世間一般様から「読書家」とひとくりりにされ、一束十円のブックオフ価格で流通している今日このごろの読書ファッションクソ野郎どもであるけれど、その内実はピンキリで、とりあえずジャンルや内容や分量に関わらず月に三冊以上読んでいれば全国平均的に照らして「かなり読んでいる」ほうの部類に入る。
数を誇りがちなのは男だ。
数をこなしたからといって偉いわけではないと口ではうそぶきつつ、「いやあ、今年は千冊も読めなかったよ」だとか「一日頑張れば十冊は行けるね」だとか「○○の必読本リストは○冊しか読めてないな」だとかなんでもかんでも数字に還元する。
別に速読はクソだとか熟読こそ至高だとかいう議論をしたいわけじゃない。ヴォルター・ベンヤミンは生涯で1700冊しか本を読まず、一方でレヴィ=ストロースは一冊書くために7000冊を読み、イケダハヤトは年速500冊を読破し、ボルヘスは「1000冊も読める人間など存在しない」と主張した。この四人の言う「読む」はおそらくそれぞれ意味が大いに異なる。だが今はそんなことは関係ない。「本を読む、とはどういうことか」じゃない。傾向の話だ。重要なのはベンヤミンもレヴィ=ストロースもイケダハヤトもボルヘスも松岡正剛も佐藤優もそのへんのラノベ評論家もブログやってるビジネスマンもみな男だという事実だ。
男は自分についてであれ他人についてであれ、読書について言及するときに数の話をしたがる傾向にある。
数が多い方が偉くて強い。そういう世界は微笑ましい。人によっては浅薄で醜いと断じるかもしれない。けれど、浅い分理解しやすくはある。
そこに現れているのは一種体育会系的な価値観だ。どんなメガネモヤシとて鬱屈したヲタとて、オスである以上は筋肉量に憧れるのだ。私の読書冊数は十三万です。
強い。わかりやすい。
読書メーターが珍重される理由もそこに関係している。RPGみたいに、読書家のステータスを可視化してくれるのだ。今までの読書冊数がHPなら、月あたりの読書冊数がすばやさ、コメントがパワー。
既読冊数も数なら、読んだ本の内容も数だ。実のところ「読んだ本の数より、どれだけ内容を理解しているかのほうが重要だろ」と、男が言うときに使う「理解」という単語はそのまま「記憶」に置き換えうる。つまり、本の筋や要点をどれだけ他人の前でそのまま垂れ流せるか、どれだけ脳にストックしてある別の本と(それぞれの文脈を無視した上で)リンクさせられるかが男の言うところの「理解」となる。ぷよぷよとかミスタードリラーとか、そのへんの連鎖パズルゲームをやってるのとあまりかわらない。
ひるがえって、女は数の話をしない。そもそも数えない。目の前を流れてゆく本にただ好きか嫌いかのスタンプを流れ作業で押していく。
小説についての話をすると、まず自分がある登場人物をいか好きか/嫌いかを述べだす。本気で。ぼんくら男子同士が「ビッチ」だと「処女」だのとぼんくら慣れ合いのための属性を貼り付けて表面的に消費するのとわけが違う。彼女らは本気でキャラを憎み、愛している。
そして、いきなり自分語りを始める。マミさんによく似たバイト先の先輩の話を始める。そんな先輩がいらっしゃるならぜひ紹介していただきたい、というこちらの懇願を無視して、いかにその先輩とそりがあわないか、先輩がクズかをとうとうと語り、最終的にバイト先がかつてマルクスの予言し憂慮した末期資本主義的状況下にあり私はとてもつらいんです大変なんです疎外されてるんですだからマミさんは最低な女だと思います、という実に革命前夜なティロ・フィナーレに行き着く。
よくわからない。よくわからないと言えないまま、また別の本と別の現実の話題にうつる。
マミさんが嫌いな女子とは別の知り合いで、村上春樹を嫌いな女子がいる。その子は村上春樹がそりゃあもう大っ嫌いだ。春樹に関係するものすべてを憎悪していて、村上春樹本人も嫌いなら、ファンも勿論大嫌いで、村上春樹フェアをやってる書店も嫌いで、『色彩を持たない多崎つくる』が大ヒットしている現代日本社会も嫌っている。読まず嫌いというわけでなく少なくとも数冊は読んでいるはずのその子が本質的に村上の何が嫌いかはよくわからなくて、理由を訊いても「キザっぽくて嫌だ」とか「セックスだけじゃん」とか、いまいち要領をえない。だって、おまえ、バタイユとかサドとかロブ=グリエとか喜々として読んでるじゃん。
男子にも村上春樹とそのファンとその社会を嫌うやつはそれなりにいて、でもそういうやつらはなぜか「『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だけは好きだね」などと妙に言い訳地味た予防線を忘れない。続いて、聞いてもないのに春樹論について語りだす。「俺は基本的に春樹嫌いだけど、文学性や価値は理解できるし、いいところがあれば認める度量もあるよ」と言いたいわけだ。春樹以外の気に食わない作家陣に対しても似たような態度しかとれない。嫌うのに社会的にコレクトな理屈を探そうとする。それを見つけたあとでも、けなしはしても全面的な攻撃はしかけない。そんな度胸はないんだよ。俺もお前も。
女は退かない、媚びない、顧みない。嫌った相手には容赦しない。同時に自分の正当性や正義も疑わない。よって言い訳をしない。理屈を探さない。よその基準など関係ない。私の人生が伊坂はクソだと告げている。
虚構と現実の境界線をきちんと引き、作品世界をきっちり読み込み把握したうえで、手前の価値観の物差しのみを武器に全身全霊をもって襲い掛かってくる。彼女たちは数を数えない。だから、物差しで切り捨てた数もおぼえていない。
あなたがもし男であるならば、女と本についてトークするのはオススメしない。なぜなら、あなたは弱い。あなたはその本について、内容を記憶しているだけで実は何も独自の見解を有していない。その場でとっさにひねりだした解釈に、あなたは確信を持てない。それでは耐えられない。あなたは読書を通じてコミュニケートする、ということがどんなに恐ろしいことか、リアルにオリジナルな見解を持っている人間の狂気がどんなに鋭利か、わかっていない。年間三千百冊を読了できたとしても、それらの内容を一字一句違わず暗誦できたとしても、絶対に辿りつけない彼岸がこの世界には存在するのだ。そこでは数や引用など意味を持たない。愛情と感情がすべてだ。あなたは死ぬ。死にたくないなら他人と金輪際本の話をするな。外に出ろ。ゲーセンにいけ。三鷹駅裏のゲーセンではまだ『ぷよぷよ通』が現役で稼働している。あなたの居場所はまだそこに残されている。生きて欲しい。生き延びてほしい。
めんどくせーからここにかけよ
twitterしか情報収集手段がない世界なら話は別かも知れないが、
「twitterを娯楽目的のツール/メディアと捉えて気軽に楽しむために使っている人が多い」だけで「そういう人も他のツール/メディアで政治の情報とかは収集している」可能性もあるわけだから
twitterのフォロワー集めてるのが芸人か政治家か、という指標だけで民度を云々すること自体あんまり意味があるとは思えん
議論が雑すぎるだろ。
誰かに止めてほしいとは思ってないな。
他人のせいというけど、やっぱり子供もったら社会にかかわるからね、いろんな他人とも接しなくちゃいけないし。
わかる。
言われたことを何も気付かず何も考えずにやれればいいのに、
問題点やら改善点やらに気付いてしまった上に、それを黙って言われた通りやった結果失敗するのが見えているのを、
黙っている罪悪感に勝てずに指摘した結果、立場が悪くなるというのはよくある話。
作詞家としては、自分の作品に込めたテーマというか情念が籠ってるあたりは
作品のファンとしては好きと言わざるを得ないけど
そうでない人からすると独特で癖があるかも
そうやって自分の選択や決断を他人のせいみたいにするのやめーや
しかも微妙に止めてほしそうな感じまで漂ってて滅茶苦茶かっこ悪い
俺は子供どころか生涯未婚予定だけどお前みたいなみっともない振る舞いはせんぞ
俺の人生について俺が決めただけだ
・妊婦殺人未遂が「強盗」としか報道されないニュースを見たとき。
・しかも犯人が死刑にならず法律で厚く護られちゃったりしてる時。
第三者機関によるチェックと情報開示の手続きに関する記述がないとは聞くけどね。
いくらマスコミが信用できないと言っても、
http://areyoukicking.hatenablog.com/entry/2013/12/07/095749
有吉弘行はtwittterで日本で一番フォロワーを集めているらしい。
タイムラインを見ていると、日本は政治家ではなくて芸人がTwitterフォロワー数No1
政治家の方がで、彼ぐらいの洞察、みんなが中々言えなくてモヤモヤした事を
一発秘孔付きで表現できるってそもそもそんな人いましたっけ?っていう。
初期の橋下知事?ぐらい??
chikirinや、基本的にあっていることしかいわない人って貴重。
それを笑いへと転化させ続けられる人って、今、有吉だったり、もしかしたらマツコだったりする。
そして、人の言えないことを短い言葉で指摘できるっていうのは、
ぶった切るっていうのは一種の欲望に訴えかける力なのではないかと思う。
ツボをつくと疲れが取れるように、精神的な疲労や、モヤモヤを代理で解消する力というか。
前にTVで千原ジュニアが、笑いを取ったときに、初めてSEXしたときより
そもそも笑いが持つちからは多幸感へつながるし、秘孔をついて、
モヤモヤを解消させるという力と合わせるとつまり有吉の笑いの力というのは、
人の欲望に①多幸感と②モヤモヤ解消の2倍で訴えかけるような力を持っているのかもしれない。。
などのご意見が多かったですが、言葉の多寡、責任の重さについてはいろいろあると思いますが、
(誰と比べてというと苦しいが)政治家より鋭い意見をいっている、それがユーモアに昇華している
という点で優れているかなと思ったってことです。
あと、政治家と比べてっていうのはあんま文章の一番言いたいことではなくて、
マスコミは、出す情報、出さない情報は自分たちで判断したいのだろうから、自分たち以外の誰が審査しようとも「恣意的」っていうんだろうけど。
便乗。
なお、主因は便なので椅子の変更は「根本的な解決にはなりませんよね?」
痔の薬は、痔の種類が3種類(イボ痔、穴痔、切れ痔)あるので、それぞれの外用薬3種類と、全共通の内用薬1種類で、4種類ある。
1)中に入れる注入軟膏 ←イボ痔
2)中に埋める座薬 ←イボ痔、切れ痔
3)外に塗る軟膏 ←切れ痔
4)内服薬 ←全部
この内で買うのも含めて楽なのは3の軟膏。風呂出てティッシュとか脱脂綿とか使って塗ればおk。
ステロイドが気になる人向けの非ステロイド性抗炎症薬があるからまずはそれから。ただし、非ステロイドの方はグリチルレチン酸が長期使用に伴う副作用を持つので、間に合わせ程度。
穴痔は手術が基本らしい。
http://www.borraginol.com/knowledge/index.html
そりゃ都合の良い方向にはすぐ変わるよ。今回もすぐ成立したよね。
自己肯定はそこで満足して終わっちゃうことじゃなくて、そこを確固たる足場として出発点にするためのものだよ。
今の自分はダメだけれど、どこがどうダメで何が足りないのかを具体的に認識して、その状態を受け入れること。それからどう改善すればいいかを考える。
「自分が考えている自分」と「他人から見た自分」と「自分が現時点で実際に持ってる能力・特性」とをなるべく一致させる試み、と言ってもよい。
元増田は、自分にダメなところがあるとは自覚していても、それが具体的に何なのかわかってないんじゃない? あるいは他人からどう思われてるかもわかってない。「多分…だと思う」って何度も書いてるでしょ。「多分こうだと思う」って推測してばかりいると一歩も進めないよ。自己肯定できる人が強いってのは、少なくとも自分の打ち込んでる分野について、余分な推測で頭をぐるぐるさせる必要がないからだよ。
何故かそう言ってるマスコミやら市民団体やらが結構いるけど、どうつながるのか聞きたいってのが元増田の欲求じゃねーの?
というか俺も聞きたい。
酒飲みながらそういう話してたんだ。
私がうぶすぎたのかしら、
完全に悪の権化、嫌々、何それセクハラやめてよの対象として捉えていると思っていたのだけれど、
実はそんなことなくて。
ちょっとあんためくってよ的なテンションだったりしたんだって。
そんなアホなって。
その子はその子でなんか勝ち誇った感でその時は丸く収まったんだけど。
そして、その話をまた別の機会に持ちだしたんだ。別の同世代女子に。
すると、やっぱりそんなの常識で、
むしろ、パンティめくられる順番決める為に打ち合わせしてたとか、
めくられないけれど、いざという為に
パンティめくりの達人、クラスで一番かっこいい男子の和也くんの、
いや、私あほだったな。
全然そんな曲線見えてなかったわ。
需要過多で私のまわりは物凄いかわいいパンティだらけだったかもしれない。
と言うことを考えながら山手線の中、
危ない、妄想に侵されかけた。
おまわりさんおれです。