はてなキーワード: 自己肯定感とは
っていうコンセプトのアイドルグループを作ったら絶対売れるとおもうんスよ!
メンバーは全員タイプの違うビッチで、明るくオープンなセックス大好きビッチ、一見清楚だけど裏ではヤリまくり腹黒ビッチ、シンプルに性欲が強くて男をディルドとしか見てない体育会系ビッチ、自己肯定感をセックスで保ってる病みビッチなどなど。
曲も元カレとかセフレとの関係を歌った内容で、写真集もあきらかにホテルで男に撮ってもらった風にするの!
イケメンとも金持ちとも老人とも学生ともセックスする(設定)だけどお前(ファン)とだけは絶対セックスしないアイドル。いたらいいよなぁ。
私の彼は短小×ふにゃチンだ。
しゃぶってもふにゃふにゃで、しゃぶっていてこれで入るんだろうか。。中折れしないだろうか。。と心配になるくらいにふにゃふにゃだ。
サイズ感と柔らかさは例えるとしたら何だろうか。。と考えていたら、そうだ、これはカニカマだ。カニカマを口に含んでいる感覚に似ていることに気づいた。
挿入する直前に「ちょっと待って・・」と、いつも膝をついた姿勢で一人高速でシコリ出す。
「乳首触って・・」と言われるので、仰向けの私の股の間に、膝をついた姿勢でしこっている彼に向かって、手を伸ばし乳首をいじる。
この姿勢が体がそこまで柔らかくない私には厳しく、腹筋をプルプル震えさせながら彼の乳首をいじってあげる。それでもチラッと目を下に運ぶとふにゃチンは依然ふにゃふにゃのままだ。
これが5分ほど続き、私の腹筋がそろそろ限界に達しそうなところで、彼のティンコはほんの少し固さを帯び挿入に至る。
固いと言ってもアメリカンドッグの中のぼそぼそしたソーセージくらいだ。
ほー、これで挿入できるんだ、と感心するが、そんなことはもちろん口に出せないので、気持ちいいふりをして「んん・・あっ、あぁ~」と喘ぐ。
でも自分でも不思議なのだが、そんな短小・ふにゃチンでも気持ちがよいのだ。
気持ちがよいというか、満足感が非常に強い。
挿入した時、彼は目を細め眉間にしわを寄せ恍惚な表情をするのだが、その後一変し、目力が強くなりオスとして自信に満ち溢れた表情をして腰を突き上げてくる。な、なんてイケメンなんだ。
そんなふにゃチンでよく自信を持てるものだな・・本音では感じつつ、自己肯定感というのは人間を形成する上で重要なんだと彼とセックスをしていて思う。
ピストン運動をしているときも、「増田好きだ!」「増田めっちゃ可愛い!」「増田愛してる!」と毎回同じフレーズを言ってくれるのだが、これも地味にうれしい。
先日の全力!脱力タイムズで、銀シャリの橋本が、相方鰻のボケに「俺は好きやで」ツッコミ皆和んでいたが、これとちょっと似ていると思う。
心を許している人からの「好きだ」という言葉は最強クラスの受け入れ表明だと思う。
私も感謝を込めて、このイケメンのティンコがもっと大きくなれ~、もっと固くなれ~~!と私も私で祈祷するかのように一緒に腰を振る。
彼の快感がピークに近づき、突き上げも強度を増してくると、私の脳内も霞がかかった感じになり、どんどん下半身が足の方向に沈んでいき、ふにゃチンと一緒になろうと自分から膣の奥へ奥へ入れようとする感覚にとろけそうになる。
そして、彼が昇天し、温かい何かを膣内に放出されるのを感じると同時に、先ほどまで自信に満ち溢れたイケメン男子がどこかいなくなり、優しそうで憎めないあほ面がいつも以上にブサイクになって戻ってくる。
けどそれもそれでいいな、と思う。またセックスすればイケメンに会えるわけだし。
てなわけで、今回ふにゃチンの不満を書き連ねようと思って書き出したのだが、ふにゃチンとのセックスに満足している内容になってしまった。
あまりにふにゃチンで、デカチン×硬マラだったらなあ・・と妄想にふけってみたり、バイアグラを提案することもたまによぎるのだが、関係性がこじれるのは怖いので実際に行動に移すのはやめようと思う。
自己肯定感が大事なのは分かった。でも低スペックの人間って自己肯定できる機会とかなくね?
低スペックだと単純に社会から「お前は低スペックで」と何度も何度も突きつけられることになる。顔、身長、勉強、運動、進学先、就職先、仕事の速さ、コミュニケーション力、モテるかどうか……。これの全部で偏差値40以下の俺は、自己肯定感などあるはずもない。
ふんわりと「俺なんてだめなやつだ……」って感じじゃなくて、低学歴、いない歴年齢で婚活パーティーでは毎回全敗、仕事は遅いとか、とにかく客観的指標が俺を低スペだと言ってるんだよな。んで、低スペックだと自覚しないと努力が足りなくなるから、やっぱ自覚していかなければならない。
その後、いい歳になってもコミュ障が治らなくて、人が怖くてどうしようもなくなってしまった。
コミュニケーションの本を読んでも、場数を踏んでも治らない。
何にしても辛くて辛くて、もう働けくなるかも、というところまで来た。
そして精神科(メンタルクリニック)を受診したら「社交性不安障害」と診断がついた。
先生が言うには。。
不安が強いんでしょう、と。
そして、
自己肯定感が低い
↓
でも承認欲求はある
↓
↓
言葉を選んでしゃべりづらくなる
短期間での気分の浮き沈みも激しくて、それも不安が強くなるとガタガタと落ちてしまうんだろうと。
なんだか色々納得がいった。
そして処方された薬を飲むようになった。
薬を飲んだからといって、別にスラスラ雑談ができるようになったりはしない。
ただ、不安が軽減されてく人に話しかけたり、会話したりする際にかなり楽になった。
精神状態が落ち着き、自傷行為や自●未遂未遂(紐を結んでいたら猫が遊びだしてほっこりして中断した)もしなくなった。
生きることの辛さがだいぶ減ったと思う。
女のが自己肯定感高いだろ
どんな弱者男性(ニート、発達、浪人界隈)でも、「俺は男だから女より偉い」と思い込んで女叩きするよね。「女は劣等生物!女は人間じゃないオナホだ!ま〜ん!男は論理的で偉いんだ!女は男に逆らうな!女に人権を与えるな!」ってめちゃくちゃ言う。
こっちは女は劣ってる劣ってる劣ってるって何回も聞かされて、凄く自己肯定感が下がったよ。なんであいつら曰く「女尊男卑社会」であんなに男であるというだけで威張れるんだ。
ちょっと優しくされて「あの子は俺のことが好きなんだ!」と勘違いする男も自己肯定感高いよね。低かったらそんなこと思いも寄らない。自分は好かれるものと思い込んでいる。
性犯罪者、性的虐待加害者もそうだ。平気で「被害者から誘ってきた」とか言う。自分の加害が求められていると思ってる。自己肯定感が高すぎる。
逆に女の自己肯定感は低すぎる。とくに性被害に遭ったことがあると、自分は生きる価値がないと思い込む。その裏で加害者は自己肯定感マックスで生きていく。
「あいつが誘ってきたんだ!罰せられるのは不当だ!」なんて考えてる性犯罪者じゃ、そりゃ投獄されるのは辛くて苦しくて仕方ないだろう。
自己肯定感が低い方が「私はこんな目にあって当然なんだ」と納得し、ささやかな幸せに喜べる。
いやでも、逆にコンクリ事件の犯人は何故自殺しないのか不思議だ
それとも周りが守ってくれてるのかな。
普段は嘘ついたり人貶めたり傷つく様な言葉吐いたりして他人を攻撃しまくってる癖に
いざその事に対して反撃されたり糾弾されたりすると
「私みんなからイジメられてるの~攻撃されてる被害者なの~!」ってアピールしまくる人ってホントに何考えてるんだろね?
テレビに出てる様な有名人から職場の(非常に)困った構ってちゃんまで、有名無名問わず一定数いる
自分がやってる事は自分が一番分かってるハズだから嘘ついたり攻撃してることも分かってると思う……し
自分が間違ってないって思ってやった事でも色んな人からおかしい、間違ってるって言われたらちょっとは間違ってるかも……
って普通の人間なら思うものだと思うんだけど、少なくとも客観的には自己反省しているようにはまるで見えない謎
まーその自己肯定感が強い所はある意味憧れる部分もあるにはあるんだけど、そういう人に迷惑かけられたり振り回されたり
あまつさえ被害を受けてるのはこっちなのに「あいつが悪いの~」って攻撃されて加害者扱いされる側の人間としては
迷惑だし神経分からんし何よりも何を考えているのか本当に分からなくて気味が悪くて仕方がない
被害を受けてるアピールをすれば必ずと言っていいぐらいヨシヨシ慰めたりするクソ男やカス女も悪いっちゃ悪いんだけど
多分被害者アピールすれば周りが味方してくれるってある程度学習しているから社会に出てもどんな場面でも自分が不利だと感じると
すかさずアピールするんだけど、それでもそのアピールの中に本気で「私は全然悪くないのに~!」っていう本音や怒りや悲しみが垣間見えて
ムカつくとか通り越して恐ろしいし不気味だし本気でキモい、気色悪い
大体良い歳こいたのがやってるのもあって余計に気持ち悪い
けん‐きょ【謙虚】
けん‐そん【謙遜】
控え目な態度で振る舞うこと。へりくだること。「―して言う」「ご―でしょう」
■お前らなんでググらねーの?と思うこと
https://anond.hatelabo.jp/20230618030531#
謙虚(けんきょ)は、必ずしも自己評価が低い人を指すわけではありません。謙虚な人は自分自身を客観的に見つめることができ、自己評価を適切に行います。彼らは自分の能力や知識について正当な評価を持ちつつも、他人の意見や経験を尊重し、謙遜した態度を示すことがあります。 謙虚な態度は、傲慢さや自己中心的な態度とは対照的です。謙虚な人は自分自身を過度に高めず、相手に対して謙遜し、敬意を持って接します。彼らは他人の意見や知識を素直に受け入れ、学ぶ姿勢を持っています。 自己評価が低い人は、自分自身を過小評価し、自己価値感が低い傾向があります。彼らは自分の能力や価値を過小評価し、自信を持つことが難しい場合があります。自己評価の低さは、自己肯定感の欠如や心の健康上の問題の一部と関連することもあります。 したがって、謙虚な人と自己評価が低い人は異なる概念です。謙虚な人は適切な自己評価を持ちつつも、他人を尊重し、謙遜した態度を示すことが特徴です。