>Keppleさんに会社設立の諸々をお願いしてきました!
https://twitter.com/yuki1y1m/status/793041285531758592
離婚して1年が経った。
性格の不一致で離婚に至ったけど、私としては積もり積もったものに心が押し潰され命からがら逃げ切ったという体感だった。
だから当時の住まいがあった沿線に行くと暗い気持ちになるし、外面の良い元夫の肩を持った実両親とは絶遠状態にある。
先日Facebookが「友人かも?」みたいな項目に元夫を表示してきた。
今まで一度も表示された事なんてなかったのに…と驚いたのと同時に、元夫のその後が気になって見てしまった。
そこには、趣味に興じたくさんの友達を作り楽しそうに暮らしている姿があった。
離婚に至るまで、元夫は私がいないとダメになってしまうのではないかと思っていた。
ダメにしていたのは私だったのではという反省と後悔と、彼が生きてるという安心感がごちゃ混ぜになってただただ泣いた。
その愛車は、震災諸々で家計が苦しくなり環境を変えざるを得なくなった私達が
派遣で働きながら貯めた私の個人的な貯金を崩して買ったものだ。
元夫はとてもとても喜んでくれて、納車の日は嬉しくて車体から鍵までたくさん写真を撮って遠回りして家に帰った。
車を返して欲しいわけではない。やり直したいわけでもない。
ただ、とてつもなく虚しく、やるせなかった。
泣きながら思い出した。
「悲しいことは一人で乗り越えられるけど、嬉しいことを一緒に喜んでくれない人とは一緒にいても辛くない?」と言われたことを。
そうだったと思い直しても、私は心がスカスカになってしまい、もうあの時のように誰かと過ごす自信がない。
大好きだった青い車のキリッとした顔が好きだった。どんな暗闇でも一目で分かるあの顔が好きだった。
大好きだった青い車のように、自分の凸凹な人生を笑いながら走破したい。
色んなことがあるさと笑える日が、いつかくることを願っている。
幕末の活躍で維新後、あるいは現在までも政界やなんかの一攫を占めたという薩長土肥。
かくして明治維新はなった!
肥は?
肥はいったいナニをやってその座に座ったの?
肥のすごいエピソードとか、具体的な功績とか。
美を競い合っているのは、競争ではないのか?
合わせて読みたい
http://www.fashionsnap.com/the-posts/2015-11-30/bunka/
なぜ文化服装学院は世界にこんなにも魅力的に映っている?それはこれまで、
多くのジャパニーズスターデザイナーを排出してきたからだろう。
例えば...KENZO、ヨージヤマモト、その娘であるリミフゥの山本リミ、ジュンヤワタナベ、
ツモリチサト、BAPEのNIGO、アンダーカバーの高橋盾、KOLORのジュンイチアベ、
イッセイミヤケデザイナーであるミヤマエヨシユキ、ケイタマルヤマ、
DRESSCAMPの岩谷利和、matohuの堀畑裕之と関口真希子、FACETASMの落合宏理、
ソマルタの廣川玉枝....挙げればキリがない。
評判は、実績がこれでもかというくらい証明している。
「辛いのはあなただけじゃない」「誰だってそのくらいの辛い思いはしてきた」
「もっと辛い思いをしている人はたくさんいる」
こう言われることが、何も解決しないし叫びを封印するのに有効な悪魔のセリフであることはいろんな人が主張してきた。
でも、もはやこれは暴力なのではないか、と考えるようになった。
私は、今1人の発達障害児と、もう1人の発達障害疑いの子を育てている。
私より辛い思いをしている人がいくらでもいることは知っている。
そういう認識は、そういった人たちを見下しているという批判を生みかねないことも理解している。
でも、私より辛い思いをしている人がいるから私はその心の叫びを封印しなければならないという理論は成立するんだろうか。
キャパシティは大きいに越したことは(表面的には)ないが、自分でコントロールできるものかというとそうではない。
知識を身につけたり、信仰を持ったり、ライフスタイルの改良を伴うものだと考える。
キャパシティを広げることも、それをあたかも必須であるように強制されればそれは暴力である。
暴力を受け続け、体力も気力もなくなったころに、暴力のおすそ分けを喰らうのは子どもかもしれない。
私は、それをしない。
と今は思っている。
辛いときに、辛いと叫ぶこと。
叫ぶことは何も解決しない。だが、「世の中にはもっと辛い思いをしてるひともいるのよ」という励まし(という顔をした暴力)よりはずっと精神を正常側に留まらせる力を持つ。
皮肉なことだが、「世の中にはもっと辛い思いをしてるひともいる」という人は、その「辛さ」=痛みを理解できない・共感出来ていない。
だからこそ、世界中で最も辛い思いをしている人間たった一人以外の人間の痛みに共感する能力を持たないのだ。
おまけに、「私の時なんてね、〜〜で〜〜〜で、もっと悲惨だったわよ」なんて発言ができる。
そういう人に「でも、世の中にはもっと辛い思いをしてたひともいますよね?」と言葉の暴力を振るうことができたらなあ、と思わないでもない。
それをしない弱さが、私を殺すのだろう。
人は分かり合えない。
宇宙人のような2人の子どもたちに、別れを告げなければならない。
せめて私が彼らに言えることは、
「他にもっと辛い思いをしている人がいたとしても、あなたの感じている痛みはあなたのもの。叫ぶも、抑えつけるも、前向きに考えて進むも、絶望するもあなたの自由である」
さて、どうしようか。
母は、絶望を選ぶことにした。
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_into.html
何を断って良くて、何を断ってはいけないのか。
私の都合はどこまで尊重されるのか。
そのあたりひっくるめて、
私のことを親友だという奴は、
私のことを都合の良い人としか見ていない節がある。
私のことを特に何も言わない人は
そのあたりひっくるめて
友達ってなんだ。仲間ってなんだ。
そんなことを考えていたが
結局のところ、私も都合の良い人を探してるんだなぁと思った。
じゃあ着地点はどこだ。
お互いに都合の良い人か?
そんなのって成り立つんだろうか。
でも目指すしかないのか。
保育園で「現状届」を提出するために、
私は大学院生なので、
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区役所の人(以下、「区」):「3月からの就学は未定ですか?」
私:「未定です。でも○○塾(司法試験の予備校)だけ行きたいんです」
要は、「保育の必要な事由」の「就学」に書いてある要件に当てはまらないという。
その要件とは、
1日約4時間以上、
「1日約4時間以上」→勉強してるしてる。6~8時間はしてるよ。
「学校教育法に基づ・・・」→かないね。予備校だから。これは仕方ない。
区:「職業能力開発施設とは職安などで勧められて資格を取る場合などなので・・・」
私:「職安で勧められないといけないんですか?」
区:「え~と・・・(歯切れ悪いのでそうでもなさそう)」
私:「働くために資格を取る、そのために勉強するということですよね。
私は弁護士になるために弁護士資格が必要で、その勉強をしたいんです」
この要件に該当しない場合は他のところで(子どもを)預かってもらうことを考えてください」
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私が言いたいのは、
「就学してますね(^^)保育園預けられますね(^^)」となるのに
「○○塾?聞いたことないし。就学?予備校でしょ?何言ってんの?ムリムリw」となるこの現状が
と思うのです。
条文と間逆の判決を下すことがあるんです。
ルールをそのまま当てはめればいいなら、裁判官なんていらないんです。
高性能な機械があれば済むんです。人間じゃなくてもできるんです。
区役所は「人」が対応するでしょう。「人対人」の仕事でしょう。
だったら 、「規則だから」「そうなっているから」「該当しない場合は」
じゃなくて、
どうしてその規則があるのか、目の前の人がどういう事情をかかえているのか、
頭で考えましょうよ。
「学校教育法に基づく」学校以外にも「職業能力開発施設において職業訓練を受け」とある意味は何ですか?
母親になっても勉強して資格とって働こうと思っている人たくさんいますよね。
そういう人にも「保育の必要性」を認めて、応援しようとしてるんじゃないですか?規則は。
じゃあ職安で勧めてもらうなどして「職業能力開発施設において職業訓練を受け」るのと
自分でその必要性に気づいて予備校探して資格の勉強するのとどう違うんですか?
要するに客観的に第三者が「この人ここで勉強してまーす」と証明できればいいんでしょ?
「該当しない」をくり返す前に、
「どうしたら該当するといえるか」少しでも考えましたか?
夫と離婚しそうだし、女手一つで子どもを育てていくのに、絶対弁護士になりたいんです。
今の保育園がすごく良いんです。
これは私のわがままです。
でも、子どもには質の良い保育を受けさせたいんです。
そうなりますよね。
そうやって私は、無駄に、年何十万円の学費を払い続けるしかないんです。
そして、弁護士になる。
私の夢はそんなにおかしいですか?
元増田です!
何か気を使っていただいてすみません…そしてありがとうございます(;ω・`)
父は自分は「やればできる!」と言ってます。が、昔父の作った玉子丼を食べたら
もう世の中の甘みをすべて凝縮したような味で食べた後吐きそうになるのを必死にこらえたよというレベルでしたw
(私もそんな大層なことを言えるほど料理上手なわけではないのですけど)
多分、もう結婚して30数年買い物などしていないし、料理もその一度きりなので、
食材を捨てたのは未だになぜそんなことをしたのか正直娘の私でも一切わかりません…(・ω・`)
洗濯物を干しているのわかっていて「おい、雨降って洗濯物濡れてたぞ」と言われ
取り入れてくれたのかと思いきやそのままでびしょぬれになっていたり。
私も結構腹に据えかねるところはあるのですが、
本人としては俺は一家の主なのでお前らが動いて当然なのだという考えのようで、
幼少期からそう言われていたので
将来もし結婚できる機会が来るとすればこんな男は選ばん、と反面教師にするほかなくもう諦めていますw
私も近々家を出て一人暮らしする予定ではいますので、私出ていった後母がどうなるか心配なところではあります…
事態が好転するのであればこんなにうれしいことはないんですけどね…。
もやし、安いしおいしいし栄養あるしこの野菜高騰の中力強い味方なんですけどね…
\ファンタジスタッドー/