はてなキーワード: 植木等とは
その名物ミートボールがたくさん入ったパスタを奪い合いながら食べつつ
でも、あのさらしで握るふんわりエアリーおむすびの回は神回よ!
そんでもって、
やっぱりワインをグラスに注いでくるくる回して香り高くコク深くワインをあからさまに飲むやつらはクルクルパーだって
そうおじいちゃんが言ってたわ。
イタリアではそんな人いないって!
超ウケる~!
パャッパ!
糖尿病になると言って怒られたー!
パャッパ!
っていって悔しいから、
東急ハンズの89階で買ってきた、
星形の型に流し込んで牛乳かん作ろうと思ったのに!
甘いの食べてると太るぞって!
サマータイムブルースを歌詞は知らないのでハミングで歌い始めたの。
きっと今でも私は渡辺美里ちゃんが西武球場を満杯にさせる実力は持ってると思う。
サマータイム導入までは!
そうシチズンが言ってた。
私は松嶋って呼ぶの。
そうしたら猫ちゃん「え?」私のこと呼んだ?って首をかしげるの。
16時までに行けば獣医に間に合う!って言葉はちゃんと理解できるくせに
だから外出て帰ってくるのは16時半とか!
おまえはおまえは!
そしてまた私が松嶋~って呼ぶとこっちに寄ってくるのよ。
「え、あなたのお名前オセロでしょ?」って言って脚4本持って、
もうほんとオセロだけにって角!って。
そんでもってオセロの他に、
笑っちゃうでしょ。
とりあえず「なんかあったら俺に言え!」って言うが口癖なのよ。
そんなこんなで、
ってもうそれブレードランナー2049を1作目から観る前に力尽きちゃうわ。
そんでさ、
ニューヨークで野田社長じゃない方のイエローキャブに乗ったとき、
私車内で目薬さしたのよ。
そしたら今まで超無愛想な運転手さん
「おめえそれドラゴンケース持ってるんか?おらワクワクすっぞ!」って
そこで意気投合!
「いや~テレビは終わっちゃって俺は悲しいんだ!次の冬の新作劇場版まで待てないぜ!」って
「なんてエキサイティングなんだ!」って言って喜んでたわ。
世界って広いようで狭いようで、
よく分からないわね。
うふふ。
3択の中からえんじゃう3択の女王竹下景子ばりに欲張っちゃうのよね。
あの蛇口周りの衛生面大丈夫かしら?と逆に敬遠してしまいそうなほどのオシャレさ。
一回試してみようと、
なかなか行けるわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「宮城エリアで、半澤直樹を始めとして、ドラマの視聴率が軒並みダウンしてる」というネタがあった。
仮にそうなら、「震災以降、不急不要の視聴を控え、選別視聴してるから」の仮説成り立つと思う。
要は「有限の可処分時間の配分」の中で、ドラマは「視聴リストラ」の第一候補となる(ニュースや情報番組より優先度低い)ということじゃないかと思う。
現代人は多忙で、多量の情報を高速処理する必要に迫られてるから、「情報摂取を最大限に効率的にしたい」。
だからいわゆる「フィクションの消費量」(ドラマ視聴率・映画視聴回数・小説読書量)は
10年20年のロングスパンで眺めたら、被災地に限らず全国的に低下してるんじゃないか?と思う。
バラエティー番組、雛壇芸人番組も、情報の質としてはジャンクフードみたいな情報でしかないし、
時に「ヤラセ」も混じってるが、一応は「情報」の一種ではある。
適当に2倍速・10倍速でスキップ視聴すれば、まあ役に立つと言えば役に立つ。
※「ドラマには情報がない」と書いたが、変な話だが数十年前のドラマを視聴するなら「情報」は取れる。
先日社内旅行で植木等の昭和30年代ドラマをバス内視聴したが、
「当時はキャバレーが流行ってた」「当時はサラリーマンもビル屋上で昼休みにバレーボールしてた」と言う「情報」が取れた
そもそも、日本のテレビ局は、相変わらずドラマを製作し過ぎているのではないか?
ドラマが本格化して既に30年、40年経過しているのに、過去の膨大なドラマストックを有効活用する、という発想もない。
自分に言わせれば、1局について「1シーズンに1本だけ制作」して、
他は5年前・10年前・20年前・30年前のドラマをゴールデンタイムに堂々と再放送したら、
今はどの企業も「投下資本に対する利益回転率」を要求されるから、
一からドラマ制作しても、25年前のドラマを再放送しても、同じ利潤を得られるのなら、
それとも、ドラマ製作部門の首切りになるから、そこまで出来ないのか?
テレビ局はいわゆるF1層をメーンターゲットにしてるが、F1層にとって、25年前のドラマは「産まれてないか、記憶にない」。
だからF1層をターゲットに25年前ドラマを放映しても「既にこれ見た」とクレーム受けることなく、初モノ扱いしてもらえる
植木等時代のドラマは、まだ高度成長前だったから、画面に描かれてる生活は今より明らかに貧しい。
だが25年前ドラマなら、今との違いは「ネットやスマホがあるかないか」の違いだけで、他は現代とほぼ同じだから、
ということで、日本のテレビ局は「ドラマは新作を作り続けなきゃならない」というナゾの思い込みがあるようだが、
他にも日本のキー局のゴールデンタイムの編成には、目に見えないルールのようなものが存在する。
例えば「20:30スタート」「21:30スタート」の番組はない。
「何を当たり前のことを?」と思われそうだが、韓国ではドラマを「火曜日の夜に放映、次回作を木曜日の夜に放映」と
週2回ペースで放映するらしい。
なので日本も「番組はウィークリーが常識」の思い込みは捨てた方がいい
30年前は「ゴールデンタイムの番組は、いわゆる「ジャストタイム」、21:00や22:00にスタートする」が不文律だったが、
ニュースステーションが21:54開始で不文律破ったため、なし崩し的にジャストタイムルールはなくなった。
SMAP が、随分長く人気を保っているけれど、その人気の持続の理由は何だろう。
考えあぐねているところに、ひとつ浮かんで来たのは、SMAP というグループの趣向は、少し前ならドリフターズ、その前ならクレージーキャッツが確立したスタイルと、よく通じ合うものだということ。SMAP の肌合いが、先の二つと表面的には、えらく異なっていて、いわば今風のおしゃれなものになっているから、それに目を奪われて、似ていることに気がつかなかった。
それぞれ息の長い人気というか、芸能界での一定の活躍を保ったことだけが似ているばかりでない。メンバーそれぞれも、似ている。中居正広は、ハナ肇、いかりや長介のポジションであるのは、分かり易い。木村拓哉は、植木等、加藤茶であろう。でも、植木等とは、さほど違和感を感じないが、加藤茶となると、どうか?。そこは、まあ、時代の違いとか、グループの趣向の違いということで。
>勘違いした「痛い奴」と思われ、人間性やコミュニケーション能力を疑われるのが非モテ・非コミュにとって最も回避しなければならない事態なので。
そのプライドの高さが非コミュ・非モテの特徴なんだろうな。植木等の映画でも見て「プライドってなんだ?」って考えてみるといいよ。
そういう奴もいるのかも知れないが、自分の知ってる非モテ、非コミュは違うなぁ。
勘違いした「痛い奴」と思われた結果、嫌われて相手してもらえなくなるのが彼らにとっての最も回避したい事態。
今そこにある繋がりをキープするのに必死で、プライドなんか気にしてるようには見えない。
草食系の彼についてなら、好きだよ、嫌わないよってメッセージを伝えるのが正道。
惚れたが負けよ、ごー苦労さーん!って植木等も言ってるよ(うそ
……
嘘をつくなら絶対ばれないようにするのが、人に対する礼儀ってもんだなとおもいました。マル。
梅田氏は今日本社会の中にいないから、そういうネガティブな文脈から解放されてて、
そのフラットな目線であの文章を書いたんだと思う。
で、反発多くて”なんで?そんなこと言ってないじゃん?”と不思議がってる感じがする。
大体同感なんだけども、梅田先生のこのスットボケた感じは単にアメリカンなんだと思う。
日本云々以前に、ある種憎まれても当然の"オプティミズム"だし。
まー911とか。コレ出すのはちょっと卑怯だけども。
ちょっと前に本人が"オプティミストとお気楽は全然違う"と主張していたけれども、
端からみると案外その区別って無かったりするんだよねーとか個人的には思う。
日頃から思ってるコトを書いてみる。
自分はフツーの会社員です。
カタカナの洒落た職業じゃありません。植木等の歌に出てきそうな典型的な会社員です。
フォトショ使えません。
イラレ使えません。
キャンパス使いません。
楽器弾きたいけど下手です。
絵描くのは好きですが下手です。
でも、いろんなデザインを眺めたり自分で考えてみるのは好き。
アーティストとデザイナーを一緒にするつもりはないんだけど、ああいう人たちは一般人を排他するような目で見るのだろう。
間口が狭いというか、オープンでないというか。
あるクリエイター系SNSに入ってみたく招待状を下さいと親しい人にお願いしてみたが。
「君は一般人だし、そういう職業に就いてない人は招待できないよ」
と言われた経験がある。
そういう職業てなんだ?
そういう職業って。
クリエイター系って偉いのか?
貴族か?
そういう職業の人に限って一緒に飲むと「デザインがさー」、「あ、デザイナーの方ですか、お互いコラボできませんか?」、「アーティトって・・」「イラレで加工して・・」「モリサワが・・」「SOHOで・・」「XOOPSが・・」「CSSが・」「セッションしません?」「いや、あのサウンドはね・・」「Macで・・」って話が出てきて。蚊帳の外にされててしまう。
特にこういう人等(自分が会ってきた中では)はMacの話に目がない。Macを使ってるから会社員の君とは住む次元が違う・・ってな顔をされる。
いや、Macぐらい知ってますよ。
Macぐらい。
普段はWindowsで仕事柄、自宅でMacはUNIX系OSサーバとしてTerminalからしか使ってないけど・・。
SmallOfficeHomeOfficeって。
そこで「普通の会社員ですけど、そういうのも興味ありますよー。」って答えたらなんだか会話が止まって蔑まされた目で見られる。
「●●(陶芸、作曲、小説、建築・・)家です」「●●デザイナーです」「アーティストです」「ライターです」とか最初に言うと目の輝きがお互いに違うのに、「会社員です」って言うと「はぁ・・そうですか・・」という目で、その後の会話が弾まない。
こちらか話を振っても「はぁ・・」「そうなんですか・・」とか興味なし。
勿論、アートとデザインって、それぞれ根本的な部分で違うのだろうけど。
共通するコトは「自分たちは、会社で働いていてもSOHOでも、肩書きは会社員とは違う」という見えないフィールドを張っているというコト。
彼等が叫ぶ中でそうも聴こえる。
デザインを色々見たり自分でも作ってみたいと思っていたりはするのだけど、デザイナーは嫌い。
アートを見たり参加したりするのは好きだけどアーティストは嫌い。
なんか自分がこういう態度じゃ余計ダメなのかも知れないけど・・・。
なんで、ああいう人たちは間口が狭い考え方をするんだろう。
以下から始まる当記事ですが、どうやら注目されているようだ(?)。せっかくなので、話の流れが読みやすいように言及記事を要約しておく。元の記事の作成者さま、著作権などで問題があったら何かしらの方法でお伝えいただきたい。
格差や下流というものの実感がない。年収200万以下と聞いて理由がわからない。
普通の家に生まれ、公立の小中学校に通い、高校受験は公立に落ちて私立の男子校に行き、大学受験も落ち、浪人した。ゲーセンばかり行き、週に授業を4時間(コマ)しか受けない生活をしていたら、センター試験で酷い点を取り、それから1日に18時間ぐらい勉強してMARCH(明治 青山 立教 中央 法政)の下位に合格。
インターネットが流行り、毎日チャットやネットゲームをして夜型の生活をし、毎日バイトして、パチンコしていた挙句留年。3年の年明けぐらいに就職を意識して危機感を感じ、就職対策の勉強を必死でやり、大学主催の就職セミナーや体験面接に全部出て研究し、早期に面接を実施する企業を練習台にするような就活の結果、社員6000人くらいの大きな会社に就職。
4月から4年目で、今年収が500万ぐらい。
流されて生活してて失敗ばかりしていて、頑張ったのは浪人のラストスパートと就職活動のみで、それでこれだけ貰ってるから、自分より収入が低い人がいる理由が理解できない。周りの友達もそんな感じ(要約注:友人たちの年収は、500万円なのか、それより低いのか、どちらなのか読み取れなかった。「そんな」ということは校舎かもしれないが、細かい文法にこだわって書かれた記事でもなさそうだから)。
毎日早くから仕事して家には寝に帰ってるだけくらいの生活で年収200万と聞くと理由がわからない。本当なのか疑ってしまう。
もしかしたらこういう俺みたいな人間が格差を生み出してるのかもしれないなぁ、とちょっと思った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//anond.hatelabo.jp/20070312004915
まぁ、そういう意味での既得権者ってのは多いんだろう。っつーか、はてな界隈で文章ものして目だってる人の多くにもそういう既得権者のにおいがする人は多い気がするのは、偏見?
既得権ってなんだよ?実際にリアルタイムで生産行為を「実際に行いながら」生きてるんだよ、「いま社会に貢献」してるんだよ。そんな奴と「これから何かやるかどうかわからない奴」に同じ評価がなされるとでも思ってんのか?
この人は「生まれつき天才でほっといたら勝手に大学に受かった」わけじゃないんでしょ?朝青龍じゃないが、「勉強して頭をよくしたら悪いのか?」って感じ。
たらればはマジでどうでもいい。この人は理屈の上で生きてるんじゃないんだ、「実際に勉強」して「実際に大学に入った」んだ。運とタイミングが良い奴は、運とタイミングが悪い奴に対して悪いことをしてるのか?あと蛇足かもしれないが(こういう蛇足は絶好の揚げ足取りポイントだぜ、みんながんばれ)、脳科学や心理学で言えば、運やタイミングは、肯定的な思考回路や「実際に行動してみる」みたいなものにくっついてくるんだ。茂木ケンイチローの本にだまされてみればいい。
なんだかんだいっても、ここぞというときに頑張っている人は強いかも。
かも、じゃない。実際に行動してる=強い、なんだ。少なくとも“下流”ではない。“上流”に行くにはもう少し工夫がいるだろうけどな。
これが一番腹たった。大学生だろ?で多分文系なんだよ。はっきり言って、授業出なくても単位がとれる。ちょっと工夫してバイト選びすれば年間100万円くらい楽に稼げるんだ。大学生にもなって親の許可がないと行動が取れないのは、それはまぁ育ち方だから本人の責任とも言いづらいが、所与の環境を言い訳にしてる限り“下流”は抜け出せないだろうよ。これは俺の経験則だから論理的に納得させることはできないけどさ。
リアル植木等か。 ま、これはこれで仕方ないと思う。文章から下流を見下す臭いがない分健全かも。 俺は逆に上場企業就職しても薄給の友人が目の前にいるから実感したわけで。
下流を見下してない、これは本当に大切なことだと思う。俺はいまカナリ頭にきてるから文章が荒れてるかもしれないが、人を選ぶときに過去は問わないことを信条にしてる。現在、いま、話をしているその瞬間に「工夫」や「行動」をしているか、体が動いているか、顔の筋肉を使っているか。一時間後に自分の思いをカタチにするための最適な行動を自分の頭で考えて、「めんどくさい」とか「周りから見たら痛いだろうな」とかそういう意識をどうにか振り払って、「実践」をしているだろうか。そればかり考える。評論家がダメだとは言わない、行動を伴う評論家は強い。しかし名が知れている評論家を全て見渡しても、行動を伴わない評論家はほとんど居ないんだ。
…なんか生まれて最大の速度でタイピングしてるかもしれない。日本酒って凄いな。
また所与か。「生まれつき」とか「育ってくる間に身に着けた」とかか。過去しか見ないのか。あなたに現在や未来は無いのか。要領や世渡りを何かしらの方法でいまから身に着けようとは思わないのか。単純にめんどくさいだけなんじゃないの?そんなの言い訳にもならない。言い訳なんて聞かないけど。俺は、今からどうするかしか興味は無い。
こんなもんだろうと思う。私事だけど、学生時代にバイトしてなかったら「大学に行かない世界」は多分未だに理解できなかった。 こういう物がそこかしこにある事、それにより視点は幾らでも変わる事の認識は大事。
俺の受けた印象と近い。視点(価値観)が固定的なものでないと表明していて、その点は特に強く共感する。
よく読むとこの人ポイントを押さえて努力してるし結果もだしてんだよね。だから有能な人なんだと思う。さらに読むと中流以上の家庭なんだなってことが判る。これぞ格差社会。
俺の中で「能力」の定義は「現在進行形で成果を出し続けていること」だ。過去にタイミングよく努力して成果を出してきた人はこの意味での「能力」を「持っていることが多いという傾向にある」のは事実だと思う。しかし中流かどうかは知らない。嫌な奴だったが、大学の同級に生活保護家庭の奴が居たが、そいつはスロットで稼いで学費を捻出した上に家にカネまで入れていた。親の収入と子の「デキ」に、マクロなデータ上で相関があるのは事実だが、それは個人個人を見るときに考慮すべき話ではない。個人の力は凄いんだ。凡人だってちょっと変なことを延々しつづけて生きていれば、それだけで歴史に名を残せるんだ。
早熟?欠陥を持った自意識のことかな?「自分は考えすぎる」と思っている奴ほど、はっきりいって世間知らずで考えたらずだ。同じ方向性でしか思考ができないことは恥ずかしいことなんだが、小学校でヘンテコな定義の「平等」や「個性」といった言葉で洗脳されてしまうと結構あぶない。しかし「いま」「実際に」「体を」「動かして」「実践」すれば人生は変わる。生きる方向は自分で考えればいいし、自分らしさとかそーいう言葉に不安を感じるんなら、どっかの偉人の伝記買ってきて、それをそのまんまパクって実践してみればいい。カーネギーの人を動かすでもいい、GTDでもいい、なんでもいいから、自分の外から「具体的な手順」を探してきてそのまんまパクって実践してみればいい。ダメだったら諦めて別のことをやってみればいい。何もしなけりゃ人生が変わる可能性は低い。宝くじに当たるようなこと期待して生きてるんだとしたら、それは「バカ」だって客観的に認識したほうがいい。できることなら主観的にも「これはバカげてるんだ」って感じたほうがいい。
こういうタイプの奴が中小企業に就職したらどうなるかわかるかい?周りがしていない努力と工夫を実践することで、すぐアタマひとつ抜けた奴になるのさ。成果が出せていないのは「工夫」と「実践」が足りないだけだ。わかってないのはおまえだ、と言いたいけど別に俺は自分がそこまで言えるような立場にないな。
この感覚はわかる。そういう体感と、情報のギャップに違和感とか覚えず感覚だけ信じていられれば、自分が転落するまでは幸せな人生が送れると思ふ。
転落?なにか失敗したとしても、この人は挫折とは感じないだろう。問題を単純化して、作業をこなすようにそれらを解決していくだろう。体感は固定的なものでもないし、外部的な情報(たぶん社会とか、環境とかのことだろう)は、自分が働きかけていくことで変えていけるもんなんだ。これも経験則に過ぎないけどな。
格差社会 ポイントとして、(1)スタートで恵まれている、(2)それほど有能そうではない(アンテナ、想像力)、(3)年収が少ない人にも問題があるのかもしれない、(4)能力的問題はないが家庭事情や運などがある ほか
3だよ。スタートや家庭や運なんて、関係ないとは言わないが、「いま行動を変えれば」近い将来が変わるだろう。
あー。この感覚わかる。この場合でだしの「普通の家」って時点で多分恵まれてるんだよな。
だんだん冷静になってきた。まぁ正直、「自分を変える」タイミングに恵まれているのは親が「有能」な場合が多いだろう。傾向があるにすぎないけどな。
無知はオメーだ
過去も実力のうちだろう。就職活動で使った労力によって今の立場があるんだ。そして、今の能力を手にしているんだ。うえで書いたとおり、辞めても彼はニートにはならないだろう。だって彼は、行動しちゃうんだもん。体が動いちゃうの。いままでの経験で培った能力までも含めて「既得権」って言うつもりか?「いま」「体を動かして」「実践」している彼の個性そのものを「既得」だって言うのなら、そりゃあもう、どーしようもないわね。
「機会の格差」ってやつはかくほどに不可視なのか
機会なんて自分からいくらでも得られるだろう。世の中の多くの上級企業は、全ての社会人に開かれたセミナーや勉強会なんかを開いている。人脈だって作れる、スキルだって身につく、知識や知恵やモチベーションだって得られる。ただし、自分が「実際に」「参加」すればの話。しないんじゃ、仕方ない。言い訳のしようがない。してみればいい。してみればいいじゃん。してみようよ、実践。チャンスはさぁ、タダでごろごろ転がってるじゃん。現実を確かな自分の目で見てみたらいい。
世の中にはびっくりするほど無能な人間が結構いる、ということを分かっていなければならんよ。そういう人間はネットで発言したりしないし、知識人はそこを見ようとしない。格差の問題ではなく無能者の福祉の問題だ。
完全に同意だ。教育で最低限のコミュニケーションの手順ハウツーさえも教えないのは日本の欠陥だろう。しかし国に頼らなくても最近は社会的企業家くんたちが居たりする。まことに頼もしいものだ。
きっと巧妙に隠されてる、もしくは自分が見ないようにしてる かもです。よく見てみたら、電車に乗っている人たちの中とか、町歩いてる人とかに、いるとおもいますよ。
どこにいるかわからないというのは、元のエントリーを書いた彼の見落としだろう。たとえば場外馬券売り場、パチンコ屋。ただ、家にこもってる奴が目に付かないのは当たり前のこと。
日本型経営は新卒採用絶対主義なので。新卒時の就活で成功すれば"終わりよければすべて良し"となり、逆に失敗すればそれまでうまくいっていてもすべてご破算
世間知らずだと思いますよ。自分の経験からくる知識が全てだと思わないほうがいい。
就職のときに逆転してるパターン。3年目で年収500は優良企業でしょ。公務員とかでもそうはいかない。/他はおいといても受験と就職で努力しているのは効率いいな。
受験や就職で労力を払うというのは、普通の人生から考えて妥当なタイミングだろう。妥当なタイミングに妥当な努力をすれば、妥当な生活を得られるのは当たり前のことじゃないか?私の恩師は「必要なときに必要なことをすれば、あなたに必要なものはたぶん得られるんじゃないですかねえ」なんて言っていた。
頑張ったらうまくいったからといって、頑張れば「誰でも」うまくいくとは限らない。椅子とりゲーム状態では全員が同じくらい頑張っても座れない人が出てくる。
がんばらなければ普通はうまくいかない。「頑張る」気力があれば、価値観に重大な欠陥が無い限り“下流”には落ちないだろう。仕事は椅子とりゲームではない。椅子を作ろうとする人間はチャンスを自分から作り出せる。これはちょっとした意識の違いにすぎなくて、一冊の本によって変わりうるような部分だ。「マニュアル人間」なんて言葉にだまされて「啓蒙本を読むような人生は嫌だねー、プwww」とか言ってる限り、それは自分に限界を作ってるだけだ。本を一冊読むくらいで完全に崩壊してしまうようなチンケな個性しか持ち合わせていない人間など居ない。ためしにやってみる、これくらいの行動力はちょっとした意識の切り替えによって拾うことができるものだ。
こんなにネチネチと書き綴ったのは人生で初めてだ。他人のことにすぎないけど、でも私はアンタラと同じ社会に住んでる。私が社会に貢献すればあなたたちが良い暮らしをできるし、アンタラが社会に貢献すれば私の暮らしが良くなる。社会でのポジションを相対的なものだと思わないほうがいい。他者がある地位を得ているから自分がその地位を得られないんじゃない、よそはよそ、うちはうち。
家庭内の家事にでもたとえてみようか。4人家族のひとりが家事万能でぜんぶこなしちゃう家と、1人が家事万能、ほかの3人も向上心を持って家事を担当してる家と。アンタはどっちの構成員になりたいのか。
最低限のルールにしたがっていれば、行動をする限り、また100人居る中で最悪くらいのよっぽどの環境に居ない限り、アンタに絶望は無い。
[追記][これはひどい]
風呂はいってあがって読み直したらなんかウソばっか書いてあるな、この記事。啓発本てw読んだことねぇwあったとしてもヤンサンに連載してる山田玲司の絶望に効くクスリくらいかw中谷アキヒロとか立ち読みしたことあるけど、うん、あれはキモい。彼の本が啓発本なのかどうか知らんが。
まぁグズグズして何もできないようなひとは、一冊くらい読んでみてもいいかもしれんけどさ。読みすぎて目が据わったような表情になると宗教くさくなって周りからキモがられるから、成功から離れたりしちゃってなw
ただまぁ、いまでも同じ主張をしたいことっつったら、流行りみたいだからどうしようもないのかもしれんが、「痛い」とかいう概念で「いま」の「行動力」を制限しちゃうのは割ともったいないぜー、って部分だな。行動を伴わない思考のみからは何も生まれないってことくらいは理解しとかないと、だまされる。誰かしら尊敬できる有名人とか居るだろうけど、その人のことをよく観察したほうがいい。もしかしたらそいつ、甘美な言葉を発してアンタから好意を受けることで儲けてるのかもしれない。そいつが主張してるようなことを、そいつが実際にやってるか、確認してみたほうがいい。価値観にもリテラシー意識を持たないと、いろいろね。だまされるからね。
あと、なんか上でコメントにいろいろ文句つけてるけど、文脈理解してなかったり前提を誤解してたりするようで申し訳ない。思い込みから生まれる非難はみっともないですね。気をつけます。
[ハテブ]
くれくれ論批判か。たぶんオレの現在いる環境のほうがこの人や元エントリの人より良いわけだが・・。 格差うんぬんについては長くなるので ⇒(リンク先も全部読んでね) http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35314889.html
現在いる環境とかどうでもいいっつってんのに。こいつほんとにいい立場に居るのか?未来志向の人間がこんなこと言うとは思えないな。「リンク先」は人に読ませる気のある文章だと思えない、私流に言い換えれば工夫をしようという意識の感じられない文章だ。10行読んで前提が見えなかったので、申し訳ないが「読んでね」という依頼は丁重にお断りします。ごめんなさい。
発言責任を明確にして恥ずかしくない文章ならば、ハナから実名で世間に公表してます。別に酒飲んでたから書いたわけではありません。一部の考えなしなフレーズはそうかもしれないが、別にコレを書いたのがリアルでの私であると特定されたとしても、私は胸を張って「そうです、書いたのは私です」と認めます。内容が内容だけに、バレたら恥ずかしくはあるが、無責任に基づいてなした記述ではありません。
自分の見た世界が社会の全てだと思い込んでいるのではないかというような反応もあるけれど、そんな思い上がりはしていないつもりだ。「出発点」とか「能無し」とか、そんな概念は取っ払う工夫をしたほうがいい。現時点まででどうかは関係ない。どれだけ経営が苦しい企業でもどんな変わった共同体でも、そこが何かしらの価値をもつ集団である限り、集団に対して「貢献しよう」と「頭を振り絞って考えながら」「思いついた」「行動」を「逐一」「実践しようという姿勢」を「見せている」人間を排除したりはしない。頑張っているのに排除されたとしたら、それはおそらく、あなたの価値観が根本的に社会に不適合であるか、その集団がそもそも存在価値が無いかのどちらかだと考えればいいだろう。
どちらにしろ、その時点からの自分がとる行動によって、その時点以後の人生は変わる。そこに気づけるか気づけないかが分かれ目だ、とかじゃない。そんな考え方の人間がいるということを「いま、あなたは目の当たりにしている」のだから、いまこの瞬間のアンタにとって妥当な行動は、「ほんとにそうかな?」と公平な視線で考慮してみることだろう。その上で「こいつが書いてることは宗教的で洗脳行為のようなものだ、絶対に自分は認めない、自分は自分の考えに基づいて生きる」と思うのなら、そうすればいい、そうしてくれれば私は嬉しい。それこそが私の本望だからだ。
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