はてなキーワード: ヤンキーとは
①リベラルのやつらはそういうとこが悪い。全く同意。保守陣営に加われ。
②そもそも文化・儀礼っていうのは、集団の中で仲間と仲間以外を区別するために存在するのだ、という説がある。
正しいやり方で宗教的礼拝が行えるものは味方であり、出来ないものは敵なのである。
箸の持ち方に類するマナー類も同じであって、それができることは仲間に見えることであり、出来ないことは仲間に見えないことである。これは感情的作用であって、やるなとかいうだけ無駄。ブサイクにも欲情しろとか言っているのに近い。
少し合理的に見るならば、マナーを守ろうとしないものは、「仲間に見られようとする努力」を怠っていると言える。イキリヤンキーみたいなもんだね。
従って、お箸は正しく使えたほうがいいぞ。
大したことのないイジメやハラスメント、嫌だったことについて。
幼稚園編
小学生編
・苦手なザリガニを羽交い締めにされてくっつけられる
・金パクられる
・ゲームパクられる
中学生編
・小学生のイジメを引きずり、カウンセラーや教師に相談しても「気のせい」で済まされる
・後輩にバカにされる
・「お前は頭悪そうな顔なのに成績いいね」と親に言われる
・中2で漢検準2級を取得→田舎の学校では快挙→次の時に受ける同級生が増加→そのうちの1人に「あんたでも取れるんだから私にも取れるよね」と言われる(誰でも取れるじゃん)
・いい成績取っても、小学生時代私をいじめてた成績の低いヤンキーばかり評価される
高校生編
・頑張ってメアド交換したら、そのうちの1人が翌日にメアドを変更する
・何故か怖い人認定される
・たった一回の忘れ物で評価が下がる私と、それ以上に忘れ物をした子が評価が上がる不思議(ペーパーはほぼ満点、実技もどっこい)
大学生編
・サークルで副リーダーになったのにリーダーともう1人の副リーダーに無視される
・私が怒ると謝らないといけないのは私になる
社会人編
・普通にセクハラを受ける(胸を強調した方がいい等言われる、手の甲にキスされる等)
特に小中学生の頃が地獄で、会いたくないから成人式も行かなかった。
その地獄が終わっても精神的に引きずってたし、なんか頭おかしい行動いっぱいしてた。
でも今、本当に幸せになって、こうやって書き連ねても嫌な気分にならなくなってきた。
でもあの頃には二度と戻りたくない。もう一度人生やり直したくない。
さすがに初心者レイヤーではないから多少はポーズつけられるんだけど
みんなどうやってポーズつけてんの。
ポーズつけられないから小道具とかめちゃ持ってイベントとかスタジオにいくよ。
でも小道具もうまく使えない。
飲食物は食べたり飲んだりしてるフリの写真とったらそのあと使わないし
キャラチョイスがまずいのか
出落ちだろ。
男の子キャラのイケメン、ヤンキー、ヤンキャ系、ショタに使えそうなポーズも全滅だ
なんなんだどうしたらいいんだ。
最近、年収一千万は金持ちだというようなツイートがバズっていた
確かに金持ちというものの定義を人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない
金持ちというといわゆるスネオとかタワーマンションとかブランド品とかそういうものを思い浮かべるからだ
共働きで一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった
塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立を受験した
都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分が金持ちなんて考えたこともなかった
なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった
一つ目は、中学から受験をし高校も偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ
ヤンキーばかりの地元の中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった
そして、その中学の友達はみんな私より頭が良くて東京の私立の高校に入学していった
高校の友達は海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた
これが私にとっての普通で大学で地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界だ
二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ
両親の勤務先は今でも年功序列が根強い
だから、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる
また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった
そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった
つまり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ
そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている
そして今もその頃と生活は大して変わっていない
ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分がお金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ
兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ
収入で格差ができていることは確かだが、だからと言って救済をする余裕まではない
そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない
最近、年収一千万は金持ちだというようなツイートがバズっていた
確かに金持ちというものの定義を人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない
金持ちというといわゆるスネオとかタワーマンションとかブランド品とかそういうものを思い浮かべるからだ
共働きで一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった
塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立を受験した
都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分が金持ちなんて考えたこともなかった
なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった
一つ目は、中学から受験をし高校も偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ
ヤンキーばかりの地元の中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった
そして、その中学の友達はみんな私より頭が良くて東京の私立の高校に入学していった
高校の友達は海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた
これが私にとっての普通で大学で地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界だ
二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ
両親の勤務先は今でも年功序列が根強い
だから、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる
また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった
そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった
つまり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ
そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている
そして今もその頃と生活は大して変わっていない
ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分がお金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ
兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ
収入で格差ができていることは確かだが、だからと言って救済をする余裕まではない
そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない
最近、年収一千万は金持ちだというようなツイートがバズっていた
確かに金持ちというものの定義を人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない
金持ちというといわゆるスネオとかタワーマンションとかブランド品とかそういうものを思い浮かべるからだ
共働きで一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった
塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立を受験した
都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分が金持ちなんて考えたこともなかった
なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった
一つ目は、中学から受験をし高校も偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ
ヤンキーばかりの地元の中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった
そして、その中学の友達はみんな私より頭が良くて東京の私立の高校に入学していった
高校の友達は海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた
これが私にとっての普通で大学で地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界だ
二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ
両親の勤務先は今でも年功序列が根強い
だから、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる
また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった
そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった
つまり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ
そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている
そして今もその頃と生活は大して変わっていない
ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分がお金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ
兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ
収入で格差ができていることは確かだが、だからと言って救済をする余裕まではない
そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない
すごくいいと思う。
看板付け替えただけとか何も変わらないとか言ってる人もいるけど、そもそも男らしさってのが正体不明。
「男らしいって何ですか?」って聞かれたら答えはだいぶバラツキが出てくるはず。
男らしくないとナメられるっていう人もいるけどどこのヤンキーですか。店員を威圧したりあおり運転するようなメンタルが男らしさですか?
常習的にあおり運転してる人はだいたい「ナメられてると思ったからやった」っていうんですよ。
https://jico-pro.com/columns/202/
だから男らしさという言葉に含まれる支配的・暴力的なニュアンスを消して行くには具体的な言葉で褒めるってのはいいと思う。
もちろん男らしさという言葉をなくしたところで支配的・暴力的な人がいなくなるわけじゃないが、それが「男だから求められている」という思考から切り離すのは大事だと思う。
また、男らしさからの解放は男性の心理的な健康面から見てもメリットは有る。自分の弱さを認めることは重要なことだが、男らしさがそれを妨害していることがある
https://news.yahoo.co.jp/byline/katasekei/20190125-00112386/
お前らだよお前ら。
そうやってすぐに自分が普通で、自分と違う意見の持ち主に対してはヤンキーみたいにつっかかる。
そういうチンピラムーブで自分らの立場悪くして、それに対してついた悪いイメージを被害者ぶっては次に売る喧嘩の理由にしやがる