ちょくちょく雑談を交わす(漫画とか本を貸し借りすると用事ができていいかも)、そのうち気になる店があるが一緒に行ってくれないかと気軽に誘ってみる。断られても落ち込まない、気にしない。
また間をおいてもう一度他の店に誘ってみる。断られたら諦める。もう誘わない。
とはいってもドがつくほどのものではなくて、ビンタをされたり、踏まれたり、噛みつかれたり首を絞められるのが大好きな程度である。
小学生のときにめちゃくちゃ変な感じで処女を失って以来、私の人生はセックスに明け暮れていた。
中学は同じ学校の人と、高校にあがると別の学校の人や、OBの先輩にも手を出して、大学生になってからは出合い系サイトやTwitterを駆使してとにかく異性に会いまくった。
そういった人たちと普通のセックスをする度に、私の中で被虐傾向が高まっていくのを感じていた。
今から1年半くらい前に、Twitterのフォロワーが首を絞めることが好きだということが判明して、その時私には彼氏がいたが、そのフォロワーとも週1で会って首絞めセックスをした。今までにしたどのセックスよりも気持ちがよかった。諸々あって今その人とはセックスはしていない。
また、1年ほど前にドMアカウントを作った。今もそのアカウントは稼働していて、150人くらいの人にフォローされてる。おっぱいの写真も、可愛い自撮りもあげていないのにありがたい事である。
今現在は、2人の人と定期的にセックスをしている。そのうち1人はセックス中によくビンタや首絞めや、噛みつくことをしてくれる。正直言って、はちゃめちゃに気持ちがいい。
Mを公言しているアカウントだと、よく「なんでMになったの?」という旨のリプやDMをもらう。申し訳ないが、その答えには「分からない、覚えてない」という返事しかできない。ほんとうに覚えていないのだ。家庭環境に問題があるわけでも、なにかトラウマがあるわけでも、ただ、中学の時のmixiを見た限り「首絞めが好き」みたいな集まりに参加してるので、少なくともM歴10年は超えている。
私はきっとこれからもMのままだろう。ビンタをされて、首を絞められて、噛みつかれて踏まれることに快感を覚える人間のままだ。
分からないなら分からないままでいいじゃないか。理由がなんであれ、今Mであることに間違いはないのだ。
昔はこんな自分を受け入れてくれる人間がどこかにいるんじゃないかと散々セックスしまくったが、最近は落ち着いている。受け入れてくれる人がいるのがこんなに心強いことだとは思わなかった。
マゾヒストでよかったな、なんて最近は思う。昔は普通とのズレにひどく悩んだ時もあった。けれども今は、今更人並みに生きようとか、まともになろうなんてちっとも考えていない。なぜなら今私は幸せだから。ビンタも首絞めも噛みつきも踏みつけも、めちゃくちゃ気持ちがいい。最高だ。
月収150万の生活から月収5万の生活になり、貯金も底を尽きました!
世間でよく言われてるように「生活レベルを下げられない」とかいうけど、そうでもなかった。それぞれにメリットデメリットがある
▪️贈り物が上手くなった
質の高いものに触れることが出来るから、何を選べば喜ばれるかわかるようになった。
高い服、時短してくれる家電の価値がわかった。ラルフローレンのカットソーは3年たっても伸びないしほつれない。ファストファッションは三ヶ月でビロンビロン
時給3万のために交通費数千円をケチる必要なんてない。お掃除ロボと乾燥機付き洗濯機、食洗機は神だった。
▪️どんな高級な化粧品やエステも、睡眠8時間のまえでは無に等しい
吹き出物や乾燥、毛穴の開きに年中悩まされてたのに、ノーファンデでいけるくらい肌が綺麗になった。
風邪引かなくなったし過敏性胃腸炎もなくなったのでレジャーを楽しめるようになった。早朝覚醒もなくなったし、見た目が若くなった。
▪️どれだけ高い料理を食べても脳の幸せ物質はそれに比例しない
500円から3000円に価格帯がレベルアップしたときと、3000円から3万になったとき、快感はかわらなかった。外食はラーメンが結局おいしいし、たまに食べるチキンラーメンの一口目もそれはそれで美味しい。
「給料日までお金ない絶望感」をまぎらわせるために勉強がめちゃくちゃ捗った。楽しいこと少ないから誘惑がない。
ハロワとか市役所によく行きよく調べるので、行政サービスやお得になる方法を知れた。
コミュニケーションの話してるのに、斜め読みでズレた事を言う。
斜め読みの自覚はあるのに、強い言葉を使って否定から入るのが理解できない。
趣味の場に商業の人間が来ること自体が、前提として異質なんだよ。なんで最初に場にいる人間のほうが、後から来た人間に考慮しなきゃならないんだ。
青田買いされた結果、実際にプロへの足がかりにする人もいるから環境が変わってきてるとはいえ、
場にいる目的はそれぞれなんて「誘う側」が理解しなきゃいけない問題だろ?
商業やる気が無いなら断れって話してる人もいるけど、そもそも同人活動をメインとした「知名度あがる」「読者が増える」が目当ての商業進出はありだろう。
実際、そういう商業とのつき合い方をしてる同人作家なんて山ほどいる。
商業やるなら商業活動メインじゃないと許さない、やるなら連載前提の商業活動以外ありえないなんて出版社視点でしかものを考えていない。
やる気がクオリティの低下につながる心配でもしてるのなら、もう一度元増田の文章を読もう。むしろ創作へのやる気には満ち溢れてるよ。
誘ってくるのが出版社側であるなら、当然、主導権を取るのは作家側じゃなきゃダメだろう?
作家はサラリー貰える社員じゃないんだから。出版社との立場は本来対等なはずだ。
作家の目的が作品を通じた読者とのコミュニケーションなら、そういうつき合い方も認めないのは傲慢以外の何者でもない。
読者からしても、作家が息を長く続けてくれたほうが全然良いよ。
締め切りに追われたプロ活動なんて、出来る人だけやればいい。創作活動はもっと自由であるべきだ。
「仕事だから優先するべき」「(向こうから来ているのに)相手の時間を使う行為という考え方させる」
そういうロスジェネの遺物かブラック企業の社員みたいな考えしてるひとが
世界を統治する以上、各地の貧困問題とか民族紛争とかも一手に面倒みることになると思うんだけど、その覚悟あるの?
どう考えても征服したあとおいしい事よりも苦労の方が多いと思うんだけど。
最近は普通の設定に飽きてきて、タイムスリップした戦国武将みたいなのとか作り始めた
男前で頼れる良い奴なんだけど現代の事情にまったく疎いので、素に近い方の俺が色々説明してあげるの
障害者の害が嫌なひとも含めて障碍(ないし障礙)と書くのが正当であるという話がある。たしかに青空文庫とかをみても古い用例は障碍が多いようで、意味的にもさまたげなのだからこちらが正しいというのにもそれなりの説得力がある(ついでに碍子も喜ぶだろう)。辞書には「碍」について妨害とかも含めて害に書き換えることがある、とある。僕個人は障碍と書くようになって随分になる。
で、ずっと気になってるのは意味的にいって(つまり、特定の用語なのでどうこうとか、混乱を招きうるとかそういうのは除いて)「障害」は全部「障碍」に置き変えて問題ないのかということ。当用漢字が云々とかで若干でも区別のあった障碍と障害がマージされた感じなら適切に使い分けたいし、単に置き換わっただけなら私用の文書ではとくに心配せずもとに置換し直して使いたい。どうなんでしょう。 obstructionだけじゃなくてdisorderの意味で使うときとか。あるいは「ネットワークしょうがい」とか。