はてなキーワード: 連休とは
都会のど真ん中(銀座から歩いて20分くらい)の公園でゲートボールか何かを楽しんでる20人くらいの老人グループがいた。高層ビルに囲まれた遊具もない殺風景な公園だけど、今日は天気がよくて温かいからさぞ気持ちがいいんだろうな。天気が良くて快適な日に昼間から友達と集まってワイワイ出来るって幸せだよな。
MARCH卒だけど卒業してからや家賃6~7万の1Kに住んでて裕福でもなんでもない。お金に困ってるわけでもないけどこの間久しぶりに給与明細しっかりみてびっくらこいた。
総支給額33万で控除額9万、手取り24万。この世代だとそんなに給料低い方じゃないと思うんだけどな。この控除額があの幸せな老人達の数十年に及ぶ生活を支えていると思うときちいな。
この間父親が当時はじめてのボーナスが出た時に両親に100万あげたって話きいたけど、100万なんて惜しくて惜しくてポンと出せねえよ。
もちろん老人は健康の不安があったりして若い時と同じように遊べないのはもちろんわかるよ。でもその体の不調をお直しするのもまた自分らの金が使われてるんでしょ?年寄りが健康な事は良い事だけどグヌヌ…だよ。
今日みた人たちも見た感じ80近い感じだったけど、60歳で定年だったならもう20年近くこんな感じなんだよな、羨むなといわれても無理だろ。自分は一体何歳まで働き続けるんだろ。80歳まで働いて100歳まで生きるような感じになったりするんだろうか。それもきちぃ~
コロナが始めってからというもの、趣味としての海外旅行もジム通いもスーパー銭湯も行ってない。
ジムやスーパー銭湯は行こうと思えばいけるんだろうけど、コロナに気を使ってまで行きたくない。
なので、英語学習やふるさと納税、iDeCoなど今まで手をつけてなかったことをやり、洗濯機とロボット掃除機も買い、お金と時間の節約と、いくばかの能力の足しになるようなことをやっているが、毎日気分が晴れない。
「これをやって何になるんだ、今あんまり気分が晴れてないのに」という気持ちになって「もっといい時間の使い方はないだろうか、もっと効率的に時間を使えないだろうか」と考えて動きが止まってしまう。
まあ準備や学習は為になることではあるが、それ自体では心が晴れるものでも気持ち良くなるものでもない。
なので、「これをやって何になるんだ、今あんまり気分が晴れてないのに」という問いの答えは「準備をやっても気分は晴れない。気分を晴らすには気分のよくなることをするしかない。しかし準備は確実に役に立つ」ということで、気分が晴れることをやれない今の瞬間は「そういう時間」なので、「何もしなく時間を薄める」のではなく、「別に楽しくはないが準備の時間に当てる」、「気分が晴れることは連休である次の週末にでも考える」ということになる。
働き方改革のアレで「よきところで休暇を取りなさい」って言われたんで、この飛び石連休の間を休暇で埋めて5連休にした。
普段だったら5連休あれば3日くらいは旅行に使うもんだが、今年はコロナのせいであんまり遠出する気にならず、在宅なので「遠出したい、逃げ出したい」という方向性のストレスも溜まってなく、いい歳で家族もないので、まあしたいことがない。
したいことがないので、しょうがなく始めたての英語のレッスンや、全然手をつけてなかったふるさと納税とiDeCoのリサーチ、家の前の雑草狩りなんかで5連休を埋めた。
煉獄さん頑張ったね。
在宅が増えたせいで人間関係がどんどん閉じていくことに今を無駄遣いしてるような焦りもあるし、休暇っぽいスッキリさやエネルギーチャージもできなかったけど、将来のためやった方がいいことをやる形になり、今はこれで納得するしかないのかなと思ってる。
あと最低取らないといけない休暇3日あるんだよな。
どうしようかなー ´๏ _ ๏`
研究室が辛すぎてこのままだと精神を病んでしまう気がして逃亡した。
といっても自分のゼミ発表の日はきちんとこなし、無断欠席する勇気はなかったのでおばあちゃんに入院してもらったことにして木金2連休をもらった。
研究室生活初の2連休をもらった朝、どうするか途方に暮れていた。友達は研究しているか仕事しているので、当日突然付き合ってもらうのは無理だった。
どうしようかな〜と思いながらふと思った。
温泉に行こう。
ということでじゃらんで昨日から1人で泊まれる電車で行ける宿を探し、速攻予約して9時には電車に乗っていた。
現地は全然なにもなく、とりあえず川を眺めてたり、人気のパン屋のために往復1時間歩いたり、森の中突っ込んだり(死ぬつもりとかじゃなくて趣味です)してた。
16時には宿にチェックインして、とりあえず横になりながらネトフリで見てみたかった梨泰院クラスを見てた。ご飯食べて温泉に入って買ってきた日本酒を飲みながら梨泰院クラスをみた。チェックインした時突然の予約でしたね、って言われたから研究室が辛くて衝動的にきましたと言ったら夜に特別にお菓子くれた。世界が優しい。眠くなったから寝て朝起きたらとりあえず温泉行って朝ご飯食べて梨泰院クラスをみた。
そうしたらずっと止まってた生理がきて、うぉーーーーーー!!!私はストレスから解放されて正常な体を手に入れたんだーーーー!!!と喜びに震えた。
みんなも辛くなったらおばあちゃんが入院したことにして温泉に行こう。
みんなの優しさにつられてうちの現状と大学のブラックさを吐き出してみた…けど、うちの研究科卒業した人なら誰でもわかる事例ばっかりあげてしまったのでびびって即消しました。
みんなに報告があるとすると、昨日と今日はめちゃくちゃ楽しかったのと、来週からは実験器具とか席を他の研究室に用意してもらって気持ちを新たに頑張るよ。とかですかね。
あと詳細は消したけど訴えたいのは、みんなが想像するブラック研究室やセクハラなどは大学に告発しても卒業や修了と引き換えに揉み消される問題ですね。そもそもパワハラ相談窓口になるような先生は研究科の中でも立場が下だから面倒な役職を押し付けられてるわけで、たかが数年で卒業する学生より、腐ってても実績のある先生と仲良くして自分のキャリアを守る方が大切なわけです。私は妙な正義感出してしまって立場が余計悪くなってしまったけど、いつか誰でも素敵な研究室ライフを送れる世の中になりますように。
4月は緊急事態宣言の影響で毎日終電。在宅に切り替わった人達のサポート部署だったのでシステム・ルール・機材整備等々の対応で朝から出社、終電で帰る毎日。
5月は連休があったものの「連休中お休み出来たでしょ?あとうちの部署も在宅取り入れるから」と月水金は出社で火木は在宅。この日に会社にいないとできない業務があると言っても「決めたことだから」と取り合ってくれない上司。結果、出社日はほぼ終電。
7月、業務の影響で朝定時で出社して終電で帰る日々。8月、月勤務時間220時間。9月、上司に「部下が2ヶ月超過勤務してると管理職が怒られる!」と勤怠を少なく入力するよう圧がかかる。まあ、ほぼ勤務通りに入れたけど。200時間。産業医面談は免れたみたいで上司は一安心してた。
10月、体調が落ちてくる。8、9月のあのバリバリ仕事できたのは何だったのか。気力がない。体が動かない。死にたい。消えたい。
休みを申し出たけど、業務調整するから待ってだって。他の人は周囲に何にも相談することなくリフ休とってたのに?少なくとも私には何も言われてなかった。なぜ私は休めないの?
まあ、体調不良で休みますっていって数日休んだけど。でも体調は回復しなかった。
ここ一週間、ずっと死にたい。首の頸動脈切ったら死ねるかな、とか考えるので刃物は洗ったらすぐ隠すようにした。
ホームで電車待ってるときに「このスピードだったら死ねるかな」とか考えるから、できるだけホームの内側で待つようにした。
ドアノブで首吊れないかなと思ったけど家の構造上無理…かと思ったけど、やってみる価値はあるかなとか考えてる。
自助とかいって周囲に話せっていうけど、もしあなたがいきなりこんな話をされたら、冷静に、かつ、的確に対応できる?
できない人がほとんどだと思う。それを責めようとは思えないから、黙っておく。
首吊り系のキーワードで検索したら、一番上に厚労省のいのちの電話の番号が出てきた。
つながらないともっぱら噂のいのちの電話。
ダメ元でかけてみたら、やっぱりつながらなかったw回線が大変混み合ってますってさ。
私はもういなくなるけど、最期に何かしらの役に立てたらなと思う。
なのでここに書く。
若い人の自殺が多いみたいだから、その人達向けの対策でもいい。
「あなたのこと助けます」って出てくるのに、勇気振り絞って、それこそ絶望して絶望してこの世からいなくなりたいと思っているときに、もしかしたら…という僅な希望にすがって、それが叶わなかった時の絶望感。
厚労省は繋がった電話のカウントはしてるかもしれないけど、つながらなかった電話のカウントはしてないのかと思う(技術的にできるのか、はてなーのみなさん教えてほしい)。
そっちの数かぞえて集計してほしい。
電話つながってたら、何か変わったのかな。
でももういいや。
ありがとね。
やっと楽になれる。
まず最初に言っておく。
これは嘘だ。
国家公務員は「法律で休みが決められている」という前提をみんな忘れている。
「第十四条 職員は、国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)に規定する休日(以下「祝日法による休日」という。)には、特に勤務することを命ぜられる者を除き、正規の勤務時間においても勤務することを要しない。十二月二十九日から翌年の一月三日までの日(祝日法による休日を除く。以下「年末年始の休日」という。)についても、同様とする。」
とある。
つまり、国家公務員が17連休を取るためには、「今年取った以上の有給休暇を全力投入する」か、「法律が変わる」かしかない。
ということである。