そんなもん人それぞれに決まってんだろ
ぬるいこと言ってるなあ
プログラマが一人失踪したくらいで全てが止まるような規模なのに、
でも女が押し切って産んでしまったから養育義務が発生してしまった。
そんな子供を男の人はどう思っているの?
こいつさえいなければとか死んでほしいとか殺したいとか思ってるの?
普段どう子供に接しているの?
高卒で働いた方がいいっていうけど就職希望者が大半の高校への求人てびっくりするほど今はないよ。
更に、専門学校卒とか大卒と違って高校は複数の企業へ並行して応募って何故かできないことになってる。
たとえば、確率は一定だが1億種類あるとか、2日1個新しいカードが増える。とかだと、事実上コンプリートが難しいから、指導食らう可能性は残ってるよ。
そもそもそんな手間かける業者いるのか?
理由はいくらでもあるが、
・電車のドアは停止装置と連動しており、開けると電車が停まるようになっている
・電車のドアは添乗員/乗客が開け閉めしており、自動ドアではない
歴史観なんてその国や時代によって利害や思惑が違うんだから、他国のそれと共有するなんてとうてい無理だし、そんな事に力を入れる意味もない。
大事なのは他国の歴史観を尊重しつつ、自国の歴史観もしっかりと持つこと。
元増田の話に出てくる韓国人には、やたらと日本を持ち上げ(そして韓国・中国・北朝鮮を卑下したがる)たがるネトウヨの韓国版という印象しか感じない。
ソーシャルネットワーク全盛期2012年。当時女子大生だったアヤはまさにソーシャルネットで遊びほうけてしまい本業である勉強が疎かになり、ついに奨学金を打ち切られる。困ったアヤの目の前に現れた、自分を「天使である」と名乗る大人。アヤに「君はもっと天使に近づける」と知恵を授ける。そこでアヤはその天使に従い、様々な不思議な指令を実行していくが…?
「わたしと雲の上の天使たち」は、わたし(アヤ)が自分の若かりし頃を振り返り、懐古していく近未来視点からの現代ミステリーです。「天使」というSF要素をスパイスに、彼女の半生がドラスティックかつ繊細に描かれた注目の作品になっています。
■目次
第一章「転落」
第三章「私の味方は天使たち」
第五章「天使たちの本当の願い」
第六章「こんなはずじゃなかった」
第九章「天使たちの牙」
第十章「わたしも天使になれる」
なぜ中途半端なバカどもが十把一絡げの大学に入ってまで大学に行くのかよくわからない。本当に。
なぜ中途半端なバカどもが自分らで思ってるわりには有力でも有名でもないことで有名な私立大学の文系学部で妥協してまで大学に行くのかよくわからない。本当に。
やりたくない仕事なんかするな、意味はない、やりたいことをやれ
みたいなこといってたんだけど、皆が皆やりたい仕事だけやってたら社会まわらないんじゃないの?
可能・不可能っていうかさ、皆がやりたくなくても供給は必要は仕事ってあるじゃんね。
まぁ、そんな全体のことなんか考える必要ないって言われればそうなんだけど。
「俺、おもしろい文章書いてるだろ?」感がウザったい。
自分らで思ってるわりには有力でも有名でもないことで有名な私立大学の文系学部に入った春、僕は貧乏人たちと出会った。
奨学金の存在自体は知っていた。優秀な学生や困窮の極みにある優秀な学生が実質無料で高等教育が受けられるなんて、日本はなんて良い国なんだろうと思っていた。さすがは先進国だ。福祉が違う。おかげでどこかの学生みたいにバイトなんかしなくてもいいし、一心に勉学に打ち込める。うち程度の大学にはあまり縁のない話だが(まあしかしその程度でも援助に値する将来性のある人材はいるものだ)ともかくもすばらしい。大学全入時代とは、つまりみんなが好きに好きな分野を学べる、そういう幸福な時代なのだと勘違いしていた。国がお金を「くれる」ものと。
例えば目の前に一人の先輩がいる。彼をA先輩と呼ぼう。A先輩はまるで平凡なナリと面の童貞で、平凡な成績で、おそらく家庭環境も平凡なのだと推測される。父がサラリーマンで、母が主婦兼パートタイマーで、かつ子ども自身は地方公務員を志向しているような、僕の感覚すれば極めて平均的でありふれた家族。一億総中流の名残。
意味がわからない。彼の成績はなるほど悪くはないが、抜群ではないし、っていうか講義サボってるし、飲み会で聞いた生い立ちには生活保護の「せ」の字も出て来なかった。
その上バイトもしているという。
意味がわからない。あんた、奨学金受けてるんだろ? すると彼は不思議そうな顔でこう答えた。
聞けば、大学四年間で支援され他数百万を、後日弁済しないといけないという。する義務があるという。血の気が引いた。
地方公務員の給料というのがいかほどは知らないが、少なくとも完全に返済するのに何年もかかる額であることはわかる。自分の生活を切り詰めないと、ひねり出せないような負担だ。バカなのかと思った。なんでわざわざ借金しに大学に通ってるんだ? なんで高校卒業したら即就職しなかったんだ? そんないい大学でもないだろ? そんないい将来が望めるような就職予備校じゃねえだろ? マゾなのか?
もう一人、A先輩と似たような境遇の童貞が存在する。彼をB先輩と呼ぼう。バカのBだ。B先輩がA先輩と違う点は、大学院を志望している点だった。しかも、うちの大学の院。専攻は民俗学。
バカなのだろうか。バカ決定でいいと思う。
私立文系の院が絞首台への階段であることは今時分、三歳のガキでも知っている。僕ですら知っている。信じがたいことに彼は院で更に奨学金、もういい借金と呼ぼうこれは借金だ、大学院で借金を上積みしようとしている。っていうか2012年現在、彼は現在完了形で借金した。学部時代の借金と連結すると、総額で一千万に達する。
今のところ彼が富豪の隠し子で将来的に大いなる遺産が転がり込んできて紳士に成り上がるという予定は聞かない。今儲かるベンチャーの社長の出身のモードが民俗学博士号にあるという事実も聞かない。もしかしたら、その博士号がいずれ投資の倍額で売却できる日が来るかもしれない。
B先輩はA先輩や僕と違い、学問的なポテンシャルやアンビションに恵まれていた。
朝、大学図書館が開くとともに分厚い専門書を抱えて閉館時間まで篭りきりでノートをとるような人。専門外からするとフィールドワークとかしなくていいの?などと心配してしまうが、ある程度は優秀な学生ではあると思う。ある程度までは。
残念ながら、飛び抜けて優秀かといえばそうではない。彼以上の人材は世の中にゴロゴロしていて、たとえばそういう人達は国立大の院などへ籍を置いているはずだ。その差を埋めるほどに処世に長けているかといえば、大人しすぎて不器用な人なので、どうだろうか。
彼自身も漠然とした不安は度々口にしている。「このままでは先は暗い」「不安だ」。バカか。だったら、さっさとスーツ着て説明会行って訳知り顔で頷きながらメモ帳にこまめにネコの落書きを描きつつ質問タイムになったら何も考えてなくても元気よく手をあげろ。
けれど、僕はB先輩がそんなはしたない真似をできる人間ではないことを知っている。それだから、一千万の借金をひっかぶったわけだ。彼が引っ込み思案だという、それだけの理由で。まるでクソみたいに素晴らしい世界だとは思わないか。
こうした個別のケース経験から僕が学んだのは「『中流世帯』の家庭の子供もフツーに奨学金を得ている」「彼らは特に優秀なわけでも、学問的に意欲が高いわけでもない」という事実だった。一人暮らし先に引っ越す前夜、僕は父親から「お前の入る大学なんて、遊ぶかバイトするためにしか学校に通わない役立たずどもしかいない」と失望気味に脅かされたが、彼の認識は誤っていた。彼らは借金をするために大学に通っていたのだ。
ショックだった。僕はそれまで「大学に進学するには『普通の家庭』の収入で十分」と思っていたから。だって、そうじゃないと日本人の半分も大学なんかいかないでしょ? そうじゃないと誰もこんな大学入らないでしょ?
B先輩のように「学問しかない」人間ならまだ理解できる。人生を賭けるとまではいかなくても、わずかでも学問に興味を抱く人間ならば平等に機会を与えられるべきだと思う。でもほとんどの三流大学生に学習意欲などはない。彼らはただ高校時代や中学時代とおなじように「大卒」の資格を得るためだけに出席カードに名前を書いている。
わからない。そこまでして「大卒」の資格を得たいものなのか? 何百万もの借金に見合うような肩書きなのか? 半世紀前ならいざしらず、就職市場は冷えきっている現在では数年で借金を完済できるような職などまず望めない。学生時代にかけられた呪いと向こう十年二十年はつきあっていかなくてはならない。「大卒」資格と引換えに。
僕の地元の友人は、高卒で地元企業に就職した。彼は家に相応の金を入れつつ、こつこつと貯金をためながら現在の彼女との結婚のために準備しているという。
彼は兄を憎んでいる。彼の兄はやはり地方の無名私立大学に入学して、穀潰し生活の六年目に突入しており、その学費の一部は友人の「上納金」から出ている。長男にまだ一定の優越権が認められている田舎の話だ。
友人はそれなりに頭は良かった。勉強好きではなかったが、努力家だった。もし将来を見据えて本腰をいれて勉強に励めば、僕なんかよりランクが上の大学だって夢じゃなかったはずだ。だが彼は「うちにはお金がないから」という理由から進学を断念して、高校で僕と道を違えた。僕は彼の家の貧乏を哀れんだ。彼が「特別なケース」だと錯覚した。でもそうじゃなかったんだ。友人の進学を阻んだのは「お家は長男のために」という冷徹な田舎の力学であって、「経済的理由」は二次的な障壁に過ぎなかった。今うちの大学は、彼の家とそこまで経済事情の違わない別の地方の子供たちで溢れている。彼らには友人と違って、憎むべき「兄」が存在しない。自分を恨むしかない。惨めな私立にしか入れなかった自分の頭を。
就活生の狂気じみたテンションは、そんな後ろ暗さを払拭したいところから生まれたのかもしれない。そのチャンスを逃したら、借金は一気に人生を破滅させる獣へと変わるのだ。意識が高くないと、やってはいけないのだろう。
経済的価値においてはすでにひっくり返っている気がしないでもない「大卒」の肩書きを、それでも「行っといた方がベター」という空気のために、手に入れなければならない。「大卒」は「高卒」よりも選択肢の幅が広がるし、立派な生活が保証されるという。本当だろうか。東大京大早慶以外の大学でもその神話は有効なのだろうか? 明日潰れるともしれない中小ブラック営業職で十八時間労働を強いられる「大卒」は定時であがれる僕の友人より幸せなのだろうか。二十年後三十年後の給料に差はでるかもしれない。だが二十年後三十年後に前者はまだ生存していられるのだろうか。
飲み会の席で、A先輩の伯父さんが最近自殺したという話を朗らかにされた。
「そうなんだよ、死ねば奨学金帳消しになるんだよ、死ねばさあ〜」
なぜ彼は笑っていたのだろう。
そういう意味か、すまん。それなら、他のゲームもコンプガチャその物はあるから、ここ半年ってことはないと思うけど 加熱したのがここ半年なんだろうね。
ただ、そういう歴史をまとめてるところはみつからなかったので、正確にいつ頃か?はわからん。2010年ぐらいかもしらん。やってる人に聞くしかないな。
その表現では微妙。たとえば、確率は一定だが1億種類あるとか、2日1個新しいカードが増える。とかだと、事実上コンプリートが難しいから、指導食らう可能性は残ってるよ。
あくまでも、対象となるコンプリート商品の入手可能性の『確率』が景表法で認められる『確率』の範囲に収まること。が大前提。
いいかたをかえれば
1/2 1/3 1/6 のたった 3枚 なら 通常の景品当選確率よりも高い確率でもらえるので、通るかもしれない。とか、そういう話も含んでる。(厳密に法律をひっくり返さないとわからんが)
すごく当たり前なんだけど、対象となる商品が、景表法で定められている『確率』を超えた『確率』で入手するのは、ダメって。すごく、当たり前の法律だよね。
それにたいして、組合せ論で確立を回避したのがコンプ商法で、それを禁止しているのが、カード合わせ。でしょ。
コンプガチャはコンプ商法(正確にはカード合わせ)に含まれるという判断がおりた矢先に、コンプガチャはコンプ商法ではありません。といわれてもな。
カード合わせは物理的な販売物にかかっていた法律だが、それが電子データーでも適用可能という話だろ。
よくわからんが、コンプガチャをコンプガチャガチャと名前を変えても、やっぱり、ダメなものはダメ。と同じで、コンプにたいしてかかる法律は コンプガチャについてもかかるんだよ。
商法の規制というものは、実際の販売形態ではなく、販売形態の概念に対してかかってる。
日本人の感情に配慮するには、日本人を知らなければならないけど
その韓国人は日本人のことを日本人のようには知らなかったのだろう。
だから、その韓国人は自分の知っている「事実」を言っただけではないかと思う。
それで元増田がショックと言い知れぬ否定感を受けたのは、同じ日本人としてよく分かるけれどさ。
ここは日本だからと、韓国人に対して日本中心主義を無意識の内に堂々と押し付けていなかった?
自分から学ぼうと思って例えば韓国の歴史教科書(日本語訳)を読んだことがある?
(あれは、まじで凄いよ。韓国人がどんな教育を受けて来たか分かるので、
友好的に付き合うため非常に参考になるテキストでもある)
元増田だって韓国人をよく知らないから当然韓国人を傷つけてきたと思う。
それでいざ「韓国>日本!」という韓国人にとって当然の観念を自分に見せられると、
途端にショックだ何なんだと動揺し、無い知識を総動員して、結局学校で教えられた通り
日本と韓国、日本と中国も、いつかそんな間柄になれたらいいのにで締めくくる。
相手にとって自分がどう見られているか、自分の観点と相手の観点はどう違うのか
そういうことを理解しないまま仲良くなりたいと言っても、ただのお花畑です。
韓国や中国の人間も、小学生の頃「日本から受けた暴力が我々をとことん苦しめた!
日本の侵略を二度と許してはいけない!」と教えられたことを思い出すんだよ。
元増田が思ったり望んだりしていることは、所詮、日本人の文脈の中での話なんだよ。