はてなキーワード: フラストレーションとは
現状のシステムに乗っかって好き放題に資源を使い込んでるマッチョが、
これでは潔癖処女厨やいわゆる非モテのフラストレーションが溜まる一方だから、
自力でエサにありつけないやつが「俺たちのためにちゃんと資源管理をしろ!」って
偉そうに吠え立てるのは気に入らんのである。
おれたちにとっちゃ何の損失でもないわけよ。新品とか中古とか気にしないから。
そういうマッチョ思考に辿り着けない男にとっては大きな損失なんだろうけどな。
今さら性に厳格な社会を目指しても実現するわけないんだから、
マッチョになったもん勝ちだなーと10代の頃に悟って今に至るが、
喚いてる増田達を見てますますその考えは強固になった。潔癖は損するだけだ。
ただそういう弱肉強食の社会を容認してしまうと非モテのフラストレーションが
溜まる一方だし、どっかにそのしわ寄せが来ることになると思う。
強いオスの遺伝子しか残らないから多様性も保たれないしな。
婚前交渉を認めない社会のメリットは、弱肉強食ではメスにありつけない弱いオスにも
生殖の機会を与えられることにあると思うんだ。
結局「非モテ」とか「処女厨」とかの意味や議論が理解しにくいんだよね。
途中から話に入ってきた人やあんまり頭が良くない人は
名称だけ見て「こういう奴のことだろう」って早合点するわけでしょ。
そういう「こういう奴」ってしばしば単なる自分のストレスや鬱憤をぶつける対象として人格化するから、
そういう論者の言う「非モテ」や「処女厨」ってその人だけのものなんだよね。
で、そういう脳内の「非モテ」や「処女厨」に説教してやろう!と鼻息荒くどこかの掲示板に飛び込んでも
いまいち自分の想定通りの相手がいないからフラストレーションが溜まる。
つまり
テクニカルターム(笑)なのよね「非モテ」とか「処女厨」って。
その割に名称だけはすごくとっつき易くて内容に対する想像を誘うから、
本来議論についてこれないような知能・知識の人が飛び込んできて
パチンコは割合での勝負になる、そこで、1本勝負的な観点を持ち出すべきではない。
対象が異なるのだから、マッチした方法を選定しなくてはうまくいかない。
パチンコは比率によってお金に変わるものが支払われる。やはり、1本勝負ではない。ということは、長くやっていた方が勝つチャンスは増える(裏腹に負けるチャンスも増えているんだが)。ということは、長くやることが意味を持つ場面というものが相当に多くなってくる。そうすると、パチンコに従事する時間というのはどんどんのびていく“仕組み”なのだ。その人の、パチンコに費やす時間のオペラント水準が上がるということは、その時間より短くなったときに遮断化が生じるわけである。ということは、その時に生じてくる出来事の刺激量は増大して、バーストしてしまったあとに非常に強い強化子にさらされてしまう。また、遮断化によってフラストレーションや、物足りなさ、がおこってくるので、やめるにやめられない。結果、中毒状態になる。オペラント水準をあげる仕組みがあるということが、パチンコの問題であるのだ。
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/
あなたはINTP型。
●内向(I)型
観察したことや決断したことを口に出さない。考えや着想が活力の源となるが、激しい議論をすると生気がなくなる。
話すよりも聞き手に回る。I型は数時間も二人以上で過ごすと、一人で考える「充電」時間が必要だと思う。
●直感(N)型
五感で情報を集めても、すぐに直感で解釈してしまい、可能性や意味、さまざまな物事の関連性をもとめてしまう。
壮大な企画を立てたり、物事を全体論でとらえる。
およそとか、行当りばったりという言葉がすき。
●思考(T)型
理屈を重んじ、人の意見に左右されず、分析的で、客観的価値観を持って、結論をだす。
グループの決定に個人的にはかかわらない傾向があり、なるべく結果を考えて行動する。
正義と明晰さを求める。よく頑固だといわれる。
●柔軟型(P)型
さまざまな状況に柔軟に、自発的に、順応性をもって、臨機応変に対処できる環境を自分の周りにつくる。
いったん下した決定に固執するのはかえって不安。特定の問題でどんな立場をとっているのか、ほかの人にはなかなか分かってもらえない。
どの仕事をやらなければならないか、ある問題をどう解決するか、今日何をするかなど、だいたいなんでも「ようすを見る」態度をとりたがる。
P型はどんな問題についても結論(判断)を出すよりも、理解しようとする、-つまり、新しい情報をいつまでも集めるー傾向がある。
極端な場合、P型は決断を下すことができず。J型はいったん下した決断を変えることがほとんどできなくなる。
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INTP型に向いている職業:
作家・芸術家・芸人・アーティスティックなコンピュータプログラマ・社会科学者・法律家
INTP型:問題を解決したがる
考えにふけってうわの空の大学教授を絵に描いたようなタイプがINTP型である。
頭の中でじっくり考える(I型)なので、N型の想像力がいろいろな可能性を思いつく。
客観的(T型)なので、その新しいデータを分析し、際限なく融通がきく(P型)ので、どんなデータもさっそく取り入れてしまう。
論文、図面、計画、企画、提案、理論などなんであろうと、こまごました情報を一つにまとめた完成図を作りあげようとするが、たえず新しいデータを発見するので、その完成図がどんどん膨らんでしまう。
その結果、考えや構想や計画がどんなに最終的なものに見えても、土壇場になって「新しいデータ」が手に入ると変えてしまうのである。
これはINTP型にとってはわくわくするほど楽しいが、ほかの人、とくにJ型の性向を持つ人にはフラストレーションになる。
完璧に見えても満足しないので、みずからが最大の批評家となり、あら探しをする。
完璧、有能、優秀であろうとするあまり、それが極端になると、かえって負担になり、うんざりしたり自分を責めたりする。
考えにふける大学教授というのは従来、女性のイメージというよりは男性のイメージで、頭だけで理屈をこねる資質は、男性の場合は大目に見られるが、女性の場合あまり受け入れられない。
そこで少なくとも三つの問題が生じる。
第一に、女性は昔から、家庭や家族のこと以外では設計能力があるとは見られてこなかった。
だから、人生を頭で考えた理屈にあわせたいと思うのは、INTP型にとっては当たり前なのだが、従来の女性の役割には真っ向から反する。
第二に、独創的に考えるのも従来の女性の気質とは見られていない。
たとえば、時間を聞かれると、INTP型は時間の哲学的な意味について述べたくなる。
そうした風変わりな面も男性ならば頭がよすぎるせいだと見られるが、女性だと「鈍感」とか、ときには「頭が鈍い」というレッテルをはられてしまう。
第三に、T型の面が、従順、優しい、気配りといった女らしさに反する形で表れる。
INTP型の女性が感情を表にあらわした場合、悪くすると、しばしば極端に表現しすぎて、本人もほかの人もぎょっとしてしまう。
親子関係
INTP型は、親というのは子どもの未熟な頭を伸ばしてやるものだと思っている。
一人ひとりの子どもの違いを辛抱強く受けとめ、子どもには自分の考えをもって生きていけるように育ってほしいと願う。
自分の進むべき道を模索する子どもを驚くほど寛大に支えてやる。
子どもの発達にあまり口をはさまない。
どんな考え方や行動をしたらよいか、いくつか選択できる道を示唆するだけで、けっして押しつけずに、新しい可能性を示してやる。
その助言が受け入れられなかったら、「ちょっといってみただけ」と答えるのがふつうである。
だが、ときには、反抗的だったり無関心に見えるときでさえ、子どもは親が別の考え方を押しつけてくれるのを待っていることもあるのだ。
そういう子どもにとっては、「無理やり」とか「押しつけ」といった言葉とは無縁のINTP型の親を持ったら不運である。
INTP型の子どもは、人とのつきあいで内気と見られるか、逆に、やたらに理屈っぽくつっかかってくるかのどちらかで、その中間は少ない。
学校では、一つのことに集中せず、授業とは関係ないことをあれこれ追求しすぎると見られたり、場違いなときに場違いな質問をすると見られる。
そうした行動は、とくに女の子の場合、人騒がせと取られる。
「事務所」とだけ表現しておく。どんな時代の、どんな「事務所」なのかは想像にお任せする。
やはりそういう「事務所」にはそういう相談が舞い込んでくる。「うちの息子はどうしようもない破落戸(ごろつき)で、親としてもさじを投げざるをえない。」とか何とか。
これを引き受けると、まずは当人を朝一番に「事務所」に呼び出す(というか親が送り届けてくる)。そして何をやらせるのかというと、何もやらせないのである。
「事務所」の隅に椅子を用意し、「そこに座っていろ」とだけ言いつけ、一日中放置する。まあ、トイレくらいは自由に行かせるらしいが。「事務所」の「職員」は全員が当人を完全に無視する。もし当人が椅子から立ち上がって何かをしようとしたら、持ち前の気迫で「座っていろ」と言いつける。そして日が暮れる頃に「帰っていいぞ」と言い、五千円札だか一万円札だかが入った封筒を渡す。「日当」である。
これを何日も何日も続けるそうだ。
すると、ほとんどの若者は一週間と経たずに「雑用でも何でもいいから手伝わせてくれ」と懇願するようになってくるそうだ。しかしそれでも当分は聞き入れてはもらえない。最低でも二週間、長い場合は一ヶ月以上も「放置」を続けるらしい。そうやって十分にフラストレーションをため込ませてから、「じゃあ、これをやってみろ」と簡単な雑用をやらせ始める。最初は掃除やお茶くみ程度。次第に電話の応対などもやらせてステップアップしていく。簡単な仕事なのでしくじるはずもないのだが、そこで初めて「事務所」の「職員」達は笑顔で大げさに当人を褒め称えるのだそうだ。仕事ぶりによっては、「事務所」の偉い人が飲みに連れて行ったりしてやるらしい。
当時の現場を知る人曰く、「事務所」のほとんどの者がそうやってここで育てられて来たという。多分この界隈の他の「事務所」も似たような感じだろうとも。
その「事務所」の場合、ある程度仕事が出来るようになったのを見極めて、「事務所」に勤めるか娑婆(親元)に戻るかを決めさせるそうだが、ほとんどが前者を選ぶらしい。
某経済誌の、若者の離職率云々の記事を眺めながら「どうして娑婆の会社でもこの方式採用をしないんだろうなあ」と、その人は時々つぶやいている。
積極性が皆無。ぜんぜん、口説いてくれない。
付き合う前のほうが、まだ思わせぶりなこといって、ドキドキさせてくれてた。
草食系ってやつなのかな・・・フラストレーション溜まるよォ・・・。
会って、遊んで、楽しかったねバイバイ、で終わり。何にもない。
友達ならそれでいいけど、わたしはそれにプラスして、ドキドキしたいんだよぉ・・・。
それともわたしからアクションを起こすべきなのか??
肩にしなだれて甘えた声できゅんきゅんさせるべきなのか??恥ずかしいよぉ。
長くモテない期間があったため、そんなことしたら俯瞰の自分に激しくツッコまれる。
ぷっwなにしてんの、こいつwバカじゃねーーーのwwww
もっとこう、向こうから、「好きすぎて我慢できない」みたいな感じで
と言っておきながら
と言うあたり、そもそも増田自身が「女性は誰もが常識的に恋愛のいろはを踏まえて行動している」と思い込んでいる。
つーか、そもそも女だって、「常識的に恋愛のいろはを踏まえて行動するべき」という圧力はかけられているんだけどな。
大いなる矛盾。
言ってることを要約すると、「俺は女のせいで恋愛のいろはを学べない非コミュになったんだ!女が責任取れ!」ってことだよなぁ。
恋愛したくてセックスしたくてたまらないのにそれができないコンプレックスとフラストレーションから、女のことを「やらせてくれない不親切な奴ら」と認識してしまっている。
マスコミで取り上げられるような華やかな女像しか見ていないのと、コンプレックスとフラストレーションの合わせ技で、女に対するイメージが歪みまくっている。
スクールカースト下位で、男にいじめられまくった経験のある女も存在するかもしれないということについては、考えもしないし想像もしないのだろう。
結局のところ、お互い様なんだよ。男も女も、恋愛やセックスにおける優位性を行使できるのは、モテヒエラルキー上位の人間だけ。
あと、セックスしたいという欲求が強すぎるにもかかわらず、自分が女から選ばれないために、女が一方的に男を選んでいるものと勘違いしているようだが、誰だって交際相手の選択権はある。もちろん非モテにだってある。
自分がどうしても付き合いたくないと思う女に迫られた場合、断る権利は非モテだってもちろん持っている。
女に対して非モテを受け入れることを要求するのなら、自分もまた、友達としてすら付き合いたくも無い女を受け入れなければならないだろう。
何をもって言語化というかは分からないけど。
(喋るのか、書くのかなど)
基本、言語化はした方が良いと思う。
もし、女性だったならば、喋るのがストレス解消にもつながるので良いと思う。単純な話だ。
もし、書くのだったら、「ここまでは考えた」という付せんになる(だから、ノートやテキストエディタなどに書いて保存しておいた方が良い)。大体、悩みというのは、同じ所をぐるぐると回り続け、何回も何回も同じ事を考える状態のことだ。「ここまでは考えた」ということを整理しておけば、人間は次の発想に移ろうとする。それは、多分、人間の本来の性質だし、発想という物は、いきなり出せと言われても出せない、連想的に出てくるものだ。建設的な解決法も思いつくかも知れない。
さらに言えば、以前に書いた物を見直す時間を持てると、もっと良いかも知れない。人間、日々変わっている訳で、後で書いた物を見たら、違う視点で見れた、ということは多々あるはずなので。
とは言え、それとイライラ解消法は分けて考えるべきかも。
ふて寝でも、酒でも、ゲームでも、買い物でも、なんらかのストレス(フラストレーション)解消法は必要だと思う。ただ、それは人それぞれ違うし、自分にあった方を試行錯誤して見つけていく必要があると思うが。
まず、自分の英語スキルを晒すとTOEICスコアが700前後。
だいたい高校生の時からこのスコアは変わらず。というか、初めて受けた時から成長していない。
これではいかんと英語を読むことを日常化しようとするも、これが上手くいかない。
手っ取り早く海外ブログを読もうとしても、面白いブログが見つからない。
自分はいわゆるサブカルチャーが好きで、現地のサブカル情報を載せてるようなサイトを
探すんだけどなかなか見つからない。下手すると日本のアニメの感想を書いてるとこがぽこぽこ出てきてそんなん日本語で読めばいい。
情報を取り出せるキーワードがわからないので、Googleで検索しようにも適切な検索キーワードが出てこないので、
うまく情報にアクセスできない。結果、フラストレーションだけが溜まる。
で、日本語で検索すると面白そうなページがわらわらと出てくるのでそっちを見てしまう。
なにか専門的なことを学んでいる人はその分野の最新情報にアクセスすれば楽しいだろうけど、
まだまだ日本語の面白い情報があるので、それにアクセスしているだけで時間が埋まってしまう。
こんな感じのことを何回も繰り返していて、つまりまとめると
↓
↓
↓
疲れるのが嫌なのでそっちに入り浸る
こういうことが起きている。要は海外サイトが楽しめないってわけだ。
みんなこの問題をどうやって解決しているの?
職場の場合でもそうなんだけど、ある事件が起こりました、と。
ではどうするか?という話。
犯人捜しを始めるか?
これは大抵不幸な結果に終わる。
犯人が見つからなかった場合、探すのにかかった時間(お金)が無駄になる。
例えば、上司に責められるとしても、犯人は反論のしようがない。
その結果、犯人の誇りとプライドは傷つけられ、(大抵、大勢の前で)恥をかかされる。
では似たような事件が起こった場合、どうするかというと、大抵の人は「なかったこと」にしようとする。隠蔽工作を図る。
大勢の前でつるし上げられたくないから。
よって代案が必要になるのだが、大抵の場合は以下の3つのうちのどれかだ。
1.何かやってしまったら、自己申告してもらう。
2.こういう事が起こった、と全員に注意する。
3.それが起こらないようなシステムとして解決する。
人間は弱い物だ、という人間理解や優しい気持ちを前提に持っていないと、大抵の問題は解決しない。自分の器は小さいから、あるいは、上司や部下の器が小さいから、ハックする必要がある訳で、自者や他者、異性を人間として見なしてみない者は目が三角になり、イライラとフラストレーションをため、閉塞状況に陥る。もっとも、状況をハックするにはハックする時間が必要であって、逃げる勇気や引く勇気のない者は自滅へ一直線となる。
ニーチェによればルサンチマンの人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[1]である。
よって、ルサンチマンの人は非常に受け身的であり、無力な状態で、フラストレーションを起こしている。行動を禁じられて、その結果自身の無力を痛感している人なら誰でもルサンチマンに陥る。すなわち感情を表に出すことができなくなってしまうのである。
強者であればこの状態を克服できる。その場合、ルサンチマンの状態は(復讐心を克服するときと同様)一時的なものでしかない。反対に弱者はルサンチマンから逃れられない(復讐心が脅迫観念になったり、ある行為を後悔するあまり日々悶々として、気の休まるときがなくなってしまったりするのと同じ)。そして、フラストレーションの味方をして、なにもできないのを正当化し、価値の否定および反転を行う。自分を正当化しようとするこの願望こそ奴隷精神の最大の特徴である。
これを読んで、勝間和代とその信者にルサンチマンを見た池田信夫を考えると面白い。勝間和代は自己啓発の本を多数出しており、今回はデフレ退治へと行動している。自己啓発の本では人々に学習することを求め、デフレ退治では政治的に動くことを要求している。どちらも人々に行動することを要求しており、「単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつける徒輩」とはほど遠い。真っ逆さまと言って良いだろう。
対して池田信夫の出した『希望を捨てる勇気』は、その真意はともかく、多くの人に今のままで十分であり、何もするな、希望を持つなと誤解させるに十分な内容である。真意は超人であることを求めていると思われるが、実際にはルサンチマンの人により歓迎されるだろう。
ニーチェは、ルサンチマンの人の例として、キリスト教を奴隷の道徳と考えた。自分たちが善であると考えることで、世界を正当化して心の中だけで復讐して奴隷として生きるのだ。
池田信夫信者もまた自分たちの考えが論理的で真実であると考えることで、世界の正当化して他者の無知を心の中で嗤い復讐して奴隷として生きるのだ。まさに池田信夫とはルサンチマンの人によって支えられたアルファブロガーである。
にもかかわらず池田信夫は、自身ではなく勝間和代にルサンチマンを見い出す。これは精神分析でいう投射である。自分自身の特徴を相手に見い出すのだ。なぜなら自分自身の特徴こそは自分にとって最も気になることであり、相手を見るときもまずそこから徹底的に調べるからである。
投射を行う人間は、得てして合致する部分が見つかるとすぐに合点して推論を止めてしまう。精神ストレスに対する耐性がないと、自身を直視することを恐れ、自己の推論について検証することができないのだ。
説得力のない嘘でもひたすら言い続けると説得力が生まれるもの。人々はそんな馬鹿なことができる人がいると信じられないのだ。中庸を取ってどこかしら真実だと考えしまう。しかし嘘ですべてを固めてしまうという人は存在する。
精神ストレスに対する耐性が極端に低い人間は、堂々と嘘をつき続ける。本当のことを言ったり考えたりする苦痛に耐えられないからである。嘘を正当化するためにまた新しい嘘が必要になるからである。堂々した嘘には説得力があることを知っているからである。これは葛藤に直面しても現実を直視することができない人間の特徴である。
一歩も飽きて来たし、イニDも飽きて来たし、個人的には、K談社がやばくてもやばくなくても別にかまわないのだが、コネ入社が多いと聞いて、なんだかなあと思った。あそこの雑誌って、DQN用というか、ヤンキー用というか、低所得者用というか、その辺の人達のフラストレーションをうまく解消するためものであった訳だが、それがうまく機能しなくなってきた訳だ。ネットのおかげで。DQNのあこがれを消費に誘導させる人達が高学歴のボンボンという皮肉がなんとも言えない感を醸し出していた訳だが、そういうアホみたいな構造はさっさと潰れて欲しいし、そのうち潰れるのであろう。もっとも、その構造はTVのキー局も同様なんだろうが。
この論を読むにあたっての前提
・「バカ」とは単に学力に限らず、知的活動全般(コミュニケーション,芸術なども含む)における能力が劣っている人物を指す
・「美人/ブス」をx軸、「賢い/バカ」をy軸とし論を進める。(「学力/EQ(学力以外を暫定的にこう括る)」というz軸は議論を煩雑にするので省略する)
・「不幸」の定義が非常に曖昧ですが、「幸せが少ない」よりも「苦しみが多い」寄りのニュアンスで捉えてください
自意識を植え付けられた現代人に共通すると思われる欲望の一つとして、「自己承認欲求」というものがある。これは己が他者から承認されたいと思う欲望である。これが満たされない場合、人間はフラストレーションを募らせ、不安定な状態に陥りやすい。
しかし、当然ながらこの自己承認欲求は万人に対して保障されているわけではない。ここの自己承認欲求の不均衡が起きる。そして、危険なことに、この自己承認欲求を満たすために女性には安易な「性」という交換価値が与えられている。
しかし、「性」を交換して得られる自己承認欲求は概して薄っぺらく浅いものであることが多い。「性」と交換に承認を得た女性たちは、結果的により深い、より切迫した欠乏感に苛まれる。
典型例としては、「ヤンキー娘が男をとっかえひっかえした挙句に妊娠して高校中退」のようなものである。この場合、彼女は「勉強ができない」という劣等感や、不幸な家庭環境による愛情への飢餓を、「性」というエサに群がる男性から求められることによって補おうとしたものと考えられる(ヤンキー娘の家庭環境が不幸とは限らないという反論に対しては、前提条件で挙げた「バカ」が知的活動全般を含むという点に注意を喚起しておきたい)
しかし、概して、このような過程を経た出産、それによって形成される家庭というのは同じ末路を辿りやすい。これが文化の再生産・階級の固定である。彼女の、「性」をエサにして自己承認欲求を満たすというプライドのファストフード店は、妊娠・出産というクライマックスを経て閉店に追い込まれる。生まれる子供が女子であれば、その子供も「バカ」で「美人」である可能性が高い。
では、「バカでブス」の場合を例にとってみよう。彼女たちも「自己承認欲求」が満たされず、苦しい時代を余儀なくされるという点ではバカな美人と同じである。しかし、この場合、彼女たちには交換価値となる「性」がそれほど高い価値を持たない(まあそもそも若いってだけでブスであろうとデブであろうと性的価値はあるんだろうなとも思ったけど、飽くまで二者間の比較において)
よって、どうなるか。彼女たちは男性たちから得られる浅薄な愛情すら受けられず、非常に厳しい環境で生育することになる。最初は男性から求められるバカな美人を見て羨望に身を焦がすこともあるだろう。しかし、やがて気付くのである。あんなことをしても何にもならない。
器質的に同等の知力を持つと仮定した場合、大人と子供では大人のほうが賢い。なぜならば、それはそれまでに培われた経験、そしてそこから得られた「情報」が存在するからである。よって、「子供でバカでブス」よりは「大人でバカでブス」の方が賢い。そしてこの場合の「経験」は必ずしも自分自身によってなされる必要はないのである。バカなブスはバカな美人の失敗を見て学ぶ。
ここで、「でば、バカな美人であっても、経験によって己をブラッシュアップすることは可能なのではないか」という質問が成り立つ。それは正当な反論であり、その場合は「美人」というカードが役に立ち始めることもあるだろう。しかし、彼女たちの場合、それ以前に妊娠や結婚において、人生の再チャレンジにおける不利なカードを引かされている可能性も高いのである。
バカなブスは少しだけ賢くなって漕ぎだしていく。
バカな美人は錨を下してしまったため港から離れられない。
そのような意味において、「バカで美人」よりも、「バカでブス」のほうが、不幸に「なりづらい」という結論が成立する。
以下は余談
平たく言えば「同じバカならモテるよりモテないほうがむしろ幸せなのでは…
幸せが言い過ぎなのだとしたら受ける傷は少なくて済むのでは…」ということを加護さんについて考えて思ったのでした(彼女はそれで生活の糧を得てるから上の論には必ずしも当てはまらないけど)。しかし、「モテ」を分水嶺にすると知的能力云々のあたりがややこしくなるので(「モテる時点でバカではないんじゃん」等)今回は容貌を用いました。
とりあえずイメージとしては、
「高卒派遣OLひとりでバラエティ番組を眺めながら食べるオリジン弁当の夕食」
と
「ヤンキー上がりシングルマザー母子家庭でワーキングプア水商売はじめました」
の対比としてイメージしてもらえるといいと思います。
それでも「ひとりじゃないだけ後者のガマシ」という人に関しては私とは価値観が違うとしか言えない。
「賢くて美人」と「賢くてブス」とを考えた場合は、個人的にそこに(不幸になりやすいかどうかという点において)あまり差はないんじゃないかと思います。幸せになるために踏まねばならない手数の多さという意味では「賢くてブス」のほうが上だろうけど、それをきちんと踏襲するというニュアンスも「賢い」にはこめてあります。
そもそも、(前提で述べたような極端なケースを除けば)「美人」と「ブス」という分け方が極めて恣意的なものなので、この場合の「美人」というのは単に「多くの人がその人を美人と思う」という事実に過ぎず、また「ブス」も然りです。そして、重要なのは、「需要の多寡は必ずしもそのものの優劣と比例するわけではない」という点です。
よって、例えば「ブス」だったとしても、自分を需要する層というのを的確に判断する能力があれば、それは決して弱いカードではなく、単に使いどころの難しいカードであるに過ぎないのです。むしろ、場合によって強いカードにもなりうる可能性を秘めているのです(RPGで、人魚のキャラが陸上戦ではHP少なくて弱いけど、水中戦では無敵みたいな感じ)
以上をまとめて「不幸になりづらいランキング」を作るのであれば、
という図式が成立するのではないかと思います。
「頑張っているのに認められなかったフラストレーションから、つい攻撃的な物言いになった」と考えてあげるほうが、よっぽど好意的でしょう。
↓
↓(以下横道にそれる)
大筋こんな感じか?
・【頑張っているのに認められなかった】としたら【誰から】?
↓
・誰なんて要らない、認められなかったという仮定だけで十分(ここで自然・不自然の話)
↓
・書いてある文章よりも、書いてない仮説の方を重視するのが不思議
↓
・再掲(この辺からループ)
俺は書いてある文章だけで判断して「普段から誰にでも噛み付く人間」と見なすのはあまりにもかわいそうだから、
何か理由があったんだろうな、と好意的に解釈
↓
・いやいや、「相手には直接関係ない感情」で相手に噛み付く人間と断ずる方がかわいそうでしょう?
(普段から誰にも噛み付くんじゃない、「努力もしない輩が自省もせずに愚痴ってるのが頭にきたから」)
↓
・努力を現状からのプラスと考える、ということは、原則的に努力しなくても構わない、つまり「あまったれてても構わない」
↓
・いやいや、努力しなくていいことは、あまったれて良い事にはならんよ。
(「努力もしない輩が自省もせずに愚痴ってるのが頭にきたから」に関連する私見)
↓
・お前の意見は聞いてない、および再掲
↓
・いやいや、「相手には直接関係ない感情」で相手に噛み付く人間と断ずる方がかわいそうでしょう?
なんていうか、もっと罪の意識だとか?両親の呵責だとか?
そーゆーのを感じまくるもんだと思ってたんだけどぜんぜんそんなもんない。
本命の彼女のことは相変わらずとても好きだし、浮気したことを意識して彼女前でギクシャクするなんてこともない。なんも変わらん。
むしろ浮気してよかったとすら思う。
本命の彼女とは会えない日が続いてて、相当なフラストレーションがたまってて。
もし、あのままだったらそれに耐え切れずダメになっていたと思う。
でも、まぁ、浮気がちょうどいいガス抜きになってなんとなくうまくいっている。
どっちがいいか言われたら、おれは後者をとるね。
まぁ、気持ち足りないから我慢しきれないんだろうとか言う人もいるだろうけど、
いくら遠くに最愛の人がいても、瞬間的なさみしさやむなしさなんて埋められりゃしないんだよ。
1年前に関東に嫁いだ友人から
「今九州に戻ってきてるんだけど、久しぶりに会って話がしたくて」
とメールが届いた。
それで、居酒屋で飲みながら話を聞いた。
ちなみにワインの持ち込みはしていないので店長には怒られていない。
そうすると
・旦那とは結婚してから一度もしてない、旦那が応じてくれない
・実は付き合ってたころから何年間もしてない
・関東では山奥の僻地の社宅住まいで、どこか家の外でフラストレーションを解消させるというのもなかなかむずかしい
・結婚が決まって関東に行く直前に知り合い、今も関係が続いているセフレが九州にいる
・当然セフレのことは隠しつつだが「九州を離れるのは嫌なので、毎月一回は九州に帰らせてもらう」という条件で旦那と結婚した
・そんなこともあって、実は月の半分ぐらいは九州にいる、つまりこれまでの結婚生活の約半分は旦那と離れて九州で浮気してる
・旦那はたぶん気付いていない
というようなカミングアウトが続々と飛び出してきた。
いや、もともと浮気癖のある子だというのは知っていたし、小さいころから親子関係に恵まれなくて愛情に飢えてて、それがエロスのほうにいったのか過剰な恋愛体質というかセックス体質の女になったというのも知っていた。
旦那はEDとかではなく性的に淡白だというだけなのだけど、旦那のほうも小さいころ何かいろいろあったらしく、セックスを嫌うわけではないにしても年頃の男性としてはちょっと信じられないぐらいに淡白なんだそうだ。具体的にはよくわからんけど。
とにかく新婚さんらしい性的な触れ合いがほとんどなく、枯れた老夫婦のような結婚生活がつらくて仕方ない。
好きで一緒になったはずの旦那にも愛情を感じられない。
加えて昨年のリーマンショックのあおりで未だに旦那の会社では残業禁止令が出ていて、手取りが激減した。
愛もない、お金もない。
わたしは何のために故郷を捨ててこんなところまでやってきたのだろう、と彼女の中ではこうなっているわけだ。
お金はいずれ何とかなるんじゃない、という話をした。
旦那の会社はこんな九州の片田舎住まいのわたしでも知ってるような大企業だし、そこの正社員なんだから、リストラさえ免れればいずれ景気は回復するし大丈夫なのではないかと思う。
今一時的に苦しいのであれば彼女がパートでもして家計を助ければいい。
それではもうひとつの問題である「愛」はどうすればいいのか、ということで、でもそれはまあ、「幸せ」と同じで、本人がそれを感じられる状態こそ、それが存在している状態なのだと思う。
だから今の二人にとって愛はあると言えばあるし、ないと言えばないという、非常に不確かでつかみにくいものなんかなあ、とか考えた。
少なくとも彼女にとってはセックスと密接に関わっていることは間違いなくて、実際最近ではそのセフレのほうに情が移ってしまっているらしく
「こっちで仕事を探して腰を据えようかと思う」
なんてことをのたまったりする(さすがに止めた)。
旦那のほうはと言うと、聞けば聞くほどわかりやすく「お母さん」を求めて結婚したのだということが彼女の話のはしばしから伝わってくるのだった。
付き合ってたころからセックスレスだったんなら、どうしてもっとよく話し合わなかったのか、とは思う。
お互いに求めるものが違うということはわかっていたはずだ。
わたしなどは、彼と付き合いながらとっかえひっかえへんな男と浮気を繰り返してはボロボロになっていく彼女が痛々しく、結婚話が持ち上がっていることを知ったときは心から「これでもう安心だ」と思った。
と説得したりもした。
セックスレスで彼女が悩んでいたことを知っていれば、もう少し違うことが言えたのかもしれない。
のだけれど、適齢期の女性として彼女の焦りはよく理解できるし、いろいろ不満はあれどとりあえずなせばなる!っていう気持ちでえいやっと結婚したのだと思う。たぶん。
旦那とちゃんと話し合いなよ、と言うのだが、当然彼女もそれは何度も試みたらしい。
しかし旦那も旦那で(旦那とも古くからの知り合いなのでなんとなくうなづける部分はあるのだが)彼女の真摯な訴えを真正面から受け止めようとせず、冗談ではぐらかしてしまうばかりらしい。
何か性的コンプレックスがあってその話題を避けたいとかいうわけではなく、あと仕事で疲れてていつも応えられなくてごめんとかそういうのでもなく、むしろ自分から笑いのネタにしたりする。
それでも男としてプライドが許さないというか、そこでプライドが傷つかない男なんているんだろうか、とわたしは思ったりもしたのだが、ああでも、あの人ならそれもありえるかなあ、と結局は思った。
要するに「こだわらない人」なのだ。
人間関係とはとにかく楽しくておもしろければよく、つらいことや苦しいことに「わざわざ」目を向けることをしない。
そしてそれを何ら悪いことだと思っていない。
そういう人なのだ。
かと言ってチャラ男でもなく、何と言えばいいのか、「飄々」ということばを体現してるような人、というか。
まあそのぶん、普段はとても話しやすく、屈託のない人だ。
彼女もそういうところはどうしても憎めないと言っている。
そんなわけで、彼女の調査によれば旦那のほうは浮気の可能性もないらしい。
どんな調査をしたのかわからないのでなんとも言えないけれど、してるんじゃないのかなあ、と内心では思った。
まあでもこの二人の場合、旦那が浮気をしてるかどうかっていうのはあんまり重大な問題じゃないようにも思える。
なんというか、話を聞きながらそれなんてシゲタカヨコだよ、とか思っていたのだが、満たされない親の愛を性的接触で満たそうとする傾向は過去のわたしにもあったもので、彼女のわけのわからん一連の行動にも個人的にとても納得できてしまうところはある。
人から正論を言われて頭ではよくよく理解できていても、どうしてもやめられないのだ。依存してるから。
ただ、いろいろあってそこから抜け出すことに成功したわたしから言わせてもらえるのであれば、一刻も早くセフレと縁を切ってほしいと思う。
そして、コミュニケーション不全に陥っている旦那との関係を全力で修復してほしい。
たぶん旦那は今の状態を特に問題視してないんだろう。
ありえねー、と思われそうだがあの旦那ならありえる。
まず旦那に危機感を持たせないといけない。
嫁を本式のメンヘルにしたくないのなら何とかしろ、お前しかいない、と言いたい。
いや今でもかなりまずいところまでいってるのはわかってるが、とにかく旦那なんとかしろ。
でも旦那の今の連絡先を知らない。
誰に聞けばいいんだ。嫁に聞けばいいのか。
ていうか今まで無理やり擁護してみたが嫁もかなりひどいもんだ。
旦那があまりに哀れだ。
わたしが男ならこんな女性を嫁にもらいたくはないだろう。
話を聞いているときはどんなオチが来るのかと思って最後までふんふんなるほど、と黙ってうなづいていたが特にオチはなかった。
後で考えてみたら、やっぱりこんな嫁はいやだと思った。
いや、夏帆ならいいかもしれない。それはわからない。
ていうか本当はちょっとめんどくさい自分もいる。
なんでそもそもお前ら結婚したんだよ、と思う。
こんな話聞くと、ただでさえ関心薄いのがますます結婚したくなくなってくる。
しかし世の人々はことごとく結婚をすすめてくるので無視することは難しい。
なんかもうこれでもかというぐらい(主に嫁が)ダメダメな夫婦だが、よく考えてみれば、こういう話はそれほど珍しいわけでもないような。
なんとなく「あー結婚ってこんなものなのかもね」とか認識してしまっていたりするがそれは誤りなのだろうか?
それすらもよくわからなくなってきた。