はてなキーワード: メルセデス・ベンツとは
メルセデス・ベンツが、自動運転レベル3をアメリカで導入した最初のメーカーになりました。
一昨年、世界で一番最初にレベル3を実用化したのは、テスラでも欧州メーカーでもない、ホンダでしたね。
テスラモデル3が発売された2017年以後、テスラが自動車産業の覇権を取るという機運が、意識高い系のテスラ信者たちの間に高まりました。しかし、実際に自動運転の開発競争をリードしているのは、テスラ信者たちに馬鹿にされがちだった古典的自動車メーカーである、メルセデス・ベンツやホンダだったのです。
テスラの運転支援技術であるオートパイロットが優れているように見えていたのは、技術力が他メーカーに対して優れていたからではなく、成熟しきっていないシステムを先行して市販車に導入したからです。
オートパイロットは、ドライバーを監視し、不適切な使用を防ぐ機能を十分に持たない危険なシステムです。しかし、これは想像されがちな自動運転の形に近く、完成度が高いシステムであると評価されました。主に評価したのは、自動車が何たるか分かっておらず、テスラの先進的なイメージに流されているくせに、自分は賢く物事が分かっていると思いこんでいる連中です。当時から識者や米国の国家運輸安全委員会(NTSB)からの指摘が入っていましたが、信者たちのコミュニティには届きませんでした。
テスラ信者は古典的自動車メーカー(特に日系メーカー)の没落を信じ、(主にネット上で)メーカーを馬鹿にし続けてきました。しかし、時価総額がテスラに負けるからオワコンだとネットで嘲笑される間、自動車メーカー各社はどっしりと腰をすえて自動運転技術の開発を続けてきました。その成果が、ホンダやメルセデス・ベンツのレベル3実用化であると言えるでしょう。
そして、メーカー各社は、自動運転技術の開発で得られたノウハウを、運転支援技術に活用していきます。ここで言う運転支援技術は、自動ブレーキやドライバーの監視など、車に乗る人々と、その回りの人々の安全のために提供されるシステムです。テスラが提供するかりそめの安全にテスラ信者が踊らされている間、自動車メーカーは本当の意味での安全のために、努力を続けてきたのです。
大昔、メルセデス・ベンツが日本市場に食い込んでいない頃の話。
ただベンツの車にはひとつだけ日本市場には適合していないところがあった。
それを改良させないと日本ではベンツを売れない・売ってもものすごい低評価されることになる。
だから改良させないといけないんだけどベンツのエライ奴らは納得しない。
そこで当時、ベンツを売りたかった日本人が一計を案じて、そのえらいさんたちを日本に招待した。
東京へと向かう車の中。
「な、無理でっしゃろ?日本の夏は欧州の夏とは違うんですわ。クーラーを日本仕様にしないと絶対ダメなんですわ?」
という言葉より車内の不快さが説得力を持っていたのは間違いなくてベンツは日本に車を売るときに日本仕様のエアコンにしたうえで売るようになったのです。
9/25-9/29、夏季休暇を取得し、憧れの国ドイツへ旅行してきました。
前夜。
トランジットのため成田から北京国際空港へ。海外で初めて口にした食べ物はピザハットのピザ。政治的事情から各SNSにはアクセスできず、乗り継ぎまで人生の貴重な8時間を出国せず空港内で過ごしました。
中国国際航空を利用しました。何故か機内モードでも電子端末は一切電源を消すよう命じられたため、退屈な機内でした。本を読んでは眠くなるため機内ではほぼ寝てました。また機内食はお粗末なもので、一緒に出されるパンやフルーツの方がずっと美味しく感じました。
9/25
フランクフルト国際空港着💢やはりメルケル氏が当選していました。
新秋のドイツは気温10~15度と寒いので、空港から降りてきた薄着の漢民族は凍えていたようです。
ドイツ鉄道が発行している「ジャーマンレイルパス」を事前に購入していたので、ヴァリデーションを済ませフランクフルトからベルリンへ移動。しかしながら自由席も指定席もほぼ満席状態で、後から乗った私は車内で立ち往生してしまうことに。ベルリンまでの移動時間はおよそ4時間半。全日一等席に乗れる権利を有していたのに惨めな旅だと思っていたら検札に来ていた乗務員が空いている自由席を見つけてくれ、さらに隣に座っていたウルリッヒ・ミューエ似のおっさんもスーツケースを上の棚に入れるのを手伝ってくれました。この時感謝の気持ちを述べた言葉がドイツに来て初めて使用したドイツ語でした。
ベルリン。
インターシティホテルベルリンにチェック。このホテルは2日間滞在していた。一人で予約しているのに何故か掛け布団が二つあったのが気に障りましたが快適に過ごせました。いかんせん成田搭乗から今まで風呂に入る機会が無かったので、ガラス張りのシャワー室でシャワーを浴びる。
行ったところ。
ブランデンブルク門。言うまでもなく、ベルリンの壁を象徴する建造物。これを見るためにドイツに来たと言っても過言ではないくらい見たかったもの。なお、この日から8日後に東西再統一27周年を迎えました。東西融合を祝して、記念に橋を架けました。興味深かったのが、門周辺はイギリスやフランス等各国の大使館がひしめき合っていて、門の直ぐわきにアメリカ大使館では警備員が厳めしく立っていたました。そして、『舞姫』で豊太郎が闊歩したウンター・デン・リンデン通り沿いを100m程歩くと今度はロシア大使館が見えてくるのですが、アメリカ大使館の2倍の敷地で厳重な警備と邸宅さながらの荘厳さがありました。当時ソ連が東ベルリンを統治する上で、東側諸国のリーダーたる威信を発揮しようとしていたかがうかがえますね。
次。DDR Museumという旧東ドイツの博物館。じっくりねっとり展示品を舐め回すように見ながら1時間半くらい経ったところで閉館のアナウンスが。まだ全部見終わってないんですが。
アレクサンダー広場のベルリンテレビ塔、に行く前に広場周辺でカリーヴルストを夕食。正直ケチャップは苦手なのですが、これはケチャップと合いますねぇ!!!!これだけでお腹一杯になってしまいました。
テレビ塔。夜景を期待してわざわざ22時に入場したのですが、ちょっと想像と違っていましたね。
2日目。朝から特急に乗ってチェコに行こうとしたのですが寝過ごしました。ただ、片道の移動時間がこれまた5時間も掛かるので仮に朝一の列車に乗っても、宿泊の都合上、日帰りで帰るとなるとろくに滞在できず一日を列車で過ごしかねないスケジュールでもあったので、正直フイにして後悔はしませんでした。
テレビを点けたらチャンピオンズリーグでバイエルンとアンデルレヒトの試合が中継されていました。2-0でバイエルンが快勝していて流石FCバイエルンでした。
昼。電車に乗ってシュタージ博物館へ。これも東ドイツ関係。『善き人のためのソナタ』にも出てきた建物。写真のネクタイは、よく見ると小さな穴が開いていて、この穴を通してカメラで反体制派の行動を盗撮していたというのですから恐ろしい。
夕方。オーバーバウム橋からシュプレー川沿いの「イースト・サイド・ギャラリー」を見学。これも東ドイツ時代の遺産。写真の男性二人(ブレジネフとホーネッカー)が交わしているアツいキスは決して男色を表しているのではなく、共産圏における挨拶の一つだという…。その後はポツダムに移動しサンスーシ宮殿を見学するつもりでいましたが、気付いたら閉園時間が近付いていたため断念。片道1時間の電車を引き返すことに。
夜。ポツダムプラッツのレストランで夕食。ベルリンのピルスナーを堪能。ドイツのビールは飲めるけど、日本のビールは何であんな苦くて不味いんでしょうか。クネーデルズッペ。ブイヨンベースに牛レバーの肉団子というシンプルなスープ料理なのですが、これが非常に美味しかったです。スープ料理で初めて感激しました。最後にベルリン名物、アイスバイン。塩漬けの豚肉を茹でたもので美味しかったのですが、ボリュームに屈し食べきれずギブアップ。すいませんでした。
帰路。連邦議事堂。丁度議会選挙の直後だったのか館内見学の予約が取れず外から見学。
ホテル内。ビールを飲みながらテレビでドルトムントとレアルマドリードの試合を観戦。やはりピルスナーは飲みやすい!それでいて1.03ユーロ(約137円)という驚きの安さ。なお試合は3-1でレアルがドルトムントをボコボコにしてました。
3日目。6時にチェックアウトを済ませ、西方シュトゥットゥガルトへ。メルセデス・ベンツ・ミュージアムを見学しに。ルイス・ハミルトンは好きじゃないですが、メルセデス・ベンツは好きです。前からSLS AMGやAMG GTのロングノーズのボディが気に入らなかったのですが、300SL等歴代の車種を見ていくにつれてこのノーズが力強さが感じられるようになり好きになりました。あと、AMG GTって写真で見るより意外と車体が小さかったです。
博物館を後にし、ケルンへ移動。2時間程移動してケルンのホテル、マテルヌスハウスにチェックイン。受付は愛想が良く好感を持てましたが、部屋がツインダブルベットで虚しさがこみ上げてきました。加えて、もともとコンベンションホールをホテルにした作りなのか、浴室の作りが人工的でこれまたムードダウン。
ケルン大聖堂。二つのアーチがそびえるゴシック様式のローマ・カトリック教会。ブランデンブルク門と並んで見たかったものその2。駅からライン川を渡った先が撮影ポイントで、道行く外国人のスリの恐怖に怯えながら100枚くらい写真を撮っていました。
夕食。『地球の歩き方』にも掲載されている有名店なレストラン。ここではケルシュという地ビールを堪能。フルーティーな味わいで飲みやすいけど、水だと揶揄されてもいいくらい苦味が薄く刺激が弱い。でもボクは好き。
4日目。最終日。朝食はフルーツポンチばかり食べてました。ゆっくりしてからチェックアウトを済まし、フランクフルトへ。
フランクフルト証券取引所。入口前に雄牛と熊の銅像。ブルベア。DAXは8月以降ずっとブルってやがる!館内ツアーガイドがドイツ語で何を言ってるかさっぱり判らなかったです。取引所を後にし、しばらくフランクフルトの金融街を闊歩してからフランクフルト国際空港へ。ドイツ旅行はこれにて終わり。
魔の5日目。トランジットの北京行の便がまさかの遅延で予定の日本行の便に乗れず。後にトランジットのカウンターに行って出発便を振り替えればよいとわかったのですが、何せ初めての事態でかなりアプセット。何とか便を振り替えてもらいましたが、中国人の話す英語が判らず聞き取るのにかなり苦労しました。
19時頃羽田空港着。成田じゃなくてよかったです。ここでクイズ。東京に着いて一番最初に食べたものは?そうですね、ラーメンですね。
初めて一人で行く海外旅行でしたが、正直旅行というより社会科見学に近いものでした。博物館で2時間も3時間も過ごすのでもし人と一緒に来ていたらうんざりするでしょうし、この点は一人でよかったです。完全に自分の時間が流れていました。
しかしながら、やはりトラブルがある時はやはり一人で対処しないといけないですし、当然コミュニケーションは外国語なので言葉がわからないと辛いものがありますね。幸い身振り手振り肉体言語でも伝わるのでこの点は何とかなることはありますが。意外にも滞在期間中一切日本語を喋らなかったのが精神的に辛かったです。
http://www.glitter-car.com/blog/2013/12/entry_1053/
ここの整備会社がめちゃくちゃエーリストガレージ好き好きオーラ出してるから、エーリストガレージはここと提携してるのかもしれん。
お世辞にしても褒めすぎだし、嘘ではなさそうな気がする。
新型メルセデス・ベンツ E300 ワゴン 磨き・ガラスコーティング・ガラス撥水・ホイール・ルーム
http://www.glitter-car.com/blog/2014/05/entry_1313/
似たような記事見かけたから、一緒にまとめとこうと思ったら同じ所だった。
まぁベンツ買ってるならそりゃお得意様だよな
○朝食
○薬
いっぱい飲みたいけど我慢
○昼飯
○夕飯
怒られたので、オムライスカレーを食べにいった。トマトが入ってて美味しかった。
○調子
ちょっと家族ともめてしまったせいで、心のバランスがまた崩れてしまった。
あと手当金の話が上手く進まずちょっと苦しい。
でも、以前のような死にたいとか、薬バカ飲みとか、消えたいとまではいかない。
とりあえずランニングしてチョコ食ったら、することないからゲームしよ、と思える程度には回復できた。
○ハッピーウォーズ
今まで対人専門だったんだけど、協力プレイも意外と面白いことに気づけた。
とはいえ、一周してやめた。
正直飽きてきたなあ。
ボス戦を数戦し、主人公達の村の人たちと合流できた所までプレイ。
ディスパッチャーの内容を今ひとつ理解していなかったのでサンプルコードを読んだり、本を読むなりした。
実装はできるんだけど、細かい所までは理解が追いついていなかったので、少し前に進めた感じがする。
こういう終わりがないゲームをどこまでやり込むかは難しいんですが、
とりあえずレベル50を目指そうかなあ、へっぽこの自分にはかなり遠い道のりになりそうですが。
Haloは1、2、4しかクリアしてないので、これをクリアすればナンバリングタイトルはとりあえず終えられるかな。
今日は「ステージ1 アライバル」(ムービーみるだけ)と「ステージ2 シエラ117」を攻略。
ビギナーなので、実績は解除されず。
でも難しいのよりもストーリーをちゃんと追いたいのです。
「たやすいことではない」とか「女の子とは約束しちゃだめ、出来ない約束はね」とか「集合場所は?」「戦場よ」とか、どれも痺れる決まってる。
目標もなくダラダラやるのが限界にきたので、自分の中のForza目標を決めて、それが達成されたら
その目標とは、シャーマンキングでX-LAWSが使う「天使」こと「スーパーカー」をゲーム中で可能な限りそろえ、自分が満足するレースをする。です。
いきなりなんのこっちゃと思われるかもしれまんせが、私の車の知識は本気でこの漫画程度しかないのです(※シャーマンキングは車漫画じゃそもそもありません)
なので、そこに登場する天使ことスーパーカーを集めて並べて満足する、それがForzaの僕の楽しみ方、ということにします。
○Forza2のやり込み度合いについて
まず自分は車の免許を持ってなく、車に対する興味や知識が全くと言っていいほどない。
まだレースゲームは対戦する楽しみがあるからいいものの、Forza2のオンラインは過疎っており、対戦が出来る状態にもない。
ならそもそも、どうして始めたのかというと、XboxOneで自分が好きなゲームを増やしたいから。
つまり、Forzaシリーズを自分なりの楽しみ方を見つける必要が有る!
そして、思いついたのが、僕が大好きな漫画「シャーマンキング」に登場する「天使」ことスーパーカーたちのことだ。
シャーマンキングに登場するX-LAWSという組織は、スーパーカーを武器に戦うのである。
それがいたく格好よく、ハンドルネームの元になった漫画のロボットと似ていることもあり、僕は彼らが大好きなのだ。
というわけで、Forzaでも彼らのスーパーカーをすべて所有し、満足いくまで運転したら、次のナンバリングに進むという自分ルールを制定した。
以下はそのメモ
マルコ、ミカエル、フェラーリ92年型、フェラーリ、イタリア(92年型はなかったので年代が近い91年型で妥協しよう(そういうもんでいいのか?))
リゼルク、ゼルエル、ロータスエリーゼ、ロータス、イギリス(いっぱいあってよくわからんから、適当にデザインで選ぼう)
ジョンテンバット、ラファエル、アストンマーチン・DB4、アストンマーチン、イギリス(DB4がないからDB9で代用しよう(いいのかなあ?))
ラーキ・ディラック、ウリエル、フォード・GT40、フォード、アメリカ(Mk2ってのがあったからこれでいこう、もうこれでいいのです。)
ポーフ・グリフィス、サリエル、ポルシェ・911、ポルシェ、ドイツ(なんか山ほどあるけど、どうしよう)
クリス・ブンスター、メタトロン、ハマーH1、ゼネラルモーターズ、アメリカ(この会社はForza2で見つけられなかった)
ケビン・メンデル、レミエル、メルセデス・ベンツ 300SL、ベンツ、ドイツ(この会社はForza2で見つけられなかった)
ミイネ・モンゴメリ、ガブリエル、ジュリエッタSZ、アルファロメオ、イタリア(この会社はForza2で見つけられなかった)
というわけで、フェラーリとロータスエリーゼとアストンマーチンDB9とフォードGT40MK2とポルシェ911を買って、
で、Forza3でも同じことをやって、Forza4でも同じことをやって、ゲーム性が違うホライゾンは普通に楽しみます。
○購入記
アストンマーチンDB9(金がない)
フォードGT40MK2(ロックされている)どうやらレベル39まで上げないといけないらしい、今レベル23でかなり飽きかけてるんだけどなあ(汗)
ポルシェ911(金がない)
書評:川口マーン惠美 著『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店)
小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとって、この評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデス・ベンツをつくる器用なドイツ人が、他方では奇妙な思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。
一般的に日本人のドイツの印象は良い。いや、良かった、と過去形で書くべきだろう。
森鴎外が留学し、伊藤博文はプロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテ、トーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。
手塚富雄、高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しむことができだ。三島由紀夫も第二外国語はドイツ語だった。
大学ではドイツ語を第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語へ語学ブームは移った。
日本の戦後政治は混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れず混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツの経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済は中国に抜かれるほどに疲弊した。米国、日本に次ぐGDP世界三位は北京が獲得した。
ドイツにも政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本に売国的媚中派と保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツの政治は、ロシアの利益と通底する二流の政治家がいる。
言うまでもなく売国奴的政治家とは、シュレーダー前首相である。
川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。
「シュレーダーは首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人のやんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男が、後述するシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。
戦後、アデナゥワーは米国と協調したが、ブラント政権で東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書は東ドイツのスパイだった。
後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)
だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言が左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーらSPDの面々である。
現ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。
日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。
「ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」
東方外交をすすめたブラント元首相はユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを擁したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツと自分とを同一視していない」。
いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分や国民の罪に対するものではない」。
つまり「親族に人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。
本書にはホーネッカー(旧東ドイツの独裁者)が、旧東ドイツ市民が秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、途端の苦しみを味わっていても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その妄想ともいえる塹壕が、ドイツ統一後、埋められる前の見学ツアーが行われ、川口女史はでかけて、壮大な無駄と独裁の虚無を見いだす。
それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!
また“ドイツの良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツの大江健三郎的な作家”ギュンター・グラスが青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー前首相がプーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係でベルリンが北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。
次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだった。