結局、有権者が自分の責任から目を逸らしてるのが根本的な問題。
政治家も選挙権や被選挙権のある大人も、誰も安倍ちゃんを下ろす気がない。
ニコニコ泥被って利益くれるんだから議員が安倍ちゃん下ろさないのは分かるが、
安倍ちゃんに文句ひとつ言わずに黙々と支えてる自民党を支え続けてる人や
北方領土を失ったタフネゴシエイターより有為な人材が目白押しだよね。
原発に詳しくて爆発させた人とかw
マスコミの連日の報道圧力に押されて佐川が文書改ざんしたが結局それは白日の下にさらされた。
でも原発事故のとき、議事録を残さなかった民主党政権の対応を検証することは未来永劫できないんだぞ。
鳩山もそう、尖閣問題もそう。強行採決だってそう。法律だってめちゃくちゃ。
なんでどっちもどっちになるんだい?
拡声器に考える頭なんかあるわけないだろ
苦手…
ワーママとかさ。
なにそれ、って思う。
パパとお父さん、ってサザエさんで
やってて、ワカメちゃんがその違いにもやっとする話があった。
のだ。
もちろん赤ちゃんに
「パパでちゅよー」というの失笑しつつも
ありだと思う。
苦手。あと、お互いのことを「ママ同士」と
言ったりとか。
若くておしゃれなイメージ。
それを自称するんだ?と。
恥ずかしくない?
日本古来の母とかお母さんじゃだめ?
一番うざかったのが
くどいんだよ!と内心。
ママにこそ○○になって欲しい、ってすごい推してたけど、私独身なの知ってるよね?
私の仕事はママでなくても、自由な働き方をしたい人に私は是非勧めたい。
企業勤めで心壊れかけた私が見つけた居場所で、そういう人にこんな道があると伝えたい。
※職種伏せたのは身バレ予防。また別所で職業については話します。
子供、大嫌いなんです。。
大変だろな~とはすごい思うし、一応の敬意は払うけど、推され過ぎるとムッとする。
内閣を絶対権力者にしたくて仕方がない奴らがいるのが理解不能。
恣意的な組織作ってそれが逆に自分たちに牙をむいたら、なんて微塵も考えてないのが逆に凄い。
どんな奴隷根性なんだろう。
ママのことが大好き
初めまして。誰にも相談できなくて、というか相談してもどうしようもないので、書かせてほしい。
28歳女。引きこもりニート。12月に家の給湯器が壊れ、6か月風呂に入ってない。
気分次第で家の雰囲気を天国にも地獄にもする父親と、「育ててやってんだから文句あるなら出ていけ」が口癖の母親の間に生まれ、下には妹が1人。
高校生の頃に両親離婚、母と妹と暮らす。父はもうどこでなにをやってるか分からない。
大人になるまでに家族の不和について外部の人間に相談するタイミングはいくらでもあったが、家がガチのゴミ屋敷のため人を招く事も、家の事情を口外することも禁止され何も言えず。
挙句中学で面倒ないじめっこに目をつけられ、相談した教師には「本人に注意しといたからもう大丈夫」と返されるが大丈夫なはずもなく、卒業まで苦しめられる。(その言葉が「お前が俺にチクってきたことバラしといたぞ」の意だった事に気づいたのは大人になってから)
頼れる人間が誰もおらず、心によく分からない辛さだけが溜まり、朝起きれなくなり、学校に行けなくなり、ネットゲームに逃げるようになる。
典型的な引きこもりになりつつある私に対して妹は軽蔑し、母は焦っていた。2人は結託して私をこき下ろし、「家族の問題はこいつさえいなければ解決する」かのように仕立て上げた。私もそう思ってた。
ある日、友人が父親に帰りの迎えを頼んでいる電話を聞いて、「普通の家庭は父親となれなれしく会話しても怒られない」事を知り驚愕。
家は普通じゃない、このまま実家にいたらいけないと思い、紆余曲折あって県外に男を作って転がり込んだ。
さらに紆余曲折あって最終的には一人暮らしになったが、今思い出してもあの暮らしは楽しかった。
自分で決めた仕事を始めた事、自分で洋服を選べる事、お金の使い道を笑われない事、全部が楽しかった。最初は。
問題は仕事が全く続かなかった事。今までにいろんな仕事をした。コンビニ店員、生命保険のコールセンター、ゲーム会社のCGデザイナー見習い…。
どの仕事も怒られた事なんかほとんどなかった。顔色伺って生きてきたから、人が自分に何を期待しているのか良く分かったし、その通りにしていれば優秀と褒められた。(っていうか、妙に固くて生真面目で融通きかない上に話もサムい人っているじゃん。たぶん私はアレだった)
でも私のやりたいことではなかった。じゃあ私は何がしたいのかと考えても、もうその時には分からなくなっていた。
実家に帰りたくなくて、生活費を消費者金融に借金して就活した。バイトや派遣なんて中途半端な事してるから続かないんだと思い込んで、正社員になった。
インフラエンジニアの資格を取って、将来はああしてこうして、と計画した。
シスコだかっていう参考書が枕の高さくらいある資格だったけど、毎日勉強して1,2か月程度で取れる予定だった。養成学校のような所に入って(無料だった)、トップに近い成績を維持し、面接を受けた会社は一発合格した。親も講師もみんな喜んだ。でも入社1週間で「もう無理だ」と悟った。
結局、100万の借金を抱えて実家に頭下げて出戻った。妹には「うちにはお金がないのに、母親を殺す気か」となじられた。
戻ってからキャバ嬢の仕事を始めた。もうプライドなんかなかった。というか、だいぶ昔から頭が働いてなかった。
心療内科には高校生の頃からいろんな場所に通っていたけど、病院が変わるたびに病名が変わり、そのどれも薬が効いた例はなかった。医者が何でもいいから病名を付けただけにしか思えなかった。
心のわだかまりについてはカウンセリングの方が向いてるのだろうが、1時間で数万円。保険はきかず、貧困状態の私には払えそうになかった。
結局キャバ嬢も続かず、次の仕事どうしようと思いながら家に引きこもっている時、給湯器が壊れた。いつかこういうときが来ると思った。
一人暮らし中に片付いた家の健康さを知ってから、実家をどうにかしなければと思って帰省してすぐトイレと脱衣所とキッチンを片付けていた。
黒カビで染まっていた風呂場の床も、年単位で洗ってない壁も、一生懸命ブラシで擦ってカビ漂白剤を1本使い切った。
でもここの家に危機感を感じていたのは私だけで、住んでいた妹も親も、この生活に慣れきっていたから何も困ってはいなかった。
妹は風呂場の掃除の仕方が気に入らなかったようで、自分で後からやり直し、「あんたが帰ってきたからやらなくていい家事が増えた。」
更には脱衣所の服の山に手を付けた事に対して「私の物に勝手に触らないで」と怒られた。
母も最初こそ「床が見える。片付けてくれてありがとう」と言ったものの、いざ一緒に家を片付けようよという話を持ち掛けた途端不機嫌になっていき、最終的に「ここは私の家だ。私はあんたと違って仕事もできてるし、何も困ってない。私の物に触るな」と言われてしまった。
実は風呂が壊れた時にようやく「片付けを手伝え、この家と私を見ても何とも思わないのか」と言われたが、既に文句をいう元気も、片づけを手伝う元気も私には残ってなかった。片付けたいけど。
だから家は一生片付かない。家を片付けられないから、風呂を直せない。風呂に入れないから、仕事に行けない。
もう疲れた。何も考えられない。揉めたくない。何しても私のせいにされるなら、もういっそクズになろう。自己破産して生活保護を受けよう。
そう思って役所に電話で助けて欲しいと電話したら、「家を出たらどうですか、そうしたら生活保護受けられますよ(要約)」と。その金がないので、福祉に頼るのも諦めた。というか、全部諦めた。
もういいじゃん。クズなんだから。風呂に入らなくても、仕事しなくても、逃げてもいいじゃん。もう無理。知らない。
もう髪の毛も絡まってほどけないのも、キャバ嬢時代とは比べ物にならない肌の荒れようも、ぺりぺり剥がれていく皮膚の垢も、知らない。見ない。感じない。
きっとこの家はいつか火事になるし、そうでなくても母親を突然病で亡くすかもしれない。それまでこの家はきっとこのままだろう。
絶対に後悔することも分かってる。父親はどうでもいいけど、母親の事は一応好きだし感謝してる。恨んでないと言えば嘘になるけど、それとこれとは不思議と別で。だからこんな状態で何かが起こるのは絶対に嫌だ。でももう体も脳も動かない。その時が来るのを待つしかない。
同情引きたくて書いた訳じゃないから、アドバイスとかはいらないよ。
ただ書きたかった。