はてなキーワード: 死にたいとは
100万では提供側が割に合わないだろうし
500万は死にたい奴らのボリューム層である貧困層には貯めるのがかなり難しいだろう
250万だと
・死ぬ気で頑張れば一応貯められるかもしれない
・死んで欲しいから安楽死してくれと望む側が出し渋る額(無理やり安楽死させられるのを防げる)
だからいいと思わない?
250万は大金だがあれば死ねると思うと気が楽になるやつもいるだろう
自分はスイスに安楽死しに行くために200万を貯めようと思ってバイト始めた
出来ることが介護しかなくて最悪だったけど死にたかったから頑張って働いた
働いてるうちに疲れて食う飯うめーなとか夕陽綺麗だなとか思うようになった
仕事にもそこそこ慣れ、200万貯まったけどまだ死ぬには早いかなと思い始めてる
こういう事例もあるし
花粉症でつらい……
あーもう無理。死にたい、死にたい。とつぶやいていたら、上司がまたおかしなことを言い始めた。
「夏の服をな、買うんだよ。テンションあがりそうなアロハシャツがいいな。そうしたら夏まで生きる気力が湧いてくる」
いやそれ死んでるじゃん。
とはいえ、トロピカルなシャツを着た上司がオフィーリアのごとく玉川上水をどんぶらこと流れていく様子を想像してたら、ちょっと元気が出てきた。
これ滅茶苦茶嫌いだわ。
逆に明日死ぬ人に「あなたが生きたいと思った明日は、明日を死んででも迎えたくなかった人達の明日なんです」だなんて言えるかよ
それぐらい無神経だわ
宗教は違うけど、私もこういうのがあった。
私の場合は大学が終わった時。就職する前に、宗教の学校に数ヶ月間行くよう親に言われた。
私は今40代なので、大学4年生だった当時はちょうど、就職氷河期の真っ只中。
そんな学校に行ったら、新卒採用のメリットをみすみす捨てることになるわけで、拒否したかったが、親が怖くて話し合えなかった。
なので、「就職する前に」という条件を逆手にとって、大学院に行って問題を先延ばしすることにした。
もともとは、進学希望など無かったのだが、親と揉める面倒を先延ばしにしたかったのだ。
大学院への進学自体は難しくなかった。なぜなら、志望者が定数割れしてたからだ。
しかし、もともとその気が無かったのだから、大学院の研究には全くついて行けず、その追い込まれ感と、
どっちみち自分は新卒採用されない=ろくな職に付けない、という将来への不安感から、途中でメンタルダウンして、留年してしまった。
ちなみに、メンヘルの治療は、大学の学生相談所みたいなところでやってもらっていた。
なので、その治療の中では、大学のスクールカウンセラーと親との三者面談も行われた。
カウンセラーから、今後どうしたいのか聞かれたので、宗教の学校など行かず新卒で就職したい!と泣きながら伝えると、親からは何も言われなかった。
(カウンセラーには、治療が始まったときから宗教がその原因のひとつだという話はしていた。
今思えば、その問題を解決するために親を呼び、第三者が介在できる状態で話し合いをさせようとしていたのかとも思う。)
親もまさか、宗教の学校を強要した結果、子供が「死にたい」と言って学業にも集中できず留年する、
なんていう面倒なことになるとは思ってなかったようで、ここまで来たら、もはやどうでもいいと思ったのだと思う。
それで、晴れて就職活動ができることにはなり、念願が叶ったので、鬱を抑えつつ頑張ったつもりだったが、
結局はそんな鬱混じりのメンタル状態だったし、修士留年ゆえ、それなりの年齢だったので、ことごとく「お祈り」され、結局は就職浪人することになった。
つまり、宗教の学校に行こうが行かまいが、新卒では就職できなかったのだった。
宗教の学校の話をされた時点で、私がどのように行動しようと、新卒採用など到底無理だったのだ。
なぜなら、怖い親と話し合うには、メンタルダウンとか自己にトラブルを起こして第三者の介在を期待するしかなくて、
そんなことをしたらどっちみち、新卒採用などされるはずもないのだった。
その事実に気づいたときは、そんな時点から自分の人生が狭められていたのか、と思って本当に悲しかった。
今はなんとか職をみつけて暮らせているが、親は怖いままで、宗教との関係も切れないでいる。
子供の将来どころか、メンタルまでをおかしくするので、宗教施設への期間就労(期間入学)を子供たちに強制するのは本当に良くないと思う。
別にそういう時期を設けるのは自由だが、それを子供に強制するのは良くない。
本人たちは強制するつもりはないのかもしれないが、経済的基盤を持った存在にそんなことを言われたら、
知恵袋で質問しても、ネガティブな回答をしてくるやつにムカつきます。
質問してるのに回答になってないやつを見ると、イライラします。
自分の存在に対して、醜さや、恨み、憎しみを感じて殺したくなります。
それでもそれを堪えて生きてるのに、誰にも伝わらない自分のうすっぺらい語彙力にも殺意と無力感と絶望感が混ざった感情に吐き気がしそうです。
死にたいのにあと一歩が踏み出せません。
本当は電車に引かれたり、溺死したり、ビルから飛び降りたりできたらいいなと思いますが、見つけた人がトラウマになると思うと良くないと思ったりします。
それでも自分が生きてる必要はない気がするので死にたくなります。
それでも死ねません。
いっそ殺されたらいいのになと思います。
ストレスもなにもない状況なのにストレスを感じている自分が許せません。
一人でいても気が狂いそうなのに、誰かといても相手の機嫌が気になって落ち着けず、外に行ってもすぐ疲れて…
もう無理です…
何をどうしたらいいのか全くわかりません。
ラーメン二郎が気になったため、ラーメン二郎に行ってみる事にした。
愛車のGR86を快適に飛ばし、現地に到着する。
近所迷惑です。騒がないでください、タバコのポイ捨てはやめてください等、明らかに治安の悪そうな張り紙が貼られている駐車場を見て不安感が募る。
駐車中の車も、軽自動車を中心に古びた車種が多く、自宅周囲に駐車してある美しい車たちとは雲泥の差があった。
駐車を済ませ、店の正面を見る。
全体的に薄汚れ、シンプルで安っぽい黄色い看板にラーメン二郎とこれまた洗練されていないフォントの文字を見て、本当に食べて大丈夫なのか?と足が止まってしまう。
しかし、よく見れば開店直後だというのに5名以上の男性が店外に並んでいる。
男性たちは明らかな低所得、いわゆるヘコオス感が漂っており、全員がスマホを食い入るように見つめていて、怖気を覚えた。
店はドアが無造作に開けてあり、食券をその場で購入して並ぶタイプの店だと推測する。
食券機も古びていて、案の定、電子マネー等は対応していないようだった。手書きの汚い文字でわかりにくく書かれたメニューを解読し、初心者におすすめらしい「小ラーメン」の食券を購入した。
周囲の影響で自分の価値が下がっていくような錯覚を覚えながら弱者男性たちの陰鬱な列に並ぶ。
確かに春の陽気を感じるが、ここは日当たりすら悪く、うっすらと寒い。10数分ほど待たされて入店する。
待機中にも弱者男性たちがわらわらと集まり、どんどん列が伸びていくのを見て、日本の貧困はここまで…と驚愕を覚えた。
店内も外見と同様、薄汚れた雰囲気で、満員だというのに誰もがラーメンを食べるだけなため、異様な静けさが漂っていた。
無理もない。この店にくるような男性は、他人と喋るということがまず特別な体験で、食事は1人で摂るもの、黙食が当たり前なのだ。
ここで何度目か分からない驚愕に私は打ちのめされた。カウンターは、布が山と積まれ、拭いてくださいと書いてあるのである。
つまり、ここの店員はテーブルを拭くことすらしないのだ。衛生状態が気になるため、できるだけテーブルに手をつけないよう、意識して姿勢を正す。
することもないので、ラーメンの調理風景を眺める。覚悟はしていたが、分厚いチャーシューを素手で、手袋など一切せず皿に盛る様子を見て、帰宅したいという思いが強くなった。
5分ほど待たされて、ようやく注文したラーメンが到着する。
スマホで写真を撮ろうか迷ったが、全体的に薄汚れた茶色で「美味しそう」と全く思えなかったため、写真に残す価値を感じなかった。
衛生状態に不安を抱きつつ、テーブルの箸を取り、これでもかと盛られた野菜を一口食べる。
まず感じたのは異様な塩気と舌にからみつく脂だ。野菜にも味がついていて、異様なしつこさがある。
次は麺をすする。麺は、異様に太く、黄色く、もったりしていて、ボリューム感だけはたっぷりだ。
はっきり言って、豚の餌だ。
この時そう感じた。
外見から覚悟はしていたが、これは妻子がいる健全な人間が食べるものではないのだ。
一口食べるごとに、体の中に毒のようなものが溜まるのを感じる。
これほど塩気と脂身が濃いものを食べれば、血液は汚れ、腎臓は腐り、寿命は一気に消費されるだろう。
現世に絶望した弱者男性たちは、ラーメン二郎を啜ることで、現世からの解脱を求めているのだ。
箸を置きたい衝動と、吐き気を堪えつつ、豚の餌を胃に押し込む。
しかし、無くならない、無くならないのである。私が注文したのは小ラーメン、のはずだ。食券を確認しても小と書いてある。
しかし、そのボリュームは通常のラーメン店の大盛り以上であった。
これを全部食べろというのか、意識が遠くなった。
私が一体どんな罪を犯したというのか?
好奇心に駆られたのが間違いだったのか?
早くここから出たい。その一心で、口と手を動かし、豚の餌を掻き込む。
千と千尋の神隠しの両親のように、だんだん自分が豚に変身していくような錯覚を覚える。
私の努力は実り、水の助けも借りて、なんとか全てを胃に押し込むことに成功した。
その直後、私は店を飛び出していた。この空間にいる時間が1秒嵩むごとに私の寿命が減る恐怖に駆られたからだ。
いつもなら心を沸き立たせるエキゾーストが、この時は救いの福音のように感じられた。
私はラーメン二郎を実際に食べることで、日本が抱える闇、醜さをこれでもかと体感することができた。
政治家は、ラーメン二郎に是非行くべきである。これが日本の闇、政治が正すべき癌なのだから。
私の寿命は、今日のラーメン二郎でどれだけすり減らされただろう?窓を開け、春になりつつある陽気を肌に感じながら、私はGR86のアクセルを踏み込み、闇から逃げ出した。
件の鬱病フォロワー、最近鬱が治ったのかブルリフSとかいうソシャゲの画像を投稿しまくるようになったんだけど、
つい先日Twitter垢の永久凍結を喰らったらしく、サブ垢で
「完全にトラウマになってしまった」「死にたい」「ショックと喪失感がひどい」「永久凍結でブルリフSも遊ぶ気なくなった」
とか愚痴ツイート連発するようになった。そりゃ、鬱で1ヶ月近くまともにツイートしてなかったアカウントが急に1日何度も画像ツイートしたらアカウント乗っ取られたって判断されるわな…と思いつつ、「マスク許せないよな」って同調してあげて理解のあるフォロワーを演じてる。
いま30代女独身で彼氏もいないし友達もいないんだけど、死にたいという気持ちが時々湧き上がる。
18歳くらいから漠然と死にたいとか消えたいという気持ちがあって、でもそれは橋を見たらそこから飛び降りたら死ぬなーとかくらいの感覚だった。
けど就活が上手くいかなかったことでちょっとでもストレスがあると涙がどこでも出るようになったし、仕事でストレスがあったときに仕事先のトイレで社員証の紐を荷物置きのフックにかけて首釣ろうとしてた。
さすがに首釣るというのはそれ一回だけだったけど、以降は時々湧き出る「死にたい」という言葉を叫ぶことで無理やり発散させている。
20代のうちは30歳で死のうと思ってたんだけど、死ねずにここまで来てしまった。
でも大事にしたい人もいないし、身内が死んだら死のうと思う。