はてなキーワード: カルガモとは
けものフレンズ2が不評だ。
もちろん前作監督信者の大暴れによるところも大きいのだが、けものフレンズ1の続編と見た場合根本的欠陥があるのだ。
え、それって悪いの?
となりそうだが、悪いのだ。
けもフレ1の支持者にとっては致命的に。
他人との衝突を産みうるだけの自我を持っているのはツチノコ、トキ、アライさんぐらいで、
あとは結局は漠然としたいい子である。(アライさんも本当はこちらに含めてもいいかもしれない)
表層的な口調や軽い行動の違いはあってもまともな意味での意見の相違や対立はないのだ(ライオンとヘラジカのあれが対立? またまたご冗談を)。
逆に完全悪もいる。
(他の媒体のけものフレンズでは必ずしもそうではないが)1のセルリアンは全く同情の余地のない絶対悪でのけもので排除の対象である。
軋轢の生じえない群体があり、それに排除される絶対悪だけがいるのがけもフレ1なのである。
「悪」と決めた相手に徹底攻撃をかけた現実のけもフレファンたちと同じように。
だからカルガモやイルカアシカのこだわりは主人公たちを足止めし、
なんという汚い連中だろう?
第1話で巨大セルリアンからキュルルたちを救ったのもまたビーストである。
かばんの「あの子たち」という呼称や口ぶりからも排除が当然の「絶対悪」ではない 。
なんという裏切り!
フレンズたちはまるで自我が存在しないがごとき仲良しこよしで、
あの素晴らしいジャパリパークを返せ!
こんなの、けものフレンズじゃない!
だからけものフレンズ2のブルーレイは売れないだろうし、これからも叩かれ続けることだろう。
それは残念ながら間違いないことだと思う。
1を買っていない僕は予約したが。
雑文になるけど、思いつく限り書く。
これが一番きつい。
「サーバルはなんでもすっごーいと褒めてくれるキャラ」ではあるけども、流石に程度がある。
なんでそう感じたのか。
1で「すっごーい!」とサーバルが言っていたのは自分が記憶する限りでは、セルリアンを打ち破っただとか、カバンがフレンズの間を人間的マネジメントで取り持った時だと思う。サーバルが「はえ~さすが人間さんすげーわ。」ってなった時にいってたように感じる。
2のサーバルはなんというか、自分が考えつかなかった事全部に「すっごーい!」を言ってる気がする。遊具を直すだとか、扉が開くだとか。1で言う所の「パークの地図を見つけた」部分にも、2のサーバルはすっごーいと言ってそう。
もうそれが「サーバルはなんでもすっごーいと褒めてくれるキャラ」という記号化に思えて仕方がない。
ちょっと気持ち悪い言い方をすると、1のサーバルは聖母だったのが、2のサーバルはキャバ嬢だという感覚が鼻につく。
絵は2の方が可愛いと思います。ぶっちゃけ1のサーバルはチープすぎた。
化粧を覚えて、世渡り上手になった幼馴染サーバルを陰キャの俺は目をそらすことしか出来なかった。
レッサーパンダですね。
いや、レッサーパンダが見栄っ張りで後先考えない子っていう風にするのは良いと思う。
でも、なぜそういうキャラにしたかっていう説明ぐらいはほしい。そういうのを旧しんざきおにいさんのコーナーや現ナショジオのコーナー(以降、CM前解説)でやるべきなんじゃないのか。てか、その話のそのコーナーで関わりが深かった方を出すべきで、「パンダとパンダ」だからCM前解説はパンダではなく、レッサーパンダが強烈に主人公陣に関わってきたんだからレッサーパンダをやれよ!と言いたくなった。
なんでレッサーパンダが自分を地味だと思っているのか、見栄を張るのか、後先考えないのか。そういう性格の補完を現実の動物からできるのがCM前解説の役割なんじゃないかと、思うわけ。
レッサーパンダ自体のモデルはかわいいとおもいます。特に首のもこもこがかわいい。
あー、描いてくれたらなー、描いてくれたら、コミックマーケットみたいなところで買うんだけどなー、あー、誰か描かないかな。
セルリアンが居たので困った、フレンズの特性発揮!問題解決!みたいなのが見ていて気持ちがよかったのに。
カルガモが引きつけて、なんで無事だったのかみたいな描写もほしかった。
カバと比べてしまうと、「カバは顎の力がすごい」と「カルガモは雛を守る時、敵を自分に引きつけて飛んで逃げる」は絵だけでわかりやすいのはカバだから仕方がないだけに、カルガモの特性にまで話を割いて上げてよかったんじゃないか。
CM前解説で「カルガモは雛を守る時、敵を自分に引きつけて飛んで逃げる」って言ってれば、カルガモの行動を見た視聴者は「あ、これナショジオで見たやつだ!」ってなったのにもったいないなと思う。まぁ、1話だから仕方がないけど。
なんかこれ、さっきの項目で書くべきだな。
いる。(強い肯定)
としか言えない。自分はツンデレが好みだからいるとしか言えない。
これならいっそ、サーバルじゃなくてカラカルとキュルルにふたり旅をさせて「けものフレンズ1はサーバルとカバン、けものフレンズ2はカラカルとキュルル」っていう風にしたほうがカラカルがもっと輝けた気がする。
いる。(強い肯定)
なんというか、アライさんとフェネックは「カバンは一体なにものなのでパークではどういう風にカバンが見られているのか」を補完してくれる存在だったように思うけど、なんというかアライさんとフェネックが人気出たから後追いをさせてる感が強い。
最後までは見る。
最後までは見るが、最後まで見てけものフレンズ1と比べず評価しろと言われたら、それは無理。
なぜなら全く新しいけものフレンズを提供してくれればそれも出来たのに、1に沿わして作らている以上、そんなに比較してほしいのか、となってしまう。
もっと簡潔に「ワクワク感がない」といってしまえばそれまでなんだけど、自分もなんでそう思っているのかを一度吐き出したかった。
思い返してみると、センター街は臭かったが渋谷が平和だったのは80年代中盤くらいまで。
後半になるとチーマーが現れ、
(まあ、初期のチーマーは高偏差値の付属校に通う高校生だったのだが)
商店街の人たちは頭を悩ませてセンター街をバスケットボールストリートと命名したがセンター街は相変わらずセンター街である。
谷っていう地名の通り、一番低い渋谷駅周辺に向かって大小の放射状の道が集まってくるあの地形ね。
で、いっそのこと、盛り土をして渋谷駅を海抜100メートルくらいのところに作ってはどうだろう。
今のスクランブル交差点はそのままの場所に遺跡のように残して大騒ぎしたい人の為の場所にしてしまえ。
ホンモノの魑魅魍魎みたいだしバイオレンスジャックの第2部、大地震の東京駅に残された人々みたいでカッコいい。
その姿をガラス越しに水族館風に安全なところから入場料とって見せたら渋谷区の財源にもなるぞ。
テレビのアナウンサーも和やかにカルガモの親子のことみたいに季節の話題として今年もハロウィンになりました、渋谷では今年もハロウィン餓鬼たちが大騒ぎしてますって話すよ、きっと。
数人が写真を撮っていた
引っ越ししていたのかもしれない
そこは東京のど真ん中、某緑地の隣だが、緑地には高い壁があり、飛ばないと入れない状態だった
雛は私を見ると一目散に道路の曲がり角、隅っこの草の陰にうまく隠れた
私はそれを見送って、15分ほどカルガモの親を探してみた
気温は30度を超え
黙ってるだけで汗が吹き出るほどだった
カルガモの親はどこにもいなかった
そりゃそうだ、2時間も経ったらあの歩みでもどこへなりいけるだろう
私は途方に暮れた
まるで責められているような気分だった
思い起こしてみると、あいつらははぐれ過ぎだ
虫でも動物でも、親子であれだけ適当な移動をするやつが居るだろうか
せめて大量に生むならわかるが、親鳥の後をついていく雛はせいぜい数匹だ、ならもっと
そこまで考えて私は家に帰った
家は目と鼻の先だった
きっと誰かが連れ去ったのだろう
そう考えることにした
例えば、ドラクエ1の容量は64KB
つまり、64KBもあれば、曖昧な形でぼやかした一つのストーリーは盛り込めるということだ。
DNAの容量はおおよそ800MBという。
また、カルガモは生まれてすぐ生まれた時にすぐ近くに動くものがあればついていく。それから、無意識に恐ろしいと思うものがある。異性の性器は見る前から興奮する。
これは先祖がこれは恐ろしい、好ましいと思ったことを受け継いでいるのではないかと。
つまり、先祖が感じたことは一定遺伝子に乗って今の代に生きているのではないかと。
それから、一卵性双生児は趣味嗜好が似るということも間接的にこれを示唆している。一卵性双生児は受精卵の段階では完全に親からのデータは同じものだからね。
胎児の夢という仮説がある。もともとはドグラ・マグラという小説の中にある架空の論文である。
ヘッケルの反復説という説をもとに拡張したもので、生物はすべて受精卵から育つまでにそれまでの進化の歴史を反復するというものだ。
もちろん立証する方法はない。
あえて言うのなら、親が子供を作るまでの経験が子供に活かされるか?という立証だが、撹乱要因が多すぎて科学的立証までに至らないだろう。
やるとすれば、非常に世代のワンサイクルが短い生物(例えばハエとか)について、片方には特定のストレス(音を鳴らすとその直後に弱い毒ガスが撒かれるとか)、もう片方にはそれがない。
という試行を、何十世代も繰り返した後、とある世代で、その代では音の直後に毒ガスを流さないでその音を流して比較するとストレスの物質はどうなるか?
なんて実験をしたら行けるかもと思う。
時間と手間がかかるし、僕は生物の専門家ではないので、僕自身もできない。
わかったところでメリットないどころか優生学に使われかねないので倫理的に否定されそう。
金もってって来れなさそうな割には時間がかかるのでカネがかかる。
そう考えると、「魂」と呼ぶものは、自分の生まれるまでの親、祖父母、その他の祖先の感じた経験などが無意識下で合わさったものではないかと考える。
この現代語訳の初出がどこなのかわからないんだが、自分用に転載。
2,3歳の幼女が走って来る途中に地面のゴミを見つけて、ちっちゃいおててで「はいっ」と見せるのモエス。
おかっぱの前髪をかき上げないで、首を斜めにして向こうを見ようとしてるのもアホカワイイ。
ちっちゃいお坊ちゃんがスーツ着せられて歩いたり、幼女が遊んでいるうちに腕の中でくーくー寝るのもスゲェ萌える。
しがみついてんだぜコンチクショー。
まぁ、ままごとの道具や水草の葉っぱとか、小さいものはみんなかわいいといえるな。
二歳くらいの子供が服の裾を引きずって部屋から出てくるのはタマラン。
袖が長すぎて指先だけちょっと出ているってのもピンポイント萌え。
10歳前後の男の子が、学校の授業で教科書読んでるのもけっこう萌えるシチュエーションだな。