はてなキーワード: フラストレーションとは
・その人材を適所にあてはめる。
・人々の士気を保つ。
・チームの結束を強め、維持する。
・変更は、あらゆるプロジェクトの成功のために(ほかの大抵の物事についても)必要不可欠である。
・人は安全だとわからないと変更を受け入れない。安全が保証されていないと、リスクを避けようとする。
・リスクを避けることは、それに伴う利益をも逃すことになるため、致命的である。
・人は、面と向かって脅されたときはもちろん、自分に対して不当に権力が行使されるかもしれないと思ったときにも、安全ではないと感じるようになる。
・どれほど強い脅しをかけても、最初に割り当てた時間が足りなければ、やはり仕事は完成しない。
・さらに悪いことに、目標を達成できなければ、脅迫の内容を本当に実行しなければならない場合もある。
つまり……
心で指揮をとる。
組織に魂を吹き込む。
くだらないものを嗅ぎ分ける鼻を持つ。
・戦闘が始まるときには、管理者のほんとうの仕事はもう終わっている。
・採用には、管理に必要な身体の器官、心臓、魂、鼻、腹をすべて使う(しかし、腹が大部分だ)。
・一人でやろうとするな。二つの腹には、一つの腹の2倍以上の力がある。
・新しく採用した人材には、1回は実証済みの能力レベルのプロジェクトを任せ、ほんとうに目標を拡大するのは次回とする。
・意見を求めよ。最も採用したいと思った人物は、ほかの優れた人材を知っている可能性が高い。
・話すより聞け。
・短期的に生産性を高める方法などない。生産性は、長期的な投資によって向上する。
・短期的な効果を約束するものは、いんちきである可能性が高い。
・やる気のある態度を常に引き出そうとしない人物をリスク管理人に任命せよ。
・悪い話が上層部に伝わりやすい経路(匿名性など)を作っておくこと。
・無駄を減らす。
・成功を最大化するより、失敗を抑えることによって、全体的な成績を高めることができる。
・チームの結束については必要のない賭けはしない。既存のチームを探して利用する。
・結束の遅い、または結束しないチームのために後継者が困らないよう、優れたチームは維持する(本人たちにその意思があれば)。
・新しい仕事を引き受ける意欲のある結束の固いチームは、プロジェクトの成果の一つと見なす。
・プロジェクトの初期にむだにする一日も、末期にむだにする一日も等しく打撃になる。
・一日をむだにする方法はいくらでもある……しかし、一日を取り戻す方法は一つもない。
・仲間との対話の中で、プロセスの進行に関する考えを伝えたり修正したりするためにモデルを使う。
・実際の結果と照らし合わせてモデルを調整する。
・病んだ政治はどこにでも、最も健全な組織にも出現する可能性がある。
・病んだ政治の決定的な特徴は、個人の権力と影響力の目標が、組織の自然な目標より優先されることである。これは、病んだ目標が組織の目標と相反する場合でも起こりうる。
・病んだ政治の副作用の一つは、少人数のプロジェクトを抱えることが危険になることである。
・単位を気にするな。客観的な尺度ができるまでの間は、主観的な単位を使えばよい。
・手に入るすべての基本要素(ソフトウェアの数量化可能な特徴)をもとに合成尺度を作成する。
・考古学的データを収集し、これまでに完了しているプロジェクトから生産性の傾向を算出する。
・合成尺度の公式をいじり、その値と、考古学データベースのプロジェクトの労力の相関関係が最良になるポイントを見つける。
・過去のデータベースをもとにトレンド・ラインを引き、予想される労力を、合成尺度の値の関数として示す。
・つぎに、予想を立てるべき新規プロジェクトのそれぞれについて、合成尺度の値を計算し、それを使ってトレンド・ラインから予想される労力を割り出す。
・生産性トレンドのノイズのレベルは、予測を立てるときの誤差の目安にする。
・優れたプロセスと、プロセスを絶えず改良することは、立派な目標である。それらはまだ、ごく自然な目標でもある。優れた技術労働者は、指示があろうとなかろうと、それらに焦点を当てる。
・形式的なプロセス改良プログラムには時間と金がかかる。一つのプロセス改良プログラムのために、プロジェクトが交替することもありうる。生産性の向上が実現したとしても、そのプログラムを受け入れたプロジェクトでプロセス改良の為に費やされた時間を相殺できる可能性は低い。
・プロセスは、注意深く選んだ一つの手順改良によって、その変更に投資した時間と金に報いるだけの利益を期待できることがある。
・プロジェクトの期間中に二つ以上の手順改良に順応することは、現実には期待できない。複数の技能改良プログラム(たとえば、全般的なCMM等級の引き上げ)は、プログラムを実施しなかった場合に比べ、プロジェクトの完成を遅らせる可能性が非常に高い。
・標準的なプロセスの危険な点は、人々が賢明な省略を行う機会を失わせることである。特に、人員過剰のプロジェクトの場合、標準的なプロセスによって全員に行き渡るだけの仕事(役に立とうが立つまいが)が発生するなら、標準的なプロセスが厳密に守られてしまう。
・デバッグの時間を大幅に減らさなければ、プロジェクトの成績を通常より大幅に高める方法はない。
・優れたプロジェクトは、デバッグに費やす時間の割合がはるかに低い。
・優れたプロジェクトは、設計に費やす時間の割合がはるかに高い。
・相手を好きになり、気遣わなければ、人に違うことをさせることはできない。相手を変えるには、相手の考えていることとその理由を理解し、尊重しなければならない。
・一時的なプレッシャーや残業は、人々の商店を定め、その仕事が重要であるという認識を高めるには有効な方法かもしれないが、プレッシャーをかけすぎると、かならず失敗する。
・管理者がプレッシャーを使うことが多いのは、ほかになにをすればいいのかわからないから、または、ほかの方法の難しさにひるんでいるからである。
・おそるべき推測:プレッシャーや残業を使うほんとうの理由は、プロジェクトが失敗したときにごまかすためかもしれない。
・管理者の怒りと侮辱は伝染する。上の管理者が怒鳴ると、下の管理者も同じような行動をとる(虐待された子供が自分の子供を虐待するようになるのと同じ)
・管理者が部下を侮辱すると、それが刺激となって部下は自分の仕事にされに力を注ぐと思われている。これが、「飴とムチ」式管理で最もよく使われる「ムチ」である。しかし、侮辱によってだれかの業績がよくなるという証拠はあるのか。
・管理者が部下を刺激するために侮辱を使うことは、部下ではなく管理者の能力不足のしるしである。
・仕様書があいまいなのは、システムの利害関係者の間で対立が解決されていないしるしである。
・入出力の完全なリストのない仕様書は、見込みなしである。使用を明確にする最初の一歩にもならない。
・仕様書がお粗末だとはだれも言わない。自分のほうが悪いのだと思い込みがちである。
・開発に複数の当事者が関わっている限り、利害の対立は避けられない。
・対立は尊重すべきである。対立はプロらしくない行動のしるしではない。
・全員の勝利条件を尊重することをあらかじめ宣言しておく。あらゆるレベルで勝利条件を引き出すようにする。
・勝利条件が相容れないか、または部分的に相容れない場合でも、関係者が対立解決の為に仲裁に移行するように、あらかじめ準備しておく。
・触媒のような人格というものがある。そのような人は、チームがまとまって結束し、なおかつ健全性と生産性を維持できるようにすることでプロジェクトに貢献する。触媒がほかになにもしなかったとしても(通常はほかにもいろんなことをするが)、触媒の役割は重要で貴重である。
・仲裁は、触媒の役割の特殊なケースである。仲裁はわずかな投資で学習できる。
・「あなたたちの仲裁をさせてもらえますか」というささやかな儀式の開始が、対立解決の本質的な第一歩になることがある。
・致命的なのは知らないことではない……知っているつもりで、実は知らない何かだ。
・初期に人数が多すぎると、プロジェクトは重要な設計作業を省略せざるをえない(全員に仕事を与えるため)。設計が完成する前に大勢に仕事を割り当てると、人や作業グループの間のインタフェースを最小化できない。
・このため、相互依存性が高まり、会議が増え、やり直しが増え、フラストレーションがたまる。
・理想の人数配分は、プロジェクト期間の大部分を少人数のコア・チームで行い、プロジェクトの終盤(プロジェクト期間の最後の6分の1ぐらい)に人数を大幅に増やすというものである。
・おそるべき推察:無茶なスケジュールを達成するように決められたプロジェクトは、妥当なスケジュールで開始されたプロジェクトに比べ、完成までに時間がかかると思われる。
・会議は、重要ではない人物が出席しなくても心配のないように、小さくする必要がある。欠席者が安心するための最も簡単な方法は、議事予定表を発行し、それに厳密に従うことである。
・プロジェクトには儀式が必要である。儀式は、小規模な会議や無欠点運動など、プロジェクトの目標と理想に目を向けるために使う。
・注意:怒りは恐怖である。部下に対して罵倒などの怒りの行動をとる管理者は、ほとんどの場合、怖いからそうしているのである。
・考察:怒りが恐怖であることをすべての人が理解すれば、怒りは、怒っている人が怖がっていることを明確に示すシグナルとなるだろう。起こっている人は、恐怖を表に出したくない。つまり、怒りが恐怖の表れだとみなにわかってしまったら、怒りを吐き出すこともできなくなる(これは怒っている人の問題は解決できないが、ほかの人の悩みは軽減できるだろう)。
・病んだ政治を下から治療することはできない。むだな努力で時間を浪費したり、自分の立場を危険にさらす必要はない。
・問題が自然に解決するか、行動するチャンスが来るのを待つしかない場合もある。
・倹約精神とは、失敗した企業の中で、その失敗の責任者が作った公式である。
・それは、組織の自然な目標である繁栄と福祉の精神とは正反対である。
・「倹約精神」という言葉を聞いたら、その本当の意味である「失敗と恐怖」に置き換えるといい。
「Sexy Beautiful Women/Hardcore」の板で無修正ポルノが見放題だから朝晩二回はチェックしてるwww
画像をクリックしすぎて人差し指が痛い・・・故障しそうだ。今の俺は完全にポルノ画像収集マシーンと化してるな(`・ω・´)
昼間からポルノばっかり見てると「俺って本当に人間の屑だなぁ」って思えて自己嫌悪にも陥るわけだが・・・それはそれで一つの快感だw
海外のサイトは自由で良いね。何の制約もない。日本じゃ無修正画像をアップするだけで逮捕されてしまう。
先進国で大人が見るポルノにモザイク入れてる国なんて他にないよ。これって立派な検閲だろ。国民の知る権利を侵害してるよね(`・ω・´)
モザイクって本当に誰得なんだよ!モザイクかけるのもコストかかるし見る方だってフラストレーションがたまるだけじゃん。
モザイクのせいで日本の男性の夜のオカズは非常に貧しくなってしまっている。
ショボイ内容の有料アダルトサイトなんかでも儲かっているのはモザイクがあるせいだろう。
モザイクなくせば無料で良質なポルノが手に入るようになって有料のものは廃れる。
アダルトビデオ産業とかは少なからずヤクザの資金源になっているのだから、モザイク廃止して素人が作ったエロ画像とかが広く出回るようにすればヤクザを儲けさせなくて済むのに・・・
日本のネットは既に色々と規制されている。SNSなんて基本的に出会い系なのに、出会い系サイト規制法のせいで男女の出会いが禁止されてますからねぇ。
不自由ですよ、ほんと。
ネットでバンバン出会えた方が皆幸せになれるのに・・・この国の政府は国民の幸せを奪うのが仕事みたいだ。
外国ならいくらでも無修正ポルノが見れる。その一点だけでも亡命する価値はありますよね∩( ・ω・)∩
この国はどんどん不自由で悪い方向に向かっている。児童ポルノ規制法や、ニート支援法みたいな馬鹿げた内容の法案が次々と通るのが今の自民党の政治なんだよな。
違う違う。怒りを表明出来ないんじゃなくて、怒りをもてない。
え?あんたはそうかもしれないが、元増田は
怒るとか不快感を表明するってことが未だにうまくできない
ムカっときたらすぐそのまま言いたい事を言える人が羨ましい
どうも素直にそういうことができず、というか反発力がないというのだろうか、そのまま飲み込んでしまうことが多い。
時に相当怒りを感じたときなどは、「なのに言えない」ことや、「一度飲み込んでしまったため、タイミングを逸し、今更言うわけもいかない」ことなどでさらにフラストレーションがたまり、悔し涙が出てきたり、壁を殴りつけたい気分になってくる。
って言ってるんで、怒りはもってんじゃないですかね。
http://anond.hatelabo.jp/20090628172950#tb
このエントリー。妙に共感してしまった。私もイギリスに来るまでは、「怒れない」人間でした。不快なことや、むっとすることがあっても、何と言って返したらよいのかわからない。理不尽なことをまくしたてられ、返す言葉がないどころか、「そうかー」と納得して家に戻り、後からムラムラと怒りが湧いてきたり・・・。「あの時、ああ言ってやればよかった。」、「こんな切り返しをすればよかった」そんなフラストレーションに苦しんだことも・・・。
イギリスに来て変わった一番の理由は、周りがみんな怒っているからかもしれない。(苦笑)彼らにとって「怒る」ということは、「笑う」ということと大差のないことなんだろうと思う。つまり、「人間」なんだから、怒ることもある。そういう不完全さをすべてひっくるめて「その人」とみているんだろう。
けれども、職場でぶち切れたりすれば、それはやはり「プロフェッショナル」ではないとみられる。怒りを表すこと自体は許されるのだが、何に対して怒っているのかということが重要らしい。つまり、自分の利益だけを追求して怒っているのか、公正さや秩序を著しく乱すから怒っているのか、といった違い。
怒った後はとても嫌な気分になる。なぜこんなに怒ってしまったんだろう?と。そういうときはきっと自分のために怒っているんじゃないか。もし個人の枠を超えて、「これは私個人の問題ではない。社会が認めてはいけないことなんだ!」という怒りは、言葉にも出る。冷静で、あきれるほどの強さを感じたりする。
「好き、嫌い」は個人的なことだ。でも、それぞれの「好き、嫌い」を社会が尊重するべきときもあるだろう。そんな怒り方だったら、もしかすると、あなたも不快になったりはしないかもしれない。
「なんで?」と聞かれたら、「なんでもクソもないよ。あなたは自分の嫌なことを四六時中やってて幸せか?自分が幸せでないことを人に押し付けるのはおかしいじゃないか!」くらいは、言ってもいいのかもしれない。相手を傷つけてしまったら、「ごめん。」でいいのかもしれない。
そんな不完全さを吸収し合う人間関係を作っていくことが大事なんだろう。イギリスに来てから逆に怒りっぽくなった私。日本人の優しさに触れて、少し静かにしてみようかな。無理かな。(笑)
追伸
怒るとか不快感を表明するってことが未だにうまくできない
ムカっときたらすぐそのまま言いたい事を言える人が羨ましい
どうも素直にそういうことができず、というか反発力がないというのだろうか、そのまま飲み込んでしまうことが多い。
しかしその飲み込んだ怒りをうまく自分の中で消化できるわけでもないので、怒りが腹の中におさまったまま、なんとも居心地の悪い気分になる。
大抵はそのままいつしか忘れるが、
時に相当怒りを感じたときなどは、「なのに言えない」ことや、「一度飲み込んでしまったため、タイミングを逸し、今更言うわけもいかない」ことなどでさらにフラストレーションがたまり、悔し涙が出てきたり、壁を殴りつけたい気分になってくる。
そうした時はとりあえず自分を殴ったりするが、それでもイマイチ収まらない。
結局ぶつける事が一度も出来ていないから、いくらその場を「忘れたり」「殴ったり」で誤魔化しても、ふっと思い出したりしてしまえば元の木阿弥。
出してみようと思ったが、うまいこと出せず、小出しになってしまい、しかも相手にイマイチ伝わらず、寧ろ余計フラストレーションが募った。
子供の時から、嫌なテレビ番組がついていても「嫌だ」と、いえなかった。
「いやだ!見たくない!」といったら親は必ず「なんで」と言うからである。
嫌なものを何故か説明するのは色んな意味で難しい。気恥ずかしいこともあるし単純に言葉で表現し辛いこともある(たとえばバラエティ番組で、無理矢理笑っている感じなどが非常に嫌いだったが、それを言葉で説明しろと言われても困る)。だから「なんで」と聞かれる事自体嫌だったが、それでもとりあえず説明すれば、親は決まって「なんでそんなこと思うの。そんな事思うなんて変」とピシャリとやり、「そんな理由で嫌だと感じるお前は変だ」で終わりだった。ちょっと頑張って「いや、だから……」と更に説明を試みても、かえって火に油。なぜか親はどんどん怒り、「なんでそんな変なこと思うのか。おかしい。考えすぎだ」とカンカンになる。そして怒られて泣きそうになる。
毎度それだったから、そのうち、説明することを諦めるようになった。どうせ説明しても「なんでそんな変なこと思うんだ」で終わりなのである。
説明することを放棄したらしたで、「何故言わないの」とくるので、そのうち「いやだ」といえなくなった。
でもたとえばテレビであれば、見たくないのに、夕飯中についているからどうしても聞こえてしまう。聞きたくないと思えば思うほど聞こえてしまう。といって、「いやだ」と言うことは上記の理由によりできなくなっていたので、ひたすら早くご飯を食べることを考えていた。せっかくの好きなメニューだというのに味わうどころでなく、自分が「いやだ」と上手く言えないせいで、味わえないことが(今になってみれば些細ではあるが子供の時は非常に悲しかった)悔しく、それで更にご飯をおいしく感じられないという悪循環に陥り、ご飯も半ばに自分の部屋に引きこもり悔しさに泣くということが結構あったのである。
何分「なんでそんなこというの!」と怒られる事に何故だか弱く、そういわれると怯えてしまって反射的に涙が出そうになるのだ(実は今でもそうである。泣きたくないのだが、反射的に出てしまうのである。情けないので治したい)。そうして泣いていると更に親は怒る。「なんでそんなことで泣くの!?」自分でも分からない。泣きたくないのに出てくるのでそれが悔しく、更にプラスアルファで悔し涙まで出てくる始末だ。手に負えない。
もしかしたら滅多に泣かない人にはわからないかもしれないが、泣きたくてないているのではなく、これはもう体質としかいいようがないレベルで、ただ反射的に出てくるのである。
しかしそんなことは相手、親には通じないため、泣かない為に、怒られた途端に心の中で歌を歌ったり、他の事を考えることで中和し、なんとか反射的に涙を流さぬよう、落ち着けるように深呼吸をしたりなどし、なんとか泣かないようにしたりしてきた。しかし出てきてしまうものを収めるのはそれでも難しかった。
泣いていると親は「なぜそんなことでなくのか」と怒る為、といって泣いているため説明もできずまた泣き終わった後説明しようとしてもさらに「なんでそんな変なこと思うのか」と怒るため、そのうち親に怒られると自分は自分を守る為、ひたすら謝るようになった。「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」ととにかく言うようになった。
それはそれで「ただ謝ればいいってもんじゃない」「怒ってるんじゃなくて、説明しろといってる!」(といいながら、怒っているように少なくともこちらからは見えた)と言われる。自分は一層被害者ぶることに拍車をかけ、「申し訳ありませんでしたゴメンナサイもうしませんもう一生泣きません」と、大袈裟に謝るようになった。親は更に怒った。
どうすればいいのか分からず「あああああああああああああああ!!!!!!」と爆発しそうになることが何度もあった
そういうときは自室に閉じこもりひたすら壁を殴った。
親に反発はできなかった。
親がそう怒りっぽくなったのも自分がいろいろ迷惑をかけたせいだから
我慢しなきゃいけないと思った
親を憎めば事は早いがそれはしてはいけないんだろうと、それをしたら逃げになると思った。
今でもうまく怒れない。不快感を表明できない。「なんで」と聞かれるのが怖い。
この状況を分析するに当たって2つの視点が成立する。
1つは自分の実力以上に給料を貰っている視点。 給料>実力&仕事内容
もう1つは自分の実力以下の給料しかもらえていない視点。 実力>給料&仕事内容
増田は間違いなく2つ目の視点で書いている。
自分の実力が今の仕事よりずっとあるフラストレーションを感じている。もっと高いハードルで高いリターンを得られる場所が本当はあるんじゃないかと思ってる。しかし、いざ高いハードルのフィールドに自分が立ったとき、実際はどうなるかという不安がある。
それに対してコメの大半は1つ目の視点で書いている。
給料に対して仕事が発生しているんだから、言われた仕事を淡々とこなすべきという考え。世の中の大半はこの考えだから、それがコメにも数として反映されている。そんなに貰えてるなら(自分だったら)文句を言わずに働くだろうと思ってる。
増田のフラストレーションを理解する人間はごくわずかだから、増田はどの立場の人間がコメをしているか見定めた上で、最終的には自分と相談して判断をしたほうがいい。
彼女がね、ポーンと怒ったんですよ、昨日。
一緒に布団に入ってても、僕に背中向けてるから
「こっち向きなよー」なんつって戯れたら、怒ってたわけです。
んで、理由聞いたら
「さっき、あなたが布団とってあたしが布団から出ちゃったから」
と、言ってきたんです。
で、パッと僕の頭にそのシーンと思われる情景が浮かんできたんですよ。
そんとき僕は、
「彼女はいつも暑がりで、布団かけたら「暑い」って言ってひっぺがすからやめとこう」
って思って、あえてかけなかったんですね。
だから、その理由を伝えたら、
「は??口から出まかせ言うな」
と。
「いやいや、ホントだから。。」
と、この時点で僕も「イラッ」とするわけです。(実はこのウソホント談義は過去にもあるんですね)
5分ほど、怒りを抑えながら
「ホントだ」「ウソだ」の言い合い。
しまいに、頭に来て完全にケンカ口調。
で、、色々言い合ってるうちに気がつくわけです。
と。
実は、僕が想像していたシーンの前に
「ちょっと!あたしのお腹出てるじゃん!」
と彼女が怒っていたシーンがあります。
このとき、僕は彼女のお腹を触っていて、服がめくれたために怒ったからだと思ったわけです。
が、実はこれが問題のシーンだったんですね。
彼女がこのとき怒ったのは、服がめくれたからではなく、僕が布団をとったからだったんです
(僕は無意識で布団をとってたんですね)。
あー、そうかと「あぁ、それはごめん」と言ってはみるものの、
僕が勘違いとは言え、ホントのことを言っていることに対して「いい加減なこと言うな」と一歩も譲らなかった
彼女に対しての怒りもあるため、全然「ごめん」に心がこもらないんです。
いや、それどころか
そのウソホント論議は過去にもかなり僕らの間で多く行われていて、
いつも信じてもらえていないフラストレーションもあり(当然僕の説明下手のせいもあるのでしょうが)、
「人の言うことをウソだと思うのやめなよ」
と逆に僕が彼女を攻めるわけです。
そうすると、彼女は「なぜ素直に謝れないのか」「勘違いだったらなんでも許されるのか」と。
論点が違うところでケンカは終わりません。
僕は「ホントのことを言っているのにウソだと言うことに」に怒り、
まぁ結果ふてくされてお互い寝たわけなんすが。
彼女の気持ちも分からないでもないけど、
毎回こういうことが続くと僕も、怒りを覚えずにいられない。
これ、どーすればいいんですか。
僕がガマンしなきゃだめですか。
元増田の文面の中には、海外旅行で増田に贅沢させてもらった彼女と、「唐突に」別れのメールを突きつけてきた彼女しか出てこないな。
彼女の言葉といえば、今回の発端となった冒頭の別れのメールだけ。
あとは全部増田があれした、これしたって話ばかり。
付き合っていたころの彼女の心情とか、仕事に対する考え方とか、彼女の思い描くライフスタイルとか、そういうことがまったくと言っていいほど出てこないよね。
彼女が何を考えて、何をしたかったのか、日頃からしっかりじっくり存分に話を聞いてやってたか?
女と付き合う上では基本だぞ。
彼女が
「わたしはあなたの付属品じゃない」
って言ったのはそこじゃないのか?
元増田はさ、結局のところ、自分のことにしか興味がなかったんじゃないの?
彼女の行きたいところに連れてった、っていうけどさ。
彼女から「行きたい、連れてって!」ってせがまれて行ったの?
それとも
「俺が連れてってやるからどこでも好きなとこ選べよ」
「え、いいよそんな、大変だろうし…」
「いいから選べよ」(キリッ)
みたいな感じだったの?
恋愛において大事なのは過程なんだよ。結果じゃない。
増田は結果だけ見て
「俺がこんなにしてやってるのに何が不満だったんだろうか?」
と思ってるのかもしれんが、彼女は過程に不満を抱いていたんじゃないのか?
「自分の話をしっかり聞いてくれない」
というフラストレーションを彼女が抱えていた可能性があると思う。
今まで彼女のほうから、何かしらそういう不満を発信してきたサインはあると思うよ。
それ、いっこでも思い出せる?
元増田からすれば唐突なのかもしれんが、彼女からすれば何度も訴えてきたにもかかわらず元増田がわかってくれなかった、と感じての結論なのかもしれんとか、そういうこと考えた?
もし彼女からのサインを思い出せないなら、お前にこの彼女と付き合うことはどのみち無理だったんだと思うよ。
別にどうでもいいけどさ。
元増田です。
自分の上司は、悪い意味で捕らえられるかもしれませんが、とても「要領のいい」方だと思っています。女性の上司です。
周りの空気を読むことや、気の使い方を非常に重視される方で、私の言葉遣い(言い方)や振る舞い方を指摘されることも多々あります。仕事をする上で、気を配れることは、非常に大事なことだと思っていますし、上司の「機転の利く」部分は見習うべき点だと思ってます。しかし、私は社会人の歴も浅く、うまい言い方に慣れていない部分もあり、会話の中で上司を立てた言い方がうまく出来ていないようです。その点は、上司からよく指摘されています。もともと、私は性格もマイペースで、細かいことは気にしないタイプの人間です。
かなり厳しい言い方で仕事の進め方を否定されることが度々あります(私のやり方が下手なんでしょうが)。納得出来ないことも多いですが、私の方に上司を否定するべきでないという意識があり、ただただ「わかりました」と言って上司の言うとおりにやっているのが現状です。しかし、上司からは自分で納得して仕事を進めなさいと言われています。
私の仕事は、個人での社内調整が主な事務職です。専門職でないため、自分が担当している業務への対応方法を、私を指導している上司も知らないということが多くあります(上司自身も5、6年前に他部門から移動してきた)。正直、仕事の内容を良くわかっていないのに、指導しているということを周りにアピールするために厳しく言っているのでは?という穿った見方もしてしまいます。
反面、会議室で1対1で話す際は、人が変わったように優しい接し方をするという一面もあります。厳しいだろうけど、強くするためにワザと厳しくしていると上司は言います。
私自身が萎縮してしまっていることと、うまい伝え方が出来ず、ただただ上司の言うことに頷いて仕事をしていることに対するフラストレーションがあり、愚痴った次第です。表現下手ですんません。自分の現状整理のためにも書いてみましたよ。
「人に好まれる」ってのは二種類ある。いや、二段階ある。
ある人への好感度は、「どれだけキライか」による減点と、「どれだけスキか」による加点の二段階で決められる。
「どれだけキライか」というのは、「生理的にキモチワルイ」とか「振る舞いが気に入らない」とか。「距離を置きたい」と思われるポイントが高いほど = 上げ足を取られればとられるほど、好感度は下がる。 これは、ある種の自己防衛。 第一関門。 ここで肝心なのは、墓穴を掘らないこと。これに限る。 増田が書いたことは全部これだ。 生活習慣とか。 立ち居振る舞いや見てくれの全体的な水準とか。ここで自分をレベルアップするには、こういうクセや臭みを無くすことだ。 相手にイヤだと思われる口実を無くせばいい。ちなみに、意識してクセを直すことは簡単だ。すぐにできる。 大切なのは、意識しなくてもそうなるように自分を鍛えること。 クセがない状態でいる方がラクだと思えるようになればいい。
わかりにくいけど、歩き方、姿勢、声の出し方も減点対象。無論爪垢も。 エチケットとかマナーでくくられるものはすべてここだ。持ち物や服装もここだ。消費パターンも変えないといけない。 とにかく、違和感を感じるところがすべて対象。基準はもちろんちょいオサレな一般人。 もちろんメンヘラは対象外。
徹底的にクレンジングしよう。
期間は人によるけど、1年くらいを目安にすればいいかもしれない。 もっと長いかもしれないけど、習慣を書き換えるのは時間がかかることだ。
ある程度やってると、嫌われる要素がほとんどなくなってくる。 つまり、減点は0に収束していって、そのうち気にしなくても良くなってくる。というか効率が悪い。それでも、もしかしたらまだモテないかもしれない。それには理由がある。
ポイントが引かれることはなくなったけど、同時に足されもしないから。 好感度がずっと同じだから。だから、今度は相手に気に入られるためのスキルを身につける必要がある。しゃべりが面白い。自分と共感が持てる。小難しくないけど博識だ。明るくて朗らかだ。なんだか自信を与えてくれる。自分のことを大切にしてくれる。 けなげながんばりやさんだ。ネタがいちいち面白い。などなど。とにかく、相手が自分と付き合って、心地よく感じればいい。 点を取りに行けばいい。あなたじゃないといけない理由、みたいなもの。
これも背景に大きく依存する。 家庭での会話が活発で、かつ洗練されたものであるなら、その経験をそのまま家の外に持ち出せば「トークが上手い」というポイントを得る。親や環境によって健全な自尊心がはぐくまれているなら、あなたはその自尊心をほかの人に分けてあげることができる。「なんだか安心できる」の称号を得る。
いろいろ方法論を書いたけど、これは一般人同士のやりとりをよく観察していれば自然とわかってくる。 少しずつ。 仮説を立ててはそれを修正、の繰り返しで、自分なりのものさしを持てるようになる。
増田は「死にたい」と書いたけど、そこまでプレッシャーを感じながらステップ2が遂行できるかちょっと怪しいと思う。 ステップ2には心のゆとりが必要不可欠だ。 相手に気に入られたければ、まず自分が相手を気に入らないといけない。 ただ性欲に駆り立てられてるだけ、非モテのレッテルをはがしたいだけとかの理由じゃ、絶対思ったより早く限界が来る。 というより、フラストレーションを制御しきれなくなる。
ステップ1を実行することで自信をつけてくれればと思う。 いちばん簡単なのは、自分がクリアしたことができていない人をちょっぴりバカにすることだ。 でも、人をバカにしてエネルギーを得るのは基本的に幼稚なことだから、あくまで緊急措置として。 幼稚な精神はステップ2の大きな弊害になるよ。
あと、気をつけないといけないことは、ステップ1とステップ2は正反対の作業であるということだ。 いや、作業ではないけれど。
ステップ1は、「削る」ことに主眼を置いた。 常に神経を張り詰めた状態ともいえるし、何をするにもまず短所が目につくようになる。ある意味自分につらく当たることだ。 (自分の短所も同様に挙げられるようになっていなければあなたはナルシストもしくはメンヘラもしくは天才。)でも、ステップ2ではそれらを「あたりまえのこと」として、気にも留めないことが求められる。「なにか楽しいことないかなあ??」なんて朗らかで明るい自由な心を持つことが求められる。 ステップ2では「加える」んだ。周りに優しくすることだ。周りの人のよすがとなる。感情移入してもらう。(あくまで自発的に。) 基本的に、これらのことは生身の人間に本気で関心を持っていないととてもできないことだ。
だから、もし自分が人間嫌いだってわかったら、それを直すサブルーチンが必要になる。
たぶん2では不安になると思う。「削ること」はきりがないけど、どこかで妥協しなくちゃいけない。 初対面の場の周りの反応を見て、しばらくつきあってもあまりひかれるようなことがなければ機は熟しているサイン。
まあ、こんな感じで、人と付き合えるようになっていく。ステップ1、ステップ2とわけて書いたけど、もちろん同時にやってもいい。 でも人は生理的な拒否感に一番素直に従うから、先に1を終わらせるようにした方がいい。完全に分けた方が効率がいいと思うけど、人による。
・人は好意を向けられると好意を返したくなるもの。(ただしあまり急激すぎると感受しきってもらえない)
・人は嫌う理由がない人は嫌わない。
・人は毎日顔をあわせてる人はなんとなく好きになる。(ウザがられたら減点。)
・人は久しぶりにしか会わない人も、それなりに好きになる。(忘れられたら意味なし。)
・人は少しづつ好感度を上げていくと、最初から好感度が上がっていたように感じる。
・人は1度目教えを乞われるとすこしいい気分になる。2度目教えを乞われるとちょっと面倒になる。3度目教えを乞われるとウザがる。(時間調節でチート可能)
・人はうれしいことは少しづつ、いやなことは一度にやってもらったほうが、好感度がいい。
・どうしても克服できないことは、前向きに開き直ることで、同じ境遇の人から親近感をもってもらえる。
・なかなか気付きにくい無意識は、実は人を呪っていたりも、溺愛していたりもする。育てられた環境による。
まあこういうことを気にとめておけば、試行錯誤の役に立つだろう。
それじゃ、がんばってね。
アイマス新年会の動画を見ていたら、東方ネタが絡んでいる部分だけ荒れていた。他は和やかな雰囲気だったのになあ。ニコニコ大百科の東方の項目もよく掲示板が荒れているし。ネタ項目もよく荒れる印象だ。
この荒れやすさは何故だろうか、東方好きの自分としてもこの荒れ具合は本当につらい。で次のような推測を立てた。
・中学校2年まで、母親に近親相姦(軽度)されていた。俺はノンケな男。
・小5から高1入学まで、周りに日本人がいない英語圏に放り込まれてたこともあって、母親のいっていることは特に疑わずに信じていた。
・最初は摩擦がすごかった。カルチャーショックかと思ったけど、母親に都合よくゆがめられていた世界の解釈がおかしいということだったんだろう。
・母親によって作られた人格は母親のit、マリオネットにしかならないことがわかった。
母親を信仰する、母親による、母親のための、家庭内宗教。 そんな感じ。
・なにかがおかしいとはカルチャーショックとして捉えられてはいた。
・母親に育てられた人格は到底役に立たないばかりか、僕を原理主義的な行動原理に拘束する有害なものだととらえるようになった。
だから人格を作り直すことにした。 徹底的におかしいところを列挙して槍玉に挙げてもらうようにする。
たとえば高校では母親を騙して寮にはいった。「勉強したいから」という口実にした。
内心、母親原理教から抜け出すことは、勉強以上のプライオリティだった。
自分で、自分が再洗脳されるようにする。 毒をもって毒を制し、その上に健全な人格を作る。
旧人格を徹底的に潰す。 「殺す」といってもいい。
・・・・この計画は成功した。僕はもう、毒親のマリオネットではない。
・・・ただ、「毒親」が理由になっていることを認識すること、言語化してそれを捕らえることは一番難しい課題だった。
僕は母親が気に食わないであろうことをすることを本能的に恐れてる。 言語化しようとしても、怖くて怖くてたまらない。
だからいつも、別の口実をつくってきた。
旧人格を壊してる間のダメージは相当なものだった。 2年で、35キロやせた。
その間は勉強はまったくできなかった。 ・・・そのときは、自分の内面的な課題に向き合うのに精魂を使い切っていた。
外界に、他人に、向けるエネルギーは残っていなかった。
うつ病なのかと思った。 抑うつではあるけど、うつ病かははっきりしなかった。
ふとした理由で、「毒になる親」という本に出会った。 ありがとうはてな。
それまでは、もっともらしい理由を見つけないといけなかった。
母親に性的なあれこれや、盛大に釣られて手のひら返してもてあそばれたりしたことが、今の僕を苦しめているのだと立証するすべがない以上、それを口実にはできなかった。
「毒になる親」にはチェックリストがあった。 ほぼ全部YESになってしまって、うれしかった。
これで、僕が抱えてる問題を他人に知ってもらうことができる、と。
・・・・他人に知ってもらう。 信頼関係を築く。
この本を使えばできるかもしれない。 涙が出るほどうれしかった。
少なくとも、親との問題を言語化する糸口が見つかったように思えた。
この本曰く、「常に親の都合やニーズが子供のそれより優先する自己中心的な人間で、愛情というものが決定的に欠けている」ことは、欧米では虐待とみなされるらしい。 20年以上前から。
一方、日本では専門家ですらこの「毒親」に抵抗を示す人が少なくないらしい。 この本の訳者あとがきが正しければ、日本は虐待への認知にかけては後進国らしい。
・・・僕は喜怒哀楽の一部が欠けてる。
喜ぶこと、自分を表現すること、リラックスすること、素の自分を他人にさらすことがどうしてもできなかった。
「公私」の「私」がなかった。 ・・・マネはしてたけど。
・・・いつもいいようのない虚無感と、フラストレーションと、恐怖感に襲われていた。
それは家庭で、母親にも父親にも、怖がること、従うこと、イェスマンになること以外のことをしてこなかったからなのかもしれない。
・・・昨日初めて親しい友達に、「毒親」を中心とする僕の問題を打ち明けた。
・・・友達って、顔色を伺って普通を演じるだけの関係ではなかった。
・・・一般概念的にそうだと認識できていたけど、自分の身でそれが起こるなんて。
初めて、人間と話したような気分だった。
・・・・夜明けは来るだろうか。
・・・自分の子供には、「ふつう」になってほしい。 代々続いた虐待の連鎖は僕が断ち切る。
・・・・僕ができることをしっかり検証して、これから自分の人格を取り戻していこうと思う。
◆追記
この本のいっていることをいえば、「育てられ方が悪かったことに関しては、子供は一切責任を負わない。」
親のせいにできることもある。
それは、心のケアを怠ったことも含む。 虐待というのは、アザが残るような暴力に限らない。
ただし、「真実に向き合い、精神的に独立した人間になり、親が自分にしたことを他人にしないように身を律すること/健全な対人関係を築くこと」は自分でやれ、といってる。
そして「適切にサポートし援助してくれる人を見つけること」。 こういうことが、この本の12章に書いてある。(青い表紙の文庫版のほうで確認)
日本にはおそらく、毒親によって潰されている人がたくさんいると思う。 僕の先輩はその典型だった。
日本は・・特に儒教の影響もあって、立場が強い人に対して矛先が向けられることがあまりない。
つまり、親に問題があるなんて言論は社会的に避けられやすい。
欠陥育児の非を「自己責任」という論説で子供に押し付けるのは、日本の限界なんだとおもう。
大切なのは、育児が子供に何を残したかだ。 親の意思、意図、愛情とはまったく関係なく、親は毒親たり得る。
有害な善意ほど恐ろしいものはないっていうしね。
子供側は、自分の潜在意識にたまってるかもしれないフラストレーションに向き合えばいいとおもう。 それはとても恐ろしくて、心が折れそうになることだけど。
まず、本人が親に立ち向かう決心をしなければいけない。
なんでもかんでも親のせいにしろというわけではない。
「育児」には良し悪しがある。 それによって責任の所在が左右される。
自己責任論で苦しんでる人は、一度自分と自分の過去に向き合ってみたらどうだろう。
この本を持ち上げすぎてる気はするけど、僕は問題を言語化する取っ掛かりを作るのに
http://www.amazon.co.jp/dp/4062565587
この本が役立った。 お勧めしておく。
◆追記その2
読みやすくなるようにちょっと補足いれてみた。
書籍について。
「不幸にする親」という姉妹本を読んでみた。 こちらの方がチェックリストが多いし、うまく整理されているように感じた。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062144484
どんなものかを理解するには「毒になる親」がいいと思うけど、抱えている問題を言語化するツールにするにはこちらの方が便利だと思う。
みんな、健やかに生きれるようになったらいい。 そう思った。
◆後日談(随時追加する予定)
○毒親のいとおもしろし国語力測定 (前編)
http://anond.hatelabo.jp/20090118194006
コメントもらって元気が出たので文体が変わっています。
「童貞や処女が悪い」だなんて思ってない。私はブサイク処女だからブーメランになってしまう。
非童貞や非処女を無条件に叩く童貞や処女が醜いなと思っているだけ。
どうして非童貞=ヤリチン、非処女=ビッチということにしてしまうの?
セックスには相性があるでしょう。そのくらい処女の私にでもわかる。
一度もセックスせずに一発勝負で結婚して、致命的に相性が悪かったらどうするの。
不倫など、より「貞操を無視」した行動に出ると思う。
はてなアイデアは、ユーザによる要望を投稿しはてなが取捨選択、実装する場である。要望→実装の流れが見える分には良いのだが、その逆の要望→無視(とは限らないけど強い言葉ですがこう言います)も可視化される。アクティブユーザとして要望を投稿してみると分かるのだが、要望を無視されたときのフラストレーションの溜まり方が尋常ではない。
「そんな個人の要望が通るはずないだろう?」思うねまず。でもその要望が、バグの指摘、修正依頼ならどうだろうか。明らかなバグも無視されるわけです。(無視されたとショックを受けるわけです投稿者は!)
どのソフトウェアでもあるだろう?いつまでたっても修正されないバグが。そしてそのバグをコミュニティユーザ間で愚痴る姿を想像してみてほしい。
つまるところ、はてなアイデアははてなにとって有用なタダバグトラックシステムではあるのですが、ユーザの不満製造機でもあります。個人単位では実装されることの快感よりも、無視による打撃のほうが大きいこと請け合いです。はまるべきではない。