はてなキーワード: 下市とは
2012年●月●日、 朝日新聞朝刊
橋下大阪市長が率いる「維新の会」の国政公約案「船中八策」の中で、
義務教育課程における芸術科目、特に音楽教育の見直しを検討していることが、
関係者への取材で判った。
効果が見えにくい芸術系教科が義務教育課程に組み込まれていることは、基礎教育の足を引っ張る」
との認識に基づき主張しているもので、橋下市長も強く賛同している模様。
橋下市長は、「特に音楽教育は、義務教育から外しても支障がないのではないか?」と
語っていると言われ、今後文部科学省に芸術系教科教育の効果測定を求め、
その結果によって芸術系科目の存廃を決める見通し。
橋下市長は「僕個人の考え」と前置きした上で、
こう語っている、と関係筋は語る。
1つ目は、音楽教育に振り分けている時間を、国語や算数などの基礎教科に
2つ目は、音楽教師を免職させることが出来るので、
3つ目は、音楽室や音楽用具、例えばピアノとかの購入費用などを
自治体が整備する費用も削減でき、あるいはリコーダー購入費など、
とした上で、
「文部科学省も『芸術は情操にいい』とアイマイな答弁に終始せず、
保護者や有権者に、費用対効果を提示すべきだ」と力説していた、とのこと。
橋下大阪市長が府知事時代におこなった行政改革を陰ながら応援していたものの、
彼を今ひとつ信用出来なかったのは、長い間、島田紳助の盟友だった、という事実のせいだ。
昔の交友関係だけで人を判断するのは間違っているのだから、随分と私の心は狭い……。
そう自分を責めていたが、最近の彼の言動を知ると、直感の方が、どうやら正しかったようだ。
島田紳助が昨年引退したのは、暴力団との親密な交際が発覚したという理由だった。
だが、彼が責められるとしたら、それ以上の理由があるだろう。
吉本の女性社員を、人気のない部屋に引きずり込んで、壁に顔面を4、5発以上もたたきつけ、ツバをはきかけた。
これまでも立場の弱い者に対して、裏では暴言や暴力をふるっていることが関係者から暴露されていたが、
彼の嗜虐性、異常性、卑怯性、利己主義ぶりなどが明らかになった。
事件が発覚してもなお、数年もの間、なぜ、人気司会者として、テレビという公器で権威をふるい続けられるのか。
これほど理不尽な話はなかった。
橋下は、紳助の暴力行為の発覚後も、紳助の番組で長い間、出演を続けていた人気弁護士の一人。
弁護士が、最低な人間の人権を守るために活動しなくてはならない場合は、たしかにある。
だが、紳助の番組に出演することは、弁護士の倫理観とは別物だ。
むしろ倫理を重んじるならば、潔く番組を辞めるべきだったが、橋下はそうしなかった。
つまりは彼の価値観では、紳助が弱者を殴りつける行為は、許容範囲だったのだろう。
教室の中で勉強がわからない、と心の中で悩むことと、同級生の友人から引き離され、一人、劣等者として教室で孤立することとは、大きな違いがある。
前者の記憶は薄れるが、後者の惨めさがどれほど辛いものなのかは、海外の昔の小説や映画で、いくらでも描かれているではないか。
高校生で留年が認められるのは、それに耐えうる精神力があるからだが、小中学生の未熟な精神にとっては、それは限界を超えたトラウマだ。
そのトラウマは、小学校の知識を習得することよりも、もっと深刻な悪影響を与えるだろうと、彼は考えないのだろうか。
小学校で授業についていけない子供の中には、知能には問題がなくとも、精神力や意志力が弱く、勉強が続かない子供たちも多いだろう。
精神力がそもそも弱いのだから、そのトラウマがどれほど彼らを蝕むのか、想像力に難くない。
思うに橋下は、努力ができない人や、いくら努力をしても結果を出せない人々に、共感できないのではないか。
彼の周りに集まる人々を見ればいい。
低所得層からのし上がり、基礎能力やコミュニケーション能力が大変高いという点で、共通しているが、何より両者は努力家だ。
努力家は得てして、他人の数倍の努力ができるのは、それだけの精神力や体力を持ち合わせた者に許された特権だということが理解出来ない。
だから渡邉は、従業員が過労死をしても、それが悪いことだとは考ない。
自責の念に囚われることもない。
生まれつき、精神力や意志力の弱い人々がいることが、理解出来ず、もっと頑張れと声を張り上げ、叱責し、責め立て、罰を与えることは当然だと考える。
精神論者はここが怖い。
橋下が嫌われるのは、ドラスティックな改革手法のせいもあるが、何より激しい痛罵の仕方にある。
そうする権利が自分にはある、というのが橋下の考えなのだろう。
怠惰な連中を恵まれた独占的地位から排除するのには大いに賛成だ。
だが、人並みの努力をして、人並みの結果を出せない人々に罰を与え、精神的に追い込むことも、強者に許された権利なのか。
……そうではないだろう。
橋下の目には、帰国子女という恵まれた立場でありながら吉本のマネージャーをしている女性などは、努力を怠った怠惰な人間に見えたのかもしれぬ。
ここ最近、大阪の橋下市長が何かと話題にのぼることが多いのですね。
その中でも特にびっくりしたのが、世論調査で「大阪維新の会に国政への進出を望む」っていう声が60%を超えているという話。
え?まだ何の実績も上げてない人たちに国政進出を望むの?
というのが、感想です。
選挙に圧勝したのは凄いことですが、それはあくまで過程であって結果ではありません。
橋下市長率いる大阪維新の会が輝かしい実績を積み上げていくのか、それとも最近槍玉に上がることが多い
だからこそ、国政に話を持って行く前にまず話題にすべきことがたくさんあるように思うんです。
マスコミの役目って何でしょうね?
掴んだネタを面白おかしくネタにして遊ぶのは2chやアフィブログで間に合ってるので
もう少しちゃんと考えて記事書いて欲しいですね。
よくある話の言い換えだけど、持論。
100.1にしようと思ってる。
複利計算で、1年やり続けると、えらいことになってる。
単純計算は誰かがやってくれるとして、ま、いうても
でも0.1を得ようとして頑張ったら突然確変で1とか10とか
得られちゃう時もある。
そんな風にやって5年はたったかな。
たぶん、5年前時点での100から考えれば
軽く1000はいってる気がする。
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私から見ると、私が直接関わってる人たち、テレビでみる人たちは現状維持が大好きだ。
既得権益の確保だの、今で満足だの考えでそうしているんだろう。
みんな、変化は好きじゃないんだろうか?
改革は好きじゃないんだろうか?
「結局、数年経ってふりかえると郵政は何も変わっていない」と。
「すごい幸運を手に入れる何かを行ったのに、なにも起きなかった。
本来だったらものすごい不幸が起きてることが起きてないことが
改革して、変化してなかったら現状にない悪化をしていた未来があったかもしれない。
変化したからこその現状維持かもしれない。って考えたい。
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現状維持の人たちは、変化を受け入れた結果の最悪の状況、
招くこともあるだろう。
批判し否定し、本件とは関係ない過去の失敗などを持ちだしたり、
重箱の隅をつついてご破算を狙う。
現状維持派は、よく言って今日0.0になるように頑張っている。
それは宝くじに期待するという0.00001がんばっているといえるが。
そんなにがんばらなくていい。
昨日より安定して0.1だけ頑張る。
言い換えると現状維持を認めない気持ち。
ってやってたら、数年後振り返ってみたら
あれれれれ。って思える。
今思ってるから。
前から、ここに書きこみたいって思ってた。
初めて日記書いた。それで+0.1。
bygones kaztc
例えとしてここでは公務員問題に限って話をしたい。
それは以下の理由によって無理。
マルティン・ニーメラーではないが、市職員の給与引き下げや勤務実態調査は橋下市長の府民への攻撃の第一歩なんだよ。
次は、医療保険費や交通、ゴミ処理等の費用を削り、学校への補助金や生活保護費も削られていく。
公務員やNGO、プロナマポやプロ市民が楽しく遊んでいけなくなるじゃん。
なんで、
1.市職員の給与引き下げや勤務実態調査は一切するべきではない。
なんだよ。
むしろ、橋下は虐げられた弱い人々(笑)や、平和を愛するアジアの住人(笑)に涙を流し謝罪しながら辞職するといいんだよ!
要約すると、こういう事らしいよ。
橋下市長の意見を聞いていると、ミスミCEOの三枝 匡氏の理論とまさに一致する。
http://www.misumi.co.jp/corp/recruit/career/introduction/soshiki01.html
ぜひぜひ三枝 匡氏の著書を読んでほしい。
グローバルな競争に勝ち残っていくために、日本企業がすべきことが書かれている。
やはり、現場の第一線で戦ってきた人の言葉は重みがあるし、実践的だ。
だからさ。
一個もきちんと達成しなかったからって
こんなこと言い出すんだからな。
ふとツリー見ると更に面白いんだけど
守れもしない夢のような公約をいっぱい並べて、橋下市長を落選させてから「やっぱ無理です」って言って全部反故にすればいいんじゃないですかね。
という皮肉に対して
という例に拠っての自民の話。
とにかく民主が悪いんじゃナーイ。
アホかw
守れもしない夢のような公約をいっぱい並べて、橋下市長を落選させてから「やっぱ無理です」って言って全部反故にすればいいんじゃないですかね。
まず橋下市長の敗北とは何かを考えると、市民の支持を失い次の選挙で落選する事だと思う。
落選させる為には市民が橋下市長以外の人に一票を投じないといけない。
市民は候補者たちの「何をやるか」という約束を並べて検討し、一番期待できそうな人に一票を投じる。
全候補者の約束に期待ができない場合のみ、消去法で一番不信感の低い人に票を投じる。
という事は「橋下市長のどこがダメか」を延々と訴え続けてて不支持率を上げても、
他に期待できる約束を提示できる候補者がいないことには確実に落選させる事は難しい。
市民は消去法など本当は選びたくない。
「候補者のどこがだめか」よりも「候補者が何をしてくれるか」が大事なのだ。
さあ頑張れアカデミズム。答えはもう出ている。
今のままでは、多分ならないだろうなあ、って話。
先日、内田氏をめぐり橋下市長がつぶやきまくった件(1)。個人的に「ここまで橋下氏をつぶやかせる内田氏とは一体何者なのか?」という興味が尽きずウォッチしているのだが、現役大学教授から退いたいまの内田氏、只者で無いただのおっさんだった。
例えば、当の本人が平松氏の活動に対して取る態度といえば所詮『ドタキャンご無礼』(2)で済ます程度のものだった。本当に大事なイベントなら、そのイベントも『折り込み済』で行動するのが大人だと思うが、当人はそうしなかった。仮にイベントの告知が本人に知らされたのが遅かったのだとしたら、平松陣営にとっても内田氏は、その程度、の人でしかないってことになるだろう。コミュニケーションてのは面倒なものなのだ。
平松氏相手ですら『自分のことを優先したので貴方の活動には参加できませんごめんなさい』という状態なのに、ましてその向こうにいる橋下氏に対して自ら何か行動を起こしたり直接議論することはないものと考えられる。それがいまの内田氏が、自分の範囲で出来ること、なのだろう。彼の範囲内はあくまで『旧知の仲の平松氏と話す』ということであり、今の大阪や橋下氏に能動的な興味があるわけではないのだ、多分。そりゃそうだよな、別に大阪に住んでるわけでも、大阪で雇用されていたわけでもないのに。石原都知事が大阪府知事になって橋下大阪市長と一緒になって大騒ぎ、ってんなら都立大関連でもう少しテンション上がったかも知れないが。
もしかして今の橋下氏は内田氏にとって「なんかよくわかんないけどtwitterで私に向かって吠えている人」としか見えていないのではないか。しかもその吠えてる人は直接自分に会いに来るわけでもなく、何やらあまり自分とは関わりの無い別人(田原総一朗氏のことである)を介して自分を呼び出そうとしている。そういう人に対してどういう態度を取れば良いのか、賢明なネット民ならば容易に理解出来るであろう。どう見たって橋下氏がtwitter晒しスレ行きだろこれ。
てなわけで現状、橋下氏は内田氏に対して何ら直接的な影響を出せずにいるなあ、片思いってやつなのかなあ、というのがこの日記を書いている俺の素朴な感想なのであった。
というか、この内田氏というおっさんのブレない態度が、俺はなんだか好きだなあ。
参考:
(1) http://togetter.com/li/240764
(2) https://twitter.com/levinassien/status/158122071086469120
風当たりの矛先を一般市民に向けるのは、これは本当にお門違いだろう。
あなた方大阪市市職員が一部の労組員のせいで槍玉に挙げられているというのなら
矛先はその労組の連中に向けるべきだろう。
問題の労組員の排除に尽力して、そのうえでここにpostするべきだ。
「わたしたち一般職員は橋下市長とともに労組員の排除に成功しました。その経緯を説明します。」と。
上述している主の言い分を真に受けて「そうかぁ市職員も悪いひとばかりじゃないんだな、うんうんわかる、職員さんカアイソウ。」
なんて靡く一般人が出てきちゃったら、せっかくの橋下市長の政策にほころびが出るばかりか
問題の労組員の格好の隠れ蓑を作ってしまうことになり得ると思わない?
ははぁ~ん、主の正体は労組員だな?と疑われる羽目になるとか、考えつかない?
同じ穴のムジナに見られたくなければ、やるべきことは一つしかないだろ。
このpost見てつくづく、一般人の感覚とどれだけ乖離しているか改めて理解した。
この役立たずの穀潰しめ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090404-00000525-yom-soci
この問題に対して、「私の学校では~」や「私の子供のころは~」といった個人的な体験からくる議論やコメントに対して非常にもどかしい思いをしています。もしかしたら財政難というのは言い訳にすぎず、ただ面倒だから拒否したのかもしれませんが、この学校の内部構造を知る人間として車椅子で登校する際、不便そうなところを挙げます。これらの問題点を解決するのにどれだけの予算がいるか、またどんな知恵が必要かという議論に役立ててください。ただ卒業したのがずいぶん前であり、すでに改築されていたり記憶違いなどもあると思うので、あくまで参考程度にしてください。
この少女や両親がどのような学校生活(特別学級に入るのかなど)を想定しているのかは不明ですが、とりあえず通常の授業を受けるとして考えます。
学校内部について
●1階に通常授業に使える教室が1つもない。
本当に1つもありません。生徒のホームルームはすべて2~4階にあります。1階にあり、大人数(30人程度)で使える部屋は職員室ぐらいです。また、これは変更可能だと思いますが、この中学では通常1年生が4階を使います。
●音楽室、調理室、視聴覚室、美術室、理科室がすべて2階以上にある。
特に美術室と理科室は旧館と呼ばれる建物にあり、幅1メートル50センチほどの渡り廊下(壁なし柵のみ、渡り廊下を渡るために3段ほどの階段あり)を通る必要があります。1階の渡り廊下は多少余裕があります。ただ扉が非常に狭かった記憶があります。
●階段について
階段は4つあります。
1.中央階段と呼ばれる最も大きな階段です(校舎中央にあるわけではありません)微妙に弧を描く螺旋階段。
2.外に面した取り付けられた小さな階段です。一人で通るのも苦しい。
3.通常の学校にあるような間に踊り場がある階段その1。ただし4階までいくと屋上に出る。
4.通常の学校にあるような間に踊り場がある階段その2。ただし給食室に一番近く、給食運搬の要。
学校外部について
●校舎に入るまでの段差
この学校の校舎は道路から20メートルほど高い位置にあり、校舎に入るまでの方法はだいたい3つあります。
2.正門から階段を通る方法
3.横から入る方法
このなかでは3が一番現実的だと思います。車で学校の横の道(広くはない坂道)から中庭に入る方法です。ただ、中庭は砂利を敷いてあり、溝と段差だらけなのでそこに何か対策をする必要があるでしょう。
1はまず不可能だと思います。20メートルの高さ分の急な階段(途中に踊り場を挟みだいたい60段)を上る必要があり、校舎と体育館の間(幅30メートルはない)にあるので緩やかな坂を作るのも不可能です。
2は正面の階段(石、30段ほど)を登る方法ですが、この階段はぐらつく部分があるので車椅子を持って運ぶのは危険ではないかと思います(作り直すなら別)
●体育
この少女が体育に参加するかは不明ですが、一応書いておきます。ただこの件は車で移動すれば解決するので心配は不要だと思います。
学校前にあるグランドは狭すぎるため(バスケットコートのぐらいの大きさ)、町のグランドを使用しています。グランドは校舎から約700メートルほど離れており、生徒は体育の時間に10分ほどかけてそこまで歩きます。道路の舗装は美しいとは言い難い状態です。またそのグランドに行くまでには少し急な坂道があり、砂利道も通る必要があります。
その他気になる点(不便なのか不明)
●山をえぐるような位置に立っているので、スペースにかなり厳しい制限がある。
廊下にあるのは壁ではなく柵です。雨が降ると濡れて非常に滑ります。廊下は固いゴムのようなものでできてます(なんなのかは不明)彼女の通っていた阿知賀小学校は吹き抜けではありません。
これだけ問題点をあげましたが、私はこのことから彼女が養護学校に行くのが当然だと言う気はありません。かといってどんな犠牲を強いても彼女が下市中学校に行くべきだとも思えません。
下市町は豊かな町ではありません。インフラも十分に整っていない町です(もちろんバリアフリーも)上水道が整備されておらず、井戸や湧水で生活している地域があります(簡易水道ができたと嬉しそうに電話がかかってきたことがありました)道路が1本しかなく、木が倒れただけで学校にも買い物にも行けない地域がたくさんあります。下水道も整備されておらず、生活した後の水が直接川に流れ込み、魚がぷかぷか浮かんでいるのを何度見ました。
どこにお金を使うのか、誰が我慢するのか、とても難しい問題です。
私はどうすることが一番良いのか、結局判断できませんでした。
あんまり関係ないこと。
田舎に川遊びに来る方へ
きちんと調べてから来てください。田舎の川は全部きれいなわけではありません。上にあるとおり生活した水を直接垂れ流しのところもあるので、都会より危険かもしれません。わざわざテントまで持ってきて病気にならないように気を付けてください。