ちなみに私はDLsiteのヘビーユーザーで、モンスター娘を娼館で調教する系の同人エロゲが大好きなタイプのフィクトセクシャルです。ポリアモリーと言うべきか、逆にAロマンティックと言うべきかわからないけど、「たった一人のパートナー」を選んだこともないですね。
良かったら買ってね
正直、ひとつの作品として評価するとそこまでじゃないけれども、琴線には触れたね。少なくとも、久々に長文で感想書きたくなる程度には。
私は子供の頃、ハムスターを飼っていて失敗した覚えがある。二匹飼ってたけれども、一匹は脱走して、もう一匹はケージを日なたに長時間置いていたせいで死んでしまった。いや、殺してしまったというべきだろう。あの時、私はペットを飼うべき人間じゃないって思ったよ。
ただ、それから大人になって色々と考えを巡らせるようになると「愛玩動物」という概念、文化そのものに疑問を持つようになった。だって「動物を飼う」という行為自体、必要のないことだから。もし、それに必要性があるというならば、それは飼う側(人間側)の都合でしかない。
ペットを飼っている人たちが、他種に対する思いやりやら命の尊さを語ることがあるけれども、あれって本気で言ってたら怖いよね。だって読んで字の如く「愛」する「玩」具として手元に置いている立場なのに、その状態で動物の死生観を客観的に語ると空々しくなってしまう。ペットに服を着せて「飼い主側の都合でそういうことをするのは如何か」みたいな意見は昔からあるけれども、そもそもペットとして飼ってる時点で人間側の都合を押し付けてるから。
もちろん、それは動物を飼うということだけではない。食べるため、服の素材にしたり、或いは政治的パフォーマンスのためにお立ち台にあげられる。害獣、害虫、益のあるなしなんて人間社会の決めたこと。自分たちの生活を豊かにするため、時に排除し、時に利用する。グラデーションに違いはあれど本質は同じで、せいぜい細かな差異を人間という第三者たちで語るだけ。結局のところ利己的な対応をとっているに過ぎない。私たちは「命の選り好み」を各々で強いられて、「倫理的バグ」を抱えて現代社会を生きている。
といったことを踏まえると、『マナー・アプリオリ』という作品はえげつない。本作のテーマが何かって言うと明白で、それは「愛玩動物」。それを人間に置き換え、宇宙人の立場から、人間社会が抱えた「命の選り好み」と「倫理的バグ」を風刺的に描いている。『鬼滅の刃』で「生殺与奪の権を他人に握らせるな」ってセリフがあるけれども、もし握らせて相手の倫理に委ねたらこうなるともいえる。言葉で意思疎通を図れるヒト対ヒトでそれなのに、動物相手だったら尚さら。
『ミノタウルスの皿』と比較している人もいたけれども、本作は“愛玩動物”という視点から他種の命に対して問題提起を行っていて、食べるかどうかっていうのは一要素、側面的な話だと思う。『ブタがいた教室』っていう、学生たちが育てた豚を食べるかどうかで議論させた話があったけれども、本作がやっていることはそっち路線。「命を学ぶ」という“学ぶ側の唱えたお題目”によって、ブタの「命を弄ぶ」という側面。
テーマについては解釈の余地はほとんどないと思う。あと、本筋に対しても解釈の余地は少ない。大体のことは作中で語られてるし。最初の1ページで飼い犬が捨てられて、飼い主側の都合やらが語られる。旦那さんの「一日中ケージに閉じ込めてるのはかわいそうだ」だっていうのも、人間のフィルターを通して語られる一方的な倫理。それが人間の身に降りかかるという分かりやすい構図。
例えば「命の選り好み」と「倫理的バグ」については分かりやすい。主役の宇宙人たちの世界でも共食いは犯罪。自分たちと見た目が似ている人間を食うのはゲテモノ扱いで、忌避する者もいるが一応はOK。まあ、これは哺乳類を食べるかどうかとか、クジラを食べるかどうかみたいな感じかな。
人間の子供に情を抱いたサッピは「殺すなんてかわいそうだ」といって、クンダは「それはエゴだ」という。なるほど一理ある。でも後にクンダは「そいつの幸せはとっとと食われて余計なストレスとおさらばすることだ」なんて言う。いや、それもエゴでしょ、ってツッコミは読者がするしかない。けれども、そのツッコミを本気でできるほど私たちは上等じゃない。
個人的に目を引いたのは痛覚のあるなしで是非を決めようとするシーンだね。痛覚がなかったら刻んだり好きなように弄んでもいいのかっていう疑問はあるけれども、これは現代のヴィーガンにも通ずる。痛覚がないから植物で、生物ではない。殺して問題ない命。その判断自体が人間の決めたカテゴライズでしかなく、それは「命の選り好み」の延長線上でしかない。あまり思慮深くないクンダは時々の感情で判断し、サッピの方は独自の基準が多少なりともあるが本質は同じ。無差別ではないが公平でもない。
ここまで語っておいてなんだけれども、私は本作を高く評価してはいない。テーマに対して淡々としすぎてて、ストーリーラインに起承転結の盛り上がりがあまりない。そうすることで残酷さを如実に浮かび上がらせるって意図なのは分かるけれども、それが一作品としてのエンターテイメントから見たとき、やや面白みに欠けるのは確か。
プロットに対しメッセージ性も露骨で、説教臭さが抜け切れてない。宇宙人の文化や倫理観、言葉選びが人間社会とほぼ同じで、語られることも作品内で馴染んでない。ひいては宇宙人の二人も本作のテーマを風刺的に描くための舞台装置、配役でしかないことを意味する。なんというか、『寄生獣』の終盤で環境問題について語りだす件があるけれども、あれだけ抜き出した感じ。有り体に言えば浮いてる。
ただ、私からいわせれば物足りないってだけで、現代社会は「命の選り好み」と「倫理的バグ」について、大衆は割り切るかどうか以前の段階。大半は無自覚的に享受し、狭い範囲内で限定的な倫理を振りかざすのが精一杯。踏み込んで論じる段階にすらいけてない。それで描いても読者の大半はついていけないだろうし、少年ジャンプ+というサイト掲載のマンガとしては丁度いい按配といえなくもないかな。
その道の先に何があるの?
私達はどこから来たの?
どこへ行くの?
ところでゴーギャンって、ゴー ギャンって区切るとマ・クベが熱血主人公っぽく突撃していくイメージが浮かんでこない?
ゴー!ゴー!ゴー ギャン!
い い 音色だろ?
(チンチーン)
い い 音色だろ?
(チンチーン)
シャーを図に乗らせるな!
負けられないのだよー
ゴー!ゴー!ゴー ギャン!
(答)
facebookやgoogleのアカウントを活用して登録する人が受け答えします。
『無神論者の方にお聞きします。死の床にあるあなたの5歳の娘が「死んだら天国に行くの?」と聞いてきたらどのように答えますか?』
https://jp.quora.com/無神論者の方にお聞きします-死の床にあるあなたの5
こちらを読むと、海外の方のやり取りも翻訳版で読めるようです。
●今の若い人達は、Twitterで【緩募】【急募】○○の質問サイトって使い方をする人も出てるでしょうし。YouTubeのコメント欄で、気に入った方に質問される方も多いですよね。
●以前の知恵袋での回答だとこんな感じみたいですね。(2010/1/7だから、10年前のQ&Aは、こちらです。)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1134955931
参考になれば、嬉しいです。
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...って、回答つけようと思ったら、回答の受付を締め切られていたので。成仏させたい。
10分前ぐらいに書きこみがあるけど
いま、自分が何やっているか?どうして、土曜日なのか、自分で自分を認識するのに、時間がかかった
どうしておれ、国に保護を求めなかったんだろうとか
なにやっているんだとか
確認している。
ありゃヤバイな。
○○○ジュースとか、○○○を○○○に突っ込んで腹を蹴っとばすとか。
半ばヒロインの男の娘は○○○されてひどい殺され方するし、戦闘機や軍艦も出てきてもろとも撃沈するし、安易に核兵器も落ちる。
だんだん、序盤の親殺しが軽く見えるもんなぁ…。
風邪って風邪的症状の総称で要するに熱があって体がだるくて咳が出るのは、原因がどのウイルスだろうがどの病原菌だろうが全部風邪ってことでいいだろう、っていう世の中のコンセンサスがあります。
コンセンサス雑くないか?っていう疑問は俺もあるけど多分どの風邪も、普通に健康的な人ならほっときゃ治るようなヨワヨワ病気なので、一個一個の風邪の原因は調べない、というか実際に医療の現場で風邪の病原菌とかウイルス採取してとか大掛かりに検診している間に大半の人は回復するから、風邪の原因とか調べる必要ないよなっていう雑なコンセンサスがあるんだと思う。
じゃあ鬱はほっときゃ治るのかよ!っていう気もするけど。人によっては確かにほっといてなおってるなーって感じの人もいる。
でもまぁ基本的に鬱はほっといて良いような病気じゃないと思うし、その前提で話します。
じゃあどこらへんが鬱と風邪が似てるのかって言うと、鬱の原因かな。
脳って複雑だからいろんな原因でおかしくなると思ってて、運動不足でもおかしくなるし、野菜が不足してもおかしくなるし、いじめられたり鬼詰めされたりしてもおかしくなるし、借金とか、毒親?とか、人間関係でも、生活環境でも、食生活でも、遺伝的な傾向でも、めっちゃいろんな理由で鬱になるので、評価不能なんだと思う。
理由によっては特定の薬飲めば一発で寛解する人もいるだろうし、全部の薬使っても良くならない人も出てくる。
誰も鬱の本当の原因を知らないのである。
違ってたらごめん。
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