ドグォォォォン!! とか ズズズズゥウウン… とか ドッガーン!! とかって
最初は地震か!? って思ったけど、揺れ自体は全然なくて頭や身体にブルブル重低音が響く感じ
次に隣で工事してるのか!? って思ったけど、それにしてはうるさすぎだし工事してないし
そして運動会か!? って思ったけど、響き過ぎだし今までの記憶とはかけ離れた規模の轟音だった
しばらく続いていたが鳴らなくなって、何だったんだろと思いつつも普通に過ごすが、また再開
ネットで調べてたら(テレビ見れる環境じゃなかった)、どうやら近隣の自衛隊基地での演習らしいとTwitterで流れてきた
で、行政ウェブサイトや市内ニュース探しても、どこにもその情報載ってないのね(未だにTwitterや知恵袋のソースしかなく、正式な情報はない)
そんなんでええんか
市内中の人が疑問に思ってたぞ
10年前くらいにも同じような問題があったらしくて、天候や雲の影響で音が遠くまで響くことがあるそう
そんな時は、緊急速報のような一斉メールで「轟音は自衛隊の演習が原因なので安心して下さい」とか伝えてくれよ
こんな一日だったが、今気になっているのは、「戦争か!?」とか「危険が迫ってるのか!?」っていう考えが自分や周りに全くなかったこと
どう考えても明らかに異常な轟音が連続で鳴り響いていて、原因もわかんないのに、皆いつもどおり普通に生活してる
案外戦争が始まる時ってこんな感じなのかもしれないですね
そういう議論って0か100かの極端な話になりがちなんだよね。
そんな事は言ってない。
でも、マンガを月に20冊買えるお金があるけど入学金は…だと、違和感感じるね。
何冊までならOKなのか。というのは人によるから議論しても無駄なんだろうけど。
批判してる人の多くは、娯楽は一切禁止すべき、なんて思ってないと思う。
今回ばかりは擁護側が過剰に「貧困者はマンガ1冊も買えないのか!」と騒いでる印象。
誰もそんな事言ってない。ただ買いすぎだと感じる人が多かったという事。
どんな形でも負の側面を指摘されたら「差別」を使えば良い、自分の望まない形の持ちあげられ方をしたら今回のように「感動ポルノ」を使えば良い、例の番組はどっちも障害者を消費してるだけにすぎないけど、こうして両方が武器を提供したというわけだ。
それらをこうしてうまく使い分けて自分を自分が望む形の上位に置けば生涯安泰…と思いたいが、結局それが出来るのは「健常な精神」を持った障害者だけなのだという事実が横たわる。障害にも当然格差がある、どこが鈍くどこが使えないのか、その結果としてのそれぞれの「能力差」による印象と扱いの差についてはもはや言うまでもない。
あるいは世の中が変に利口になって「公平」にひた走って非情にも「ただのハンディ持ちの劣った人間」にされてしまう危惧もあるがそちらに関してはまずなさそうだから、不安にならなくても済みそうである。
サーバマシンの搭載メモリが512MBだったわけじゃなくて、搭載メモリのうち、サービスに割り当ててたのが512MBだったんだと思うよ。
まあお粗末なのは変わらないけど。
漫画は買えるけど進学はできない、って普通にありえるラインだと思うし、
それで「経済的問題で進学できないのは貧困なのでは?」と気付くのも普通のことだし、
ってのも議論され尽くしてんだろうなーつれーなー
そしたら
「等価可処分所得(が全人口の中央値の半分未満の世帯員世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出)が全人口の中央値の半分未満の世帯員」
って事になってた。
つまり、一人当たりの可処分所得が日本全体の可処分所得の中央値より低い家庭って事だ。
ってことは、仮に俺の月収入が手取りで20万あって、一人暮らしならギリギリ相対的貧困ではないけれど
なんか、これですっきりした。
相対的貧困かどうかは、あくまでも可処分所得で判断するものだ。
にもかかわらず「おそらく相対的貧困」と言えるのは、年収の中央値が350万くらいなのに対し、
子供一人いる場合の相対的貧困「ではない」と判断されるラインが224×2=448万円。
つまり、日本の労働者の半数以上が、子供を1人抱えたら相対的貧困になる。
女性の収入は平均よりも低いから、あの家も「おそらく相対的貧困である」と考えるのが妥当だ。
(なお世帯年収にすると中央値は415万円になるが、家族3人暮らしだとやっぱり相対的貧困)
で、もやもやする原因は何かっていうと
「計画的にお金を使えないから貧困なのだ」という擁護?の意見。
これのせいでややこしくなってる。
どうしても貯金ができなくて、それで社会的に困っているのだとしたら、それはもうメンタル的な問題ではないだろうか。
貯金しなければならない分まで消費してしまう事と、可処分所得が少ないことは別なのだ。
月収100万円の人が給料日に100万円遊んで使っても貧困ということになる。
そして可処分所得が厳しいならば支援したいという人は多いだろう。
ただ、支出しすぎて困ってる人はそんなの知ったこっちゃないってだけで。
瞑想は巷で耳にするような類のスピリチュアルな体験をするための方法または目的は別のところにあるのではなく、瞑想をする事・瞑想のために特別な時間をとる事に意味があるのではないか、という印象を抱く人が多いのではないか。
単純に瞑想をしたらこんな対価があるよ、っていう様な単純な原因と結果の関係にあるんじゃなくて、自分の中に瞑想空間を作り出すことに意義を見出している。
話が少し飛ぶと、僕らは現実世界に生きると共に自分が持つ=認識できる空間の中に自分が居ると確信して生きているのではないかと思う。
文脈の中に生きているとも言えるか。文脈は任意の体系化された、若しくは非体系的構造の中においても見出し得る局所的なパターン同士の組み合わせの中から生まれてきた、他と区別可能な塊の様なモノ、言い換えると前者はフォーマルな知識で後者はインフォーマルな知識と言える、そんなモノの中に放り込まれた情報が何らかの意味を発するという場合は多々あるだろう。
その知識は毎日少しづつ変化しながらも、一定の形を保っている。
その形を意識しようがしまいが、誰もが頭の中に持ち続けているものだ。
それは情報を一定量重ねていく中で自動的に形成される体系と言えよう。
偏光板はある角度の光のみを抽出する機能を持つ。レイヤーは偏光板の様なものとイメージしよう。
情報に依存したレイヤーではなく、情報が無い、という点における空間。
その空間は瞑想経験者でしか認識できない空間であり、瞑想を繰り返す事で空間のリアリティは強化されていき、自分の中の存在強度が高くなっていく。
瞑想は情報による自己認識の拡大ではなく、情報が無いにも関わらず認知可能な空間ないしレイヤーが生まれてくることを体験する意味で有用なのだ。
マイナンバーのシステム障害、富士通に賠償請求へ:朝日新聞デジタル
www.asahi.com/articles/ASJ8Y541HJ8YULFA01K.html
このニュースを聞いて、安定のSIerクオリティだと思ったので少々調べてみた。情報管理にはやたら煩いSIerのことだから一般に手に入る資料の範囲であるが、それでもお粗末な実態が垣間見えてくる。
https://www.j-lis.go.jp/data/open/cnt/3/2064/1/j-lispress160427_2.pdf
"処理を実行するためのメモリ容量に比して大量の通信を処理しなければならなくなり、処 理時間が多くかかるようになったため、カード管理業務サーバにおけるメモリ割り当て量を
はあ〜ぁ?
512MB??
ここ重要
国民の大事な個人番号を預かるシステムはスマホ以下のボロコンピューターで運用されています。
参考
あのアニメって異世界に飛ばされた世間知らずの少年の成長譚を描いたもののはずなのに、なぜ女を娶るゲームになってしまったのか。
それとも実は、女を品定めするだけのポル産アニメだったりするのか。
最近気力が尽きているのにスマホが壊れて買い換えないといけない
そこで、はてなのみんなの「おすすめ機種名」と「その理由」を書いてくれないだろうか
それを参考にして(というかもうそのまま従って)明日買ってきたいと思う
今まで使ってたのはHTC J butterfly HTL21という機種だけどhttp://www.au.kddi.com/mobile/product/archive/smartphone/dp/htl21/
ブラウザ使ってるだけでも結構動作が重かったりして辟易としてた
あれよりは性能がよくて画面が同等以上に大きいのだと有難い
どうかお知恵を貸して欲しい
先日シンゴジラを観てきた。石原さとみの英語が話題なので私の感想も述べよう。ちなみに私は普段から英語を使う仕事をしている。
そんな私からすると彼女の英語はやはりネイティヴからは程遠いと思った。短い言葉なら何を言っているかわかるが、セリフが長くなると字幕無しでは何を言っているのか分からないことが多々あった。
他のアメリカ人のセリフは字幕無しでも分かったが石原さとみのセリフは無理だ。発音良くしようと頑張りすぎて逆に何言ってるか分からなくなっている。
Twitterで「石原さとみ 英語」などで検索し他の人々の反応も見てみた。私と同意見の人も多いようだが、異なる意見の人も多数いた。おおまかに分類すると以下のようになっている。
1. 石原さとみの英語は酷い。あれでネイティヴは冗談だろ。(私と同じ意見)
2. 石原さとみの英語は素晴らしい、俺/私の知っている帰国子女やネイティヴはあんな話し方をする。あれを下手と言う人はどれくらい英語ができるんですかね?(少し嘲り)
3. 英語は伝われば良いんだ!いちいち文句を言うから日本人は英語ができないんだ!
さて、この中でまともな人は1だけである。
2の人は自分が英語ができないことを理解できていない。ただのアホである。
3の人はもっとタチが悪く、そもそも論点がズレている。石原さとみの英語がアメリカの政府高官のものとはとても思えないと言っているのに対し「伝われば良い」などと言うのはどういうことだろうか。ちなみにあの発音じゃ伝わらないし結局意味ない。二重にアホである。