先日、元官僚で現在は社外取締役をつとめる方に経営のお話を伺った。
数年前から知っている方だったが、きちんと考え方を聞くのは初めてだった。
どうせワークライフバランスの話だろと、高をくくっていた。
話の内容は、日本人としてどうやって、グローバル社会で戦っていくかという話だったが、目から鱗だった。
その人はそれなりの立場にも関わらず、日本人は日本人としての個性で戦うべきだと言い切った。
グローバリゼーションは世界の標準と同じことをするのでさなく、世界レベルで、日本人の特性を活かすことだと言った。
仕事が面白くないから合理化が必要なんであって、仕事が面白かったら何故合理化しなければいけないのか。
遊びを合理化しようなんて、思わないはずだ。
確かに終身雇用は崩壊した。年功序列も崩壊しつつある。だからって欧米人の得意な方法で、日本人が戦う必要はない。
・移動時間が長くてすごく疲れる
18切符の旅が好きで毎年やってたこともあるが今は疲れるし昔ほどあれじゃ回れないしもうできないかもなあ。若いうちは楽しい。飛行機は乗れなくはないが正直3時間が限界だから海外は行ったことがない。
ここに行くと決めるだけであと何するかはそこで決めるので旅行ガイドは見たことがない。そういう無駄旅が好きだ(今はほとんど旅行しないから好きだったかもしれない)。ただ無駄が多すぎるので9割以上の人にはお勧めできない。
・お金がめちゃめちゃかかる
今思うとまったくその通りで否定のしようがない。安く上げる方法を検討するのはあっても結局行かないのが一番安い。
まあ、私が旅行しなくなったのは金ではなく、昔楽しみにしてはるばる遠征した温泉で中国人団体客とぶち当たり温泉汚いわうるさいわで嫌になってしまった、あと富士山に行ったときに人しかいなかったのに呆然としてもういいかな…と思ったのが理由ではある。
後者は10年以上前に富士山に行きその時は閑散とした登山道をたまたま気のあった陽気なアメリカ人の人とわいわいしながら登ってたのと比較だからあまりの落差に呆然とした。登山ブーム発生自体は知ってたけどあれほどとは…ね。
人込み見たかったらわざわざ観光地じゃなくても別に東京で構わない。せっかくそういうとこに行くなら多少閑散とした雰囲気があってほしい。わがままなもんだと自分でも思うけど、私が旅行至上主義者だったころの観光地はそうだった。京都でも人は多いがもう少しゆったり散策してられるだけの余裕が昔はあった。今は宿もないが。
そういうのに取り残された崩壊寸前の地も多数あることは知ってるけど、そっちは今度は交通路がない。閑散を通り越した虚無に近い何かだ。鉄道切れて一日たってもたどり着けないとか。思い立って行ったら数年前にあった土産屋が軒並みなくなってたとか…。考えるのもわびしくなる。
金の問題は止めたあと気づいた。もともと金に困ってはいなかったがしばらく旅行をやめていたら貯金が倍貯まっていた。使い道は老後の備えくらいだろうが…。
こんなんだから私も旅行先を毎回聞かれて答えに窮する者の一人だ。困ってはいる。
私の場合数年前私が筋金入りの旅行絶対主義者だったのを周りが皆知っており、今も旅行絶対主義者だろうと思って休みになるたびにどこに行くのと聞いてくるから問題がでかい(苦笑)。
いやもう旅行行かないんですよとも言えない。
自分は男です。
自分の会社でもバレンタインのチョコは配らないルールになっていた。それは暗黙の、ではなく、社長命令としてそうなっていた。
自分としても面倒臭くないしそれで良いと思っていた。
しかし、ある年、自分の部署のいかにもスイーツなバカ女がいたのだが、そいつがチョコを配ったのだ。
「こいつなにしてくれてんの…、バカかよ…」と思った。
嬉しいとか良い印象なんて全くなく、本当に悪い印象しか持たなかった。
「2000万円のお返しになります」
コンビニのレジで女は言った。にせんまんえん、の、おかえし。通常お返しというのはお釣りのことで、通常この国で流通している最高額紙幣は一万円札だ。従って通常お釣りは1万円を超えない。にせん、まんえん。
追撃が入る。
「2月14日はバレンタインデーです。私は貴方に1000万円相当のチョコレートを差し上げようと考えました」
そんなものは貰ってないです。
「そう、ご存知の通りこれは諸般の事情によって果たせなかった。心より残念に思います。わたし、あそこのベンツの形をした乗れるチョコレートを差し上げようとチョコレートの魔女に弟子入りまでしたのです。けれどベンツでしょう?いかんせん禁煙がうまくいかなくて」
湯煎したチョコレートのボウルから螺子やホイールを引き出そうとしても、タクシー模型やら頭につける方のボンネットやらが出てきてしまうものだから魔女の3つの顔にかわるがわるダメ出しをされたのだという。
「ところで三倍返しというルールはご存知でしょうね?」不知ないし否認し「先月14日、私は1000万円を貴方に渡そうとしました」
あの。
「ですから貴方には今月14日、私に対して3000万円相当の『お返し』をする義務が生じているのです。未だ履行を見ていない私の1000万円については慚愧に堪えませんが、やむを得ず『お返し』の一部と相殺して頂くことにして、お返しは2000万円で結構ですよとこういうわけです」
そんなわけで2000万円の債務を負うことになった。
他人に対して一番素直に接することができていたのは、
好みの絵を描く人や、有名人にメッセージを送れることに感動して
かわいい!すきです!仲良くなりたいです!
と思ったままに人に接していた
ネットの中では。
お近づきになる努力も惜しまなかった、今思えば、という行動も多々あるが(調子に乗って会いたいです〜!とか言ったらマジで会うことになって焦るネット弁慶)。
その時得た繋がりは、今も希薄とはいえ、話しかけたら返してくれる、名前を覚えてくれている関係が残っている。
今じゃ、それが、ネットでも
好きな有名人にリプを送るのでさえ憚られる(こんな応援リプ、何度も送られてるだろうし私が送らなくてもいいんだよな……とか)し、リアルの方がよく喋るようにはなったが、未だに自分から他人に好意を素直に伝えるのが難しい。
オタクの絵を描いてるネットの人はみんな友達!仲間!くらいに思っていたし、
そこでは嫌われる要素がないと思っていた。びくびくする要素がないと信じこんでいた。
あの頃の最強感は楽しかったなあ。
好きです!仲良くなりたいです!
と素直に伝えていくことなんだが、それが、「仲良くなりたい」と思う人も見分けることができない今の私には非常に難しい。
最近、山口百恵の曲を色々と聞いたんだけど、昔のアイドルって際どい曲を歌ってるんだな。「ひと夏の経験」とか。「美・サイレント」とかあれ絶対下ネタ狙ってるよね?誰もが××××の間を色々とよろしからぬ方向で考えちゃうよね?
んで思ったんだけど、「曼珠沙華」もそうなのかなと。アイドルにマン汁って言わせたいのかなと。いやさすがにこれは妄想しすぎか。
給与が決まるのって人材の需要と供給のバランスなんだろうけど。
ほとんど誰でもなれる職業だからあんなゴミみたいな教師が溢れるんだよ。
逆に広告代理店とかテレビ局なんか、人柄も地頭もいらなくない?
給料高すぎじゃない
匿名とは言え少し嘘を混ぜさせてもらう。
80のおばあちゃんに話を聞くことがあった。
この年齢の人は子供の頃に過酷な体験をしていることが多く、その話を使命感ではないが、どちらかと言うと好奇心で聞きたかった。
壮絶な話を聞いて「だいたいこういう話は蓋されてて話してくれない」ということの上に、話を聞く機会自体も減るのかと思いなんだか勿体無い気持ちになった。
2日貯めると小さな羊羹(のようなもの)が買え、食べれたらしい。
我慢できない日は5円で「べろべろ(またはペロペロ)」というお菓子を買ったそうだ。
平たく、円形できな粉を付けて食べた。と聞いた。
それを話したら記憶がより鮮明になったらしくもう少し具体的に話してくれた。
小麦粉を練ったものじゃなくて蕨っぽいというところまでわかった。
諸事情で英会話学校への入学を考えていて、体験レッスンに行った。
まずはレベルチェックでネイティブ講師と会話したり、質問を受けたりした後で
その中のチェック項目で「(日本人が苦手だとかいう)LとRも区別できてます」と言われたんだけど
(そう言われたんなら、できているんだろうけど)
そもそも自分が区別しているとか、できるできないとか自体を考えたこともなかったので
その理由としては色々考えられるが、結局のところは熱意の問題だと思うようになった
はてブをはじめ、世間には「こんな恋人は無理」「恋愛するなら気を付けるべき事」
みたいな情報は無数にあふれている
それらを見て、自分が「駄目」な方に一つも当てはまらない人なんてほとんど居ないだろう
私なぞはむしろ、「駄目」に当てはまらない部分がほとんど思い当たらない
でもそれはよく考えれば恋愛に限った事ではない
およそあらゆるノウハウ的情報は、「駄目なこと」「良いこと」を分かりやすくまとめたものと言えよう
たとえば猫の飼い方の本やサイトを見ても、「駄目」なことは本当にたくさん書いてある
それでも私はどうしても猫が飼いたかったから、「駄目」を全てなくせはしなくてもできる範囲で減らし、
可能な限り「良い」を増やして、それを免罪符に猫を飼ったし、今のところそれで悔いはない
猫相手と人相手では責任の重さが異なる、相手にも選ぶ権利がある、というのもあるが、
それを含めた上でやっぱり、私に恋人がいない本当の理由は、猫程には恋人がほしくないからなのだと思う
実際、恋人がいなくて肩身が狭く感じることはあっても、心底誰かと居たいとは感じない