はてなキーワード: ファンタジーとは
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6277821.html?from=randq
↑俺はこの質問者の気持ちがよくわかる。
どうしてこういう誤解をするかというと、「完璧」の定義が最初から違うからなんだ。
つまりこういうこと、テストを受ける、俺は100点のつもりでテストを受けるわけ。100点じゃなきゃダメなんだ。99点じゃダメ。どうダメかっていうと0点と同じなんだ。だから1問目から順に解いていって、解けないところがあればそこで終わり。もうどうでもいい。こんなイラつくものは破り捨ててしまうしかない。100点取れないクソな自分だけが残る。
ところが先生はこう言うんだ。問題全部を見渡して、できるところからやりなさい、って。なるほど、そうすればその人の今現在のその能力がどの程度なのか測れるってわけだ。そしてその当人にとって「ベストを尽くした状態」なわけだな。
この「当人にとってベストを尽くす」ことを持って「完璧」と考えてる人がほとんどなんだ。この世界では。そしてそれは現実的だし、正しいのだろう。
ところがそういう風な基準をどうしても持てなかった人がいるんだよ。俺もその一人なんだ。その人にとっての「完璧」は当人の外部にある。だからその人が考える完璧はもう本当に完璧のことであって、ファンタジーでしかない。センター試験で全教科満点を取った人がいるのかはわからないけど、満点じゃなきゃダメなんだ。小学校からずっとオール5じゃなきゃだめなんだ。図工や音楽や体育も。ところがそんなことは無理。
それは頭ではわかってる。でも感覚がついてこない。どれもこれもダメだ。自分は本当にダメだ。もうこんなどうでもいいものは投げ出してしまえ。そして中途半端の山が築かれる。それを見て人は言う「これのどこが完璧主義なんだ」と。
違う、君たちの言う完璧とは意味が違うんだ。俺にとっては君たちは何もしてないのと同じだし、俺もそうだ。そして俺は自分のダメさにおかしくなりそうだ。君はならないのかい?
俺はいつもズタボロになって生きている。だって人付き合いでも全員に好かれないとダメなんだよ俺基準では。そんなことできるわけないじゃん。頭ではわかっていても、、、。
俺はいつもズタボロになって生きている。
※「2位じゃダメなんですか?」のあの人を完璧主義だとは思わない。なぜなら完璧かどうかにとって、順位はどうでもいいからだ。例え1位でも99点なら意味はないのだ。
http://mikemaneki.blog.shinobi.jp/Entry/277/
しかし、それにしても昔「苺ましまろ」がアニメ化する際に伸ねえが女子高生から女子大生になった経緯を鑑みると、
なんというか緩くなったなぁとは思いますね。
今でも「タバコを吸う女子高生」が登場する原作がアニメ化される機会があれば何らかの処置は取られると思うよ。
やがて、「スレイヤーズ」「スクラップド・プリンセス」等により、ハイファンタジーは読みやすく世界観がちゃらんぽらんなファンタジーになりました。
スレイヤーズは90年、スクラップド・プリンセスは99年。この人の言うような流れがあったとして、後者の頃には既に拡散しきってました。
そこにはゴクドーくんやフォーチュンを代入すればいいと思う。
ライトノベルがまだジュブナイルだったころ、つまり80年代前半に流行していたのは氷室冴子、久美沙織などの青春小説に近いものでしたし。
なるほど。
まぁでもそれは日本も同じで、「自由の国アメリカ」とか「先進的で優れた国アメリカ」みたいなかなり胡散臭いイメージに憧れちゃってる人はいっぱいいるよね。(よくあるコピペの白人男性大好きスイーツ女みたいなのとか)
でもそういう人たちはどっかの段階で現実を知るわけで、そこで学習すればそれでいいんじゃないかと思う。妄想につきあわされる人は大変だろうけどさ。
そういう誤解が生じ得ることを念頭に置いたとしても、古典的な詩を暗記するよりは映画のがいいんじゃないかってこと。
もちろんX-Menとか暗記するのはアホなんで、ファンタジーじゃないまともな映画を選べという条件はつくけど。
それはアメリカ人も同じで、勉強する気があるんだったらアニメや時代劇なんか見てないでもっと日常映画的なものを見るべきという話にはなると思う。
馬鹿っていうのは(興味があるのに)現実を見ようとしない奴とか、見ても学習しない奴とか、そういう意味で書いた。
確かにconfusingだった。ごめん。
たださすがに常識的な感性があれば「アメリカにスパイダーマンなんていない」とわかるように、「日本にニンジャはいない」ともわかりそうだとは思うけどね…。まぁ10代の若者とかだと難しいのかねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20100913002509
小学生の頃、中休みや昼休みに遊びの輪に入れず図書室に逃げ込んでいた。
そこで読んだ「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」辺りが出発点だろう。大丈夫、俺もそうだ。
そして大方の場合、小学校~高校までははっきり言ってクソだっただろう。
グレたか孤独だったかの二択しかない。家庭科の授業と体育は大嫌いだ。大丈夫、俺もそうだ。
そんなわけで、自分の才能はどこにあるか小学生の俺は考えた。運動、論外だ。絵、話にならない。勉強、出来なくはないが一番には到底なれそうもない。そんな時、読書感想文コンテストが市の優良賞に選ばれた。そうか、俺の才能文章じゃね?
そもそも「書きたいもの」がそんなにない。ファンタジーもSFもラブロマンスも特に好みではない。
なんとなく「文学」に憧れはあるが、そもそも文学ってなんだ。これは本を読まねばなるまい。
とりあえず「金閣寺」と「人間失格」を買ってみた。どっちも意味がわからなかった。ただ、人間失格を読んだとき「要するにゴミ野郎だよね」と思った記憶はある。これのどこがいいのだろうか、と真剣に思った。金閣寺は途中で放り投げた。
仕方が無いので、遊び人のおじさん(36歳、ヒモ)に相談した。面白い文学ってない?おじさんは「これを読め」と安部公房の「壁」を貸してくれた。世界がひっくり返った気がした。あの衝撃は未だに忘れられない。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」。まさに「衝撃」と呼ぶのにふさわしかったと思う。ようするに、文学とは衝撃なのだとそのとき俺は思った。「作者は何を言いたかったでしょうか?」という国語教育の呪縛から解き放たれた瞬間だったと思う。
おじさん、面白かったよ。とおじさんに本を返すと、次におじさんが貸してくれたのは
中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」と三島の「不道徳教育講座」だった。今思うと、中一に貸していい本では決して無いのだが。これらの本は「衝撃」という点では安部と全く比較にならないが、とにかく面白かった。中島らものラリった文章と三島と毒たっぷりのユーモア。おかげで、俺は加速度的に人生を踏み外していった。その後、叔父さんは叔母さんと離婚しどこかへ消えていってしまった。どこかで野垂れ死んでいるかもしれないが、元気ならいいな、と思う。
もともと、安部公房からスタートした読書遍歴だったのでとにかく「実存主義」というやつに俺は興味があった。
言うまでも無い、カミュである。「論ずるに値する議題は一つしかない、自殺である」(ちょううろおぼえ)のシジュポスの神話、なにより「異邦人」は安部以来の衝撃を俺に与えた。また、この頃俺の心を捉えたのはもう一つ、いわゆるビート文学である。ケルアック、ギンズバーグ、そしてバロウズ(これは中島らもの影響も強い)、そしてもう一つ。読書暦の長い人は次に何が来るか容易に予想が出来るだろうが、ドストエフスキーが直撃した。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」は当然として、俺の心をえぐったのは「貧しき人々」だった。あの主人公の愛すべきクズっぷり!誰も悪人はいないのに、誰もが加速度的に人生の谷底へ落下していく感覚。学校をさぼっては喫茶店でひたすら本を読んだ十代だった。しかし、サルトルに関してはさほどピンと来ていなかった。「嘔吐」が面白いとは全然思えなかったのだ。根っこをみたらゲロが出る、それで?といった感じだった。
この年齢になると読書に対する耐性もかなり固まっていたので、バルザックやゾラも読んだ、カフカも読んだ。ラテンアメリカ文学にも手を出し始めた。ボルヘスやマルケスも悪くはなかったが、なんといっても「ペドロ・パラモ」のファン・ルルフォが心を捉えた。セリーヌ、ジット、ベケット、クノー、ロブ・グリエといったフランス文学の一連の流れも好きだった。とにかく読みまくっていたことだけは覚えている。おかげで、センター試験の数学は4/200点だった。
そして高校を卒業した。この時期には熱心に小説を書いていたような記憶がある。だが、今読み返しても全く面白くもなんともない。無駄に重苦しい下手糞な文体、意味不明なストーリー展開、自意識過剰さだけがひたすら鼻につくクソみたいな小説だった。大学入試は願書を出すのを忘れた。家にもいられなくなり、家を出た。その後はなんか二年くらい働いた気がする。ある日ふと、立ち寄った本屋でテリー・イーグルトンの「文学とは何か」を読んだ。そうか、よし、文学理論をやろう!そう思って大学を受けた。北海道の片田舎で二年も働いただけあって貯金はそこそこあった。なんとなく某私大を受けたら受かった。奨学金を借りて、三畳間に住んで暮らした。死ぬほど楽しかったことだけは覚えている。図書館の充実っぷりと来たらすさまじいものがあった。幸せだった。いつまでもこうしていたかった。
大学の間は一生懸命研究をやったとしか覚えていない。卒業する頃、現実的に大学院はムリだと悟り就職した。その間に小さい文学賞や論文の賞を幾つか取ったけれど、デビューには全くつながらなかった。今はとある金融機関の出納担当をしながら小説を書いている。明日も早いから寝なきゃならない。何が言いたいのかさっぱりわからなくなったけど、とにかく小説っていいものですよね。人生って辛いですよね。そういうわけで、リンク先の増田にイーグルトン読めとお勧めしたいだけなんですよ。面白いよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100908183544
「時をかける少女」
「魔界水滸伝」
古いなー。
ああ、これも古い。
「けいおん」
(↑おいっ、違うだろっ)
サトラレも確かにそうだね(あくまで「障害者」ではあるけど)。ところで、め組ってそんな話だったっけ?
あと、申し訳ないけど俺自身には「現代がファンタジー」な話に(挙げてもらった以外で)心当たりはない。元の質問は、俺が10年来、脳内で妄想してる舞台設定が既に世の中にあるのかな、という疑問があったからなので。残念ながら、小説を書いたり漫画を描いたりする能力が全くないので、人に読ませることができないんだけど。まぁ、10年くらいのスパンで、いずれ何かの形でアウトプットできたらいいな、とは思っている。
ただ、そういう設定を連想した元ネタとして弐瓶勉の作品、特に『BIOMEGA』を挙げておきたい。これは、上記とは逆の話で「奇形的に発達した科学技術に侵食された世界で繰り広げられるファンタジー的冒険」なんだが、弐瓶氏の作品をいくつか読んで「ああ、この人は本当は正統派ファンタジーがやりたいんじゃないかな」と気づいたことがきっかけ。
以下、チラ裏。
結局は金。例えば桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」。富士見ミステリー文庫版では500円。3年後に再版されたハードカバー版では1400円。さらにラノベはイラストレータと印税が折半になるので1冊当り25円の印税。ハードカバーなら10%で140円の印税。ライトノベルレーベルから出た文庫だと、6冊売れてようやくハードカバー1冊分の印税になる。
「中高生が対象なんだから単価の低い文庫で出すのは当たり前」って言う人もいるだろうけど、でもラノベ界で一番売れている(という言われている)西尾維新の主戦場は、単価がやや高い講談社ノベルスやハードカバー並みの単価の講談社BOX。これを考えると、文庫が主戦場だったのに長者番付の常連だった神坂一て、ものすごい売れてたんだなって思う。「文学少女」の野村美月ですら未だにバイトしているっていうし。
さらに一般文芸作家には文学賞がある。直木賞・吉川英治文学新人賞・山本周五郎賞・推理作家協会賞、あと純文学では三島由紀夫賞(芥川賞はラノベ作家には本当に関係に無い文学賞なので除外)。これらは賞金が出る上に、受賞すると普段本を買わないような人まで買ってくれる効果がある。ラノベもアニメ化すれば同じような効果があるだろうけど、深夜アニメと直木賞、どっちが効果があるかは自明だろう。
さらにこれらの文学賞を受賞すると、地方から講演の仕事が舞い込む。これが1時間ぐらい話すだけで100万円ぐらいもらえるというからバカに出来ない。また、ある程度キャリアを積めば新人賞や各文学賞の選考委員になれて、それも収入源となる。純文学系の老作家の主な収入源はそれ(メッタ斬りコンビや福田和也が批判している、大作家の福利厚生)。残念ながらラノベには、まだそこまでのシステムはない。
角川スニーカー文庫が創刊してもう20年以上経つけど、創刊からずっと書き続けている作家ってどのぐらいいいる?50代で現役のラノベ作家は?しいて言えば、田中芳樹が現役といえなくもないけど、彼は遅筆というよりも才能が枯渇しているせいでまともに小説を完結できなくなっているように見える。
資料をあたる能力と知識が必要なファンタジーやSFならば、ある程度年をとってもかけるだろうけど、今日日流行の学園モノって40過ぎたおっさんおばさんが、主要な読者層である10代の若者が納得するように書けるんだろうか。ここ数年で一般文芸に転向した作家たちは、皆1970年代生まれ、いよいよ「若い感性」というライトノベルにとって必要なものが喪失し始め、小説的技術を身につけた作家が転向しているんだと思う。そういえば、2年以上発売延期している谷川流も70年代生まれだった。多分彼もラノベ界を去るつもりなんだろう。
以上、思いつく限り。
単に似てるな、ってだけの印象論。
こっちの方が分かりやすいんでないかと、ふと思った。
北(軍閥的な印象)と南(気性的な印象)をミックスして都合のいいところだけを取り出しただけ、と先に謝っとく。
起源は常に「俺」。
技術力は、ない。
なぜか売り上げがあったりする場合も、その実、内容は粗悪品。
だけど、エエカッコしたがる。
エエカッコした挙句、問題を作って返ってくる。
だからどうなるかといえば人海戦術。
勝てば良いと思ってる。
勝つために引く、とかはしない。
もれなく逆ギレが返ってくる。
とりあえず叫んどけ。とりあえず叩いとけ。
気圧す、追い込むとか大好き。
むやみやたらに隠したがる。
というか、隠さないとボロが出る。
洗脳的。
都合の悪いことは決して教えず、国民に必要以上の知識は与えない。
逃亡を防ぐのに効率的。
マンセー言ってりゃなんでもいい。
慢性的な停滞感の中で、
何も知らない・頭の弱い子を集めてそんなことしたら、
そうならない人はもれなく泡吹くか、精神を病むか、脱北。
ブラックの8割は嘘偽りで出来ています。
アイデンティティとか大好き。
お前のものは俺のもの。
竹島だって俺のもの。
とりあえず他者(他社)が悪い。
失敗の責任は内側でなく、外側が払うもの。
そして他者(他社)を必要以上に貶め、
自己の優秀性を過剰にアピールする。
困ったときはミサイル撃って、支援を取り付ける。
もう、人の弱みに付け込み、人を脅すとか大好き。
決して「辞めろ」とは言わない。決して「残業しろ」とは言わない。
だけども、「俺の言うこと聞かないと分かるよな…?」「この界隈で商売できないようにしてやろうか!」。
意に反するものはすべて危険思想。
そんなヤツを見つけたら、とっ捕まえて更に過酷な強制労働。
労組なんて作らせません。
外貨を稼ぐものは、主に法外(かもしくはグレー品)な商品。
キムチは、アレです。
金があってもなくても、国民には回ってきません。
長々と書いてきたが、なんと言っても将軍様。
この国は将軍様の国なんです。
我々は将軍様に養ってもらってるんです。
将軍様の声は絶対です。
将軍様は神なんです。
「もう“タダ乗り正社員”は生き残れない? 日本企業に「解雇解禁」の時代がやって来る|今週の週刊ダイヤモンド ここが見どころ|ダイヤモンド・オンライン」
http://diamond.jp/articles/-/9140
インフレにすればよろし。
インフレ下なら適切な給料を払わない企業から優秀な人材はドンドン逃げていくし、適切な給料を支払えないクソ企業は残ったタダ乗り社員と共に宇宙のファンタジーになるわけでw
でもデフレ下だとそういった競争も働かなくてイノベーションも生まれづらい。過去10~20年間これだっていう企業が生まれていないって話が時々上がるが、つまりそういう事だよね。
すぐれた虚構は、虚構の中でのバランスが取れてる。現実からかけ離れた設定ならその設定なりにつじつまがあう法則にそって構成されてる。それに、虚構の中にリアルと共通点をもつ本質的なテーマがうまく組み込まれてる。
キャプ翼であれば夢を実現することやサッカーが本当に好きということ。そういうのって虚構が幅広い人に受け入れられるには必用なこと。それが上手く出来てる作品なら、プロフェッショナルにも共感されやすい。それができてない作品はただのオタクオナニー。
何かに対してプロフェッショナルな人間は一見違うものにも共通した本質を見出す能力に優れてるから、リアルと共通点をもつ本質的なテーマが組み込まれた虚構を楽しむ視点も持てるんだろうし。
医療モノだと、素人は技術的な話だけで釣られるけど技術面を知ってる人はそれだけじゃ釣れないし、逆に批判の材料にさえなる。だけど、医療に関わる人が現実で何を考えてるのかとかそういうところがリアルなら、受け入られるケースもでてくる。(知り合いにナースがいるのでそういう話も聞く)
自分はプログラマだけど、ラノベなんかでハッカー(大抵はクラッカーだったりするが)やプログラミングが表面的な技術面だけのステレオタイプ化された物語の道具として扱われたら、例えそれがファンタジーであっても醒めるよ。ああ、記号が欲しいだけなんだなって感じ。
逆に、技術的な説明がお粗末でも、プログラミングが上手くいったときの感じやものつくりの精神やハッカー精神がリアルに物語に組み込まれてたら感心さえするし、現実との違いも気にならず虚構として楽しめる。
需要の問題っしょ
と、
という傾向があるだけっしょ
どんなジャンルだってリアル志向とファンタジー志向とで住み分けされてる。
格闘はやってる人少ないし戦争は日本人じゃ大抵やってないし、殆どが未経験者。
だから、リアル系格闘漫画もあれば気を出したりするような格闘漫画もある。
それに、戦争モノで多少の嘘表現されても、それを嘘だと見抜ける日本人は少ない。
料理漫画の殆どは実際にありそうな料理で、現実の地名や取材に基づいたネタがでてくるでしょ。
それも料理は万人が触れた事のあるものだからだし。
トリコみたいな例外もあるけど、ファンタジーと割り切った表現だから許容されてる。
恋愛はというと格闘や戦争に比べたら圧倒的に経験者が多いから「リアルさが~」という人が多いのは当然。
でも恋愛を創作物に求める必用のある人は未経験者の方が多いだろうからそういうマニア層向けにとっぴなのも需要あるのかもだけど。
リアルなものを知っていたら、虚構を虚構として楽しめるかどうかって問題とは別に、違和感感じて一気に醒めるというのはある。
例えるなら、美味しんぼにいきなりトリコの野菜が出てきたりしたら醒めるだろ。
虚構の中のバランスがおかしくなった時に、虚構がくずれるっつーの?
そういう感じ。
結婚って「この辺で妥協しとくか」って相手とするもんだと思う。
愛はなくもないけど、その程度。
思い出したくもないことだけど、俺は同じ相手に二度告白して振られた。
A子と呼ぶ。
そして、しばらく後に、そのA子から
「結婚して」
と言われた。
俺は逃げた。
「付き合いたいけど結婚したくないってカラダ目当て?」
って罵倒された。
結婚とか突然言われたら重い。
第一希望が通らなかったから第二希望ってことかい?そりゃねぇよ。
「付き合う」=「結婚」=「金づる」かよ。
ファンタジーを求めていた俺と、行きおくれに焦りを感じた30代女のすれ違いが生んだ悲劇。
その後、俺のファンタジーを満たす彼女が出来、ずいぶんと歪んだ恋愛感も修復できたけど、彼女いない歴=年齢にはきつかった。
ちなみに、俺のファンタジーを満たした彼女というのは人妻でした。
「外出しなくても(一目につくところに行きたくない)、プレゼントなんかくれなくても(モノが残るのは嫌だそうで)、一緒にいるだけで幸せ」
と言ってもらえたとき、涙が止まりませんでした。
そんな彼女はこのほど旦那の子を孕みました。
好きな子が他の男の子供を孕むってのも、またショックな話ですが・・・