地震と原発事故がおきてから、「いたわって!」という言葉をよくみかけます。
買いしめとか、デマの流布とか、的はずれな批判とか、いろいろなことが問題になっていて、当局のほうも「自粛を」要請したりします。
でも、ちょっと待ってください。
「みんな不安なんだ、いたわれよ!」って、「みんながんばってんだ、がんばれよ!」と似ていませんか。
「みんながんばってんだ、がんばれよ!」ってうつ病のひとに言っちゃいけない、というのは、わりと広く知られてきたように思います。
「みんな不安なんだ、いたわれよ!」って不安がるひとに言っちゃいけない、というのも、同じようには考えられないでしょうか。
「がまんしろ!たえろ!」って言われても、できないときがあるのではないでしょうか。
「控えて!」って怒られたら、かかえこんだ不安はどうすればよいのでしょう。
あるいは、それが不安だとさえ気づかない人々は、いったいどうすれば?
(そして、それが分かるひとは、そもそもこうした問題をおこしはしません。)
彼らは、暴れないし、自暴自棄にもならないけれど、それはもうパニックと呼ばれる状態なのです。
彼らには、彼らが「だいじょうぶだ!」と思えるように、あるいは、少しでも不安を忘れていられるように、不安という感情から遠ざけてあげてください。
楽しいことをしたり、美味しいものを食べたり、あるいはいっそ遠くへ旅行へいっても良いのです。
こんなに美味しいものがいつもどおり手にはいったじゃないか。こんなきれいな景色がいつもどおりあるじゃないか。
それと同時に、彼らががまんしなくても良いように、「しかたないかな」と思えるように、あるいはそれにすら気づかないように、周囲をくみたててください。
「健康保険証と障害者手帳の数だけ売ります」みたいに決めたら、少なくともなにも条件がないよりは、他人のことを考えられませんか。
子供たちのぶんは、お母さんが買いにくるしかないんだなあ、たいへんだなあって、自然に考えませんか。