はてなキーワード: 犬猫とは
過食しなくてもなんなら少食でも断食してるわけではないのなら簡単に太るぞ
例えばストレスによる、コルチゾールとインスリンによる体重増加とかな
あと睡眠不足
https://www.mentalfoodchain.com/stress-and-weight-gain/
ストレスを感じると、ストレスホルモン「コルチゾール」が分泌されます。コルチゾールは「闘争・逃走反応」と呼ばれる、恐怖を感じたときの原始的で身体的な生体反応を呼び起こすホルモンです。身体活動を活発にするため、体内に蓄えられていた糖をエネルギーとして利用する働きがあります。溜まっていた糖を血液に乗せて、全身の筋肉へと運ぶイメージです。
しかし、現代人である私たちに降りかかるのは、家庭や職場での問題や睡眠不足などの「慢性的なストレス」です。コルチゾールは大量に分泌されますが、糖が必要なほど身体活動を行うことはありません。すると、コルチゾールの分泌によって血液中の糖が増え、それによって肥満ホルモン「インスリン」の分泌が促されてしまうのです。
「インスリン=糖尿病」と結びつけられやすいのですが、インスリンは「肥満ホルモン」とも呼ばれていて、血液中の糖(血糖)が多いとそれを細胞内に押し込んで血糖値を下げる働きのほか、体内に脂肪を溜め込む作用があります。
つまり、ストレスを長期的に感じると、「コルチゾール」が多量に分泌され血糖値が上昇するのに、血糖はエネルギーとして消費されず、肥満ホルモン「インスリン」の分泌を招いてしまう。そして、インスリンの働きによって、糖と脂肪が体内に蓄えられてしまうというわけです。
あと身近な動物の犬猫や家畜を見ていてもわかるように生まれ付き体型は決まっている
丸いヤツは生まれつき丸い
拒食症上等ならガリ体型の維持も可能だが健康寿命考えたら自分の体型は受け入れるべきだと思うぞ
ただ、一般的にはなんらかの病気を患っていない限り、足腰に負担が掛かるレベルでは太らないと思うので
足腰に負担が掛かるレベルで太ってるなら適当に断食して痩せた方がいいです
でもお前が犬猫になっても飼ってくれる人いないじゃん
犬猫の方が育てられる経済力があるか、しつけられるか、あらゆる制約(気軽に家に置いてでかけられない、病気したとき、けがしたとき、させたとき…)とかをすごく考えて飼う人も多いのに人間の子どもとなると
「でも赤ちゃん欲しい🥺」
「しんどくても愛があればなんとかなる」
とかで現実にある問題を有耶無耶にしてそのツケがすべて生まれてきた子どもにふっかけられる。
育てにくい社会になってるのが悪いしそれは政策の問題だけど、それが分かっていながら見てみぬふりして自分が子ども欲しいって気持ちを優先させるのはもういい加減やめたほうが良いし、それなら「こんな社会のせいで子どもは産めない、なんとかしろ」って声上げる人の方がよほど子供のことも未来のことも考えてるわ。
そもそも「子どもが欲しいかどうか」を考える以前に、「自分は親になれる人間か?」を考えなきゃいけないのにそれをしないで都合よく子供育てて子持ちというステータスを獲得したい、チワワだか猫ちゃんだかを飼いたいの延長で子ども欲しがってんのが問題なんだわ。
国や自治体の福祉は全然使えばいいけどその上でも、子供を育てられる経済力あるか?絶対虐待しないと言えるか?
疲れてるときに街なかで子ども見て「うるせ〜な」と思ってないか?
病気や障害のある子どもが生まれた場合に受け入れて育てるだけの経済力と精神力あるか?
ちゃんとそこ考えてから子どももうけるか、不妊治療するかを選ぶのがあたりまえなんだよ。
そのせいで 人のこころがわからない サイコパスのような暴君になったのだと
何となれば 現実的に 世の中を見回して
特に 自分の身内を観察して 要するに一言で言えば 貧乏出の 団塊世代の自分の両親が
正直な話安倍晋三にそっくりな傲慢さを 疑う余地なく持ち合わせているからである
金持ち故の慢心と 団塊世代特有の「今だけ 金だけ 俺たちだけ」という視野狭窄の
団塊の世代と見比べたときに 非常に似通った性質を持ち合わせていることから
そういう世代的な影響を受けていると考えて さしつかえないと思う
子だくさんの家庭で 兄弟が5人も6人もいることが珍しくもなく
つまり 細やかな躾など受けられず 犬猫のように わちゃわちゃと育った世代のことである
それ故に 団塊老人は 挨拶ができないくらいのできそこないが山ほどいる
正確には それが仕事となれば へりくだって挨拶でも何でもするが
日常生活で 他人に敬意を示すという発想がなく 家族や 街で接する見知らぬ他人には
適切な礼儀をもって振舞うということが全く出来ない老人が うちの両親含め山ほどいる
自分は 普段 世代間闘争みたいなことは 下品であまり良くない発想だと考えている
「老人笑うな行く道だ」と 基本的には今でも思っている
団塊老人は それを 「自分たちがいちばん頑張ったから」だと思い込んでいるが 本当にそうだろうか
その稼ぎが増えるというのは 本当に 本人が頑張ったかどうかで主に決まるのだろうか?
単純に 「自分より上の世代に 給料を上げてもらった」のが団塊であり
それなのに 「自分より下の世代の給料は上げようとしなかった」のが団塊だっただけではないのだろうか
うちの親は 池田勇人の「所得倍増」で 平の地方公務員のくせに 1000万近い年収を 貰っていたのである
本人は 「公務員になったときに馬鹿にした連中が 自分ほど給料が増えなくていい気味だ」なんて
平然と勝ち誇るのであるが なんだかただうまく波に乗っただけで
これを頑張った結果みたいに言い張るのは腑に落ちない
現実の結果だけ見れば 団塊は 高度成長で増えた日本の富を ただ吸い付くし 食らい尽くして
滅びようとしているだけの世代で 日本のために何の役にも立っていない
日本全体の富を増やすことを 団塊が日本の主役だった時代には一切行っていない
パイを増やさず 奪い合うだけで 自分は頑張ったと主張しているだけである
それが 一言でいえば 失われた三十年 と言うものの実態であろう