はてなキーワード: 容貌とは
「若い頃よりも年食ってからの方が綺麗になる人って居るんだな」と(それも30・40とか半端な年齢ではなく人生の終盤レベルの年齢で)
普通だったら10代や20代のみちみちしてる頃の方が「美しい・可愛い」ものだが
上記の番組に出てきた喫茶店のママ(83歳)は、6、70年前の容貌よりも現在の方がどう見ても美しいのだ
こわ…
というか、そもそも83には見えないしな
こうしていい具合に余分なものが削ぎ落とされ、それでいて若々しく美しく装えていると
退廃の美かな
そんな人は稀有だけれども
偶に「この人、若い頃は超絶美形だっただろうな」って人の昔の写真とか見ると全然だったりすることあるよな
謎過ぎる
まあ…そんな頃に綺麗になっても意味ねーけどな
それでも「綺麗で上品なおばあさん(おじいさん)だなあ」って方が良いさね
女の子に「(現地語の)◯◯◯◯語を全部話せるようになったら、僕と結婚してよ」とプロポーズしてみた。
現地語の例文をいくつか一緒に読んでいって、その最後にそのプロポーズを付け加えたので、女の子は照れたのか、少し俯いて聞こえないフリをしたようだった。
明確ではないが、おそらくOKということなのだろう、その子はすぐ隣の宅なのだが、日に3、4回 私の名を呼んで呼び出してくれていたのを、その回数が3倍くらいになった。宅の敷地の境は竹でできていて、その垣根の隙間越しに、(昼食や間食を)ここで一緒に食べようよ、とも言ってくれるようになった。
睫毛の長い南国の容貌の、細身のとても可愛い子なのだが、問題が多々ある。
数日前、ある数字に11を足すこともできないことが発覚した…。
私はこの国に生活を移して もうすぐ7年になるので、これが何に起因して、それが何の帰結をもたらすか、ということを私は十分に理解している。これは、単に「算数ができない」ということではなく、その上位の、「何かを我慢したり、努力したりする。それを継続する」ということができない、ということを示しているのだ。それがどのような望まない結末に至るか、は言うまでもない。
さらに昨日もその女の子が歯を磨く習慣を持ち合わせていないこと、そして家族5人全員が同様であることが判明した…(村の他の家がそのようなことはほとんどないと思う)。父母ともさして歳がいっていないのに、フガフガとした口調で、片方または双方が酒を飲んでは時々夜中に口論している。
彼女の前歯も黒く蝕まれており、半分くらいになってきている。このまま行けば、数年のうちに歯はボロボロになるだろう。
くだらない話で申し訳ないが、この元日、別の女の子にフラれてしまい、今回の女の子も全く顔を見せなかったことから、年初の2、3日は本当に廃人みたいな歩き方になっていた。自分の中で生活に対する女の子の比率がこんなにも高かったのかと思い知らされ、これ以上あの枯渇感を味わうのは御免だ、と今回のプロポーズに至ったわけだ。男ってアホだなぁ。
そんなわけで、これまでの独立独歩の日本人といった位置から、同化政策へと大きく舵を切ることに決めた。現地の人と同じ言葉を使い、同じ仕事をする、ということだ。
自営業を営む程度ならどうでもいいのだが、結婚をして家庭を持つとなるとそうはいかないだろう。特に現地語が話せないと何かあったときに全く介入の余地がなくなる。これまではそうだった。
そうして、彼・彼女らの内面に入っていく、ということなのだが、上記のような文化・習慣を持っている南国の人たちの「内面」が私の理解・許容できるものかといった点については非常に疑わしい。当初に現地語の学習はほどほどにして見切る、としたのもこの理由による。しかし結婚を視野に入れたとは、それを学ばざるを得ないだろう、ということだ。
私への呼び出し回数があからさまに増えたが、さして彼女の側に特段の話題があるわけでもなく(理解できる言葉は限られているのでそもそも会話らしい会話とはならない)、他愛もないやり取りが続き、私は家事や仕事の準備があるのに、呼ばれるたびに出向いて相手をするわけなので、プロポーズして3日で少しウザいように感じるようになってしまった。未熟の青マンゴーに臭い酢とバゴオン(アミエビの魚醤)をつけたものを供されて「おいしい?」と訊かれたときにはさすがに答えに窮した。
歯が無くなり、ゆくゆくは皺もよる彼女の「内面」をそれでも私は愛せるだろうか。
呼ばれて行くと稀に、わざとだろう、バスタオル一枚だったり、水浴びをしていたり、着替えの最中だったりするので、まぁ今のところはシアワセ、現地に倣って先のことは考えないでおくか。
まどかマギカみたいな美少女アニメ(のスピンオフ)は男性ファンがおおい界隈なので女の人の見た目を不細工に描くのは難しい。
男ファンの多い界隈、少年漫画とかアニメの多くに出てくる不細工な女キャラは、「不細工だけど凄い良い人」だとか「不細工だけどキメるときはキメる」とか基本的に良い存在として描かれる。
ターちゃんのジェーンとかバレーボーイズの虎子とか。それ町の針原さんもいるね。
例えばネット広告で有名になったサバサバ女みたいな不細工なキャラデザで内面も酷いというキャラは女性読者の多い界隈でないと存在が難しい。
サバサバ女は主人公というのが特異だけど、脇役として嫌なライバルキャラが存在するのはよくある設定だだと思う。
街角にホワイトボードを置いて素人さんが自由に授業をする姿を見ながらMCがそれについて話す番組だ
その中で
「整形1000万円は安い!」
彼女は小5から整形を始め目鼻輪郭と完全にトランスフォームし、現在はSNSで累計2億円を稼ぐ人となっている
整形に1千万かけても元取る以上に稼げるから、この整経代は安いという論法である
その他の理由も相まって、整形に結構な金額をかけたとしても相応以上の利益を得られると言っている
納得出来る授業だ
整形アレルギーのくせしてルッキズムを振りかざす奴等が多い世の中ではあるが
こうやってみんなが自分の好きな形に顔を変え、それで生きやすく楽しく居られるなら万事okだと思う
コンプレックスなんてものはそれを原動力として上昇していけるときにだけ役立つものであって
ところで、彼女が幼き日に整形を決意した理由は「母親と妹が無整形で美形だったため、常に比べられて辛かったから」とのこと
写真が出ていたが母・妹は実際結構な美形であった。引き換え、先生はよく居る地味顔女の子だ
関係ないが(しかも自論でしかないが)「次男・次女の方が優れた容貌」であることが多い
何故こんなことが起こるのか
やはり個人的な推測でしかないが、第一子は「無事に生まれてきて健やかに育ってくれさえすれば良い」という親の気持ちと「第一子には最高の躾と教育を与えたい」という親のエゴが、上記の結果をもたらしているのではないだろうか
言ってみれば「持って生まれた顔」なんてのは親の責任でしかない
当然だな
韓国のことは全く分からないが、あちらはそういう風潮のようだな
親も「顔が良い方が人生楽」ってわかってるから子供が若いうちに整形させるっていう
良いと思いますよ
(したくないやつは勿論しちゃ駄目だけど。子供が希望したら親は頑張ってさせてやって欲しいね)
ゾッとした。
書くか迷って随分寝かせていたけど書き切ってしまおう。
ハッキリ言って自分と彼女の顔は似ている。いや、むしろ似ているなんて言うのは烏滸がましいが、少なくとも異性ウケする顔ではない。
彼女は不自然な不均衡さや歪みがある顔ではないのが救いだが、自分はそういった不均衡さも含む醜い顔であることを念頭において読んでほしい。
さて、あの話の根本は、あれほどのキャリアであっても既婚男性と不倫し、子を成し、あれだけの地位を捨て去るほどに愛情に飢えていたという残酷さだ。あそこまでではないが、身に覚えがある。
容姿が良くない女は努力してキャリアを磨け、年収を積めというのはよく言われる処世術の一つだが、結局はそれだと心が満たされない、救われない女は一定数存在する。
そういった女はせっかく努力して就いた仕事を蔑ろにしてまでも、普通の女なら即切るような条件の、ただ、ある程度顔だけはいいような男に心身を捧げてしまう。
だって自分の欲求が満たされてかつ、自分を相手にしてくれるのはそういった男しかいないから。
そうした間にキャリアも仕事もいつの間にか崩れて、その先にあるのは、普通の容貌の女であれば享受できた平均的な女の幸せ以下のわずかな心の安寧と、特に努力もせず平穏に普通の家庭に入った女への嫉妬と自身による尊厳破壊の失望である。場合によっては男側が自分を捨てるところまでセットだ。
分かるか?この絶望が。
件の彼女は実家の太さ的に大して絶望せず幸せになる可能性が高いが、普通の、ちょっと頭が良いだけの顔立ちの悪い女は上記の病みルートに突入してしまう綱渡りのような闇がすぐそばにあるのだ。
良くないと思うやり方で手近に寂しさを埋めてはいけない、少なくともそれを常習してはいけない、収入があるならさっさと整形して女として自信のない自分から脱却した方がいい、個人的にそう思わせる出来事だった。
家康は謀反の疑いで長男の信康(のぶやす)を斬ったのは有名だが、
その後生まれた忠輝(ただてる)が、信康の赤ん坊のときにそっくりだったということで、
「業とはおそろしい」と言って、それ以降一度も会うことがなかったらしい。
冷遇説
忠輝は次兄の結城秀康と同じように、父親から生涯を通じて嫌われたとする資料は、江戸中期以降の史書に確認でき、その理由として容貌を嫌ったという記録が多い。
『藩翰譜』には「世に伝ふるは介殿(忠輝)生れ給ひし時、徳川殿(家康)御覧じけるに色きわめて黒く、まなじりさかさまに裂けて恐しげなれば憎ませ給ひて捨てよと仰せあり」、と伝える。つまり、家康は生まれたばかりの新生児である忠輝の顔が醜いという理由だけで、捨て子扱いしたとある。同書には慶長3年、7歳の時に忠輝と面会した家康が、「恐ろしき面魂かな、三郎(松平信康)が幼かりし時に違ふところなかりけり」と語ったとも伝える。
また『野史』の同年の記事には、家康が忠輝を見て「面貌怪異、三郎(松平信康)ノ稚顔ニ似タリ」と言ったという記述がある。家康は、長男・信康の面影を忠輝に見いだしてたとある。甥で同じく改易された松平忠直などと同様、忠輝は粗暴な一面があったとも伝えられている。
『この顔と生きるということ』
https://www.amazon.co.jp/dp/4022516224
このブログhttps://honeshabri.hatenablog.com/entry/Appearance_disordersで紹介されている本の一冊だけど
何かもう表紙を見るだけで男性と女性にそれぞれ求められる顔面の格差を感じて辛くなるわ
この表紙のうち、少なくともスキンヘッドの女性とアルビノの女性は十分異性にちやほやされるような容姿ですよね?っていう
この、どう見ても優れた容姿で見た目で悩んでいる人の本に出られるとかどういう神経してんの
容貌障害の本ですら、どう見ても美人な女性が半数を占めるんだよ
女はやはり、美しくなければ表に出られない
https://b.hatena.ne.jp/entry/4721234353204006370/comment/kishimoto0050
kishimoto0050 でも日本人のキモくて金のないおっさんが容姿差別に反対しているときはなぜか自己責任呼ばわりしてバッシングして構わないことになっているんですよねわかります
https://honeshabri.hatenablog.com/entry/Appearance_disorders
これ、考え方としては良いと思ったけれど紹介されている例が顔に大きな痣があるとか「容貌障害」として括られるとか
極端な例過ぎてなあ…
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒に炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪たえず、妻子の衣食のために遂ついに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥はるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。でも、細マッチョ&巨根だから結構モテるんだよね。
『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』に続く、左近の桜シリーズ第4作目。
謎の引き寄せ体質というか拾い物体質というか、とにかくやたら異界の住民と関わりあっては「アッーー!」なことになってしまう、左近桜蔵くんが主人公の幻想小説シリーズ。初期の頃は「アッーー!」の回数がやたら多かったが、新刊が出る度に「アッーー!」成分は減ってきている。
祖父の墓参りをするために、霊園行きのバスをロータリーで待っていた桜蔵は、鍵を拾ってしまった。交番に鍵を届けようとしたものの、交番では奇妙な女性が巡査相手におかしな事を言っていた。ただでさえ引き寄せ体質で拾いもの体質の桜蔵は、また何か厄介なものを拾ってしまったのではないかと怪しむ。
バスに乗ってみれば、今度は「森」のいわれを語る妙な男がおり、いよいよおかしな事になってきたと思う桜蔵。その時、バスが交通事故に遭ってしまう。そして案の定、桜蔵は異界に迷い込んでしまうのだった。
本作は『咲くや、この花』までとはちょっと趣きが違い、まるで番外編のような話。ほとんど過去の話だし。桜蔵の祖父の遺品の一つ〈ざくろ〉という銘の碗、それと対になる〈しろうづ〉、そしていわく付きのお碗〈朱薇(あけび)〉を巡る謎。それに絡んで、柾の生家・白鳥家と、桜蔵の生家・左近家、そして白鳥家の縁戚にあたる白(つくも)家の系譜が明かされるのだが、超ややこしくて訳がわからん。新しく人物の名前が出てくる度にメモしておけばよかったなぁ。まるで『百年の孤独』を読んでるみたいだった。
物語の鍵となるのは「蛇」。互いに絡みあって一本の木のように育ったザクロや、テイカカヅラやアケビなど蔓性の植物、鏡、月、橋(水府の出入口とされる)など、蛇につながるモチーフがやたら出てくる。
何で蛇なのか、それが桜蔵にどう関係するのかというのは、何となくわかった。それからテイカカヅラ(定家葛)の別名から、柾と桜蔵の関係性がなんなのか……要は名実共に柾は桜蔵の保護者である、というのはわかったけど……、なんか核心の部分ははぐらかされたままだなぁ。
白鳥家と左近家の付き合いが今に始まったものではないのはいいとして、しかしそれが分かっても桜蔵の実父の正体とその人と柾の関係性の謎は放置されたままだし。
うーん、よくわからない。
そして今回も、相変わらず他人の悪夢を追体験させられるような読み口であり、更に超絶ややこしい系譜にも惑わされるので、ストーリーにちりばめられた謎を考察するどころじゃない感じ。森博嗣の『スカイ・クロラ』シリーズと同質の幻想文学調ミステリー。これって謎の深堀はしない方がいい感じのやつ? でも気になってつい何度も読み返しちゃうんだよなぁー。
植物の名前や神話伝承や伝統文化に関する知識を求められ、しかも登場人物が超上流階級の人たちばかりなので、頭が全然ついていかない。読んでいて眩暈がしてしまうが、『左近の桜』シリーズのお陰で私の教養は深まったので、頑張ってググりながら時間を溶かすぞ……。