はてなキーワード: 彩度とは
サングラスやカラーグラスをおしゃれだとかカッコいいとか思うセンスは全く無かったけど
年齢とともに目の疲れや各種の光の目への影響が気になるようになった
ずっと画面眺めてる仕事だし、仕事後もスマホをずっと触ってるので、一日中何かしらの画面見てる
日中も、外に出た時の眩しさが気になるようになった
目を悪くすると仕事にも差し障るということで、度付きのサングラスを作った
サングラスをかけて外を出歩いてみて気づいたのが、自身の目が見られていないこと、視線の動きが他人から見えないことによる、なんというか安心感だ
元々コミュ障気質で人と目を合わせることに抵抗があったが、サングラスは視線を遮ってくれるアイテムだと今更ながら気づいた
サングラスをかけるって、なんて楽なんだろう
ブルーライトなど眠気を妨げる程度のものだろう、モニターの彩度や色味の変更で同じ効果が出るらしいしわざわざ買うものでもない、と思っていた
が、サングラスほどでないにしろ、色がつくことでちょっと安心感がある気がする
メジロって鶯色なのにウグイスじゃないの紛らわしいよね!ということでメジロとウグイスの差分挙げます!
メジロは甘いものが好き!花の蜜とか果物とかをペロペロ舐めるよ!たまに虫も食べるらしいけど!
余談だけど、増田が怪我したメジロを一時的に保護したときは100%オレンジジュースをあげました。
ウグイスは虫さんが好き!やぶや葉っぱの影にいる虫をぴょんぴょんつつくよ!たまに果物も食べるらしいけど!
メジロはおひさまが当たって花がいっぱい咲く木の上の方が好き!花が咲き誇るとき、メジロも同じくらい咲き誇るよ!
ウグイスは日陰で虫がいっぱいいる地面に近いところのほうが好き!藪の中だと安心してくつろいでることもあるよ!
メジロはくっつくの大好き!他のメジロと一緒に行動してぎゅうぎゅうくっつくよ!他の小鳥と一緒に群れを作ってるとこも見たよ!
ウグイスは一人でいるのが好き!普段は他のウグイスとはあまりつるまないよ!
メジロは「チーチー」と鳴き交わす!まさに小鳥ってイメージの、細く可愛らしい声!さえずりはコロラトゥーラのようにチリチリコロコロと繊細だよ!
ウグイスは「ジャッジャッ」と独り言!意外と大きく響く声!さえずりはその小さな体でどうやって、というほど伸びやかにきれいに澄み渡るよ!
ウグイスはスズメより大きい!視界の端に見切れただけでも結構存在感がある!
雀より大きいか小さいかっていうのは個人的に結構違う印象を受ける!
ウグイスは渋い茶緑!胸も腹も白くておとなしめ!
メジロはパッキリとしたギャルメイク!虹彩の色素薄めで華やか系美人!
ウグイスはぼかしを多用したナチュラルメイク!黒く潤んだ瞳で奥ゆかし系美人!
どっちが好きかと言われると…選べない!
20代後半から意識して強めの外見にしたが、さまざまな利点を感じている。
・丁重にあつかわれる
・絡まれない
・無駄に声をかけられない
・過度にかかわってこない
舐められないことの効用が非常に大きく、知らない人はもちろん友人との関係も良くなっているように主観で感じる。なんというか以前より尊重されている。
どんくらい強めの外観かというと、エグザイル寄りのモブという感じ。
20代前半までは若いころの加瀬亮のような曖昧な髪型をしていたが、アラサーからおでこを出す髪型にチェンジした。眉毛も整えた。髪も少し明るくした。
着る服は自分がいいと思うより一段階だけ雰囲気の彩度をあげた(すこし派手かな?と思うくらい)。
あとは月一で美容室にいき維持するだけ。
弱くみられるよりも強くみられるほうがずっといい。
最初は恥ずかしいと思うが試してほしい。
この一言で、増田とは見ている物がまったく違うんだなとわかった。
そんなテーマ、俺は1ミリも感じやしなかったよ。俺にとっちゃ、持たざる者がカブという何かを手に入れた話なわけで。
第一話からそうだったよ。不快な静寂の中、画面は白黒に近い彩度で、小熊という女子高生がレトルト食品をむしゃむしゃと食べている。美味しいでもなく不味いでもなく、無表情で食べているだけ。生きているというより、社会のルールに則ることで生かされている、そんな無欲さを表すような描写。だけど小熊がスーパーカブに乗る時だけ画面は色づき始める。あれは、小熊の欲望そのものなんだよな。
カブに乗り始めた小熊は、まずはお金を欲しがる(バイト)。そして、友情を欲しがる(二ケツ)。
なので、カブを通じて己の欲望に目覚め始めた小熊が、やがて反社会的になっていくのは、すごく納得がいくんだよね。
私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性に異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的を批判している人はほとんどいない。
でもこの記事を最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。
私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。
ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。
だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視がはいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないかは全然違う。
もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。
不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。
逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。
私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。
私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。
通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。
なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから、会社の入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、①道路、通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。
見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。
そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。
自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。
電車の時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的の電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車が普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。
そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。
本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすくホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。
少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき、普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする。
私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。
集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。
もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖や身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。
私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。
広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命の問題に直結する。((ホームと線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))
その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。
一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。
https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html
ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。
ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。
でも、生命にかかわることだから、優先順位は一番高くていいのではないかと思う。
日本視覚障害者団体連合もホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣に要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治や企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。
働きかけを行うべき先は、政治も企業もしかるべき権限をもつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。
http://nichimou.org/notice/200923-jimu/
歩道や施設などの通路、ホーム上にある点字ブロックは日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。
また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。
https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html
でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。
ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅で視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロックが問題と指摘された。
https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6
ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目からの情報が少ないため、点字ブロックを認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。
点字ブロックはとても有効な設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html
点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色のブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?
そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロックを歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。
でも弱視者には、これがわかりづらい。
視覚障碍者は全盲の人ばかりではないという認知がもっと広まってほしい。
「視覚障碍者は見えないのだから、点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。
少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。
視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)
また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)
さきほども書いたが、視覚障碍者は全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。
ところで、視覚障碍者が白杖を持つ理由は次の3つとされている。
https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/
障害物もなく、路面が確かな場合、ロービジョンの視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分の存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。
それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。
点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?
いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?
視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。
伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。
私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー」問題だ。
伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。
確かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。
でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦や精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。
それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー」議論はほとんどなかった。
いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。
案の定、伊是名夏子さんの投稿は炎上した。あの投稿を批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブルの作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。
現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブルの作為性を巡って反感を買いやすい。
伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ちも理解できる。
しかし、何かバリアフリーの課題を改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。
そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。
分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。
伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。
一方、こういったネットの炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗に非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。
確かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。
しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。
話は変わるが、視覚障碍者の投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。
他の障碍者やハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。
そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア(障壁)を持っていると思う。
心の中のバリア(障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。
インフラは整っているが、人の心の中はバリア(障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?
今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア(障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。
私はまだもやもやしている。
あらかじめ言っておくと男叩きの意図は一切ない。ただ純粋に疑問に思ったことを書かせてもらう。
男性は絵を描くのに向いていないのかなと思うことがよくある。
PixivやTwitterで絵を見ていると、当たり前だけど下手くそな絵もある。女性で絵が下手な人はそもそも小中高生であり年齢が低いことが多い。ジャンルも鬼滅、呪術、ツイステ、すとぷり、ボカロなど若い子に人気の作品のキャラを描いていることが多い。学校で配られたプリントの裏やノートに描いたり、スマホのアイビスペイントを使って指で描いている人も多い。下手と言っても顔は可愛く描けていて、塗りもけっこう綺麗で色使いに違和感を持つことはない。大学生くらいになってくると上手いとは言わないまでもそれなりに見られるレベルの絵を描いてる人が大半だ。女性向け同人でも年齢層が高いジャンルはあまり下手な人はいない。
しかし男性の場合、なぜだか分からないが小中高生の絵描きはあまりネット上で見かけない。下手くそな絵を描いているのはだいたい大人だ。しかも顔すら歪んでいてまともに描けていない。塗りも彩度が高すぎる、真っ黒をエアブラシで乗算、アニメ塗りもどきなど残念な場合が多い。そもそも肌が黄ばんでたり、頬の紅潮が紫がかっていたり、色使いに違和感があることも多い。
やはり色彩認識能力は女性のほうが高いんだなと思い知らされる。
他にも、女性の場合、男キャラ女キャラどちらも描く人が多いが、男性の場合、萌え系の女の子しか描かない人が多いし、少年誌や男性向けエロなどで活躍する女性漫画家は多いが、少女漫画やBLなどで活躍する男性漫画家はほとんど聞いたことがない。
こういうのを考えると男性は絵を描くのに向いていないのかなと思ってしまう。小学生のころも自由帳にお絵描きをして遊んでいるのは女子が多かったし。
リツイートやいいねが貰えないって話をされたんだけど、その人の愚痴聞いてたらそりゃ無理だろ、って思ったからここに備忘録として書いておく。
基本的に、バズるような魅力的な絵が描きたいという話なんだが、アドバイスしてみると
・実際にバズってる絵を研究して取り入れてみては?→流行りに媚びるようなことしたくない(その小学校低学年が描いたような絵で何を…)
・とりあえず、二次創作エロをどんどん描いて認知してもらえば?→流行りに媚びるようなry(認知されなきゃ始まらんだろう)
・絵の投稿を、短期間に一気にしたり逆に間延びさせたりせずに、コンスタントに行えば?→ネタ絵だから旬逃したら駄目だからね(Twitterは倉庫じゃないんだから定期的に顔出さなきゃ無理だって)
・どれくらいTwitter投稿してます?→日常生活の呟きがほとんどで五年で1000投稿(少なっ!というか、絵どこだよ!)
・昔描いたって言うアナログ絵(やたら大量に)ディスコードサーバーに貼ってますよね?それをデジタルに取り込んで描き直せば?→スマホで描いてるから無理(え?スマホだから寧ろ出来るだろ?)
・とりあえず絵を完成させて、次の時のための反省点を見つけては?→自分の絵のだめな所がわからない(マイクロソフトペイントみてーな高彩度単色塗りで目が顔の側面に付いてる絵を見ておかしく思わんのか…)
・絵が魅力的になるための指摘が受けたいならsessaっていう、有料サービスに送ってみるのは?→お金払えない位貧乏(30後半で3000円から5000円も払えないって…もはや絵を描いてる場合じゃねえだろ)
こんな感じ。
基本的に、こちらの意見は全て否定するし、リツイートされるような魅力的な絵にするには、って話をふってきたのに、自分の描きたいように描くからいいねの数気にしない、とか流行りに媚びるのが嫌、とか矛盾しすぎてあたまがおかしくなりそうだった。
とあるアカウントが突然消えたんだけど何があったか予想してほしい。
ドラゴンのイラスト垢で、フォロー200人に対してフォロワー5000人
数で見るとなかなか上手い人のように思うけど、そうでもなくて、
キャラの等身がキャプテン翼みたいだったり三頭身だったり不安定で、色もマイクロソフトペイントのような彩度激高の原色多用。
にも関わらず、毎回絵が投稿されるといいねは400くらいついてる。
いいねリツイートがよくされるからかタイムラインによくあがってくるんだけど、毎度毎度納得いかなかった。
おそらくは投稿頻度が高いことと、交流が頻繁に行われてて反応しあうユーザーが多いことと、voreという丸呑み嗜好とかいう、特殊要素だから需要に対して供給が少ないからだと思う。(自分にはわからないけど)
別に直前に誰かといざこざがあったわけでもなさそうだし、なんなら30分前にフォロワーとリプ交換していたよう。
かといって凍結でもなく、乗っ取りでもない。(フォロワーの反応からの推測だけど)
大した絵でもないのにやたらリツイートいいねされて楽しそうなのがわりと不快だったから少しざまぁ、って感じだけど、
逆にそれだけ交流出来てフォロワーも増えてるのに何で突然消えたのかが解らない。
鬱ってる様子もなかったようだし、別垢があるようにも見えないし(知らないだけかも)
なんならpixivも消えてるし、残ってるのは2ヶ月前に始めたらしいYouTubeのアカウントと、有料ラインスタンプのみ。
今日はよく寝た。
よく寝たというのは目覚めが良いというわけではない。睡眠時間が長く、また寝る回数も多かったというわけだ。一日の大半は寝ていたような気がする。
そんなわけはないのだが。
頭がぼーとする。
暖房がよく効いた部屋にいるとのぼせてくるが、あの感覚に近い。
外に出ると冷たく澄んだ空気が心地良く感じる。最近はだいぶ過ごしやすく暖かくなってきたが、それでも寒さはまだ残っている。
今日の天気は曇りだ。
空には量感のある雲が全体に広がっており、位置は低い。周りの世界はくすんだ白色といった感じだ。決して眩いばかりの明るさというわけではなく、目に優しい明るさだ。
路面を見ると墨汁や絵の具のように深い黒色になっていた。雨が降っていたのだろう。いつもだったらアスファルトの路面はそこまで黒くなっていない。
このような天気の日はどこか色が少ないように思える。
まるでモノクロのような。
決して色がないわけではないのだが、鮮やかとは言えない。彩度が低いように感じる。華やかさや抑揚といったものもない。
そんな世界を見ているとすぐに手足が冷たくなってきた。
部屋に戻るとする。