はてなキーワード: 享楽とは
家にいるとクサクサするって感覚が分からんな。脳の構造が違うんだろう。外に出れば向こうから娯楽を与えてくれるものは多いかもしれないが、家にいてもキーボードを叩けば自分から自分にあった享楽の世界へ潜り込んでいける。オンラインゲームで気の合う仲間と冒険しに行ったり、モノを買うにしてもその道のオタクの詳細なレビューが見れたり。不足しがちな萌え成分やhentai成分もその道のメジャーなサイトを覗けばよりスマートかつ迅速に補給できる。いずれにしても外に繰り出すより質の高い体験が得られると思うんだけど、なぜ汗をかいてまで外に出ようとするのか。偶発的な遭遇、という人もいるかもしれないがそれはインターネット上にも溢れている。おそらくだが、外出好きな人は動画も好きだろう。ギガが尽きるタイプの人。インドアで無敵感を感じられる人は、おそらく動画はまどろっこしい、文章でよこせというタイプが多い気がする。ギガは繰り越されて尽きる気配がない。
どこにあると思う?
ボクはね、まず『ガドル』を定義しなきゃならないと思うんだよ。
それは、終わらない不毛な連鎖を維持することで『システム』を維持する装置。
それを倒すことで報酬が得られるので、人々は不毛だとは思っていない。
報酬を得ることは人によっては享楽であり、人によっては生命線である。
それを処理するために心身をすり減らし死に至るものがいる一方で、気楽に何度でもやり直せるものもいる。
お分かりだろうか。
立派な経済の指標を維持するために、いくらでも都合よく生み出せるのがジョブ。
じゃあ、だれが生み出しているのか?
いや、それは重要ではない。とにかくその工場はどこにあるのか?
なんで音楽で飯が食えなきゃならないんだと思うし、
そもそも音楽で大多数の民衆から金をもらうことが歪だったんじゃないかと思う。
音楽なんて結局は享楽で、自己満足できればいいのなら鼻歌なりなんなりで自己供給できてしまう。
そこに価値を付随して表現する側と消費する側を分ける時代でももうないんだよ。
才能ある若い奴は自分でサンクラやYouTubeに曲あげてSNSでファンと交流しちゃう。
藤井風やどんぐりずみたいな奴がこれからスタンダードになるだろうさ。
(藤井風もどんぐりずもメジャーレーベル契約して、すごろくをあがっているが、チャンスザラッパーみたいに今後あえてレーベルのオファーを蹴る新人が日本にも現れるはず)
質のいい機材を安い費用で揃えられるようにもなってきてて
フリーターだろうが学生だろうがそうやって曲作ったりパフォーマンスできなくもない。
音楽以外で生計を立てる人間でも人気者になれるし自分の好きに曲も作れる状況であるほうが、
食うのも困る、自家用車も持ってないような本当の貧困家庭なら税金投入して子育て支援してやってくれと思うけどさ。
若いヤンキー家庭に多いパターンで、500万以上するヴェルファイアやアフォードに乗って、毎月数万円もスマホに金かけて、それで安アパートに住んで「子供に教育する金はない」ってさ、それ金が無いんじゃなくて、使い道を間違ってるだけでしょ。教育に使いたくないだけでしょ。
うちは地方都市で夫婦二人ともフルタイム共働きで年収2000万(片方は一般事務で500だけど片方が勤務医で1500ある)だけど、
車は10年落ちで四隅こすってドアも凹んでるヴィッツと、子供が生まれてから保育園への送迎用に追加で買った新車90万円のアルトだよ。
スマホは二人とも格安SIMで、スマホゲーなんてしてる暇はないし、youtubeやニコニコは家のWIFIで見てるよ。二人で月3000円もかかってない。
旅行だって子供が生まれてからは全く行ってない。車で1~2時間の公園や動物園に行くくらいだ。
とにかく将来の子供の学費と、自分たちの老後のために貯金してるよ。
それでヤンキー家庭は若いうちは刹那な享楽に浪費して貯金なんてせず、年とって若いときのように肉体労働で大きく稼げなくなったら、生活保護に頼るんでしょ。それも酒浴びるように飲んでパチンコに通いながらさ。
たまったもんじゃねえよ。
かつて人間関係は資本主義とは別の場所にあった。しかし今は人間をレンタルできるようになった。ユーチューブを見ていたらその人を友達に感じる。そのユーチューバーは現実の友人より人格者でより良い友人であってくれる。しかしそおユーチューバーから見た自分は視聴数1のコマに過ぎない。
アイドルも恋愛感情を代替してくれる。あらゆるサブカルも現実のなんにもない日常よりも面白い物語でそちらに傾倒したほうがいくぶん教訓的である。なにもしない人もレンタルできる。
しかしそうして消費者の一部でいると永久に1読者、視聴者、購入者でしかない。
SNSはそうして人間関係を数値化して資本主義的なルールに基づいた便利な人間関係を供給している。ツイッターのタイムラインは人間関係において理想郷であり同時に地獄である。
なんの価値もない自分は誰からも求められず決して誰とも関係しないが孤独に誰かが公開している関係性を間借りしてそれを享受することができる。誰にも求められないような人間が社会に出て出会う人間よりも一方的でありながら最適化されたSNSは完璧で自らを慰めてくれる。
以前は人間関係は原理的に閉じていてどんな人にもその人個別の物語があったが今は何々が好きか何々をしているなど人間は属性とクラスタで認識されがちである。
享楽を得る手段としてSNSほど便利なものはない。しかし一視聴者で消費者でしかない交換可能な人間に生きている意味などあるのだろうか。
祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという物事の道理を示している。おごり高ぶっている人(の栄華)も長く続くものではなく、まるで(覚めやすいと言われている)春の夜の夢のようである。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じである。
遠く外国(の例)を探すと、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらの者はみな、もとの主君や前の皇帝の政治にも従わず、享楽の限りを尽くし、(他人の)諌言も気にかけることなく、天下が乱れていることを理解せず、民衆が心を悩ましていることを認識しなかったので、(その栄華も)長く続くことはなく、滅んでいった者たちである。
近ごろの我が国(の例を)調べてみると、
20歳から1銭も年金保険料納めてない俺の完全勝利だろこれwww
つーか総理が100年安心の年金制度を確立した的なこと言ってたけど今後支給額が目減りしていくことが確実なボロボロの制度が100年続く方が国民にとっては地獄じゃね?
現状だって年金だけで食っていけなくて貯蓄もない高齢世帯は軒並み生活保護需給してるわけだし、年金と僅かな貯蓄に頼ってるような世帯は生活保護以下の生活してる人達なんだからさっさと生活保護受ければええし、中流以上の国民はそもそも年金なんてなくても生きていけんだろ?
2000万でキレてる貧困層はよく考えよう。
加齢で働けなくなるだろ?
退職するだろ?
住居引き払うだろ?
貯蓄全部散剤して人生史上最高の享楽と放蕩の旅にしけこむだろ?
そしたら無一文になるだろ?
役所に駆け込むだろ?
もう年金なんて頼んなって最初から!そして自己防衛もするな!生活保護受けろ!憲法改正されねー限り俺たちの健康で文化的な最低限度の生活を政府は保証しなきゃなんねーんだから!
活躍する人に高学歴な人が多いのは、知的好奇心が高い結果なんだろうな、と思う。
偏差値の高い学校に行けば、自分より知的好奇心が豊かな同級生に囲まれる。
パソコンにのめり込んでいる奴や、ロケットを作ろうと実験している奴、日本史が好きで大学レベルの本を読んでいる奴…そういう奴らと刺激を受け合い、自分も夢を持ち、それを実現するにあの大学に行きたいから勉強しよう、としていけば、能力は伸びる。
残念ながら、中堅以下の高校、特に地方の高校では、刺激し合って伸びる雰囲気が薄い。
むしろ、頑張って伸びたい奴が居たら、足を引っ張る。そんな雰囲気の中で、目先の享楽を求め、搾取される側の人生で終わる人が少なくない。
これは地方の構造的な問題かもしれない。優秀な奴に中央へ出て行かれたら、地方の社会は持たない。能力あっても庶民の子なら、意志を挫いてやり、その能力を地方のために提供する奴隷にしてやる方が良い、って発想。
自分自身、地方の公立中学校(学力レベルは県内底辺)から、周囲の反対を押し切って県庁所在地の進学校に越境入学し、国立大学に進んだ人間だから、こういう雰囲気が分かる。
どれだけ筋骨隆々な男でも、どれだけ容姿端麗な男でも、腰を振る姿だけは本当に間抜け。
あんなの快楽がなかったら間抜けすぎて絶滅間違いないっていつも思っている。
もちろん排泄も間抜け。
これに限っては排泄をコントロールできなかった生物はすでに絶滅したと確信がある。
世の中を眺めているとセックスの快楽がそこに至るまでの手間の煩雑さとかセックス以外の手軽な享楽とかに負けつつある。
つまりはセックスのコストが特定のパートナーを持つことより結果的に風俗のほうが安くなってるってことだよね。子供増えるわけない。
ラブホなくすのは構わないんだけど、少子化対策したいなら生まれてから後のことよりまずは気軽にセックスを楽しめる環境をなんとかしないと駄目なんじゃない?
ちんこが好きだ。
ああいや、お前の股にぶら下がっているそれじゃない。すまないが、汚いからさっさとしまってくれ。
東京ちんこ倶楽部というTwitterアカウントがある。
僕はそのアカウントが好きで、随分前からフォローして、遠くから眺めてコンテンツとして消費させていただいている。
しかし、彼がコンテンツとして面白いのは、その裏に、人間としての苦しみ、それも、他の人間よりも苦しみ、悩み、不条理な苦さを感じ尽くした、そういう苦しみがあるからだ。
僕のような、ふらふらと生きている人間よりも、彼のコンテンツの方が面白いのは、彼のそういった経験的背景があるからに他ならない。
ただ、痛みは共有できないものだ。アーレントもそう言っているだろう。
彼の、表に現れた痛みは、イロニーとなって、まさにこのグローバル資本主義社会と日本的経営の融合物としてのブラック企業におけるスローガン「圧倒的成長」というフレーズを通して、表象=再現前化された。
しかし、それは彼の痛みではない。彼の痛みを表象=再現前化することによってコンテンツ化され、一般化されたものであって、彼の痛みそのものではない。
「圧倒的成長」
彼の生み出すコンテンツは楽しい。しかしそれは、それをコンテンツとして享受することが許される限りのことである。
彼は、その痛みの中で、しかしなお苦しみ続けている。
僕はそれを、コンテンツとして楽しんでいる、いるがしかし、苦しい。
繰り返すが、「痛み」は個人的なものであり、共有できないものだ。
「憐憫」も「共感」も、それを人々の社会、こう言って良ければ「類的存在」としての我々を、所与としてではなく、帰納的に成立せしめるところの作用ではあるけれども、
しかしながら、それが個人そのものの、内的な連関にまで届くわけではない。
ならば、僕の苦しさは、むしろ他人の不幸をコンテンツとして楽しんでいるという現実にあり、(しかし芸術というのは、ゴッホにせよ金子みすゞにせよ、やはり不幸を源泉にしている場合が多いのだが、)人の不幸を享楽する自分というものが受け入れられなくて苦しいのだろう、この偽善者め。
と、言ってしまえばそれまでかもしれないが、やはり僕は、単にそうはいえない。
僕は、案じている。
あるコンテンツとしてのイロニーという、一つの優れた作品を通じて知った、その先にいる人を、僕は案じている。
彼は、外から見て、明らかに容易ならざる状況にあると思われる。
そして、そういった状況に陥った多くの知り合いは、その、最後には、(最後にはというのは寿命でということではなくて、)究極の選択をすることが多かった。
それこそ、「ツバメのように」。
いや、しかしこうやって、僕がここに書くことすら、単に僕の享楽であり、それは彼には関係のないことだ。
いや、そうなんだけれども。
じゃあお前は何ができるんだ、金か、体か、法か、などと言われたとしても、僕は何もできない。
だから、単に案じている。
案じていることを、ここに念の為、あくまで念の為、書き記しておく。
それだけのことだ。
僕にできることは、何もない。
いずれにしても、風は吹くのだから。
10年以上前、はてなで盛り上がっていた「非モテ論壇」において著名だった、id:Masao_hate氏。
※ブログ:https://masao-hate.hatenablog.com/
確か「スクールカースト」という言葉の提唱者(最初は「学校カースト」とか言っていたかと思われる)でもあり、個人的にすごく愛読していた。
彼が制作に参加してた「奇刊クリルタイ」とかいう同人誌も、わざわざ即売会で買いに行ったりもしてて、今でも保存してる。
今は、別ID(id:Ta-nishi)でブログをやっているのを初めて知って、ちょっとびっくりした。
http://ta-nishi.hatenablog.com/
http://pic-b.com/photo/252031/437882/
改めて調べてみると、なんというか、旧ブログの雰囲気に似たものを感じる。
確かに過去記事に「別の場所でブログやっていた」とか「同人誌を手伝っていた」とかあったけど、そういうことだったんだね。
時系列を遡って見てみると、この人もいろいろあったんだねえ。彼女との交際、別れetc.....
ttps://www.amazon.co.jp/gp/product/4900550132
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
世の中のすべてから愛されようといった、
虫のよいことは考えず、異端を恐れずに進む。
マルクスアウレーリウス
十人が十人とも悪く言う奴は善人であろうはずがない。だが、
十人が十人とも良く言う奴も、 善人とは違う。
真の善人とは、
行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。
毀誉(きよ)は人の主張、我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候(そうろう)。
各人へ御示し御座候とも毛頭異存(もうとういぞん)これなく候。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
顧客のすべてのニーズに合致した製品で、なおかつ最高のものを提供しようとするならば、必ず失敗します。そんな戦略では、勝てるわけがありません。