妻がそうだという具体的根拠は何一つ無いというのに、
前彼とのデートのほうが楽しくて自分が提案するデートはつまらないんじゃないか、
とありもしない想像をする。
原因は明白で僕に「自信が無いから」だ。
自分に自信があって妻がいなくても「別に一人でも大丈夫だし」と鷹揚としていれば何も不安に思うことはない。
違うかな?
妻は僕のことを「好きだ」と言ってくれたことがある。信頼できると。
妻は少し冷淡なところがあり普段は自分から積極的に気持ちを伝えたりしない人だけど、
僕が不安を以前に伝えた時、察してくれたのか、好きだと自分から言ってくれたことがある。
とても嬉しかった。
なら妻を信じたい。そう思う。
妻のことは本気で好きだ。その気持ちに間違いはない。
でも、恋愛経験がほぼゼロの僕に比べて妻は過去に彼氏が何人もいる。
まだ賃貸の契約がこれからだから一緒に住むのも先で、一人で考えるから駄目なんだと思う。
でも原因は明らかで、自信のなさがこの気持ちを生んでいる。
言ってもいいのかな。
かねがね同意。
》カウンセラーはカウンセラー自身が心の病、発達障害を抱えていて、他人の心が知りたいという動機で仕事に就くので社会常識から逸脱している者が多い
心の病を経験したカウンセラーの方が、「他愛無い一言の破壊力」を身に沁みて分かってるから、最低限の礼節を持ってる。社会常識から逸脱してるのは、低賃金労働を許される金持ちの子女が多いから。
》心理学には多数の流派があり他流派のカウンセラーを叩きカウンセラー同士は仲が悪い自分の流派を信奉しており目の前の患者が良くなろうが悪くなろうが流派ごとに用意された回答を信じているのでカウンセラーは揺るがない
》そうカウンセリングはカウンセラーが信奉するカルトなのであるカウンセラーが自分の信仰するカウンセリングを成立するために患者、クライアントがいるのである
臨床心理士の東畑開人とかもこの通りの主張で、開き直ってる人との印象。
○ご飯
朝:inゼリー。昼:サラダ。夜:目玉焼き。ピーマン、人参、しめじ、ウインナーの和風スープ。トマト。納豆。冷奴。バナナ。ヨーグルト。間食:バウムクーヘン。アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
昨日行った耳鼻科で耳の薬をもらったのでそれを飲んでる。
ブラシーボをあるのかもだけど、かなり効いてる感じがして耳の閉塞感は昨日が100とするなら、20ぐらいまで落ち着いた。
この調子で早く治って欲しい。
100日ワニで稼いだ金なくなったんかな
男性の性欲の話になったときに、薬で抑えればいいのに~というコメントをたまに見かける。
たしかにそうした方がいい人がいるのも事実だが、大部分の男性にとって、それを抑えるなんてとんでもない!ことなので、それについて書いておく。
まず極論から書くが、
生き物のオスとは、つまるところ射精をするために生まれてきた存在である。
これは我々の祖先が太古の昔より何億年も続けてきた営みであり、我々ホモサピエンスのオスもその宿命から逃れることはできない。
生き物の中には、射精をすると死んでしまうものもいるというが、そのように射精というのは時に命を懸けてでもそれを成し遂げたいという凄まじい衝動をもたらすことがある。
そしてそれが達成された暁には、無常の幸せが身体を包む。それは生き物のオスとしての本懐を遂げた喜びである。
この衝動は、時に「相手」が目の前にいなくても生じることがある。おそらくは、衝動に駆られたオスが必死に「相手探し」に奔走することも、生物の繁栄に寄与してきた側面があるのだろう。
現在の人類でも、男性が女性と「付き合いたい」「結婚したい」と思う動機の大きなウェイトを占めるのはセックスであり、男性のそうした衝動がこれまでの人口増加に寄与してきた側面は否定できない。
しかしそうした衝動は暴力などとも結びつきやすいため現代社会でその本能をそのままさらけ出しては不都合が多く、衝動に駆られて破滅する人や犯罪に走る人も多い。
そういう人は、薬で性欲を抑えよと言われても仕方がない。
しかしそうでない大部分の男性は、衝動を理性で抑え、うまくコントロールしながら生きている。
巷に溢れるアダルトコンテンツとは、いわば他人にあまり迷惑を掛けない形でオスの衝動を自分だけで小規模に発散させるための装置だ。
そうした行為が、男性にとってただ面倒くさいだけのものであれば、薬で抑える論にも多くの男性が賛同するかもしれない。
しかしその行為は、たとえ一人でするのであっても、喜びをもたらすものなのだ。
それを薬で抑えるというのは、喜びを捨て去ることであり、多くの男性にとっては、それを捨てるなんてとんでもない!ことなのだ。
他人に迷惑は掛けないから、せめてオスとしての本懐を少しでも遂げさせてくれ、ということである。オスとはそのために生まれた存在なのだから。
俺は中学生のころから20年以上インターネットにはまっていた。
ハッキリいって、ネット中毒だっただろう。
はてブ、ニコ動、にちゃんねる、まとめサイト、ツイッター、ヤフコメ・・・。
要はインスタントな情報がむやみに得られ、意味のない知識欲を満たしていただけだ。
ネットサーフィンさえしていなければ、もっといろいろな可能性があっただろう。
本も読みたかったし、アニメも見たかった。趣味もいろいろしたかった。
でも、失われたときは帰ってこない。
最近心を入れ替え、1年以上デジタルデトックスを継続している(はてな匿名ダイアリーに書き込んでるという野暮なツッコミはご勘弁)。
といっても、全く見ないことはせず、スマホのアプリで強制的に制限をかけ、ツイッターは毎日15分とか、ブラウザアプリは毎日30分とかで縛り、徐々に時間を減らしている。
最近はツイッターなんかは、さっとトレンドを見るだけで満足できるようになったし、5ちゃんねるやまとめサイトは一切見ることはなくなった。
正直言って、ネットサーフィンを減らすことは簡単なことだった。
最近は便利なアプリもあるので、強制的に制限をかければ、見ることはなくなる。
ただ、一番やっかいなのは、ネットサーフィンをしていた結果、インターネット(というか日本のネット文化)の思考を完全に頭に刷り込まれてしまったことだ。
これがなかなか抜けない。
はてブを見ては、ブックマーカーにムカつき、怒りを抱いていたが、スパッとやめることができた。
というか、むかつきすぎて、いろいろあって何年か前にアカウントをBANされた。
あの時BANしてくれて、本当に株式会社はてなには感謝している。
最近はトレンドは見ず、気になった記事を普通にブックマークして、後で読むだけにしている。
トレンドを見ること、他者の反応を見ることは、ただ不快感と反論したいという気持ちを沸かせるだけで、完全に時間の無駄だと学んだ。
ただ、ときおりテレビなどでニュースを見た時、はてブがどんなクソなコメントで盛り上がってるだろうと考えてムカつくときがある。
そんな時は自分が嫌になる。
しかし、厄介なのは、ニコニコ動画で培った、くだらないネットミームだ。
何年も離れているのに、仕事中、ふとしたときに、淫夢の空手部のワンシーンが脳内で再生されたりする。
淫夢やシャムさんのいくつかの言葉は、いまだに言葉を放つシチュエーションになると、心の中で言ってしまう。
本当に後悔しかない。
書き込むようになってから、よくはまった。
特になんj。
正直話題がループしているので、何年も前に飽きて、一切見なくなった。
これもニコニコと同じく、たまにミームが心の中で漏れることがあり、嫌な気分になる。
野球中継をなんjの実況と一緒に見ていたが、別に実況がなくても全く困らないと気づいた。
嫌儲とかなんかいろいろあったが、2ちゃんをやめてからは普通にまとめサイトを見るようになった。
ただ、まとめサイトは内容が薄すぎるし、コメント欄が本当に日本のネット上で一番気持ち悪いので、見なくなった。
冒頭でふれたとおり、ツイッターはまだ見ているが、書き込むことはなくなった。
ツイッターの何に時間がとられるかというと、情報収集よりも、盛り上がっている話題に関心を寄せているときである。
自分と異なる意見を見たり、わかってないツイートを見てムカついたり、どういう意見があるか見たり、そういうところが一番時間をとられる。
これがデジタルデトックスを始めようとしたきっかけだが、こんな心をかき乱すだけで不毛な場所を見るなんて無駄だろうという思いが強くなり、やめるようになった。
今はトレンドとほしい情報が流れてきそうなアカウントだけフォローしてタイムラインを見ている。
だが、たまにトレンドを見ていても、イラついたりムカつくときがある。
くだらない炎上ネタなんかは、特に炎上させているアカウントたちがムカつく(男女論とか細かいルールの話とか変なアカウントを晒しものにしてたりする時とかは特に)。
正直、金をツイッターで稼いでたり、友達がいる人くらいしか、もうツイッターをしていて得はない。
ヤフコメはムカつくので、ヤフコメは極力見ないようにしている。
あと、ヤフコメをAIでまとめたやつがヤフコメのトップにあるけど、あれをちゃんと見ている人はいるのだろうかと疑問に思っている。
一日15分だけ見れるよう設定している。
デジタルデトックスをはじめて、正直言って、イライラすることも減ったし、時間をとらえることも減って、本当によかったと思っている。
他者の反応探しに行くこと、他人の意見を見て反論したいと思うこと、なんとなく勉強になった気がすること。この3つが罠だと気づいた。
他者の反応なんて気にしないよう、もう他人のアニメや漫画の感想は見ないようにしている(ツイッターは感想を見ていても、大げさな言い回しが多く、これまたイラつく)。
他人の意見を見て反論しても、相手の考えは変えられないし、無駄。
ツイッターやはてブのトレンドなんか見ていても勉強にならないし、99.99999999%は無駄だったと、改めて振り返ってよくわかる。
ただ、一番デトックスできないのは、ネット文化に染まった自分の思考である。
ネットミームのくだらない言い回しや、ネットで得た根拠不明の知識などが日常生活でトリガーとなって思い出され、本当に邪魔に感じる。
ただ、こういうネット文化に染まった思考というのは、本当に一生ついて回るのだろう。
時間の浪費もそうだが、この部分もかなり後悔している。
ちなみに付け加えておくが、俺は昨今やっと問題になってきた有名人などへの誹謗中傷が本当に嫌いだったので、2ちゃん、はてな、ツイッターで、そういうやつらに主にムカついていたし、腹立たしかった。