はてなキーワード: 互換とは
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:おにぎり。そば。夜:人参、白菜、エノキ、トマト、落とし卵、ソーセージのコンソメスープ。納豆。チーズ。
○調子
○グラブル
土ドラポン5凸の素材集め。
ドラポンイイね。割とわかりやすく強くなれてるので、頑張りがいがある。
今、火と水が終わってるので、土が終われば折り返し。
○ご飯
朝:なし。昼:海鮮丼、サラダ、フライドポテト 。夜:人参、白菜、エノキ、トマト、落とし卵、ソーセージのコンソメスープ。納豆。チーズ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。
○グラブル
5-Bの隠しゴール、今までプレイした中でダントツに難しくかつ苦痛だった。
難しさでいえば上があったような気がするけど、コウラマリオのコウラを3-大砲のルーレットで引き当て、かつそのコウラを維持したままゴールまで頑張るってのがマジで苦痛で辛かった。
ルーレットの目押しが妙に早くて全く安定しない上に、コウラマリオのまったくしっくりこない操作感に、氷床のツルツルが合わさり、かつ道中で死ぬとルーレットからやり直しという試行錯誤の遠さ、まあじで辛かった。
サンシャインの毒川渡りやスイカ運びよりも、この試行錯誤の遠さと、ルーレットの目押しというマリオとほとんど関係ない箇所の難易度に、コウラマリオのコウラ滑りで操作がうまく出来なくなる不快感が合わさって超辛かった。
まだ後ワールド6、7、8と三つもあるけど、辛いっすわ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210127/k10012835071000.html
そんなに難しいの?
不可能とまで言われてるけど
むしろ逆でキャリアにまともなEメールサービス提供しろって言ってるんじゃないのか?
世に数多あるまともなEメールサービス=回線契約をしていなくても契約できる、を大手キャリアだけが提供できない理由は無いと思うんだが
想像できるのは
携帯会社変えても同じ端末(フィーチャーフォン)を使い続けて、メールアドレスを維持したいとか?
これは無茶な気がする
あるいはメールアドレスは維持できても、メーラーのアカウント設定ができないとか?
これは十分あり得るけど、技術ではなくサポートの困難でブコメの反応とはすれ違う
○ご飯
朝:なし。昼:うどん、天かす、梅干し、オクラ。ラップサラダ。夜:豚肉、白菜、人参、エノキ。おじや(ごはん、たまご、海苔、梅干し)
○調子
お昼寝めっちゃした。疲れてるのかなあ。
散歩行きたいけど雨なので行けない。明日も雨の予報なので洗濯物が悩ましい。
○グラブル
水六竜したり、水プシュケー連戦したり。
水六竜、かなり苦手だ。
ただ土は武器キャラともに成長の余地が賢者に依存してるからすぐすぐに打てる手があんまりないなあ。(神石にするとか終末五凸みたいな極論は抜きね)
予兆解除用のソリッズ、予兆解除出来なかった用のサラ、何でも屋のマキラ。このメンツで苦戦するようじゃやっぱ僕のPSだよなあ。
5の城まで。
○劇場版ポケットモンスターココ
面白かった! 露骨に泣かせにかかるベタが多そうで怖かったけど、まさにそのベタにどハマりして泣きながら見てた。
ザルードとココが本当の家族になっていき、そして前向きないい意味での別れに繋がっていくのは、サンムーンのあれやこれやを踏まえているようでもあって、ポケモン25年続くコンテンツとして親目線を取り入れてるってだけじゃない流れも少し感じたり。
この前向きな別れというか若者は旅をせよって価値観は、首藤剛志さんのポケモン感と終わらないコンテンツとしてのポケモンとの折衷案を模索しているようにも感じる。
首藤剛志さんはポケモン自体からの決別のようなものを書くべきだと思っていたみたいですけど、ここまで日本はおろか世界に浸透したコンテンツになると、それも逆に不自然で、良い距離感を持ってずっと付き合っていきたいなと思わせられるような映画を見ている人の気持ちと、ココのそれがオーバーラップするようで、良い映画だったんじゃないかな。
みんなの物語に続いて、サトシとピカチュウは主役というよりはレジェンド枠のようなココを導く先輩キャラだったのも面白かった。
特にサトシの口からのパパのエピソードは珍しく興味深かった。これも家族ものだからこそのシーンで印象的。
主役を嫌う難しい役をやってたコノハナが良かったな。超ダンといい、コノハナは難しい役が似合うなあ。タネボーを抱える優しいシーンもあったりで好き。
同じ森の仲間のゴロンダ、スカンプーはチョイ役とはいえ存在感はあったかな。スカンプーのオナラのところ笑い声も聞こえて子供向けに面白いシーンだったのかな。
多くの英和辞典によればhypocrisyは偽善と訳すことになっているが、英語話者が使うhypocriticalというのはどうも日本語の「偽善的」とは互換性がないなという違和感がある。
hypocriticalというのはなんかこう、自分の正しさをアピールして、自分の正しさで攻撃してくる奴を非難したり揶揄したりするときに使ってる感じだ。
一方日本語の「偽善」は、別にアピールや攻撃してなくても、なんかいいことをしてるけど嘘くさいぞというやつを非難する時に使ってるイメージだ。
例えば、教師に気に入られようとして毎朝掃除をしてる奴がいたとして、あいつは偽善者だな、というのは意味が通るけど、あいつはhypocritical だなとは言わない気がする。
もっと単純に、みんなに人当たりがいい人がいて、あいつは偽善者だなとか悪口を言うのは意味が通るけどあいつはhypocriticalというのはないと思う
火加減でやらかすとか、味付けでミスるのは多少料理できる人でもままあるけど、恒常的に料理ヘタクソなやつは「原理を考える」ということをしなさすぎる。
壁に蛇口つけても水が出ないのは当然だ。完璧に原理を理解してる必要はない。「蛇口の裏には水が通ってる管がある」くらいの解像度でいいから、原理を知っていれば、壁に蛇口つけても水が出ないことはわかるはずだ。
さて、料理センスが壊滅してる奴はどうだ。「弱火で10分って書いてあったから火を倍にして5分加熱」「ハーブが入ってればオシャレだからレタスチャーハンのレタスの代わりにハーブ入れた」「パスタはアルデンテがうまいからゴボウジャガイモもアルデンテにした」「色が薄かったからいい色になるまで醤油いれた」なんてことを平気でやらかす。原理を理解しろよ原理を。中心まで火を通さないといけない物がある場合、弱火と強火は互換性がない。代用していい食材は、旨味を出す昆布のかわりに干し椎茸とか、役割が同じものだけ。アルデンテにしていいのはわずかに芯があっても食えるものだけで、他のは生煮えっていうんだよ。料理の味を見た目で判断すんな。お前は歌のうまさを歌手の顔で判断するのか?ハンマー投げの飛距離をハンマーが飛んだ距離じゃなくて投げた後の声とか回転数とかで判断するのか?違うだろ、舌に聞け、味見しろ。
原理がわかってないんだよ。原理を理解すればいくらでも行き当たりばったりで料理ができるし、ちゃんと考えれば手の入れ方がわかるはず。