そんじゃーさ、こういうのどう?
国民全員にBIカードを配って、限度額までは何にでも使えるの。
一日に1000円ずつ増えて、使わなければ3万円上限でストップする。
「あとで読む」タグでブクマした記事、溜まってくると何時読むかどれから読むか自分で決めるの面倒い。
「あとで読む」だけじゃなくて「まあ読めたら読む」も作ってほしい
何らかのトリガを元に「これ読みなよ!!」とプッシュする機能を設けてはどうか?
女の年齢 男の年収
16歳 1200万円
18歳 1100万円
20歳 1000万円
22歳 900万円
24歳 800万円
26歳 700万円
28歳 600万円
30歳 500万円
32歳 400万円
34歳 300万円
36歳 200万円
38歳 100万円
40歳 0万円
ところでこの表おかしくね?
それって若い男がBBAを押し付けられても我慢しろって事になるんだけど本当にそれでいいの?無収入の十代男と四十代女が釣り合うとでも?
男も女も同じくらいの年齢の相手と結婚するのが自然だと思うよ。
二十代の女なら、同じ二十代の男の中で収入が多いか少ないか
三十代の男なら、同じ三十代の女の中で誰がより美人か
このまえタンブラーを眺めてたら、
「子供のころ作文が苦手だった。400字詰の原稿用紙が広く感じた。
埋めるのにすごい努力を要した。
でもよく考えたら400文字って140字のツイートのたった三回分だ。
みたいな文章が流れてきてなるほどと思ったけど、いざブログで読んだ本の感想とか書こうとするとぜんぜん書けない。
なんなんだ。
細マッチョでググってでてくる芸能人やスポーツ選手の裸の写真をみると普通にマッチョだよね。
週に何回もジムに行ってトレーナーとかついて体作ってるようなのばっかり。
「細マッチョをめざせ」みたいな記事ってあるけど、わざわざ「細マッチョ」ってつけるってことは「つい鍛えすぎてゴリマッチョになちゃった。カッコわりい」みたいな状況を思い浮かべてるのかね。
もしくは「細マッチョ」くらいなら簡単だと思ってる連中を釣るためか。
私はプログラマに向いていないのかもしれない。
うちのチームではコミットをmasterブランチへマージする前に、Pull Requestを出してそれをリーダーや他の人がレビューすることになっている。(たぶんよくあるフロー?)
そのPull Requestでもらうコメントを見ると死にたくなってくる。特に辛い気持ちになるのが、「気が狂った設計」「クソコード」「(こんな実装は)有り得ない」といった言葉だ。
レビューにおいてそういった強い言葉がときとして必要なことは理解している(そういえばこなものもあったなと思い出した http://cpplover.blogspot.jp/2013/07/linuxml.html )。またそういったコメントを残す相手との仲が険悪なわけでもない。またよいと思ってくれたらしいところは褒めてくれたりLGTMしてくれたりもする。
だけどそれでも辛い。きつい言葉を向けられると、それだけでひどく不安な気持ちになる。
そういったことを上司などに相談すべきかとも思うが、怖くてできない。(別に一般的に言って「怖い人」だとは思わない、だけど私は彼にそれを相談することを「怖がって」いる)
私はプログラマに向いていないんじゃないかと思う。よいプロダクトを作る上で強い言葉を交えた議論が必要不可欠ならば、それに強いストレスを感じてしまう私はプログラマとして適正がないのでは?
他の仕事にうつるべきかなあ?でも「強い言葉を交えた議論が必要」なのは、プログラムの開発にかぎったことではないのではないか?他人と一緒に共同して何かをやろうとするときどこかでその必要性は生じるのではないかと思う。どうしよ。
アンコどうぞ ( ^ω^)つ●
もうBBAの域に足を踏み入れた腐女子(この名称に違和感感じるw)ですが。
「成人済み」って名乗るのはたいてい読み専のイメージ。
男性向けに比べてBLはwebでは承認制なんかで申請する必要が多いから
はっきり年齢言わないけど「済んでます!」って強く言いたいのかもね。
一夫多妻制を導入すべき。
貧富の差なんかどんなに頑張っても解消できないんだから、富める者がガンガン子供作れる環境作れよ。
なんだったら所得税みたいに所得の多寡で配偶者何人いなきゃいけないみたいな法律つくればいい。
相続で揉める?
さて、先日発行されたサークル機関紙にも「団体の代表が3年間5回にわたって被災地の小学校や避難所に赴いた」との記述があった。現実は以前書いた長文のとおり、初年度に宮城県の数件の避難所に訪れ、2012年は宮城県の2箇所の仮設住宅に訪れただけである(2013年は定かではない)。海外の人を招いて趣味を披露するだけのイベントである。
確かに宮城県のみとはいえ被災地であって嘘ではないのだが、こういうことは宮城県下の何処かの施設でもその土地に住む人が日常的に行っていることのように思う。違いはせいぜい海外の人が来るか否かという話だ。ちなみに前回の長文で「東北を縦断するイメージ」と書いたのは、その活動名がそれを彷彿とさせるような大仰な名前だったからだ。
ついでにもう一つ、当時のことを思い出した。
この団体はイベント活動開始の折、その活動名をあしらったTシャツ(一色刷り)も販売していた。収入の一部は寄付に回されるという説明である。
価格は一着2000円送料500円でそのうち500円が支援のため寄付されるという話だったようだ(これについては当時も高過ぎるのではないかと思った記憶がある)。他方、別のイベントにおいてこのTシャツを来場者にプレゼントしたという記述も見つけた。こういう場合、刷った枚数の額だけ寄付に廻すのが普通だが、実際にそうしたのかは定かではないし、そもそも何枚刷ったのかもわからない。このTシャツは果たして必要な物であったのかという疑問があるし、大仰な活動名とTシャツ販売までして宮城県のみの活動に止まるというのは首をかしげる(これも団体側の勝手と言われればそれまでだが)。
こんなことを書いたとて粘着と思われるのだろうが、他人事ではないことを早々と過去の美談にするわけにはいかないのである。尚、例の科学史家については相変わらずである。
金で男を選ぶ女は容姿で選ぶ女よりよっぽど優しい女だよ。
若年男性の雇用を不安定化させて賃金を低く抑えている政府や企業を叩かずに
何故か「女が高望みするからだ!女さえ妥協すれば丸く収まる!ファビョーン!」って女叩きに走るところ。
地球を軸にその周りを宇宙が回っているという説で、プトレマイオスによって体系化された。中世のあいだは天体の運行を最も高い精度で計算できる理論であった。コペルニクスが地動説を復活させ、1627年にケプラーが地動説をもとにした高精度の天文表を発表したことで、地動説が広く支持されることとなった。ちなみに地動説がカトリック教会により迫害されたというのは真実ではないそうである。
物の状態・現象・性質を説明するための理論である。多くのバリエーションが存在するが、アリストテレスの「温・冷・湿・乾の四つの性質の組み合わせにより火・水・空気・土の四大元素が生まれる」という説が広く支持された。これが否定されたのは1661年、ロバート・ボイルの著書『懐疑的化学者』によってである。彼は近代的な「元素」観を確立し、後のラヴォアジエによる化学革命を準備した。
フロギストン(燃素)という元素が物質から分離することが「燃焼」であるとした説で、四大元素説のような迷信めいたものではない、科学的な理論として広く受け入れられた。1774年、ラヴォアジェは「燃焼とは物質と酸素が結びつくことである」と看破し、フロギストン説は否定された。
「熱」が物質に起因するか運動に起因するかということは長年にわたる議論の的であったが、ラヴォアジェは熱物質説を支持し、熱の原因となる物質を「カロリック(熱素)」と名付けた。1843年、マイヤーによって運動エネルギーと熱エネルギーが相互に変化することが明らかにされ、またエネルギー保存の法則が発見されたことにより、カロリック説は衰退した。
古代ギリシャのヒポクラテスが唱えたもので、人間の四つの体液のバランスが崩れることが病気の原因であるとする説である。四大元素説とも結びついたこの四体液説は、批判に晒されつつも長らく信じられていた。1858年、ウィルヒョウが「細胞病理学」を確立。すなわち病気とは細胞の異常によるものとされ、体液病理説は否定された。
アリストテレスが提唱したもので、「生物の中には親からではなく自然に発生するものがある」とする説である。たとえば虫やネズミなどがそうであるとされた。その後、レーウェンフックによる「微生物」の発見もあり、擁護と批判が繰り返されたが、パスツールが行った1861年の「白鳥の首フラスコ実験」などにより、自然発生説は完全に否定された。
ホイヘンスやニュートンらにより提唱されたもので、エーテルとは光が伝播するための媒質として想定された物質のことである。ニュートン力学とマクスウェルの電磁気学における光速度の矛盾を説明するために利用されたが、最終的に1905年、アインシュタインの特殊相対性理論によってエーテル説は否定された。