はてなキーワード: 行間とは
その「ほら」って使い方が本当に怖い。
自覚症状がないの?賢いと思い込んでいるという自覚症状が?怖いのはお前だよバカ。
別に、君に真実が見えてる可能性も億に一つはあるかもしれないけどさ。
それがこっちに伝わらない「神通力」じゃ、何の力もないよ?
今までの流れで分かってる真実と言ったら、お前が批判する相手の特徴がお前の特徴になっていることだろ。
自分の言ったことを自分自身に結び付けられないならオワットルネ。現実逃避でもしてんのか?
だから学問の話なんてしてねぇよボケ。それに俺のほうが詳しい学問分野も多分あるぞ?お前はなんで俺よりも上だという前提で会話してるんだ?
重要なのはそこじゃなくて、ネット論述なんて無意味だからアスペみたいなことをグダグダ言ってないで行間ぐらい読んでみたらどうだ?
良い感じに最初の話に戻るけど、そういう「気づき」に支配されちゃう感覚が、やっぱり、エコーチェンバーなんてシステムよりも根本的な問題だなあ。
エコーチェンバーとかじゃなくて、お前がアスペで他人の言葉が理解できてない現実逃避野郎ってことだ。現実逃避の意味わかる?お前が批判している人の特徴がお前の特徴に合致するってことだよ。
・良良良ー良・良良良だった
なんかもういろんな意味で良ッ
観るという判断をして良かった
・途中まで「水↓木↑さん、バチクソに令和の受けど真ん中だし自らエロ同人の導入みてえなシチュに入ってく…」という思考が半分占めててふーん、昭和倫理観+田舎御家騒動、やね…+チラつく墓場鬼太郎の「じゃ!」 で見てたけど途中なんかこのシーンだけ絵のレベルが段違いじゃない?なテラス戦闘シーンから「この映画、意外と社会派チックな事いいおる…そういうの、好き…」ってなって引き込まれていった
・導入の記者の人が見た廃村になった描写と当時の生活があった頃の様子の対比でイイネ!ってなった
・おっねずみ男とかコウモリ猫の系譜や!と思ったら本人だった 記憶よりふた回りほど小さくなっとる…? 基本コメディリリーフだけど「俺は手を引くぜ」の闇に消えるシーンとか人ならざる者感して好き
・水木さんのバチクソ受けっぽさは狙って作られたというわけでなく偶発的なものという感じがvery very goodすぎる
・鬼太郎父、水木さんにデレるの早ない?と思ったけど恐らく行間があるやつ
つまり近親姦で世代紡いできてた一族ってこと?それハプスブルグ家みたいにならない?だからショタは病弱だったんか!今合点した
・夫婦再会シーンで引きで映る地面に転がってる瀕死状態の水木さんすき
・たまにある鬼太郎ピンチ回に出てきそうな妖怪がゴロゴロでてくる 鬼太郎父つよい
・後半の主張の感じは説教のかほりがするなあと思わなかったと言ったら嘘になるが元の鬼太郎は児童向けアニメやしズートピアのラストみたいな「言葉にして作品の言いたいことを固める」あった方が観るがわの心構えの方向性が示されてええかと思ってみてた
平日の朝イチ回だから
己みたいな層しかいないと思ってたら意外とおじさん客・男性客いて驚いた
・思い返すと「世代交代」とか「全体主義と個人のいのちだいじに」とか「ご先祖様の血脈→あっこれ鬼太郎くんのやつや!タイトルや!」とか複数テーマが滅茶苦茶匠なバランスで的確に描写されとった…もう電車でタバコガンガン喫煙してたり吸殻ポイ捨てしたり細かい描写の積み重ねが「時代の倫理観」「今から見ると引くけど当時はみんなやってたから普通だった」を確実に伝えてテーマと絡めて「伝えて」きおる…スタッフさん天才か?
・全体主義に見せかけた「おまえら特攻してこい」→「隊長は?」で首の「死んだら、アカ~ン!」本人の見えないとこで舌ペロを思い出した
・エンディングロールからも最後の最後まで良すぎじゃん…水木神原作の「鬼太郎を育てることになる」単話だけ予習してたから(いろんな意味で)これ最後どうやってあの流れに着地するんや…と思って見てたらアッ白髪……そういうの好き……アッ…エンディングが漫画なのだあいすき…アッ…虚しく宙をかく鬼太郎父の腕…でも魂に刻まれてる…そういうの好き好き侍…アッ…最高…で終わってた
アニメグッズ、絵柄が選べないランダムでの販売というのがずっと続いていて。自分の好きなキャラが引けなかった場合Xで交換を探したり、お譲り先を探したりする。
募集文を考えて条件をつける。交換で募集しているのか、譲渡先を探しているのか、買い取りで探しているのかなど。ポストしてリプがつくかどきどきしながら待つ。
やっと通知がきて内容を見てみると、条件とは違う声がけであることが少なくない。このとき条件外なのでお取引難しいですとお断りするのだがなぜか「大変申し訳ありませんが」とこちらが謝る文章になってしまう。
条件外のお声がけがくるだけで気持ちがすごく落ち込むし、お断りの文章書くことで本当にエネルギーを奪われてつらい。条件外は心の底からやめてほしいのだかなくならない。
困る条件外のお声がけで多いのは以下の2つ
交換のみで探しているに、譲で出しているものキャラを買い取らせてほしいという声がけ(大体は、人気のあるキャラ)
交換で探しているのに、求のキャラを持っているので買い取ってもらえませんかという声がけ(大体は、推している人の割合が少なく交換やお譲り先が決まらないことが多いキャラ)
逆はない。少なくとも自分に対しては一度もない。
その時点で自分の都合だけで声をかけてきているのがわかる。人気のキャラを買い取りですませたい、あるいは、手元に残っているキャラのお譲り先を決めたいという、お声がけ側の都合のみの条件外。これは本当に気持ちが削られてきつい。
条件がわかりにくいという場合もあるかもしれないが上記の2つはわかっていて声をかけてきていることがほとんど。
ただごくたまに条件外でもこの人とならという場合がある。それは単にこちらだけが得するような声がけをしてくれるという意味じゃない。
基本1:1の交換で募集しているものにどうしてもほしいので複数提供しますみたいな提案をする方もいるけどそれはオークションを誘発してしまうので自分は条件外としてお断りしている。そういうことじゃない。
そうではなくて、かゆいとこれに手が届く条件外みたいなのがある。
条件を細かい部分まで全部記載することは難しいので、わかりやすくなるように省略する。
そうすると本当はこういう条件でもいいんだけどわかりにくくなっちゃうから書かなくていいかとなる場合がある。
その行間を読んだ条件外であって条件外ではないというか。
おそらくこちらが出している募集全部に目を通したかして、こちらが求めていることを正確に掴んでくれているお声がけというか。
その上、こちらのみではなくお声がけした本人も同じくらいには嬉しい交換なんだろうなとわかる交換。条件外でも嬉しくてお断りしない、ぜひとお返事するのはそういう場合だけ。
そういうお声がけしてきてくれる人ってきっと相当仕事できる人じゃないかと勝手に思っている。
https://anond.hatelabo.jp/20231106153626
実際にやってみるとわかるけど、
日本語の豊富な書き分け(「オレ」と「俺」、あと「漢」と書いて「おとこ」と読ませるルビ)が非常に翻訳困難。グチャァとベシャッなどオノマトペの使い分けにも慣れてない読者多いし。
アニメローカライズは動きがあるから楽だけどそれでも主人公が背中向けた瞬間日本語にない余計な説明セリフをしゃべりだすジブリ映画たくさんあるやで。
小説原稿をつくるときWORDにいうことをきかせる(自然にルビをつけ行間をあけさせない)からのピクシブ転載用ルビ変換すらかなり難しいから日本人未来をいきすぎなんよ
めんどくせええええええ
つまり高校までのあらゆるレベルの参考書や大学受験の問題を解けるような状態にしておかなければならないとか思っている。
それはたとえば難関大の赤本をぱらぱらめくるだけでも、高校数学の範囲の中で可能な問題設定がこれでもかというほど無数に思えるバリエーションで存在することが分かるということだ。これら全てをマスターせずに専門数学を学んだところで、自分で問題設定したりそれを解いたりできるようになるのかという疑問がある。高校数学ですらそれができるようになってないわけですから。
また高校数学の教科書から一歩出た段階の典型問題や応用問題では、解の個数を求めるときは定数分離するといいことがあるとか、二次曲線同士が接する条件は重解条件とは限らないとか、そういう定理というほどでもないいろんな考え方を身につけさせられるものだ。
専門数学を学ぶ上での記述には、そういう頭のいい筆者が高校時代に身につけた考え方など明示的に表現されてなくて、高校数学を完璧にしておかないとそうした行間を補えず躓いてしまうだけなのではないかと思った。
あれ、でもそんなこと言ったらそもそも高校受験や中学受験も灘や開成で出るような問題は解ける保証ないかも?そこからやり直し?ってなってくる。そういえば算数の中学受験問題解いてみたが全然解けない。
そもそも大学への数学シリーズで得意げに解説してる筆者たちは参考書のレベルにおいて今の自分達が執筆してる位置付けのあらゆる本の内容を高校時代にマスターしていたのかすら疑問なのだが。
とはいえ、難関の中高一貫から東大数学科に入った子には中高の数学は自分では全く勉強した覚えがない(つまり中学受験時から塾に行かずに受かってるんだろうな)という人もいるらしいし、こういう人間はいまさら赤本だの中学受験の算数だの解けるか確認するまでもなく解けて当たり前なのかもしれない。そしてそういう人間の一部が次代の受験業界で難問奇問を自在に作る側に回ってるのかもしれない。
とはいえやはり、高校までのレベルのいろんな問題を解く上で必要な、身につけられる考え方というものが純粋数学の研究および証明に活きてくるという事例はないのだろうか。いやむしろ、その考え方を知っていたからこそひらめいたわけで、知っていなかったら証明に辿り着けなかったということが最先端の数学において無いのだろうか?
その考え方を知らないパラレルワールドの自分が証明できてるかどうか確認する術はないので、その考え方が証明に必要不可欠だったかどうかは証明しようがないんだけども。
とはいえ大学数学に臨むために中学の算数から受験問題の研究で徹底的に深掘りし直したなんて話聞いたこともないし、このあたりは「中高で数学は自主勉強しなかった」ような人間がその道に進むのが適切なのであって、いちいちしらみつぶしにあらゆる受験問題を解いたりしないと自分では考えが浮かばないような人は、そういうことを完璧にしようとした時点で人生の時間切れが迫るし、そもそもその程度の人間は大学数学向いてないと見切りをつけるのも必要かもしれないな