はてなキーワード: 高二病とは
いや、中二病じゃないだろ。中二病は群衆に浮かれない俺すごいって病気。だが高二病患者なのが元増田。しかも大二病も併発してそう。
中二病は患っていないと思う。普通の学生よりも頭良いよ。というか、今の俺より頭良さそう。中二病患ってるんじゃなく一気に高二病にシフトしたように見える。
そしてこの頭の切れるところが問題だと思った。仮に頭の低い人が悩みを抱えないなら、悩みの数は多くなるのかもね。
元増田のようなものを悩んで生活しない間が華。
http://anond.hatelabo.jp/20091115005541
今気がついたけれど、横やり入れたのも中二病とは違う感じだったからまあいいや。
中二病を地でいく奴はそんなにいない。あっても一過性というか、高校入学初期くらいだと思う。生活がシフトする時期や緊張から解れた時期に患わないというか患えないんだ。俺、中二の時なんかまるで遊ばなくて、高二のときにはじめてたわんだからそうなっただけなんだ。だから仮にこの理屈が正しいのなら、ずーっと頑張っていて勉強にかじりついたりしていて、そういう周りの連中のことなんか一度も考えないような人は中二病を一度も患えないと思う。遅れて患うほどレアにも見えるからそんなのあるわけないじゃないって言いたかったんだ。
遅れて発症するといきなりドロップアウトになるんだよなあ。この病気。要するに、勉強しかしてこなかった人ほど発症が遅れる傾向があるみたいでさ。
中二病・大二病は、日本人の特性なんじゃない?だから、多くの日本人は、大二病。もちろん俺も。
下記のエントリーをみて、改めてそう思った。
http://anond.hatelabo.jp/20090924092317
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7eaba4bbf3409d6bf7151d9501304ff2
http://anond.hatelabo.jp/20090924093733
要約すると、八ッ場ダム建設問題において、建設派と建設中止派の両陣営とも、「マスコミは自分の陣営が不利になるような情報ばかり伝える。その情報は誤り、もしくはごく少数派の意見である。このような情報を垂れ流すのは、報道ではなくプロパガンダだ。」みたいなこと言ってる。実際は、この問題に対する報道は、一つの記事・番組内では多少偏りがあるものの、すべてのTV局・新聞がどちらか一方の味方をしているという状況ではない(と思う俺もTV・新聞をすべてチェックしてるわけじゃないが)。
しかし、建設派と建設中止派の両陣営とも、プロパガンダに感じてしまう。なぜか?それは、両陣営とも大二病だから。
両陣営とも、その人の"常識的に考えて"(通称jk)圧倒的に自分の陣営の主張が正しい、もしくは圧倒的多数派だと考えてる。そのため、相手陣営に有利な報道が少しでもされると、プロパガンダに感じる。マスコミという、見えない敵(悪い組織)と戦ってしまう。両陣営とも大二病である。
原因は、「"常識的に考えて"圧倒的に自分の陣営の主張が正しい、もしくは圧倒的多数派だと考えている」ことにある。一般的に、このような両陣営が長年もめてる問題で、圧倒的に片側の陣営が正しいということはない(少ない)。大抵の場合は、いい意味でも悪い意味でもお互い様だ。しかし、"常識的に考えると"圧倒的に自分の陣営の主張が正しいと感じる。そして、自分と異なる主張をするやつは、常識がない人や情報が足りない人(情弱)、悪の組織だと考え、それらの人や組織に説教したり、戦いを挑んでしまう。大二病の発病だ。
さらに原因を掘り下げると、"常識的に考えて"*が、原因なのがわかる。もっというと、人々が異なった常識
【常識】
(1)ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/93867/m0u/%E5%B8%B8%E8%AD%98/
をもっていることが原因である。当然、皆が日本社会に属していている。しかし、同時に、東京都や群馬県などの地域社会、医者・SE・科学者などの専門領域(社会)に属している。異なった社会で身につけるので、異なった常識(知識や判断力)を持つ。それを日本社会の常識と考えるから、大二病が発症する。
先日の選挙も、多くの日本人が、自民党・民主党・公務員・マスコミという見えない敵(その組織の誰が悪いとはわからなし、全員が悪いわけじゃないが、その組織の中にいる悪)と戦っていた。多くの日本人が大二病なのかもしれない。いや、大二病は、日本人の特質なのかもしれない。
大二病を治すにはどうしたらいいか?大二病発病中の俺は、以下の方法で闘病していくつもりである。自分を常識的な人間だと考えるのをやめて、なんらかの専門家だと考える(ある意味、高二病の発病)。同時に、他人もなんらかの専門家だと考える。悪と戦うのではなく、異なる分野の専門家と議論すると考える。具体的には、異なる分野の専門家(知識労働者)が社会の中心となっていく的な本、「プロフェッショナルの条件」 P・F・ドラッカーでも読み直し、洗脳されてみようと思ってる。
横です。激しく横です。本題と全然関係ないです。
うわー、男の人って・・・という感じ。言ってることはいいと思うんだけど、漂ってくるオーラが・・・。助言者としてはいいけど、友達にはなりたくないタイプ。
「どちらの選択肢が相手にとって優しいか」という軸で悩んでいる時点で間違っている。お前が付き合いを断った時点で相手にとって優しくないんだよ。お前は相手を傷つけたんだよ。お前が彼女と別れてその子と付き合い、一生を添い遂げて幸せにする以外に、「その子にとって優しい」なんて状態にはならないんだ。
女側にも自由はあるわけで、自分から内から外に出てくるのを選んだ以上、事故に遭うことぐらい想定の範囲内なんですけどね。不運が重なった事故で、相手に傷つけられた傷つけられたとギャーギャーわめくつもりはないです。かっこわるいでしょ、どうみても。やたらと元増田に責があるとする雰囲気のは、何かこっちの自由意志を踏まれている気がして嫌。
しかも、一生を添い遂げて幸せにするってw昭和かよw女の幸せは男様に与えて戴かないといけないものだったんですねw
そーゆー女の子は未だに散見されますけど(この話の相手の女もその可能性はありそう、かな)、女はそーゆーもんだ的な思考の男の人も散見されるわけで、何というかお互い様?
今お前が考えるべきことは「どうすれば自分と、自分の大切な人が傷つかないか」だろ。お前は今攻撃を受けてるんだよ。この事態はエマージェンシーなんだよ。手負いの獣相手に中途半端に優しさを見せてると、一気にやられるぞ。俺がその子で、本気でお前に惚れているなら、ハメ撮り写真とか動画を取って「彼女に見せるぞ」と脅迫しながらセフレに持ち込んで、コンドームに穴あけて妊娠するぐらいのことはやるね。
エマージェンシーというのはすごく正しい。トラブってるし、相手の女がゲスなら、書いてあるようなことをするのが十分あり得るし。でも、攻撃を受けてるとか、やられる、とか。女は基本化け物かなんかですか?結構あれな女性観だなあ。そんなに女運なかったの?そんな方法で無理矢理くっついても、ろくな事にならないのは、メンヘラでない普通の人間なら、男女関係なく、理解できることだと。(惚れた相手にストーカー等の嫌な方法で一緒にいても、無駄なのは当たり前のことだよね?)
あ、でも、中途半端に優しくするのはやめてくれるとうれしい。一緒にいるほど、情が移って新しい男に向かう気が削がれちゃうから。介錯は大事だよ。
そもそも彼女がいるのに、何告白されてんだよ。バリアを張れバリアを。「このラインから入ってくるな」オーラを出せ。告白されそうになったら逃げろ。そんなことも出来ない時点でお前は間違ってるよ。相手をその気にさせて告白させた時点で、お前は全っ然優しくないの。ゲスなの。この八方美人野郎。反省しろ。
なじり具合ヒドイwなんでこんな上から目線なの?八方美人でなく、特別な1人だけに全力をかける俺様カコイイ(酔)ですか?
「みんな救う!」と言う厨二病を「んなもん、できるわけねーだろw俺は現実わかってるんだよ、おまえと違ってw」とバカにしてる高二病みたい。
個人的には、最初は親切だったのに、好きになりかけた途端、あからさまに逃げて冷たくする人は、男と見たときどころか、人と見ても仲良くする気が失せる。角が立つ言い方をするなら、「逃げるなんて男らしくない!」というとこ。まあ、それが増田の望みなんでしょうけど。
逆に、ずっと親切で、好きになってしまって、告白した時に「大事な彼女がいるから無理」と断ってくれる人には、男として見なくても(見るべきでなくても)、人と見て、これからも良好な関係を持ちたいと思うね。
元増田はかっこつけてるけど、下半身に惑わされてる説は否定しない。まあ、男だし仕方ないんでしょ。
リスク(彼女にばれる、相手がメンヘラorゲス)と彼女への罪悪感、相手女を新しい男に進ませる、とか考えれば、断る一択じゃないかな。
相手女が「イケメンセフレゲット!でも彼氏は別に探さなくちゃねー」という強かなビッチである、というレアケースぐらいだと思うよ、やって問題ないのは。
それじゃただの犯罪肯定論じゃないかw
悪人だからこそ善を語るんだ。語る必要もないほど当たり前に善く生きられるなら誰も善なんぞ語らん。
建前どおりに何もかもが動くなら建前なんぞいらん。
http://anond.hatelabo.jp/20090313153918
自分が左寄りだと認識した上で自分の考えを言うのなら嫌いじゃない。そういう人は相手と摩擦が起こらないように話し方に工夫をするしな。でも、そういうことを認識しないまま、左寄りな意見が世論そのものみたいに考えちゃってる人がいるような気がしてならない。
これはもう、「俺はサヨクである」という強烈な自負をもって活動的ブクマをしている人たちに他ならない。
快不快のみで物事を決定して動物的にコメするネトウヨに対して、はてサは「今までの経験から鑑みて、『はてサ』ならこう言うだろう」というある程度計算に基づいたテンプレ回答を返してくる。なぜはてサにはそのような打算をせねばいけないのか。
それはつまるところ、2chウヨとはてサの誕生する過程の違いなのだ。
匿名はリアルより簡単にマジョリティを演出できる(もちろん一人や二人では無理だけど)システムだ。
「空気」さえ作ることができれば後は楽勝だ。
ゲームやお笑いを餌にして、イノセントなおガキ樣を釣れば教化は八割完了したようなもんだ。
しかしだからこその問題もある。名無しである以上、彼ら自身のグループの中から可視的オピニオンリーダーを選ぶことは難しいのだ。
彼ら自身が識別可能な唯一の仲間、それは自分自身に他ならない。
大多数の仲で、浮き彫りとなってエンファサイズされた己の存在を認識した瞬間、ネトウヨの中で記憶と認識の捏造が生じる。
「みんなが言ってるから正しい」という受身な姿勢から「俺の主張にみんな賛成してくれている。俺は正しい!」という世界の中心で俺を叫ぶ姿勢への転換だ。つまりは自意識の発露だ。なるほど、ネトウヨが十代にウケるのも道理かもしれない。
「己に対するトートロジカルな自信」と「圧倒的な(と自分では思ってる)賛同者数」。後者の権威は強固だ。非難しても揺らいだのかどうかすらわからない。だが、その存在の曖昧さが不安を覚える者だっている。奇妙な盲信に嫌悪感を抱き反発する若者を、ひいては血気盛んなマイノリティを生み出す。では、そんな怒れるはみ出し者たちはどこへ行くのか?
はてサは生まれついての少数派だ。
まず、母体となるはてなー自体の数も2ch比べて圧倒的に少ない。
宗教法人よろしく信者数の捏造なんてできない。数では自信が持てない。
ではどうするか。はてな特有の武器はあるか。idだ。ではidをどうやって使う?
馴れ合いに、だ。
匿名文化には生まれ得なかったオピニオンリーダーたちを輩出させ、
そいつらに"繋がらせる"。そいつらと繋がらせる。
それにぞれに対応した権威付け方法がある。
つながり乞食の相互確認手段でしかなかったはずのこれらの馴れ合い手段。
しかし外から見た人間たちは誤解する。「ああ、こんなに人気があるのか」と。
「言われてみれば、正しいような気がする。面白いような気がする」
数が生まれる。決して人数は多くない。だからこそ徹底して教育してやる必要がある。
その教育施設として最も悪名高いのが「はてな村」と呼ばれる場所だ。他人の揉め事ほど面白いものはない。
エンターテイメントを売り物にする点ではそうはてサとネトウヨの手管に違いはない。
対岸の揉め事やネタを通して、信徒は論者たちのキャラに対しての理解も深め、やがては親近感を覚えるまでに至る。
畏怖憧れ尊敬同調蔑視性的好意その他様々なものが交じり合って人と人の結びつきは強くなる。(そのほとんどは「自分が一方的に深くつながってるつもりなだけ」だけど。だからオフ会で「お前は俺のことご存知だけど、俺はお前を存知ねぇよ」的なエピソードがばんばん出てくる)。はてサにとっての正しさとはつきつめれば「俺が信頼している○○さんが正しいから正しい」だ。信頼に強調打ってもいい。信頼
そして、敵がいる。ウヨにとっての在日だとかアカだとか、そんなヒキコモリにとっては想像上の生物でしかないよーな敵ではない。もっと卑近である種の親近感を覚えやすいやつらだ。ワンクリックでアクセスできるご近所さん。2chねらーだ。
はてなーは大抵2chからの流民だったりする。自分が前に所属していたグループを見下すほどの快感はこの世に存在しない。
そこからつまはじきにされた元いじめられっこなら尚更だ。
「尻の青いがきどもめ。貴様らはまだそんなところに這いつくばっているのか」
人はそれを高二病と呼ぶ。
はてサにとっての教化はまさにこのステージへの移行をもって完了とする。
あとはその状態をいかに維持するか。単純だ。延々とネトウヨをクソがきと馬鹿にしておけばよい。
そのためにはまず強力に「俺ははてサである」という自己暗示をかける必要がある。
だから彼らには"そういうこと(はてサであること)を認識しないまま~"というのは当てはまらないし、有得ない。
そう、はてサは常にネトウヨの存在が前提にある。自然、態度は後出しじゃんけんにならざるをえない。
"嘲笑"は彼らにとって義務だ。"ねちねちしたコメにスターをつける"のも同様。
互いに即座に代わりが聞かない存在である以上、仲間内で権威付けをしあわなければいけない。敵を貶めなくてはいけない、"摩擦"を起こせ。
ブクマコメがテンプレ的になるのも、コメ対象となる「問題」に常に「正答」が存在するからだ。はてサとしての100点回答が。
一億と二千回繰り広げられてきた問答で先輩たちが血を吐くような思いでひねり出してきた知識のリサイクル。
ああそうか、だからあんな他愛もない高二病記事に血圧上げてるんだ。
永遠の中二病でしかないにとっちゃ、まさに痛いところ図星なんだろうな。
はてサはちょっと人と変わったこと言ってたらそれが個性だと思ってるんだろうな。
実際は奴らの考えることは陳腐すぎるから同調する人間が少ないだけなのに。
個性なんてもんは、自分の畑で奮闘し続けてその挙げ句にようやく得られるもんだ。
「個性的」でなきゃ生きていけないなんて思いこむからおかしなことになるんだよ。
基本的に「だから何?」って笑い飛ばすべき話ばかりなのに、
こうやって過剰反応するから「言及しましたね!」っていつまでもからかわれ続けるってのが
全然わかってないんだなあ。
若い頃の自分を否定したいがためにいつまでも非モテ攻撃をやってるが、
はてサ攻撃の方がずっと面白そうに見えるんだがなあ。
いっそ、各主要登場人物が一人一要素を持たせて絡ませるのはどうだろうか
ごくごく平凡でも私小説足りえるだろうし、それが読みたいと思わせるかは別としてね
こんな感じでどうだろうか?
自分は論理的ゆえに、他人の感情を考えることが出来ないが、寧ろそれは理系で論理的な思考回路を持ち賢すぎるが故の現象であり、文系的な愚民どもからしたら欠点と写るのだろうが、論理的で賢い俺からしたら感情などというものが原始的且つ動物的なものであってそんなものは論理的な思考の前では何の価値もないのだー。
論理的に考える、しかできないのだよなあ。感情的ってどういうことだい?論理的に考えれば全て導かれる。それが正しく感情なんてものは論理的に導かれた結論からは排除すべきノイズに過ぎないよ。
とか考えて悦に浸っているタイプだな。おそらく高校生だ。中くらいの学校でちょっと数学とかが好成績になったので調子こいてるタイプだ。
そしてこういう奴に限って自分自身の感情は他人に読んでもらいたがったり実際読んでもらっているのだが周辺の他人のいなしかたが上手いのとこいつ自身が鈍感なためにそれに気付かずにいて、数年後、高二病から脱した後に、当時のことを思い出し、「あぁあああああみんなごめん……」と鬱ってるタイプだな。てかどんな俺。
論理的なんてたいしたことないんだけどね。基本的な道具にしか過ぎないし。論理的に考えても、正しい答えが導かれるわけじゃないのはとっくに証明されちゃったことだし、逆に今時これだけ「俺論理的(笑)」厨って珍しいよな。天然記念物に認定しようぜ。
人は見た目が○割だとか、世論は大体正しい、とか、大人の言うことと子供の言うことなら前者が正しい、とか。
まあ、きっとそうなんでしょうね。
で、それを声を大にして言う必要がどうあるのか、どうしても分からない。
大多数の事例なんか、どうでもいいだろう。言われんでもわかる。問題なのは、少ないながらも当てはまらないときに、それによって自分なり相手なりが損しないようにどう行動するか、ということじゃないか。
某掲示板で、中二病ぽい奴が親の文句を連ねてるところに何やら「自称大人」の高二病がやれ中二だはしかだと囃しているのを目にして、要は中二はその少数例を全てと解釈しているからおかしい言い分になる一方で、少数例自体を抹消しようとやっきになるのが高二じゃないかとかふと思った。
なら、痛いのは承知の上で中二のがまだマシだなあと。つーか、馬鹿だと思えばほっとけばいいのを、なぜ彼らは即レスで囃したてたがるのか。オレモナー
青臭い中二を笑って自分は物の分かった大人になったと勘違い出来るほどもう若くねえんだよ。
お前みたいの個人的には高二病と呼びたい。何もしない自分を肯定できる理屈を並べるオナニーがそれほど楽しいですか?
せめてオッサンの俺達くらいは正しいことを笑わずに正しいと認めてやれなくてどうするよ。
世に差別や不正が溢れているとして、そりゃ一凡人に出来ることは少ないが、開き直って加担するような真似は俺には出来んね。
どっちにしても、俺はそんなものを追認してないからそこだけは誤解するな。韓信の股くぐりと言ったはずだ。
古典の価値を主張するときの論拠にしてんだから完全に本気じゃねーかよ。
まさか俺から「文化資本」なんて単語が出るとは思ってなかったんだろ、油断してただけだろw
アジアで優秀な学生が欧米の大学に行くのは結構普通のことじゃないか?
あれ、どういう理屈でアメリカとイギリスが切り捨てられるわけ? お前が進学しなかったから? それじゃ結局「勇気がなかっただけじゃん」?
君こそ立派な西洋中心主義者じゃないか。
いや、俺普通に近代主義者だし、日本の古き英知なんぞ一切信用してませんよ?
欧米の近代主義の枠内で文化資本による格差は是正していくべきだとは思うけどね。
作品としてよいものはよい、それだけのことだよ。
音楽や芸術絵画を愛でるのと同様に古典文学を愛でるだけであれば何の文句もないけどね。
でも、多分お前はそのレベルでとまってる人だと思うぞ。
会話の感触というか、あてずっぽうで言うけどさ。情報工学を独学してねえ?
大学で体系的に学んだものとはどうも聞こえないんだよなあ。
というか、プレゼンのハッタリに使えるような「エスプリ」の効いた「教養」をひけらかしたいのなら情報工学はやめとけ。一番向いてない。歴史が短すぎて、君の用語法でいうところの「使い方」と「考え方」の分離がまだまだぜんぜん出来てない。
俺が言っているのは「大学でなぜ必修になっているのか」という話だ。だったら当然、「学問的な領域」の話が問題になっているわけだ。
これが他の学問なら多少は分かるが、情報工学はあまりにも実学だよ。大学でも、もちろん「使える」ものを教えているという側面が強い。
アホか。なんでスクリプト言語と比べてんだww
ていうかどうも話がおかしいと思うんだが、君の分類ではFORTRANはどっちに入るんだ?
普通はFORTRANは高級言語だぞ。Cもな(構造化アセンブラのようなものだと考える人もいるが分類上は)。
一つだけ挙げた例を全てだと思い込むような人を説得しようとした俺が馬鹿だったのかな?
他に何か一つでも具体例を挙げてから言う台詞だなあ。
なんか自分が普通じゃないと思ったのは中学生の頃だった。当時は邪気眼こそないものの、それはまさしく中二病であって間もなく鎮火、大学生になる頃にはいかに世の中を取り入れるかを腐心し始めていた。だから本格的におかしいなあと思い始めたのは20を過ぎたあたりだ。
学生は制限も無くチンタラと生きているだけなので別に困るようなことは無い。が、ぼんやりと問題が見えてき始めた。なんというか、人付き合いとか、価値観とかが合わない感触があるのだ。
人付き合いの点ではある種の相手の臆病さと猜疑心に失望させられてしまうということ。駆け引きと横並びの圧力が当然なんてちっとも良く思えない。価値観ではそんなのどうでもいいんじゃねえのというものを真剣に求め、自分にもその興味を求める。人それぞれでいいじゃん。
こういうと高二病とか大二病とかいわれるかもしれない。お前だって十分打算的だよとか、斜に構えてるだけじゃねえのと。そうかもしれない。所詮子供だったしね。でも今でも良くわからない。
まあ学生はそれでも良かった。別に困らないから自分と合わない人とは付き合わなければいい。おかげで平安だった。
社会に出るとまた違った圧力がある。日常を普通に暮らすためには様々な人たちとよろしくやっていかなければならない。書くほどのことも無く、当然のことだ。
しかし前述の通りなんだか合わない部分もある。当時は自分が幼稚で社会性が乏しいのだと思い、合わせることができるように少し努力してみた。ありていにはテレビでバラエティと野球とサッカーを見て話題を合わせ、イベントごとに飲みに行き、皆が振舞うように溶け込めるようにしてみたのだ。ささやかなことだが、それがオトナだと。
最初は上手く行った。なんだこんなことかと思ったりもした。実際に楽しいし皆と同じようにしている安心感もある。
しかし自分で意識から除外してきた鬱屈にやられた。徒労感みたいなものが蓄積され精神的に壊れたのだ。
すったもんだと揉めて会社を辞めて数ヶ月ぼんやりしていた。そしてやはり自分が子供なのだろうと反省していた。
その後反省を生かしてストレスを溜めないようにしながらも社会性を獲得するように再び努力してきた。また仕事を得て、結婚し、子供をもうけ10年が経ち、そしてまた壊れた。
今は何もする気が無い。
結論は無い。分からないんだ。普通は苦痛だ。でも社会性の無さを肯定できるほど子供でも無い。そう、特別な存在としての「普通でない」なんかでなく、平穏でない意味で自分は「普通でない」のだ。
大した願望があるわけではない。今の自分は普通であるための知識と付き合いに家族とローンと将来の備えと自分の動機以外で埋め尽くされている。そりゃ全部大事だ、だからなんだ。
妻は病院に行けば治るんじゃないかといってくれる。過労による一時的な鬱、確かにそうかもしれない。でも本当にそうなのか?
俺はオカしいんじゃないのか。普通じゃないんじゃないの。普通の暮らしを望むことこそが本当の問題だったんじゃねえの。ふつう、普通は幸せなんだろ?
もしもし、みんな幸せか?