はてなキーワード: 平成とは
昔、家にあった雑学百選みたいなちっちゃい本に
「打ち込みが上手い人はこれ使うより速い」みたいなこと書いてあって、時代を感じた
バーコード読み取りなんて当然で、わざわざ打ち込むのはレタスとかの例外だけだったから
でも、それも平成前半の話
子供たちに自己責任押し付けてるだけの理不尽ドラマなのにガキをいたぶるスカッと風潮で持ち上げられてたのかな
年次 | 妻の平均初婚年齢(歳) | 母の出生時平均年齢(歳) | 父母が結婚生活に入ってから出生までの平均期間(年) | ||||||
第1子 | 第2子 | 第3子 | 第1子 | 第2子 | 第3子 | ||||
昭和50 | 24.7 | 25.7 | 28.0 | 30.3 | 1.55 | 4.09 | 6.67 | ||
平成15 | 27.6 | 28.6 | 30.7 | 32.5 | 2.00 | 4.57 | 6.78 | ||
令和元 | 29.6 | 30.7 | 32.7 | 33.8 | 2.45 | 4.93 | 6.96 |
令和3年度 出生に関する統計の概況 出生の推移
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/syussyo07/index.html
(1) 平成26年9月30日に、ひかり学園の白戸智弘と初対面し、 郁子が送迎し、次に、晴生がくるという態勢で、そのときに、晴生が郁子にポケットワイファイを渡すことによって融通
していた。
(2) 低速制限通信のポケットワイファイは、グランドブルーファンタジーにはまり込んでいた、平成28年冬までは存在した。
次に、板橋区前野町のブックオフの近くにある、 ソリッドという名前のアパートの横にある、中華料理屋に関して検討する。構成物としては、延岡市のおおぬきのラーメン屋の、一休ラーメン
と同じようなものだが、一休ラーメンの店主の、前田末廣は、 令和元年11月30日に閉店した。 前田末廣は客観的にはあの自宅の分からない部屋で寝ていると思われるので、
夜間に探索に行っても警察官が絶対に発見できないようにしている。前野町の中華料理屋は、2階に、同じようなおっさんが寝ている。
延岡市のKDDI電磁場基地局訴訟について論及する。 KDDI電磁場基地局は、あゆやなの近くにあるとされて、平成18年10月末に、増田が音頭を取って供用開始したが、その当時
電磁場健康被害があるとして、60代高齢者が、太田啓司に対して、訴訟を提起していた。太田啓司は、平成24年10月17日に、問題はないという判決を出した。
しかし、電磁場健康被害といっても不分明であり、 インターネット通販大手がその問題に気が付いて、 電磁波遮断グッズを開発製造し、売り出した時期も不明であり、経緯は全く分からない
(1)平成28年4月の春に、晴生が、ポケットワイファイを中止し、BBIQに切り替えたため、それまで閲覧できなかったTwitterやYotubeの大量通信動画を閲覧できるようになった。
(2)当時、Twitterを閲覧していたところ、クソガキばかりで見るに堪えない、見るようなもんじゃねえな、ということで一時期放置していた。
(3) そのような中、 ぷちくら、というアカウントがあり、なんか臭いけど、お前でいいけん脱げブタ、という感じで、何回もリプライを送信したところ、相当数の者から、クソリプと言われた。
(4) 平成29年6月に、スカイプを通じた家庭教師の際には、ものとしては、社会保険審査官の中嶋康弘みたいな感じで、危険人物には見えなかった。
(5)その当時の私の頭の中にある教科書の世界では、全く矛盾がないし、整合するため、すち、というリプライをしたところ、とほほ・・・という返事になった。
以下、ぺちちゃんがうざくなってきた経緯
(1) ぷちくらは、平成28年10月30日に数検1級を受けて合格し、翌年、東大理1に合格して、杉並区に住んでいたが、平成31年2月25日に退去して、八王子に移動していた。
(2) 教養学部1年次は、自分の仕事は渋谷でちりしを配っているとかいう発言があるとともに、たまにくそうぜークソガキみたいなツイートがあったことから、そういう時は、クソガキが、と言っていた。
(3) その後、元々は、ぷちくら、だったにもかかわらず、いつの間にか、アカウントが、ぺち、に切り替わっており、アカウントがぺち、に切り替えられて以降、 およそ、ぷちくらとは思えないようなツイート
や行動が増加するようになり、次第に、以前の、自分の世界では矛盾せず整合するという状態ではなくなった。理由の1つとして、誰が本人であるかが匿名性により全く分からないことである。
結局本人が出てきたことは一回もない。
そこで、当裁判所は、次のような結論に到達しました。 最近のぺちは、意味が分からない。もはや、自分の教科書の中における専門知識を総動員して、技術を用いても理解できない存在で
ある。過去の経緯として、まず私は、 平成19年11月17日にインターネットのPearlに登場したMONO君に対し、その当時、一生幸せにするから結婚しろと、懇請したことは事実である。その
理由は、平成19年11月17日だったからである。 折から私は、 平成19年10月13日に、東大法学部が破綻して精神的に多少発狂していた時代でもある。
平成19年9月28日
グループ会社のシステム構築のために3ヶ月だけ地方で勤務したことあるけど、田舎ってマジで価値観違うんだよな
自己紹介で「趣味はゲームです」って言っただけで「〇〇君はコテコテのキモオタなんだねぇ」みたいないじりを言われたことがある
最近つくづく思うんだが、ネット上で露悪的に言われるような差別的な言葉を悪意なくリアル言い放つやつが田舎には多すぎる
「ポリコレうっざいわ〜」といつも思っているような俺ですらドン引きするレベルの会話が行われまくってるんでその実例をご紹介したい
なお、訛りは標準語に変換
会社の昼休み中、俺の妻はフィギュアスケートにハマってますよと話題に出したときに言われた一言
カマホモってリアルで言えちゃうのホントやべぇなってドン引きしてたんだが周りの同僚も「ですよね〜」みたいな反応していた
自己紹介の時間みたいなのがあったんだが、A子さんの自己紹介が終わったあと隣に座ってた同僚がこそこそこれを言ってきた
その後、「A子さんは勇んで東京の大学行ったんですけどこっちに戻ってきていまは事務ですからねw普通に最初から地元で就職すればよかったのに無駄っすよねw」といらん補足説明までしてくれた
一通り研修が終わってから社内で振り返りをしていたときに課長から出た一言
お前は一体何を聞いていたんだと心の中でツッコまずにはいられなかった
いわゆるDINKsをやっているんだが近所のおじさんにニコニコ言われた一言
この地域にはデリカシーという概念はないのだなと察したきっかけ
東京で上記のことを言えば上司から戒告処分の一つでも余裕でくだされると思うが田舎ではそんなことはない
故に普通に生きてりゃ身についていくであろうデリカシーも全く身についていない
正直異星に来た気分だった
ソフトというのは、 平成30年9月か、平成31年3月のどこかで、ほとんどたまたま発見したデリヘルで、最初に出てきたのはももかで、いつ行ったかというのも記録がない。
そこで主論点になるのが、東京には、ソフトのような店はないので、外観形式からしても、そういうところに行っていないのは、 小島良二も、柚須泰和も、城戸、中谷、宮脇も知っている。
【あたりまえだのくらっかー】
昭和の言葉。平成の世に使用すると、自爆する死語のひとつ。「当たり前だ!」というところを、「あたり前田のクラッカー」と言ったりする。
つい最近父型の祖母が死んだ。子供のころから耳を患っており、音声を介した会話はできず、意思疎通には文字または手話が必要な人だった。
障碍を持っているがゆえに教育機会にも恵まれず、文字コミュニケーションをしても知能の遅れが感じられた。
子をなすことと家事・育児が彼女の成人後の人生の全てだった。彼女にとっては通常の人間が行う様々な所作が重労働であっただろうことは想像に難くない。
彼女は常人に追いつくための努力をしてそれらをこなしていた。そんな、尊敬に値する女性だった。
障碍をもつ祖母を娶った祖父はどのような人間かというと、田舎で運搬を行う低収入の肉体労働従事者であったらしい。彼らは出会い、4人の子を成した。そして祖父は4人目の子が15歳の時に事故で死んだとのことである。
そのなかの3番目の子が私の父であった。父の話によれば、彼が17歳の頃に祖父がトラック事故を起こしたらしい。即死ではなく、大腿部の切断を行った。
治療はうまくいかず。普段は見せないような痛みに耐えきれぬ泣き顔を時折見せては、子供らが見守る中息を引き取ったという。
祖父の存命の時から家庭は貧困状態にあった。学も財産もない人間が4人も子を成したら、それは大変であったろう。
貧しい家庭では教育よりも労働が優先された。長兄には教育が必要とのことで高校教育を受けさせたが、次男・三男坊に教育の猶予はなく中学卒業後肉体労働を課せられ日本全国方々に散った。末子は祖父の保険金で地元の高校に通うことができたという。
父は中学卒業後、身寄りのない関西に送られ、その後中部各地を転々とすることになったとのことだが詳しくは聞いていない。彼も、話さない。
長兄は家を継ぎ母と住み続け、その後末子は高卒だけあってよい企業の工場に勤め先が決まり家を出た。このあたりで次男は消息不明になったという。女性関係とのことだが詳しくは聞いていない。今や生死もわからない。
ところで母方の祖父母の話に移ろう。彼らは一般的な農家の生まれであり、裕福でも貧乏でもない育ちの人間であったが、どちらも体が弱かったため将来的に介護が必要となることが懸念されていた。両家余り物を押し付ける形で成立した婚姻であった。
そこで生まれたのが母である。母には個人としての意思は認められていなかった。なぜならば生まれながらの介護要員だからである。
その数年後、弟もできたようだが幼くして死んだ。弟が死に益々気力・体力を失った祖父母は母に未来の介護を切望するようになった。そのような母が他家に嫁ぐことなど許されない。
そこで紹介所を介して婿養子として選ばれたのが長子でもなく自身の家庭を築くほどの経済力も持たない、立場の弱い男である父であった。
母は歪んだ人間である。なぜなら介護が人生の全てであるから。人生に選択肢はなく、子供のころから祖父母の介護のために存在していた。友人関係も希薄に「されて」いた。
そのような都合のいい子しか知らない祖父母が父を婿養子として迎えたわけである。父の人間としての尊厳は最初からなかった。結婚の翌年私が生まれ、翌々年弟が生まれた。
時はすでに平成になっていた。世間体とは大変ありがたいもので、親戚づきあいを浅く保っている拡大家族においては昭和時代のようなあからさまな家庭内暴力は起こらなかった。
母の歪んだ奉仕心は、幸いにも夫や子にも向いていたため私はきちんとした公教育をうけることができていた。塾や習い事、玩具などへの投資は殆どなかったものの、私や弟も義務教育を周りの子供と同水準で享受することができた。制服も入学時に新調してもらえ、修学旅行も参加できたため、最貧層の子供よりは大変良くしてもらえた。父は祖父母から金銭を奪われ、労働のみを人生としていた。生活費との名目で稼ぎを家計に吸い取られていたようだ。
そんな時、父方の長兄が死んだ。事故死だった。未婚であり嫁子供はいないものの、その頃には父方の祖母は衰弱しており、介護を必要としていた。
そんな機会に自身の生活に限界を感じていた父は、なんと仕事をやめて離れた実家に帰ってしまったのである。
...
そこから家庭を顧みない介護生活編が延々と続き、父方の祖母は父の労働リソースを奪いつつ丁寧に介護されて穏やかに死んでいき、一方で父親が消えて崩壊した家庭が残ったのだが、書き疲れてしまった。
俺の時代はクリエイティブやプロジェクトにガンガン勧告入ってたぜ!
マスコミにすっぱ抜かれる前に処分された従業員は両手で数えられないほどいる。
著作権に関しては時代的に甘かった気もするが、それでも剽窃に関してはよく内々で処分されていた。
特に芸能系の領域だと人間=商材なので、勝手に食うやつが多いから大変だった。
今はコンプラとかモラルがある程度浸透したから、そうした小悪党(犯罪に大きいも小さいもないが)を摘発する体制が縮小し、
部門自体が小さくなって内部統制をするための実力や影響力が失われたんじゃないかなあと思ってる。
別に法務が絡まんでも、親分が子分を"詰めて"詫び入れてきたとか、平成の世でもあったからなー。
会計上どうしようもない現ナマがオフィスに転がってて、法務に詰められた思い出もある。
公の司法/警察に委ねずに事実上の社内司法が独自に処分するってのも、今の世の中よくないってのもあるよな。隠蔽とか言われるし。
でも結果として中間領域が無法地帯になってるんじゃないかな、と思う。
モラルのない大多数がいた時代は、大多数を抑圧するための社内統治が機能していたけど、
モラルのある大多数の時代には抑圧装置は失われ、モラルのない少数を阻むものがいない。
バランスって難しいよな。
平成30年、31年は、ままんの家でかなり我慢していた、日記には何もないと記載っていうか日記自体つけてない割に多分相当なことがあったのではないかと思う。
但し、いつ何があったかということは、日記してないので全然分からない。記憶にもない。ままんのオヤジが電話で何か言っていた時代もあるが
令和元年夏だかに、荒川のバーベキュー会場で、警官を殺さねばならないと叫んでいたのでそれに相応することがあったのだと思うが、 1つ2つしか事件が思い浮かばない。
1つは、H30.11.6の、 篠原直樹の暴行で、 お前も分かってると思うが、 平成30年、31年の時代は、 少年の犯罪者とかではなく、男の警官にやらせてたんだよな
それが、平成30年、31年の特徴。 昔と今では全く状況が違う。 R5.7.15以降は、 ほとんどが電磁場、 AI攻撃で、昔は全くなかったものが機能している。
当然お前が最近のようなものを作るようになったのも、 R6.5.23、24,26, 6月2日、13日、 R3.6に、自転車をとっていった、むらたがいた時代もあったが、当然、状況的に、
大嶋が志村に来た令和2年とか興味ないんだよ。黎明期である、令和元年、平成30年の方が問題だろうが。あの時代は、軽犯で調べた警部補が、 おまえ、リヴァージュシティのベランダ
に入って女性の下着を取ろうとしてんじゃねいだろうな、という言動もあったし、あの時代はあの時代なりに最悪だった。むらた、とかもあったしな。最近はどちらかというと、そういう、上地恵栄とかに
興味がありそうな男の警部補や井上修二は鳴りを潜めたし、途中には、やまもと、とかもあったしな、ああいうのもめっきり居なくなって、最近は佐藤っていうか、あの、女子供に首切られた、女の
腐ったようなごみが、少年の方に誘導しているとか、そういう感じの対策になってきているな。なんにしても、志村が腐れの巣窟であるのに変わりはない。男が中心になって扱っていた時代も最悪だったし
そこで検討するに、おぺち本人というのは、平成30年から全然明らかにならず、この、ぷちくらというものはどんな構成物であるのかということが問題になった。出現した警察官の種類を順に
検討するが、板橋ジャパンがあった時期はもはや黎明期と呼ぶにふさわしい時代であり、8月11日に、佳代子が、とにかく警察を呼ぶな、もう呼ばないって約束したよね?出ていってくれる?
という風に、奥田佳代子に言われた。その時代に出てきていた警察官は、大奏(おおかなで)なんとかといったガキだが、あまりにも黎明期の話過ぎてその当時に出現していた警官の種別は
忘れた。R2.6.19から、今でも有名なあの、大嶋が来たらしいが、R3年は、目玉ライトを上下に2つつけていて、赤羽の暗やみから自転車で出現し、帰るぞ、と大声で言う若者がいたが最近は
消えている。その当時、R3年頃は、今みたいなことはまだいわゆる、みんな、と呼ばれる集団がやっていなかったので、布団の中で総合的に検討すると、 本官か木元か熊谷か松本が、おぺち
じゃねえのかな、と思ったが、Twitterの、ぺち、という名札を張っている写真の腕が太いし、その腕の状態が本官と同じようなものだったから、最近になってその、本官と言うのが、ぺち、じゃないのか、
という判断になった。しかし、この、ぺち、というのが一般に、ここから先はぺちを倒してからにしておけ、というものとして評価されており、その中には、人工知能の、八田与一なども含まれているので、
それがどんな構成物であるかといってもにわかに理解し難い。 おぺちの有名なTweet として、 食べるのは好きだから食費は削りたくない、嫌なのは怖いことと虚無です、点滴はいやずら、といった
自分は東大法学部卒で団藤重光先生の弟子だった、あなたと5歳しか違わないのにまーなんでそんなこというんでしょうなどという具体的な会話が平成30年、31年頃に携帯電話を
介して存在したがここ2年ほどは着信後に電話が切れるという感じ、最後に残した言葉は、「有名なやつ・・・」というだけ。爾来、法律の内容、技術を教えたことは1回もなく、極めて醜悪な
性格から、大体、簡潔な事項と過激な事項の合体した定理やなんかだと完全と言われていてそれでほとんどうまく行くということは知られるのがまずいので決して教えない。
メゾンときわ台に引っ越した2年前は左程と言うこともなく、新居、新居住権が与えられたという感じで意気揚々だったが、新しい住まいができるという期待権は、11月頃に、3階のままや
周辺者が合鍵を持っていて室内のジュースを飲んで玄関に捨てているのが発覚した時点で失われ、R4.11.29に待ち合わせたように延岡で強制保護。
睡眠中にみんなが見ている夢はおそらく巨大な装置が設置されていて警察の無線で送っているから見るのであると思うが、インターネット利用者は、それが理解できているから、その無線を遮断すると
思っていたらそれもしていなかった。そんなこんなというリアルなのか詐欺なのか分からない10年間が経過して今があるわけである。幸いにしてR5.6.9から金光(ちーぎゅちーぎゅ)が盛り込んでいた
アパートの契約更新なしは佐藤の夢誘導でなくなったりして自然的な結果として契約更新となったが実質的な居住への期待権とか文化的な生活は失われた。もともとは、健康管理の小島良二、
須佐の考えでは、病名を変える、ゆくゆくは自閉症スペクトラムで裁判を・・・、または措置入院、が予想されていたため、昔から最悪だったとも言えるが、最近、関係する警察官が全く出現しなくなった
すなわち、精神錯乱による保護、措置入院、 飯沼病院とも何の音信もなくなったことからその辺の話が消えた代わりに、寝ている間の催眠や放火の量が甚大である他、警察の保護が次第に
薄らいでいることから、最近は、警察以外の者による攻撃が増加しており、R5.8月頃は、本官の自転車を蹴り倒し、本官が、本官の自転車を蹴った、などといって怒り狂っていたが、最近は警察官
そのかわり迷惑もかけない。
自分の人生の楽しみ、そして意義は、自分の娯楽スキルや社交スキルに応じて自律的かつ柔軟に決めていく。
逆にいえば思考停止は許されなくなるから、その点では常に時代に適応していく負担感はあるののの、デジタルネイティブにとっては負担ではなく息をするような自然なことだろう。
10年後、20年後には、「結婚するタイプの人ってなんか……無自覚に迷惑かけてたり他人に負担をおしつける幼稚な人ばっかりだよね」ってことがバレていく。
新人類は、ネットワークによる思考のハイウェイ化の影響で、何よりも精神的自立・成熟に重きを置いていく一方で、経済的自立能力に関しては、技術の進歩によっていかようにもカバーできるようになることで、経済力と人格評価が結びつかないようになっていくことだろう。
2006年スロベニア大会の第3問は問題自体は東大でも20年前から扱われてきた最大値を求める問題だが、核心は、a≦b≦cの対称性を飛躍的に利用するという点にあり、
これの対称性が保存されているから全体が成功する。 2b=a+cの条件を満たすように、 2つの不等式を抜き出すといいということで、完全無欠なようにやる
東大の二次試験に出せるくらいの内容の問題、 平成4年ごろに似たような問題が出ているが、 スロベニア大会の問題は、対称性に関する特段のアイデアを必要とするもので
なるべくしてそうなるというんですか
模範解答を考えて書いたのは宮岡洋一先生であるというが、本当かどうか分からない。
宮岡洋一が何で出来ないか、自分で考えてできるとは思わないからである。 完全無欠な式変形をするテクニックが必要っていうか、結局、東大理3者もできないわけだから。
東大の後期試験で、才能をみるとかいって、この種の特待試験が実施されたこともありません。 だからなんっていえばいいのかね、斎藤秀司とかも、つまらないわけよ。なんでかって、何で一番
エレガントな技術を必要とする数学の問題をそんなに執拗に扱わないのか。 超対称性、完全補題、パスカルの定理、これらを答案を書くときに出すというのは魅力です。