はてなキーワード: 内面化とは
馬鹿に逆張りしてれば馬鹿じゃなくなるとでも思っているのだろうか
あとそういうタイプのオタクって全体的な思想はリベラルよりなのに社会規範のマッチョな部分を素朴に内面化していることがあってちぐはぐだなとも感じる
流行ってるな〜っていうのはあくまでTwitterにおける自分の体感を深く考えずに言っただけなのでエヴァを始めとして昔から言われていたのはおっしゃる通り
ここではあくまで庵野とか富野みたいなクリエイターではなく(その人らは今更だろうし)、オタク冷笑芸で最近バズってんな〜っていうSNS上のアカウントの話
ついでに自分でも主張が雑過ぎると思ったのでもう少し具体的に話す
「社会性を持つ」って事自体は当然大切で何もそれに逆張りしろってわけじゃないんだよ
ただ「オタク」の中でも特に社会性の低い特定個体の行動、あるいは逆に人間全体に当てはまるし実生活では多かれ少なかれ隠しているであろう卑近な欲望をわざわざ引っ張り出して「これだからオタクくんは恥ずかしいよね」って冷笑して回る人間が果たしてきちんと社会をやってると言えるのか?
あとその手の説教をする奴もオタク側というのがポイントで、要は「自分はオタクである/あったことをきちんと反省しけじめをつけたのでお前らもそうするべき」っていう拡大した切腹行為なんだよな
面白い仮説で、途中までメトロノームのように頷いていたが、ここからズレた。
…
男だって同じように弱者男性のために自分たちで行動を起こせばいいだろ。女性にばかり救いを求めるな。
コミュニケーション能力の低さも弱者男性の生きづらさの原因だと言うが、それはただの努力不足だと思う。
女性は社会から幼い頃から気配りや思いやりを求められ、温良貞淑な女性像に適合することを強いられるため、
自然とコミュニケーション能力は高くなる。
…
女性はたくさんの苦労や抑圧を乗り越えて高いコミュニケーション能力を獲得しているのだ。
男はコミュニケーション能力が低いから〜と甘ったれるな。
(強調と省略は引用者)
女性のコミュニケーション能力は社会から強制されたために身についたもの、としつつ、同様の態度を取らない男性を責めている。だが、フェミニズム的に考えて、そもそも女性に強制する家父長的社会こそが問題なんじゃあないのか。結果的にケア能力を高めざるを得ないような気配りや思いやりを求めてくる男性中心社会こそ本来否定すべき対象だろう。抑圧を受け入れてミイラ取りがミイラになってしまうのは、いわゆる内面化だ。女児に男女不平等な優しさを要請するな、と突っぱねるべきだ。
「女は薄っすら好かれる、男は薄っすら嫌われる」というネットミームがある。
私見だが、これは生物の本能に由来するものではなく、社会の底にへばりついた頑固な男女不平等が未だに存在するためではないか。私は昨日、「知らんでぇ」というVtuber3人グループのショート動画を見た。3人が仲睦まじく声を掛け合う動画だったのだが、「女の子3人で可愛い」のようなコメントが人気になっていた。実際は男性一人が含まれるのにも関わらず。これは要するに、人当たりのいい柔らかい態度を取っているのだから女性のように見える、ということが言いたいのだろうが、サブカルチャーの見えやすい部分にさえ、このような価値観が残っている事が女性への優しさの要請が存在する証拠だと思う。
どこに質問の要素あるんだよ笑
まずこの時点で頭悪い。
そういった逃げる選択肢をとりがちである理由や真剣に取り組むという行為に社会関係資本等が必要であることなんかも統計的に示されてる。
お前の頭が悪くて思慮も学もないから知らないだけで、お前の話に沿った反論してる。
俺の成功と幸せの中心となる要素が可愛い妻であるってだけなのに、それを出す理由が「想像力が足らないことに原因がある」って頭悪すぎる。
恵まれていたり幸せであることを表現するのに何を持ってするかは自由なんだけど、馬鹿だからブランド物の服や高級車じゃないと意味ないとかSNSに毒された頭の悪い価値観を内面化してるんか?笑
フェミニズムとBLは切っても切れない関係にあるのでBL論を書いた本には大抵言及されている。
腐女子は自分たちは不快な表現をする人間なので嫌がらせをされたりセクハラをされるのも当然で、徹底的に隠れるべきという規範を内面化していたため、外に向かって表現をするわきまえない腐女子を激しく攻撃していた。
だからフェミニストは男オタクからの嫌がらせに対してというより、それに屈して内ゲバを繰り返す腐女子に対して表現の自由を説いた。
同時にフェミニストはBLを抑圧された女性が解放されるための代償行為と位置付け、好き勝手に分析されラベリングされたと感じた腐女子からの反発は激しかった。
摩天楼の隙間をスタスタと通り抜けるような絵面の映画と、気が狂いそうなほど延々と続く住宅街やさびれたダイナーの出てくる映画ではやっぱり空気感が違うような気がする。共同体への帰属意識だとか、人との距離感だとか。それは意図された描かれ方なのかもしれないし、作り手の心象風景がそうさせてるのかもしれない。
でもアメリカの実態なんて何も分からないし、一握りの都市部のリベラルと田舎のゴリゴリのコンサバみたいな対比も情報上のものとしてしか知らない。本当にそこまでの差違があるのかも分からない。
自分の住んでる日本ですらも住んでる近辺くらいしか知らない。別に冷たくもないけど、温もりを感じるかって言ったらそうでもない。人の靴踏んどいて謝らないカスもいるけど、最低限の敬意を持った人だってごまんといる。人間すべからく労働して結婚すべしみたいなものをごく当たり前に内面化していそうにも見えるし、テレビで見聞きする新たしいジョーシキに迎合するポーズを示そうとしたりもする。別にどこもそんなもんじゃね思ってる。旅行に行ったくらいじゃ、人の違いだとか空気感の違いをそう感じる訳でもない。
自分の行動範囲や人付き合い、視野が狭いのかもしれないし、場所が変わっただけで人がそう変わるもんなんだろうかって気持ちもある。
対戦ゲームの勝利至上主義って新自由主義が掲げる自己責任そのものだからね。
対戦ゲームをなんとなく受容していくうちに、人々は自己責任の価値観を内面化していくんだよ。
弱いのはお前が悪い。正しい努力をしなかったお前が悪い。
勝ちにこだわって練習しない方が悪い。ってね。
報われるのは勝者だけ。
建前上は楽しんだもん勝ちとか、グッドルーザーとか、いろいろ言うけどね。
結局注目を集めて賛辞を浴びて気持ち良くなれるのは勝者だけなんて、SNSを眺めてりゃ誰だってわかる。
厳しいねえ。厳しいよ。でも対戦ゲームはそれを良しとしてるわけだからね。
大谷グローブの運用が大変になる、というのは当然だし教育現場は色々気を揉んでいるだろう。当たり前のことだ。
学校としては寄贈を希望すれば寄付される、ということだけど、これだけ大々的に話題になったものに対して「希望しない」という選択をとるのは難しいだろう。生徒としては普通に考えて納得できないだろうし、生徒以上に怒る保護者がいることも容易に想像できる。生徒や保護者、またあるいは地域の住人を納得させられるだけの理由を説明しなければいけない。いや、する必要はないんだけど、絶対どこかで教員が詰められるだろう。
では寄贈を希望してグローブをもらったとする。今度はグローブの管理運用について考える必要がある。
寄贈の意図、形式からして「ちゃんと使ってもらいたい」感が非常に強いので、ケースに入れて校長室に飾っておくわけにはいくまい。仮にグローブを死蔵していることがバレたら保護者から怒られるからである。「大谷選手の思いを無駄にしている」「せっかくなのにもったいない」「うちの子の可能性を奪った」何でもいい。
じゃあちゃんとグローブを使おうとした場合。ブコメでは「他のグローブとかといっしょに倉庫に入れて使いたいやつが使えば」なんて意見がいくつもあったけどそんなことが実際にできると本当に思っているんだろうか。ほぼ確実に盗まれて終わりだろう。
はてぶの超上級国民様たちは大変牧歌的で平和な小学校生活を謳歌されていたのだろうが、校内で窃盗・物隠しなんてごく当たり前にある現象で俺が小学生だった頃にはAIRMAXの盗難が続いたのでナイキ禁止令だって出た。別に特別治安の悪い地域ではなかったがそんなもんである。
盗まれたり、無くなったりしてそれでいいならいいが、保護者は納得しない。
グラブ3つあるうち、どれか紛失してしまったら即保護者にバレる。
当然保護者は怒る。「大谷グローブですらちゃんと管理できないなら給食費も盗まれて当たり前ですよね」「ちゃんと犯人は見つかったのでしょうか」何でもいい。
じゃあグローブを3つ、誰か教員の監督下において貸し出しの名簿を管理させようという話になる。それぞれグローブに番号をふって、使いたい人は名簿に名前と貸りた時間/返した時間を記入させるようにする。おそらく大体の現場ではこうなるのではないかと思う。別に特定の教員の監督下に置かなくてもよさそうだけど、備品である以上は保守が必要なので責任の所在を明確にするためにもとりあえず名前だけでも定めた方がいいだろう。何かあったらその教員の責任である。ただその教員には何も見返りはない。グローブと名簿の管理という仕事が増えただけだ。仕事が終わってもう帰りたくてもグローブが返却されていないとヤキモキしながら校庭の様子をながめる。
そしてその教員が大谷選手のファンだったとしてもグローブを使用することは許されない。許されるだろうが、リスクが伴う。
「大谷グローブ、生徒を差し置いてファンの教員が使用!!」なんて見出しのニュースになってもおかしく無いし、実際はもっと露悪的な見出しになるだろう。そんな教員はいないだろうけど。
こんな感じで大体学校内部の事情というよりは外部からの目線の内面化による理由がほとんどだろう。
そんな保護者無視すればいいと言うだろうがそんなヤベーやつから担任の教師は少なくとも一年間は逃げることができないのである。そして教員はクレーム処理の職能に特化した人間ではない。そしてそんなクレームに対応して当然の給料を果たしてもらっているのだろうか。日々の業務に追われ、残業時間や持ち帰り仕事の深刻さが問題視されるなかで。
もちろん、寄付を心がら歓迎しありがたく思う学校の方が多いだろう。ただ全国諸手を挙げて嬉しいと思っている、嬉しいと思うべきだ、と思っているならさすがに想像力に問題があると思う。
なぜ夫や妻以外の人間とセックスしたらすぐ離婚沙汰になってしまうのか?
逆に当人間のセックス頻度が少ないだけでも離婚事由になってしまうし
というか実際高いのだとして、そんなに高くする必要性あるか?
結婚というのはある家族の一員と別の家族の一員が契約して新しい家族を作る行為のはずだ
その新しい家族を安定的に持続させるために、たとえば経済的豊かさや身体的安全性、心理的安全性が重視されるのは、わかる
家庭内暴力が常態化していれば自身の生存が危ぶまれたり、子の健全な成長を妨げる
モラハラが酷いと家族を運営する上でのフェアな意思決定ができないし、最悪精神を病んだり、これまた子の健全な成長を妨げることになる
だから浪費癖やDV、モラハラが「もうあなたとは家族をつづけることができません」という理由になるのは当然だと思う
でもそれらに比べて、不貞行為(=浮気、不倫)やセックスレスって次元が違くないか?
いや、もちろん酷いのがあることは認める
たとえば他所の女に入れ込んで金を使い込んだり、間男の子を孕んだり、変な病気うつされて不妊になったりね
でもそれらも突き詰めれば経済的問題や身体的問題が重大なのであって、他人とのセックス自体が問題なわけではないだろ
他人とのセックスを起点として家族の持続性を危ぶませる事態が発生しているのは事実だが、かといってすべての他人とのセックスが家族を破壊する事態を引き起こすとは限らないはずだ
セックスレスそのものが問題というよりそれに伴って生じる精神不安や家族間の不和が家族を破綻させる
そう考えると不貞行為がそれだけで離婚事由になるという現行の結婚制度はどこか恣意的だと思わないか?
きっと今の結婚制度を作った大昔の人はセックスが好きすぎて頭が狂っていたんだと思う
非婚者がこれだけ増えて、同性パートナー制度や子を持たない家庭が当たり前になりつつある今、家族のカタチが変わるなら結婚のカタチも変わって当然だろう
「家族」という関係性、契約、仕組みにとって、どのくらいセックスが重大で、あるいは重大でないのか
そこを整理し、再定位することで、きっと救われる家族は増えるだろう
本当はそんなにセックスが重要ではないのに世間体や現代のセックス偏重主義的価値観の内面化によって苦しみ、悩んでいる人がたくさんいるのだから
北海道の味噌バターラーメンとか仙台の牛タンとか、名物として「用意」されてる感を感じるとなんか冷めてしまう。
例えばドラマで会社員が一服してるような、室外機が雑多に置かれた雑居ビルの屋上に上がってみたい。でも百貨店とかの屋上ではその気持ちを満たせない。ベンチなんか置かれちゃったり、芝の上でガキが走り回ってたりして、「ここでゆっくり過ごしてくださいね〜」と言わんばかりに用意され過ぎてるみたいな、そういう……
あとはもっと単純に、土地の差違を楽しみたいのに、楽しむための差違がわざわざ用意されてるんじゃないか?と思ってしまうと冷めてしまうというのもある。
さわやかとかセコマみたいなローカルチェーンが観光地として選ばれるのって、そういう我々が日常生活でファミマに入るが如く「本当にその地域で慣れ親しまれているもの」への欲求を適度に満たしつつ、しかもローカル展開なのでそこでしか楽しめないという欲求も満たせるバランス感みたいなものが決め手になってるような気がする。金沢や小樽で敢えて回転寿司に行ったりするのも然り。
さわやかも今は吉村家並みに混んでるらしいし、そういう点とは別な部分で観光地感(≒おれの言う用意されてる感に近いもの)を感じてしまうかもしれないが……
でもおれはさらにそこで疑ってしまう。それらはホンマに愛されてるんかと。静岡県民は本当に他のファミレスを差し置いてさわやかを選ぶのか。北海道の中高生は本当にコーラよりもガラナを選ぶのか、ごつ盛りよりも焼き弁に手が伸びるんかと。
別にそればかり食べている訳でもなくて、それが選択肢として当たり前に存在するのが馴染まれているという事なんだろうとは思う。でもそこでちょっと肩肘張ってる部分がないだろうかと邪推してしまう。
レモン牛乳は本当に自然体で愛されているんだろうか。栃木といったらこれだよな、という余所者の視点が内面化されて気負いとなってはいないだろうか。
まあ実態なんて分からんし邪推ばかりしていてはパラノイアになってしまうので、程々に収めておくようにしている。と言いつつ関西土産にどん兵衛を買ってきてしまう。ごつ盛りと焼き弁では少々不公平な所があるかもしれないが、どん兵衛(W)とどん兵衛(E)ならそこで確かな土地の差のようなものが感じられる気がする。