はてなキーワード: 対子とは
奪われないために、戦って守らなきゃいけないという意識が強くなったからだ。
戦争とか闘争ならば、勝たなきゃいけない理由があるし、
気持ちや作戦の準備ができる。一方で、
ケンカはというと気の強い奴の一方的で単純な略奪行為のように思う。
共有財産や共有地を気の強さでズカズカと他の人より使い倒すような感じだろう。
ちょっと損する程度、面倒になる程度。嫌な気分になる程度。
ケンカも含めてだが他人から奪うことで得をするというのは、卑怯で狡賢い手口のように思う。
今までケンカなんてしたことがなかったけど奪われ続けるのはしゃくだし、
戦ってみようということで、いつもより気を強く一歩だけ踏み込んでみた。
そして大人として守るために戦うことは気を強くすることと少し違うなぁとおもった。
というか、今日のは大人対子供(社会的地位がない人または気にしない人)の争いだった。
●大人対大人 ケンカではなく利益・領土を奪い合う法律やルールに基づいた戦争
●子供対子供 プライドとか共有地を奪おうとする気の強さに基づく腕力勝負。
大人としての強さを1つ勉強した。
子供に奪われ続けることは看過あるいは甘受して、
相手が大人の戦いをしようものなら、身構えて守るということなんだろう。
あなたのほかのすべての書き込みには非常に同意するし、実際にAちゃんはかわいそうな状態だというのもよく分かるが、コレだけはやめて欲しい。
↓
他の子にも,Aちゃんに悪意がなかったことは理解させたい。
二つ理由がある。
一つ目は、それが「大人目線での解決」だからだ。あなたは「大人」の立場から子どもたちを見ているから、彼ら彼女らの「未熟」が目につく。だが、AちゃんのAちゃんなりの在り方があなたから見て「ある意味子どもらしい」からその「子どもらしさ」をもつことが認められるべきであるのと同じように、Aちゃんのわがままを許容できないBちゃんやその他の子どもの「未熟(=子どもらしさ)」もまた認められるべきではないのか。子どもは未熟であり時には残酷な存在だ。だが、大人の立場から、彼らに「成長」を無理強いして「Aちゃんを許してやりなさい」と説くのはやり過ぎだ。もし、Aちゃんの孤立が深刻化するのが心配なら、「Aちゃんの考え方を説明し理解を求める(大人になれと言う)」ようなやり方ではなくて、もっと自然にAちゃんとBちゃんらが和解できるような状況設定をしてあげて欲しい(ほかの子が介在しない状況で、AとBが会話し協力しなければ解決できないような課題を設定するとか)。それこそ「子ども」だからこそ乗り越えられる対立というものもあるわけだから。
二つ目は、(一つ目で大体理解してもらえたのではないかと思うが)「あなたがAちゃんの味方になってみんなに対してAちゃんの代弁者として振る舞う」というのが「Aちゃんを更に孤立させ、Aちゃんから成長の機会を奪う」からだ。集団の中で暮らし、成長するためには集団とどのように対峙するかというその仕方も含めて、人は学ばなければならない。Aちゃんのストレートな(しかし自覚的な)暴力とBちゃんのエレガントな(しかし半ば無自覚な)暴力は、一面から見れば確かに等価な部分もあり、そしていくらエレガントであっても後者もまた暴力であるということは全く否定しない。だからこそ、大人は両者に対し、「言い分」を聞いた後で「暴力を用いたこと」自体は戒める必要があり、そしてそれから先は本人たちに考えさせなくてはならない。答えを教えたり代わりに問題を解いてあげることが教育なのではなく、力をつけ方向を示唆して自分で問題を解くことができるように導くことが教育だ。その過程で、Aちゃんには「暴力をふるう」よりはもっとマシな解決方法を…たとえば「分かってもらうために説明する」ことを、そしてBちゃんには自発的なAちゃんに対する「理解」を持たせることができたらそれはすばらしいことだが、その「説明」をあなたがしてあげたり、「理解」を「こちらから与え」たりすると、すべて台無しだ。最悪の場合、集団の力学を大人が介入して破壊する(そして子どもたちは大人の見えないところで未熟な論理による集団の暴力を発揮し始める→学級崩壊)という結論しかもたらさない。これは特別な話ではない。今まさにさまざまな場所で起こっていることであり、そしてあなたの目の前で起ころうとしていることだ。「Aちゃんを分かってあげるべき」というのは、確かにきれいな結論だ。だが、その結論に納得できない子がいたとして(それは絶対存在する)、ではあなたはその子を受け入れることを拒むのか?大人対子どもという圧倒的な権力関係下において? それは「暴力」ではないのか。
家庭の空気を明るくするために長女のひがみっぽい性格をなんとかしたい - 子育てちゃんねる
この記事読んだら昔のことを思い出してなんか泣けた。
自分は「長女」の立場で、同じように「母は自分より妹のほうがかわいいんだ」って思いこんでた。
中学生のころ、「子供に同じような思いをさせたくないから、私は絶対子供を作らない」って日記に何度も書いてた。
今となってみれば、母のどういう言動で、自分は可愛がられてないって思いこんでいたのか思い出せない。
嫌な思い出は忘れてしまったんだろうか。特にそんな事実はなかったんだろうか。
結婚して三年になる。
きのう主人に、一緒に将来のこと(家をどうするか、子供はどうするか)をちゃんと考えようって言われた。
それまでは、何となく子供を産み育てるのもいいかな、ってちょっと思ってた。
でもきのうは駄目だった。まとめブログ思い出してやっぱり泣いた。
子供を持つことを前向きに考えられなかった。
虐待されてたわけではないし、大学卒業までちゃんと面倒見てもらった。
いい親だと思うよ。
でもなんか母とはしっくりこない。
電話も用事がある時だけ。
距離を置くことで以前よりは母と付き合いやすくなった。苦手だと思わなくなった。
妹はずっと実家に住んでいる。
私にはできない。
年齢的にはあと数年悩める。
いつか決断できるんだろうか。
それともあっけなく妊娠して産むのかな。
悩んでいるうちに閉経するのかな。
ある一家の話です。
大学卒業後、兄は「長男だから」という理由で地元に帰らされました。
弟は兄が帰って家がなくならないとの理由から、東京に残りました。
何年か経ち、双方に子供ができました。
同い年の従兄妹です。
兄の子は長野県で地元の幼稚園・小学校・中学校(全て公立)に通いました。
一方弟の子は東京で教育を受け、私立の幼稚園・小学校と通い、中学受験の際学習院中等科・慶応義塾中等部に合格しました。(進学先は当然慶応。)
田舎で中学校生活を送っている兄の子(女)はスイーツ(笑)街道一直線です。
幼稚園からの友達と手が切れず、DQNの影響をもろに受けています。髪を染めたり、学校に携帯を持って行って先生に見つかったり(それも2カ月で7回程)、受験を控えているのに殆ど勉強しなかったり…。DQNの鑑のようです。
一方、東京に残っている弟の子供は英検準一級を取得し、慶応義塾中等部の中でもかなり優秀な成績を修めています。慶応義塾大への進学はほぼ間違いありません。
田舎で教育を受けさせるのと都会で教育を受けさせるのでは、非常に大きな違いがあります。DQNの洗礼を受け易くなる分、田舎の教育はリスクが大きいと思います。
反論のための反論(極論)的展開が多かったから、或る程度支流の部分はスルーした。
で、一応メインがまとまったので、その点について話したいと思う。
確かに、自分の子供時代が絶対的な欠乏みたいな状況になかったのは事実。
でも、【親が食べるパンや飲み物を、ほらお前が飲め。】的な状況はそんなに生活の中で頻発しているのかな?
人生全てトレードオフ(WINーWIN)だから、それらは、程度の問題だといっているように、
親が絶対的な?我慢をしてまでってのがイメージできない。
明日の休みは子供のために遊園地だな。とかはわかるけど、それは絶対的な”我慢”かな、そういうの。
あるいは、自分は犠牲にされている!とか思うことなのかな。そういうの。
要は、我慢はしてるだろうけど、心を壊されるような我慢なのかなってこと。
コミュニケーションについてだけど、
子供が不安になるというのは、親対子関係には全般的に起こりうることで、つまり、
子供が親から大事にされているかどうかと感じることにかかっている。
じゃあ、その大事感を満たしてあげられるのは何かと言えば、コミュニケーションしかないと思ってる。
なぜならお金をあげる。物を買ってあげるといった、なにかモノや媒体で愛情(大事感)を表現しようとすると失敗するから。
それは、モノやお金が代替可能であり指標化できてしまうからである。
大事感を測ろうとしたり、大事感がお店に行けばいくつもみつかるようなモノだったら、子供からは信用できないでしょ?って話。
自分のパパからのプレゼントを、友達の○○君ももってたり、友達の○○君は自分より高いモノ買ってもらってたりすればさ。
結論としては、”愛情そのもの”を伝えるべきである。ということだから、それは不完全な方法でしかないが
それしか方法がないからコミュニケーションを選ばざるを得ないよな・・・というのが自分の見解。
で、個別具体的な別姓問題に関するコミュニについてだが、
別姓 → 子供が不安になる。というより、子供が親の態度に不安を感じていて、それを強調・助長する別姓の事実を発見する。って思考の流れだと思っている。鶏と卵みたいな所があるけれど。本質なのは、その子供が感じる大事感の有無。
だから、別姓でも安心であることを伝えて理解してもらうのではなく、別姓という事実を知ったときに親に疑いをもつような、心理作用にすでにある子供にしないために大事感をしっかり伝えておけばいいのであって、別姓問題で子供を説得するのではない。
ただ、それでも中学生とか小学校高学年くらいになれば、よそはよそ。うちはうち。いろんな家族が居るのよ~でなんとなく納得してきたものを、もうすこし、なんでお父さんとお母さんは別姓を選んだの??って個別的な経験を理性的に聞かれるだろうな。
ひととき、はでブ界隈を賑わわせた年収260万で結婚できるか問題。(とその書き手。)
その問題があまりにも身近すぎて、書きたくなった。チラ裏ですまん。
私の場合は、相手(28歳)の年収が280万ぐらい。
そして私(25歳)の年収は、560万くらい。
倍。
私の方が年下でしかも女なのに、倍。
私が全然モテないなら、まだいいかもしれない。「稼ぎが悪くてもこの人しかいない」、と思えるのかもしれない。
でも、非難覚悟で言うが、私はモテる方だ。美人の部類だと思う。スタイルも、まあ、悪くない。胸は小さいがクビレには自信がある。
性格はいたって平凡。実はネクラだし話はおもしろくないが、普段の人当たりは悪くないし友達も多い。
学歴、Aランク。勤務先、業績好調な有名企業。私自身の仕事の評価もそこそこ良い評価をもらっている。
家事は、、、料理は好きじゃないが頑張ればできる。掃除洗濯などは普通にやる。
そして、周りは優秀な人が多い。親戚も友人も同僚も、男も女も、学歴も今の職業もいわゆる一流の人に囲まれている。
年収も、同年代サラリーマンの平均年収より確実に高いような人ばかり。
周囲の人経由で出会う人(コンパや普通の友達同士の集まりなど)も、外資系バリバリや企業家、弁護士会計士、その卵、が多い。
将来的には、あと2年くらいは遊んで、28か29くらいまでに前途有望な仕事がデキるそこそこカッコいい人と結婚したい、と思っている。
そんな私だが。
なんてことはない、たまたま出会った年収280万の男に恋をしてしまった。
仕事をしている姿を見て好きになった。話すと胸が躍った。
気づいたらお互い気になっていたようで、付き合い始めた。
今は付き合っていて、とても幸せだ。その人のことがすごく好きだ。とても愛しい。
何も問題がなければ、結婚したいと思う。
ただ、正直なところ、この人と結婚するのは釣り合わない・・・とも、思う。
28歳で、年収280万。
親は確実に大反対だし、友達も賛成しないと思う。
私も、自分がバリバリ働いて相手を食べさせるよりは、養ってもらいたいと思う派だ。
今の年収をキープするために仕事を続けるには、絶対子育てがおろそかになってしまうから、続けられない。
それに、私なら、もっとレベル高い人を射止められる。そんな気もする。(なんたる傲慢さ。)
うすうす気づいてはいるけれど、相手の年収と自分の市場価値を天秤にかけてしまう時点で、私は今の彼と結婚しない方がお互い幸せなんだと思う。
<参考?>
女の年齢 男の年収
16歳 1200万円
18歳 1100万円
20歳 1000万円
22歳 900万円
24歳 800万円
26歳 700万円
28歳 600万円
30歳 500万円
32歳 400万円
34歳 300万円
36歳 200万円
38歳 100万円
40歳 0万円
<参考その2>
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1017204960
当方30代前半。つきあって3年目の彼氏(同い年)あり。年も年だし、そろそろ結婚も・・・・という話がでているところ。私にとって相手は、趣味も合うし、信頼できるし、ああこの人となら頑張って将来を歩んでいけるなー、と思える人で、幸運なことに相手も自分のことをそう思っていてくれるようだ。お互いそれほど収入が高いわけでもないけど、二人で働けばそれなりに暮らして行けそうだし、一見結婚には何の障害もないように見える。ただ一点を除いては。
問題点とは、彼は子供がほしいと思っているけれど、私はそうは思えない、ということ。
お金の問題とか、自分のキャリアが中断されるとか、自由がなくなるのがいやだとか、そういう具体的な「生みたくない」理由があるわけではない。ただ、「子供が欲しい!」と思う気持ちが、分からない。比べるのもアレだけど、私は犬猫が好きで、野良猫や野良犬を見かけるともうニヤニヤしながら寄っていって、「よしよしおいで−」なんてやってしまうし、今は犬猫禁止のマンションだから無理だけど、次引っ越すときは絶対に動物が飼える住まいに!と思っている。そういう、感覚的に「うおおお、かわいい!ほしいよう!」と思う気持ちが、子供にはわかないんですよ。友達の子供とか見てると、「ああ、可愛いねえー」とは思うけど、「ああ、子供を自分もほしい!」という気持ちになれない。
実際に子供を産んだ人は、生む前から「子供かわいい!絶対子供欲しい!」と思って生んだんでしょうか?それとも、生む前はそこまでの意気込みはなくて、結婚もしたし子供も産まなきゃなあ・・・って感じで生んでみて、生んだら「おお、子供って実はこんなにかわいかったんだ!」って感じなんでしょうか?
後者の人がいたら、是非「生む前は予想もしてなかったけど、子供はこういうところが可愛いぜ!」ってところを、具体的に教えて欲しい。あ、「生んだらわかるよ」はなしでお願いします。子供を持つことの良さ、幸せを、得々と語って、自分をその気にさせてほしいです。
私自身の今のスタンスとしては、彼が望むことだしできれば子供を持つ方向で考えたいんだけど、正直こんな心境で生んでしまっていいものか、実際生んでみたものの、子供に対する心境が全然変わらなかったら困るよなあ(困るというか、そんな心境で生んではいけないと思う)、という感じなので。
異性愛者は異性を、同性愛者は同姓を、腐女子は男同士を見てハァハァするもんなんだから目くじらたてる方がオトナ気ない、という論法をよく見るんだけど、これって搾取されている側が悟りを開いて諦めてあげているだけなんだよね。大人の対応ってやつなんだろう。
吉田秋生の漫画でノンケ男がゲイバーに入って、じろじろと値踏みされて「性欲の対象になるのはえれープレッシャーだ」みたいなこと言っていたのが印象的でよく覚えている。要するに覚悟なくいきなりハァハァされると、何を取り繕っても怖いんだよね。全員が理性のないヴァカじゃないとは分かってるけどさ、誰に何されるか分かんねーもん。だからそういうプレッシャーに対して覚悟がなく、抵抗も出来ないロリショタが保護されることは真っ当だと思うし、文字通り大人ではないのだから、子供や親御さんが諦めてあげる必要はないと思うんだ。ロリコンやショタコンはロリショタを見てハァハァするもんなんだから、目くじらたてる方がオトナ気ないって、子供に本気で言えるか?対子供に関しては目くじらはたてていいと思うね。
二次だろうと三次だろうと、ハァハァしてることそのものが恐怖の対象なんだよ。そうやって他人に著しく恐怖を与えるものを、おおっぴらにしていてはいけないだろ。刃物持って往来をうろうろしてはいけない銃刀法違反とかでもそうなんじゃないの。児ポ法関連で、「二次には保護されるべき被害者がいないじゃないか」ってよく言うけど、いるんだよ。被害者とまではいかないけど怖いと思う人たちが。
まぁ持ち歩いたら怖いからといって刃物職人や台所の包丁や筆箱のカッターナイフを規制するのはナンセンスだ。単純所持の違法化なんてもってのほか。置いておくべき場所があって、必要な人がいるのなら、ロリショタものは根絶するのではなく、制限を設けて管理するべき。少なくとも今の野放しになってるインターネットはどうにかした方がいいとロリの俺は思っている。
男が親権を主張する場合、
たいていは相手に対するイヤガラセだったりするんだよね。
まじで。俺別れる事になっても絶対子供は手放したくないって思ってるのに…俺って異端なのか…