はてなキーワード: Botとは
アベbot、麻生太郎や二階氏とくっついていたのかもよ、可能性として。
安倍さんと麻生氏の仲よさげな写真がネトウヨ界隈で人気だったが、腹のなかをそのまま表情や付き合いに出すわけないもの。一般のリーマンですらそうでしょう?
朝日新聞のタイミングから読むめば、野党よりも二階あたりを利したわけでね。。麻生太郎氏といい、隠れた売国行為がいっそう増えそうだ。
https://anond.hatelabo.jp/20180320195213
この記事の追記
Vtuber黎明期の海外オタク(と俺)の貢献を新参のVtuberファンに知らしめる事が主目的だったのでホッテントリに入って多くの人に見てもらえたのはありがたい
しかし、あまりにもアクセス稼ぎ用の煽り部分に反応する人が多かったので一応増田のマナーとして反論してみようと思う
支持されていたブコメをざっと見た感じ、こういった意見が主だろう
「世間の流行とは無縁に個々の趣味を探求するのがオタクなのだから、オタクと世間の流行を結びつけて論じるべきではない」
こういう反応はある種のオタク像を語るとすぐに返ってくる凄くありがちなテンプレートだ
なので、まあ、くるだろうなとは予測していたが…
(とはいえここまでなんの捻りもないテンプレート反応が支持されるのか!?
botかなにか?キズナアイちゃんなの?これが今のはてなのレベルかと思うと少し悲しい…)
さておき、このオタク像は実際正しいのだろうか?
まあ、少しでも立ち止まって考えてみれば違う事くらいわかるだろう
というのはディープ層ライト層問わず今のオタクならかなり一般的な事だ
それでも新しい知識を取り入れることを是とするのもオタクだろう
しかしなぜ世間ではこういった「オタク特殊論」のような言説が支持されてしまうのか?
そこにはなにか、彼らの中の理想像として
というものがあり
その背景には
「文化とは個人それぞれに価値がある相対的なものであり、優劣がつけられるものではない」
「だから世間の流行に流されず個々の趣味を探求するオタクは尊い」
といった幻想があるように思える
「マウンティングをするな!」
といった声や
といった単純な反応だ
しかしこれらの反応はあまりに純粋すぎるし、現実の状況からはほど遠い
文化には間違いなく優劣がある
そして文化というのはこの優劣を競うことで発展してきたものなのだ
例えばヒップホップ文化ではよくfakeという言葉が使われている
お前の音楽やスタイルはfake、偽物であり俺が本物であるというスタンスを示す言葉だ
そこには俺>お前という優劣で競い合い
(もちろん模範、サンプリングという肯定の積み重ねもそこにはあった)
文化を支えてきた批評のシーンでは優劣をつける行為は避けては通れない
評価するもの、評価しないものを選べばそこには否応なく優劣がついてしまう
このように文化の優劣、マウンティグというのは文化の発展のためには不可欠なものである
とはいえのこの優劣はあくまで個人内の価値で相対的なものでしかない
一つは単純に経済の話だ
「万人に消費された文化は優れている」
たったこれだけだ
「ハンバーガーとコーラは世界一売れている、だから世界一美味い」
「amazonで円盤のランキングをチェック!人気のアニメを推さえるぞ!ニコニコで100万再生!?早く見なきゃ!俺こそ最先端のオタクだ!」
これじゃあ「世間に流されないオタク」が理想となるのも無理はない
これらの言葉はそういった勝馬乗りマンへの侮蔑の言葉として存在するのだろう
そして、本当に文化の価値を見極めることのできる「最先端のオタク」をめざすべきだ
とある例をあげよう
ドストエフスキーが生きた時代、ロシア内の識字率はわずか1割であった
有名な話だろう
ではその当時のドストエフスキーの小説に、ゴッホの絵には何も価値がなかったのか?
もちろんそんな事はないだろう
そこに重要性がある
これは単なる経済の勝ち負けとは違う
前例のように経済のゲームで負けていたものが歴史に残ることは十分にありえるからだ
即物的な流行り廃りに惑わされず
しかし、ただ単に「世間の流行に流されないオタク」だけでは通用しない
何が歴史に残り、何が消えるのか、その見極めは難しい
あらゆる能力が大いに試される
さて、ここでけものフレンズとバーチャルユーチューバーを例に考えよう
うーん…
けものフレンズがいったい何を残したというのだろう
あれって何だったの?結局スカだったよねというのが大体の人の感想だろう
しかし日々、関わってくる才能や技術は更新され話題性はつきない
そういう可能性を大いに感じる
少なくともけものフレンズなぞよりかははるかに後世に残る可能性は高い
去年の今頃、
ほそぼそとバーチャルユーチューバーの黎明期を支えていた海外のオタク(俺)
今振り返るとあきらかに海外のオタク(俺)達は日本のオタクに勝っていたのだ
しかしながら、一方で海外のオタク(俺)達は数字に惑わされずに歴史を見極め、本当に嗜好すべき文化とは何かを知っていた
最終的に勝利した
増田が彼ら(俺)を「最先端のオタク」と形容したのはこういうことなのだ
いろんな国内外の言説の「元ネタ」の上にある事はお気づきだろう
とすれば一朝一夕に反論できる代物ではない事くらいはわかるはずだ
じゃあ何をすべきかはわかるね?
っとやめておこう
わたしの好きなとある漫画作品の、とある4人組仲良しキャラたちがわいわいしてる完全自己満足のアカウント、を4人分で計4アカウント。
いわゆる「コピペbot」ではなく、ただただわたしが「彼らの日常を妄想して書いてるアカウント」だ。雰囲気としてはSNSを利用したプチ小説(?)、もしくはピクシブにある○○ちゃんねるパロ系の小説に似たようなものだ。
最初は仲良しな相互さんが見たい〜!って言ってて、わかる!って反応してまあそんな具合でわたしが書き始めた。ほんとに身内だけでやってるつもりだったのに、いつのまにか界隈の神絵師様だったりにも反応いただいて、そこそこ認知度も上がった。とても嬉しかった。
わたしが考えた彼らのやりとりを、可愛いと言ってくれる人がいた。ツイートするたびにふぁぼをくれたり、リツイート先で○○君可愛い!って言ってくれる人がいた。分かる〜○○君こういうこと言いそうって理解してくれる人もいた。
けれど、とある理由でその界隈が居づらくなった。わたしには全然関係のないことだったんだけど、すごく居心地が悪くなる事件(というほどの騒ぎでもないけど)があったり、マナーの悪いジャンル者が増えたりとか、まあ色々あって、作品は好きだけど界隈を離れることにした。
同時期に鬱になった。ほんと何も気力がわかないし、死にたい気分なのに毎日キャラになりきって明るいツイートをするのがなんかキツイなあと思い始めてしまった。原作の特定はしないけど、元気で将来が希望に満ちてるような男子高校生キャラが死にたいとか言い出したら引くだろ。わたしなら引くわ。
そんなわけでしばらく休止してた。それも、休止しますって言うのすら面倒でぱったり閉じてしまった。とにかく何も考えたくなかったんだ。自分が今日死なない(死にたくならない?言語化が難しい)だけで精一杯だった。
自分が今日死にたいと思ってる精神状態で他人の生活を想像するなんて、すごく疲れるものだった。
そして鬱になったと同時に社会との繋がりが薄れまくり外出もしなくなったので、単に書くネタもなくなった。
そして数ヶ月が経つ。ツイートもしていないのでbotに通知は来ない。まあそりゃツイートもしないbotなんか見てても仕方ないよなあ。どうせ見てる人もいなくなっただろうと思って、だんだんアカウントを残しておくことが重圧になった。またこのアカウントでツイートをしなければならない、消すなら消すと言わなくてはならない。そんな重圧だ。
すごく、消したいと思う気持ちが強くなってしまった。誰ももう見てないだろうし、いいやと思い始めた。もちろん書きたいことはまだいくつかあるにはあった。けれど数ヶ月もツイートしない状態からいきなり話し出すのもおかしいかなあと思った。今更ノコノコでてきて「こんちはー☆!」とかいう雰囲気、出せそうにない。
それならいっそ、みんな忘れてるであろうからこのままひっそり消そうと思って、消してしまった。
大好きだった。彼らの日常を妄想するのが楽しかった。大して小説を書く技能もなく、絵も描けないわたしなりの2次創作ができたと思ってた。好きだと言ってくれる言葉が嬉しかった。なのに重圧が勝ってしまった。
すると、「○○bot見当たらない、消しちゃったみたい。悲しい」「○○bot好きだったのになあ」といったツイートが何件か引っかかった。
泣きそうになった。
そうかあ。わたしみたいなのが作った、自己満足な妄想アカウントのツイートでも、好きだって言ってくれる人がいたんだ。なくなったら悲しいと思ってくれる人がいたんだ。
なんか、悪いことしちゃったのかなあ。でももう多分30日経っちゃってるから復旧もできないだろうしなあ。復旧しても多分、あの頃みたいなツイートはできないと思う。前述の通りbotの元ネタ作品は漫画作品なんだけど、連載の追っかけはやめて単行本派になったから、今の界隈のネタについていけないだろうし。なによりモチベーションだ。まだ時々ものすごい憂鬱感が襲ってきて、精神が不安定になる。そんな状態で書いても、面白くはないだろう。わたしもつらいし、ツイートもきっと面白みのないものにしかならない。
だから、もう続けない。
ごめんなさい。
あのbotを知ってる方がここを見ているとは限らないけど、一応。そしてありがとう。好きって言う人が1人でもいてくれたのが、本当に嬉しかったです。