はてなキーワード: 対子とは
普段ひとりのときに酒なんて滅多に飲まないが、今日は「子供なんて作らなくて本当に良かった。やっぱり女が子供なんか作るとろくな事はないな」という思いを胸に酒を飲みながらこの増田を書いている。
妊娠中の酒を我慢できないで、月2回ほど1〜2杯飲んでしまう酒好きの妻の方が、妻の妊娠中どころか婚姻中にやってはならない禁忌を犯している浮気ゴミの亭主より世の中じゃ罪深いんだってよ。笑っちゃうね。(※男性様にセックスして差し上げられない)妊娠中なんだからそのくらい我慢しろとか書いてあるブコメもあってもう噴飯物でしたわ。
いや女マジ産む機械。酒も茶も夜更かしも娯楽も亭主の浮気も嫁いびりもみんなみんな我慢して奴隷みたいに耐え忍ばなきゃクズ女。そんな思いまでして、出産時にはガチで死ぬ思いして便所ブラシの遺伝子残すとか何の罰ゲームよ。もう大爆笑。
この増田保健体育の教科書に載せたら良いんじゃねって思うわ。男はこんなアル中の糞嫁と結婚しないように気をつけようと能天気に増田に腹立てて、半数の女は妊娠するとこんな酷い目に遭うから絶対子供作るのやめようと認識を新たにして、もう半数の女はこんなアル中の糞嫁にならないように気をつけようと一層奴隷精神をたくましく育てるだろうからきれいなゾーニングができることだろう。後者の奴隷女だけ産む機械になって勝手に我慢してればみんな幸せで問題解決だ(妊娠中の嫁にこんな風にひどい仕打ちをする男にはならないように気をつけようと思う男? いるかそんな聖人)。
我慢も痛い思いもしないでノーリスクで子供得られる身分の分際で、結婚したらやっちゃならないアウト行為に足突っ込んでても許してもらえる甘やかされ放題の生物に関わると本当にろくな事ないな。
鬱で療養中の人がいる。
大学院を出てからメーカーに就職して、仕事がきつかったのか2年で退職。
最近会ってないけれど、ツイッターはお互いフォローしているのでだいたいどんな状態かはわかる。
このうち半分がブーメランで自分に返ってくることだろうに強い言葉であらゆるものを傷つける。
あとは結婚願望。30歳前には結婚したい結婚したいと書いている。30過ぎて一人とか無理ってずっと書き続ける。
でも自分は薬を飲んでいるから絶対子どもは生まないとも言っている。
よくオフと称して遊びに行っている。
最近そこで会った男を自宅に招き入れいたがその後の相手側からのフォローも何もなかったので乱暴されたということにしたらしい。
親元にいると自立できないから、と一人で暮らしているがそろそろ経済的に厳しく、親に援助を頼んだところ「たかり」呼ばわりされたと書いていた。
会社の元同僚と会ったといっては
「人の気持ちを考えない人」
「わたしは働きたいのに働いている姿を見せられるだけでストレス」
とつぶやく。
働きたい働きたいと夜中に何度も書くけれどハローワークにも行かない。
そういう病気なんだろうけれど支えてクレーと言われると無理としかいいようがない。
4大商社やメガバンの内定辞退して俺、未上場のベンチャーいったから。
仕事に夢持ってるし、わりと古い考えに縛られてないし。
仕事に打ち込んでる奥さんの方がいいって男、ホントたくさんいるよ。
もっと女性のキャリア進出が進んでない時代の母親だから、少しでも高度な仕事にって頑張ってるのを子供ながらに尊敬してた。
ぜんぜん、どうでも良かった。
あと、彼女に仕事をこれからも頑張ってほしいなっておもうのは、子供の為にお母さんは仕事を諦めたってことにしたくないんだよね。
俺、子供ながらに、母親が仕事で疲れてっから、風呂掃除は俺がしとくか、とか冷凍食品でメシ食っとくかっておもってたもん。
父親は割と年収ある人なので、母親の稼ぎなんか3分の1ぐらい(正社員だけどさ)。
だから、働かなくても正直全然困らない家庭だったんだけど、母親はがんばってた。
それを見て、「働く喜び」とか「苦労する価値」のような、お金じゃない仕事の意味を学んだ気がする。
色々と大変な事も多いと思いますが、周りを気にせず、「合う人がいればそれでいいだけのこと」なので、がんばってください。
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突然隣に座っていた男が大声で怒鳴り出す。「電波がペースメーカーに及ぼす影響ガー」とのこと。
こえーとか思いながらとりあえず「いやこれ電波出てませんから影響ないですけど」って言ったら
「そういう電子機器使ってると自分もやっていいと思う連中が出るから全部お前のせい」と言い出す。
「そりゃその本人の問題では? あとちょっと声抑えてもらえません? 心臓が悪い人も座る席なんですから」
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男、激昂。大声のまま暴言吐きだす。とりあえずヘッドホンかけてガン無視、ポメラの入力を進める。
「自分のことしか考えない自己中女」「ブス」「ルールを守れ」「女だから許されると思ってる」「ブス」「俺はそういうの許さないタイプ」「お前に何があっても俺は助けない」「ブス」「お前は絶対子ども虐待する」「こういう自己中のブスは必ず子どもを虐待する」
だいたいこんなようなことを延々大声で言っていたが声はとても遠い。いやあパイオニアのMJシリーズ71番は素晴らしくいい仕事をしますね。密閉型の売り文句は伊達じゃない。
しかし指は震える。大声って苦手なのよね。
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男、最後まで暴言吐きまくって下車。確か大江戸線月島駅だった。
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明日以降も同じ電車で遭遇したときのためにICレコーダー買って帰ろうかなーどのくらいのスペック要るのかなあ
証拠がたまって告訴まで至ったらエキサイティングだけどPTSDの診断書でもとらないと傷害はつかないだろうし
暴行強迫にも至らない軽犯罪法抵触レベルで済んじゃって難しいかなあ ←今ここ
電車は変えたくない。朝くっっっそ弱いのにそのためだけに早起きはできないしわざわざ混むやつに乗り換えたくない。
相手は終始大声だったが手は出してこなかった。つまりその程度の計算はあるか、単にチキンなのか、或いはその両方かだ。
更に暴言の内容から考えるに、自分はルール或いはモラルに基づいていて正しいという確信があり、かつ正しければ何をやってもいいと思っていて、自分の思い通りにならないことが耐えられないタイプなんだろう。あとブスと虐待を連呼するあたり、女はみんな嫁でカーチャンだとも認識してそう。
怒鳴り出す引き金がごく些細で(私に怒鳴る前から優先席に座った高校生、スマホいじってたリーマンと相手構わず挙げ足取ってぎゃんぎゃん言って無視されていた)激昂するまでのタイムラグが短い(殆ど無い)ことと、あと恰好がかなりカジュアルだったから、十中八九まともに就業はしていないんじゃないかと思わせるものがあった。いや適材適所というしひょっとしたら就業ニッチが存在するのかもしれないが、あれじゃまず間違いなく客商売の類は務まらない。となると朝から通院か、ご苦労さまですって感じ。
何だろうな、家人(たぶんおかあちゃま)に大事大事に育てられルールを守れば褒められて何でも受容されてきたので傍若無人な振る舞いにためらいがないけれども、一方でそんな真っ当なお育ちの自分を受け入れないものに対して免疫がなさすぎてひたすら攻撃してしまうみたいなセンシティブこじらせボーイ的な雰囲気があった。ボーイっつーても精神年齢の話で肉体年齢は不明。成人はしてるだろう。おまけに肥満体。ホント暴力に訴えて来なくて良かった。
総合して考えるにまた電車で遭遇する可能性はどちらかと言えば低い。あんなクソ些細なトリガーでいちいち粘着してたら身体がいくつあっても足りないだろうし、向こうが通勤じゃないなら会わないだろう。現にこれまで何年か同じ電車で通っているが見かけたことはない。レコーダーは買うだけ無駄になりそう。
http://anond.hatelabo.jp/20130821233120
前のエントリで、麻雀では「ツモ力」が一番重要だという話をした。ツモ力が何か説明していなかったが、欲しい牌を引いてくる力のことだ。
だいたい10回に3回の割合で一番必要な牌を引ければ、野球で言う三割打者クラスだ。前のエントリで話した「とんでもない奴」は、それくらい引けると言っていた。
これくらい引ければ、配牌が9種9牌なら国士を余裕で上がれる。対子がちなら、四暗刻を余裕で上がれる。
ちなみに俺は、2年くらい前に1万回ツモって統計をとったところ、34回に1回くらいだった。まだまだ練習が足りない。
でだ。「ツモ力」が自分の力量のみに依存するパラメータなら、卓に座った4人のバランスで決まる、「相性」というべきパラメータもある。
誰が誰に振り込みやすいとか、誰が誰から鳴きやすいとか、そういうのがこの「相性」によって決まる。
普通は微々たる差だ。1晩10半荘程度やっただけでは、誰々さんにどうも振り込むようだ、という感覚すら掴むことができないだろう。
同じ相手と千半荘、1万半荘と打つことによってはじめて実感できるものだ。いや、それでも実感はできず、きちんと統計をとってはじめて気付くのかもしれない。
しかしだ。飛び抜けて「相性」の悪い相手、つまり「天敵」が存在する。
一生の間に「天敵」と打つことがあるかどうか。無い人も多いだろうが、不運にも俺は「天敵」と当たってしまったことがある。
俺がその「天敵」と打ったのは8年ほど前だ。その日も徹マンをして、一晩で11半荘打った。まあ、打つのが速い人ならば普通のペースだ。
その「天敵」は、やや「ツモ力」も高いのか、速いリーチが多かったように思う。
別にエキセントリックな和了りを見せるわけじゃない。リータンドラドラとか、リーチチートイとかだ。至って普通だ。ただ、どうも単騎待ちが多かったような気もする。
問題なのは、俺がそのリーチに対してことごとく一発で振っちまうことだ。
スジ牌を切っても当たるし、六に対して九を切っても当たるし、2枚切れの字牌を切っても当たる。ダブリーが2回あったがどっちも一発で振った。
それどころか、いやこれは俺の気のせいかもしれないんだが、現物を切っても当たるんだ。
リーチがかかる。降りて現物を切る。するとロンされる。フリテンを指摘しようとして河を見ると、あったはずの牌がないんだ。
こんなことが何度もあった。確かにその時、俺は酒を飲んでいたが、酒を飲んで麻雀をやるなんていつものことだ。それなのに牌を見間違えたのだろうか。
この不思議な現象を味わったのは、後にも先にもこの晩の麻雀だけだった。
その「天敵」が言うには、安牌ほしさにありもしない現物を見てしまう。そういう心理的なプレッシャーもまた、「相性」のなせる業らしい。
というわけでその日、振り込みをほとんど回避できないまま俺は手ひどい一人負けを喫した。
そして、その「天敵」とはその後打つことはなかった。
「天敵」は、一度打ってみるまでそうと分からないのが厄介だが、一度「天敵」と知ったら打たないようにするしか対策はないだろう。
大学生の彼氏が自分のアパート(一人暮らし)から自転車で10分のところに実家暮らし。彼氏は車通学でお酒が趣味だから、よく家でお酒を飲みたがる。
彼氏の親が厳しくて、旅行すら許してもらえず、私の親に会うのも、まだ遊びで付き合ってるんだからそんなことは駄目、会うならまずこっちにちゃんと挨拶に来いという。それは別に良いんだけど、そんな厳しい親御さんがいるのに、彼氏が自宅に来てご飯食べようよとよく言ってくるのが辛い。
ご迷惑だからとか、そういうのは彼氏は親対子だから何も察せないんだよね。文句言われてもいーじゃん、みたいな。私が勝手に、迷惑に思われたらどうしようと胃がきりきりしてるだけで。ちゃんと挨拶してないのに遊びに行くのはいいのか、とか。
うちは午後7時以降はよそのお宅にお邪魔するのは良くない!という家庭で育ったのに、彼氏は午後10時でも平気で自宅で飲み会する価値観の違いがあってまた困る。
だから、向こうの反応が微妙なときは、ご迷惑おかけするし、行かない方が良いと思うんだけど、っていうと、なぜか彼氏が不機嫌になるからめんどくさい。でもでもだって会いたいし、みたいな。
いや、そりゃあ向こうのお母さんは可愛い息子のわがままなら聞いてくれるかもしれないけど、私はまた別だよね。何か良くないこと言われたらそれも筒抜け(~って言ってたよーって平気で言ってくる)だし。さすがに彼氏のお母さんには、何言われても関係ないとか思えない。
感覚が友だち呼ぶのと一緒なんだよね。向こうの親も今はそう思ってるんだと思う。親に会う必要はない、なんて話をしたときも、雰囲気が「彼女じゃないんでしょ、友だちでしょ?」みたいな感じだったし。彼女だったら、ちゃんとした挨拶くらいできるよね?みたいな。彼氏とその家族とのギャップが苦しい(彼氏はそんなのこれっぽっちも気にしてないから、挨拶なんて一言も言われたことない)。
お子様気分が抜けない彼氏はマザコンじゃないかとちょっと警戒してる。でもそれ以外では特に不満はないから、このまま関係を続けたいけど、今から嫁姑戦争が恐ろしい。
クリティカルヒットを与えてしまい、逆にそのことを根にもたれるようなって、小学校を出るまでいろいろな場面で困った。
なので、変に反撃に出るってのも考え物だと思う。
反撃して決着がつけばいいけど、逆に負けちゃって余計に立場が弱くなることだってある。
子分になって服従する関係性ができればいいのだが、子分じゃなくて搾取先でしかないのだ。
先生に申し出るのも、賭けだ。
先生の対応如何では、妙なクラス会議になって、逆に悪い立場に追い込まれることもある。
親も何らかの組織の一員なので、その後ろ盾が弱い立場にあるときは、それなりの効果しかない。
先生だってただのサラリーマンだ。聖職者ではない。残念だが、強いものには弱いんだ。
子供対子供の関係性だけでなく、親の所属する組織、宗教、政党、地縁のような目に見えない属性があり、それらの力関係もすべて、子供たち同士の関係性に否応なしに入り込んでくる。子供にはがんばる競争を煽っておきながらも、勝者はあらかじめ決まっているんだ。
ちょっとしたつまらないことで揚げ足をとられて、追い込まれる。
いじめる側は、そのつもりがなくても組織的な行動を証拠なしにするだけでいじめ状態に追い込める。
そんなのに個人で立ち向かうのは困難だし、クラスという枠組みが変化するまでその関係は固定化されてしまう。
クラス編成の運がいいか悪いかの問題でしかない。番号順に並んで前後のヤツは、苗字の五十音の近いヤツだ。阿部君は一番前のほうで、渡辺君は、一番最後だ。「あ」で始まる名前は大変だ。第一声で空気をつかまないといけない。そんな理不尽なことは運の一言で片付けるしかない。
クラス替えまで我慢するとか、卒業するまで我慢するというのが、一番だった。
図書室でも保健室でも逃げ込めばいい。そっちのほうが絶対に楽しいぞ。
とにかく、学校という枠組みを自分の人生のメイン作業からはずして道を見つけよう。
大人になってからのいじめのほうがより巧妙かつ合法的に行われるのだ。
ブラック企業なんて、その最たるものだし、パソナルームなんてお仕置き部屋や望まない配置転換だってある。
結局、ある程度の多数があなたを望まないときは、いったん身を引いて、新天地を求めるしかない。
シビアな判断を要求される場面で迷ったときには、みんなが笑顔で卒業できるか、何年後かの同窓会を楽しく迎えられるかと考えるといい。
会社だったら、円満に退社して、送別会をやってもらえるように行動するしかない。
いじめる側もいじめられる側も常にうまい上がり方を考えて、大人に振舞うしかない。
奪われないために、戦って守らなきゃいけないという意識が強くなったからだ。
戦争とか闘争ならば、勝たなきゃいけない理由があるし、
気持ちや作戦の準備ができる。一方で、
ケンカはというと気の強い奴の一方的で単純な略奪行為のように思う。
共有財産や共有地を気の強さでズカズカと他の人より使い倒すような感じだろう。
ちょっと損する程度、面倒になる程度。嫌な気分になる程度。
ケンカも含めてだが他人から奪うことで得をするというのは、卑怯で狡賢い手口のように思う。
今までケンカなんてしたことがなかったけど奪われ続けるのはしゃくだし、
戦ってみようということで、いつもより気を強く一歩だけ踏み込んでみた。
そして大人として守るために戦うことは気を強くすることと少し違うなぁとおもった。
というか、今日のは大人対子供(社会的地位がない人または気にしない人)の争いだった。
●大人対大人 ケンカではなく利益・領土を奪い合う法律やルールに基づいた戦争
●子供対子供 プライドとか共有地を奪おうとする気の強さに基づく腕力勝負。
大人としての強さを1つ勉強した。
子供に奪われ続けることは看過あるいは甘受して、
相手が大人の戦いをしようものなら、身構えて守るということなんだろう。
あなたのほかのすべての書き込みには非常に同意するし、実際にAちゃんはかわいそうな状態だというのもよく分かるが、コレだけはやめて欲しい。
↓
他の子にも,Aちゃんに悪意がなかったことは理解させたい。
二つ理由がある。
一つ目は、それが「大人目線での解決」だからだ。あなたは「大人」の立場から子どもたちを見ているから、彼ら彼女らの「未熟」が目につく。だが、AちゃんのAちゃんなりの在り方があなたから見て「ある意味子どもらしい」からその「子どもらしさ」をもつことが認められるべきであるのと同じように、Aちゃんのわがままを許容できないBちゃんやその他の子どもの「未熟(=子どもらしさ)」もまた認められるべきではないのか。子どもは未熟であり時には残酷な存在だ。だが、大人の立場から、彼らに「成長」を無理強いして「Aちゃんを許してやりなさい」と説くのはやり過ぎだ。もし、Aちゃんの孤立が深刻化するのが心配なら、「Aちゃんの考え方を説明し理解を求める(大人になれと言う)」ようなやり方ではなくて、もっと自然にAちゃんとBちゃんらが和解できるような状況設定をしてあげて欲しい(ほかの子が介在しない状況で、AとBが会話し協力しなければ解決できないような課題を設定するとか)。それこそ「子ども」だからこそ乗り越えられる対立というものもあるわけだから。
二つ目は、(一つ目で大体理解してもらえたのではないかと思うが)「あなたがAちゃんの味方になってみんなに対してAちゃんの代弁者として振る舞う」というのが「Aちゃんを更に孤立させ、Aちゃんから成長の機会を奪う」からだ。集団の中で暮らし、成長するためには集団とどのように対峙するかというその仕方も含めて、人は学ばなければならない。Aちゃんのストレートな(しかし自覚的な)暴力とBちゃんのエレガントな(しかし半ば無自覚な)暴力は、一面から見れば確かに等価な部分もあり、そしていくらエレガントであっても後者もまた暴力であるということは全く否定しない。だからこそ、大人は両者に対し、「言い分」を聞いた後で「暴力を用いたこと」自体は戒める必要があり、そしてそれから先は本人たちに考えさせなくてはならない。答えを教えたり代わりに問題を解いてあげることが教育なのではなく、力をつけ方向を示唆して自分で問題を解くことができるように導くことが教育だ。その過程で、Aちゃんには「暴力をふるう」よりはもっとマシな解決方法を…たとえば「分かってもらうために説明する」ことを、そしてBちゃんには自発的なAちゃんに対する「理解」を持たせることができたらそれはすばらしいことだが、その「説明」をあなたがしてあげたり、「理解」を「こちらから与え」たりすると、すべて台無しだ。最悪の場合、集団の力学を大人が介入して破壊する(そして子どもたちは大人の見えないところで未熟な論理による集団の暴力を発揮し始める→学級崩壊)という結論しかもたらさない。これは特別な話ではない。今まさにさまざまな場所で起こっていることであり、そしてあなたの目の前で起ころうとしていることだ。「Aちゃんを分かってあげるべき」というのは、確かにきれいな結論だ。だが、その結論に納得できない子がいたとして(それは絶対存在する)、ではあなたはその子を受け入れることを拒むのか?大人対子どもという圧倒的な権力関係下において? それは「暴力」ではないのか。
家庭の空気を明るくするために長女のひがみっぽい性格をなんとかしたい - 子育てちゃんねる
この記事読んだら昔のことを思い出してなんか泣けた。
自分は「長女」の立場で、同じように「母は自分より妹のほうがかわいいんだ」って思いこんでた。
中学生のころ、「子供に同じような思いをさせたくないから、私は絶対子供を作らない」って日記に何度も書いてた。
今となってみれば、母のどういう言動で、自分は可愛がられてないって思いこんでいたのか思い出せない。
嫌な思い出は忘れてしまったんだろうか。特にそんな事実はなかったんだろうか。
結婚して三年になる。
きのう主人に、一緒に将来のこと(家をどうするか、子供はどうするか)をちゃんと考えようって言われた。
それまでは、何となく子供を産み育てるのもいいかな、ってちょっと思ってた。
でもきのうは駄目だった。まとめブログ思い出してやっぱり泣いた。
子供を持つことを前向きに考えられなかった。
虐待されてたわけではないし、大学卒業までちゃんと面倒見てもらった。
いい親だと思うよ。
でもなんか母とはしっくりこない。
電話も用事がある時だけ。
距離を置くことで以前よりは母と付き合いやすくなった。苦手だと思わなくなった。
妹はずっと実家に住んでいる。
私にはできない。
年齢的にはあと数年悩める。
いつか決断できるんだろうか。
それともあっけなく妊娠して産むのかな。
悩んでいるうちに閉経するのかな。
ある一家の話です。
大学卒業後、兄は「長男だから」という理由で地元に帰らされました。
弟は兄が帰って家がなくならないとの理由から、東京に残りました。
何年か経ち、双方に子供ができました。
同い年の従兄妹です。
兄の子は長野県で地元の幼稚園・小学校・中学校(全て公立)に通いました。
一方弟の子は東京で教育を受け、私立の幼稚園・小学校と通い、中学受験の際学習院中等科・慶応義塾中等部に合格しました。(進学先は当然慶応。)
田舎で中学校生活を送っている兄の子(女)はスイーツ(笑)街道一直線です。
幼稚園からの友達と手が切れず、DQNの影響をもろに受けています。髪を染めたり、学校に携帯を持って行って先生に見つかったり(それも2カ月で7回程)、受験を控えているのに殆ど勉強しなかったり…。DQNの鑑のようです。
一方、東京に残っている弟の子供は英検準一級を取得し、慶応義塾中等部の中でもかなり優秀な成績を修めています。慶応義塾大への進学はほぼ間違いありません。
田舎で教育を受けさせるのと都会で教育を受けさせるのでは、非常に大きな違いがあります。DQNの洗礼を受け易くなる分、田舎の教育はリスクが大きいと思います。
反論のための反論(極論)的展開が多かったから、或る程度支流の部分はスルーした。
で、一応メインがまとまったので、その点について話したいと思う。
確かに、自分の子供時代が絶対的な欠乏みたいな状況になかったのは事実。
でも、【親が食べるパンや飲み物を、ほらお前が飲め。】的な状況はそんなに生活の中で頻発しているのかな?
人生全てトレードオフ(WINーWIN)だから、それらは、程度の問題だといっているように、
親が絶対的な?我慢をしてまでってのがイメージできない。
明日の休みは子供のために遊園地だな。とかはわかるけど、それは絶対的な”我慢”かな、そういうの。
あるいは、自分は犠牲にされている!とか思うことなのかな。そういうの。
要は、我慢はしてるだろうけど、心を壊されるような我慢なのかなってこと。
コミュニケーションについてだけど、
子供が不安になるというのは、親対子関係には全般的に起こりうることで、つまり、
子供が親から大事にされているかどうかと感じることにかかっている。
じゃあ、その大事感を満たしてあげられるのは何かと言えば、コミュニケーションしかないと思ってる。
なぜならお金をあげる。物を買ってあげるといった、なにかモノや媒体で愛情(大事感)を表現しようとすると失敗するから。
それは、モノやお金が代替可能であり指標化できてしまうからである。
大事感を測ろうとしたり、大事感がお店に行けばいくつもみつかるようなモノだったら、子供からは信用できないでしょ?って話。
自分のパパからのプレゼントを、友達の○○君ももってたり、友達の○○君は自分より高いモノ買ってもらってたりすればさ。
結論としては、”愛情そのもの”を伝えるべきである。ということだから、それは不完全な方法でしかないが
それしか方法がないからコミュニケーションを選ばざるを得ないよな・・・というのが自分の見解。
で、個別具体的な別姓問題に関するコミュニについてだが、
別姓 → 子供が不安になる。というより、子供が親の態度に不安を感じていて、それを強調・助長する別姓の事実を発見する。って思考の流れだと思っている。鶏と卵みたいな所があるけれど。本質なのは、その子供が感じる大事感の有無。
だから、別姓でも安心であることを伝えて理解してもらうのではなく、別姓という事実を知ったときに親に疑いをもつような、心理作用にすでにある子供にしないために大事感をしっかり伝えておけばいいのであって、別姓問題で子供を説得するのではない。
ただ、それでも中学生とか小学校高学年くらいになれば、よそはよそ。うちはうち。いろんな家族が居るのよ~でなんとなく納得してきたものを、もうすこし、なんでお父さんとお母さんは別姓を選んだの??って個別的な経験を理性的に聞かれるだろうな。
ひととき、はでブ界隈を賑わわせた年収260万で結婚できるか問題。(とその書き手。)
その問題があまりにも身近すぎて、書きたくなった。チラ裏ですまん。
私の場合は、相手(28歳)の年収が280万ぐらい。
そして私(25歳)の年収は、560万くらい。
倍。
私の方が年下でしかも女なのに、倍。
私が全然モテないなら、まだいいかもしれない。「稼ぎが悪くてもこの人しかいない」、と思えるのかもしれない。
でも、非難覚悟で言うが、私はモテる方だ。美人の部類だと思う。スタイルも、まあ、悪くない。胸は小さいがクビレには自信がある。
性格はいたって平凡。実はネクラだし話はおもしろくないが、普段の人当たりは悪くないし友達も多い。
学歴、Aランク。勤務先、業績好調な有名企業。私自身の仕事の評価もそこそこ良い評価をもらっている。
家事は、、、料理は好きじゃないが頑張ればできる。掃除洗濯などは普通にやる。
そして、周りは優秀な人が多い。親戚も友人も同僚も、男も女も、学歴も今の職業もいわゆる一流の人に囲まれている。
年収も、同年代サラリーマンの平均年収より確実に高いような人ばかり。
周囲の人経由で出会う人(コンパや普通の友達同士の集まりなど)も、外資系バリバリや企業家、弁護士会計士、その卵、が多い。
将来的には、あと2年くらいは遊んで、28か29くらいまでに前途有望な仕事がデキるそこそこカッコいい人と結婚したい、と思っている。
そんな私だが。
なんてことはない、たまたま出会った年収280万の男に恋をしてしまった。
仕事をしている姿を見て好きになった。話すと胸が躍った。
気づいたらお互い気になっていたようで、付き合い始めた。
今は付き合っていて、とても幸せだ。その人のことがすごく好きだ。とても愛しい。
何も問題がなければ、結婚したいと思う。
ただ、正直なところ、この人と結婚するのは釣り合わない・・・とも、思う。
28歳で、年収280万。
親は確実に大反対だし、友達も賛成しないと思う。
私も、自分がバリバリ働いて相手を食べさせるよりは、養ってもらいたいと思う派だ。
今の年収をキープするために仕事を続けるには、絶対子育てがおろそかになってしまうから、続けられない。
それに、私なら、もっとレベル高い人を射止められる。そんな気もする。(なんたる傲慢さ。)
うすうす気づいてはいるけれど、相手の年収と自分の市場価値を天秤にかけてしまう時点で、私は今の彼と結婚しない方がお互い幸せなんだと思う。
<参考?>
女の年齢 男の年収
16歳 1200万円
18歳 1100万円
20歳 1000万円
22歳 900万円
24歳 800万円
26歳 700万円
28歳 600万円
30歳 500万円
32歳 400万円
34歳 300万円
36歳 200万円
38歳 100万円
40歳 0万円
<参考その2>
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1017204960
当方30代前半。つきあって3年目の彼氏(同い年)あり。年も年だし、そろそろ結婚も・・・・という話がでているところ。私にとって相手は、趣味も合うし、信頼できるし、ああこの人となら頑張って将来を歩んでいけるなー、と思える人で、幸運なことに相手も自分のことをそう思っていてくれるようだ。お互いそれほど収入が高いわけでもないけど、二人で働けばそれなりに暮らして行けそうだし、一見結婚には何の障害もないように見える。ただ一点を除いては。
問題点とは、彼は子供がほしいと思っているけれど、私はそうは思えない、ということ。
お金の問題とか、自分のキャリアが中断されるとか、自由がなくなるのがいやだとか、そういう具体的な「生みたくない」理由があるわけではない。ただ、「子供が欲しい!」と思う気持ちが、分からない。比べるのもアレだけど、私は犬猫が好きで、野良猫や野良犬を見かけるともうニヤニヤしながら寄っていって、「よしよしおいで−」なんてやってしまうし、今は犬猫禁止のマンションだから無理だけど、次引っ越すときは絶対に動物が飼える住まいに!と思っている。そういう、感覚的に「うおおお、かわいい!ほしいよう!」と思う気持ちが、子供にはわかないんですよ。友達の子供とか見てると、「ああ、可愛いねえー」とは思うけど、「ああ、子供を自分もほしい!」という気持ちになれない。
実際に子供を産んだ人は、生む前から「子供かわいい!絶対子供欲しい!」と思って生んだんでしょうか?それとも、生む前はそこまでの意気込みはなくて、結婚もしたし子供も産まなきゃなあ・・・って感じで生んでみて、生んだら「おお、子供って実はこんなにかわいかったんだ!」って感じなんでしょうか?
後者の人がいたら、是非「生む前は予想もしてなかったけど、子供はこういうところが可愛いぜ!」ってところを、具体的に教えて欲しい。あ、「生んだらわかるよ」はなしでお願いします。子供を持つことの良さ、幸せを、得々と語って、自分をその気にさせてほしいです。
私自身の今のスタンスとしては、彼が望むことだしできれば子供を持つ方向で考えたいんだけど、正直こんな心境で生んでしまっていいものか、実際生んでみたものの、子供に対する心境が全然変わらなかったら困るよなあ(困るというか、そんな心境で生んではいけないと思う)、という感じなので。