はてなキーワード: 脳卒中とは
2011年12月31日、僕の父方の祖父、父の父が亡くなったと田舎から連絡が入った。
葬儀は三が日が明けた4日になるそうだ。父の田舎の風習で、先に火葬を行うとのことで、火葬を3日、葬儀を4日に行う予定だ。
父は長男なので、当然喪主となるべきところなのだが、数年前に脳卒中をしており、言葉と体が不自由だ。
近しい親戚がいるので、その親戚が喪主をすることになる。本来は長男である父がすることであるのはわかっているのだが、
挨拶が満足にできない、歩くのも立ち上がるのにも時間がかかる父が、喪主のような忙しい役目は果たせない。
親戚が喪主を務めることには誰も反対しなかった。大晦日の時点で、祖母もそれを了承していた。
我が家は田舎から離れているので、2日には現地入りができるように移動手段・ホテルの手配をした。
ここでも本来ならすぐにでも駆けつけなくてはいけないのだが、31日はまだ帰省ラッシュであり、新幹線も飛行機も取ることができなかった。
ここからが問題なのだが、1日年が明けた頃に親戚から連絡があり、父は出席をしないように、と母が言われたのだ。
田舎では、脳卒中のような病気で障害をもつと、狐に憑かれたとか、祟られたと思われるというのである。
父が脳卒中をして体が不自由なことも祖父母は近所に話をしていなかったそうだ。
そんな馬鹿な話があるだろうか。
実の息子である父が、障害を持っているからといって、葬儀に参加できない理由になるだろうか。
そりゃあアメリカだって創造論や神の存在を一般市民が信じているのだから、日本の片田舎の住人が狐の祟りを恐れていても不思議じゃない。
しかし、親の死目に立ち会えなかった父が葬儀に出れない理由にはならないだろう。
無理解ゆえの憤りを、これほど覚えたことはない。
もちろん親戚や祖母も、父には来て欲しい気持ちがあるのだ。それは分かっている。
だからこそ、世間の目のために葬儀に出席できないというのは、やりきれないのだ。
父は言葉が不自由だからか、葬儀に連れて行かないことを告げても何も言わない。
おそらく田舎の考え方が分かっているのだろう。しかし、葬儀に出たくないはずがない。
普通の家庭なら、親の葬儀にはなんとしても参加したいはずなのだ。どうかしている。
長男不在のまま、長男の息子として出席する。おそらく何かしらの役目を果たすこととなるだろう。
きっと会ったこともないような祖父の知り合いなどに、父は病気で来れない、とか嘘をつくだろう。
そう言うように、という説明を親戚なりから受けるのだろう。
どのような顔をして親戚や祖母に会えばいいのか、まったく分からない。
うちは震源から遠い神奈川県民で被害もほぼゼロ、強いて言えばお店での買い物に個数制限が出来てしまったのが少し不便なぐらいで、
パソコンをしながらテレビを見て「原発の話ばっかり飽きたなー」と鼻をほじる余裕があるくらい、何不自由ない日常生活を送れている。
そんな大地震の影響で、テレビ CM は AC のものばかり。
子宮頸がんと乳がんの CM。(関係ないけど子宮頸がんって女性の二人に一人はなるんだけど多くの人は発症しないで済むものなんだとか)
オシムが出てる脳卒中の CM。(男に子宮はないから男がなりやすい脳卒中の啓発ってことなのかな)
子どもに手当てを、の CM。(セリフの順番覚えてしまった。お花作ったの、え、何、幼稚園でお花作ったの、キャーおててー……)
極めつけはポポポポ~ン。(これに至ってはドラッグ、ダメ、ゼッタイ。にしか見えない)
AC の CM がバンバン流れるようになってから2、3日は「しつこいなー」とイラつく程度だったんだけど、ここ2、3日はどうも俺の様子がおかしい。
何というか、情緒不安定というか、CM を見ると悲しくなって、胸がキリキリと痛む。
男だけど子宮頸がんか何かにでもなったんじゃないかと不安になって、同様の症状がないか家族や友達にも少し聞いてみたら、けっこう多くの人が同じ感覚になっているらしい。
「なんか元気が出ない」「(震災の影響もあるのかもしれないけど) どことなく生活に閉鎖感がある」「AC の CM を見ると涙が溢れそうになる」などなど。
中でも、「悲しくなる」症状は多くの人の間で共通している。
この悲しさを例えるなら、道端にいるサンドイッチマンやティッシュ配りの人を見て、「皆からティッシュ無視されて、誰からも相手にされてないのに、あの人はめげずに頑張っているなぁ…」と思うときの感覚に近い。
もしくは、電車の中で疲れた顔をしたハゲの中年サラリーマンを見て「家族のためにヘトヘトになるまで働いてるんだろうなぁ…でも家では娘にハゲキモイとか言われて報われてないのかもなぁ…」と悲しく思うときに近い。
そしてそこから「そういえば俺も両親に面倒臭がってそっけなくしたりして、ロクに親孝行もしないで迷惑かけてるなぁ…今日帰ったら、せめて優しく話しかけよう…」と切なく思うときの感覚にも似ている。
CM を見ているときに感じるのも、これらに似た、悲しさ、切なさと同時に、わずかに愛おしさも含まれた、妙な感覚である。懐かしさにも近いものがあるかも。
CM の中でも特にその悲しさを感じるのがポポポポ~ンの CM で、あの「無難に子供ウケしそうなキャラクター」が笑顔で出てくる感じ、
キャラクターたちがランラランとスキップしているようなカットの「死後の世界っぽい」「この世とは思えない」「無機質な」感じ、
動物を使ったキャッチーな歌、そして長いバージョンで「おはよう」の部分だけやたら優しく歌う感じ、
それら全てが、最初はしつこさでイライラしていたのに、最近はなんだか切なく感じてしまい、
胸が (正確には喉から胃にかけての食道あたりが) キュ~ッとなるような悲しい感覚になる。
悲しくなる理由については、俺個人的には
「子どもたちに挨拶のことを伝えるために、可愛らしいアニメキャラクターを使った CM にしよう!」と考えた企画者たちが、
それなりに汗水流して大変な思いをして作り上げたあの CM を「しつこい」「ウザイ」と酷評されてしまっているという事実を思うと
その企画者たちとこの作品のことを思って悲しくなる、という、先ほどの例えに近い悲しさがあるが、どうもそれだけの感覚ではないようだ。
また、「遊ぼうっていうとでっていう」の BGM に流れる寂しげなピアノと、「思いやりは見える」で流れる儚げなヴァイオリンの音、
そしてそれらの CM のナレーションの口調、声の音程などからも、同じような悲しい感覚が起こる。
基本的に CM の内容が明るいものではないので、全体の雰囲気が楽しげにはならないことは分かるんだけど、
この CM のしつこさのせいか、はたまた何かサブリミナルメッセージでも刻まれているのか、
意図しない部分・要素で悲しい気持ちを引き起こしてしまっている。
別に無理にこの感覚を共有して欲しいわけでもないし、どう言って欲しいとかも思ってないし、
AC に対して文句を言うのは筋違いなのも分かってるのでそもそも何が言いたいのか分からないんだけど、
どうもなんか悲しくなって、情緒不安定になっているのある。はやく AC の CM が減りますように…。
追記:(実は匿名ダイアリーの投稿初めてで使い方よく分かってないので、追記でちょっと書かせてもらいます)
「しつこいと嫌だよね」
確かに、「バイバーイ」って幼稚園の子供がやるリサイクルの CM は頻度が少ないからか嫌な感じはしてないなぁ (ロリコンではありません)。オシムと子宮頸がんはまだ自分も「イライラ」レベル。思いやりとポポポポーンは完全にもうダメだ…。
寂しくなるというか、悲しくなるというか、という感覚については、サザエさん症候群で感じる不安感に近いことにも気付いた。学生生活のことや将来の就職に関する不安など、人並みな不安はあるものの、これといって深刻な悩みもないのに、何らかの不安に駆られて落ち着かなくなる感覚。
「CMになったら、テレビ消すとか チャンネル変えるとか。そういうスキルを身につけたほうがいいんじゃない?」
「見かけたらチャンネルを変える」という手間は現実的じゃない。あなたが実際に毎回そうしてるのだったら大変几帳面な人なんだなとは思うけど。
それと俺の場合、この症状は CM を見るたびに感じて、1分後には元通りになる、といったものではなくて、たとえ CM になってチャンネルを変えて見ずに済んだとしても、その CM がやっているという事実だけでも同じ症状を引き起こすことを、さっき発見した。CM を見ること自体を回避しても、あの CM を回避した、という経験が積み重なると、同じように不安感も蓄積されていく感じなんだよね。
だからどうしろとかそういうつもりはないし、この感覚が分からなかったらそれで別にいいんだけど、この泣きそうになる気持ちをどこかに吐かずにはいられなかったので、友人、家族、そして匿名ダイアリーに吐き出してみた次第です。
これを書くと「情弱」「ヘタレ」「デマを流すな」といろいろ書かれそうだが、備忘録の意味で書いておく。
23区でも割と都心寄りに住んでいるので計画停電の影響は殆どないし、
にもかかわらず疎開させたのは、ひとえに「放射能対策」、それ以外に理由はない。
文系ではあるが、もともと原子力についてはいくつか本は読んでいる。(推進派・反対派いずれも)
なので多少の予備知識はあるつもりなのだが、
結局「ワーストシナリオの場合でも、23区内は(乳幼児にとっても)大丈夫」という確たるクレジットが、
自分が探した範囲内で得られなかったから、疎開の理由はそれに尽きる。
恐らく、「ワーストシナリオで、23区内に放射性物質が飛来し、健康被害が生じる」確率は、
1%あるかないかだろう。
なので、通常であれば、99%の確率を信じて、都内に留まるということになるだろう。
それは「99%に掛ける責任を、自己責任で負ってもいい」と自己判断したからである。
(自分もいわば「中年メタボ」なので、「ガンで死ぬ前に、脳卒中とか心臓病で死ぬワイ」という
開き直りの気持ちもある)
親が判断を代理行使しなければいけないのだが、不幸にして「1%」の事態に陥ったときに、
自分は、自己決定できない子供に成り代わって、「1%であっても、回避できるのであれば、回避する」
のが親の務めと思って、回避させた。
もともと13日の水素爆発の時点で、「事態の収拾が難航しそうだ、最悪の場合は避難しなければ・・・」と
妻と話していて、妻の実家にも下話はしていた。
その後様子を見ていたのだが、
「2号機の圧力容器破損」
「4号機で火災」などのトラブルが相次ぎ、「どうも事態収拾ができなさそうだ」と判断した。
特に「高レベルの放射線量が計測された」というニュースが決定打になった。
※その日、新宿でも低レベルの放射線量が計測されたが、それは疎開の理由ではない。
医学的知識が少ない人の場合、少量の放射線に怯えて疎開している向きもあるようだが、自分の場合は
「自然放射能」とかも知っているので、低レベル放射線自身はこわく無かった。
「(放射線防護しながらの)現地作業員の回復作業が困難、というより不可能になる」と判断したからである。
単機のトラブルだと兎も角、複数機のトラブルなので、現地作業員による事態収拾は「まず絶望的」と思ったのである。
恐らく、このあと数日は、「放射能を避けながらの最大限」の作業が行われるだろう。
しかし、それは通常の「放射線を気にしないで行う作業」の、10分の1、100分の1の作業効率しか上がらないと予想された。
(実際、15日以降、今日までの事態はそのように推移している)
となると、遅かれ早かれ、「事態収拾困難」で白旗を上げる時期が来る。
その後はメルトダウンなのか再臨界なのか「神のみぞ知る」状態になる。
そういうワーストシナリオであっても、風向きが南風だったり北西風であれば、
しかし自分は「関東は、時々北東~北北東の風が吹いて、天気がぐづつく」という気象現象があるのも知っていた。
恐らく1年365日のうち20日程度だろうか、全国的に晴天なのに、関東だけ曇りや小雨という気象条件の時があり、
そういう場合は関東東側に小さな低気圧があって北北東の風が吹いているのである。
※茨城福島沖の湿気を含んだ空気が、北北東の風に乗って関東山地(箱根など)にぶつかり、弱い雨が降る。
冬型気圧配置で、日本海側、それも日本海側の内陸で降雪があるのと同じ理屈
となると、折悪しくこういう気象条件の場合にワーストシナリオが発生した場合、
汚染された気流が関東に流れ込む形になり、しかも悪いことに「降水」する危険性が高い。
今回の原発事故以降、毎日数時間は原発関連テレビを見て、かつ「はてな」で情報収集しているのだが、
この関東特有の気象条件について言及している学者が一人もいないのが不思議である。
※希望的観測を言えば、福島茨城県境に山地(八溝山など)があるので、そこである程度放射性物質が
落下してくれるかもしれないが・・・
で、「ワーストシナリオ」発生時に「あわてて家族一緒に避難する」という選択肢もある。
15日の放射線量データを見てもわかるように、関東山地以西、山梨や静岡は、
北北東気流が遮られるので、格段と影響が小さくなる。
関東4,000万人が一斉に避難行動を開始した場合、様々なパニックが予想される。
実際に避難できる方向は静岡方面と山梨方面だと思うが、自分がラフに計算したところ、
「東名高速と中央道が徒歩避難者に開放されたとしても、両高速道路で関東脱出できる人数は32万人/時、
関東全員が県境を越えるのに125時間かかる」という結果になった。
要は東京マラソン状態になって、「125時間の大渋滞」が県境で発生するのである。
「徒歩」という前提で計算したが、自家用車とかだともっと悲惨な結果になる。
要は「ワーストシナリオ発生後に関東脱出できる」人は「関東全人口のせいぜい10%もいない」のである。
事実上、ワーストシナリオ発生後の脱出は「不可能」と言ってよい。
「ワーストシナリオ発生する前に、事前に疎開させる」というのが親として取るべき行動、という結論になった。
勿論、個々の事情はあって、自分の場合は「妻の実家が関西」という有利な条件がある。
※親類が西日本に居なければ、「1%のリスクを甘受して、東京に留まる」という選択肢を取ったと思う。
唯一のネックは「上の子が小学1年生で、まだ終業式を迎えていない」ことである。
春休みまでの数日間、学校を「ズル休みする」格好になり、この点を妻はさんざん抵抗した。
「終業式以降じゃダメなの?」
「A=今避難して、その後何もなくて、「取り越し苦労だった」と嘆く。
B=今避難せずに、その後万一のことが起こって、「あの時避難しておけば・・」と後悔する。
Aの嘆きなんて、所詮「後になれば笑い話」だし、子供の長い人生の中で、1週間の休みなんて、どうということはない。
「Aの嘆き」と「Bの後悔」では、全然質が違う」
それでも渋る妻に、奥の手も使った。
大学時代の友人で、今は某私大の准教授(専門は化学)に、「疎開を考えているがどうだろう?」と
で、その准教授の肩書きとともにメールを見せて、いわば「権威付け」して、妻も納得した。
(後日その准教授は自身のツイッターで「西日本へ疎開できる家庭環境の人は、疎開していいのでは?」と書き込んだようだ)
「今ワーストシナリオになってないだろうか?子供は大丈夫だろうか?」と
15日以前は、常に原発が気になり、正直仕事が手につかなかった。
その点、16日以降は「後方の憂えがない」状態なので、仕事がはかどる、はかどる。
「自分はワーストシナリオでも、まあガン化確率がちょっと上がるだけじゃん、んなもん気にしてられっか!」と
自分なりに「事態が収拾され、ワーストシナリオが回避される」時点を見極める必要があるから。
早期に事態収拾されるなら、終業式くらいは出席させよう、というハラである。
私見だが、冷却電源が確保され冷却(原子炉&使用済み燃料プール)に成功すれば、
事態収拾と判断していいと思うのだが・・
私は、一人暮らしをしていた。
というか今もしているけど。今月末でこの部屋を出る。
何故出ることになったかと言うと、単純な話会社をクビ(登録型派遣の契約期間満了)になったから。
最初はどうしようか悩んだ。一人暮らしの快適さは何にも変えがたい。
寂しいとか不便だとか全く思わない。
強いて言えば、万一病気で身動き出来なくなった場合や、先日トイレに閉じ込められた女性のように不慮の事故が起きた場合にどうしたらいいかなぁ、それはかなり困るなぁ、とかは心配。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/101212/dst1012120855000-n1.htm
風邪や38度程度の高熱なら家族と暮らしていても放置されているのでそれはあんまり気にならない。
脳卒中とか、まだそんな年齢でもないし、それは多分大丈夫。まだまだ自由でいたかった。
でも、やっぱどちらかと言うと実家に一人で住んでいる母のことが心配だったり、家賃は捨て金、勿体無い、家買いたいなぁ、実家の2階をリフォームして2世帯みたく出来ないかなぁ、とこれまでもずっと危惧していた事が、今回の事で改めて考え直すきっかけとなった。
で、引越しの準備を進めているのだけれど、実家に荷物を運ぶ度に母と接すると、やっぱり母の嫌な面が見えてしまう。(実家まで車で20分位で行けるので、ちょくちょく自分で運んでる。)
私の郵便物を適当にその辺に放置しているし(転送届けを出しているが時々実家にそのまま届いている事がある。)、台所は相変わらず汚くて床に物は置いてあるし、生ごみ用のゴミ箱は蓋をしてないし。(夏は小バエもたかり、流しにはゴキブリが出、超悲惨!)
実家を出てからこの1年ほどはそういったストレスから開放されて本当に快適な生活を送っていたのに・・・
と考え出すと、実家に帰るのが嫌で嫌で仕方がなくなってきた。
しかし先立つものがないと、どうにもならない。ここは頑張ってさっさと仕事を決めて一人暮らしを継続するべきか?
でもどちらにしても労働条件は絶対に悪くなるから今の家賃は払えない。
私は今まで、自由をお金で買っていたのか。
私の母は、決して悪い人ではないけれど、というよりかは、母の友人内では「明るくて人気者」(自分で言う)らしいけど、私の小中時代、私の友達が来てもお茶とかお菓子とか、全く出してくれなかった。だから私が中学生のとき始めて友達の家に行った時、お菓子が出てきたときは本当に感動した。何て素晴らしい母親かと思った。(小学生時代近所の友達の家で遊んでた時は初めから常にお菓子が置いてあったのであまり意識していなかったし、食べなかったように思う。)
何か書いてたら色々思い出して愚痴になってしまったけれど、とにかく、母は「子供が可愛くない親なんていない」とよく口にするけれど、私は親子でも「相性」というものが存在していて、相性が悪いと決して仲良くはなれないのだと思う。
一応、表面的には仲良くも出来るけれど、母とは心の底からは絶対に理解し得ない。根本的なところが決定的に違う。
郵便物とかお菓子とか、そんな事ではなくて、色々話してて、ここには書けないけども、色々あって、そう思う。
母には感謝すべきなんだろうけど。なかなか出来ない。独身だから?子供産んだら気持ち変わる?
さて、これからホントどうしようかな。
酒はおそろしい毒。ドラッグ。犯罪と事故を呼び起こす社会の癌。
年末年始や歓送迎会ではオーバードーズ、いわゆる急性アルコール中毒で毎年3万人が死亡している。
飲み会などにおける上の立場からのパワハラ・アルハラ・飲酒強要での健康被害、死亡事故も問題視されている。
酒を飲むとまず咽頭・食道がやられる。食道静脈瘤や咽頭がんなど。
「酒焼け」とよくいうだろう、あれが出たらもう赤信号。
そして次に当然ながら胃が多大なダメージを受ける。
その先の小腸や大腸も以下同文、消化器系は漏れなく壊滅。
アルコールが運ばれる循環器系はもちろんやられる、血管バキバキで脳血栓できまくりで脳卒中の最大要因。
「休肝日」という言葉があるくらい皆さんご存知の通り、アルコール分解の主役である肝臓はもうボッコボコになる。
最終的な分解を受け持つ筋肉もやられ、深刻な場合は慢性的な震えや痙攣・運動障害をひき起こす。
そしてアルコールで最も甚大な影響を受けるのが、酒の麻痺効果のターゲットである脳・神経系。
飲酒常習者は脳が萎縮し、非飲酒者に比べ痴呆が10年速く進行する。
慢性アル中患者は脳血流やグルコース代謝が低下し判断力などの高次機能が破壊され、反社会的行動を起こしやすくなる。
さらに膵臓のランゲルハンス島もやられて糖尿病になる。膵炎の半数はアルコール性。
もちろん腎臓もやられるし、アルコール性心筋症は心筋梗塞の最大要因。
それだけじゃない、免疫力が著しく低下するためエイズや肝炎などあらゆる感染症にかかりやすくなり、
酒による肥満はありとあらゆる成人病を加速させ、さまざまな合併症をひき起こす。
さらに言えば、酒の上の暴行や傷害や殺人や強姦など、様々な犯罪の間接要因でもあり、
昨今ようやく少し認識が改まりつつある飲酒運転被害ももちろん酒の害のひとつ。
まさに百害あって一利なし。
万病の素。
あらゆる悪の根源。
経済的にも社会的にも、恐ろしく多大な損失を生む、まさに悪魔のドラッグ。
それが酒。
今日もリアルで尊敬のかけらも受けてないだろう増田のようなアルハラ中高年が
「高血圧に負けない食事」
http://yoishokuhbp.lukora.com/
薬を飲んでいるほどの症状なら、病院に入ったつもりで食生活を全面的に見直す必要がある。
食べ物にこだわりがあって、本人が死ぬ気で食べているのであれば止める方法がないのだが。
自分の東北の実家の血縁者は高血圧の結果として脳卒中で死ぬ人が多い。
ほうれんそう、小松菜、さつまいも、アーモンドや落花生などのナッツ類、わかめ、ひじき、昆布
しそ油、えごま油、くるみ、シジミ、緑茶、まぐろ、ホタテ、たこ、いか、トマト
調べてみると食べ物はいろいろな説があるので、これが正しいのかわからないが。
叩きではないのですが、
そもそも学術的にはイロモノの域を出ないリスニング学習の本を持ち上げたかと思えば、
その理論部分に問題があるという。
彼が何を書いているのか、最初さっぱり分かりませんでした。
反復学習の効果的側面は臨床データもたくさんありまして、リスニング学習は効果が
限定的だというのは1980年代からさまざまな論文で語られているんですけど。
それで、今度は単なる一症例、それも単なる脳卒中からの脳機能回復の体験談に過ぎない
「奇跡の脳」を山車にして、両者を比較すると言う、心療内科の世界からすると誤謬
としか言いようのない書評を書いておられます。
彼は、
「これははっきりと「No」と弾言させていただく。私にとって言葉は理解と表現の道具で
あっても、思考の道具では実はない。」
とまで言っていますが。
認知学で言うなら、言葉の理解と表現を行うのは、思考の「結果」であって、別物と
かそういう以前に、脳機能のうえで区別すらできないもののはずなんですが。
と言うより、言葉で理解していながら、「思考は言葉で行われる」という基本的過ぎる
主張に「NOと弾言」というのは、甚だおかしいです。意味が分からない。
さらに、
「同書で最も驚いたのは、左脳が麻痺した著者が見た世界が、いかに私が「考える」
時の状態に近いかだった。自己の境界と時の流れがなくなったその世界にこそ、
「マイワールド」なのである」
集中している時の脳活性は自己の境界線(自己的知養)が発現しないのは当たり前
です。言語野が確立していない胎児にいる状態でも記憶は残り、のちに言語化されて
記憶が再整理され、胎児中の記憶が蘇ることは学術的にも確認されていますが、
これ、本論とは一切関係ありませんよね。
「本書の価値は、実践の方にある。ハウツー本にとってより重要なのは、理論の
正しさではなく実践の効果である以上、本書はたとえ理論に納得できないとしても
価値がある。そしてその実践の効用が大きいことは、私自身を証拠として提示できる。
私も「耳勉強法」の実践者だったのだから」
その後も、彼独自のヨタ話が続きますけど、書評で出ている実戦方法と、この人が
「耳学習でかるたを覚えた」と言っていますが、文章記憶を行うのにリスニングが
適しているだけの話で、これを数式や化学式の暗記に応用しろと言われても無理
でしょう。彼が言っているのは、簡単に言えば言語を効率的に習熟するには
リスニングも必要であるという、ごく当たり前のことに過ぎません。
「有名な話しであり、またこの話が「人は見た目が9割」のベースにもなっている
のだが、むしろ私が驚くのは、聴覚が38%もあることだ。」
これも関係ない話ですよね。聴覚による情報摂取比率が脳科学的に高いからといって、
ここで取り上げたリスニング学習法が実践価値があるという意味にはならないです。
むしろ、現在の学習に関する研究では、視覚聴覚などの取り入れる配分をどうするか
というレシピのほうの調査が主で、学習障害が何故発生するかや、集中力との関係
といった分野が大変重視されるのですが、やはり本論とは何ら関係はない。
「ここで、今まで「耳勉強法」が今までそれほど活用されていなかったもう一つの
理由にたどりつく。それは「耳を使うのは非常時」という、耳のもう一つの特性だ。」
もはや、何を言っているんだか分かりません。
緊急時の情報優先が聴覚であるという学術論文は25年間のあいだで読んだことがない
ですね。危機対応能力を求められる職種の人は、嗅覚が鋭くなる傾向にあるという
調査報告がある程度で、聴覚が優先されるなどと言う話はまっとうな論文では
見たことがありません。
非常に不誠実で、不正確な書評で、脳科学や認知に関する基本的な理解が不足した、
問題の多すぎる論述ばかりで、読んでいるこちらが逆に驚いたぐらいです。
臨床データを読みこなせるようになってから書いてください、というわけではない
のですが、知らない、分からないことに対する論述の慎重さ、丁寧さ、誠実さと
いったところが欠けすぎていて、残念に思いました。
ある程度、そちらの方面では専門であるわたしから見ても、まったく無価値な議論
ばかりだな、という印象です。
だよね……
男にうまれついても、一部の才能ある勝ち組以外の、9割の男って意味ないよね……
才能ある男だったら、各方面で注目されるし、場合によっちゃ名も残せるけど……
そんな人はほとんどいないもんね……
ほとんどの男は特に人生に何の目的もなく、なんとなくそういう年になったら働いて……退職してからちょっとたって気付いたら脳卒中だのガンだのになって死ぬんだよね……
子が生まれても産んでる当人より感動薄いし……
セコセコ腰振ってようやく女の10分の1程度の快楽だもんね……
子が生まれたら自分より子が第一になっちゃうしねどうしても……
といって結婚しないまま独身男性一人きりの人生とかもう想像するのも辛いくらい侘しいしね……
でもしょうがないんじゃないかな
何もできないじゃない?
女だったら、とりあえず、子を産む能力があるけどさ。
男ってそれがないから……だから遺伝子残すためには子を産む能力に匹敵するものを結局セコセコ集めるしかないんだよね……それは男ってそういうものだから仕方ないよ……そうやって子を産んでくれるようメスにアピールするのは動物界の掟みたいなものだし……
でもほとんどの男の人は、才能とか特別な能力とか、ないからね……
やっぱどうしてもセコセコ働いて金をちょっとでも得たり生真面目なところ見せたり少しでもかっこつけたりするしかないよね……
あるいは遺伝子諦めるとかね……
ハゲデブチビオ50歳のオッサンが独身でアパート暮らし、たいした特技もありませんってのも見ていて哀しくなるけど……
でも、その分、才能在る男の人の人生は一転して鮮やかだよねー!
いくつになっても女はついてくるしねー!
好きな仕事で飯くっていけるし
金もたくさん得られるし
9割の男達が何も手に入れられない分、一部の勝ち組が全部かっさらっていってるね!
だからそういう男と平均すれば、男もそう悪くないんじゃないかな?
睡眠時無呼吸は、本とかでてたような。
とりあえず、いびきがあるときには、病院にいってみたら? ご注意を。
チェックはここにもあるよ↓。
眠る時のように、うと…うと…っときて、気付いたら(っていう言い方は変だが)眠ってるように
うと…うと…っときて気付いたら死んでる、ってな感じで最期を迎えたい。
のだが、老衰で最期を迎える日本人というのはわずか2??3%にしかならないらしい。
なんたることか。それは困る。予想以上に低い数字だ。
「天」という漫画のアカギの死のような自死の方法も「眠るように死ぬ」点ではなかなか魅力的ではあるが、やはり自分で「死ぬ」決定ボタンを押すってのは、少し怖い。やはり今まで元気だったけど突然眠るようにすっと死ぬ、というのが一番理想的だ。
しかしガン脳卒中などになる可能性の方がはるかに高いのなら、もしそうなってしまった場合のみ眠るように自死、という手段もあるな。
何にせよ眠るように死にたい。
さて、眠くなってきた。
思えば眠りというのは日々の死のようなものなのかもしれないな。
痴漢とは違うんですが、電車内で急に胸が痛くなり、座席に座るのすら辛くて床にうずくまっていた経験があります。
かなり呻き声出ていた記憶があるんですけど、けっきょく車掌さんしか声かけてくれませんでしたね。
少なくとも10人強は同じ車両に居たんですが。
そのときは車掌さんに救急車呼んでもらって、次の停車駅から病院に直行でした。
世の中そんなもんです。もっと大きな病気……脳卒中とかで倒れたとしても、誰も手を差し伸べてくれないんじゃないかなぁ……。
車掌さんには感謝してます。心配して声かけてくれただけでも本当にうれしかったです。
自分も声をかけられる人になりたい……。
たしかに、前総理である小泉内閣の時にも、閣僚の失言は幾らかはあった。
ただ、たとえば森政権の場合は、そもそも党内選挙で決めた首相ではなかった(少なくとも…脳卒中に陥っていた故・小渕氏には、後継者と目した人間の名を告げることはできなかったはずなのだが)うえに、そもそも森喜朗という人自身が典型的な「脳味噌筋肉」で『失言の塊』のような人だったため、はっきり言って彼の任期中は、国民はウンザリしていたはずだ。そういう意味では、小渕恵三氏は「醜男」という見た目のハンデを、サービス精神やプライドに囚われない精神で克服していたわけで、国民にも「ブッチホン」などでも親しまれていた。今から思えば、つくづく惜しい人を亡くしたと感じる。
そこへ彗星のように浮上したのが、かの小泉純一郎。爽やかできりっとした外見とともに、熟慮・即断・ワンフレーズ好きといった政治スタイルは、「みのもんた」などと同様に、少なくともテレビの向こうのオバさま方ののハートを捉えるには十分だった。まぁ、任期最後のエルヴィス記念館での『エアギター』はおまけとしても、小泉という人はマスコミを巧みに翻弄し、かつ「使いこなした」宰相であったことは間違いない。
そういった人の後に出てきたという事を差し引いて考えてみても、安倍晋三氏は宰相としてはどちらかといえばそもそも「小粒」の類いであり、リーダーシップという点では随所に力不足とも取れる面が多々見られるのは否めない。個人的に、あるいはネットでの人気度としては圧倒的に、首相候補としては麻生太郎氏を推すものだが、一方で安倍氏に目を転じると、年齢の若さとかいったもの以前に「生きてきた中での“経験の浅さ”」というものが結果的に彼の言葉に深みを感じさせない重大な要素になっているのではないか、と自分は推測する。