw
増田の言う通りだよ。文学は空想だ。だからSFも当然文学だ。別に、たとえば”SF界の抒情詩人”ブラッドベリや、”哲学者”フィリップ・K・ディックだけが文学だと言うんじゃなくて、ハインラインだってアシモフだってJPホーガンだって、あるいはオレが中学時代少しエロい興味で読みふけってたバロウズだって(笑)文学だ。ちなみにオレも小学校のときは推理小説が好きだったし、純文学的なものは高校に入るまでほとんど読んだことが無かったな。高校時代には教師のすすめるままに読み狂った。まあ半分も分からなかったが。
…まあ、気の毒に思うのでもう少しサービスする。
今でも人を疑うのは好きではないが、そんなものは実戦経験で嫌でも身につく
「簡単に信用しない」といったのは「批判的(critial)にとらえて理解する」ということだ。「信用しない(distrust)」だけなら子供でもできるだろ。
「歴史」を学ぶことに文学を学ぶことと同じような効果がありうることは理解するが、それは歴史学本来の目的とは違って、単に歴史を「文学を読むように」読んだ結果ではないのか? また、部活動のような合目的的なある程度等質な人間集団で、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」が得られるかどうかは難しいな。音楽系の部活動でなら、たとえば過去の偉大な音楽との出会いなどでいくらかそれに近い体験は可能かもしれないが、誰もが使っている「ことば」を媒介にすれば全体に対して正課の授業時間内でそれができるわけだろう。部活(のそういう効果)に意味があるのなら、より低コストにかつ誰にでも体験可能な形で、国語の授業時間内でそれを行うことにはもっと大きな意義があるんじゃないのか。
それに人を楽しませる文章は文学なのか?
時代小説、ラノベ、歴史書、SF、ファンタジー、推理小説は好きだが文学
少なくとも純文学とは言わないだろう
「純」文学というのは、文学の中のものすごく狭い(それも日本限定の特殊な)ジャンルに過ぎないので、その変な教師に教え込まれた変な定義は正直忘れた方がいい。実は、増田の受けた教育の中でもっとも有害なのがその頑なな思いこみだと思う。俗に、教え込まれた「内容」よりも自然と学び取る「根本姿勢」こそ教育の本質的な価値だというが、増田の場合、まさにその「根本姿勢」の部分でバッチリその変な教師の影響を受けている(だから気の毒に感じるのだが)。
再度言うが、上で書いたとおりSFは当然文学だしラノベだって文学に決まってる(疑うなら、どこの大学の文学部文学科の適当な研究室に電話して、気の済むまで聞いてみても良い、以下の内容も含めて)。大体「純文学」などというジャンル分け自体が、過去の歴史上のある特殊な「考え方」に過ぎないというのが、現在の一般の評価。純文学新人賞という主旨のはずの芥川賞にしてからが、最近は(大衆文学新人賞という主旨の)直木賞と見分けがつかん、というより正直受賞作は逆じゃねえのか、と言われるようになって久しい今日この頃。だから、生徒に「純文学こそ文学!」とかそういう価値観を押しつけてブンガクばかり論じたがる古い文学青年崩れの困った教師に教わった不幸には同情するが、とりあえずそれは忘れて、現代の「文学」観に目を向けるべき。たとえば、今や現代思想をまともに語れないようでは高等学校現代文教師というのはやってられないのだぜ。
その証拠に、昨今の大学入試の「現代文」というのがどういうものを取り扱っているか。小説(それも純文)なんてほとんど出ない。出るのは大抵現代思想関係で、ざっとキーワードを例示してみると「記号・身体・空間・言語論・メディアと情報・文化論・芸術論・経済・教育・日本論・近代主義・心理学・倫理学・宗教・歴史学・国民国家・テロ・文明の衝突・ポスコロ」……etcだ。大抵の国語教科書は、これらのテーマに可能な限り触れるようにしてるし、これ以外のマイナーなテーマ(たとえば少数民族問題・沖縄・差別・風景論・都市論・スポーツ・時間論・労働・高齢化社会…etc)を取り扱ってそれをウリにしようとしてる(さらに言えば、気の利いた会社なら、中学校の教科書から生徒が自然とこれらのテーマに触れるように仕組んでいたりする)。教師はそれを意識して、生徒の理解力と相談しつつ、何をどのくらいどういうシステムで学ばせるか考えてる。このへん詳しく知りたければ「教養としての大学受験国語」(石原千秋)でも読んでくれ。さらに、小説の読解についても、「この小説のテーマはなんでしょう?」なんて寝言を言って漫然と黒板の前でむにゃむにゃと自説を垂れ流してるようでは商売あがったりで、一行一言に込められた含蓄をあの手この手でどのくらい掘り起こせるか、読む作業の中にセンスオブワンダーを感じさせることができるか、たとえばわずか一つの比喩にどのくらいの意味と力が籠もっているかを解き明かせるか……それだけの文学理論の裏付けと力量が必要になる。これ全部「高校国語(現代文)」の仕事なのだな。
それに、「学校国語」で扱える領域なんて、実際に大人が出会う「国語や文学」の領域全体の広さに比べれば、庭の池みたいなもんだ。雑誌の編集後記だってエロ小説だって新聞記事だって漫画だって、「ことば」の介在するコミュニケーションの領域は全てが「文学」フィールドだ。その意味での「文学」教育というのは、メディアリテラシーの教育であり、社会学であり哲学教育であり、知的好奇心の喚起であり、ひいては大学以降のあらゆる高等教育の基礎を為す重要な資質(少なくとも読み書きという点だけを取っても)の育成なわけで、これから「知の大海」に漕ぎ出す生徒にとって国語が必修科目であるのは当然すぎるほど当然なことなのだ。
まあそんなわけで、困った「国語教師」との出会いには重々同情するが、「国語」という教科の意義を疑うなら、これらが全部無意味だということを示してくれるか、あるいはそれを全て外の教科で代替する(たとえば論理的思考力の育成なら英語科の授業内で全て行う、とか、ギリシャ哲学に始まり構造主義と記号論に至るまで全て倫理で教えるとか、メディアリテラシーは情報で、日本文化論は日本史の教師が、芸術論は芸術の教師が教える、とかしてくれると、かなり楽だが、多分嫌がられるだろう。なぜなら、これらを教えるための大前提としてあらためて『膨大な本を読まなくてはならない』から。だから結局、これらは国語の教師がやれということになってるのではないかと推測する。そんなわけでこれらの提案は余り現実的ではない。やれやれ。)現実的な対案を示して頂く必要があろうと思う。
どうだろう。増田の言ってるような狭い意味での「ブンガク」授業に価値がないということを否定しているのではない。むしろそこに関しては積極的に同意だ。こちらが言ってるのは、あくまで「国語」というのがもっと広い領域を扱っているということ、だからこそ「国語」を否定するのは間違いで、実際にそれは必要とされているのだ、ということなんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080624134951
碌でもない教師に出会ってゲッソリした気持ちはよく分かる。増田は、元素の本読んで世の中の不思議について感想を持ったくらいだから(充分スゲエなそれは)そんな教師に何か教わる必要もない程度には「小学校国語」レベルの力はあったということだろうな。でもって、自分の考えをまとめたりする「中学国語」的力は独学で身につけた、と。それもまあ立派だ。想像だが、中学まではそんなに国語の成績も悪くはなかったんじゃないか?
だけど、その後が良くない。
「文学=人情味とか感動とか出来事とかにオブラートした言い訳=ゴミ」という思い込みのせいで、「高校国語」で身につけるべき力を育成することには失敗したな。
「高校国語」で身につけるのは、「自分や社会を批判的に捉え、言葉の働きを自覚して操りつつ、人と人との理解やつながりを構築する力」だ。分かりやすく言うと
「人の言うことを簡単に信用するな、欺されんな。」
「他人が何言ってるか分かるようになれ。言葉の裏に何があるか考えろ。」
「でもって、自分が何を言ったか、も、気付けるようになれ。」
「それが出来て始めて、お前は隣にいる『他人』と握手ができるんだぜ。」
…ってことだ。これって大事なことだ。ハンター×ハンターはオレも好きだが、他人の手のひらの上でただ楽しませて貰うだけじゃなく、自分から他人を楽しませることが出来る人間になるのって大事じゃないか? あんたが「クズ」と切って捨てた作家が、本当の所どんな人生を送ってどういう考えの果てにその作品を書いたか考えたことはあるか? 不倫を弁護するつもりはさらさらねーが「頭の足りない不倫儲氏ね」じゃなくて人間がどうしてそういう馬鹿なことをしてしまうかに興味は? 元素が面白い、発見が面白いのはもっともだけど、そもそも「目の前にいる、あんたの理解を超えた誰か=人間」を、「クズ」とか「キモい」とか切って捨てるのでなく、「面白い」と思って見ることはできているか?
高校で現代文の成績はあんまし良くなかった…つーよりほとんど聞いてなかったんじゃねーか?高校で現代文を学ぶ時間が3年間で標準8単位として、8単位×50分×36週×3年間=43200分(720時間、あるいは30日)損したな。古文漢文も大事、文法も大事だけど、現代文にはこの社会で生きていくために、むちゃくちゃ大事な役割があるんだぜ。
……というようなことが、以下のリンク先には書いてあります。ゆっくりしていってね!
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301d/990301b.htm
高等学校の生徒さんじゃないんだから。
(いやそれともそんな若い子がカキコしてんのかな?いたらゴメンよ。「ふみコミュ」あたりが無難かもしれません。ネットは危険なとこもあるから。)
とにかくやっぱ幼稚だよ。国立なんて文系受験者でも理系科目解くわけじゃない?いまの文脈の文系者って、たんに「数学ニガテ??」ってだけで選択した所もあるでしょ?それに理系ったって、人間なんでね、勝手に冷たいイメージ作ってるか知らんけど、。
たとえば、関西の技術者なんて、電話口でも「まるい、やさしい」物腰で、悪い気しないんだよ。俺今、関西見直しててさ。三重生まれだけど。赤福食べたくなったな。橋下弁護士好物なんだろう?
さいごはお茶が怖い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//www.bihoro.hokkaido-c.ed.jp/seito-sinro.html
健闘しているに一票。
美幌町の人口は、2万人ぐらい。で、町内には、この高校と農業高校だけだし、道内のこれくらいの町だと平均的な感じじゃないかな。
典型的な道内の管内で中堅クラスの公立高校でしょ。この実績ってそれに10年とかそれ以上前からそんなに変化してないと思うよ(推測だけど)。
それに、網走1の学区で進学しようとすれば、進学校(北見北斗とか)に行くだろうし。
新学区 | 学区 | 就学すべき高等学校 | 通学区域 |
---|---|---|---|
網走中学区 | 網走1 | 北見北斗、北見柏陽、北見緑陵、美幌、津別、訓子府、置戸、佐呂間 | 北見市、美幌町、津別町、端野町、訓子府町、置戸町、留辺蘂町、佐呂間町 |
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/akd/haiti/gakku/kaisei/
先ほど、すごいことを発見しました。それは、「政権が長期政権かどうかは、首相の学歴にズバリ、比例する傾向にある」ということです。この学歴問題を引き合いに出すのは「タブー」になっているのですが、歴代首相を論じる以上は首相の出身大学について語らないわけには行かないのです。
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安倍晋三 成蹊大法卒 会社員(+成蹊学園(小学校・中学校・高等学校))
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これを見て分かることは非常に多い。まず気が付くのは、宮澤喜一首相を最後に東大出身の首相がいない、ということです。ここ数代は、慶応と早大のたすきがけ的な形で続いています。
そして、一般的な「偏差値」が高い大学を出た政治家は首相になると「長期政権」になるということです。これは、上の履歴書をみると明らかです。
調べるまでは、まさかそんなことは、と思っていましたが、「政治家における学歴差別」は歴然として存在するのです。これで、なぜ安倍首相が不人気なのか、信望がないのかがよく分かりました。偏差値の高い大学出身の首相は、まわりに似たような学歴の政治家がたくさんいるワケです。そうすると「同窓会ネットワーク」の層が厚い。
同じ大学の仲間意識で皆が支え合うという意識があるわけです。これは、アメリカにおいても同様で、ブッシュ大統領はあれだけバカだと言われていますが、しっかりエスタブリッシュメント大学のイエールを卒業し、しかも、エリートクラブ出身です。それを考えると、安倍首相は哀れなくらいに学歴が低い。いや、学歴が低いといよりは、彼の場合には「受験を経験していない」のです。
受験を経験していないということは、「忍耐力がない」「修羅場の経験がない」という風に一般的に判断されます。しかも、安倍首相は小学校からのエスカレーターです。普通に受験して成蹊大学に入っているわけではない。これは非常にマイナス点です。
日本では、東大受験に成功することが最高のステータスシンボルであり、東大は一時期までは総理大臣を供給する大学でした。アメリカのジャパン・ハンドラーズの研究には「東大」の研究書もいくつもあるんです。東大は官僚制度と政治家にネットワークを持つ。これが日本の最大のパワーだったわけです。
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最も有名なのはチャルマーズ・ジョンソンが共著で加わっている以下の本。ハードカバー版しかない。表紙の「東大」という文字が笑えます。
An Empire of Schools: Japan's Universities and the Molding of a National Power Elite (Hardcover)
by Robert L. Cutts (Author), Chalmers Johnson (Introduction)
Table of Contents
Foreword
Preface
Ch. 1 If There Is a God, He Went to Todai
Ch. 2 First Principles: The Society
Ch. 3 First Principles: The Individual
Ch. 4 The Ivory Basement
Ch. 5 A Tale of Two Citizens
Ch. 6 The Leisure Class
Ch. 7 Who's on Top: The Women Elites
Ch. 8 Family: She's Got the Whole World in Her Hands
Ch. 9 Weapons
Ch. 10 Making It
Ch. 11 Fifty Ways to Lever the Governed
Ch. 12 Reform: No Exit
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同様に、早稲田大学は在野の精神で早大雄弁会を結成し、これも政治家供給源になってきました。慶応大学もどうように政財界に太いパイプがある。小泉前首相と綿貫国民新党党首の共通項はともに慶応出身というところです。意外なところで接点があって、それが情報交換のきっかけになったりする。
慶大出身の綿貫氏
そこに行くと、大変失礼なのですが、成蹊大学出身の有力政治家というのはほとんどいません。政治家の仲間がいないということは、つながるネットワークが少ない、ということ。安倍首相のネットワークは「安晋会」のようないかがわしい人たちの集まった後援会組織だったり、父親の晋太郎の時代からのサポートスタッフです。
安倍晋太郎は、病気で早くに亡くなっており、これを継ぐ形で晋三が政治家になっています。安倍家には、東大出身の寛信という三菱商事・中国支社のエリートビジネスマンもいましたが、なぜか彼ではなく、晋三に白羽の矢が立っている。
そうなると、何にも自分だけの基盤がないエスカレーター学歴の彼には、父の周辺の後援会に頼るしかなかった。そうなれば、晋三はいいなりです。広域ナントカ団だったり、地元の土建業者だったりがまとわりついてくる。それをさばくのは側近たる秘書なのでしょう。
こうなると、なぜ東大出身の寛信氏が後継者にならなかったのかが気になります。順当に東大出の晋太郎が総理大臣になっていれば、晋三が後継者になることはなかったのではないか、と強く思います。しかも、晋三氏には「南カリフォルニア大学」在学時の学歴詐称疑惑で騒がれたこともあります。結局、卒業はしていないということだったようです。民主党の代議士の学歴詐称を追及している段階で噴出した問題でした。
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上のリストに戻りますが、小学校卒業の田中角栄内閣は、やはり短命政権でした。しかし、彼は安倍首相と違い、たたき上げで、一級建築士の資格も持っていた。だから、それなりにポイントは高かったのだろうと思います。鈴木善幸首相もやっぱり短命政権。宇野宗佑首相も、羽田孜首相も・・・・。みんな“ポイント”が低かった。
これを法則化して理解した上で他の首相をみていくと、細川護煕首相、上智大学出身。細川政権は約一年しか続いていません。早大出身の海部政権は約三年続いています。この事実から、キリスト教大学である上智大学は、首相になる場合の「持ち点」が少し低い、ということになるでしょう。ちなみに政治家では野田聖子さんが上智出身です。村山元首相の明治大というのも微妙なところなのでしょう。
そこに行くと、面白いのは、故・三塚博さんと小渕優子さんです。三塚さんは、派閥の領袖も務めた大政治家です。彼は、東京獣医畜産専門学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学し、1951年に卒業。在学中は雄弁会に所属しています。わざわざ早稲田に学士入学しています。これは雄弁会に入るためでしょう。雄弁会というのは、今は威光もかげってきましたが、それでも現内閣では山本金融大臣を初め出身者が多い。森元首相、竹下元首相も雄弁会ネットワークです。三塚さんは学士入学で早稲田に入って持ち点を上げようとしたわけです。残念ながら、その努力は報われませんでしたが、閣僚にはなっています。
同様に、早稲田大学に社会人になった後に入学したケースとしては、元首相の娘さんである小渕優子さんの例があります。彼女の場合は大学院です。小渕さんは、羽田首相と同じ、成城大学出身です。この大学は意外に政治家が多い。しかし首相になったのは羽田さんだけです。しかも短命政権でした。
そこで小渕さんは、女性なので雄弁会には入れないのですが、早稲田大学に政治家をやりながら入学するという「奇策」に打って出ました。これは凄い。さすがは政治家の娘です。政治感覚が鋭いなあと思います。成城大学では幾ら政治家として頑張っても総理大臣はなれない、と冷酷に判断したのでしょう。早稲田に入学したということは、早稲田出身の政治家のネットワークの末席に置いてもらえる可能性がある、ということです。それでもなかなか首相への道は厳しいでしょうが・・・・。なんだか応援したくなりますね。
そう考えると、小学校からのエスカレーターの安倍晋三という人が首相になっていることは、国際的な一大スキャンダルである可能性が高いのです。安倍首相が国際的に影が薄いのも早稲田や慶応のネットワークに入っていないからかもしれない。そう考えると、一応、外国の政治家の経歴を調査する情報機関の間では、東大、早稲田、慶応の当たりの大学は評価されている、という見方も出来そうです。これが安倍さんが慶応幼稚舎出身だったらもう少し違ったのかもしれないですね。
そのようにしながら、日本の政治家を出身大学別に持ち点でプロファイリングしていくのも面白いと思います。同じ慶応や早稲田でも、政経学部か文学部か(例:石橋湛山)、第一部(昼間)か第二部(夜間)かで大きく違うのでしょう。私の出身は早稲田の一.五部と言われた社学出身なので、政治家的には微妙なポジションでしょう。
こういう当たり前のことは差別になるといってタブー視されていますが、やはり安倍政権は坊ちゃん政権だったのです。周りに大学のネットワークがないから、変なおかしい団体が支援者として食っ付いてくるわけです。そう考えると、やはり安倍政権、長くないでしょう。
ここでどう考えるべきか判断に苦しむのは、ポスト安倍の麻生太郎外相の扱いです。学習院大学政経学部政治学科卒業とあります。その他、スタンフォード、ロンドン大学に留学しているようですが学位があるかどうかは分かりません。学習院というのはどういう扱いになるか。彼は皇族の血が入っていると同時に、カトリック教徒です。クリスチャン政治家では、大平首相がいますが、これは短命政権に終わりました。(病気だったからかもしれないですが)学習院出身の首相はいないので、これが持ち点が高いのか、低いのかは分からない。ただ成蹊大学出の安倍首相よりは間違いなく麻生外相の方が持ち点は高いはずです。
そこへいくと、同じように微妙なのが東大出身の谷垣禎一元財務大臣です。彼が首相になれば久々の東大出身総理となります。しかし、彼は消費税を上げたりして、短命政権になるでしょう。その後に、つまり消費税上げをやった後に、民主党政権が出来るかもしれない。
つまり、大蔵官僚が、自民党に責任をおっかぶせて自分たちは民主党政権をコントロールするという考え方です。官僚を統制しているのは一部にはアメリカです。今の官僚制度をコントロールできる角栄のような政治家がいないので、官僚制度も政治家同様、アメリカに目を向けて指示を仰いでいるんでしょうね。
そう考えると、安倍首相がやたらと左翼思想を批判したり、「美しい国」というようないかがわしいタイプの保守思想を喧伝したがるのも、東大学歴に対するコンプレックスなのかもしれないですね。安倍家、佐藤家には東大出身が多いですからね。東大といえば、左翼思想、丸山真男、というわけです。「家庭の事情」で教育改革をやられては非常に困るわけですが・・・・。
まあ、政治家の価値は学歴だけで決まるというわけではないでしょうが、実際に統計的に結果が出てしまっているのは隠せませんね。
アレだ。tinycafeの人が増田で暴れるのは、きっとここが「私立はてな学園(別に公立高等学校でもいいけど)」なんだと思い込んでいるからなんだよ!!!11
何て言うの?今はヤンキー語で言うところの、デビューっていうところ?
「私がここの番長をやらせてもらう。お前ら烏合の衆なんかカス以下だこの既知外!」
「私の意見が全て正しいんだ!お前らは犬みたいに這いずってろ!!」
「2ちゃんねらーは馬鹿すぎて面白くないから、今から私がここをシメる!」
「だから私が『無断リンク禁止』と言ったら無断リンク禁止なんだ!精神病患者はすっこんでろ!あと、ハンドアックス投擲は私には効かない」
こんな感じ?増田はあんまりヤンキー世界の事情を知らないから、美味く表現できないけどね。
とりあえず、
こういう思考回路かな?
なんか凄いね。きっと暴れている時は、あたかも放課後、校舎の窓ガラスを割りまくっている気分なんだろうね。
そのうち、盗んだバイクで走り出すね、きっと!
皆様、おはようございます_・)ノ_・)ノ_・)ノ_・)ノ_・)ノ_・)ノ
今日は2月10日土曜日、世の中は3連休の初日となっとります。
# ふとんの日
全日本寝具寝装品協会が1997年に制定。ふ(2)とん(10)の語呂合わせから来ている。
漫才コンビツービートにありとの判断から、ツー(2)ビート(10)の語呂合わせでこの日を記念日としている。ちなみに芸能人個人の記念日登録は史上初。
# 簿記の日
簿記の原点である福澤諭吉の訳本「帳合之法」が1873年2月10日に慶応義塾出版局から発行されたことにちなんで、全国経理教育協会(旧・全国経理学校協会)が2004年に制定
# 左利きの日
左利きの生活環境の向上に向けられた日。本来は8月13日であるが日本のお盆と重なるため2月10日となった。
# ニートの日
何といっても今日は
# 海の安全祈念日(日本)
6年前の2月10日8時45分(日本時間)、アメリカハワイ州のオアフ島沖で、
浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没。
教員5人、生徒4人が亡くなっています。
今日は彼らの7回忌です。
と、言うわけで、今日は主に「えひめ丸事件」について書いてみるってのはどですかねん?
ちなみに、去年の今日から冬季オリンピック・トリノ大会が開かれたりもしてるけど
だから何?ってなもんでしょかね・・・。