。をはずさないの?w
思い込みと陶酔の強さ、無計画さ(デキ婚)、言い訳の多さでクズ男確定だな。
えっさすがにこれは当然でしょう
フリージャーナリストとしてどころが、一般人としてもダメなレベルじゃん
「読み手がそれを考えなしに拡散したりする部分の責任は一切チェックが入らないという」の部分も
なんでそう思ったのかわからん
彼は仕事中の私が好き。
ゴールデンウィーク中、仕事以外でずっと一緒にいて気づいてしまった。
彼は私の優柔不断さにいらついている。
彼は私の甘えをうっとおしく思ってる。
彼は二人の時間を消費的に感じている。
本当は前から気づいてたけど、
そしたら彼は喜んでくれるけど、
そのたびに私は普段の私を蔑むことになるんだ
ほんとは、
そういうことがしたい。
二度と思い出さないようなテレビ番組を見ながら二人で食べて、
翌々日になっても洗ってない食器が流しにある。
そんな二人はいや
1Kとかの、魚喃キリコの漫画に出てるみたいなぐだぐだの部屋で
私は夏の昼下がりにじっとり汗をかきながら畳にぺたんって座って
折りたたみの鏡を見ながら化粧してアルバイトに出かけていく
貧乏で将来性もないけど、楽しくて
手を伸ばせばそこに愛がある生活
でもそんな未来こなかった
踏み外さずに生きてきたら、そんな未来こなかった
24時間働ける
認めてもらえるから
こんなに私を前向きにしてくれて
向上させてくれて
たくさんのことを教えてくれる
こんな素敵な人はいないと
でもやっぱり、わたしの生産的じゃない部分が、ほんとうの私なんだ
そう思うとやるせない
お母さんは、たわいのない話も聞いてくれた
落ちがなくても
ネガティブでも
じっとずっと聞いてくれた
米財務省、デフォルト回避に向けた最終期限見通しを8月2日に延長 | ビジネスニュース | Reuters
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-20919020110503
これが人工地震テロの収穫? 米政府デフォルト回避に向けた最終期限見通しを8月2日に延長だそうで。 属国離脱への道/ウェブリブログ
http://qualitysaitama-blog.at.webry.info/201105/article_6.html
関連?
4月27日、米連邦準備理事会(FRB)は、連邦公開市場委員会(FOMC)声明で6000億ドル規模の長期国債購入プログラム(QE2)について、期限どうりに6月末で終了すると発表した。
絶対にやってはいけない掟破りの裏技の米連邦準備理事会(FRB)による国債購入を止めれば、QE2で辛うじて維持していたアメリカ経済は持たない。
もはや誰にとっても最後のカタルシスは避けれない。http://d.hatena.ne.jp/bokko-aqua/20110430/1304145620
TPPに参加するかしないかの締切りは、6月末?なそうです。震災、原発問題で、スカポンタン菅総理が、自公と連携してドサクサ決定してしまわないように、厳しく監視しましょう! - とある博士のおりゃっ!日記
ニコニコ動画にしてみても、2ちゃんねるにしてみても、ツイッターにしてみても、というかありとあらゆるインターネットの形態として、どうしてコメントを残すことが流行っているのだろう。例えば面白い動画なり書き込みがあったときに、そのレスポンスとして草を生やす行為にいったい何の意味があるのだろう。あるいは短い一言、「泣いた」とか「ご飯食べてる」とかそういうもの。その発言は、本当にする必要があるものなんだろうか。何の意図があってそんな発言をするのだろう。
無論、その一言を誰かに伝えたいというのが根底にはあると思う。そういった伝える誰かを想定した書き込みならまだ理解できる。腑に落ちないのは、そういった誰かを想定していない文章、いや文章ならまだわからないこともないのだけれど、突発的な反応とか予定なんかを発言することだけはどうにも度し難い。何で「私はここで笑いましたよ」「ここが面白いと思いましたよ」なんていう感情を記号で表さんといかんのか。表さないと気が済まないのか。その一言を書きこむ前に、その一言を書きこんでどうしたいのか疑問に思わないのだろうか。
確かに初めこそ真新しさから書き込みをしたくなることもあるとは思う。でも、次第に飽きてくるものでしょうに。いや、もしかしたら飽きている人が大勢いるのかもしれない。そして、そういった何気ない意図を持たない(あるいは今のところ理解出来ない)コメントをしなくなっている人が増えてきてるのかもしれない。その減少傾向よりも新規のコメンターが多いのかもしれない。ツイッターなんてその最たるものなのかもしれない。
はっきり言って、自分が今何をしているのかとか何をどう思ったのかなんてことを呟くことに価値は見いだせない。逆に、よくそれだけの呟きに自分の思いをまとめられるものだと感動する。更に逆説的(使い方間違ってるかもしれない)に考えるに、やはりその呟きというものは突発的な短絡的な発言でしかないのである。突発的ないし短絡的な発言は、その時そのタイミングで本当にしなければならないものなのだろうか。もっと後から考えてみて整理して、そうして発言するに値するか考えてもいいんじゃないのかな。
まあそういった発言をする行為を否定するわけではないけれども。
自分個人としては、ここまで書き込んだこのチラ裏にしてみても削除を検討してしまうので理解がしにくいだけなのだ。だって、どう考えても音声だとか感情に生まれた「呟き」なり「発言」は、それを文にする際に客観的にならざるを得ないものでしょう。今現在私がどのようなことをしようとしているのかが目の前に提示された際、それに何の意味があるのか――違うな。本当はわかってるんだなあ。意味なんてないけどそうしてしまう時の心情というものが。文字にすることは自分には無理だけど、感覚的にわかっている。少し落ち着いて考えて見れば、少なくともわかったような気にはなれる。そして、そのことに疑問を呈する不毛さもわかる。馬鹿馬鹿しいことだよなってわかる。
さて、ここでよっぽど問題にしたほうがいい事柄が持ち上がってきた。けど、一瞬のことだったので忘れてしまった。何につけても自分は忘れっぽいのが良くない。←この一文を書いてしまったことによって、いよいよ本格的に思考の流れとでも言うべきものが全くの別方向を向き始めてしまったので始末に終えない。上に書いてある、よっぽど問題にしたほうがいい事柄ってなんだったんだろう。なんとなく持ち上がってきたけど、また沈みやがった、ちくしょう。こんな築一経過を報告したチラ裏を発言するつもりなのかどうか、それはまた別問題なのでこの際横に置いておく。なんていうか、かくあるべき発言みたいな問題は今は考えないようにしたいし、そもそもそんなものはあり得ないのでどうでもいい(とか言いつつ、理想のあり方みたいなのを考えてみて、結局それにも欠点というか、見方によって性格ががらりとかわることがあるのでどうでもいいなんていうゴミクズじみた結論にしか達しないのだろうなあ)。また忘れた。推敲ってした方がいいのかしらん。仮にもこれは不確定多数の誰かに見てもらうことを想定した、あるいは見られてしまうことが確定的な文章なのに、こんな破茶滅茶な形態でいいのだろうか。良くないと思う自分と、これはこれで味があっていいのではないかしらんなどとふざけたことをぬかしおる自分がいる。
ああ、問題点。何となく当て嵌まる適切な言葉を見つけた気がする。
『不確定』。これこそが、先に記述したよっぽど問題にした方がいい事柄であり、ありとあらゆる物事に対した時に生じる自分の問題点だ。問題点とするとネガティブすぎるかもしれない。厄介な性分としたほうがいい。そのほうがより適切。それともう一つ。ころころ興味が移り変わること。泡沫の種のようなものが次から次へと沸き上がってくるくせに、そのひとつひとつを発芽させることができない愚図であるということ。それから適切という解決策についても。不確定に対する今のところ思いつける唯一の解決策。自分という個人が不確定な波のような人間であるなら、最適を求めるのは酷(というか無理)であるので、より適切なものを探すという方向性でいいのではないのだろうか。
はあ。それにしても結局最後は内省的なことになってしまうなあ。太田光みたいだ。こんなことを書くと氏に迷惑か。いや、迷惑になるほどのものでもあるまいて。
自己分析ついでにもうちょっと自己嫌悪じみたことを続けようかしらん。無計画と計画と呆気無さとハードルとか、そんな諸々のことについて。あー、でもそれっぽいキーワードを並べたら、頭の中でそれっぽい答えが出てしまったからもういいかなあ。面倒だ。でもそれでいいのかしらん。それっぽい答えで満足してしまうことが自己分析なのかしらん。
結局は自分が気持のいいことしかしてないんだよねえ。ナルシズムに酔っているというか、僕ってこんなこと考える奴なんだよって喧伝したいみたいな。また同時にそうあるある自分を馬鹿馬鹿しくも思っていて、いやいや違うんです自分てばそんな奴じゃないんですよははは、みたいにフォローしてみたくもあったり、フォローしている自分を自慢したかったり。堂々巡りなんだな。目立ちたいというか、言葉が出んなー、そうだ誇示、誇示したいっていう欲求が大きいもんだから、それを恥じて。
なんていうか、 誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→Endless……))) みたいなことが往々にして起きていやがる。面倒くさい。こんな奴関わりたくない――みたいな書き込みをしてまたエンドレス。
これは考えているのかどうか。わからん。考えていなんじゃないのか。考えるってどういう事を言うんだちくしょー。思うことと考えることと感じること、いや感じることは違うか、思うことと考えることって具体的にどう違うんだろうなあ。ロジカル。規則に則って順序立てることが考えることならば、自分は考えることができない人間だ。いつだって思ってる。いかなる時でも考えずに思ってる。なんてメルヘン。ロマンチック。もう訳がわからんくなってきた。わからんっていう言葉は便利だよね。思考放棄にはもってこいだ。あれ、思考って言葉にはどっちもついているのね。つまりは考えることと思うこと。どちらもそれほど違いはないのかもしれないわねえ。それほど重要でもないのかもしれないわねえ。重要でもないことにどうしてこんなに時間を使ってしまうのかしらん。みんなから面倒な奴だと思われちゃうじゃない。まあそんなんはどうでもいいのだけど。でも、重要かどうかって、そんなに重要視すべき問題なのかしらん。重要じゃないことを云々唸りながら思い悩んでいたっていいじゃないねえ。そんな姿勢を馬鹿にはできない。しちゃいけないと思うわけで。いやいや、馬鹿は褒め言葉とも言うか。もうね、いいんだよ。もう全部いいよ。どんなことをバッチコイだ。あっていいよ。悪いことなんてねえよ。あ、あって悪いことって意味ですね。ありとあらゆる事象物事ははあり得ていいのです。そのことがらがそのものごとがあることには何に罪も糞もないのです。あることはもう仕方が無いのですからね。しょうがないのです。我々に出来ることといえば、それを受け止めることだけなのです。その存在を否定はできない。疎ましく思うことも、邪魔臭いと思うことも、消えてしまえばいいと思うこととも大いにあるでしょう。危険視したり、抹消してしまいたくなったり、暴力的な情動を抑えきれなくなることも多いかもしれません。でも、そんな生じ得るありとあらゆる反応レスポンスをもひっくるめて、今存在している遍く全てもの物事は存在していていいのです。というか、存在している限り仕方が無いのです。仮に今その存在を消し得たとしても、その存在があった記録は残る。記憶は残り続ける。ならば、その存在は永遠に消滅し得ないのです。あるということはそういう事。あるということは時間を超越するのです。そして、私たちはありとあらゆる在るという事象の中で存在しているのです。だから、その存在を否定することは不可能。在ることは仕方のないことなのです。であるからして、自分としては在ることが混在したカオスティックな状態を享受したいと思うわけなのです。更に言えば身勝手甚だしいことに、自分が心地いいと思う状態が続いて欲しいと願うわけです。しかしながら、自分が心地いいなどと思う状態というものは恒常的にそこに在るのでしょうか。また私が心地いいと思う状態そのものは恒久的に不変であるのでしょうか。そんなわけはないと思います。わからないけれども。ね。結局何が言いたいんだという。暴走したこの書き込みはどう始末を付けたらいいんだろう。増田に落とせば迷惑がかかるかもしれないと危惧してしまう。ならば削除してしまえばいいのだが、それはそれで悲しい。確かにこのような無為な文章を書き綴った記憶は残るかもしれないけれど、その記録が残らない。ハネムーンの写真を友達に見せびらかしたい気分だ。祝女でいつかやってた。あの新婚さんは今の自分の気持ちに似ているのかもしれない。
でもどうしよう。こんなもの、チラ裏にしても性質が悪すぎる。
本当の愛なんて知るべきじゃなかった。
僕はものにできなかった。
悔やんだ。
その後3年程、途切れながらも連絡はとっていたが、彼女を取り戻す事はついにできなかった。
みんなは後悔しないように生きてほしい。
真実の愛をうたう歌や物語は沢山あるが、それが一度きりだと教えてくれる人は少ない。
本物は世界にひとつしかないっていう、そんな簡単なこともわかってなかった。
唯一無二の存在と言うけれど、その言葉の意味を頭でわかっていても、その意味に怯えていなかった。
一回だけだから、絶対に失敗しちゃいけなかった。
もし幸運なことに「真実の愛」に出会えても、失敗したらその光に一生目を伏せて過ごす事になる。
もし心が震えたら、その相手がそうだ。
次なんてない。
さらに上なんてない。
一生愛せないかもしれない。
でも、僕みたいな後悔よりはマシだ。
その後悔には未来がある。
気づくのが遅くて、もう引き返せないところまできている。
「真実の愛」をとりもどせないまま過ぎて行く日々の中で出会った。
なんとなく惹かれ合って、なんとなく付き合い始めた。
愛している。
嘘偽りは無い。
だが、僕は今も、そしてこれから先も一生、あの光に目を伏せて生きて行くことになる。
産まれてくる新しい命が変えてくれるだろうか。
再び僕を救ってくれるだろうか。
いつか自分が目を伏せて生きていることを忘れるだろうか。
横だが、
個人的なソースだが、うちで作ってるエロ同人ゲームの修正ファイルの国別ダウンロード数でアメリカは日本の平均7、8倍くらいあるもん(笑)。
過去作の中には、ゲーム進行に支障を来すバグの修正ファイルだった事もあって20倍以上という事もあった。
両国の内訳は日本は「正規購入者+違法ダウンロード者」だけど、アメリカは後者のみ(つか英語版なんて大層なものは作ってないし)。
それでいてこの差だからねー。
去年の頭からほぼ毎日更新されていて、読んだ漫画、観た映画やDVDの感想、twitterのログ、買い物日記、そして日常のあれこれがずっと綴られていた。
DVDの感想やtwitterのログは量が多すぎて読み切れなかったが、日常のあれこれは一応全部目を通した。
彼女は仕事を休職し、精神科とジムに通い、自分の理想と現実のギャップに苦しんでいた。
俺は一昨年の春に彼女と別れ、しばらくして彼女との連絡を全て絶った。携帯の番号もメアドも消去した。
俺自身も心療内科に通い、無気力な生活を10ヶ月あまり過ごした。彼女は俺と別れてしばらくしてから休職したらしい。
俺は時間をかけていろんな事を忘れることに費やした。自分が彼女を傷つけたことも、彼女に傷つけられたことも。そうしないと生きていけなかった。
ブログを書くこともやめ、別アカウントでハイクやtwitterをやっていた。彼女がハンドルを変え、どこかでブログをやっていることは知っていたが、見に行くことはしなかった。
彼女のブログには俺に対する批判めいたことはほとんど書かれていなかった。少しくらいはあったが、彼女にしてみても書いて嫌な気分になりたくなかったのかもしれない。あるいは関わりになりたくなかったのかも。俺はその間、彼女に関して一言も書くことはなかった。正直、後ろめたい部分もあった。彼女を決定的に傷つけてしまった、という想いがどこかにあった。
俺の親友は彼女のことをとても嫌っていた。「あいつがアンタを壊したんだ」とも言った。それは一つの事実かも知れない。でもそれは俺も同じだ。そして俺は別れたあともしばらく彼女を愛していた。やり直せるものならやり直したかった。でも俺にはその力はなかった。自分一人を支えきれない人間が、他人を背負い込めるはずもない。だから俺は彼女を切り捨てた。出来うる限り彼女から逃げた。
一度関係を修復するチャンスがあった。しかし俺自身のミスでそのチャンスは損なわれた。向こうがそれを望んでいたかは分からない。むしろ迷惑な話だったかもしれない。
そうして俺の生活から思い出や未練が無くなっていった頃、遠くの方から「彼女が死んだ」という話が聞こえてきた。
それからそのブログを頭から読んだ。苦悩と苛立ちと、何かの諦念を纏った日常がそこには書かれていた。
時々あげられている自分撮りの写真を見て驚いた。「うつ太り」という言葉があるが、俺と付き合っていた頃のスマートさは完全に損なわれていた。ストイックで規則正しい生活を送っていた頃の彼女の面影はそこにはなかった。
それが俺のせいだなんておこがましくてとても言えない。でも俺はそんなになるまで病んでいた彼女を知らなかった。知ろうともしなかった。彼女の家族や友人たちは、おそらく俺のことを快く思っていないだろう。俺はネット上の名前を変え、何事もなかったかのようにお気楽な暮らしを続けていた。時々心療内科に通ってはいたが、おおむねその日暮らしの自分勝手な暮らしに終始していた。「病んでいる」の程度で物事を測ることは出来ないのかもしれない。でも俺は死なずにここまで来た。怒られるのを承知で言うと、彼女を切り捨て、名前を変えた事によってむしろ楽しく生きてこられた。
そうして彼女はこの世から失われた。大好きだったハリーポッターの完結も観ずに。
俺に何かが出来たとは思えない。多分向こうも関わっては欲しくなかっただろう。病人同士が顔を突き合わせても憎み合いか共倒れになるだけだ。
それでもどうしようもない無力感から逃れることが出来ない。泣くことすら出来ない。死ぬ事も出来なくなった。
これからどうしたいかははっきりしていない。ただ同じ過ちはしたくない。何かあったときに誰かを支えられるだけの力が欲しい。今の俺はあまりに無力だ。カネもコネも権力もない。心の包容力さえない。今からでは遅すぎるのかもしれない。いや、遅すぎる。しかし俺は強くなりたい。こんな想いはもうたくさんだ。
いつか俺に守りたいと思う相手ができたとき、少なくとも今よりましになっていたい。詐欺師みたいに口先だけで誤魔化していくのはやめにしたい。そのために今日も死なずに生きていく。彼女は戻っては来ない。俺はまだ向こうには行かない。あがき続ける。過去は変えられない。未来は分からない。今を一生懸命やるだけだ。
・その呼び方が人を馬鹿にする呼び方であることは知らなかった。
・俺はお前がミリタリー系に詳しいことを知っているが、そのことでお前を馬鹿にしたりするつもりは一切なかったし、今後もない。
・今後はミリタリー系詳しい人、とかちゃんと呼ぶから、どうか怒らないで欲しい。
ということを懇切丁寧に説明してまで友達関係を修復したいのなら頑張ればいいし、たかだか○×オタと呼んだくらいでへそ曲げる頑固者を相手にするのが疲れると思ったらこれを機に縁遠くなればいい。
誤解されたままが嫌なのなら自分をsageてでも相手に自分の思うところを伝える努力をするしかないと思うよ。
追記:なんか書いて消されてる記録からすると内容がお気に召さなかったようですが、必要なのは知識じゃなくて行動ですからそれに合うよう話を整理したにすぎません。頑張って下さいね。
洋ゲーに登場する女性キャラクターってどうしてブサイクなのばっかりなんだろうと呟いたら、アメリカ人を自称する外人から反応があった。
そいつによると、アメリカには宗教的なタブーから、人間が人工的に人間を造るという行為に抵抗を覚える者がいるらしい。
また、架空のキャラクターに懸想する人間はあの国では末期の麻薬中毒患者並にキモい存在だと認識されており、気合いを入れて女性キャラクターを作り込む人はあんまりいないらしい。
そういう人達は買い手のみならず作り手にも一定数いるので、必然的に微妙にブサイクな造形になってしまうらしい。
だから三国無双(リアル調の美人女性キャラクターが多い)とかドリクラ(アニメ調の美少女キャラクターが多数登場する)が普通に売られてる日本が羨ましくて仕方が無いらしい(それはお前個人の事情だろと突っ込みたかったがスルーした)。
ほんとかよ。