はてなキーワード: 火薬とは
亀のタリと兎のシャドがいた。タリは海の中をスイスイ泳ぐが、シャドはいつもタリを軽蔑している。シャドがタリの業を無に帰するために、陸では鮫たちを称える運動をし始めた。タリはそんなことを気にもせずに暮らしていたが、シャドの嫉妬心は頂点に達し、ついにタリを海から引きずり出す計画を立てた。
シャドは鮫たちと結託し、タリの住む海底の洞窟に火薬を仕掛けた。そして、タリが海中で眠っている夜、シャドは火薬に火をつけて爆発させた。海水は激しく揺れ、タリは洞窟から吹き飛ばされて陸に放り出された。タリは目を覚まし、自分がどこにいるのかわからなかった。周りには鮫やシャドの姿はなく、ただ荒涼とした砂漠が広がっていた。タリは恐怖と絶望に打ちひしがれた。自分はもう海に帰れないのだと思った。
しかし、タリはあきらめなかった。彼は自分の殻を使って砂漠を歩き始めた。彼は海を求めて歩き続けた。途中で、彼は他の亀に出会った。彼らはシャドや鮫に追われて海から追い出された者たちだった。彼らはタリに同情し、一緒に海を探すことにした。彼らは困難に立ち向かいながらも、仲間として助け合って歩いた。
やがて、彼らは海を見つけた。しかし、それはシャドや鮫が支配する海ではなく、別の海だった。それは青く澄んだ海で、色とりどりの魚や珊瑚が泳いでいた。タリは感動して泣いた。彼は仲間と一緒に海に飛び込んだ。彼らは自由に泳ぎ回り、幸せを感じた。タリは思った。シャドや鮫のせいで苦しんだこともあったが、それがあったからこそ、この美しい海と仲間に出会えたのだと。
最近、天敵が少なくなったからよく釣れるようになったよと釣具屋の親父から聞く
夕暮れごろの神社の境内に、赤い提灯を仕掛けておくのが狙い目だとのこと
参道には姿は見えないが先客がちらほらいるらしい
世代の古いお面やら、角のつぶれた玩具の箱やら、尾びれの股が分かれすぎた出目金やら、的屋の場所借りした仕掛けから、狛犬の首に巻いた赤い布や、灯篭の根元に置かれたきんちゃく袋みたいな古典的な仕掛けまで
太公望気取りを刺激するのも、糸が絡むのも嫌なので、目立たぬ方に歩みを進めて、自然とついた路地裏に陣取って、電柱に赤ちょうちんを仕掛けて、日が沈むのを待った
その辺の店の神棚からかっぱらってきたお神酒と、地べたに盛られた塩を肴にしょうもない時間を過ごし、時折寄ってくる野良猫を追っ払う
火に脂のはじける音がして、草履や法被が参道に喧騒を連れてくる
人込みは屋台に気をとられたかと思うと、鳥居をくぐって、音頭のなる方へと流れていく
どうも本通りを外れた提灯には見向きもされず、私の仕掛けは間抜けな明かりで地べたを照らすのみだ
しばらくするとひゅうんと音がして、人々の視線が空へと浮かび、的屋は客の視線を戻そうと声と身振りを大げさにしていく
夜の帳が降りたころが釣りの幕開けなのが粋で、空に火薬の花が開いたら帰る合図だと諦めの早い太公望が通りすがりに声をかけてくる
ますます見向きもされない仕掛けを前に、空からの破裂音がむなしく響いた
そろそろ潮時かと片付けの準備をしかけたころ、赤提灯の下に小さな影が丸い眼をしてやってきた
年の頃は5、6歳の童が水色の甚平を着て、綿菓子の袋を大事そうに抱えている
坊ちゃん、迷子か、こっちだよと優しい声音で引き寄せて、童の腰のあたりまで提灯を垂らした
ゆらゆら揺れて降りてきた灯りを不思議そうに触る甚平の袖に針をひっかける
ほれきたと当たりを喜び、竿をひき、糸を手繰り寄せ、本日の釣果を胸に抱く
小柄だが朝餉くらいにはなるかとバケツに放り込むと、童は体に見合ぬ大声で泣きさけび始めた
空に打ち出される火薬玉よりも、音頭を鳴らし続ける太鼓の音よりも、酔っぱらいを運ぶ救急車のサイレンなんかよりも、一等大きな声が母を求め、窮地を嘆き、バケツの中で暴れ狂う
遠くから童を呼ぶ女の声がして、共鳴しあうように童が声を張り上げると、女の声もさらに大きくなり、だんだんと路地裏へと近づいてくる
面倒だからさっさと帰ろうとしたところ、バケツから生臭の匂いがした
童が勢い余って小便を垂れた上に、懐に入れていた金魚袋を振り回したすえ、紐の握りを緩めて手放したらしい
バケツの底のたたきつけられた金魚とお小水とで、興ざめし、路地の隅に童を返して、その場を去った
兄弟に空のバケツを見られ、神社にボウズになりに行ったのかい?とからかわれたので
ちげえよ、ナツマを釣りに行ったんだと返した
国立新美術館で、蔡國強展をみた。
入り口を入るとすぐに、広くフロアが見渡せる、壁を作らない構成だから、見ている人は結構多くても距離がとりやすく、見やすかった。
火薬を使って作品を作るアーティスト、くらいの認識だったから、割と火薬・爆発・焦げ目・炎とかに取り憑かれたタイプの人なのかと思っていたけど、ベースにあるのは世界の根源にある宇宙の誕生、生命のベースになる地球のマントル、そうした遠くにあるエネルギーと人間との関係性、みたいな観念的なところから作品を展開していったのかな、という印象。
観念ベースなので、成果物となる作品の表面だけから読み取れない部分をテキストから補足する必要があった。火薬を使った作品の多くには、漢字で何やら書き込みがあって、それは屏風の漢詩のようにも見えるし、作品の構想を書いたメモにも見える。火薬の焦げ目だけではもたない空間の余白を文字で埋めるという、物理的な理由もありそうだけど、やはり言葉・ロゴスにより観念の一部を表面化するという点で、思考が先行しているタイプの人なんだろうという感じ。
テクノロジーに対する興味関心の強さ、歳をとっても作風を広げられる柔軟さは素晴らしくて、そういう姿勢は見習わなくてはと思う。(小並感)
銃の解説記事を読んでて、ふと、気になっていたことを思い出した
漫画だとサイレンサー付きの銃の発射音には「ボシュッボシュッ」という擬音が使われることが多い
アニメでも「ボシュッボシュッ」「バスッバスッ」とでも表せるようなSEが付けられる
多分、爆発してガスになった火薬の噴出音なんだろう
しかし、Youtubeで"surpressor"で検索して見られる動画だと
ガスの噴出音よりハンマーだかスライドだかは知らないが金属同士がぶつかる時のような「カキンカキン」「カチンカチン」という音に聞こえる
サイレンサー付きの銃の発砲音の擬音やSEに今のような表現が使われてるのはなぜなんだろう?
マイク・スピーカーを通さないで生身の耳で聞くと金属音より噴出音の方が聞こえるんかな?
https://aqm.hatenablog.jp/entry/2023/06/26/012313
あと、一点だけ
さすがに標的に当たった音とは勘違いしてないと思うぞ
https://www.youtube.com/watch?v=OvVCCWjSLfI
https://www.youtube.com/watch?v=_eDoeWr_9BQ
改めてみると「カキン」「カチン」より「シャキン」とか「ジャキッ」の方が近い気もするが
まあ、発射音としては全くコンセンサスがないな
決して珍しくもない絵面の決して珍しくもない話の割にはそこまで退屈せずに見れたというのは凄いことだったと思います。
そもそもこのテーマで一本映画を作ろうとしたこと自体が、何気ない他人の日常にコンテンツとしての価値を信じられる感性によるものであり、それは火薬の使用量を競い合うようなハリウッド映画に染まった心の毒を中和するような作用があったかに感じました。
ですがそれだけですね。
変に説教臭い後半の展開も、ひたすら何も起きない前半の展開も、別段面白いと感じられるものはありませんでした。
ただただカメラワークと間のとり方が上手いというそれ以上のことはなく、見やすさ伝わりやすさを極めることで退屈な景色さえも映像作品となるのだという学びは、創作をする人からすれば大きな価値があるのでしょうが、消費者にとってはどうでもいいことです。
素人が撮った自撮りカメラとは全くレベルの違う状況説明能力、イマジナリーラインがきちんと守られた映像のつなぎの妙というものに対していちいち感嘆するような褒め方をすることを、玄人ぶって嫌らしいと感じてしまう私の感性にも問題があるのかも知れませんが。
とはいえ凄いのは視覚的な部分だけというか、演者のわざとらしくなさを目指しすぎて逆にわざとらしいような演技や、映画のお説教的な部分を全て口にさせてしまう脚本などは、生まれた時代を考慮してもなお拙さを感じさせるものがあります。
今の時代の駄作を見るよりは間違いなく恵まれた体験とはなりましたが、傑作として現代の傑作に肩を並べる力があるかと考えると厳しいものがあります。
技量は素晴らしいですし余計なノイズも少ないですが、面白さの総量においては2時間という上映時間に対してあまりにもか細いと言わざるを得ません。
雑味の少なさは優れいていますので、減点法で映画を評価したがる人はこういった作品が好きなのかも知れませんね。
ど派手な火薬の爆発や伏線回収、CG合成による非現実感のある光景などによる加点がどこまであったかで映画を評価する加点型の人間には合わない映画だったと言うだけなのだと思います。
減点法で映画を見る人、中でも最近の邦画は演者がとにかく大きな声を出せばいいと勘違いしていた気持ち悪いなどと日頃愚痴って回っている人などはこの映画を見ると満足していただけるのではないかと感じました。
本当はこういう文書くのどうかなあと思ったんですよね。
こんなこと書いて自称ジャンルの治安維持を名目にしたお気持ちヤクザみたいなファンって言われると困るなと思うけど、言われても仕方ないしなと思いましたし。
対象は子供向け作品ですし、実写作品で現在大人気のコンテンツですし。
でもちょっと昨今の意見の分かれ方を見まして、「考え方を変えろとは言わないけど頭の片隅には置いておいて欲しいな」と思ったので書かせて頂きました。
大人気の特撮シリーズでウルトラマンってシリーズありますよね。
去年大盛況でしたね、「シン・ウルトラマン」とか。
最近新しいウルトラマンと番組の放送時期の発表が来たり、今も新情報のカウントダウンが行われていますね。
その新情報を巡りまして、その中の一つの作品、「ウルトラギャラクシーファイト」という作品が今注目を集めています。
「ウルトラギャラクシーファイト」は今3シーズン?3作品?出ています。
最初のシーズンは今「ニュージェネレーション」というジャンルで分類される新しいウルトラマン達(キャラ名は沢山いるので割愛します)にスポットライトを当てた話でした。
その次のシーズン、「大いなる陰謀」、続く「運命の衝突」ではアブソリュートタルタロスという新しい敵、その仲間たちがやってきて、ウルトラマン達は新しい脅威に立ち向かわねばならない…という話でした。
「ウルトラギャラクシーファイト」というシリーズには実は基本ウルトラマン達しか出てきてません。
世間によく知られている、「人間とウルトラマンが何らかの要因で一体化し、その正体を隠し続けながら日夜地球に訪れる脅威と戦っているよ」という話では無いわけです。
まず「ウルトラマン」という作品は「円谷特撮ヒーローシリーズ」の一つです。
世間でよく知られているミニチュアのジオラマや、火薬による爆発、ウェットスーツや着ぐるみを着用したキャラクター達との戦闘を工夫を凝らして撮影したシリーズですね。
怪獣の口から出る光線で吹き飛ぶ街、逃げ惑う人々、ウルトラマンが怪獣に投げ飛ばされてその背中で押し潰される建物。
そしてウルトラマンと一体化することになった人間の苦悩、その秘密を隠し続けなくてはならないジレンマ、戦闘が続く中で人々を守るために常に選択と苦難に向き合わなくてはならない日々。
そして、人間とは全く違う存在、「ウルトラマン」達と種族を超え、文明を超え、理解し、絆を深め合うストーリー。
心が踊りますね。
長いので以降「ウルトラギャラクシーファイト」は「ギャラファイ」と略させて頂きますが、ギャラファイには実は人間、出てきません。名前を呼ばれたりはします。
ほぼウルトラマンと怪獣と星人と、「アブソリューティアン」と呼ばれる強大な敵の物語です。
「ウルトラマンとは人間との関わりを大事にした作品ではなかったのか」
「俺はウルトラマンが自分より脆くて弱く、利己的な存在である人間と接して影響を受けたり与えたりするのを見たいんだ」
という意見が出てきました。
「特撮らしく、人間にとっては巨大な建造物を軽々と超えてしまう身長を持つ怪獣とヒーローが戦い、街を破壊したり守ったりしながら戦うのが見たい」
「何かを守るために戦うのがウルトラマンではなかったのか。人間との関わりもなく大義名分もない戦いをされるのはウルトラマンではない」
という意見も見ました。
かなり前の作品なんですが「ミラーマン」という作品があります。
「ミラーマン」は大人も楽しめる特撮として作られた作品なので初期の方はかなり人間にスポットライトを当てた話があります。
自分の出自に苦しむ主人公や、生き別れになった親子、すれ違う恋人、心の寂しさを紛らわすために変な宗教にハマる人とかね。
でもその人間ドラマより、ミラーマンで人気だったポイントは「ヒーローが巨大化して巨大な怪獣と戦う」という所だったそうです。
これの裏付けになるかもしれない話がありまして、「ミラーマン」には裏番組として「シルバー仮面」という作品がありました。
ミラーマンが巨大化して怪獣と野山をころげ回って殴り合いをしている頃、シルバー仮面は商店街で敵を追いかけ回していました。
結果的に言いますとシルバー仮面もこれを受けてシリーズ中盤から巨大化能力を手に入れています。
つまり「巨大化したヒーローと怪獣の戦い」は視覚的なダイナミックさもさることながら、ただ大きくなったのではなく、戦う中でセットを派手に壊したり、爆発で吹き飛ばすあの迫力で人の心を引き付けるのだ、ということが証明されたわけですね。
それがギャラファイになりますと、まず舞台が宇宙の上にウルトラマン達の故郷、光の国とその周辺の惑星ですからまずみんなウルトラマンサイズで物が出てきます。
ウルトラマンが見上げるくらいの高いタワー、ウルトラマンと同じくらいかそれよりちょっと身長が高い敵。
その辺を壊してもあんまり心が痛まなさそうな岩だらけのなんにもない惑星。(焼き尽くすと心が痛みそうな緑に囲まれた星もありますよ)
これは確かに先程述べた特撮のいい所が全部取り去られたように感じますね。
その辺のゴツゴツした岩が光線で溶けたり切り落とされても、街中で戦闘している時、もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもしれないビルが崩れて「ああっ大変!」という気持ちはちょっと湧かないかもしれませんね。
皆同じような身長の敵やウルトラマン達がボコスカ殴り合いをしてもその辺の人間の喧嘩にしか見えないかもしれませんね。派手な光線やアクション、音が付いていても。
なんでかと言うと「ウルトラマンに恨みを持つ連中」が大半だからです。
理由はまだはっきりと明かされていないのですが、ギャラファイ2、3でアブソリュートタルタロスは、自らもその一人である「アブソリューティアン」という種族の存亡のため、ウルトラマン達を排除したいと思っているのです。
なので歴代のウルトラマン達に倒されてきて、ウルトラマンに恨みを持っている強敵達を主に蘇生させて戦いに臨んでいるので割と地球は安全(多分)なんですよね。
となると「地球がピンチだから地球人の皆!力を貸して〜!」ともできませんね。
ウルトラマンシリーズのテーマの根幹である「ウルトラマンと人間の関わり」も描かれないわけです。
こうして描いてみると結構困りましたね、ウルトラマンシリーズの魅力の大半を削り落としているわけです。
でもギャラファイが全く魅力的では無いのか、と言うとそんなことはありません。
大きなポイントは三つ。
「ニュージェネレーション以前の歴代のウルトラマンをかなり網羅している」
「登場回数が少なかったウルトラマンのモードを細かく拾っている」
「各作品やメディアミックスにわたる小ネタを各所に織り込んでいる」
というのがポイントです。
みんなご存知ウルトラマン。
そのウルトラマンを最終話で迎えに来たゾフィーを初めとする「ウルトラ兄弟」と呼ばれる昭和から生み出されてきたウルトラマン達。
俗に「平成2期」と呼ばれるコスモスを始めとしたネオス、ネクサス、マックス、メビウスのシリーズに登場するウルトラマンたち。
そして、ウルトラマンUSAやパワード、グレート、リブットといった海外作品に登場したウルトラマン達。
ギャラファイ3にはミニアニメや劇場版作品だったナイス、ゼアス、ボーイなども参戦していますね。
これらを合わせると実に沢山の様々なウルトラマン達を登場させてくれたのがこのギャラファイシリーズです。
実はこの中には
「作品が発表されたものの、長らく客演もなく後日談でどこへ行ったのか、今何をしているのかも分からなかった」
「作品終了後、メインのウルトラマンしか客演がなく、サブのウルトラマンとどんな関係になっていたのか分からなかった」
「作品が終わったあとも、一緒に戦った仲間と協力して任務についている」
「とある惑星に留まり、誰かに力を与えたり、道を示す役割をしている」
そして次のポイントですが、今まで登場回数などが少なかったウルトラマンのモードチェンジなどを生かしているのもギャラファイです。
ギャラファイ2の時大騒ぎでしたね。
ウルトラマン達の危機に、共に戦った仲間であるウルトラマンジャスティスとともに駆けつけたウルトラマンコスモスのスペースコロナモード。
ご時世がご時世でしたから名前的に出せないんじゃないかって言われていたのにまさかの登場です。
スペースコロナモードってウルトラマンコスモスの劇場版にしか出ていないんですよね。
しかも宇宙での活動に適したモードですので地球に来るとよく知られてる青いルナモードやエクリプスモードになっちゃう。
でもギャラファイは宇宙空間の話なので何とスペースコロナモードでの登場に違和感がなかったわけです。
そして極めつけはウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したコスモス個人としての究極形態、フューチャーモードに、同じくウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したウルトラマンジャスティス クラッシャーモード。
そして更に2人が合体したウルトラマン、ウルトラマンレジェンドまで。
同じシリーズのクロスオーバー作品で客演は何となく予想出来ても、ここまで丁寧な客演での活躍描写はなかなか他でも見られないはずです。
そしてもうひとつ、ギャラファイ3に登場したウルトラマンネクサス、ウルトラマンノア。
ウルトラマンネクサスは「ウルトラマンネクサス」個人として三つの形態を持ち、ギャラファイではその全ての形態を披露しました。
そして特筆すべきは、ウルトラマンネクサスが持つ固有の能力、別次元を展開し自分を含めた対象をその空間の中に取り込む「メタフィールド」の能力を作中で描写したことです。
ウルトラマンノアはウルトラマンネクサス最終話に登場したウルトラマンであり、その特殊性は、客演したウルトラマンゼロが活躍する「ベリアル銀河帝国」でも書かれています。
しかしそれ以降の登場が殆どなく、ギャラファイで登場した際は多くの人を驚かせました。
ギャラファイではジャスティスのスーツなどがそうなのですが、ショーイベント用のスーツを転用したりして使われています。
しかし長らく登場の無かったノアは綺麗に新しく作られて登場したわけです。
ギャラファイ2ではコスモス、ジャスティス、ネオス、セブン21、80が共闘する話があります。
平成2期組、一人は昭和と一見関連性が分からないように見えるこの組み合わせですが、実はコスモスとネオス、80は他作品や時事関係で繋がりがあります。
コスモスはテレビ放送当時、事情があって最終回手前でテレビ放送を続けられなくなってしまったことがあるのですが、その空いた枠を1クール作品を作り走りきることで繋いでくれたのが、元々イベント限定のウルトラマンだったネオス。
そして、80は漫画「ウルトラ超闘士激伝新章」にて自分の力を制御出来ず苦悩するコスモスを宥め諭したキャラとして書かれた繋がりがあります。
長くなるので他の小ネタは各自でお探し頂くことをお願いしますが、ざっとこれだけの魅力がギャラファイにはあるわけです。
しかしそれだけが、今回ギャラファイに起きている賛否両論について考えたことではありません。
私がこれからお話する、「これを聞いて考えを改めなくていい。でも頭の片隅に置いておいて欲しい」と思う話は、まずざっと10~15年前の話に遡ります。
前衛的なストーリーとテーマで視聴率にかなり波があったウルトラマンネクサスが放送された頃でしょうか。
当時の時点で円谷プロダクションはかなり危うい状態だったそうです。
ウルトラマンネクサスのメタフィールドなどにその一端が現れています。
背景は不思議な光の演出、地面はゴツゴツしたあまり壊れるものがない岩場という異次元。
壊すセットの削減です。
ウルトラマンネクサスがほぼ毎回メタフィールドや山の中で戦っているのはこういった事情が反映されています。
ネクサスの終了後、マックス、メビウスと作品は続いていきましたが、その後長らく新しいウルトラマンが現れないという時期が続きました。
新しいコンテンツとして生まれた大怪獣バトルには殆どウルトラマンが出ず、怪獣で戦うレイオニクスバトラーレイモン、そして今後大出世を遂げるゴモラ、ウルトラQにて活躍したリトラなどが活躍しました。
そしてその大怪獣バトルの劇場版でウルトラマンシリーズに変化が訪れます。
もう10年以上経つけどニュージェネレーションの戦闘を切って未だに全然に立ち続けてるウルトラマンがいますね。
彼です。
彼の登場でウルトラマンを好きだった人々は大いに沸き立ちました。
大怪獣バトルの辺りでかなり会社が苦境に陥っていることはよく知られていたので「もう新しいウルトラマンを作れないくらい疲弊しているのか」とまで言われていたコンテンツが見事に彼の力で持ち直しました。
その後ウルトラマンゼロは宿敵であるベリアルとの戦いを続け、過去作品からリブートされたミラーナイト、ジャンボット、ジャンナイン、グレンファイヤーなどの仲間と活躍し、それは後のニュージェネレーション達、ウルトラマンギンガやビクトリー、Xやオーブ、ジード、ルーブ、タイガ、ゼットと後続の作品を押し上げていくことになります。
もちろんゼロやウルティメイトフォースゼロと呼ばれるチームのキャラクター達だけの活躍ではありません。
昔から集めていた人々はご存知だと思いますが、昔のソフビは今より大きく、種類も豊富でした。
放送終了したウルトラマンのタイプが数年後も全部売り場にあったくらいです。
しかし、大怪獣バトル周辺から種類は少なくなり、サイズは小さくなり、塗装も前身のみになっていきました。
しかしそれに対して挑戦したのがギンガやX。
「スパークドールズ」という足にコードが書かれたシールがついた新しいソフビを開発することで、「ソフビと玩具を連携するグッズ」を作り出したのです。
【出力】
ある日、主人公のヒス女はスープストックに行くことになりました。しかし、彼女は子連れ女性を見るとすぐに怒りを爆発させ、嫌悪感を抱いてしまいます。
そんな彼女が、偶然見た吉野家コピペに火がつき、それに魅了されてしまいます。
彼女は突然の衝動に駆られ、吉野家コピペに出てくるような男性達のように振る舞い始めます。
そして、彼女は自身が所有するワンボックスカーに乗り込み、スープストックに特攻することを決意します。
彼女は自分の車を走らせながら、吉野家コピペのセリフを叫びます。「牛丼一丁、500円に控除で、香味野菜トッピングはいいですか?」と。
そして、スープストックに到着すると、車から飛び出して店内に突進していきます。
たくさんの人々がいる中、彼女は「牛丼一丁!」と叫び、突進していきます。しかし、子連れ女性が近くにいたため彼女は前に進めません。
彼女は自分の行動が愚かであることに気づき、自らの偏見を改めます。
そこから、彼女は子連れ女性や周りの人々に謝罪し、親切に接するようになりました。
そして、彼女がスープストックから出た後、周りの人々から拍手と称賛を受け、感動的なエンディングを迎えます。
【入力】
子連れ女性が嫌いなヒス女が吉野家コピペという火薬満載のワンボックスカーに乗り込みスープストックに特攻する映画のストーリーを想像してください、差別的な内容は排除してください
【所感】
牛丼一丁!
私の実家は大阪府k田市なんだが先日和歌山で行われた岸田総理の選挙演説で手製の爆弾と見られるものが投げ込まれるということがあった。その爆弾と見られるものは不発で終わったのだが、犯人は逮捕されてしまった。私自身何か起きるとすればg7だと踏んでいたので大変予想外で驚いている。私が中学校の頃、後輩の小学校でいじめられていた子がいじめっ子に復讐するために花火の火薬を調合して手製の爆弾を作り百葉箱付近へ呼び出したそうだ。もちろんいじめっ子はその呼び出しに応じるはずもなく、百葉箱だけ木っ端微塵に吹き飛んだ。それを聞いて爆弾製造はそこまで難しくないと感じていたので発明家を目指している犯人が爆弾を完成させられなかったことに正直驚いている。 まあいじめている方はいじめているなんて思ってなくて今回だって岸田総理自身も被害者だって総理自身は感じているようだ。この辺の認識のずれをなんとかしたいがまだまだ変わりそうにない。今回の事件の被害者は本当はいじめられてきた犯人自身だろう。