はてなキーワード: DQNネームとは
え。
これまでひらがな表記の弊害を書いて来て実務上問題あるって懇切丁寧に説明したのに、それを超えてひらがな表記すればDQNネームの弊害を防げるからOKだとまだ思ってるの? ばかなの?
DQNネームの弊害を防ぐためにはDQNネーミングをしなければよいだけじゃないか。
難読でもなく字と音に乖離のない人名らしい人名をつければよろしい。
正直DQNネームをつける親の心性には大いに問題あると思ってるけど、矯正の必要性はまだ別問題でいいかな。
身近なところで関わり合いにならなければとりあえず済むことだし。
まさに増田自身が「難読」「字と音と内容の乖離」の弊害を滔々と述べているのに「ひらがな表記にする理由が無い」ってこともない。
「名前が難読だと子供に悪影響が出るから問題がある」ではなく、
「そういう名付けをする親の心性に問題がある」ということなら、
昔の庶民はそれこそ一郎二郎とかいう感じで何も考えずに名づけてたんだろう。
最近のDQNネームは、馬鹿が無暗に考えることをし始めたために発生したんだと思う。
「馬鹿の考え休むに似たり」と言うけど、休むを超えて何もしないより酷い状況になってるということ。
>全てひらがなにするわけじゃない。漢字でいい場合が大半だろう。
>そこまで酷い事態にはならないと予想する。
だから、具体的にどこからどこまでが「ひらがなでよく」「漢字でいい」場合だって言うんだよ?
少なくとも保険や免許やパスポートといった大金が絡むとか犯罪に対しての責任や保証に関係する部類は戸籍が漢字ならそれに従うのでひらがな表記はありえない。最悪偽名を名乗ったということで身分詐称とか詐欺として扱われる可能性がある。
そしてそれらの身分証明書を本人確認に用いるほぼ全ての機関は、取り違えを避けるために戸籍標記を優先したがるだろう。ひらがなにすることのメリットが機関側には全く無い。
マジでひらがな表記の出番なんて無いよ。学校のテストの記名ぐらいはその気になれば教育機関側の温情ってことで何とかなるかも知れんけど、そんなとこ何とかしてどうすんだって感じだし。
自分の名前もろくに書けない子どもに育て上げたい親がいますか?
DQN化と他の問題を分けて考えようとする理由は?
そういう区別もまるっきり付かないんだろうとは思う。
だからこそ真剣に、DQNネームは驚かれるし非難されるんだよ。
識字率100%に近い教育普及度を誇る(ってことになってる)この国、
検索すればいろんな批判や意見や名づけの情報が手に入るこの日本国において、
「そういう区別」を付けるチャンスはあったはずなのにその区別がついてない人間なんて
彼らは自分に善し悪しが区別できないことがわかっていないし
自省を欠いた状態にあることを自覚してない。
要するに人の話を聞くつもりがまったくない。
そんな独善的な態度が非難に値しなくて何だと言うんだ。
「『世界にたった一人だけの特別なうちの子』に用意した特別に凝った名前なのに、ひらがなにしたら誰でも読めて特別じゃなくなっちゃうじゃない。」
って言われたらどうすんの。
それにひらがなで書いたって典型的DQNネームとされる「せふれ」は「せふれ」だし「まーず」は「まーず」だよ。依然として人間の名前じゃねえ。
まさかとは思うけど、DQNネーム否定派は
というタイプだと思ってるの?
>古臭い名前でいじめられている太郎くんに「昔はそれが普通で」「俺はおまえのためを思って」とか言い訳してもしょうがないだろ。
言い訳じゃなくてちゃんと由来を説明してやらなきゃならない。
そして名前の善し悪し以前にイジメは解決を見なくてはならない。
>キラキラネームつけて「おまえが生まれた頃はそれが流行りで」「俺はかっこいいと思ってる」と胸を張るのとどう違うの。
DQNネーム最大の弊害は読めないこと。次に酷い弊害は字と音とそれらが表しているもの(=子ども自身)が全部バラバラなので滑稽或いは不気味だということ。
イジメというか積極的な暴力事件に至るより先に、名前が呼びづらいの集団から浮くという異物扱いを必ず受ける。その子が「誰」なのかが集団に定着する際に必ず一呼吸置かれてしまう。
その子の名前が気に入らなくてその子を殴る人間が出てくるより先に、「何、この子?」といろんな人間からいきなり白眼視されることになる。しかもそれはその子自身の意志や行動でなく、親の勝手な押し付けに由来する。その子のせいじゃないのにその子がつらい思いする。
ごく些細なものなので誰もイジメとまで思わない。しかしその子にしてみれば、何度も何度もいろんな集団から一瞬異物扱いを受け続ける人生になる。
挙句の果てに親が「お前が生まれたころはそれが流行りで」「俺はカッコイイと」などと言ってみろ。
「流行りに乗るとか単なる見栄だろが見栄で人の人生決めんな人間の名前くらい真面目に考えてつけろ」
DQNネームの親は胎児の好みを聞くわけにも行かない状況で、マジで親の自己満足だけでつけてるよな?
親が、自分が子どもを呼んだときの音がかわいい・カッコイイ名前が良いと思うからつけてるだけで、字面は二の次三の次、意味?なにそれ美味しいの?みたいな名前もあるよな?
彼らは当て字の凝った名前を見つけ出すのに必死だが、それは胎児のためじゃなくて珍しい名前の子どもをもちたいがため、すなわち親自身のためだよな?
実際に名前が原因でいじめられてる子供は少ないし、DQNネームは企業に採用されづらいとか子供が「変な名前だ」と不快に思うとかの不利益が発生している。
「外国に住んでるから外国人風の名前にするかどうか」という話とDQNネームは全然関係ないし、
全体的に「日本語でおk」としか言えない。DQNネームを擁護するのはこういう頭の悪い人たちなんだな、というエビデンスにしかなってない。
DQNネームとかキラキラネームとか馬鹿にするやつ、おまえらは外国に行って自己紹介して
変な名前とかっていじめられても正当化するのだろうか。それは仕方ないからいじめられてろって言うのか。
で、外国にいっていじめられないように外国人風の名前にしろよって強制するだろうか。
そう言うと決まってここは日本なんだから~って言われるけど、それはつまり日本は生まれついたものについて取り上げて差別していじめていい国ってことを言いたいのかよ。
悪魔ちゃんとかあれはあかんと思うよ、あれは別だ。悪意の問題だ。
でも、親が悪意なくカッコイイからってつけた名前に、とやかく言ってやり玉にあげていじめてる奴は差別主義者なんだろうか。
怖いわ。
要は、世帯年収500万円の主婦でも、世帯年収1,000万円の主婦でも、
バリバリのキャリアウーマンでも、いざ妊娠してしまうと、頼ってしまう情報源が
「たまごくらぶ・ひよこくらぶ」と共通してしまう、という現象。
昔であれば、妊婦の中のアッパークラス10~20%と、普通の妊婦80~90%とでは、
アッパー妊婦は「主婦の友」辺りを妊娠情報源にしたり、姑や実母を妊娠情報源にしていた。
しかしいまや「たまひよに頼らない妊婦」というのは、全体の1%程度のスーパーアッパークラス、
東大卒のキャリア卒程度の女性だと、結局「たまひよ」に頼んでしまう。
なぜなら、それしか情報ルートがないし、産婦人科へのたまひよの営業攻勢が物凄いから。
http://d.hatena.ne.jp/mala/20120830/1346309790
高木浩光はセキュリティについての啓蒙活動を行なっている。残念ながら日本においてこのような才能のある人間は高木浩光だけと言っていいだろう。malaもセキュリティ(特にJavaScriptが絡むやつ)についてはスペシャリストなのだろうが、いかんせん枝葉すぎる。重箱の隅をつついてるに過ぎない。部分的に特化した能力を持ってはいるものの、セキュリティ全般というとそうでもないだろう。
そもそも、高木浩光は個々の事例などどうでもいいのだ。個々の問題に言及することは手段であって目的ではない。セキュリティ全般の啓蒙が第一の目的なのだ。逆にmalaは、目先のことしか見ていない。全体を俯瞰して見れないのだ。これは年齢の問題もあるだろうが、やはり根本的な生まれついての人格の問題でもあると思う。高木浩光は非常に貫禄のある名前だが、malaはひどい名前だ。親が泣いてる。せっかく子供に素晴らしい名前(たぶん圭介とか)を付けたのに、こんなDQNネーム以下の名前を名乗るなんて。クリトリスにピアスをするよりも悲しいことだろう、親にとって。
大体、高木浩光は貫禄あるよね。なんか。よく分かんないけど貫禄ある。産総研っていうすごいところに勤めてるし、国のために戦ってる感じがする。それに比べてmalaの勤めてる会社はNHN JAPANだ。LINEという完全にセキュリティ的にアウトなプロダクトを中心に、NAVERまとめやアフィブログの運営を行なっている。セキュリティについて何か言っても説得力ないよ!
とは言え、malaはライブドアに勤める前に産総研に誘われたって前に読んだ気がする。うろ覚えだけど。ということは、malaは権威よりも自由を取ったというわけだ。おそらく日本赤軍の重信房子あたりに感化されたのだろう。しかし悲しきかな、自由を取って一般企業に勤めた代わりに、言論の自由を失った。逆に高木浩光は国家機関に所属することで、言論の自由を手に入れた。高木浩光が三島由紀夫だとしたらmalaはチャットモンチーだ。
高木浩光はすげえよ。あいつはすげえ。ヒールを演じてるんだよ。セキュリティを啓蒙するには劇場型にするしかなくて、劇場型にするには自分がヒールになるしかない。ネットで批判されてもいいから、自分が嫌われ者になってもいいから、日本のために立ち上がろうとしたんだ。あいつはすげえ。これはAKBで秋元康がやってるのと全く同じ戦略だ。風貌も似てるしな(笑)
それに引き換えmalaはなんだ。自由の戦士気取りか。お前は確かにネットで人気があるよ。はてなブックマークではお前の信者がわんさか褒め称える。でもな、その先に何がある。一時的な賞賛が得られたからって何になる。もっと未来を見ろよ。俺達の未来は輝いているべきだろ。
そんなん根本的に無理じゃね?
愛着が無いものに対し、無理やり愛着を形成する方法なんて存在しない。
そんな方法があったらその辺の非モテを一心不乱に愛してくれる女を作り出す方法だって存在するだろがと。
人間、愛せないもんは愛せない。「愛している振りをする」とか「愛しているんだと思い込む」なら可能だけれど。
言いだしっぺですが俺も無理があると思ってる。
でも条例の内容を咀嚼するとどうしてもそういうとこに行きつくという風にしか思えんのよ。
条例内の表現では「親の自覚を促す」とか「親の成長を期して」とか「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」ってな具合で「親も愛着そのものを持て」とは明言してないんだけどね。
感情の押しつけになるからわざと避けてんのか、それともマジに「今の親は責任感が足らないから責任感持たせれば全部解決」と思っているお花畑なのかはわからんけど。
…と、ここまで書いてて今気がついたけど、そういえば「親の、子どもに対する(責任を伴う)愛着の形成」だから話がこじれるんであって、単なる愛着の形成だったら案外ちょろいんじゃね?
ペットネームとかキラキラネームとかDQNネームとか言われるトンデモ命名する親っているらしいじゃん。アレって一種の愛着じゃん?
ああいうメンタリティに「子どもの将来、子どもに何が真に利益になるか」を真剣に考えるという責任感すなわち「親の自覚」を持たせようというのが主旨だったりするわけか? この条例は。
その辺の育児Q&Aでも「子供に愛着を持てません」なんてのはよくある項目だけど
割と「そのうち愛が湧いてくるかもしれんからとりあえず目の前の育児作業をこなそう、でもってどうしても駄目なら保育園にでも預けよう」なんて事が書かれているよ。いい時代だ。
そーそー、体験談とか実践経験からくるアドバイスは大体そういう感じだよね。
必要なのはそういうの相談する場所とか、目の前の育児作業もこなせないレベルでダメになった場合の受け皿の整備であって、責任感持たせるための教育とかは何か違うという感じがするんだよ。少子化に拍車かかりそう。
モンスターペアレンツが、自分の娘にDQNネームを名付け、
それを知ったモンペが
「マトモな名前を付けた親に逆キレする」という話が、はてなブックマークにあった。
http://gasoku.livedoor.biz/archives/51908606.html
この話の真偽については、一部「ネタじゃないか?」との意見があるが、
そもそもこの手の
「自分の名前の由来・意味を調べましょう」という小学校の授業自体に、
問題があるのではないか?
この授業の前提としては
「親は、子供のことを考えて、最高に意味のある、最高の愛情を込めた名前を付ける」という
「素晴らしき親」「パーフェクトペアレンツ」が前提になる。
「適当に名前を付けられた」というケースも、あるのが普通では?
言い方を変えれば、「40人の中で、パーフェクトペアレンツでない親が数人程度いる」のである。
本人は「パーフェクトペアレンツ」であると意識していても、傍目には
まさにモンスターペアレンツ、DQNネームの親なども、それに該当。
「皆が皆、パーフェクトペアレンツである」という「神話」を前提として組み立てていて、
それゆえに
「パーフェクトペアレンツの無償の愛を子供に体感させる」という授業がなされる。
「パーフェクトペアレンツの無償の愛を体感させれば、子供の情緒にプラスになり、
パーフェクトチャイルドになる」という目論みなんだろうが、
この授業計画は、パーフェクトペアレンツでない親が混ざっている時点で、見事に破綻する。
その場合、後に残るのは
「パーフェクトペアレンツ(とその子供)による、ノンパーフェクトペアレンツ(とその子供)への差別・イジメ」だけである。
「親の愛情を子供に取材させて、体感させる」という授業展開だが、愛情希薄な場合、
あるいは愛情をうまく伝えられない親の場合、授業計画は破綻する。
で、
「お父さんお母さん、いままで僕を愛情一杯に育ててくれてありがとう」と子供に語らせるのが
この手の授業の「予定調和的展開」であるが、これって保守トンデモの「親守詩」と、
やってることが何ら変わらん。
いい加減、
「パーフェクトペアレンツっぷりを子供に体感させる授業」は、止めにしてはどうか?
現実世界は、文部科学省や教育委員会が期待するほど、パーフェクトペアレンツは多くない。
そもそも、「古き良き日本」では、結構子供はいい加減に命名されていた。
一番目の子供だから「太郎」、二番目だから「次郎」、てな感じ。
「もう子供なんかイラネ」「男児が欲しかったのに、女が産まれやがって」というホンネを隠さずに、
おおっぴらに「トメ」とか「ステ」と命名されていた。
突飛な仮説だが、