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はてなキーワード: 職能とは

2012-01-22

こんな大人になってはいけない

既婚40代中盤。

いまのところ収入はあるが、会社の将来は暗い。

仮に食いつないでも退職金はない。

転職を繰り返し、その場その場の知恵で何とか切り抜けてきたけど、職能と呼べるものはない。

なのに、一部の人からは「できる人」とみなされてしまった。で、堕落した。

気がついたら何もない。だからたいした仕事もしていない。

妻の収入は少なく当てにならない。

貯金はあるが、だんだん減っていくだけ。これで失業でもしたら住宅ローンが返せなくなってアウト。

いまのうちに手を打たないといけないんだけど、何もやりたいこと、向いていることがないので何もしない、できない。いろんなことをごまかしながら、内心びくびくと生きている。


子どもがいないのが唯一の幸運


何をするにもやる気がないので、どうしようもない。

もっと悲惨人生もいくつも知っているけど、こうやって崩壊する前のぼんやりとした不安の中で過ごすのも、それなりにつらいもんだよ。自業自得なんだけどね。

2012-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20120119105021

年齢による価値暴騰・暴落とかは

恋愛市場に乗った場合の話でさ

安定した穏やかな人生を送りたければそういうのから距離をとればいいんじゃねえかな

あとやっぱりそれなりに勉強して強い資格とか職能を取ること

俺は男だけどそういう人生だし、女で恋愛市場に乗れないって人のサバイバルは応援したい

2012-01-02

一生独身で行こうと思った正月

一生独身で行こうと思った2012年正月

理由は次の通り。

職場から結婚しろという同調圧力が弱まった。

年功序列給与体系を組まれていた頃は、結婚と子作りが昇進条件で未婚だと定昇しか年収が上がらなくなったが、

成果主義職能給になってからは既婚や子持ちが昇給要因から完全に排除された。

離婚タブー視されていたころは、熟年離婚もそれほど多くなかったが、

今では定年してかつ子育てが終わったとたんに、嫁から離婚を告げられた上に、慰謝料財産分与の名目で家も取られて

いきなり独り身で放り出されるリスクが非常に高くなっている。

セックス風俗ですればいいし、たまたま恋愛に陥ったら同棲だけすればいい。

結婚というシステムに乗る価値をまったく見いだせなくなった2012年正月

2011-12-18

従軍慰安婦問題をきちんとしたいのなら

日本は性文化消費先進国として『性』への態度をはっきりさせるべきなのだと思う。

■性は消費されるという問題から逃げないこと。

 性は消費されることがある、ということを正しく啓蒙すること。今までこれをなあなあにしていたから、反社会的組織下駄を預けることになったり、ポルノグラフィと非実在創作物との関係をうまく説明できなかったりしている。その結果として、望むと望まざるとに関わらず性文化提供する側に立っている人間への対応が遅れてしまっている。日本で性を消費物として扱っている企業はほぼブラック労働形態を強いられている中小企業であり、若者向け産業界萌えという言葉浸食しているという現状だ。

 きちんとした『性産業』や『性風俗』の再定義、それに従事する人間への対応が必要ではないか? 例えば日本売春婦は立派な職業である、ということを、いま制度設計する必要があるんだと思う。何故国家をあげてそのような仕事をする必要があるのか? というと、おそらく、国が認めた職業じゃないと従軍の部分が説明つかなくなるから。これをやらないから援助交際を含めた素人の無秩序な淫行が蔓延しているわけだし、暴力団収入源にもなっている。暴力団を撲滅させたところで働く場所として無秩序さが高まり、不幸になる人間が増える可能性は否定できない。そういう国としての姿勢を明らかにしないと、なんとなく『慰安婦という一方的な奴隷じゃねえ、売春婦という国が認めた職業だ』と言ったところで誰も納得しないんじゃないか

性教育から逃げないこと。

 一方で、生産の根源としての性を正しく伝えなければならない。男性性・女性性の相互理解、性科学的な観点からの正しい知識の継承啓蒙妊娠出産に対する社会の関心を高め、子育てへの理解と環境改善を促す。生きることに関わる情報子どもに対して先回りして伝わる可能性は、現代社会ではとても高い。そのような状況に対応するために、性教育についても、小学校から担任に任せるのではなく、専門教員による指導が適切であろう。最低でも助産師を担える程度の看護師保険医であることが望ましい。医者溢れ、看護学校卒業生溢れ対策、女性雇用創出にも繋がるかもしれない。非常勤教員化するのであれば、地域警察青少年課などでも働くことで、知識や経験を蓄えることが出来ると思う。収入も上がるし。

 こういう地道な努力を正しくやり続けることが、慰安という職能への理解を生み、さらには少子化抑制につながるかも知れない。慰安婦の人たちを救うのは賠償というお金ではなく、多分『あのとき慰めてくれてありがとう』という男達の言葉なのではないだろうか。

2011-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20111019192718

ありがとうございます

ここ数年のことをいろいろ冷静に考えてみると、組織として必要な職能ではある

ですが、私ではなく、もっと適任な方がいるのだと思いました。

経営者の方は私の代わりはいくらでもいると思っています事実そうなのだと思

ます。私も同じ事やるにしても、もうここでは気持よく働ける自信がありません。

なので、来年の3月で会社を辞めようと思います(少し貯蓄しないといけません)。

ここにいたら何だかいろんなものがすり減っていってしまいそうです

2011-09-23

ネットにはもう二度と書き込みしないので、最後に資料だけ放流しとく

処女厨(笑)だよ!こんにちはこんにちは!(パクってごめん)

PCから資料ごと消去するので、後は好きに使ってね!



処女非処女は区別しやすいですが、非処女と危ない女は見分けがつかないのでゴミ箱に捨てるしかありません。

危ない女を結婚前に排除するため、結婚を考える男の中で処女フィルター重要性が高まってきています


危ない女一覧




  元AV出演者、援交経験者、乱交サークル参加者、元風俗嬢セフレ常備女、ハプニングバー常連客、ハメ撮り掲載歴あり

  性病持ち、SNS出会い系ネット常駐ヤリマン不倫経験愛人歴あり、メンヘラヤリマン子供がいる事を隠すシングルマザー

  元彼と今でもセックス、どこかのオヤジと今でもセックス中絶経験により出産不可 、他人の子どもを身ごもっている




処女というフィルターでこれらの危険な女をほぼ排除できます

まずセックスして非処女と判明したら別れを切り出して非処女を排除します。

これが第一段階。 非処女と明確に判明しなかったら、



次の第二段階で業界団体法人コネクションがある、歴史のある信頼できる興信所調査会社に依頼して女の過去を洗いましょう。

そして、処女再生手術を受けた危ない女 or 高度な演技力を持った非処女 =偽装処女 と

or 結婚後に問題を起こす兆候が見られる処女 を排除しましょう。

非正規雇用者比率の推移(男女年齢別)  http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3250.html

 35歳~44歳  男性 8.1%  女性 51.3%

勤続年数ごとの平均年収  勤続年数 30年~34年 の場合

 男性 約710万円  女性 約390万円  http://nensyu-labo.com/heikin_kinzoku.htm

女性の平均年収はどの世代も300万円を超えない

 http://nensyu-labo.com/heikin_nenrei.htm

ほとんどの企業採用されている基本給タイプは属人給+仕事給(年齢給+職能給)である

 http://www.com-info.jp/win2.html  

 


 ※未婚男性が若くて低所得なのは当たり前。加齢と共に所得婚姻率は上がる。

 ※低所得な男が増えたか結婚できないんだ!と煽ってきたら → 高所得な男は女選び放題だから、他の女よりも優位に立つため処女のままでいたほうがいい!と返す




女性給料は上がらない

 http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/03/dl/s0310-10b_0003.pdf

非正規雇用の勤続年数は短い

 http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/10/dl/01-1-4.pdf

正社員女性」の「勤続30年の平均給与」は547万円 (「正社員男性」は平均746万円)

 http://homepage3.nifty.com/54321/seisyainnochingin.html

既婚で正社員女性は少ない

 http://www.gender.go.jp/whitepaper/h18/gaiyou/danjyo/html/zuhyo/G_12.html

女性管理職の割合 大企業では管理職全体の1割にも満たず

 http://www.jinzainews.net/article/body/d55471b671baeb60e66f3a48dccfa876

女性管理職ゼロ企業23%、「増加傾向」と回答した企業も低下

 http://www.jinzainews.net/article/body/e25db83ba2913f7d230456e1ebfbdbba

女性子供を育てながら正社員として働くことに対して、

企業側は大企業中小企業を問わず子ども看護等で急に休んだり遅刻したりするリスクが増える」ことを

懸念材料として挙げている割合が高くなっている(第3-5-22図)。

 http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/h21/h21/html/k3520000.html

男性女性給与を比べると、どの産業においてもすべて男性のほうが高額で、女性男性の半額以下というケースも珍しくない。」

 http://careers.job.nifty.com/cs/catalog/careers_topic/catalog_080821001186_4.htm

男性賃金100とすると女性賃金は中卒71.1、高卒75.2、短大卒85.4、大卒87.2

 http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/shuntou/2010/shuukei_bunseki/09.html

男性賃金100とした場合女性賃金の値 (男女間賃金格差の国際比較

 http://www.gender.go.jp/whitepaper/h19/gaiyou/danjyo/html/zuhyo/G_11.html

 スウェーデン 88.4 フランス 86.6 英国 82.6 米国 81.0  日本 66.8

世界の男女賃金格差マップ  http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-06-06/2009060605_01_1b.jpg

賃金総額男女比の国際比較 http://www.gender.go.jp/whitepaper/h22/zentai/html/zuhyo/zuhyo012.html

男女賃金格差の推移 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3350.html

厚生労働省の男女賃金格差レポート http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/seisaku09/pdf/01.pdf



今までは男社会だったけど、これから企業男女平等になっていく!と煽られたら



→ 結婚出産で早期退社しやすいリスク生理PMS更年期障害、ほか女性特有の病気乳癌子宮癌など)の病気を起こすリスク

  個人差があるけど全体的に男性ほど体力がないので割り振れる仕事の幅が狭い、損益計算書 http://kabukiso.com/apply/zaimu/pl.html を見せて、

  男と対等にするために下駄を履かせる人件費販売費一般管理費の金額がクソみたいに高くなるけどどうやって利益を出していったらいいの?

  など、企業から見たデメリットを列挙する

高齢単身女性の2人にひとりは「貧困層」?

 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0419&f=column_0419_008.shtml

高年齢になるほど女性自殺率が上がる「性・年齢(5歳階級)別自殺死亡率(人口10万対)の年次比較

 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/3.html

餓死か病死の可能性 マンション女性遺体 大阪豊中

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110109/crm11010900310002-n1.htm

孤立死する高齢者「年間1万5千人超」-ニッセイ基礎研究所が推計

 http://www.excite.co.jp/News/health/20110506/Cabrain_33992.html

→ 生まれすぎた子供はどう処分されていたのか見せる



江戸時代人口調整方法

http://www.systemicsarchive.com/ja/a/population.html



※これに、都合のいい伝統だけ継承するな(チョンマゲを結え、常に着物を着ろ、仕事ミスしたら切腹して自殺しろetc)という煽りトッピングしましょう。




  • ハッタリ程度には使える煽り

ロンドン心理学者研究によると婚前交渉と離婚率は相関性があるらしい

要約するとビッチは言わずもがな離婚率が高く、

また意外なことに経験人数が少ない女性でも非処女だった場合離婚率が上がる

ここから伝統文化社会規範を守り通す女性のほうが、離婚しにくいことがわかった・・・と。

Joan R. Kahn, Kathryn A. London, 'Premarital Sex and the Risk of Divorce', Journal of Marriage and the Family 53 (1991): 845-855

原文 http://www.jstor.org/pss/352992



1970年代まで、たとえ恋愛結婚でも、女性結婚までは処女でなければならないという暗黙の規範があった』

小倉千加子結婚の条件』p79) http://amzn.to/ozSjLr



1970年代からの傾向

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/images/2460.gif  未婚非処女率増加

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/images/1540.gif  未婚率増加

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/images/2777a.gif  離婚件数増加

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/images/2777.gif   婚姻率激減、離婚率上昇



嫁が非処女だったため、結婚を後悔している旦那が多いことを奥さんは知ってますか?

http://www.news30over.com/archives/594152.html


A:20~29歳 女性の総人口2005年



  20~24歳  3,595,776 人 25~29歳  4,081,498 人



人口統計資料集 2011年度版」>「Ⅱ.年齢別人口」>「表2-2」

 http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/Popular2011.asp?chap=0



B:20~29歳 未婚女性の総人口2005年



 未婚率  20~24歳  88.7%  25~29歳  59.0%

 http://www.mr-as.com/data08.html



 20~24歳の未婚女性 3,595,776 × 88.7% = 3,189,453 人

 25~29歳の未婚女性 4,081,498 × 59.0% = 2,408,083 人



C:20~29歳 未婚処女の総人数(2005年



結婚出産に関する全国調査 > 付表4 未婚者の性体験の構成比

 http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou13_s/Nfs13doukou_s.pdf



 (緩和基準:「性体験なし」+「不詳」)の場合

  20~24歳 36.3% + 9.5%  = 45.8 %

  25~29歳 25.1% + 14.5% = 39.6 %

 

   3,189,453 × 45.8% = 1,460,769 人

   2,408,083 × 39.6% =  953,600 人  



 (厳格基準:「性体験なし」のみ)の場合 

  20~24歳 3,189,453 × 36.3% = 1,157,771 人

  25~29歳 2,408,083 × 25.1% =  604,429 人



20~29歳 未婚処女の総人数

(緩和基準) 1,460,769 + 953,600 = 2,414,369 人

(厳格基準) 1,157,771 + 604,429 = 1,762,200 人



(緩和基準における本当の処女率)

  {2,414,369 / (3,189,453 + 2,408,083)} × 100 ≒ 43.1 %


(厳格基準における本当の処女率)

  {1,762,200 / (3,189,453 + 2,408,083)} × 100 ≒ 31.5 %



調査が行われた2005年よりも今(2011年)は非処女だらけかもしれないじゃないか!と言われたら

 →  女性が草食化しているから http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2465.html もっとセックスしよう!と煽るアンケートが増えている と返す



以上。ばいばいきーん☆

2011-08-31

差別がない社会ってよくわかんない

性差

  1. 性別問わず採用結果がすべて女性、あるいはすべて男性でも問題なし。
  2. 採用男女比が必ず5:5になるようにして、採用能力考慮するなら、各性別の上位を採用
  3. 特定の性別だけを採用

学歴編(ただし、学部新卒を対象)

  1. 学歴わず採用結果がすべてFラン、あるいはすべて東大でも問題なし。
  2. 採用校比をできるだけ平等にするように、大学別の多様性を重視した採用能力考慮するなら、各大学の上位を採用
  3. 特定の大学だけに求人を出して、そこから採用
  4. 大学レベルに応じて重み付けをし、高学歴をより多く採用し、低学歴をより少なく採用する。

専攻編

  1. 文理問わず採用結果がすべて文系、すべて理系、あるいはすべて芸術系、体育会系でも問題なし。
  2. 採用比が各系列平等になるように採用
  3. 特定の専攻のみを採用職能的に文系が出来る仕事でも、理系のみを採用しても問題はないか

年齢編

  1. 年齢問わず採用結果がすべて18歳、あるいはすべて64歳でも問題なし。
  2. 採用年齢比が限りなく平等になるようにする。能力考慮するなら、年齢別に上位を採用
  3. 特定年齢だけを採用

追記:学歴編に4:を追加。

2011-07-20

東電を潰せば東京人が喜び福島人が泣くということ

政府内はともかくとして、"世間"的には東電は潰すべきという威勢の良い主張が多数を占めているようだ。

そういう主張をする人は、東電を潰すのが原発被害者にとって不利益であることを知らずに主張しているのか、それとも知った上で己の利益のために主張しているのか、どちらなのか気になる。が、前者であることを多少なりとも期待して、説明しておく。

 

世間一般で東電を潰す、つまり倒産破産or民事再生or会社更生)させるべきだ、との主張は、潰して現有資産を売却することで賠償の原資を確保すべきだ、との理由によるようだ。

しか倒産処理は、資産現金化だけではなく、債務の減免を伴うということが、何故か無視されている。倒産主張者は「債権者にも負担を求めるべきだ」と言うが、今回の被害者もその「債権者」に他ならないことを、何故か無視している。

まず破産場合債権届出期間内に届け出なかった債権者配当を受けられない。破産手続きが終われば会社が消滅するから債務を負うものがいなくなるから、請求できなくなる。

民事再生または会社更生の場合債権届出期間内に届け出なかった債権者は、債権の内容を、再生計画・更生計画の定めに従って変更せられる。つまり債権額が一定割合に縮減される。

今回の原発事故に起因する損害は、今後数十年にわたり発生し続ける。例えば今年生まれた新生児が30年後に産む奇形児についても(少なくとも理論的には)賠償の対象となる。

しかしこうした遅れて現れる被害者は、債権届出期間内に届けることは出来ない。

それゆえ東電を潰した場合、被害賠償は不完全なものとなる。

なお朝日新聞社説なんかは、倒産処理により賠償を受けられなくなる被害者には国が補償をすれば良いとする。しかし、東電の負う不法行為責任と違い、この「補償」とやらは国にとって義務的なものではない、いわゆる「見舞金」に過ぎない。この財政難の折に、賠償と同じだけの見舞いを、国民が容認するとは考えがたい。「原発を誘致した福島土人にも責任がある」というわけだ。

またとある有識者」は原発被害については債権届出期間を延長する特例を設けて対処すれば良いとする。しかし、かかる特例の法的問題をクリアしても、次なる問題として、債権届出期間が継続している限り倒産処理は終結せず、それゆえ東電裁判所監督下に置かれ続けることになる。国民でも国会でも行政でもない、裁判所である裁判所はその職能からして現状維持的な経営しか行えないが、それを30年続けるのは異常かつ危険だ。

30年後に産まれる奇形児を救済するには、東電は潰れていないほうが良い。チッソ社の存続が水俣病患者を助けるように。

 

倒産主張者はこういう。「そうは言っても債務超過で賠償できないじゃないか。」

なるほど短期的に見れば東電現金は賠償に不足するだろう。

しかしそれなら借金すれば良いのだ。

東電は必需品の独占が約束された企業であり、それ故に継続企業価値無限大だ。したがって時間をかければいかなる借金も返済できる(だからこそ東電社債は安全とされてきた)。

このように確実に返済できる以上、国が貸し手になることもできる。税金を投入しても、最終的に国の財政にとってプラスになる。国民負担ゼロだ。

 

では何故、借金による賠償が"世間"の評判が悪いか

それは、東電借金の返済のために電力料金を上げると考えられるからだ。

関東人はこれを「国民負担」と呼ぶ。しか現実には関東負担だ。関東人は日本人の1/3を占めるため、彼らの不満があたかも"世間"の不満であるかのごとく扱われる。

 

この関東負担を免れる論法の一つとして、倒産とともにまたは倒産に代えて、発送電分離提唱される。値上げした東電から電気を買いたくないというわけだ。関東人大喜びである

しか発送電分離を行えば東電の独占が崩れ、しかも賠償金負担によって競争上不利な地位に立つから、遠から東電倒産破産)することになる。そうなれば上に述べたように、被害者が泣きをみることになる。

原発による被害の賠償は普通会社には荷が重い。これは「補償」(賠償ではない)を国がすべきだという主張者がしばしば言うところである国民全員の負担にすれば関東人の負担希釈される。関東人大喜びである

しかし、幸いにも東電普通会社ではないから賠償が可能なのだ。だというのに、現に賠償責任が生じた段になって市場競争に晒される普通会社にしようというのは、被害賠償軽視に他ならない。

ついでにもう一つの論法として、原発保有電力会社に分担させよ、というものがある。しかし各電力会社負担はその地域の電力料金やサービスを通じて各地域の住民の負担となる。つまり負担を全国に肩代わりさせることが出来るというわけだ。関東人大喜びである

 

まとめよう。

世間ウケの良い一見東電に厳しい案は総じて、関東負担を減らし、被害者負担にするかまたは国民全体に希釈しようとするものである

現に被害が発生してしまった以上、被害者が泣くか、東電(ひいては関東人)が負担するか、国民全体に帰責するかのいずれかとなる。

しかるに東電は(東北電力のように高台に原発を作る等の)安全確保のためのコストケチってきた。

今そうして回避努力を怠ったリスク現在化した以上、そのコストは全面的に東電が負うべきである

そしてそのコストが電力料金に反映されようとも、それまでリスク回避費用を免れた電力料金を享受してきた以上、やむを得ないものというべきである

2011-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20110518154103

・「いくらでも」というのは基本的に「限界考慮する必要が生じない程度に、まるで無限であるかのように」って意味合いで使われる言葉なんであって、

 そこに「いや有限だ」って突っ込むのは、中学生レベル揚げ足取りだろう

いや、そんなことはない。

そもそも人材が潤沢にあるかどうかなんてのは職能水準の高さやその業界貢献する人間の数によって異なる。

「いくらでも」というのはそういった細部を徹底的に無視した、「すべての人間はすべての人間代替しうる」という超弩級の暴論。

これこそ中学生レベルの話。

・「自分でやる」ってのがどういう意味なのかよく分からないけど、「嫌ならやめろ、俺が代わりにやる」って人はいるだろうし、

 もちろん「俺は嫌なら辞める」って人もいるだろう

 「嫌だけどやめられない」というのは弱者の振る舞いであって、それを批判するのが強者の主張だというのは当然のこと

そういえばこれ見て思ったんだけど「嫌ならやめろ、代わりは俺がやる」って後に、「嫌になったけど代わりが弱者ばっかりだからやめられない」っていうケースは十分考えられるわけだ。思えばこの弱者強者というのはわれながら恣意的に過ぎる運用だったようで。

2011-04-30

頭の良さの指標

  1. ものをゼロから創りだす人(創造者)
  2. ものをゼロでなくても作れるように改良する人(製造者)
  3. ゼロから創りだされたものを掛けあわせて新規性を打ち出す人(捏造者)
  4. それらを自分流に真似したりして、間接的におこぼれをもらう人(寄生者)
  5. それらを書かれたとおりに真似して、直接的におこぼれをもらう人(模倣者)
  6. 何も生み出さず口だけの人、また口だけほどしか生み出すことのない人(批判者)
  7. 何も生み出さず、ただ右から左へものを横流しにする人(横領者)
  8. 何も生み出さず、喋る頭もなく、受け取るだけの人(受益者)


多くの人間はこれらが重ねあわせて存在するが、年令を重ねるにつれて上に上がることは難しくなる。つまり、製造者でありながら受益者となることもあるが、主に受益者に甘んじる人が製造者になれることは少ない。

日本では横流しにするだけの仕事が高付加価値を生み出す稀有な例が多く見られるゆえ、これに当てはまらないこともある。

情報が多様化することでこれらを整理して見やすくする<分解者>の存在が一時期貴重化されたが、その職能は個人に分配されたためそれを生業にする人はいずれ受益者寄りとなる。

2011-04-13

「騙された」とか歌って喜んでる斉藤和義信者はこれ読めよマジで

戦争責任者の問題

伊丹万作


 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚しいである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだがたまに外出するとき普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れられない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現はないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化無気力、無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人の尊厳冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりとしているのである

 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念をもちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義であるしかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。

 戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分自分家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。このばか正直をわらう人はわらうがいい。

 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである

 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。

 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。

 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発企人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述ほとんど何一つなされていなかつた。

 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したである

現在自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」

 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。

 しからば私のほうには全然いい分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏手紙示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているかである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである

 なお、私としていまつの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである

 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初ボタンをかけちがえたら最後ボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである

 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。

 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する破目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後したいという決意を、やつと持つことができたのである

 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差ししたことを付記しておく。

「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしましたしかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。

 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。

 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものでありますしたがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめことなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります

 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疏通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです

 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなです。また、療養の目的からも遠いことなです

 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)


(『映画春秋昭和二十一年八月号)

2011-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20110319184637

数万人単位労働力が必要になりました

では、求職者はそれにマッチしている職能を備えているでしょうか?

漁業農業はいどうぞと提供できるわけじゃありませんね。

土地持ってる人が死んじゃ技術伝承などできませんね。

というわけで、この犠牲で生まれた雇用経済はそのまま喪失しつづけると見たほうがまとも。

で、それを見ながら狭い頭脳労働の枠を巡るわけですね。職業選択の自由バンザイ

ちなみに僕は体力も筋力もなく運動音痴でそういう仕事は適性ないので他の人にやらせてください。

2011-01-17

タイガーマスクよりプロボノを。

仮面の模倣者たちより、プロボノを行う人たちをもっと評価して欲しい

なにやらランドセルとかを不法に投棄するのが流行っているようなのでこのチャンスに乗じてプロボノを紹介しようと思う。

そしてこの増田エントリプロボノを知る機会になってくれたらと思って書く。きっと最も良い奉仕の行動であるから

ボランティアというと奉仕活動で困っている人や相対的に苦しい立場の人のために無償で行動すること。ってみんな理解していると思う。

ボランティアには2つの側面がある。


奉仕している人の受益

1.自分が良いことをしている事を実感する。

2.人に喜んでもらう充実感

3.体を動かした仕事をすることそのものの満足感


奉仕される側の受益

1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。

2.直接的に利益を得る。


この側面が合致することが条件でボランティアは成り立っている。

どちらかが欠落してもそれはボランティアはない。


プロボノとは、自分職能を使って「直接被支援者を助けること」を言います。(語弊があったら指摘下さい)

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普通ボランティアと聞くと、困っている人のために行う雑用みたいなもの。というイメージはありませんか。

私もなんとなくそんなイメージした

・ドブさらい

ゴミひろい

草刈り

・清掃

・要介護者への支援

など、など。

ボランティア奉仕する人の満足感が大切です

本来「困っている人を助ける。」というボランティア大義名分を合理的に果たす方法を考えてみてください。

最も自分が相対的に高いスキルを持つ「仕事」をこなし、得た給与を配分することにほかなりません。

自分価値を最大化し、それを提供することです

価値の最大化の例

・大手商社に勤めるAさんは1時間あたり5000円の給与をもらっています。

・町の美化活動委員会は、先日の大雨で詰まった自然公園排水溝を掃除するボランティアを募集しています。

Aさんが半日かけて慣れない手つきで掃除を手伝うことはとても素晴らしいことです。まさにボランティアです

「1.自分が良いことをしている事を実感」し「2.人に喜んでもらう充実感」を得て、「3.体を動かした仕事をすることそのものの満足感」もあります

しかし合理的に考えたらAさんは半日休日出勤して仕事をこなし、そのお金で清掃専門業者を5倍ぐらい雇うことができます。((※大手商社給与が高く、清掃業者への報酬が安いという偏見!という批判は命題ではありませんので割愛させて下さい。))

清掃専門業者に支払う代金を1時間あたり1000円だとしましょう。

5,000円*半日(4時間)=20,000円 == 1,000円*5人*半日(4時間)

さらに、普段運動不足のAさんとそれを生業にしている清掃専門の作業者では効率も倍近く違うかもしれません。

ということは10倍もの価値損失がおきていますね。

大抵の社会人自分が相対的に最も秀でている技術能力を使って生活費(現金)を得ています。それが最も『効率が良い』からです

つまり、Aさんはボランティアなんかに参加せず、休日仕事がある!と言って金だけ出したほうが町の美化委員会にとって何倍も助かる。という事になります

でも、なにか違うと思いませんか。

ボランティアにあるべき奉仕する側の受益がないのです

それどころか、なにか良いことをしたかったはずなのに休日出勤までして金をむしり取られた気持ちです

あるいは、煩わしいからと金だけだして知らんぷりの「嫌味な金持ち」という感じさえします。

ここが募金ボランティアの違いです。

募金より提供した側の満足感が大きいのがボランティアです

つまり、「純粋奉仕される側の事」を考えたら、本来最も良い方法はお金提供する事。なんですね。


ところが、実はもっと良い方法があります。それがプロボノです


プロボノというのは「自らの職能をもって相手を直接支援する事」です

SEが孤児院のホームページを構築してあげる。

弁護士が無償で弁護すること。((※士のつく職業は実は法律的にややこしい制限もあったりします。))

大工さんが棚や机を作ってあげる


何か違う。とお考えの人もいるでしょうか。

仕事仕事であって、ボランティアはない。とか。私も初見ではそう感じました

でも、もう一度思い出して欲しいです

奉仕している人の受益

1.自分が良いことをしている事を実感する。

2.人に喜んでもらう充実感

3.体を動かした仕事をすることそのものの満足感


奉仕される側の受益

1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。

2.直接的に利益を得る。

この両方の利益を最大化するのがプロボノです

職能が直接的に相手に供される。というのは仕事で稼いで現金提供するよりももっと効率的なのです

会社で業務として行う仕事とは違い「会社利益」や管理工数等として搾取される手数料のようなものも発生しません。

自分したことが「直接相手の利益」になります

ということは、それだけ相手にも「より喜んでもらえる」のです


プロボノという働き方

http://www.shibuya-univ.net/class/detail.php?id=608

http://gkmyhn.blog106.fc2.com/blog-entry-28.html

プロボノは自分仕事スキルをフルに活かしたり、普段仕事にはあまり直接結びついてない自分の得意分野を存分に発揮して生き生きと成果を出せることにあります

普段商社デスクワークをこなすAさんにとって「排水溝の掃除」は得意分野ではありません。不慣れな場所に足を運び、持ち慣れないスコップで泥をさらう作業をすることは心細いものです

まして、気心の知れた人ばかりがまわりにいるとは限りません。

でもプロボノは日ごろ仕事で培った技術や知識をフルに披露することがそのまま社会貢献につながる、という魅力があります

そして、そこで得た経験がさらに自分仕事の幅や経験や知識になっていきます

仕事を続け、両立しながら空いた時間を使って自分経験や満足感を得ることができる社会的な活動なのです

Aさんがすべきプロボノは例えば「商社で培った人脈を生かし、公園自然保護活動に積極的な近隣の団体に声かけをする」だとか「企業広報活動の一環として組織的に手伝ってくれそうな法人や団体を探す」等だと思います。

その上で自分も手があいていたらスコップを持てばよいのです。疲れていたら寝ててもいいと思います。十分貢献したですから


プロボノ最大の問題点は「職能と助けてもらう人のマッチング」にあると思います。

私の夢はそのマッチングを行う仕事をすることです

http://servicegrant.or.jp/

2010-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20101103180806

簡単に言えば、起業していた期間はサラリーマンにとって多くの場合キャリアにならないってこと。

大手企業のような場所に勤めるサラリーマン比較的余剰資金を貯めやすく、信用や知識を得やすい側面があるけれど、

一度3年ほどもキャリアに穴を開けてしまうと再就職は非常に難しい。

多くのサラリーマンは一度起業するなら、自分がそれまで積み上げて来たキャリアを残らず捨てる覚悟がいる。

まぁ、IT系みたいな技術職や個人の職能に根ざした起業ならそうでもないかもしれないけれど。

儲けの仕組みが思い浮かんでトライするような起業だと、ほぼそれまでの全てを捨てることになる。

だからサラリーマン起業しないし、出来ない。

まぁ、日本雇用流動性のなさが問題って話でもある。

リスクってのは基本的に失うことだけれど、既にいろんな面で多くを持っているサラリーマンにとっては

お金を失ったり借金を背負ったりすること以上に、サラリーマン立場を失うことがリスクなんだよね。

2010-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20101011021147

いや、というか。

お仕事とか大学における英語ってのは所詮ツールに過ぎないわけで。

お互いの意思と意味が的確に通じて、かつそれが内容として評価されればぶっちゃけなんでもいいんですよ。

我々はお互いの専門分野をとりあえず英語というツールを媒介に交換・伝達しているわけで、

言うなればエスペラント語がないからしょーがねえなと思いながら英語使ってるわけで。

だから、誤読がおきなきゃなんでもいいし別に誰も笑わない。

だってそこは便宜的に「じゃあ英語で」ってエリアなんだもの。

それよりは中身が超大事で、それさえ良いものならぶっちゃけなんでもいい。

だから、語るべきツールを得るのは職能の分野であってアカデミズムの分野じゃないのね。

国際教養大学大学という名には値しないと個人的には思うな、もちろんこれは定義の問題だから汎用性に乏しいけども。

大学選びのコツについて。

http://anond.hatelabo.jp/20101010195957

を読んで考えたことをつらつらと。

この増田はそもそも大学選びに失敗してる気がする。

俺が思うに、大学には二種類ある。もちろんこれは超テキトーな分類で全般に通じるかはわからないが。

俺は某旧帝の教育学部中退して早稲田に入りなおしたんだけど、この二つの間にはモノスゴイ違いがあった。

前者は、カリキュラムが入学時点でほぼ確定してる。何の免許を取るか、くらいしか多様性がない。ある意味職能的な大学だった。

俺はそれが非常にクソつまらなく感じてあっという間に中退してしまったんだけど。

逆に言えば、こういう大学はブレがない。卒業生はある程度の能力キッチリ叩き込まれる。

その上国立教育学部場合実習がほぼ強制で入ってくる。(私立の場合は任意のところが多いはず)だからその部分に関しては手抜きが出来ない。授業の選択肢もぶっちゃ言って「第二言語を何にするか」くらいしか選択肢がない。まぁ、教育学部なんだから当然なんだが。自然、全員の持つ大学学問への意識が統一される。元増田はこういう環境に身をおくべきだったんだろう。

その点、マンモス私大というのは超フリーダムだ。

ほとんど何の縛りもない。早稲田場合(除く理工)四年間超適当単位を取ってクソみたいな卒論を書いても卒業は出来る。

学内で同じ専攻でもやってることは全く違ったりもする。学部レベルではやってることに全く統一感がない。

授業は本当に何をとってもいい。だから楽勝授業ばっかり選んでると自分が何をしてるのかあっという間に見失う。

ある意味モラトリアムダメ人間育成所と言ってもいい。意識が低いと自然にそうなる。

だから、早稲田名物ダメ学生が大量発生する。「日大と大差ない」というのは嘘でもなんでもなく、ホントに大差ない。

入学時の学力なんか大学三年目でドロドロに腐っている。推薦組もアホほどいるし。

だから、ダメ学生の群れの中で自分のやりたいことを探して実行していける自信があるヤツはマンモス大学に行けばいい。

その逆はカリキュラムのカッチリ固まった大学に行けばいい。

元増田は前者がダメ後者が良いと言う。俺は全く逆で、後者絶望して退学してる。

この二つをしっかり見極めて選ぶことは、実は物凄く大事なんじゃないかとふと考えた。自分職能を持った人間になりたいのか、それとも良い環境の中で学問をやりたいのか。この二つはホントにしっかり見極めないと入学金をムダにする。俺はムダにした。

あともう一つ。

小さめの大学意識が周囲と違うっていうのはマジでやばい。小さい大学の小さいコミュニティマジで多様性を許容しない。

逆に、大きい大学の大きいコミュニティは多様性の塊で、自分を見失うヤツが後を絶たない。とことん腐っていくやつが多い。

この二つのメリットデメリットをしっかり見極めて大学に入ったほうがいいと真剣に思う。マジで

2010-09-05

どうしたものか

簡単に言ってジレンマである。

正直、転職可能な年齢ではないので、現職にとどまらざるを得ない。幸いにして業績は悪くないので雇用は確保されている。

が、以前に休職し、職能的にもキャリア的にも断絶期間があるため、同期の中では給料は安い方である。

この世の中、給料がもらえるだけでもありがたいのかもしれないが、色々な収支を考えると給料を上げないと破綻することがわかった。

従って、休職して以降自分でこなせない仕事量は決して引き受けない方針できたのを、転換した。

基本的に、仕事は受ける。どう考えても今の手持ちの仕事の上にその仕事はできないのはわかってるが、受ける。

もちろんできるだけそれらが終わるように努力するが、時間は有限なので所詮単位時間内にできる仕事は同一である。

ところが、驚くべきことに同じだけしか仕事が終わらなくても引き受けた方が評価が高いのだ。

俺が引き受けなくて他の誰かにアサインされていれば、その仕事が終わっていたと誰が見ても明らかで、組織全体からすると生産性が落ちているのにもかかわらず、である。この現象は弊社の当部門だけだと思いたい。

ところが。

仕事量を調整して余裕を持って仕事をしているときと、あれもこれもとがんばりながら、結果として仕事がこなせてないときとでは、完成する仕事の量は同一でありながら、俺の精神的負担が大違いなのだ。

そもそも、なぜ休職したのかと言えば、仕事がきちんと終わらないと気が済まない、頼まれたら何とかして助けたい、と言う思いが強くて、深夜まで残業して休日も出勤して仕事をして、精神的にも体力的にもぎりぎりで仕事を何とかこなしていたあの頃。本当に微妙バランスで生きていたそのときに、他人が失敗した到底実現不可能な納期の仕事を押しつけられて、色々なものの限界を越えたからである。

従って、この「仕事が常に終わらない状態」がじりじりと精神をむしばんでいく、というのはあのときの再来を感じさせるという意味でも、さらに精神的負担が高い……。

もっとも、今は休日は基本的にはきちんと取るし、残業も月あたり標準時間を40時間超えるぐらいしかしてはいないので、体力的なつらさには陥らないようにしてはいるが、さすがに。

まあね、仕事を引き受けるだけで評価されるのは、とりもなおさず「他の人ができるだけ仕事を引き受けないスタンス仕事してるから」に過ぎないので、便利屋になってつぶされるというパラダイムから未だに抜け出せてないと思うと、ぞっとするわけですよ。

まあ、とはいえ、お金も欲しいので、適度にがんばるしかねーよなー、ぶっ倒れないように。

2010-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20100811143716

被雇用者権利」を一生懸命守った社会が生み出したものが、派遣労働という歪み。

正規雇用人間が、自分の安全を守りつつ、他者に不利益押し付けたものだ。

あなたの言う不利が、「何に対して」の不利なのかによって話が変わりそうだが、少なくとも生活保護などの機構は今でも機能している。

そこに対して、再出発のハードルを下げるのが、「流動性」の効用

当然、自身の雇用者としての「安定性」は下がる。

そこを補うのは、本来職能であるべきだったのだけれど、日本では規制により実現してしまった。

2010-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20100803225429

ずっと言っているけれど、「それはそれで」良いんじゃないんですか?

職能といった限られたリソースに商売が縛られるべきではないと「あなたが」思うのは自由ですしね。

でも、それと同じく、そうした職能で商売したいと思う人も、世の中には沢山居るでしょう。

そうした人に、各論を無視して一般論を言うのですよね。

あなたのしようとしていることは効率の良い商売ではありません。

かなり博打要素が強く、邪道とも呼べるものです。

とか。


ちなみに、こうした考えで行くと、世の中の人はみんな、出来うる限り不動産商売「など」を目指すべきで、

そうできなかった人が、「仕方無しに」そうした「リスクの多い低級な」商売を選択するようになるのですかね?

2010-07-22

なんだかんだいって学歴を結構判断基準にしてしまう

低学歴の人って体験談や長年訓練した職能については信頼できるけど

ちょっと幅広い話題とか抽象的な会話となるともう

おつむも知識も足りてなさ過ぎて、

相手してて「うわああああ」

ってなるじゃん?

そんなんじゃない人ももちろん居るけど少数派だし。



ネットで会話してる時も相手の学歴とか見られたらいいなって思う。

混乱や時間無駄が減ると思うし。

2010-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20100630190022

※ ここで言うプログラマ日本的な意味でのプログラマ。広い範囲を職能とする海外プログラマは対象にしていない

だから、googleとか言っても仕方が無い。

2010-06-12

結婚市場での女の価値 AルートBルート

女の価値…と言っただけでキレる人がいそうだがキレさせておけばいい

ビジネス誌なんかに書いてある「自分価値を高めよう」みたいな価値だと思いねえ



婚活だのなんだのと

人のスペック物件化して市場とみなすなら

女の価値形成には極端に言って二種類のルートがある

A・いい歳まで働き仕事自己実現、そののち職能生かして共稼ぎ

B・若くて可愛いうちにさっさと嫁になって甲斐甲斐しい専業主婦



女は大変だと言われるけど選択肢がAしかない男に比べたらもう一個あるとこは自由度高いよね





…で本題なんですけどね

会社の1個上の女性の先輩の「結婚したい」発言がですね

そろそろ度を越してきたんですよ

なんか最近「もう仕事疲れたから専業主婦になりたい」とか言い出しちゃってんの

でもあんたAルートじゃん、Aルートを選んじゃったじゃんと言いたい

言いたいってか問い詰めたい

面倒くさいから言わないけどね



あんた今年32じゃん

給料俺と同程度取ってるじゃん

今更その長所全捨てしてBルートに参戦するなんて気が狂ってるじゃん

Bルートに参加する為のパラメータはもうズッタズタじゃん

って言いたい

面倒くさいから言わないけどね



誰かの不合理性を見つけ出して指摘することに人一倍意欲旺盛な彼女

なんで自分結婚のことだとああも破綻しきった混沌発言をするのだろう

「それstrategy的に何点なんですかー」

って突っ込みたい

面倒くさいから言わないけどね



最近もうギャグめかすことも忘れてマジレスなの

マジレスでそういう発言をされても突っ込めないからめんどい

まあ多いと言っても週4ぐらいの頻度なんだけどさ

積み重なると本当こっちも神経やられてくるの

一回でいいからハリセン突っ込みてえなあ

2010-01-30

派遣プログラマというお仕事は何によって評価されるのか?

※ ここで言うプログラマ日本的な意味でのプログラマ。広い範囲を職能とする海外プログラマは対象にしていない。

どうもプログラマという職業の評価というのは曖昧だ。営業マンのようにうまいこと数字で表せない。ロジカルな世界であるはずのプログラマという職業は、評価において非常にアナログだ。


何によって評価されているのか?ということがわからないと、人は迷走してしまう。


ゴールドマンサックスリーダー養成担当であったスティーブ・カーという人が、「仕事に対するフィードバックが無いのはピンの見えないレーンでボーリングをやるようなものだ。結果を把握しないで仕事をしていると2つのことが起こる。1つには上達しない。もう一つに、どうでもよくなる。」と言ったそうだ。深い。

コーディング能力言語の知識だけで評価されないどころか、その評価軸は半分以下であることは言うまでもないが、私の同僚の中でも有数のキレモノは、この解いに対して、「最も大切なのは、勤怠と週報ですよ」と断言した。さすがキレモノw

せっかくなので、派閥でまとめてみよう。

結局コミュニケーション能力なんだよ。オタクじゃダメなんだよ派(コミュ派)

この派閥はイキオイがあるし、だいたいこの派閥の人はイケメンだったりカワイコちゃんだったり、話が面白かったりするので、周囲としても軽々には扱えない。がしかし残念ながらあまり周囲の評価は受けていないようだ。多分周囲の嫉妬を買う部分も多いのだろう。ただ、この派閥にいる人が一番迷走している傾向が強い印象を受ける。


この仕事なにする仕事よ?コーディングでしょ?言語知識でしょ勉強でしょ派(知識派)

少数派なんだけど確実にいる。コミュ派とは敵対関係。彼らに迷いは無い。もし周囲が彼を評価しなかったとしたら、それは彼の実力を正しく評価できない周囲が悪いのだ。


学歴だね、キミはどこ卒?派(学歴派)

この仕事しててあまり学歴の事を問題にされることが無かったので、絶滅したものと思っていたが、存在するようだ。学歴と「地頭の良さ」みたいなものがリンクするという考えのようだ。マクロ的には相関があるかもしれないが、個人個人の揺れ幅が大きすぎていまいちピンとこない。学歴そのものをお客さんが評価するとは思えないので、学歴のあるヤツは何でもうまいことやるだろうという信仰に基づく意見だと思われる。


・・・仕事の成果でしょ?派(実力派)

少数派である。新人は平気でこれを言うかもしれないが、むしろ大勢は、「成果で評価されたらたまらんわ」くらいの勢いがある。案件の当たり外れが大きすぎるのが問題だ。新人でも無く、経験年数10年以上になってもこれをちゃんと言ってる人と言うのは、そもそもハズレ案件自分に持ってこない政治力を持っている。ただまあ、質問に対する応えにはなってない気はする。「実力だよ」って回答するのと大差はない。


天才です。派(電波派)

あまり何言ってるのか主張がよくわからない場合が多いが、とにかく才能であると、なんだかよくわからないが才能であると。コミックTHE3名様」のミッキーみたいな感じの派閥。(読んでない人すみません

・・・・。派(無言実行派)

文句のひとつも言わず、残業サービス残業でモクモクとやる派。仕事を頼みやすいので、お客さんもどんどん彼に中途半端仕事を投げてくる。結局のところこの派閥頭角を顕して行く・・・のか?

2009-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20091125122125

そうそう。そういう話なら納得性あるんだよね。

評価システムの問題で個々の職能部門が部分最適な状態に陥っちゃってるとか、他にも色々理由はあると思うけど。

2009-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20091020152831

いくつかの理由から若者よりも60歳以上の人のほうがいいと考えています。

定年~要介護の間に介護経験させるメリット

自分の目の前に迫る要介護状態を理解しやすい。

・要介護側から相手が若者だと無茶な要求がしにくい

定年を遅らせるデメリット

・下の世代の指導者の芽を摘む

・体は衰えてきたが脳はまだまだ現役という妄想を抱えた足手まといを退場させられない

若者介護に使用するデメリット

若者職能が蓄積しない

結婚出産を阻害し少子化が更に進む

若者の人数が圧倒的に足りない

若者がますます貧しくなる

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