漫画にしても小説にしてもそうだけど、最近読解力が足りてないような気がして悔しくなることがある。
物事の表面しか捉えられていないような、深い読み込みなんかしてみたいのに、能力が足りてなくて残念だ。
それとも、ものを読んだ時に生じた感情なり感想を維持し続けららないのが問題なんだろうか。
あるいは、その時得たモヤモヤを上手に言語化できないのが問題なのか。
たぶんすべて足りないんだろうなあ。ノウタリンなんだろう。衝動的というか組み立てることが苦手というか。
消費だけする生活は嫌なので、何か排泄したいのだけど、うまく捻り出せないというか、臭気を放てないというか。
話は変わるけれど、精神的な創造的なスカトロって結構ありなのかな。
いや違うか。排泄物じゃあ適切じゃないんだなあ。それだと、カスしか残ってないことになる。新たな価値観が込められてない。
もちろん、そこに価値を見出す人もいるだろうけれど、それとこれとは話が別なわけで。
手工業なんだねえ、きっと。料理とかそんな感じだ。それが作りたいわけだ。
そしてまた話が変わるわけだけれど、事前に何を書こうかちゃんと把握しているのとしていないのとではそもそもの書き方に違いが出るものだよね。
だいたい今上に書いたことなんて削って削れば産業で済むようなことだし。この短い中で話が三つも入ってるし。
書くことで考えるってわけではないけれど、整理が出来る人ってのは、たぶんこうして書いたことを消さないほうがインだろうと思う。
消し始めると、全く先に進まないから。合ってないんだよね、前もってどんなことを書くかとか考えて書いてしまうのは。
そりゃあちゃんと成形するときには削らないとだけだけど、それは全部書き終わってからでいいことだし。
そうしないで削り始めつともうだめだよね。書きたいことっ点だろうって考え始めて、それが見つからないから書くのに、その手段を捨ててしまうわけだから。
ダメダメっすよ。日日日が1ページの間で矛盾が見つかって編集さんに迷惑をかけたとかなんとかあとがき書いてたことがあった気がするけど、もしかしたらこう言った書き方してるからかもしれんな。
めちゃくちゃ書いてればそれだけ進むわけだし。モチベーションも上がるしねえ。とにかくキーボードをたたきまくる乗っていいと思う。精神的にも技術的にも。
うん。まったく纏まりも糞もねえ。これこそまさしく廃棄物だ。うんこだうんこ。さほど臭わない、存在意義さえ疑うべきうんこだ。
こんなもん食ったらあかん。食う人は居ないだろうけど、自分自身でも食ったらあかん。下痢になってしまう。びちびちうんこ。
嘔吐するかもしれんしねえ。胃液と混ざって。そりゃあ臭くはなるし色も酷いもんになるだろうが、それはもう見るに値しない。そんなもん出したらそれこそダメだ。ダメダメだ。
だからとにかくこのままでいいと思うわけで。頭悪いから。頭悪いからこういう方法しかないんだよきっと。日日日は別枠だしさ。俺だけが糞なんだ。
というか、糞は糞をするのか? 人間は人間を倦むんだから、糞が糞を倦むこともありえるんだろうな。
ようわからん。
糞して寝ろ!
深く読み解けないのは自分がどういう視点から見ているのか、どういう立ち位置で物語を受け取ったのかをはっきりさせていないのが原因だったりするよ。 感想を組み立てる土台を設定...
読解力なんてコンピュータにまかせとけばいいんじゃないか? その力を得て行き着く答なんてひとつしかないんだからさ おまえらが言うところの読解力って、正確に読み取る力なんか...
おまえらが言うところの読解力って、正確に読み取る力なんかじゃなくって、妄想力とか空想力とか、そっちのほうだと思うんだけど 増田の読解力厨はそうだよね