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はてなブックマーク - 統計の不備と、各種統計の「相関」の話 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/cruel.hatenablog.com/entry/2019/01/26/074557
https://cruel.hatenablog.com/entry/2019/01/26/074557
やれやれ。まるで柳下がするどく不正を見抜いていた、それを一方的に切り捨てた山形は愚か者だ、と言いたい人が多いみたいだ。
だけど、柳下が発言した時期をもう一度よく見直してごらんよ。これは2018年6月に投稿されたものだ。
つまり、これは公文書の改ざんとかがニュースになっている時期につぶやかれたものだ。今回の政府統計の不備の発覚とはまるで文脈的に繋がっていない。山形を批判している連中は、ここを錯誤している(あるいは意図的かもしれないね)。
仮に柳下が政府統計を調査して、こことここがおかしい、何か間違っているんじゃないか、と言っていたんだとしたら、それは山形の目が節穴でした、見抜いた柳下はえらい、となるだろう。
しかし、現実はそうじゃない。柳下はモリカケ問題のニュースでも見ながら、安倍政権って信用できないし、アベノミクスもなんか不正しているんじゃないの、とただの思いつきを口にしたにすぎない。エアコンの効いた部屋で安楽椅子に身を沈めながら、脊髄反射的にスマートフォンをいじって、嫌みを言ってやったと悦にいっているだけだ。そんな思いつきは検討に値するものじゃない。
それを「柳下は不正を見抜いていた」とありがたがっているなんて、ただのお笑いぐさでしかない。
これは例えるなら「アインシュタインって舌だしてふざけているし、相対性理論もいい加減なんじゃないの」と言っているようなものだ。これに対して、「たしかにふざけているから、何かおかしいのかも」なんて思うやつはいない。
柳下の発言をよく読んでごらんよ。印象論で嫌いな人間を腐す姿を見せて憚らない、ただの恥知らずじゃないか。
ネットの住民たちはそんなこともわからないのだろうか。かわいそうに。これは単に不正があった、なかったという話ではなくて、知的誠実さの話なんだ。
しかし、どうやら伝わらないようだ。ぼくは天を仰いでしまったよ。これは今のネットで起こっているサイバーカスケードやエコーチェンバーとも通じるもっと大きな話なんだけどね。
普段は老害丸出しのうるさいジジイ読者ばかりの投書欄が週に一度だけ小学生から高校生の投書のみ掲載する日があり、
ある日暇潰しで読んでたら俺と同じ中2の投書で「ぼくは、お米が好きです。お米は日本人の誇りだと思います」なんていう誰でも書ける幼稚でアホみたいな作文が乗っており
このレベルで掲載されるなら俺も楽勝だろう、と掲載されたら貰える図書カード3000円目当てに送った。
もともと深夜の芸人ラジオや雑誌の読者投稿大喜利コーナーで度々採用されていたので、こういうのは採用される自信があった。
俺は、それが学生時代の青春と言い切れるほどお笑いが好きで、小学生の頃から爆笑オンエアバトルを毎週チェックして漫才・コント・落語にのめり込んでいたのだが
小学校時代にめちゃイケのワンコーナー「しりとり侍」での、しりとりに失敗すると袋叩きにされるという演出が批判され放送中止になるという出来事があり、
それを元に「俺はお笑いが好きだが、これは暴力であって笑いではない」みたいなことを国語の作文の授業で書いたら
矢鱈と先生にウケがよく、プリントアウトされ全校生徒に配られ、それをもとに議論するみたいな特別授業までやらされて、「大人が求める文章」というのもなんとなくわかっていた。
で、小学校の時に書いた「お笑いは好きだがバラエティーの暴力描写はダメだ」的な内容を中2なりにリライトしたものを投書したら見事に採用され、俺の投書が朝刊に掲載された日、学校に行くと国語の先生と担任が滅茶苦茶テンションあがっておりべた褒めされた。
自宅にも、普段滅多に合わない色んな親戚から電話が次々かかってきては褒められた。
数日後、新聞社から待ちに待った図書カードと共に編集部による俺の投書への評が届き、
「きみの観察眼は見事だ、思い起こせば今のテレビのお笑いがこうなったのはタモリが登場してからであり~」で始まる、終始タモリdisをしている謎の内容で
「いやいや、確かにタモリもドッキリ特番の司会やってたみたいだけど、バラエティー番組を過激にしたのはどちらかって言えばたけしでしょ」と、編集部のオッサンはどこかズレていると思った。
そんな俺の周りでの新聞投書フィーバーが過ぎ去った数週間後、自宅に新聞社から電話があり俺と話がしたいと言ってるとかで、何事かと電話に出てみると
「あるお婆ちゃんの読者から問い合わせがあって、戦争のとき、友達と漫才をやって周りを明るくしていたらしいんだ。お笑いも好きだし、ぜひきみと合ってその話をしたいと言っている。その様子を記事にしたい」
えー!無理無理無理!!知らない婆ちゃんの戦争の話聞かされるとか無理!絶対寝る!1ミリも興味ねえ!拷問!
いや、そりゃ戦争の話聞いた感想書けって言われたら、大人が望む文章は書けますよ。
でも投書と違って、行っても何も貰えないっていうし、何が悲しくてただただ知らないババアの戦争の話聞かされなきゃならんのだ。俺はボランティアじゃねえぞ!新聞に俺の写真が載るのも御免だ!
そんな何の魅力もない誘い話、乗るわけないじゃない。電話の向こうの記者はえらく食い下がったけど、とにかく断った。
後日また新聞社より電話があり、「実はそのお婆ちゃん、20歳の孫がいて、最近漫才師としてデビューしたらしいんだ。そのお孫さんときみとで、漫才をしてほしいらしいんだ。その様子を記事にしたい」
いやいやいや!この前の話より更に地獄度が増している!
知らない婆ちゃんの戦争話聞かされて、デビュー間もない若手芸人だという孫と、どうせウケる訳もない寒い漫才させられて、何の報酬もない割に俺の労力がえぐい!
だいいち、俺中2だぞ。相手二十歳だぞ。そんな知らんガキと漫才しろだなんて、向こうも困るだろ!芸人とはいえ、知らん兄ちゃんと急に対面させられても何喋っていいかわかんねえし!
無茶振りがすぎる。
もちろんお断りし、記者も食い下がったが長い押し問答の末ようやく記者も諦め、そこから電話が来ることはなかった。
まあ、日々平凡に暮らす中高生諸君にとって、急に大人たちから褒められる新聞投書は面白いのでオススメしたい、と言いたいところなのだが
ネットで文章書けるような学生(学生に限らずみんなもね!)は、何かしら投稿すると良いことはあるし面白いからやってみると良いよ~。
三角関数ネタがまた流行っている。このネタについて前に書いた文章なのだが,Haikuが消えるそうなので増田に転記しておく。
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100文字だと言いたいことが伝わらないような気がするのでHaikuで。
今回の県知事の発言に対して「いやいや三角関数も役に立つよ」とか「確かに役に立たないけど進学には必要だよね」とか「〇〇も役に立つから教えるべきだよね」という意見は,全て正鵠を射ていない。
そもそも,「学校では役に立つことを教えよう」という考え自体が教育をゆがめることになる誤った考えなのだ。
一つ目の理由は,ジョブズの有名なスタンフォード大卒業式のスピーチ「点と点をつなげる」を読むとわかる。リード大学で学んだ「カリグラフの講義」という,おおよそ役に立つとは思えない授業で学んだことが,人生で大きな判断をするきっかけとなり,やがてそれが世界を変えることにもなった,という話だ。
人生において,学ぶことが役に立つか立たないかを,事前に判断することはできない。予想はえてして大きく外れるものだ。またある人の人生の役に立った知識が,ほかの人の人生に役に立つとは限りらない。あらかじめ役に立つと予想したものだけを学ぶことは,人生の可能性を大きく狭めることになる。
二つ目の理由は,基礎的な教科を学ぶ目的が頭をよくすることだからだ。
人は腕立て伏せが人生で必要だからやるのではない。腕立て伏せをすると,腕の筋肉が強くなる。強い体が欲しいからやるのだ。
数学のような「普通科のカリキュラム」は,受験のため進学のために学ぶものではない。それは論理的思考を身につける訓練をするために学ぶものだ。思考対象をモデル化し,抽象的な論理にそって展開し,結果を得るという作業は,極めて高い思考能力が要求される。それを繰り返すことにより人間の頭脳は鍛えられる。
複雑な運動をすると体と運動神経が鍛えられるように,複雑な思考をすると頭脳が鍛えられるのだ。
三つ目の理由は,効用を目的とすると教育の崩壊をうむからだ。これは私の考えではなく,内田樹が著書で述べていることだ。
たとえば,簿記の知識は人生に必要だ。だが,それを得る手段の選択肢としては「自分で簿記を学ぶ」と「簿記の専門家の知識を金を払って利用する」の二つがありうる。効率を考えると,後者を選択するほうが合理的だ。さらに効率を追求すると「簿記の専門家の知識をただで利用する」方法を模索するようにさえなる。
学問の効用を教育の目的としてしまうと,いかに少ない労力でその効用を得るか,という方向に人間の思考はむくものだ。たとえば大学の卒業の目的が「就職でのアドバンテージ」になると,いかに手を抜いて最小限の労力で卒業の資格を得るか,に学生は腐心することになってしまう。そして,これは実際に多くの大学で起こってしまっている。
教育の場では,能力の向上そのものを目的とするべきだ。そうでないと教育機関はその役割を果たすことができなくなる。学校では,むしろ「そんなこと学んで何になる」というような浮き世離れした学問をやった方がいいくらいだ。役に立つ実学は,社会に出てからも学べるのだから。